「哀しみ」と「おかしみ」 益田隆久 花の枝の空に乗れよとさ揺らげる 白波のたちまち過去や皐月富士 人はみな逝きつぱなしや梅雨夕焼 燻りし男を連れて大花火 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 「哀しみ」の中にも「おかしみ」があり、「おかしみ」の中に「哀しみ」がある。 だから、「救済」がある。「重力」があり、「恩寵」がある。 泣笑ひしてわがピエロ 秋ぢや! 秋ぢや! と歌ふなり ・・・・・ 秋のピエロ 堀口大学 花の枝の空に乗れよとさ揺らげる 「空に乗る」それは救い。 地上は「哀しみ」。空は「おかしみ」の世界。二つがぶつかり昇華されそこに救済がある。 「花の枝の揺らぎ」は、自然が人にささやく「まばたき」。 そして、詩人、俳人とは、「まばたき」を受け取る感性を持つ人のことである。 白波のたちまち過去や皐月富士 時間は救いである。 今は「哀しみ」。時間の経過は「おかしみ」。 皐月富士は救済の象徴。救済された時間。つまり永遠である。 人はみな逝きつぱなしや梅雨夕焼 人とは、「哀しみ」。梅雨夕焼は「おかしみ」そして「救い」。 「逝きつぱなし」とは、「哀しみ」の中にある永遠つまり「おかしみ」であり「救い」である。 燻りし男を連れて大花火 燻りし男とは、内なる「哀しみ」。大花火は、外なる「おかしみ」、そして「救い」。 二つが、ぶつかり合い昇華され、そこに「救済」がある。 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 最終的に、「哀しみ」は、「おかしみ」を携えて、「救済=永遠」へと昇華される。 枯蘆は「象徴」として使われる。 つまり、俳人だからこそ成し遂げる最終的な「救済」なのだ。
「恩田侑布子詞花集」カテゴリーアーカイブ
恩田代表の俳句を、季節ごとに鑑賞していきます。
呵々 十六句
『WEP俳句通信』2022年12月号に掲載されました、恩田侑布子の俳句16句を紹介いたします。 呵々 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 尾けゆくは地に生ふる影大枯野 駿河湾茶の花凪と申すべう 山上に菩提寺 華やかに落葉砕きて母がりへ 極月の揚げせんべいは鯵の骨 黄昏の干菜湯いろの橋わたる 冬の夜柱鏡をトンネルに 隔たるや日々片々と敷松葉 青天や枯れたらきつと逢ひませう 葉隠や尽きぬ遊びを佛手柑 錠かけしチェロを背中に落葉道 コートの背「嘆きの壁」に曝したる 浮くもののなべて重たし冬運河 納豆の糸にこゑある冬日かな 淫り喰ふ酢なまこ死後の硬直を 一休の呵々大笑よ寒牡丹 【初出】『WEP俳句通信』二〇二二年十二月号 競詠十六句 呵々十六句鑑賞 益田隆久 俳句から受けた第一印象です。 個人的解釈につき、まっとうかどうかはわかりませんが。 「呵々十六句」に共通して流れるもの。 「そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、 いづれの人か骸骨にあらざるべし。」 一休宗純 十六句は絵巻物。その展開の流れを味わうと飽きがこない。 起 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 第一句目で全体の色調を示す。 枯蘆は自分を見ているもう一人の自分。 ああ、あたしってなんか理由はないけど可笑しいよね。 っていうか自分で笑うしかないじゃん。 尾けゆくは地に生ふる影大枯野 ああ、やっぱりまだ燻り続けているいろんなものがあるのかなあ。 駿河湾茶の花凪と申すべう いままで色んなことがあったけど、少しは振り返る余裕が出来たのかなあ。 黄昏の干菜湯いろの橋わたる 歳を取るほど魅力的になる女でいたいよなあ。 冬の夜柱鏡をトンネルに 結局、人の死って、朝であり、春であり、トンネルを抜けるということなのかなあ。 隔たるや日々片々と敷松葉 人生ってさあ、斑模様だよね。密度の濃い時もあったし、薄い時もあったなあ。 青天や枯れたらきつと逢ひませう 死んだら好きなあの人とも逢えるよね。 ここから転調。 錠かけしチェロを背中に落葉道 今まで数え切れないほどたくさんの俳句を作ってきたよなあ。 それらは捨てるわけじゃないけど鍵をかけておこう。 そして、あたしにしか作れない新しい俳句を作ってやるぞ。 浮くもののなべて重たし冬運河 重くて流れていかないんだよなあ。いつまでも浮いてて嫌んなっちゃう。 納豆の糸にこゑある冬日かな あの日のあの時の声がいつまでも耳に残ってるなあ。 ...
恩田侑布子の「竹百畳」を読んで―角川『俳句』2023年9月号特別作品21句
恩田侑布子の「竹百畳」を読んで 角川『俳句』2023年9月号特別作品21句 上村正明 恩田侑布子の俳句は、難しい言葉が少なく、リズミカルなので読みやすい。駆け出しの私にも「優しい」句が多い。それに引き換え、俳句誌の巻頭部を飾る、多分高名な諸先生の俳句は「字余り」や「字足らず」、難しい言葉が多用されていて、極めて読みづらい。こういう句を見ていると、盆栽展に並んでいる、やたらと曲がりくねる古色蒼然とした盆栽を思い出してしまう。 たまたま購入した、角川俳句・2023年3月号に掲載されていた先生の「はだかむし 自選20句抄」に遭遇し、これらの句が比較的容易に理解できたことが、樸俳句会の門をたたくきっかけとなった。 結ひあぐる黒髪真夜の瀑となれ 普段、女は、男の前では、受動的スタイルを崩さない。男はそれを見て、女をそう理解しがちである。このような男の一人である私は、この句を読んで、女もやはりそうなのかと安心した。 男、女といっても、性さがには強弱があり、異質のものまである。この句に詠まれている男、女の性さがはきっと強いに違いない。 走つても/\土手ちゝろ蟲 この句を見れば、駆け出しの私だって、山頭火の代表作を思い浮かべ、それと比較したい誘惑にかられる。先生の意図されているところであろう。「走っても」が「分け入っても」に、「ちゝろ蟲」が「青い山」に対応している。「土手」を省略すれば、字足らずの句ともいえるが、立派な自由律句だ。 山頭火の句と並置しても、二つは、存在感を持って並び立っている。いや、むしろ、先生の句の「土手」が余分のようにさえみえる。 燻りし男を連れて大花火 女が男を想っている気持ちは痛いほどわかる句だ。このような女が身近にいることは男にとってありがたいことだ。しかし、男が日々格闘している世の中は、女が思うほど甘くはない。大花火くらいで癒されることはないかもしれない。しかし、そんな時でも、女には、男を立ち直らせるだけの力があることを知っておいてほしい。 ゴーヤすゞなり苦き一生こそ旨き 755になっても、リズミカルなのが、恩田侑布子の句の特徴であろう。しかし、「苦い一生こそが旨さ」という言葉に軽さを感じてしまうのはなぜだろう。恩田侑布子が一生を語られるには、まだ年季が足りていないからなのかな。 百畳の竹林ぬけし良夜かな この「特別作品21句」の題が「竹百畳」なので、この句が掲載21句を代表する句なのであろう。 百畳ほど広い竹林は現存するであろうが、ここでは比喩として拝見したい。とすれば、先生は、抜けるのが容易ではない苦難の道を歩み続けてこられた結果、新境地に達せられたと自覚されたのであろう。さすれば、まさに、誠に良き夜である。新境地に達せられた後も、恩田侑布子は、コオロギの鳴く長い土手の道を走り続けられることであろう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 樸に、最高齢の八十五歳で半年前に入会された上村正明さまは、メキメキ腕を上げられ、拙句に対しても忌憚なく伸びやかな鑑賞文を書いてくださいました。「まだ年季が足りていない」とふつう言われたらギャフンですが、上村さんなら、小さい頃から欲しかった「兄貴」から言われたような気がします。上村さんに感謝し、ご一緒に末長く俳句を楽しめますことと、益々の俳句の豊作をお祈りいたします。 (恩田侑布子)
土の契り 二十一句
『俳句』2022年6月号に掲載された恩田侑布子「土の契り」21句をここに転載させていただきます。 土の契り あをあをと水の惑星核の冬 プーチンvs(と) 星のはらから春凍る ウクライナ爆破菜の花放射状 筍であれよ砲弾保育所に なあやめそ柳あをめる昼の月 鬩ぎあふ四大プレート龍天に あきつしま卵膜ならんよなぐもり はにかみの国のまほらや春落葉 伊豆産の早船、枯野(からの)あり。『古事記』 大しだれざくら枯野の琴になれ ゆく春へ擬鳳蝶蛾(あげはもどき)の開張す 腐葉土や踵よろこぶ若葉雨 竹葉ちるあるいは空は金無垢か 下へえしたへ大道無芸山百足 まくなぎの変幻自在ポピュリズム うちよするするがのくにのはだかむし ※生きものに五虫あり。人間は裸虫。『礼記』 滾つ瀬の音や万緑のぞき込む 南冥へ波上げに行く瀑布かな 三光鳥月日はづます星なれと 早苗籠ひかる不老の谷ならん ひた向けば大鏡なり青はちす 青人草そよぐ尺玉花火かな 【初出】『俳句』二〇二二年六月号 特別作品二十一句
永遠の碧瞬 ―恩田侑布子「 碧瞬」より十句鑑賞―
永遠の碧瞬 ― 恩田侑布子「碧瞬」より十句鑑賞 ― 田村千春 金色(こんじき)のたまゆら深し夏の蝶 春の蝶と比べ翅が大きく、悠然と羽ばたく夏の蝶。空の彼方へ消え去るまで、誰もがつい見入ってしまいます。「たまゆら(玉響)」は勾玉同士が触れ合う音を指し、転じて「かすか」「一瞬」の意味をもつ言葉。「金色のたまゆら」とは、なんと妙なる表現でしょう。刹那でありながら心に刻み込まれる、あの美しさは、たしかに幸運を約束する勾玉を重ねたくなりますね。「こんじき」の二つのK音に、翅のすれ合う音、こぼれる光を感じます。 手鏡のかはる代はるの涼しさよ 夏、心ときめくイベントに彩られる季節。たとえば花火大会。打ち上げを待つ人々の中に、「手鏡」の主もいるのかもしれません。思いを寄せる人とようやく訪れたのに、なかなか会話が弾むとまでは行かず。頬の火照りが気になり、時々、鏡を取り出しては、さり気なくチェック。そのうち相手が覗き込んできたり、どうにか会話もほぐれてきたようです。鏡に映り込む二人の背後の空はいかにも涼しげ。こと座のベガがひときわ明るく瞬いています。 とことはの初日ありけり夏休 子供の頃、宿題も山ほどあるし、普段できない体験も色々としてみたいし、夏休みは足りないと不満でした。大人になって思い返すと、「常」の字をあてる「とことは」(永久に変わらないさま)なる形容がしっくり来る、輝かしい日々であったことに気づかされます。中でも「初日」。そういえば毎回、幕開けには何でも成し遂げられる気で、大きく構えていましたっけ。「ありけり」という、この詠嘆には深く共感します。 星屑に吊られてありぬハンモック ハンモックのある部屋で、幼友達と遊んだ日、船乗りになり、七つの海を渡っている気分でした。今でも時々欲しくなります。もし大空の下にあったら、隣に大切な人がいたとしたら、とても寝てなどいられない。「星屑に吊られ」た場所で交わされる一語一語、少しの衒いもなく、煌めきながら発され、気持ちをより通じ合わせてくれる。一人なら、まさに空に抱かれている心地に。宇宙にあっては一点にも及ばぬ自らをみつめつつ、安らぎも覚えるはず。 汝が筆は青芒かと問はれけり 作者は真夏の芒原を見つめ、思いに暮れています。誰にも打ち明けられない青春の悩みに、絡め取られてしまいそう。それは文字にもしづらいのです。どうしたらいいのか? やがて、「青芒」が脛を傷つけるのにも構わず、歩き始めました。いつか道は開けると信じ、前へ進みます。痛みを伴う「青」――しかし、「そんなものを支えとするつもりか」と問われたなら、きっぱりと頷くのでしょう。そのしなやかな強さにエールを送りたい。 黒き龍つがへる梁の涼しさよ 「つがふ(番ふ)」とは「対になる」の意、「梁(はり)」は屋根を支えるため横に渡した材木。寺社などで、梁に龍が彫ってある建物が実在するのか、それともイマジネーションの生み出したものか。いずれにしろ、実に深遠なる「涼しさ」の句。南北朝時代の中国の画家、張僧繇に関する伝説 が浮かびます。寺の壁に四匹の白龍を描くよう依頼された張は、あえて目を入れなかった。それを入れたなら、生命を与えることになると、彼は知っていたのです。その証拠に、目を描き加えられた二匹はたちまち空高く舞い上がり、姿を消してしまいました。そう、「画竜点睛を欠く」とは、「肝心なものが足りない」と貶めているのではない。「完璧であるからこそ余白を残すべきである」という、句作にも通じる教えを表したものかもしれません。めぐりめぐって、白龍が今は「黒き龍」と化し、梁を護っているとしたら、こよなく愉快。ちなみに張のいた王朝の名は、「梁(りょう)」です。 出はいりは四足なりぬ蚊帳の口 蚊帳の中は不思議な世界、子供時代が閉じ込められています。「四足なりぬ」には、思わず膝を打ちました。あの夜に溶ける緑色は、夢との境界。四つ足でくぐるにふさわしい。親の目から見ると、蚊帳は子供を守ってくれるもの。そっと裾をもたげ、健やかな寝息に聞き入る時も、四つん這いになっています。俳諧味に富むとともに、心あたたまる作品。 つくも髪花からすうり瞬けば 「花からすうり」を山道で見たことがあります。晩秋の季語である「烏瓜」、あの朱色の実からは想像できない、繊細な白い花弁。夏休み、泊まった宿の近くで、朝、しぼんでいるのを見かけました。暗くなってから開くと聞いて、夕食を終えるや再び観察に。縁がレースのようになっており、闇に浮かび上がる幽玄そのものの美にぞくりとしました。「つくも髪(九十九髪)」は老女の白髪、またその老女のこと。平安時代の作者未詳の歌物語、「伊勢物語」では、主人公(モデルは在原業平)が老女に懸想され、「もゝとせにひとゝせたらぬつくもかみ我をこふらし面影に見ゆ」と詠んでいます。愛を乞われれば、与えてやらないでもないという自信満々な若者の顔が覗く、この和歌を踏まえたものかはわかりませんが、句にも恋の匂いが。相手の情けに縋るしかない、そんな淋しい恋かもしれない。とはいえ、業平ならずとも、凄みを秘めた軽やかな調べには、銀糸のごとく捕らえられてしまいそう。思いのなせるマジックです。 碧玉の恋あり日本川蜻蛉 一般に「蜻蛉」は秋の季語、秋津とも呼ばれます。「川蜻蛉」はもっと早く見られるので、三夏の季語。本州の古称に「秋津島」もあるくらい、蜻蛉とこの国は縁が深い。中でも「日本川蜻蛉(ニホンカワトンボ)」は、名からもそのことを髣髴とさせます。湿原などで、ゆるやかな飛び方をする種です。雄はバリエーションもありますが、たいてい翅が橙色、縁に入った紋は真っ赤と美しく、体は白みを帯びている。雌は翅こそ無色、紋も白と地味ながら、翠色の体はとにかくメタリックで綺麗。なんとも雅びやかな装束、貴人を思わせます。平安貴族は女性は十二単、男性も狩衣に裏地を付け、重ねの色目を楽しむなど、お洒落に手を抜かなかったらしい。ひるがえって現代人の服装は機能優先で、ジェンダーレスに傾いてもいます。古今和歌集の恋の系譜を継ぐ者は、間違いなく、ヒトよりも、ニホンカワトンボですね。ずっと美しい姿を見せ続けてくれますように。 口紅をさして迎火焚きにゆく 「迎火」は盂蘭盆に入る夕方、霊を迎えるために焚く火ですが、この句では、亡くなったのは恋しい相手に違いありません。彼に見せたくて口紅をさす。おそらく命を失ったのはかなり前。しかし、作者は盆が近づくたび、彼岸に我が身の半分を置いているような、不安定な気持ちになります。仕来りにしたがって体を動かすことで、何とかそれを紛らせているのでしょう。口紅の赤は、現世に自分の心を留まらせるよすがになるのかもしれません。遺された者は、盆の最後の夜には送火を焚かねばならない。生きて行かねばならないのです。闇の中の一点の赤が哀しい、「碧瞬」の最後を鮮やかに締める一句。 「碧瞬 十六句」はこちらです。 ↑ クリックしてください
厳冬に、真夏の夜の夢を。 碧瞬 十六句 恩田侑布子
新たな三橋敏雄像の描出 恩田侑布子『戦争とエロスの地鳴り━三橋敏雄』を読んで
恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」(『証言・昭和の俳句 増補新装版』第Ⅱ部所収 コールサック社、2021年8月15日刊)を読んで 新たな三橋敏雄像の描出 編者の黒田杏子が第Ⅰ部のインタビューで明らかにした三橋敏雄像と恩田侑布子が第Ⅱ部で描き出したそれはおのずと違うものになっています。 インタビューを録音し文章化する場合、第一の読者はインタビューの対象、ここでは三橋自身です。三橋が「私の生き様、私の思いを私以上に表している」と感じとれば、そのインタビューは成功し、最高の読者を勝ち得たことになります。 「未来への予言」の語り部 黒田は、第Ⅰ部のあとがきで、三橋の「・・・戦争体験の真実の一端なりとせめて俳句に言い残しておきたい。単に戦争反対という言い方じゃなく、ずしりと来るような戦争俳句をね」という言葉を引用しました。そのうえで、13人のすぐれた先達の証言を「未来への予言」と呼び、この予言集が、地球上の多くの人々と出会うことを希う旨をもって筆を置きました。 黒田は、この予言集が戦争をまったく知らない新しい世代に、さらには全地球的規模で発信されることを希い、その担い手となる「2020年代の語り部」の登場をも期待して、第Ⅱ部を設けたのではないでしょうか。 新たな語り部に求められる感性と情熱、力量を備えている現代の俳人の一人が恩田です。 恩田は、今回の執筆にあたり、現代を生きる新たな世代、世界に出てその地に生活基盤を築いている人たち、国境や民族を越えて俳句を人類共通の文化として受け入れようとする人々をも念頭においていたはずです。 恩田は若い世代の育成と海外に拠点を置く会員の指導にも力を注ぎ、自身、パリ日本文化会館客員教授として、フランスの大学で俳句と日本文化についての講演を行ったという活動歴を有しています。 生命をつないでいく本源的欲求から 恩田は、三橋の歩みを「俳句による戦争体験の昇華と昭和の反省に生涯をかけた高潔なたましいのみちのり」と呼んでいます。そして、「三橋がイデオローグの平板に陥らず文学の成熟を遂げたのは、エロス的人間の足元から俳句を立ちあげ得たからで」あると明言しています。 ここでいうエロスは、人間が生命をつないでいくうえでの本源的欲求、喜怒哀楽の原点、人間の尊厳そのものといったことを意味しているのではないでしょうか。そうであるならば、エロスは、時代と世代、国境と民族を越えて、人間に普遍的に存在し、かつ、その有り様は一人ひとりの個人によって異なってくるはずです。 それを有無を言わせず一瞬のうちに暴力的に奪いとり、その後も耐え難い痛みを残し続ける戦争の非人道性を、三橋は俳句という文学を通して訴えている、と恩田は読みとったのだと思います。 恩田自身エロス的人間を描いた句をつくり、現代社会を洞察したクリティシズムの句を評価しています。反面、安易な性的表現や自らの生き方を脇においた時流的言辞には厳格であり、「反戦・非戦」といった言葉の使用にも慎重であることの本意が、こうしたところからも見えてきます。 生身の自己を晒しながら 前半部分の「酔眼朦朧湯煙句会」での、生身の自己を晒しながら三橋という俳句の巨人に真正面からぶつかり、教えを乞う姿勢にも深い共感を覚えます。 恩田は、樸俳句会においても、連衆と同じ目線で学び、歯に衣を着せぬ時もあれば、子どものような振る舞いを見せることもあります。その生き方には、裏も表も、虚勢も力みもありません。 「俳句のつくり方を教えてください」と恩田が「ぬかし」た「たわごと」を三橋は一言のもとに撥ねつけます。しかし、恩田は三橋との会話やその生き様からも学び、30年近くかけて自らの「俳句のつくり方」を打ち立ててきたのだと思います。 田村千春は、植物の句に対する恩田の挑み方に言及して、「対象に入り込み、自分と同化させる」という「おそらく誰にも真似できない方法」(「天心への旅―恩田侑布子「天心」を読む―」)と述べています。明晰な洞察に基づく的確な表現だと思います。 * * * 9月15日、恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』が岩波文庫から刊行されました。そこで、どのような新しい久保田万太郎像が描き出されているのでしょうか。 つねに全力投球、直球勝負の恩田の人と文に接する時と同様、今回の著作においても、読み取る側に、ずしりと重いボールを受けとめる覚悟が問われてきます。 鈴置昌裕(樸会員)