
photo by 侑布子 2024年 8月4日 樸句会特選句 サンダルを履かずサンダル売り歩く 芹沢雄太郎 「履かず」「売り歩く」と動詞を畳み掛け、「サンダル」のリフレインまでありながら冗漫に陥りません。それどころか切れ味のあるスピード感が迫ります。それはインドの女性の生きる力です。彼女は今日の糧を得るために色とりどりのサンダルの束を抱え、路上でサンダルを売り歩きます。みずからは裸足で。その足元にはインドの泥の大地が広がります。松本健一は『泥の文明』(新潮選書)で、多くの生命を育むアジアの泥の風土は共生の理念を生むといっています。この句を支えるもう一つの力は女性に寄せる作者の共感力でしょう。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

2024年7月21日 樸句会報 【第142号】
連日全国一の最高気温を記録し続ける静岡県。そんな時期に静岡市内の小料理屋にてリアル句会を開催しました。句会後は懇親会もあり、静岡の夜を皆で楽しみました。
兼題は「ソーダ水」「風鈴」。特選1句、入選4句を紹介します。
◎ 特選
ソーダ水越しに種馬あらはるる
芹沢雄太郎
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「ソーダ水」をご覧ください。
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○ 入選
明易の羽ひらきたり人工衛星サテライト
古田秀
【恩田侑布子評】
日本が開発している宇宙太陽光発電をする静止衛星でしょう。宇宙空間に進出した現代の科学技術を「短夜」の季語で詠んだところが斬新です。太陽光パネルの展開を、「羽ひらきたり」とした詩的措辞もなだらかで無理がありません。ア母音七回の多用と頭韻が広々と澄んだ調べをもたらし、未来への希望を感じさせて軽快。今どきめずらしい向日的な句です。
○ 入選
風鈴の途切れとぎれの添寝かな
活洲みな子
【恩田侑布子評】
ふだんの暮らしから俳句を掬いとった素顔の良さがあります。まだ幼いお子さん、またはお孫さんをお昼寝させるための添い寝でしょう。寝かせつけるために横になっているのに、子どもの甘い香りと風鈴の澄んだ音色に、ついうつらうつらしてしまいます。夢とうつつの境に聞こえるこの風鈴のなんという涼しさ、ゆたかさ。
○ 入選
ソーダ水いつか会へると思ふ嘘
見原万智子
【恩田侑布子評】
目の前の「ソーダ水」を飲みながら、そういえば昔、こんなソーダ水を二人で飲みながら、男が「いつかまた会えるよ。会おうね」と言ったことを思い出します。自分でもなんとなく「いつか会える」ように思ってきたけれど、ちっとも会えない。会わない。そうか。嘘だったんだと気づいた瞬間、炭酸が喉を心地よく刺激して通り過ぎるのです。
○ 入選
頬杖の星占とソーダ水
長倉尚世
【恩田侑布子評】
頬杖をついてすることに、星占いを読むこととソーダ水を飲むことは、ピッタリすぎるくらいピッタリです。自分のささやかな未来をくつろいで占い、甘く爽やかなソーダ水に癒される夏の午後のしあわせ。宇宙のあまたの星の一つに偶然生まれ、今こうして生きていること。ちょっとロマンチックな思いのよぎる涼しさ。
【後記】
筆者にとって数年ぶり?のリアル句会への参加でした。恩田先生や句友たちの変わらぬ姿に安心しつつ、新たにお会いした句友たちから新鮮な刺激を受け、俳句へ向き合うエネルギーをたくさん頂くことが出来ました。
リアル句会でこそ得られるパワーがあることを、改めて実感しました。
(芹沢雄太郎)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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7月7日 樸俳句会
兼題は滴り、蚊。
入選2句、原石賞4句を紹介します。
○ ...

photo by 侑布子 2024年 7月21日 樸句会特選句 ソーダ水越しに種馬あらはるる 芹沢雄太郎 あざやかな景にドキッとする句です。サラブレットの種牡馬の彫刻的な美しさがソーダ水の向こうにいきなり颯爽と現れます。種馬となるまでの競争の苛烈さ、あて馬の過酷な運命など、一切の夾雑物を捨象して、目の前に青く泡立つソーダ水だけを置いた、切り取り方の新しさ。選りすぐりの遺伝子を持つ馬の精悍な筋肉は、ダービーの世界の華やかさと儚さを際立せています。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

2024年5月5日 樸句会報 【第140号】
大型連休中の句会で「果たして参加人数は?」と気をもみましたが、初夏の躍動感が俳句心を刺激したのか、63句が集まるにぎやかな会になりました。
夏の季語は1980年代のシティーポップを想起させるようなものがたくさんあって、春秋や冬の季語とは印象が異なります。人によって好きな季語の季節がきっとあるはず。それが詠み手の心と響きあい、俳句の大切な個性が生まれるのでしょう。
6月の一回目は都内での吟行。Zoom画面から外へ出て、いつもとは違う雰囲気を楽しみたいものです。
兼題は「春眠」「風船」。特選2句、入選4句を紹介します。
◎ 特選
ぼうたんや達磨大師の上睨み
古田秀
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「牡丹」をご覧ください。
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◎ 特選
春眠や彼の地は鉄の雨ならむ
小松浩
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春眠」をご覧ください。
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○ 入選
風船も連れて地球の回りをり
活洲みな子
【恩田侑布子評】
分断と格差の時代。地球沸騰の時代。戦争の時代。それでも作者はのどかなパステルカラーの夢を忘れたくないのだと、「風船」がいっぱい地球に繋がっている光景を描き出してくれた。未来ある子どもたちの夢を大切にしたい作者の祈りに共感せずにはいられない。
○ 入選
不眠症きらめきながら枝を蛇
古田秀
【恩田侑布子評】
ユニークな感性の句。眠ろうとすればするほど眠れない新樹の夜。葉ずれをさせて枝から幹へすべる銀色の蛇のぬめりが官能的。
○ 入選
熊蜂の動かぬ空の震へかな
小松浩
【恩田侑布子評】
熊蜂が甘く唸る戸外はまさに春昼。太いまっ黒な毛むくじゃらな胴体のホバリングは印象的。それを逆さに、「動かぬ空の震へ」と印画のように反転してみせた静かな技はこころを震わす。
○ 入選
もういいかい風船一つ残されて
活洲みな子
【恩田侑布子評】
こどもたちが風船つきに飽きて取り残された部屋を想像してもいいが、それだけでは終わらない俳句。なつかしいかくれんぼの合言葉、「もういいかい」が効いている。「まあだだよ」ならもっと待つ。探しに行っていい時には「もういいよ」。いったい、どちらの返事が返ってくるのだろうか。遠く離れた不在の相手に作者は問いかける。「もういいかい」。部屋には、ゆらりと赤い風船が一つ。ハッピーエンドとなるのか、喪失体験となるのか。読者はそれぞれ、自分の体験と照らし合わせて想像すればいい。
【後記】
俳句作りの悩みは尽きない。そして実作以上に鑑賞は難しい。句会の特選句・入選句と自選句のギャップがしばしば甚だしいので、悩みはいっそう深まる。4月の句会報で岸さんが書いていた選句の苦労を、自分も痛感している。このギャップをできるだけ埋めることが「石の上にも三年」の課題だ。
世間一般で言う名句がイコール感動する句、ではないが、少なくとも自分が好きになった句については「なぜ」を納得できる言葉にできなかったら、鑑賞したとは言えないだろう。理屈抜きに心に刺さる句がある。それを鑑賞という文学に昇華させる。やはり難しいことである。
(小松浩)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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5月25日 樸俳句会
兼題は立夏、若葉。
入選1句、原石賞4句を紹介します。
○ 入選
喪帰りやなんじゃもんじゃの白に座し
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photo by 侑布子 2024年 5月5日 樸句会特選句 春眠や彼の地は鉄の雨ならむ 小松浩 ああ、ぐっすり眠ったなあと甘い眠りから覚めた春の朝。戦地のことが心をよぎる。パレスチナの子が逃げ惑うガザか、三年目も終戦の手立てのないウクライナか。天井のない牢獄に閉じ込められてきた罪もないガザ市民は、昨秋からさらに水も満足に飲めない飢餓にさらされ、学校も病院も砲弾で破壊され、子どもたちまで一三〇〇〇人以上も殺された。原爆の「黒い雨」は井伏鱒二の専売特許だが、「鉄の雨」は戦争のミサイルや砲弾。胸を突き刺す措辞だ。いま「春眠」の許されている日本も、防衛費を突出させる予算に政権が舵を切った。新たな戦前が日本でも始まっている。読み下した瞬時、胸を衝かれる。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 5月5日 樸句会特選句 ぼうたんや達磨大師の上睨み 古田秀 禅宗の開祖、菩提達磨といえば、一葉の蘆に乗ってインドから中国まで渡ってきた「蘆葉達磨」の画題が有名。日本では雪舟の「慧可断臂図」が国宝。でも、どちらも牡丹の花との取り合わせは見られない。それがこの句の新しみとなっている。「ぼうたんや」と上五で打ち出したことで、大輪の牡丹色が目一杯広がり、そこに一枚の糞掃衣をまとった墨絵の達磨がどっと現れる。しかも強烈な目玉でこちらを睨みかえしてくる。「上睨み」の措辞は鋭い。華やかな牡丹は中国の国花。大陸の風土性をもつ印象鮮やかで力のある俳句だ。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 4月21日 樸句会特選句 街棄つるやうに遠足出発す 古田秀 街なかの幼稚園か保育園の年長さん、あるいは小学校低学年の遠足でしょう。さあ、待ちに待った遠足、出発だ!というときめきが溢れます。ところがそれを見ている作者は、まるで街がこのまま子どもたちに棄てられてしまうように感じるのです。意気揚々とした子どもたちと、大人の不穏な感慨の落差の大きさ。海山のへんぴな土地が限界集落と呼ばれ、姨捨山状態になりつつある現代、今度は子どもたちに都市を棄てられたらどうなるのか。大胆な発想ゆえに、読むたびに怖くなる独自性のある俳句です。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

2024年4月7日 樸句会報 【第139号】
4月7日は静岡では丁度桜が満開で、句会も花の下一杯やりながらといきたいところだが、案の定参加者がいつもより少なく残念でした。というのは、俳句は一方的に作るのでなく、作者と鑑賞者が一句独特の魅力です。省略とか余白は、より鑑賞者の自由な解釈ができるためのツールとしてあるのではないでしょうか。今まで句会において何気ない良句が、鑑賞というフィルターを通して、名句へと旅立っていくのを目の当たりにしました。ここに、投句だけでなく、句会に参加すべき意義があるのでないでしょうか。
今回の兼題は「鴉の巣」「古草」「花」です。入選4句を紹介します。
○入選
ファインダー花冷の都市無音なり
古田秀
【恩田侑布子評】
高階からカメラのファインダーを覗くと、「花冷の都市」は思わぬ静まりようです。まるで無人都市のよう。にわかに現実とVRが溶け合い、すべての肌触りが遠ざかります。薄い灰色と桜色の雨もよいの都市そのものが非日常の空間としてデジタル画素の網に浮かび上がるハードボイルドな都会詠です。
○入選
春雨か微睡のなか聴く霧笛
星野光慶
【恩田侑布子評】
「霧笛」なので、大きな港湾の近くの住まいが想像されます。うつらうつらした心地よい「微睡のなか」で、外国船の霧笛が遠く聞こえ、その潤みようから、ああ外は「春雨」が降っているのかなと思います。この上五の「か」の切れ字、よく出ました。しかも自然です。「や」なら平凡な句になったものを、「か」の問いかけの一字が救っています。音楽的にも「か」行の脚韻の効果が、春雨のしっとりしていながら、そこはかとなく明るい春光を句全体ににじませています。
○入選
古草や読み続けゐる文庫本
猪狩みき
【恩田侑布子評】
「古草」の季語の本意を深く自分のものとした実直な俳句です。古草は春になっても野山や空き地に残り、誰にも顧みられなくなりますが、一年前には芽吹きも成長もあり、緑の葉の茂みもありました。花も咲かせました。今は、色の抜けた柔らかなわら色の光を投げかけるばかり。「読み続けゐる文庫本」はきっと古典でしょう。なんべん繙いても、前には気づけなかった角度から新しい泉が湧いてきます。人間の精神の財産は一人ひとりの真摯な感受があって、初めて継承され生かされてゆくのだと、静かに襟を正される思いがする俳句です。
○入選
痛む身の杖の先にも菫かな
都築しづ子
【恩田侑布子評】
「痛む身」をおして、春先の日光を全身に浴びようと、杖で歩かれる前向きの作者です。ふと、「杖の先に」すみれをみつけた瞬間のよろこび。足元からやさしく励まされる春ならではの光景のたしかさ。「杖と作者の身体はもはや一体と化しているようだ」という優れた鑑賞が句会でありました。
【後記】
私は昨年の秋あたりから、意識して選句に力を入れております。動機となったのは、いつも投句の際作った複数句から三句を選ぶのに苦労しているからです。自分の句の優劣も判らぬものが、ひと様の句を批評するなんておこがましいと思ったからです。たまたま恩田代表の「選句に力を注げよ」の檄に乗っかり、これはこれでよかったのですが、判定を代表の選句を正として照らし合わせると、惨たる現状に我ながら呆れかえります。で、他の人も似たかよったかだとの捨て台詞を封印して、「名句を作る近道は選句を磨くにあり」との言葉を信じ、もう少し真剣に取り組もうと思います。また、句作において伸びしろは期待できませんが、鑑賞において、若い方の飛躍の一助になるかも知れないという期待は持っています。
(岸 裕之)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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4月21日 樸俳句会
兼題は「春の雲 」「遠足 」「磯巾着 」です。
特選2句、入選4句を紹介します。
◎ 特選
姉妹してイソギンチャクをつぼまする
猪狩みき
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「磯巾着」をご覧ください。
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◎ 特選
街棄つるやうに遠足出発す
古田秀
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「遠足」をご覧ください。
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○入選
遠足のキリンの舌のかく長き
小松浩
【恩田侑布子評】
麒麟は動物園でもひときわ印象的な美しい動物。その舌に魅入られていつまでも見惚れている子ども心が端的に表現されています。キリンというカタカナ表記が童心にふさわしく、その長い灰色の舌への驚きと、食べられて次々消えてゆく葉っぱの不思議さが伝わってきます。童心をつねに養っていないとつくれない俳句です。
○入選
春の雲水子地蔵のまるい頬 ...
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。