「あらき歳時記」カテゴリーアーカイブ

樸の佳句を、季節のうつろいにあわせた並び順で鑑賞していきます。世界を胸いっぱい呼吸し、また感じながら散歩するように、楽しんでいただけましたら幸いです。

あらき歳時記 春の風

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2023年4月2日 樸句会特選句  しめ縄の低き鳥居に春の風                    猪狩みき  田舎に行くと、子どもの丈ほどの鳥居もあれば、貫の高さはあっても、しめ縄が低く垂れて結ばれている鳥居もある。どちらも頭を低くしなければ通れない。そこに自ずと父祖からわたしたちが受け継いできた産土神との穏やかなかかわりの姿がある。身を低めてくぐるゆかしさは、信仰というより習俗の懐かしさだ。吹いているのは、秋風でも北風でもない。温かな「春の風」である。作者は吟行地でいちばん最初に肉眼が捉えた奥藁科の鳥居から、列島に住みなす津々浦々の同胞の普遍的な心性を掬い上げたのである。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 花吹雪

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2023年4月2日 樸句会特選句  お薬師様見下ろす村に花吹雪                    海野二美  「銀の匙」で有名な中勘助が戦中疎開した服織村(現・羽鳥)から、藁科川を車で遡ること三十分。茶畑の広がる坂ノ上に薬師堂がある。急な石段の上には平安時代の一木造りの小柄な諸仏がひしめき、中央には金色の薬師如来が安座されている。いつの頃よりか、近在の目を病むものは、「め」の字を半紙に書いて、お薬師様に眼病封じの奉納をするようになった。おりしも、みはるかす足下の土手には花吹雪が鱗粉のように流れている。川沿いに細々と広がる村を見下ろす薬師如来の慈眼は、そのまま作者の童画タッチのやさしさになっている。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 春

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2023年4月2日 樸句会特選句  在の春啜る十割蕎麦固め                    海野二美  奥しずと呼ばれる藁科川上流の山間地「坂ノ上」に、蕎麦の手打ちを生き甲斐とするがんこ親父がいる。種蒔きから収穫、蕎麦の実の天日干しまで、万事一人で完遂する。店は完全予約制。築百二十年の真っ黒な梁の下に、塩を振るだけで美味しい野趣溢れる蕎麦が供される。黒々とした香り高い十割蕎麦である。句頭の「在の春」が川上の小さな村を端的に想像させ、句末の「蕎麦固め」と響き合う。稲作の出来ぬ谷間に生きてきた人々の無骨さ実直さが、「十割蕎麦」の噛みごたえに思えてくる。行きて帰る心の味はいの上五がなんとも健やか。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 春の鳥

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2023年3月5日 樸句会特選句  春の鳥五体投地の背に肩に                    芹沢雄太郎  インドやチベットでは聖地を巡礼するときに五体投地の祈りを捧げます。一読して鮮やかな色彩に画面が溢れることから、インドの大地を思います。黄土色の乾いた土に赤銅色の肌のインド人が原色の布を無造作に纏い、全身で大地にひれ伏します。その背にも肩先にも、おそれを知らない春の鳥が、大地となんら見境なく自由に降り立ち囀っています。人間の永遠なるものへの祈りの姿と、小鳥たちの邪気のないひかりが、そのままいのちの曼荼羅を成しています。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 冬籠

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2023年1月25日 樸句会特選句  冬ごもり硯にとかす鐘のおと                     益田隆久  山寺でつく鐘の音を、作者は硯の陸で墨を磨りながら聞いています。漆黒の濃墨が硯海の水に放たれてひろがりゆくさまに、おりしも梵鐘の余韻が重なり、それを「硯に溶かす」と感じたところ、じつに素晴らしい感性です。山寺は明六つ暮六つと鐘を突くことが多いので、きっとこれは、時の経つのも忘れて書に親しんでいた作者に聞きとめられた夕鐘でしょう。明窓浄几のこころもちのゆたかさ。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 冬の海

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2022年12月21日 樸句会特選句  鑑真の翳む眼や冬の海                     金森三夢  唐朝の高僧は、数度に及ぶ難破や弟子たちの離反など、死線をさまよう苦難を乗り超えて、本朝に仏教者のふみ行うべき戒律を伝えた。その労苦を思いやる気持ちが「翳む眼や」の措辞に結晶している。光を失ってゆく鑑真和上の眼の翳りの底に白い波濤をあげる冬の海が時空を超えていま、我々の胸にも迫ってくる。芭蕉の名句、「若葉して御目の雫拭はばや」が入れ子になっていて味わい深い。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 神の留守

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2022年11月23日 樸句会特選句  成田屋のにらみきまりし神の留守                     前島裕子  十一月七日、大名跡の十三代目襲名披露興行において、市川團十郎は伝来のお家芸「にらみ」で観客の厄落としをし、満場を唸らせたという。歌舞伎ではふつう見得といわれる芸だが、成田屋お家芸の「にらみ」は、東洲斎写楽の大首絵のような寄り目の独特の表情だ。それが「神の留守」という季語と思いがけないドッキングを果たして、文字通り見事に「きま」った。なんと賑々しく豪奢な神の留守であることか。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 荻

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2022年10月9日 樸句会特選句  荻の声水面に銀の波紋寄せ                     金森三夢  ついこの間まで水面は楽しげな水色だった。気づけば秋のひかりに銀色に変わっている。さわさわ荻をゆする風のせいだろうか。秋はこうして澄む水とともにやって来る。もう川波に手足を浸けて戯れる日は来ない。風を聴くだけ。波は溌剌と流れず、ことごとくちぢれるような波紋である。下五をもし「波の寄せ」としたら短歌の尻尾が残った。ひとえに「波紋」で俳諧になった。しかも新古今の美を凝縮して。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)