「注目の句集・俳人」カテゴリーアーカイブ

樸俳句会は句会と名句鑑賞の二本立てになっております。ここでは句会ごとに恩田が作成した教材「注目の句集」「注目の俳人」をご紹介します。

注目の一冊・小川楓子『ことり』

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楓子のみずみずしい感性、無垢の詩性にひそむ人間洞察の鋭さは、いつもやさしい温もりと息を合わせる。現実と俳句をつなぐポエジーの橋は部材からして新しい。鉄やコンクリではない。まだ、誰にも名付けられていない素材、スタイル。現代俳句がこんなにいとしい現代詩であったことが、かつてあっただろうか。 (恩田侑布子)          ↑ クリックすると拡大します  

恩田編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)に、読書ノート到来!

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静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の解説をもとに、万太郎句の魅力を読み解いてくださいました。6回もの深掘りの味は、静岡おでんのようにしみます!   読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(1) 秋うららの草の花のような俳句  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった新刊の『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)を読んだ。文庫本なのでポケットに入れて持ち歩ける。分厚いため本棚に積読となったままの『久保田万太郎全句集』(中央公論社)とは違う。万太郎が生涯に作った句は8千5百句ぐらいらしいが、恩田さんはそれらの中から902句を精選している。それで文庫本に何度も目を通し万太郎ワールドを味わい楽しむ日々になっていた。  売れ行きも好調のようだ。岩波文庫の編集者から恩田さんに次のような電話があったという。「岩波文庫トップクラスの売れ行きです。急ぎ増刷です。品切れ店が出そうで」。そのことは12月1日発行の静中静高関東同窓会の会報の「わたしと俳句」欄に「かおる秋蘭」と題した記事に書かれていた。執筆者は静岡高校91期生の恩田さん、ちなみに私は75期生だ。  記事で恩田さんは『久保田万太郎俳句集』の「編纂、解説を任されるとは夢にも思っていませんでした」と述べている。そして以下のようにも書いている。  個人的には作者(注:万太郎のこと)の苦難の人生に共感していました。現実に満ち足りていれば文学をする必要はありません。二十代で浅草田原町の生家が銀行の手に渡り、青、壮、初老期と着の身着のまま焼け出され、戦後は接収に遭う。生涯五度も家を失ったのです。妻の自殺、ひとり子の夭折と、どしゃぶりのなかで、窃かに情けのある日溜りの暮らしに憧れていました。三界火宅の人は、俳句をつぶやく時だけ安らいで、秋うららの草の花のような俳句を詠んだのでした。  万太郎の俳句が秋うららのようだ、というのは恩田さんならではの表現だろう。寄稿文の題の「かおる秋蘭」は秋の七草の藤袴のことだと明かしている。恩田さんは『久保田万太郎俳句集』で解説を書いているが、同じ寄稿文でこうも述べている。  今回の解説では「嘆かひ」の俳人や、浅草界隈の情緒という湿っぽいイメージを一新したいと思いました。その真価は「やつしの美」のやさしさにあると思ったからです。  万太郎を「嘆かひ」の俳人と言ったのは、友人の芥川龍之介だった。浅草情緒云々は小泉信三が万太郎の墓碑銘に「日本文学に永く浅草を伝えるもの」と記したことを指している。  図らずも同窓会報で『久保田万太郎俳句集』の解説のそのまた解説を読んだ感じだ。この際、同書の内容について頭の整理のためにも読書ノートとして記しておこう。 (2021・12・12)   読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(2) 河童忌の句  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』は、万太郎の俳句、小唄他、散文と恩田さんの解説で構成されているが、俳句は「無双の902句を精選」と謳っている。その中で芥川龍之介の忌日である河童忌の句は漏らさないように選んだようだ。  俳句は「草の丈」、「流寓抄」、「流寓抄以後」と分けて載っている。まず「草の丈」の「浅草のころ」(明治四十二年-大正十二年)は〈新参の身にあかあかと灯りけり〉が第一句目だ(「あかあか」は「あか〈 」と記されている)。  『俳句の解釈と鑑賞事典』(尾形仂編)には掲句について以下の記述がある。  芥川龍之介は『道芝』(注:万太郎の句集)の序で、〈江戸時代の影の落ちた下町の人々を直写したものは久保田氏の他には少ないであらう〉といい、〈久保田氏の発句は余人の発句よりも抒情詩的である〉〈久保田氏の発句は東京の生んだ「嘆かひ」の発句であるかも知れない。〉と述べている。  万太郎は「嘆かひ」の俳人にとどまらないというのが恩田さんの解説だ。  「草の丈」の「日暮里のころ」(大正十二年十一月-昭和九年)には「昭和二年七月二十四日」と前書きし、〈芥川龍之介佛大暑かな〉という句がある。『久保田万太郎俳句集』の巻末の略年譜によると、芥川は旧制府立三中(現在の両国高校)で万太郎の2年後輩だった。「大正十二(一九二三)年 33歳 関東大震災で全焼し、日暮里渡辺町に転居。芥川龍之介と交際する」とも記されている。  また「草の丈」の「芝のころ」(その二)(昭和十七年三月―二十年十月)には「ひさびさにて河童忌に出席」と前置きし〈ひぐらしに十七年の月日かな〉という句がある。  さらに「流寓抄」には「七月二十四日、芥川龍之介についてのおもひでを放送」と前置きし、〈河童忌や河童のかづく秋の草〉という句がある。久保田万太郎は昭和元年に東京中央放送局あ(現・NHK)の 嘱託になっていた。河童忌は龍之介の忌日で夏の季語。「流寓抄」には他に〈河童忌のてつせん白く咲けるかな〉、「流寓抄以後」には〈元日の句の龍之介なつかしき〉という句も収められている。  万太郎には心のこもった追悼句が多いと言われるが、「流寓抄以後」には「十月十日、白水郎逝く」と前置きし、〈露くらく六十年の情誼絶ゆ〉という句がある。『久保田万太郎俳句集』の散文、「道芝」跋に次のような文言がある。「(前略)わたしは、同級の白水郎とともに、そのころ始終坂本公園の一心亭に開かれていた三田俳句会に出席した」。大場白水郎は府立三中、慶応義塾で一緒の友人、その交遊は60年続いていたのだ。  誰にも追悼句を詠む機会は少なくないが、水準に達する句を作るのはなかなか難しいと自戒せざるを得ない。 (2021・12・13)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(3) 影あってこその形・つまりは余情  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』を読んで散文の章の「選後に」と題した文中にある言葉を記憶に留めたいと思った。それは「〝影〟あってこその〝形〟である」というもの。俳句をたしなむ者の一人として合点だ。  万太郎は以下のように述べている。  〝影〟あってこその〝形〟・・・便宜、これを、俳句の上に移して、〝影〟とは畢竟〝余情〟であるとわたくしはいいたいのである。そして〝余情〟なくして俳句は存在しない。(中略)表面にあらわれた十七文字は、じつは、とりあえずの手がかりだけのことで、その句の秘密は、たとえばその十七文字のかげにかくれた倍数の三十四文字、あるいは三倍数の五十一文字のひそかな働きに待つのである。  そして抒情とは必ずしも感情を露出することではないとも言っている。万太郎に追悼句が多いが、確かに哀しみの感情をストレートに露出した句は少ない。  〈年の暮形見に帯をもらひけり〉は秀句とされる。帯は形だが、形見という措辞で縁ある人が逝ったとわかり、余情を醸している。〈年の暮〉という季語で心のけじめがついたとも想像させる。  〈来る花も来る花も菊のみぞれつゝ〉という句は「昭和十年十一月十六日、妻死去」という前置きがある。『久保田万太郎俳句集』の恩田さんの解説によると、浅草の芸者梅香に恋したが、「妹をもらってほしい」と断られ、妹の京と親が同居の結婚をした。関東大震災で焼け出された後、日暮里で暮らしたが、「親子三人水入らずの新居時代。これが唯一の安息の数年でした」という。そして昭和十年十一月、妻京が満14歳の耕一を残して服毒自殺した。菊は仏前に供えるのに適した花だが、それが「みぞれつつ」という言葉に影の状況を想像させよう。  その耕一だが、「耕一應召」という前置きで〈親一人子一人蛍光りけり〉という句がある。子は生還するが、万太郎が67歳の昭和32年に先立ってしまった。  「流寓抄以後」に「一子の死をめぐりて(十句)」という前置きに続き〈燭ゆるゝときおもかげの寒さかな〉などの句が続く。その後に代表句の一つ、〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉が収められている。前置きの一子は吉原の名妓だった三隅一子、再会して一緒に暮らすが、ほぼ10年後の昭和37年に彼女にも先立たれる。〈わが胸にすむ人ひとり冬の梅〉は一子を詠んだ句であろうか。  久保田万太郎は文化勲章を受賞するなど社会的活躍は華々しいが、私生活では孤独を感じることが多かった。梅原龍三郎邸で会食中、食べ物を誤嚥したのが原因で亡くなったが、〈死んでゆくものうらやまし冬ごもり〉という句がある。一子が逝った半年後、追うようにして逝ったのだ。 (2021・12・15)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(4) 水の変化としない  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)は、解説編がいちだんと読み応えがある。万太郎の生い立ち、文人・俳人たちとの交流などを概説した後、「では、いよいよ作品とその特徴をみてみましょう。万太郎は水の俳人です」と述べる。いかにも恩田さんらしい口調だ。 以下の通り例に挙げた句は年齢順になっている。  秋風や水に落ちたる空の色     三十三歳  したゝかに水をうちたる夕ざくら 三十六歳 それぞれ鑑賞して次のように解説している。「水の変化はそのまま情(こころ)の千変万化です。水は、雨に、川に、雪に、ときには豆腐に身をやつします」。そして〈双六の賽に雪の気かよひけり〉を挙げた後、63歳の時の作である〈水にまだあをぞらのこるしぐれかな〉について「口遊むたびに水のこころが燻る一炷の香のような俳句です」と言う。さらに「水百態はピアニシモも、フォルテも奏でます」というのは恩田さんらしい比喩だ。  波あをきかたへと花は遁るべく  五十九歳  この句には「神秘的弱音です」、「この青春性を湛えた歌人的パトスは終生老いを知りませんでした」などと鑑賞を表現している。「青春性を湛えた歌人的パトス」とは、どういうことか。  恩田さんは「花と波のいちめんの精美の底に、定家の〈いかにして風のつらさを忘れなむ桜にあらぬさくらたづねて〉の懊悩がこもるようです」と述べたうえ、万太郎が中学の同人誌に発表した新古今調の歌を2首挙げている。その青春性を掲句から汲み取ったのだろう。パトスだが、広辞苑によると、「苦しみ・受難・また感情・激情などの意」とある。  掲句については「極小の定型に美しい青竹がしなう弾性は、悼句にさえ鮮烈なみずみずしさをほとばしらせます」と言い、続いて59歳時の作である〈夏じほの音たかく訃のいたりけり〉という6世尾上菊五郎の追悼句を挙げている。解説は以下の通りだ。  万太郎の俳句の魅力は、感情と季物の間に寸分の隙もない呼吸にあります。詠嘆を引き受けつつ客観視する、柳に風の強さ、しないがあります。短歌的抒情を俳句の平常心で止揚したこの独自のしないがあればこそ、千数百年の日本の詩歌の抒情という定型に注ぎこむことができたのでした。  この解説の見出しの「水の変化」だが、「へんげ」とルビを振っている。物が変わる「へんか」ではなく「形が変わって違うものが現れる」(広辞苑)という意味での「へんげ」だ。その変化を汲み取りたい。 (2021・12・17)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(5) 万太郎俳句の特徴の続き  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)の解説編は「水の変化としない」に続き「新しみへの挑戦」などとという見出しで万太郎の俳句の魅力を解き明かしている。  いづれのおほんときにや日永かな 六十一歳  掲句を挙げて恩田さんは「ふくよかなおかしみさえ添えて古語や古文を自在に駆使」と言う。源氏物語の「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひけるなかに」という書き出しを指しているのは言うまでもない。  仰山に猫ゐやはるわ春灯    六十二歳  これは「仰山に」「ゐやはるわ」という京言葉が秀逸、としている。  忍、空巣、すり、掻ッぱらひ、花曇 六十五歳  「忍」は「のび」とルビが振ってある。掲句については「名詞を次々に句点でつなぐ手法の魁です」と言う。  また「つのだてない批評精神」という見出しで「万太郎は戦時下の昭和十九年にもしぶい反戦句を詠みました」と以下の句を挙げている。  かんざしの目方はかるや年の暮   五十五歳  うちてしやまむうちてしやまむ心凍つ 五十五歳  戦時内閣は敗色が濃くなったにもかかわらず寺の梵鐘からわずかな金属まで供出させ、精神力を強調した。恩田さんは万太郎の句について「まっとうな批評精神です」と述べている。  批評は詩にならないと私は思っていた。新聞社に30数年勤めたせいもあり、批評精神はいまだに消えない。それで世相を意識した句を詠みがちだが、理屈の句と言われてしまう。改めて万太郎の句に学びたいと思うが、凡手には無理だともわかっている。  「恋の名花」という小見出しで恩田さんは「何といっても万太郎は恋句の名手です」と述べて以下の句を挙げている。  さる方にさる人すめるおぼろかな  四十六歳  香水の香のそこはかとなき嘆き   六十三歳 解説は以下の通りだ。  「さる方」には、源氏物語のなかに招かれるよう。雲雨の情が薫ります。(中略)「香水の香」は、句跨りのリズムによってなまめかしい女身を幻出させます。百花繚乱の恋句のなかで、〈わが胸にすむ人ひとり冬の梅〉と双璧の縹渺たる名品はこれでしょう。  恋の句は、個人の感傷に陥りがちだが、万太郎は文学作品に仕上げている。これまた凡手にはできないことだ。 (2021・12・18)     読書ノート160 恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(6) やつしの美  俳人で文芸評論家の恩田侑布子さんが編著者となった『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)の解説編は、万太郎の句の大きな特徴を「やつしの美」としている。これは恩田さんのオリジナルな見解であろう。  「やつし」の意味を改めて広辞苑で調べてみると「やつすこと」、それで「やつす」を見ると、「自分を目立たぬように姿を変える。見すぼらしく様子を変える」とある。恩田さんは、日本の文学の伝統が「見立て」を生んでゆくなどと縷々述べた後、まず以下の句を挙げている。  新参の身にあか〈 と灯りけり   三十三歳  「あか〈 」は「あかあか」だ。久保田万太郎は老舗「久保勘」の親方の子。その万太郎が「小僧に身をやつし思いやっています。やつしは技巧ではありません。うそもかくしもないところからにじみ出るものです」と言う。  ふりしきる雨はかなむや桜餅 三十三―三十七歳  吉原のある日つゆけき蜻蛉かな  三十五歳  言上すうき世の秋のくさ〈゛を  五十八歳 以上の句については「桜餅や蜻蛉がうら若い芸妓だったり、秋草が庶民だったり、やつしにはなり変わり合うぬくもりがあります」と解き明かしている。  竹馬やいろはにほへとちり〈゛に  三十六歳 この句については以下のように述べている。  冬虹のようなグラデーションが一句から立ちゆらぎます。あるときは竹馬に乗ってはしゃいでいた子どもらが、冬の日暮れに帰ってゆくところ。あるときは竹馬の友が浮かび、どうしているだろうと懐旧にさそわれます。作者の愛してやまない「たけくらべ」の美登利たちの下駄音まで聴こえそう。小学一年の「かきかた」教本には、いろはにほへとが散らばっていました。(中略)こんこんとイメージが湧くのは、やつしの美に貫かれているからです。「竹馬」にやつされたもろもろが、ゆらぐ虹を架けます。(後略) さらに〈時計屋の時計春の夜どれがほんと〉などの句の他に、73歳の最晩年に作った〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉という句について以下の通り述べている。  (前略)幽明の境にほほえみのようにゆれる湯豆腐こそ、作者のいのちのはてのやつしです。ふるえる湯豆腐に身をやつしているのは万太郎と一子の老境の恋、その衰亡のすがたです。(後略)  掲句は万太郎の代表句。それが老いらくの恋のいのちをやつしたものと解説されて目から鱗が落ちた思いだ。 (2021・12・19)

慶祝!古田秀さん、第12回北斗賞準賞に輝く。

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慶祝!古田秀さん、第12回北斗賞準賞に輝く。   樸の古田秀さんが、若手俳人の登竜門・北斗賞(文學の森主催)の銀メダルを獲得されました。入会後1年10ヶ月の快挙です。選考委員の稲畑廣太郎氏・佐怒賀正美氏・日下野由季氏、本当にありがとうございます。秀さんは現在樸の編集委員を務め、仕事が忙しい中でも句会参加を心がけておられます。当初から真摯な俳句への情熱と、独特の感性に頼もしいものを感得してまいりました。努力の結果に樸一同惜しみない祝福を捧げます。 古田秀に続く有為の若者よ、樸に来たれ! (恩田侑布子)    古田秀 北斗賞準賞受賞作百五十句より     雨の函       (恩田侑布子抄出二十五句)  照りかへす一円玉や夏燕    おとうとはひかりに慣れず沙羅の花    臍昏し桜桃の種うづめたき    質問に答へぬ大人罌粟坊主    マリーゴールド笑つてをれば殴られず    煮びたしのやうに母をり釣忍    まつろはぬ漁火ひとつ夏の月    鬼灯の外側にゐて雨宿り    明細に御花代あり鰯雲    蟋蟀や正しく繋ぐガスボンベ    擁きませう何も実らぬ月下の木    洋梨の傷かぐはしきワンルーム    マネキンの顔に穴なしそぞろ寒    頓服の甘み水鳥みづを蹴る    土曜日はおほかた待たされて嚏    まだ指を知らぬ指輪よ花ひひらぎ    国境のどちらにも雪フェンス雪    ししむらを水の貫く淑気かな    一駅を歩幅合はせて悴みぬ    剃刀に寄せらるる泡彼岸過    ゴンドラは雨の函なり山ざくら    花の夜を一輌列車ひかり過ぐ    藻の花や飛び石に人すれ違ふ    ベニヤ板一枚が橋水芭蕉    水の湧くちからに跣押されけり  

注目の俳人         榎本好宏句集『花合歓』

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榎本好宏句集『花合歓』 いぶし銀の艶とやわらかみ。ひろびろとした秋空になつかしみが自在にかよい、人間味のふかく大きな句に、やさしく迎え入れられます。八十四歳の至芸、ここに。 (恩田侑布子)          ↑ クリックすると拡大します          ↑ クリックすると拡大します  

注目の俳人         堀田季何『人類の午後』

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         ↑ クリックすると拡大します         吾よりも高きに蝿や五(こ)六億七(ろ)千萬年(な)後も    弥勒菩薩の衆生救済までの時間と、コロナウィルスとに架橋したとんでもないルビに思わず笑わされる。 そして粛然とさせられる。 人類は地球を汚しデジタルマネーで文化の均一化までも目論んでいる。コロナ禍は地球からの逆襲である。はるかな未来の人の頭上にも一匹の蝿は悠然と飛ぶであろう。人間の卑小さへの洞察が悠久の文明批評となったポストコロナの秀句である。   未知の大きさをもって、堀田季何はしなやかに走り続けるであろう。現実は完結しない。そのリアルな切断から目が離せない。 堀田季何第四詩歌集/人類の午後 枝折『畫想夜夢』 恩田侑布子「夢魔の哲学−ポストコロナへ」より抜粋

注目の俳人 芝不器男   代表二十九句  (恩田侑布子抄出)

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『俳句』に恩田連載中の「偏愛俳人館」8月号は芝不器男です。ご高覧ご叱正いただければ幸甚に存じます。     注目の俳人 芝不器男(1903・4・18〜1930・2・24享年26歳10ヶ月) 二十二歳から二十六歳までの代表二十九句   恩田侑布子抄出         ↑ クリックすると拡大します       筆始歌仙ひそめくけしきかな    芝不器男   山川の砂焦がしたるどんどかな   古草のそめきぞめきや雪間谷   下萌のいたく踏まれて御開帳   春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり   卒業の兄と来てゐる堤かな   この奥に暮るる峡ある柳かな   永き日のにはとり柵を越えにけり   ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月   まながひに青空落つる茅花かな   人入つて門のこりたる暮春かな   白藤や揺りやみしかばうすみどり   産土神(うぶすな)に灯(ともし)あがれる若葉かな   花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ   南風の蟻吹きこぼす畳かな   蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな   風鈴の空は荒星ばかりかな   向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし   よべの雨閾(しきみ)ぬらしぬ靈祭   うちまもる母のまろ寝や法師蟬   ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな   あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな   柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき)   新藁や永劫太き納屋の梁   みじろぎにきしむ木椅子や秋日和   銀杏にちりぢりの空暮れにけり   岨(そま)に向く片町古りぬ菊の秋   落葉すやこの頃灯す虚空蔵   寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ  以下、樸連衆の句評です。      古草のそめきぞめきや雪間谷 春、雪が解けてまずあらわになるのは新芽ではなく「古草」。その在りようを「そめきぞめき」(意味としては「ざわめき」に近いでしょうか)と表現することで、待ちきれない春の予感めいたものが伝わってきます。雪が徐々に解けていく最中の「雪間谷」なのだと思いますが、そこでは「古草」にさえもしっかりと春の意識があるように感じられました。 ──古田秀    春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 春の雷と共に苔を纏って泳ぐのは太古から生きてきたかと見紛う鯉。神話を眼前にしたかのよう。 ──天野智美    卒業の兄と来てゐる堤かな   高校を卒業し故郷を離れる兄と三月の堤に佇み、昔話や今後の生活について語り合う景。穏やかで温もりを感じる兄弟愛がうらやましい。万だの桜や萌えいずる草木が彩る土手の情景が鮮明に浮かぶ句である。 ──金森三夢    この奥に暮るる峡ある柳かな  春の柳が緑に芽吹いている。川原だろう。川沿いに上れば山間が迫り暮れかかる頃。 眼前の柳のかがやく緑は命を見つめる作者の目には鮮やかだ。 ──村松なつを    永き日のにはとり柵を越えにけり  「永き日」「柵」には、気怠さと閉塞感が漂っている。そこから易々と脱け出す鶏。そんなユーモラスな光景が、名画の味わいをもつ句に昇華された。ぼってりとしたマチエールで、読む人の心に刻み込まれます。 ──田村千春    ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月  ふるさとを実感させるものは、大河でも勇壮な山でもなく、普通なら見過ごされそうな月夜に揺れる石垣の歯朶。そのしみじみとした実感に胸を突かれる。なんという細やかな感覚。 ──天野智美    人入つて門のこりたる暮春かな  「暮春」の本意を掲句によってはじめて教えられた思いです。人が門に吸い込まれていったという動きがあり、その残像によって暮春の門の静けさがより深まっていきます。 ──山本正幸    白藤や揺りやみしかばうすみどり  香りの良い白い花房が揺らぐ様には、誰もが陶然とさせられるでしょう。風が止み、作者はその清冽な白に瑞々しい緑も溶けていることに気づいた。「揺れ」「色」に透徹した視線を注ぎ、藤の花の本質を捉えた繊細なスケッチ。 ──田村千春    南風の蟻吹きこぼす畳かな  真夏の暑さがよみがえった。スイカの種など見つけて蟻が畳に上がり込んでいる様子を「畳から湧いて出たような蟻」と見立てているのがおもしろい。見る角度を変えるだけで本質に近づくこともあるんだなぁ。 ──山田とも恵 南風の思わぬ強さに抵抗しつつも飛ばされていく蟻が健気で、後に残る「畳」も爽やかに匂い立つようです。 ──古田秀    蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 激しい夕立の様子がうかびます。この様な夕立が以前はよくありました。 ──樋口千鶴子 いきなりの夕立が、それまで陽を浴びて乾ききっていた土の匂いを運んできた。湿気とともに煮魚や早めの入浴など、生活の匂いが流れてくる。やがて晴天が戻り、清冽さを増した蓬生の香りが立ちこめるだろう。 ──見原万智子    向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし 夏を謳歌するように咲き誇った向日葵も枯れて・・海で楽しく過ごした夏を惜しむ気持ちでしょうか・・ ──海野二美 海が消えた代わりに見えるのは、突き抜けるような青い夏空。 ──見原万智子    ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな 盆休暇が終わり帰京する日、ふと庭に目をやると、芙蓉の花が「元気でね。また来てね」と語りかける様に静かに咲き始めている美しい景。去ぬと来向ふの技法が効いている。 ──金森三夢    あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 白黒の艶を生かした絵のごとく美しい句。夜雨の葛にかさね、あなた(彼方)をみつめるうち、幸せを与えてくれた大切な人の面影も浮かんでくる。ア音の連なるリフレインから、「貴方」への切ない思いが汲み取れます。 ──田村千春 望郷に純愛が秘めてあるのかも。透明感のあるさびしさ。 *「かな」の句の多さが気になりました。 ──萩倉誠    柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 柿の近景。落暉の遠景。橙色が重なって柿をもいでいながら落暉までつかんだみたい。 ──前島裕子    新藁や永劫太き納屋の梁 納屋とは言え、太い簗から旧家の様子がうかがえます。 ──樋口千鶴子    みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 K音の響きが大好き。かすかに冬の予感や寂しさを感じさせる。――芹沢雄太郎 気に入りの木椅子なのか。みじろいだ時のきしむ音にいとおしさを、感じているような。秋日和がきいている。 ──前島裕子    寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 物と影が一体なのは当たり前なのだがその当たり前の目を離れ、まるで幽体離脱していたものがさっと元に収まるような不思議な感覚に襲われる。ポーを引き合いに出すまでもなく、寒鴉という言葉の持つ不穏な気配、内なる獰猛さが詩情をかき立てる。 ──天野智美 作者の影と鴉が一体となってしまったようでこわくなるが忘れられない句。26歳で亡くなったと知るとますます忘れられない。 ──前島裕子 死神?早世を暗示する不気味な句。 ──萩倉誠