「あらき歳時記」カテゴリーアーカイブ

樸の佳句を、季節のうつろいにあわせた並び順で鑑賞していきます。世界を胸いっぱい呼吸し、また感じながら散歩するように、楽しんでいただけましたら幸いです。

あらき歳時記 目刺

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    2021年3月7日 樸句会特選句     目刺焼くうからやからを遠ざかり                   見原万智子   うからは親族、やからは族です。作者は、すべての血縁者やともがらから「遠ざかり」、いま、たった一人で目刺を焼いています。脂の乗った目刺のじゅわっと焦げるいい匂い。大海で生きてきたかわいい目刺を皿に載せ、ふと向き合います。そのアッツアツをほおばるとき、腸の苦味はわが腸にまでしみわたります。目刺が作者の孤独と一つになる瞬間です。さりながら句のリズムはさっぱりとして胃にもたれません。春昼の一人の醍醐味がここにあります。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 霜夜

霜の夜

    2021年1月27日 樸句会特選句    レコードのざらつき微か霜の夜                   萩倉  誠  レコードの人気が再来しています。大きな紙のジャケットの薄紙のなかから取り出し、埃のないのを確認しておもむろに針を乗せます。やわらかで芳純な演奏が始まります。ときおり交じる雑音。針の飛び。それらをひっくるめた「レコードのざらつき微か」が、失われた、しかしかつて確かにあった時間を蘇らせます。音色のもつやわらかな空気感が霜の夜のしじまに韻きます。芸術を愛する繊細な感性の匂いたつ俳句です。            (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 淑気

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  2021年1月10日 樸句会特選句    ししむらを水の貫く淑気かな                   古田秀  人間の体は七〇パーセント前後が水からできているといいます。作者は元日、ふだんは叶わない朝風呂にゆっくりと入ったのでしょう。そのとき、白いひかりの淑気のなかで自身を「若水のかたまりだ」と思ったのではありませんか。中七の措辞「水の貫く」が秀抜です。体内をはしる水は、山河をはしる水流とかさなって句柄を大きくしています。新年で「貫く」といえば虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」が浮かびますが、この句には三十歳の有無を言わせぬ若さがあります。水から生まれたはち切れる命のいきおい。その切れ味のするどさは古田秀という俳人の呱々の声です。                 (選 ・鑑賞   恩田侑布子)     

あらき歳時記 小春日

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20201126 SBS学苑パルシェ「楽しい俳句」講座 特選句  小春日やけんけんぱッの◯の中                   石原あゆみ  一年のうちで小春日和ほど空も日光も清雅な日はありません。冬の寒さが間近なのに春のようにほのぼのと暖かで、ひすいの空はどこまでも青く澄んでいます。音韻的にも華やかなA音五つに、回転するR音のハル、マルが愛らしい軽快なリズムをかもし出し、フリルのスカートの女の子が足を開いたり閉じたりして進む様が思い浮かびます。それは、けんけんぱの遊びさながらの小さな音楽です。作者は自身の少女時代を重ね、永遠だったような束の間だったような冬麗の一日を惜しみます。憂いを知らない一人の幼女が、いま◯のなかに片足立ちしています。漢字の丸や円ではなく、地面に描いた◯をそのまま句中に置いたことで、幾つもの◯がつながる空地が目の前に浮かび、そこに幻の少女が立ち現れます。一読忘れがたい愛誦性もあり、小春の屋外にはずむ可憐な少女の四肢は匂うばかり。小春日の季語は落ち着いた渋めの句が多いものです。その点でも特筆される秀句です。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)     

あらき歳時記 髪洗ふ

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  令和2年8月2日 樸俳句会特選句    ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて                   田村千春  有名なアルゼンチン・タンゴの名曲と洗い髪をむすびつけた大胆さが眼目です。「洗ひ髪ごと」で、着衣もしていない湯上がりの肢体がほのめかされ、さらに「さらはれて」と、接続助詞の「て」止めが、その後のふたりの愛の夜を暗示します。まさにラ・クンパルシータのスピード感。タンゴのような情熱的な展開です。音律も五音のラ行が愛に回転する二人のよう。一幕の劇を思わせる印象的なボルテージの高い句です。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)    

あらき歳時記 早苗田

20200607 句会報特選句

  令和2年6月7日 樸俳句会特選句    早苗田は空に宛てたる手紙かな                  田村千春  しなやかな感性の俳句。こういわれるとにわかに、早苗田のかぼそい何列もの姿が、便箋にやさしく書かれた文字のつながりのように思われてきます。しかも幼いうすみどりの細い葉っぱがみな、これから育ってゆく大空にむかって「わたしたち早苗です。大空さん、どうぞ秋の稔りの季節まで健やかな成長を見守ってくださいね。あんまり酷い旱や、洪水にならないようにお力をおかしくださいますよう」なんて、お願いの手紙となってういういしく広がっているようなファンタジックな気持ちにさせられます。A音十音の開放的なリズムが内容を引き立て、あどけなく清らかな詩を奏でています。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 日永

20200301 句会報用特選句用

     令和2年3月1日 樸俳句会特選句        なまくらな出刃で指切る日永かな                  天野智美  「なまくらな出刃」が出色。俳味がある。切れ味が鈍っているのに面倒で研いでもいない出刃包丁は、同時に自虐に重なってくる。「私はなまくらものだわ」というつぶやきが聞こえてきそう。じっさい切れ味の鈍くなった包丁ほど指を切りやすいものはない。変に力が入るからだろう。「イタッ」。左手の中指の甲に血が滲んで、突如包丁が不器用な自分の生き方に重なって感じられたのである。中七の「指切る」にわずかな切れがある。なまくらな出刃で指を切ってしまうような、そういう日永なんだよ〜と詠嘆している。「にぶい包丁でだらしのない指切っちゃあ世話あねーよ」、という話なのだが、座五の「日永かな」の付け味がいい。人生の日永に作者はいる。さて、春日遅々とはいえ、ゆっくりと日は傾いてきている。これからどうしようかな、と思う。季語で俳句がにわかに大きくなった句である。         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)             

九月のプロムナード

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樸の九月の佳句を恩田侑布子が鑑賞していきます。 それぞれの心にある実りの秋をお楽しみください。(山田とも恵) ≪選句・鑑賞 恩田侑布子≫ 磔刑を見てきたやうな蜻蛉の眼             山本正幸  この眼は鬼やんまに違いない。透きとおる碧の不必要なほど大きなあのガラス玉。その眼がイエス・キリストのはりつけをたった今見て来たとはおだやかではない。人類の原罪を一人であがなってくれたと聴いても、アジアの民は痛ましく思うばかり。蜻蛉はさてどう思ったのか。まっすぐやって来て小枝の先に止まった。その眼は蒼穹(そうきゅう)を隈(くま)なくうつして静まる。泉のような金のひかりを奥に嵌(はら)めて、また明るい野道をついーとまっすぐ行ってしまった。 ※ 磔刑=たっけい カフェテラスただ居座つて星月夜            久保田利昭  一読、ゴッホの名作『夜のカフェ・テラス』を思い出す。インディゴブルーの夜空に花のよう降る星屑。裏通りのやわらかそうな甃(しきがわら)に漏れるカフェの鮮黄色のひかり。画面の一角に孤独を愉しむ男がいたらそれが作者。中七の「ただ居座って」の口語調が新鮮で、男気と存在感がある。もしかしたら絵の中に紛れ込んだのではなくて、本当に駿河湾にそそり立つ大崩海岸の白亜のカフェにいるのかもしれない。だとしたら、星明りは深海にまで降りそそぎ、このテラスは宇宙の中心になるだろう。 きちきちは海へとジャンプ捕まらず             原木栖苑  ばった、螇蚚、はたはた、精霊ばった。季語の傍題はいろいろあるが、この「きちきち」は選び抜かれて動かない。イ音の鋭い連続から乾いた叢(くさむら)の茂みと砂地が浮かぶ。目の前には青い海しかない。この世のどんなものも手が出せない。ジャンプあるのみ。秋の爽やかな大きな海原の空間が充満している。