「恩田侑布子詞花集」カテゴリーアーカイブ

恩田代表の俳句を、季節ごとに鑑賞していきます。

恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで

20210814

恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで    (『証言・昭和の俳句 増補新装版』コールサック社、2021年8月15日刊)   本書は、前半が昭和を代表する俳人へのロングインタビューおよび自選50句(聞き手・黒田杏子、全13章)、後半が令和を生きる俳人20人の書き下ろし原稿という二部構成。  さっそく恩田の「戦争とエロスの地鳴り – 三橋敏雄」から読み始めました。酔眼朦朧湯煙句会での交流を中心に始まり、恩田の<擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ>に対し、三橋敏雄が「無季にすべきだ。さらに句が大きくなる」と説く場面が出てきます。  続いて「第13章 三橋敏雄」を読み、無季句探究の原点に戦争があると知りました。それは「無季でなければ言えない世界」だというのです。  戦争体験者の中には当時の多くを語ろうとしない人が少なくありません。三橋敏雄も本書のインタビューの中で生々しい表現はいっさい使っていません。  しかし、十七音の最奥からこちらを見つめるどんな感情、どんな告発をも逃さない恩田の比類なき鑑賞によって、魂は生きたいのに身体は砕け散ってしまった理不尽な数百万の死が胸に迫り、涙が溢れました。  三十数句の「戦争の世紀を刻印する秀句」が無季、有季を問わず掲げられていますが、ここでは次の一句を挙げます。  純白の水泡(みなわ)を潜きとはに陥つ    『巡礼』  第13章冒頭に、三橋敏雄の出身地 八王子は東京西部の多摩に位置し、剣術が盛んで、祖父は近藤勇や土方歳三と同じ天然理心流を習っていた、とあります。  その道場は、現存します。もう15年くらい前になりましょうか、多摩地区実業団剣道大会五十周年を記念し、模擬刀による天然理心流の型が披露されました。  当日、遅刻した私はすごいオーラを放つ二人組とすれ違いました。一人は銀のバレッタで長髪をまとめた細身の五十代男性、いま一人は刀を担ぎ黒髪をなびかせ颯爽と去る三十代の美女。彼らこそ、新撰組の後継者でした。  出場選手の一人として型を目の当たりにした夫は「剣道の北辰一刀流とまるで違う。徹底的な省エネ。実戦向き。一例を挙げると、鍔競り合いになったら相手の鍔を支点に刃の向きを変え頸動脈を斬る」と驚嘆していました。  十代にしてかなりの遣い手だったという三橋先生の御祖父様。「ただの田舎と思ってもらっては困る」という多摩の気風が、三橋先生のお心のどこかにあったりするかしら、いやいやそんな狭いお心でいらっしゃるはずないか、などと思いは巡ります。            見原万智子(樸会員・編集委員)   

  天心への旅         ―恩田侑布子「天心」を読む―

千春天心上下2

        天心への旅    ――恩田侑布子「天心」を読む――                        田村千春  旅に出ると時間の流れ方が違う。一分一秒が濃い。美しい景色をいそがしく胸に刻み込みながら、これまでの軌跡を振り返ったりもする。もしかしたら自分と向き合うために、人は初めての地を訪れようとするのかもしれない。  俳句が詠めるまでの試行錯誤は、そうした旅と似ている。樸の会に入って、この喜びと出会った。兼題がホワイトボードに書き出されると、心ときめく。これは次の句会のテーマを指し、たいてい季語が選ばれる。新たな旅のパートナーと呼べるだろう。その日を迎え、兼題にまつわる各々の体験が披露される。選句をし、解釈を述べる。俳句を「読む」とは、「あなたはどんな旅をしてきたのですか」とたずねる行為にほかならない。  今回、とっておきの旅を紹介したい。樸の会の指導者である恩田侑布子の「天心」――角川「俳句」2021年四月号に掲載され、樸の会では四月の句会において取り上げられた。その二十一句から、まずは「山茶花」と「寒牡丹」の冬の二句を。  植物の句は難しい。取り合わせで作れば、ともすれば季語が動く。一物仕立てでは季語の説明に陥りがちに。それに対し、おそらく誰にも真似できない方法で挑んでいる。対象に入り込み、自分と同化させるという――鮮やかな仕上がりに、思わず息をのむ。  山茶花や天の真名井へ散りやまず   「真名井」は古事記にも記載のある聖なる井戸のことで、「天の真名井」とは最高位の呼称。神々の水を賜った湧水として、高千穂や米子市高井谷のものが有名だ。遠州森町にもあるらしい。なぜか私には月光にきらめく流れが浮かび、実景か幻想かはどちらともつかない。山茶花の樹間より瀬音がこぼれている。おもむろに水面に歩み寄る作者。我が身を投影させるうち、意識はいつしか水の循環へ。すべての雫がまばゆい光となる。神の恩寵に感謝し、「山茶花」は豊かに湧き出る水のように、惜しみなく花びらを散らす。  身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹   冬の牡丹には二種類ある。春咲き品種を温室などを利用して「春が来た」と勘違いさせ咲かせているものと、春だけでなく初冬にも咲く「二季咲き」という性質を持ち合わせているもの。後者が「寒牡丹」で、冬とわかっていながら健気に花をつける。作者の身のうちの炎、葉を捨ててまで寒牡丹がからくも灯す炎、この二つを繋ぐのが「こゑ」。炎を詠み上げるのに色、揺らめき、温度、匂いを題材にするのはしばしば見かけるが、聴覚に訴えるとは――作者が炎そのものとなっている証といえよう。寒牡丹の背後に雪が見える。吹き荒ぶ雪風へ、作者の眼差しも凛として向けられ、少しもたじろがない。  「山茶花」の句が一句目、そして「寒牡丹」の句で、冬は終りを告げる。では、つづいて春の旅へ。例えば、次の一句はいかが。  花の雲あの世の人ともやひつゝ   「舫う」(舫ふ)とは「もやい」で船を他の船や杭とつなぐこと。「もやい」とはそのための綱である。強固につなぎ留められているようでいて、波に弄ばれ心許ない。まして此岸と彼岸、それぞれに浮かぶ魂を、茫漠たる境界をゆく道連れにさせようというのだ。切ない、しかし何とも美しい旅路への誘い。誰もがつい引かれてしまうのではないだろうか。今、作者はその境界――「花の雲」に身を任せたままでいたいと、ぼんやり願っている。永遠に慕い続ける相手と共有する、羊水の如くほのあたたかい空間。  天心のふかさなりけり松の芯   晩春の松の芽は蠟燭のような姿で、「松の芯」として俳人たちに愛されてきた。「若緑」という季語も、松の新芽や若葉を色で表現したものである。まさに生命の色。松の芯を志に見立てる句など、清新な気配に充ちた例句がならぶ。しかし、するりとそこに入り込み空を仰いだ作品というと類をみない。小さな若芽は天心の深さに打たれつつ、よろこびに震えている。  思えば壮大な旅は、真名井の聖なる水より始まった。その一滴から木の道管を経て花弁へ、雪へ、炎へ――自在に姿を変えてきた作者が、ついに天に至った瞬間。ここでは六句のみの紹介にとどめるが、「天心」は全句が前に述べた独自の方法に則る、記念碑的作品だ。舞台は限りなく広く、この世ならぬ場所にも及ぶ。桜の繚乱に彼岸の人との交信を果たした作者は、命のもつ哀しみや美しさと常に向き合う道を選んだのだろう。特筆すべきは、考え抜かれた並びであること。それによって生命の根源が水にあると、あらためて気づかせる仕掛けである。最後に置かれたのは、次の一句。  山藤の帰途なき空を揺らしては   どうやらこの旅は終わらないらしい。道なき道をたよりなく進む。「山藤」は庭の藤よりも香りが強く、他の木々に巻き付き、びっしりと花房を垂らし、隙間に見え隠れする空までも昏ませる。猛々しいほどの美しい紫に囲まれているが、これもまた水から生まれたものである。もしここで果ててしまうとしても、出発点に帰るだけ。幽玄の美に抱かれながら、輪廻に取り込まれる幸せを甘受すべきかもしれない。恩田侑布子という無二の師により導かれる俳句の旅も、どうか永遠であれ。  いつもの句会に向かうとき、駿府城のお堀に沿った道を歩くのが好きだ。いかにも静岡らしい道、ことに富士山が見えれば、古の人々とも気持ちが通い合う気がする。何にもまさる日本人の心の拠り所であろう。そこで「天心」の唯一の新年の季語を扱った句を掲げ、拙稿の締めとしようと思う。「初富士」がはらう雪は、作者自身が身にまとっていた雪でもある。  初富士や大空に雪はらひつゝ               (たむらちはる 樸会員・樸編集委員) ※ 恩田侑布子「天心」21句はこちらからどうぞ             

Yūko ONDA’s Haiku World “Iwan-no-Baka-no-Koi”

Yūko ONDA's Haiku World “Iwan-no-Baka-no-Koi”     To whom it may concern, My name is Machiko Mihara, a member of Araki-Haikukai which chairperson is Ms. Yūko Onda. I have uploaded short videos in order to introduce her first collection “Iwan-no-Baka-no-Koi”. Please take a look the following:          I would be very glad if you kindly give me your suggestion and impression. Especially, I would ...

『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (四) 平出 隆

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       囲われるエロスの秘儀、息づく起源                    平出 隆  恩田侑(ゆ)布(う)子(こ)の句集『イワンの馬鹿(ばか)の恋』(ふらんす堂)を読んでいたら、大きな時の広がりを感じた。それは「恋」という距離の変幻にかかわっている。ひろがり、というのはひとまずは、他者すなわち「漢(おとこ)の遠さ」である。      みつめあふそのまなかひの青嵐      目のまへの漢のとほさ春の雷    恋人と逢(あ)っているときの充溢(じゅういつ)し、また虚(うつ)ろにもなる感覚として、これらは一般的である。そうした感覚が、しかし別の句では、「自分の遠さ」ともなり変わって、襲い返してくる。      人体は隙間ばかりや春の雨      蝮草知らぬわが身の抱き心地      春嵐千里にべつの吾をりぬ     これらの句は、六章に分かれた最初の「恋 一」の章にある。自分を遠くに投げやる意志が、通俗を遠ざけ、大きな時空を生み出す。この作者の美質だろう。最後の章「恋 二」にはさらにひろがりのある句がある。       吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜      千年やうなじさみしき春の浪      秋光の白樺として逢ひゐたり    先のと同様の「自分の遠さ」が、ここではより深く、自然や事物の中に溶かされている。けれども、集中もっとも目を引くのは、別の章にある次の一句だろう。       死に真似をさせられてゐる春の夢    「自分の遠さ」が、ここでは構造化されている。「夢」の中の「死に真似」とは、序文で眞鍋呉夫がいうとおり、「夢魔的な入れ子構造」だろう。恋、夢、死は同心円状に詩の光源を定める。エロスの秘儀を囲うようなその入れ子構造の中には、なにかが破られるまでの息づきが満ちるようだ。  私たちの詩歌がどんな大きな「恋」の時間の中にあるか、示す一例かもしれない。      《出典》     「文芸21 詩歌」     初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)八月三日     初出紙:朝日新聞夕刊           『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)    

『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (三) 向井 敏

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       エロスの幻想を深々とたたえる                    向井 敏  真鍋呉夫といえば、安部公房や島尾敏雄らとともに文学集団「現在の会」に拠った戦後派作家の一人。幻想的で何かしら不気味な、「奇妙な味の小説」の先駆ともいうべき作風の持ち主だったと記憶するが、この人はまた句作にも堪能で、長い句歴を持つ人でもあったとは知らずにいた。平成四年、その句集『雪女』(初版冥草舎、普及版沖積舎)が第三十回「歴程賞」に選ばれるということがなければ、ずっと気づかずにきたかもしれない。  「歴程賞」は元来、現代詩の分野での業績を対象とする賞で、句集に対する授賞はきわめて異例。興をひかれて一読し、その詠法のあざやかさに一驚した。とりわけ、女人の性の蠱惑(こわく)を、なまなましさを失うことなく幻想的に描きだす独得の句才に。たとえば、こんなふうな。      口紅のあるかなきかに雪女         雪女溶けて光の蜜となり         花よりもくれなゐうすき乳暈(ちがさ)かな         花冷(はなびえ)のちがふ乳房に逢ひにゆく         雪 桜 蛍 白桃 汝(な)が乳房     性的幻想を詠んで余人には模しがたい出来だったが、世間は広い、さきごろ、右の諸作にまさるとも劣らぬ句を詠む女人の俳人が登場した。 俳人の名は恩田侑布子、句集の題は『イワンの馬鹿の恋』。三十余年の句歴から佳什(かじゅう)を選んだもので、題材もさまざまなら、句法も「書くたびに鬱の字をひく春時雨」の機智、「雲の峰かつぐイワンの馬鹿の恋」の諧謔、「会釈して腰かける死者夕桜」の幻想と、まことに多彩。  しかし、この人の本領は恋の句であろう。左にその秀逸を三句ばかり。      吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜      蝮草知らぬわが身の抱き心地         告げざれば火のまま凍る曼珠沙華    その恋の句を追ううちに、やがてエロスの幻想をふかぶかとたたえた、絶品二句に出逢うことになる。こういうのである。      あしゆびをそよがせ涅槃したまへり      死に真似をさせられてゐる春の夢    前者は一見したところ、釈迦の涅槃像を写したかのごとくだが、そうではあるまい。 すくなくとも、それだけではない。この涅槃は仏語でいう解脱の境地と、俗語でいう性の陶酔境とを兼ねているのだ。深読みすれば、「あしゆびをそよがせ」る歌麿の春画の一景のようにさえ見えてくる。 後者の句の「死に真似」も、性の陶酔のさまを寓した言葉であることはいうまでもない。  この二句と、『雪女』における「乳房」の句とを読みくらべてみると、一口に性的幻想といってもずいぶん様子が違うことに気がつく。恩田侑布子の句では全身全霊でエロスの世界に没入しているのに対して、真鍋呉夫の句の場合はどこか醒めて、あるいはゆとりをもって観照しているといったふうがある。この違いは男と女の性感覚の差と通い合っているのかもしれない。  ことわっておかなくてはならないが、『イワンの馬鹿の恋』のことをいうのに『雪女』を持ち出したのは、ほかでもない、恩田侑布子も『雪女』の作風に心を奪われ、私淑すること七年、昨年ようやくその「心の師」と相会することができたとあとがきにあったせいである。類は友を呼ぶということであろうか。      《出典》     本と出会うー批評と紹介     初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)九月三日(日曜日)     初出紙:毎日新聞            『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)