炎環同人の松本美智子様に、恩田侑布子の最新句集『はだかむし』(角川書店、2022年)十五句の鑑賞「天たゆたへる」をお書きいただきました。 掲載をご快諾いただいた松本様に、心より感謝申し上げます。 (樸編集委員一同) ―恩田侑布子句集『はだかむし』十五句鑑賞― 天たゆたへる 松本美智子(炎環同人) Ⅰ 雲を手に 蕾んではひらく空あり夏つばめ 蕾という名詞を動詞化するなど、思ってもみなかった。空を花に見立てて、燕が空を過ぎるたび、青空が花のように開き、いなくなれば、蕾のように空は蕾んで、静かな空に戻る。何とも、スケールの大きな句で、いかにも、巻頭句に相応しい。この句のように、この句集では、想像の翼を羽ばたかせる句、そして、時には、静謐の世界を描き出す、という、作者の気迫が伝わってくる。章段のタイトルも「雲を手に」で呼応して、壮大である。 黒き龍つがへる梁の涼しさよ 天井の梁を黒き龍と見立てる所に作者の生活感覚、あるいは、独特の感性が感じられる。旧家の囲炉裏の火や煙で燻された梁が身近に無ければ、こういう風には思い付かないだろう。幼い時から、朝晩、見慣れていた梁に龍を感じ、そして、その龍が矢をつがえるかのように、我が家の屋根を支えているのが涼しいという感覚。ここには、自分の家が龍に守られている、というゆるぎない安心感がある。それも、仰々しくはなく、自然に感じられるのが、精神的に涼しいのである。現代風の合理一点張りの住宅に住んできた者にとっては、せいぜい、天井の木目の染みを、動物かなにかに想像するばかりである。 水門のかたく鎖ざされ天の川 中七までの景は、時折、見かける実景であるが、季語で、読者に想像する世界を広げた。 目の前の水門が閉じられている景から、天上を仰げば、そこには、茫々たる天の川が広がっている。もしかすると、天の川の水門も閉じられているのかもしれない。水門が閉じられれば、川の水量は溢れて、二人は会えない。それとも、閉じられたことは、二人の世界が出来たことを意味するのか。浅学の私には、これぐらいしか思い付かないが、学識の深さによって、色々な読みができそうである。これが、この句の深さである。 ゆびさきは月のにほひの雛かな 雛の指先に月の匂いを見た所が詩的である。雛の指先はよく、詠まれるが、そこに「月のにほひ」を持ってきた句は初めてで、感心した。こういう、詩的発想は、努力して得られるものではない。先天的才能からもたらされたものだろう。月は実際の月であると同時に、月日も意味して、月日を招く、呼びよせている。過ぎ去った月日を懐かしみ、しみじみ、余韻に浸っている雛は、なんと、人間らしいのだろう。雛のもとは、人間であるなら、当然のことであるかもしれない。 春愁やはんこのやうな象の足 なんとも楽しい句であるが、最初に春愁がきていることが、句全体を効果的にしている。象の足をはんこ、といった句には、初めて御目にかかったが、言われてみれば確かに巨大なはんこに納得である。どんな書類に捺すのかと、考えるだけで楽しくなる。私は、天帝がこの地上に捺すはんこを想像したが。私の気持ちは春愁だが、はんこのような象の足に幾分、心も軽くなる。はんこ、という小さくて効力の絶大なるものが象の足という巨大で重いものである、という矛盾するものとものが同一である不思議が自然に納得させられる。現代的俳味に満ちた句である。 咲きみちて天のたゆたふさくらかな 豪奢な句である。満開の桜の中に居れば、まるで桜の天が揺れているようだ。平安以来、名歌が詠まれてきた桜を、詠むのは、中々難しい。「たゆたふ」と言う古語が、ゆったりとおおどかな爛漫の桜の世界を描き出し、そこに遊ぶ作者の心の豊かさが感じられる。 Ⅱ あめのまなゐ 山茶花や天の眞名井へ散りやまず 「天の眞名井」は、大山の麓、米子市淀江町高井谷に湧出する地下水で、1985年に「名水百選」に選ばれている、名水スポットとあって、実際の地名があることに先ず驚いた。 そういえば、出雲には「黄泉比良坂」という地名もあるから、別に不思議ではないかもしれない。検索するまでは「天の眞名井」は記紀神話に出てくるものだとばかり、思っていた。天照大神と素戔嗚尊がそれぞれの剣と玉を「天の眞名井」の清水ですすいでから、誓約をして神を生む話である。神聖な井戸を指す、最上級の表現である。山茶花という、俗の花が、神聖な神々の井戸に散ってゆく、という聖と俗の取り合わせが個性的である。 たまゆらはうつぶせに寝て花筵 まず「たまゆら」の言葉の美しさに感動する。「たまゆら」は勾玉がふれあってたてるかすかな音で、ここから、ほんのしばらく、一瞬、の意となる。『日葡辞書』には「草などに置く露の様」とあり、いずれも、ほんの束の間のこと。ほんの一瞬、花筵にまどろんだことだが、仰向けではなく、「うつぶせ」の語によって、勾玉も連想させる。たまゆらは「玉響」の字が当てられ、玉は「魂」に通じるから、魂は、白昼の夢幻の世界に遊ぶ。 Ⅲ 仙薬 歳月やこゝに捺されし守宮の手 ここに住み始めた二十五年前は、ガラス戸にぺたりと張り付いている守宮をよくみかけた。ガラス戸に張り付いた守宮の足は、実に、可愛らしく、あの小さな足で、上ってゆく様をこちら側からじっくり見ることができることは、幸せな気分にしてくれるものだった。そうなのだ。あの窓ガラスには、見え無い夥しい守宮の足跡が、印されていることをこの句は教えてくれた。守宮の足跡が、見え無い判子のように、ガラス窓に置かれている発見が楽しい。守宮は家を守ってくれる、家の守り神なので、嬉しい存在なのだが、今は、家が密集して、守宮の住む環境は無くなってしまったせいか、この頃は、目にすることも無くなり、さびしい。「歳月や」で始まる上五が、私の心境にぴったりである。この家に家族四人で住み、今は独りになった家の歳月が思い出された。 Ⅳ 冨嶽三十六景 不死薬のした垂るしづく富士ざくら 冨士山は、不死の山とも書くから、不死の滴が滴るだろうが、現実的には、冨士の麓の岩屋からの滴りか、それとも、そんな野暮なことに拘らず、冨士の滴りならば、永遠に違いない、という冨士讃歌なのか。永遠なる滴りに対し、冨士の桜であろうとも、それは束の間のこと。「ふし」の語を生かし、桜の現実と、人間の憧れの不死薬を対比させた所に面白さが見られる。 Ⅴ 山繭 たましひの片割ならむ夜の桃 桃は、現在でも魅力的な果物である。古代から、桃には不思議な力が込められている、と考えられていたらしく、記紀神話では、死の国へ行ったイザナギが、死の国の追っ手から逃れるために、桃の実を投げて、この現世に戻る事が出来た話がある。二度とは行けない桃源郷という理想郷もある。桃から生まれて、鬼ヶ島へ鬼退治に行った桃太郎の昔話は、私達にとって、幼い頃からの馴染みがある。あの豊かでまろやかな形は、この世のものではないものを、我々にもたらす、と信じられてきたにちがいない。 西東三鬼は「中年や重く実れる夜の桃」と詠んだが、これにも、この桃の持つ本意が込められている。夜の桃は甘い匂いを放ちながら、熟れて、死へと向かってゆくのである。 こういう従来の本意に対し、「たましひの片割」という考え方は、これまでの本意にあらたな一面を捉えた点から、一歩進んだ見方で、斬新である。たしかに、魂の片割ならば、この世とあの世を結び、異次元の世界へ行くことも可能だろう。桃の形から魂の片割れと、直感した感覚が素晴らしい。 撲つたゝく空に出口のなき花火 花火はぱっと広がり、ぱっと散るものだと思っていたが、空を撲ちたたくものとは、思ってもみなかった。さらに驚いたのは、花火に出口がない、という発想である。花火は夜空に広がってゆくから、無限の空、宇宙へと散ってゆくものとばかり、思い込んでいた。一般的な常識的発想を破って、逆の発想で、花火の有り様を描いた所に作者が現れている。 Ⅶ はだかむし 火囲みひざに子を抱く秋の暮 すぐに思い浮かべたのは、縄文時代、竪穴住居の中で、一家が火を囲みながら、鍋の具材が煮えるのを見守っている光景である。火を囲み、暖をとり、それが灯りでもあり、一家が談笑する場でもある。父親が一家を守ってくれる安心感に、母親は子を抱き乳をやっている。子供達は、早く、煮えないかと、食べるのを待ち構えている。食事が終われば、あとは、温まった住居で眠るだけである。古代の人々の暮らしはもっともシンプルだった。 このもっともシンプルな暮らしの基本は今でも、同じではないだろうか。古代から現代、未来へも続く、幸せな家族の一つの形が描かれている。 引くほどに空繰り出しぬ枯かづら かづらを引けば、意外なものが出てくる、という句はあるが、その伝統的な句材を見事に個性的な句にしている。枯れかづらを引けば引くほど、空が広がってくる、とはなんと、壮大な句だろうか。枯れかづらを引けば、そのかづらが切れると、発想するのが、凡人の発想で、作者はそういう凡人の発想を見事なまでに裏切る。それも繰り出す、というのだから、引けば引くほど、どんどん青空が広がってゆくのである。それを手品のように「繰り出す」と言ったところに、冬空の広さ、力強さが広がって行く。枯れ木に花が咲くように、無限の青空が生み出されてゆくのは、なんと、気持ちのよいことだろうか。 うちよするするがのくにのはだかむし すべて平仮名表現なので、柔らかな印象である。書名「はだかむし」の由来になった句であろう、と思われる。これをもとにして、表紙の老人が描かれたことだろう、と想像される。あとがきを読んで、作者の暮らしのもととなっている産土の駿河と人間讃歌らしい、と推測される。つくづく、自分の産土を持つ人の豊かさを知らされる。便利な都会暮らしに慣れている人間には、自然の息吹も吐息も聞こえ無いから、神の気配も感じられない。荒ぶる神も出てこない。自然と親しい人だけに、自然は、神は近づいてきてくれる。 -・-・-・-・-・-・--・-・-・-・-・-・- 自然の中での感覚を土台にして、溢れる智が作品になった句集を楽しませていただきましたが、力不足で、理解が及ばない句がありました。ありがとうございました。これからも、目の覚めるような刺激的な句を楽しみにしております。 謝辞 恩田侑布子 鑑賞者の松本美智子さんは、私がこの夏から出講している早稲田オープンカレッジ中野校で出会った優秀な俳人です。ありがたいことに、「昔から恩田侑布子の俳句や評論の愛読者です」と自己紹介してくださいました。突然手渡された「お手紙」を開くと、そこには最新句集の緻密で深い観賞が施されていました。死蔵しておくのは勿体無いので、ご本人に承諾を得て公開させて頂くことにしました。松本美智子様、ありがとうございます。 (2024年11月18日)
「寄稿」カテゴリーアーカイブ
山根真矢様(「鶴」同人・俳人協会幹事)から、最新の恩田侑布子論を頂きました。
京田辺市在住の俳人(「鶴」同人)山根真矢様から、侑布子俳句に新たな角度から迫ったご高論「恩田侑布子小論 おのれを島とせよ」を頂戴しました。
一句、一句を立ち上げようとするとき、足元の土壌がいかなる体験、背景から成り立っているのか、どこへ向かうのが必然であるのか、あるいは必然に抗う一歩を踏み出すのか。自らの原点の飛翔と回帰は、意識するとしないとに拘らず、作句ひいてはあらゆる創作活動において切り離すことができない大きな課題と言えるのではないでしょうか。
このたびの示唆に富むご寄稿を大変光栄に存じ上げ、山根様に心より御礼申し上げます。
(樸編集委員一同)
恩田侑布子小論 おのれを島とせよ 山根真矢
恩田侑布子の俳句といえば、皆さんはどのようなものを思い浮かべるだろうか。
水澄むや敬語のまゝに老いし恋 侑布子
をとこ捨てし男を恋ふる冬の瀧
草苺ゆびにふれなばくもる恋
起ち上がる雲は密男夏の山
わが恋は天涯を来る瀑布かな
これらのような「恋」を詠んだ句か。あるいは、次のような「死」を詠んだ句か。
小春日の海たれかれの死後の景
水に生れはゝそばの母火に送る
ほとけの母と長いつきあひ小六月
根の国にともにゆかなむ雪ばんば
死んでから好きになる父母合歓の花
「恋」と「死」、両方ともに詩情があり、魅力的なのだという人もいるだろう。
私もそう思う。その二つはコインの裏表のように一体のものだからだ。
侑布子は「偏愛俳人館 第1回 飯田蛇笏 エロスとタナトスの魔境」と題する文章を『俳句』(角川書店)2020年2月号に寄稿している。以下に一部を引用する。
*
◇ 高校時代、蛇笏と出会う
落葉ふんで人道念を全うす 蛇笏
「落葉ふんで」、高校生のわたしは驚いた。とっさに「死屍累々」ということばが浮かんだ。死んでいった人の思いを落葉踏むように受け止めて、人は初めて小さな自分の志を全うする。いのちは自分ひとりのものではない。蛇笏の落葉を踏む足音が聞こえた。
その時、蛇笏が人生の師として立ち上がった。一句で作者を信頼していた。
◇ エロスの豊饒
人間の死は性に由来する。死は有性生殖の必然である。エロスとタナトスは、蛇笏にとっては必ずしも二項対立ではなかった。
つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋
みそか男のうちころされしおぼろかな
薔薇園一夫多妻の場をおもふ
小説家志望だった蛇笏のエロスの句である。蛇笏とて近代的自我に悩み、都会の文学の誘惑と戦い、すんなり自然に随順したわけではなかった。
◇ 冬の名句とタナトス
冬滝のきけば相つぐこだまかな
寒の月白炎曳いて山をいづ
おく霜を照る日しづかに忘れけり
蛇笏は次男の病死、長男三男の戦死に遭った。相次ぐ悲劇にも精神を荒ませず、芸術的心境を磨き上げていった。悲痛を老艶へと反転させたのである。
◇ 生の円環運動
川端康成は「仏界易入 魔界難入」という一休の詞をよく揮毫した。晩年の蛇笏もまた魔界をゆききした。
ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり
春めきてものの果てなる空の色
炎天を槍のごとくに涼気すぐ
荒潮におつる群星なまぐさし
涸れ滝へ人を誘ふ極寒裡
蛇笏が腹のどん底からしぼり出した俳句は言語哲学者、丸山圭三郎のことばを思い出させる。
〈狂人〉と芸術家(および思想家)のいずれもが、意識と身体の深層の最下部にまで降りていって、意味以前の生の欲動とじかに対峙し、この身のうずきに酔いしれる。しかし後者は、たとえその行動と思想が狂気と紙一重であっても、必ずや深層から表層の制度へと立戻り、これをくぐりぬけて再び文化と言葉が発生する現場へと降りていき、さらにその欲動を昇華する〈生の円環運動〉を反復する強靭な精神力を保っている。(『言葉・狂気・エロス』講談社)
蛇笏の句業こそ〈生の円環運動〉といえないだろうか。詩的気魄を貫き、詩魔は終焉までエロスとタナトスのダイナミックな生成を続けた。そして現実には甲斐に根を下ろし、庶民の生活に寄り添ったのである。
*
以上が侑布子の文章を抜粋したものであるが、蛇笏の俳句を読み、再び、侑布子の俳句に立ち戻ってみると、侑布子の俳句もまた「エロスとタナトスのダイナミックな生成」ではないかと思う。
侑布子は2022年、句集『はだかむし』(角川書店)を刊行した。「はだかむし」は、羽や毛のない虫の総称であるが、人間の異称でもある。冒頭で引用した「恋」と「死」の俳句も、この句集に収められている。
私はNHK文化センター京都教室で、「俳句・ふるさと紀行」という講座の講師をしているのだが、今年一月の講座で、この句集を取り上げ、「恋を詠む」「死を詠む」などのテーマに分けて鑑賞し、先の蛇笏論についても紹介した。
改めて、蛇笏とは何か。明治生まれの蛇笏は、ある一面において、家長的な意識を俳句で表現した存在だったと私は思う。明治以来の旧民法の家制度は、子を残して死ぬためのものだった。エロスはギリシャ神話の愛の神、タナトスは死の神。家にはエロスとタナトスが存在していると多くの人が信じていた。
しかしながら、侑布子の俳句は、蛇笏の「エロスとタナトスのダイナミックな生成」とは趣を異にした、現代的で独自のものである。
以下、侑布子の俳句について、管見を述べたい。
起ち上がる雲は密男夏の山 侑布子
蛇笏が〈みそか男のうちころされしおぼろかな〉と詠んだ密男だが、この密男は入道雲となり、山の上から家の主を見下ろす。エロスは家の内に収まらず、時に家を脅かす。
わが恋は天涯を来る瀑布かな
百人一首の崇徳院の歌〈瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ〉や、陽成院の〈筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる〉などと比べても、「天涯を来る瀑布」の迫力は、古来の「恋」と全く違うものである。
死んでから好きになる父母合歓の花
エロスという言葉を広辞苑で引くと、「愛の神」という一番目の意味に次いで、二番目に「愛。欠けたものへの渇望がその本質云々」と書かれている。欠けていたことを表白するのも、家制度の埒外の行為であると思う。
のど笛のうす〳〵とあり近松忌
近松門左衛門は江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の作者。代表作の「曽根崎心中」では「この世の名残 夜も名残 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜」とお初と徳兵衛が手を取り合う道行の場面に、観客も涙を誘われた。道ならぬ恋、喉を掻き切って死ぬ覚悟ができるほどの恋とは、いかなるものか。そんなことを思いながら、恋しい人の喉を眺めている句である。近松忌は陰歴十一月二十二日。いよいよ寒くなってくるころおいである。
天皇に人権のなし秋の暮
「枕草子」や「三夕の歌」以来、秋の代表的な季語である「秋の暮」と、「天皇に人権のなし」というフレーズを取り合わせた俳句である。日本国憲法は国民の基本的人権を保障しているが、天皇はその例外で保障されていないとされている。天皇に人権のないことは、昔も、今も、日本の伝統なのか。かつて天皇は国の家長とされた。今も天皇家は、日本を代表する家であるといえるだろう。
霜ふらばふれ一休の忌なりけり
室町時代の僧で後小松天皇の落胤と伝わる一休の歌に〈有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け〉がある。歌意は「この世からあの世までの旅の途上で私はひとやすみしている。雨も好きなだけ降れ、風も好きなだけ吹け、自分は気にしない」というものである。森女と暮らし、男色もという伝説のある一休の忌日は、近松忌の一日前、陰暦十一月二十一日。仮の宿に霜がふる。
青嵐おのれを島とせよと釈迦
釈迦に「自らを島とし、自らを頼りとせよ」という言葉がある。私はこの俳句を読んで、大海の孤島が頭の中にパッと浮かんだ。島が人間の化身のようで、青嵐の木々が眩しい。
昭和二十二年の民法改正で、家制度が無くなっても、家は存在し、家の内にいたい人もいる。その一方で家から離れたい人もいる。
家とは関わりなく、自恃の心をもって、エロスとタナトスに向き合う。明るい青嵐の島の景色が、侑布子俳句の現在地なのではないかと思う。 (文中敬称略)
(2024年7月17日拝受)
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山根 真矢(やまね まや)
昭和42年、京都生まれ。平成9年「鶴」入会、星野麥丘人、鈴木しげをに師事。
平成12年「鶴」同人。同年、第15回俳句研究賞を受賞。俳人協会会員。句集『折紙』。京都府京田辺市在住。
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新刊紹介
『ゆれるマナー』 恩田侑布子他
中央公論新社 2024年3月18日刊
読売新聞・文化欄に掲載(2019〜23年)された恩田侑布子ほか「現代の賢者」9名のエッセイが、1冊の本になりました。
どこから読んでも面白いエッセイ100篇が、ぎゅっと詰まっています。
『ゆれるマナー』中央公論新社 3月18日刊行 税込1760円
著者:青山七恵/戌井昭人/小川糸/温又柔/恩田侑布子/白岩玄/服部文祥/松家仁之/宮内悠介(五十音順)
オープンワールドで見つけた作法、骨法、処方箋
この本にはまえがきもあとがきも無い。ではどのあたりに留意して読めばよいのであろうか?
出版元の新刊紹介に「浮き世をサバイブしてきた賢者9名」によるマナーのエッセイ100篇とある。
賢者とくればテレビゲームと連想した私は、プレーヤーの移動制限がない“オープンワールド“と呼ばれるゲームのように、この本はどのエッセイから読んでもいい、と思うことにした。
ランダムにパラパラパラ…どれもこれも面白い。止まらない。だが、まだ読んでいないのはどれなのか探しづらくなってきた。
ならば、と普通に最初から読み出すと、これまた止まらない。さっきまでのオープンワールド的な読み方とは異なる趣があり、章ごとに新たな知恵を授けられる感じ。
ひとことで言うと100篇はどれも上品である。育ちがいいとはこういう人たちを指すのだろう。
「それ私も同じことやってる」と我が意を得たマナーあり、思わず声に出して笑ってしまったマナーあり。
確かに現代をサバイブするマナー、というより極意、いや処方箋のように思えてくる。しかも楽しみ方を増やし生きづらさというヤツを極小化してしまう処方箋。そこが素敵だ。
では、恩田侑布子のエッセイをゆっくり味わおう。
大さじ一杯で酔っ払う話、追突事故に遭った話、と街なかのモノやコトも出てくるが、どの「マナー」にも、日々、野山や川辺を歩き小さないのちのほとばしりから感得した広大無辺な宇宙の営みのゆらぎを、ことばとして紡ぎ続けている恩田ならではの清々しいオチがついている。そしてちょっぴり置き去りにされたような、ここから先は自分で見つけてねと言われているような、見事な余白がある。マナー=作法というより(俳句の)骨法がエッセイにも通底している。
初出は読売新聞・水曜日夕刊「たしなみ」欄掲載(2019年4月2日〜20年4月7日)。毎回、誌面の真ん中に配置されていた山本容子さんの美しい銅版画をおぼろげに懐かしみつつ、こうして本棚に収まるようになっていつでも手に取れるのはいいなぁ、としみじみする。
そのうち私も9人の賢者のように品のいいモノ・コトの見方・処し方ができるようになって、ひとつくらい「〇〇のマナー」というエッセイが書けるかもしれない。
おっと、こんな大それた妄想はマナー違反か。しかし、久々に並の自己肯定感を抱いて眠れそうとか、ほどよく気持ちが”ゆれる”のは、「まえがきもあとがきもないマナー」からそれほど逸脱していないはず、と思うことにする。
(樸編集委員 見原万智子)
2023 樸・珠玉作品集
2023 樸・珠玉作品集 (五十音順)
いつぽんの草木
俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。
「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。
樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日)
天野智美
花朧坂の上なる目の薬師
べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな
秋の苔弱き光をこはさぬやう
《二年ぶりに樸に復帰して》
好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。
猪狩みき
しめ縄の低き鳥居に春の風
卯波立つ廃炉作業の発電所
楡新樹望みを抱くといふ勇気
《興味のありか》
植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。
活洲みな子
父母は茅花流しの向かう岸
読み耽る昭和日本史虫の闇
枇杷の花いつか一人となる家族
《旅と私》
私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。
それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。
海野二美
在の春すする十割そば固め
お薬師様見下ろす村に花吹雪
長旅の蝶の夢かや藤袴
《強さとは・・》
皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。
金森三夢
鑑真の翳む眼や冬の海
枯れ尾花わたしのことといふ佳人
ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる
《出戻り致します》
「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。
八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。
岸裕之
五月雨の垂直に落つ摩天楼
碌山の≪女≫漆黒新樹光
病葉の猩々みだれ舞ふ水面
《今思ふこと》
私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。
小松 浩
酢もづくの小鉢に海の遠さかな
銀漢や調律終へし小ホール
警笛に長き尾ひれや熊渡る
《大リーグボール養成ギブス》
入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。
心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。
坂井則之
家継げり障子洗ひも知らぬまま
二親の去りし我が家に帰省せり
あし鍛ふいま一度富士登らんと
《初心者の苦弁》
2023年春から参加させていただきました。
その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。
(私は先生の高校の4年後輩に当たります)
今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。
いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり)
佐藤錦子
蜜月も悲嘆も誰も往く銀河
秋うらら桂花の菓子を頬張れば
疵あまた無骨な柚子よ宛名書く
《旅の途中》
歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。
句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。
歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。
樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。
島田 淳
花南天兄にないしょの素甘かな
引越の最後に包む布団かな
菜の花の果てを見つけて人心地
《鑑賞という名の対話》
恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。
愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。
それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。
最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。
「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。
二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。
最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。
これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。
私が定年を迎えるのは、来年の夏である。
芹沢雄太郎
春の鳥五体投地の背に肩に
磔の案山子の頭ココナッツ
道迷ふたびあらはるるうさぎかな
《インドのひかり/日本のひかり》
インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。
田中泥炭
人類に忘却の銅羅水海月
耳鳴のいつでも聴けて稲の花
隠沼にあすを誘ふ栗の花
《実戦の年に》
普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい
都築しづ子
切り貼りは手鞠のかたち障子貼る
初夏やタンクトップにビーズ植う
牡蠣フライ妻と一男一女居て
《師の事 樸句会の事》
いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。
そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。
この文を記しているうちになんだか元気になってきた!
中山湖望子
鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す
夏の月うさぎも湖上走りけり
仏壇に手合わす子らや柏餅
《俳句〜日本という方法の神髄》
俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。
観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。
成松聡美
柚子青し手帳今日より新しく
きれぎれに防災無線山眠る
鍋焼吹く映画の話そつちのけ
《初心者を楽しむ》
句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。
林彰
最高裁「諫早湾開門せず」
海苔炙る有明海を解き放て
沢登り桃源郷あり幣辛夷
深く吸ひゆっくりと吐く去年今年
古田秀
シャンデリア真下の席の余寒かな
うぐひすや渦を幾重に木魚の目
テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬
《融》
冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。
前島裕子
菜の花や家々ささふ野面積
スマホすべる付爪のゆび薄暑光
岡部町、大龍勢
先駆けの子らの口上天高し
《外にとびだそう》
私の干支、卯年も残すところわずか。
少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。
Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。
コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。
益田隆久
露の玉点字の句碑に目をとづる
空蝉はゆびきり拳万の記憶
冬ごもり硯にとかす鐘のおと
《村越化石さんの原稿用紙》
藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。
既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。
見原万智子
フライパン買はむ極暑の誕生日
形見分くすつからかんの菊日和
星なき夜熊よりも身を寄せ合はす
《穴があったら入りたい》
涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。
しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔?
穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。
上村正明
もづく酢や昭和を生きて老い未だ
紙兜脱ぎて休戦柏餅
手術宣告
長々と俎上にのせん生身魂
上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。
これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。 (樸代表 恩田侑布子)
後記
樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。
俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。
(小松)
波の向こうへ
波の向こうへ
見原万智子
恩田侑布子の第五句集『はだかむし』は、できれば一気に三七一句を読みたい句集である。
処女句集『イワンの馬鹿の恋』と出会ったころ、知人たちを前に恩田の俳句世界を「ひと言で表すなら万華鏡」と話したのを思い出す。
当時の私にとって恩田は桜よりも牡丹に近い紅色のひと。そう、「接吻はわたつみの黙夕牡丹」の牡丹だ。「うしろより抱くいつぽんの瀧なるを」の瀧の轟々たる白と背景に広がる群青の闇は、牡丹の紅と鮮やかにコントラストをなし交わることがない。水に溶けない顔料で描いた日本画のような。一句の中に異世界と現実が、骸と赤子が、死と官能が混在し、さらに句集全体でひとつの恋愛小説のような印象を残す。
それを万華鏡と言えば言えるかもしれないが、いま思えば万華鏡は外から「内側」を覗くものであった。
『はだかむし』もまた、異世界と現実を自在に往還する作品集であることは間違いない。しかし『イワンの馬鹿の恋』から感じたコントラストは抑制されている。というより、この世に存在する全てのものに輪郭線はありませんと言われたような、まるで朦朧体の絵のような。
朦朧体と言っても、色彩が失われたわけではない。頁をめくるうちに、初めて透明水彩絵具を水に溶いた時の感激が蘇ってきた。あとから塗った色の下に、さきに塗った色が透けて見えている。何て綺麗なのだろう。
輪郭がぼんやりにじんでいるこの感じ、見覚えがある。そうだ、『はだかむし』をひと言で表すなら、回り燈籠だ。
ところがこの回り燈籠は、夜店のそぞろ歩きのついでに「外」から眺めるような、なまやさしい代物ではない。私自身が巨大な回り燈籠の「内側」にいて、次々に現れる幻像にからだごと持ち去られていく。いつの間にか五大陸がひとつに繋がっていた原初の地球へ。かと思えばいきなり、硝煙のきつい匂いが鼻を突く強者どもが夢のあと先へ。
NHKの科学番組で、「文字というものは『あ』を『あ』と読むように、一対一対応であり、確実に正解、不正解がある」という説が紹介された。文字を組み合わせてできる単語も基本的には同じだろう。「りんご」は「りんご」と読み、みかんを指してはいない、と我々は理解している。
『はだかむし』の作品はそのような説をたやすく飛び越えてしまう。理解していると思っていたものは単なる決めごとに過ぎなかったと思い知る。どの句にも隠された仕掛けがある。いや何もないかもしれない。幻惑の異空間にからめ取られる。これはもう文字のゲシュタルト崩壊どころではなく、私の思考言語の崩壊である。その崩壊を、喜べ。楽しめ。これはそういう句集だと思う。だからこそ、一気に読んでほしい。
そゝり立つ北斎の波去年今年
『枕草子』「森はこがらし」の辺に骨を埋めんと
木枯森こがらしのもりへ石ころ無尽蔵
口紅をさして迎火焚きにゆく
鬩ぎあふ四大プレート龍天に
死んでから好きになる父母合歓の花
昨年刊行された『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』で恩田が明らかにした、俳句における「時空の入れ子構造」が、『神奈川沖浪裏』へのオマージュにも見られる。地獄へ真っ逆さまになりそうな三艘の小舟と極楽浄土の象徴である遠景の富士を、大波が隔てている。寿ぎは呪言とも書くから、新年の季語「去年今年」は、そそり立つ大波と相似形をなすに違いない。大波の手前に描かれているもうひとつの波が富士と相似形をなすように。
安倍川の支流 藁科川上流の中洲にある木枯の森。その中に小さな神社が佇む。幼い日、うっかり田んぼ脇の石ころを踏んだら「だめだめ、それはご先祖様の墓石だから」と親戚に叱られたのを思い出す。
亡き人のためにさす口紅。きっとベニバナで作られていて、唇のぬくもりによって発色が変化する。その哀しみと慰め。
日本列島が乗っている四大プレートは、それぞれどこからどこまで? 地図を広げれば、各地で続く紛争・戦争を思わずにいられない。龍は日本列島の比喩でもあろう。
終盤、私が大好きな合歓の花の一句が登場する。お父さん、お母さん、生きておられた時は反発しましたが、会えなくなった今の方が、私はあなたたちを好きになっていますよという、両親を偲び慕う句、と解釈できよう。しかし誤読を恐れず次のようにも考えたい。
この世では諍いもすれ違いもあったお父さんとお母さん、今ごろ浄土できっとお互いに慈しみ合っていることでしょう。いつの日か、私がそちらへまいりますときには、お二人でお迎えください…いやひょっとして、私が死んだら父母をいまよりもっと好きになるでしょう、という解釈もあり得るだろうか…
ふと、大浜海岸の寂しい砂浜に立ち尽くしている自分に気づいた。ぽつねんとひとり、素裸で。
恩田が天空の書斎と呼ぶ「藁科庵」の北は南アルプス、南は駿河湾。そのほぼ中心部が大浜海岸である。
私が幼い頃、父親は陸上自衛隊 東富士演習場に勤務していた。標高は霊峰富士の三号目あたりだろうか、夏には列をなして斜面を歩く登山客が肉眼で見えた。当時は米軍との合同演習が日常的に実施されていたのか、様々な肌の色の、日本語と全く違う言葉を話す人々をふだんから目にしていた。海の彼方に、親たちが「向こう」と呼ぶ彼らの国があると聞かされて育った。
その後、父の転勤に伴い静岡市に引っ越した私は、小学校一年生の春の遠足で生まれて初めて海に出た。大浜海岸だ。地形的に砂浜に打ち寄せる波即、太平洋。水平線は絵本で見たとおりわずかに弧を描いている。それ以外、何も見えない。この海さえ越えれば「向こう」だと強く思った。
それから何十年も経ったが、私は「向こう」と「こちら」について少しでも知り得ただろうか。何度か「向こう(欧米)」の土を踏みつつも、「この目で観る『向こう』はやはり進んでいる。学ぶことが多いなぁ」という先入観が抜けきらないままだったように思う。
この世に存在する全てのものに、輪郭線はない。国境も文化の壁とやらも、私の思考の内側にあったに過ぎない。いっさいは崩壊し、いま私は素裸だ。
恩田侑布子代表講演「『渾沌の恋人 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き (10/29)」を聴いて
樸会員 前島裕子、島田淳の聴講記
北斎の画中の人になりかわって
十月二十九日。延期になっていた現代俳句講座−『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き−に出かけた。
久しぶりの東京、新幹線、山手線、地下鉄、都電と乗りつぎ、ゆいの森あらかわへ。
そしてそこに足を踏み入れたとたん、驚きです。大きな図書館、こういう所はテレビでは見ていましたが実際に入るのは初めて。一階にホール、二階には吉村昭の文学館、エレベーターで三階につくと目の前に現代俳句センターが。天井までの書架に句集がびっしり、俳誌もたくさんある。あわただしく館内を一まわりして会場へ。
「ゆいの森ホール」が会場です。正面の大スクリーンに今日のタイトルが写し出されていた。いよいよ先生の講演が始まり、進行して北斎の話になると、スクリーンに「富嶽三十六景」より、「青山圓座松」「神奈川沖浪裏」「五百らかん寺さざゐどう」が次々大写しになった。おいおい本物はB4サイズよ、両手に持てて、じっくりながめるのがいいのよ。こんなに大きくして持てないよ。
いや待て、これだけ大きければ舟にも乗れる笠をかぶった坊やの後からついていける、欄干にも立てる。これが入れ子、なりかわり、なのか。一人スクリーンの中に入りこんだような不思議な気持ちになりました。
今でもあの三枚の浮世絵の大写しが、目にうかんできます。
また質疑応答のコーナーでは思わず「是非樸に見学にいらして下さい」とさそいたくなる場面もありました。
講演が終わり、聴講できた興奮と充足感。
そこもだけど、ここをもっと聴きたかったというところもありましたが、講演できいたことをふまえ、再度読み、深めていこうと、思いながら帰路につきました。
ありがとうございました。
(前島裕子)
「第46回現代俳句講座」(主催:現代俳句協会)に参加して
今年8月6日の毎日新聞書評欄で、演劇評論家の渡辺保氏は恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』の書評を、「斬新な日本文化論が現れた」の一文から書き起こしました。そして、著者による名句鑑賞を引いて、「近代の合理的な思考から、日本文化を解放して」「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」と述べています。
今回の講演は、日本人の美意識の源流を辿る壮大な物語のエッセンスでした。
主体と客体が「なりかわる」描写、単一の意味でなく多面的な「入れ子構造」、『華厳経』の蓮華蔵世界さながらのフラクタルな世界観。こうした日本人の美意識を、俳句にとどまらず葛飾北斎の浮世絵、近代詩、万葉集から古代中国の「興」へと自由に往還しながら説き明かしていきます。
「興」に淵源を持つ「季語」によって詠み手と受け手の間に共通のイメージが広がり、「切れ」によってそのイメージを自分の現在ある地点に結び付ける。こうした構造がある事によって、俳句はたった十七音で詩として成立するのだと得心できました。
『渾沌の恋人』は、自宅そばの猪の描写から古代中国の『詩経』へなど、現代から一気に過去の時代に跳んだりする場面が多くあります。最初は戸惑いましたが、こうしたタイムワープが可能なのは、おそらく現代は古代と切り離されたものではないからなのでしょう。古代人の感情が現代のわれわれのそれと大きく隔たってはいないからこそ理解可能なのであり、それを仲立ちするのが「興」にルーツを持つ「季語」なのでしょう。言い換えれば、風土に根ざした共同体の共通認識だからこそ、時代を超えて受け継がれていくのだと。
また、古今の名句を声に出して詠むことの素晴らしさ、大切さも再認識しました。「五七五(七七)定型は、日本語の生理に根ざした快美な音数律」とレジュメにありましたが、実際に古今の名句を耳から聴くことでそれを実感することができました。
階段状のホール最上段でも聴きやすい明瞭な発声、落ち着いた抑揚、「切れ」をきちんと意識し微細な緩急のある速度。五音七音の調べに身を委ねる心地よさは、定型の俳句が紛れもなく十七音の詩であることを身体感覚として理解させてくれました。
講演終了後、冒頭に引用した渡辺保氏の「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」という文章を思い出しながら、夕暮れの町屋駅前に向かったのでした。
(島田 淳)