
2022年9月4日 樸句会特選句
花すゝき欠航に日の差し来たる 古田秀 欠航の理由にはさまざまがあろう。気象上なら台風、火山の噴火もある。社会的事由には、コロナ感染者の激増、世界に目を馳せれば無惨な戦争さえある。何にしても航空機か船舶の定期便が運休となった。作者は飛行場か港湾近くでそれを知ったのである。
欠航という世の出来事を花すゝきが静かに見つめているのがいい。しかも穂すゝきの背後には秋の日がやわらかに差し初めて。いままで芒の季語には淋しいイメージが付き纏ってきた。こんな泰然自若とした花すゝきに出会うのは初めてである。時間の流れのはるけさを感じさせ、句姿も美しい。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年8月24日 樸句会特選句
斎場へ友と白粉花の土手 島田 淳
斎場は市街からすこし離れた河畔にある。葬儀が執り行われるのは作者と「友」にとって、共通の友人だろう。それも幼馴染とわかる。二人語りながらゆく「土手」に、「白粉花」のあどけない赤が点々と咲いているから。肩を並べて夕暮れ迫る「土手」を歩いてゆくと、亡き友までがそばにやって来るよう。みんないっしょに幼きあの日に帰ってゆくようだ。待っている先が、友だちのお母さんのやさしい笑顔のある家ではなく、斎場であることが悲しい。しみじみとした俳句。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年8月24日 樸句会特選句
初戀のホルマリン漬あり残暑 見原万智子
もしも「ホルマリン漬の初恋残暑かな」だったら、どうなったか。初恋の標本というやや鬱陶しい思い出に過ぎなくなった。「初戀のホルマリン漬」はいい。生き返らない永遠がざんこくなほどに保障されている。しかも座五に置かれた残暑が重くひびく。若き日のかがやかしい実質が永く保存され、しかも西日のさす八月の標本室。読みとれる心情は単純ではない。ありありと容は残り、それを隔てるホルマリンも液体とガラス瓶。作者だけが生身。しかも秋暑しである。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年8月7日 樸句会特選句
母の恋父は知りたり蚊喰鳥 見原万智子
家族の中で完結しない恋愛感情はできれば知りたくないもの。父母のよその異性への恋を子が知ることは気持ちの良いものではない。ましてや父が母の別の男性との恋を知っていて、それを子が理解しているとは複雑だ。俳句を生かすも殺すも助詞助動詞のはたらきである。この句の「は」と「たり」は渋い。父に知られていることに、まだ母は勘づいていないよう。完了の助動詞「たり」で切れ、もう一歩も後に引けない。「知ってしまったのだよ」という含意がこもる。止めに置かれた「蚊喰鳥」は蝙蝠よりも細かく隠微に蠢き羽ばたく。その不気味な感触。
いうまでもなく俳句という詩である。作者のご両親は比翼の鳥。御母堂は遺影の前で三度の食事を召し上がる。いい俳句は必ずしも公序良俗から生まれるというわけではない。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年7月27日 樸句会特選句
寄港地の噴水へ手をかざしけり 田村千春 日本や世界を一周とまではいかなくても、時間のたっぷりした周遊の船旅である。まだ見ぬ港に船体が静かに入ってゆくときの心躍り。作者はしばしばその見知らぬ街の歴史を訪ね、くつろぎ、土地の心づくしの饗応に預かったのだろう。やがて乗船の時刻が近づいてくる。ひと時の風光を愛でた街、名残惜しい公園に噴水が涼しげに上がっている。もう二度と再びこの地を踏むことはないだろう。そう思った瞬間、ひとりでに「噴水へ手をかざし」ていた。永遠に若く美しい噴水に向かって、さようならをしたのだ。初めての遠い土地の噴水へのいつくしみは、ゆきずりのひとの真心にふれた遠い日の記憶も誘う。過ぎゆくものへの清らかな哀惜。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年7月27日 樸句会特選句 炎天や糞転がしの糞いびつ
芹沢雄太郎
恐ろしいまでに青い炎天。見れば乾ききった大地に一匹の甲虫が糞を転がしている。スカラベだ。古代エジプトでは、獣糞を球にして運ぶ姿を、太陽が東から西に運ばれる姿になぞらえ、太陽神の化身として崇めたという。その再生の象徴は彫刻として今に伝わる。が、この句のスカラベは美術館や土産物屋に置かれた死物ではない。作者の立つ大地に生きて眼前している。その証拠に、糞転がしが取り付いている糞はまだ丸くない。「いびつ」だ。歪んだ糞を日輪の球体になるまで全身で必死に転がしてゆくのだ。紺碧の炎天の一点になるまで。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2021年7月4日 樸句会特選句
向日葵や強情は隔世遺伝 海野二美 ゴッホの向日葵のように、一読して強烈な印象を残し、忘れられなくなる句だ。向日葵は真夏の太陽を受けて真っ直ぐ立ち、青空に大きな花冠を向ける。枯れるまで弱音を吐くことのない健気さを作者は自己に投影する。「強情」の措辞で向日葵の本意を受け止めたところが秀逸。卑下と自負の感情がないまぜになっていて意表をつかれる。それが父母由来ではなく、祖父母の一人からもらったものと懐かしむ時間感覚のはるかさもいい。どんな時でもジメジメせず、自分の意思を貫く生き方を、作者はこれでいいのよと肯定している。向日葵の花が大好きで、自分を強情っぱりといえるひとは、本当はかわいい女性にちがいない。向日葵、強情、隔世遺伝、という、三つのタームが思いがけない硬質の出会いを果たして、口遊むたび、夏雲のようなきらめきが立ち上がってくる。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2022年3月23日 樸句会特選句
富士山の臍まで白き彼岸かな 塩谷ひろの
静岡から仰ぐ富士山が臍まで雪化粧するのは、意外にも真冬ではなく春先。黒潮の暖気と日差しを浴びる太平洋側の姿を明快にとらえています。この句の良さは時候の季語「彼岸」がすっきりと効いていることです。どうしても当季語は生活の季語「彼岸会」と曖昧になりやすく、彼岸詣や彼岸の法会にまつわる情景を詠みやすいものです。そこから吹っ切れた富士山が早春の透きとおるような純白を見せています。しかもその底から、臍下丹田の清らかさと、あの世この世の接点としての霊峰の気韻までが感じられてくるのです。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。