ひらかれてあり初富士のまそかがみ 恩田侑布子 「あり」の強い断定と切れが、元旦の清涼感、潔ささえ感じさせ気持ちが良い。 富士を見たいがため、極寒の朝大勢が山に登ってくる。 雲一つ無い富士を見る時、何とも形容し難い澄んだ気持ちになる。 まそかがみがひらかれてあると俳人は直観する。 諏訪大社の御神鏡は、「真澄」というらしい。 富士を拝する人々の「真澄」の心と富士の「まそかがみ」が照らし合いますように・・・、 という恩田侑布子の祈りがこの1句には込められている。 「言葉は聖なるものの出来事である」・・ハイデガー 「お前はそれを訊ねるのか。 歌のなかにその精神はそよぐのだ、・・」・・ヘルダーリン まるで、初富士そのものの如く美しいこの1句のそよぎにゆだねる。 そして、「出来事である」の意味がおぼろげに解るのだ。 益田隆久(樸俳句会会員)
「寄稿・転載」カテゴリーアーカイブ
恩田侑布子、樸俳句会への寄稿文掲載するページです。
一句鑑賞 『俳壇』2025年1月号 恩田侑布子「新春巻頭作品七句」より

鶏旦やガラスの天井破わるかゝと 恩田侑布子 新年詠として爽快な一句だ。 昭和の時代に仕事を始めた女性にとって、「ガラスの天井」という言葉は嫌というほど身近だ。平成、令和ときて、その言葉は未だ残っている。男女を問わず、人種、雇用、その他マイノリティと、将来に差別を感じている人のすそ野は広い。社会や組織のそんな圧力に臆することなく、自ら蹴破ってやるという気概。句末の「かゝと」にはっとする。 鶏旦やガラスの天井破わるかゝと 元朝のことを、また鶏旦ともいう。中国由来の季語であろうが、元日の朝に響く鶏鳴の清々しさをも感じさせる。句を声に出してみると「鶏旦」「ガラス」「かゝと」と、重ねられたK音G音が力強い。初日を一身に浴びながら、あとに続く人のためにも理不尽な「ガラスの天井」に風穴をいざ開けん、と踏ん張る姿が浮かぶ。 師に学んで六年目。俳人恩田侑布子は、やっぱり凛々しい。 活洲みな子(樸俳句会会員)
松本美智子様(「炎環」同人)から『はだかむし』の鑑賞文を頂きました

炎環同人の松本美智子様に、恩田侑布子の最新句集『はだかむし』(角川書店、2022年)十五句の鑑賞「天たゆたへる」をお書きいただきました。 掲載をご快諾いただいた松本様に、心より感謝申し上げます。 (樸編集委員一同) ―恩田侑布子句集『はだかむし』十五句鑑賞― 天たゆたへる 松本美智子(炎環同人) Ⅰ 雲を手に 蕾んではひらく空あり夏つばめ 蕾という名詞を動詞化するなど、思ってもみなかった。空を花に見立てて、燕が空を過ぎるたび、青空が花のように開き、いなくなれば、蕾のように空は蕾んで、静かな空に戻る。何とも、スケールの大きな句で、いかにも、巻頭句に相応しい。この句のように、この句集では、想像の翼を羽ばたかせる句、そして、時には、静謐の世界を描き出す、という、作者の気迫が伝わってくる。章段のタイトルも「雲を手に」で呼応して、壮大である。 黒き龍つがへる梁の涼しさよ 天井の梁を黒き龍と見立てる所に作者の生活感覚、あるいは、独特の感性が感じられる。旧家の囲炉裏の火や煙で燻された梁が身近に無ければ、こういう風には思い付かないだろう。幼い時から、朝晩、見慣れていた梁に龍を感じ、そして、その龍が矢をつがえるかのように、我が家の屋根を支えているのが涼しいという感覚。ここには、自分の家が龍に守られている、というゆるぎない安心感がある。それも、仰々しくはなく、自然に感じられるのが、精神的に涼しいのである。現代風の合理一点張りの住宅に住んできた者にとっては、せいぜい、天井の木目の染みを、動物かなにかに想像するばかりである。 水門のかたく鎖ざされ天の川 中七までの景は、時折、見かける実景であるが、季語で、読者に想像する世界を広げた。 目の前の水門が閉じられている景から、天上を仰げば、そこには、茫々たる天の川が広がっている。もしかすると、天の川の水門も閉じられているのかもしれない。水門が閉じられれば、川の水量は溢れて、二人は会えない。それとも、閉じられたことは、二人の世界が出来たことを意味するのか。浅学の私には、これぐらいしか思い付かないが、学識の深さによって、色々な読みができそうである。これが、この句の深さである。 ゆびさきは月のにほひの雛かな 雛の指先に月の匂いを見た所が詩的である。雛の指先はよく、詠まれるが、そこに「月のにほひ」を持ってきた句は初めてで、感心した。こういう、詩的発想は、努力して得られるものではない。先天的才能からもたらされたものだろう。月は実際の月であると同時に、月日も意味して、月日を招く、呼びよせている。過ぎ去った月日を懐かしみ、しみじみ、余韻に浸っている雛は、なんと、人間らしいのだろう。雛のもとは、人間であるなら、当然のことであるかもしれない。 春愁やはんこのやうな象の足 なんとも楽しい句であるが、最初に春愁がきていることが、句全体を効果的にしている。象の足をはんこ、といった句には、初めて御目にかかったが、言われてみれば確かに巨大なはんこに納得である。どんな書類に捺すのかと、考えるだけで楽しくなる。私は、天帝がこの地上に捺すはんこを想像したが。私の気持ちは春愁だが、はんこのような象の足に幾分、心も軽くなる。はんこ、という小さくて効力の絶大なるものが象の足という巨大で重いものである、という矛盾するものとものが同一である不思議が自然に納得させられる。現代的俳味に満ちた句である。 咲きみちて天のたゆたふさくらかな 豪奢な句である。満開の桜の中に居れば、まるで桜の天が揺れているようだ。平安以来、名歌が詠まれてきた桜を、詠むのは、中々難しい。「たゆたふ」と言う古語が、ゆったりとおおどかな爛漫の桜の世界を描き出し、そこに遊ぶ作者の心の豊かさが感じられる。 Ⅱ あめのまなゐ 山茶花や天の眞名井へ散りやまず 「天の眞名井」は、大山の麓、米子市淀江町高井谷に湧出する地下水で、1985年に「名水百選」に選ばれている、名水スポットとあって、実際の地名があることに先ず驚いた。 そういえば、出雲には「黄泉比良坂」という地名もあるから、別に不思議ではないかもしれない。検索するまでは「天の眞名井」は記紀神話に出てくるものだとばかり、思っていた。天照大神と素戔嗚尊がそれぞれの剣と玉を「天の眞名井」の清水ですすいでから、誓約をして神を生む話である。神聖な井戸を指す、最上級の表現である。山茶花という、俗の花が、神聖な神々の井戸に散ってゆく、という聖と俗の取り合わせが個性的である。 たまゆらはうつぶせに寝て花筵 まず「たまゆら」の言葉の美しさに感動する。「たまゆら」は勾玉がふれあってたてるかすかな音で、ここから、ほんのしばらく、一瞬、の意となる。『日葡辞書』には「草などに露の置くさま」とあり、いずれも、ほんの束の間のこと。ほんの一瞬、花筵にまどろんだことだが、仰向けではなく、「うつぶせ」の語によって、勾玉も連想させる。たまゆらは「玉響」の字が当てられ、玉は「魂」に通じるから、魂は、白昼の夢幻の世界に遊ぶ。 Ⅲ 仙薬 歳月やこゝに捺されし守宮の手 ここに住み始めた二十五年前は、ガラス戸にぺたりと張り付いている守宮をよくみかけた。ガラス戸に張り付いた守宮の足は、実に、可愛らしく、あの小さな足で、上ってゆく様をこちら側からじっくり見ることができることは、幸せな気分にしてくれるものだった。そうなのだ。あの窓ガラスには、見え無い夥しい守宮の足跡が、印されていることをこの句は教えてくれた。守宮の足跡が、見え無い判子のように、ガラス窓に置かれている発見が楽しい。守宮は家を守ってくれる、家の守り神なので、嬉しい存在なのだが、今は、家が密集して、守宮の住む環境は無くなってしまったせいか、この頃は、目にすることも無くなり、さびしい。「歳月や」で始まる上五が、私の心境にぴったりである。この家に家族四人で住み、今は独りになった家の歳月が思い出された。 Ⅳ 冨嶽三十六景 不死薬のした垂るしづく富士ざくら 冨士山は、不死の山とも書くから、不死の滴が滴るだろうが、現実的には、冨士の麓の岩屋からの滴りか、それとも、そんな野暮なことに拘らず、冨士の滴りならば、永遠に違いない、という冨士讃歌なのか。永遠なる滴りに対し、冨士の桜であろうとも、それは束の間のこと。「ふし」の語を生かし、桜の現実と、人間の憧れの不死薬を対比させた所に面白さが見られる。 Ⅴ 山繭 たましひの片割ならむ夜の桃 桃は、現在でも魅力的な果物である。古代から、桃には不思議な力が込められている、と考えられていたらしく、記紀神話では、死の国へ行ったイザナギが、死の国の追っ手から逃れるために、桃の実を投げて、この現世に戻る事が出来た話がある。二度とは行けない桃源郷という理想郷もある。桃から生まれて、鬼ヶ島へ鬼退治に行った桃太郎の昔話は、私達にとって、幼い頃からの馴染みがある。あの豊かでまろやかな形は、この世のものではないものを、我々にもたらす、と信じられてきたにちがいない。 西東三鬼は「中年や重く実れる夜の桃」と詠んだが、これにも、この桃の持つ本意が込められている。夜の桃は甘い匂いを放ちながら、熟れて、死へと向かってゆくのである。 こういう従来の本意に対し、「たましひの片割」という考え方は、これまでの本意にあらたな一面を捉えた点から、一歩進んだ見方で、斬新である。たしかに、魂の片割ならば、この世とあの世を結び、異次元の世界へ行くことも可能だろう。桃の形から魂の片割れと、直感した感覚が素晴らしい。 撲つたゝく空に出口のなき花火 花火はぱっと広がり、ぱっと散るものだと思っていたが、空を撲ちたたくものとは、思ってもみなかった。さらに驚いたのは、花火に出口がない、という発想である。花火は夜空に広がってゆくから、無限の空、宇宙へと散ってゆくものとばかり、思い込んでいた。一般的な常識的発想を破って、逆の発想で、花火の有り様を描いた所に作者が現れている。 Ⅶ はだかむし 火囲みひざに子を抱く秋の暮 すぐに思い浮かべたのは、縄文時代、竪穴住居の中で、一家が火を囲みながら、鍋の具材が煮えるのを見守っている光景である。火を囲み、暖をとり、それが灯りでもあり、一家が談笑する場でもある。父親が一家を守ってくれる安心感に、母親は子を抱き乳をやっている。子供達は、早く、煮えないかと、食べるのを待ち構えている。食事が終われば、あとは、温まった住居で眠るだけである。古代の人々の暮らしはもっともシンプルだった。 このもっともシンプルな暮らしの基本は今でも、同じではないだろうか。古代から現代、未来へも続く、幸せな家族の一つの形が描かれている。 引くほどに空繰り出しぬ枯かづら かづらを引けば、意外なものが出てくる、という句はあるが、その伝統的な句材を見事に個性的な句にしている。枯れかづらを引けば引くほど、空が広がってくる、とはなんと、壮大な句だろうか。枯れかづらを引けば、そのかづらが切れると、発想するのが、凡人の発想で、作者はそういう凡人の発想を見事なまでに裏切る。それも繰り出す、というのだから、引けば引くほど、どんどん青空が広がってゆくのである。それを手品のように「繰り出す」と言ったところに、冬空の広さ、力強さが広がって行く。枯れ木に花が咲くように、無限の青空が生み出されてゆくのは、なんと、気持ちのよいことだろうか。 うちよするするがのくにのはだかむし すべて平仮名表現なので、柔らかな印象である。書名「はだかむし」の由来になった句であろう、と思われる。これをもとにして、表紙の老人が選ばれたことだろう、と想像される。あとがきを読んで、作者の暮らしのもととなっている産土の駿河と人間讃歌らしい、と推測される。つくづく、自分の産土を持つ人の豊かさを知らされる。便利な都会暮らしに慣れている人間には、自然の息吹も吐息も聞こえ無いから、神の気配も感じられない。荒ぶる神も出てこない。自然と親しい人だけに、自然は、神は近づいてきてくれる。 -・-・-・-・-・-・--・-・-・-・-・-・- 自然の中での感覚を土台にして、溢れる智が作品になった句集を楽しませていただきましたが、力不足で、理解が及ばない句がありました。ありがとうございました。これからも、目の覚めるような刺激的な句を楽しみにしております。 謝辞 恩田侑布子 鑑賞者の松本美智子さんは、私がこの夏から出講している早稲田オープンカレッジ中野校で出会った優秀な俳人です。ありがたいことに、「昔から恩田侑布子の俳句や評論の愛読者です」と自己紹介してくださいました。突然手渡された「お手紙」を開くと、そこには最新句集の緻密で深い観賞が施されていました。死蔵しておくのは勿体無いので、ご本人に承諾を得て公開させて頂くことにしました。松本美智子様、ありがとうございます。 (2024年11月18日)
「初めての楽しい俳句講座」のレポートが反響を呼んでいます!
大好評を頂いている恩田侑布子の早稲田大学オープンカレッジ「初めての楽しい俳句講座」。
受講生のお一人 川面忠男様(日本経済新聞社社友。静岡高校、早稲田大学で恩田の先輩)が、ご自身のメールブログで本講座のレポートを配信してくださいました。
ブログ読者から「大変勉強になります」「初心者の俳句仲間に読ませたい」等、大きな反響を呼んでいるこのレポートの1〜3回を、以下に転載させていただきます。
川面様、転載をご快諾いただき誠にありがとうございます。
「早大オープンカレッジ」恩田侑布子さんの俳句講座(1)
初めての楽しい俳句講座
早稲田大学オープンカレッジの「初めての楽しい俳句講座」を受講した。毎月第2、第4火曜日で7月から9月にかけて計5回の夏期講座、講師は静岡市の樸俳句会代表の恩田侑布子さんだ。受講して講座名の意味が私なりにわかった。
同講座が開かれるのはJR中央線中野駅から私の足で20分、早大オープンカレッジ中野校。初日の7月11日は1階の教室に定員の20人、講座のオリエンテーションの後、受講生が自己紹介を行ったが、私は受講の目的を次のように述べた。「恩田さんが代表の樸俳句会に出たいが、静岡までは通えないので代わりに俳句講座を受けることにした」。「恩田さんは静岡高校の後輩だが、今日は恩田先生と呼びます」。
講座のオリエンテーションは「俳句ってなあに?」という設問に対する答えから始まった。「間口が広く、奥行の深い文芸です。座の文芸ともいわれ、心の通う句友ができます。互いに良縁を感じ合いましょう」。
「確かに」と思った。10年以上も続いている多摩稲門会のサークル「俳句同好会」はコロナが流行っている頃も句会を開き、座の文芸を続けてきた。作品を通じてメンバーの人柄をはじめ人生までもわかり、良き友、良縁を得たと感謝している。
次が「どんな俳句をつくればいいの?」という設問。これには「人真似ではなく、自分自身の全体重をかけた句がいい俳句です」が答え。人真似の俳句は、言葉が操作できていても心を打たないと言う。俳句は2年、3年やっても上手くなるものではない。苦労して楽しんで作ることを繰り返すことで人生が豊かになる。「自分の足元から湧き上がる俳句」とも恩田さんは表現されたが、そういう俳句を作りたいものだと思った。
「俳句の三福」を挙げた。一つ目は「四季の移ろいや自然のゆたかさに敏感になり、日々の味わいが深まります」、二つ目は「有限の時間を積極的に捉えるようになり、生きる時間が深く耕されます」、三つ目は「俳句を詠み。他者の俳句を味わうことで、共感し支え合い、切れながらつながるいのちのすがたに気づけるようになります」というもの。
夏期講座には初心者もいるだろうと俳句の三宝を挙げた。筆記用具、手帖、歳時記だが、手帖は作句帖の他に愛誦手帖も作るようにと言う。他者の俳句で共感したものを書き止め、随時読むと心の栄養になるというわけだ。
私も俳句を作るようになって10年以上が過ぎた。「初めての楽しい俳句講座」という講座名だが、「初めて」の意味は、初学者のためというだけでなく俳句の講座が初めて楽しく感じられるという意味だと受け止めた。それは俳句がある程度わかったから言えることかもしれない。(2024.7.15)
「早大オープンカレッジ」恩田侑布子さんの俳句講座(2)
俳句の三本柱
早稲田大学オープンカレッジの「初めての楽しい俳句講座」で講師の恩田侑布子さんがレジュメに「俳句の三本柱」を注記した。一つ目は「定型」、二つ目は「季語」、三つ目は「切れ・切れ字」だ。いずれも承知のことだが、受講して自分の俳句の至らぬことに気づかされた。
まず「定型(575)のリズムと韻律(韻文としての調べ・格調・安定感)に親しみましょう」と言う。これは自分としては心がけているつもりだ。
次に季語だが、「日本人の美意識、文化習俗と共感の源。時間と空間の連想の凝縮されたもの」という。俳句の三宝の一つとして俳句歳時記をいくつか挙げたが、とりわけ『カラー図説 日本大歳時記』(講談社)が絵、写真、例句ともいいそうだ。幸い私は持っているが、分厚いため日頃は見ない。恩田さんの話を聞き、句会の兼題を受けて『日本大歳時記』に目を通そうと思った。
そして「切れ・切れ字」については以下の通り述べている。
切ることが「俳意」。切れによって余白が生まれます。名句ほど深い切れをもちます。切れが読めるようになると俳句の鑑賞が深まります。
意味を伝える散文と違い、俳句は切れ・切れ字が響き合うものだという。これは私の場合、まだまだという感じ。地元の「まほら句会」の7月例会でも〈七月に齢重ねて拝む富士〉と投句、先生から上5を〈七月や〉と直すように評された。〈七月や〉で「誕生日が七月とわかる」。それで中7、下5が響き合うのだ。
以上の三本柱の他に「脇の柱」についても初心者の心得を述べた。「字余りの句」、「自由律の句」、「無季の句」だ。いずれについても恩田さんはダメとしない。俳句を作るようになって10年に満たない人は「ゆくゆくの楽しみにとっておきましょう」と言う。
そして字余りの例句として夏目漱石の〈秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ〉を挙げた。下5が6音だ。また久保田万太郎の〈ふりしきる雨となりにけり蛍籠〉は中7が8音になっている。私が同人になっている「天穹俳句会」は上5の字余りは許されるが、中7、下5は通らない。
自由律の句は山頭火の〈鉄鉢の中へも霰〉を挙げたうえで「山頭火は定型をとことん勉強した」と教えた。山頭火は好きな俳人だが、とりわけ〈分け入っても分け入って青い山〉に惹かれた。私は60歳代後半、山歩きを日常にしたせいもあるが、この句は季語がなくても初夏の季節感にあふれている。恩田さんの講義で「そうだったんだ」と今になって得心した。
無季の句は〈はるかな嘶き一本の橅を抱き〉という三橋鷹女の句を挙げた。私も初心者の域を脱する時がくるかもしれないが、無季の句とは無縁であると思っている。(2024.7.16)
「早大オープンカレッジ」恩田侑布子さんの俳句講座(3)
作句は風に吹かれて
早稲田大学オープンカレッジの「初めての楽しい俳句講座」で講師の樸俳句会代表、恩田侑布子さんのオリエンテーションが一段落した後、出席者が自己紹介したが、それを受けて恩田さんが「俳句は風に吹かれて作る」と表現した。受講者の何人かが歩かないので記憶にある風景とか昔を思いだして俳句を作ると発言したことに対するものだ。そして作句の仕方を以下の通り教授した。
5分歩くだけでも腰や膝が痛くなる人がいる。それでも外に出て風に吹かれることが大切だ。なぜか。昨日は気づかなかったことに今日は気づくというのが俳句の醍醐味だからだ。今日の風を受けると生まれ変われるという。
恩田さんは25歳から50歳まで仏教の唯識論を勉強した。その教えによると、私というものはない。人は色眼鏡でモノを見ているに過ぎない。その色眼鏡を少しずつ剥いでゆく。人は永く生きてくると心も頭も常識で凝り固まる。その常識的なものの見方、感じ方から脱却することが作句には大切だ。
講座のレジュメに「実作の勧め。案ずるより産むが易し」という箇所がある。「常識や理屈から心を伸び伸びと解放し、季物に託して、感情を575のリズムに自然に乗せましょう」とある。
俳句は意味を伝達する散文と違い、最短の韻文なので舞踊の要素が加わる。「音声が大事、息遣いで散文では表現しえないものを込め、意味の伝達に止まらない」とか「既成概念で物事を見てしまうと新しみのある俳句ができにくくなる」と言う。どうしたら新しみのある俳句をつくることができるか。「やはり風に吹かれることだ。何かに出会いに行くのだ」というわけだ。そして以下の5点を教えた。
一つ目は「よく見てものと心を通わせる。見るとは見られること、存問は相聞に通じる」というもの。二つ目は「感動の焦点を一つに絞る。俳句という詩へ飛躍するため理屈を消しましょう」、三つ目は「感情を抑制し、ものに即し、ものに託しましょう」言う。
恩田さんは静岡市の安倍川の支流、藁科川を渡った山の奥に住んでいる。山の中に歩きに行き、風景を眺め、鳥の声を聞く。毎日、出会うものが違う。はっと思うことを自分の中で把握するグリップ力が求められるのだ。
そして、切れのある俳句にまとめ上げるのはまったく別の作業だという。出会ったことを詠んでも平板な俳句になってしまう。自問自答し掘り下げていく。何にはっとしたのだろう、はっとしたり心惹かれたりしたことを自分に問いかけ、形象化してゆく。余分なものを省く。詠嘆し酔ってはいけない。
そして多作多捨を勧める。多く作れば、それだけ残してよい俳句が多くなるというわけだ。なるほどと納得した。(2024.7.17)
山根真矢様(「鶴」同人・俳人協会幹事)から、最新の恩田侑布子論を頂きました。
京田辺市在住の俳人(「鶴」同人)山根真矢様から、侑布子俳句に新たな角度から迫ったご高論「恩田侑布子小論 おのれを島とせよ」を頂戴しました。
一句、一句を立ち上げようとするとき、足元の土壌がいかなる体験、背景から成り立っているのか、どこへ向かうのが必然であるのか、あるいは必然に抗う一歩を踏み出すのか。自らの原点の飛翔と回帰は、意識するとしないとに拘らず、作句ひいてはあらゆる創作活動において切り離すことができない大きな課題と言えるのではないでしょうか。
このたびの示唆に富むご寄稿を大変光栄に存じ上げ、山根様に心より御礼申し上げます。
(樸編集委員一同)
恩田侑布子小論 おのれを島とせよ 山根真矢
恩田侑布子の俳句といえば、皆さんはどのようなものを思い浮かべるだろうか。
水澄むや敬語のまゝに老いし恋 侑布子
をとこ捨てし男を恋ふる冬の瀧
草苺ゆびにふれなばくもる恋
起ち上がる雲は密男夏の山
わが恋は天涯を来る瀑布かな
これらのような「恋」を詠んだ句か。あるいは、次のような「死」を詠んだ句か。
小春日の海たれかれの死後の景
水に生れはゝそばの母火に送る
ほとけの母と長いつきあひ小六月
根の国にともにゆかなむ雪ばんば
死んでから好きになる父母合歓の花
「恋」と「死」、両方ともに詩情があり、魅力的なのだという人もいるだろう。
私もそう思う。その二つはコインの裏表のように一体のものだからだ。
侑布子は「偏愛俳人館 第1回 飯田蛇笏 エロスとタナトスの魔境」と題する文章を『俳句』(角川書店)2020年2月号に寄稿している。以下に一部を引用する。
*
◇ 高校時代、蛇笏と出会う
落葉ふんで人道念を全うす 蛇笏
「落葉ふんで」、高校生のわたしは驚いた。とっさに「死屍累々」ということばが浮かんだ。死んでいった人の思いを落葉踏むように受け止めて、人は初めて小さな自分の志を全うする。いのちは自分ひとりのものではない。蛇笏の落葉を踏む足音が聞こえた。
その時、蛇笏が人生の師として立ち上がった。一句で作者を信頼していた。
◇ エロスの豊饒
人間の死は性に由来する。死は有性生殖の必然である。エロスとタナトスは、蛇笏にとっては必ずしも二項対立ではなかった。
つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋
みそか男のうちころされしおぼろかな
薔薇園一夫多妻の場をおもふ
小説家志望だった蛇笏のエロスの句である。蛇笏とて近代的自我に悩み、都会の文学の誘惑と戦い、すんなり自然に随順したわけではなかった。
◇ 冬の名句とタナトス
冬滝のきけば相つぐこだまかな
寒の月白炎曳いて山をいづ
おく霜を照る日しづかに忘れけり
蛇笏は次男の病死、長男三男の戦死に遭った。相次ぐ悲劇にも精神を荒ませず、芸術的心境を磨き上げていった。悲痛を老艶へと反転させたのである。
◇ 生の円環運動
川端康成は「仏界易入 魔界難入」という一休の詞をよく揮毫した。晩年の蛇笏もまた魔界をゆききした。
ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり
春めきてものの果てなる空の色
炎天を槍のごとくに涼気すぐ
荒潮におつる群星なまぐさし
涸れ滝へ人を誘ふ極寒裡
蛇笏が腹のどん底からしぼり出した俳句は言語哲学者、丸山圭三郎のことばを思い出させる。
〈狂人〉と芸術家(および思想家)のいずれもが、意識と身体の深層の最下部にまで降りていって、意味以前の生の欲動とじかに対峙し、この身のうずきに酔いしれる。しかし後者は、たとえその行動と思想が狂気と紙一重であっても、必ずや深層から表層の制度へと立戻り、これをくぐりぬけて再び文化と言葉が発生する現場へと降りていき、さらにその欲動を昇華する〈生の円環運動〉を反復する強靭な精神力を保っている。(『言葉・狂気・エロス』講談社)
蛇笏の句業こそ〈生の円環運動〉といえないだろうか。詩的気魄を貫き、詩魔は終焉までエロスとタナトスのダイナミックな生成を続けた。そして現実には甲斐に根を下ろし、庶民の生活に寄り添ったのである。
*
以上が侑布子の文章を抜粋したものであるが、蛇笏の俳句を読み、再び、侑布子の俳句に立ち戻ってみると、侑布子の俳句もまた「エロスとタナトスのダイナミックな生成」ではないかと思う。
侑布子は2022年、句集『はだかむし』(角川書店)を刊行した。「はだかむし」は、羽や毛のない虫の総称であるが、人間の異称でもある。冒頭で引用した「恋」と「死」の俳句も、この句集に収められている。
私はNHK文化センター京都教室で、「俳句・ふるさと紀行」という講座の講師をしているのだが、今年一月の講座で、この句集を取り上げ、「恋を詠む」「死を詠む」などのテーマに分けて鑑賞し、先の蛇笏論についても紹介した。
改めて、蛇笏とは何か。明治生まれの蛇笏は、ある一面において、家長的な意識を俳句で表現した存在だったと私は思う。明治以来の旧民法の家制度は、子を残して死ぬためのものだった。エロスはギリシャ神話の愛の神、タナトスは死の神。家にはエロスとタナトスが存在していると多くの人が信じていた。
しかしながら、侑布子の俳句は、蛇笏の「エロスとタナトスのダイナミックな生成」とは趣を異にした、現代的で独自のものである。
以下、侑布子の俳句について、管見を述べたい。
起ち上がる雲は密男夏の山 侑布子
蛇笏が〈みそか男のうちころされしおぼろかな〉と詠んだ密男だが、この密男は入道雲となり、山の上から家の主を見下ろす。エロスは家の内に収まらず、時に家を脅かす。
わが恋は天涯を来る瀑布かな
百人一首の崇徳院の歌〈瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ〉や、陽成院の〈筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる〉などと比べても、「天涯を来る瀑布」の迫力は、古来の「恋」と全く違うものである。
死んでから好きになる父母合歓の花
エロスという言葉を広辞苑で引くと、「愛の神」という一番目の意味に次いで、二番目に「愛。欠けたものへの渇望がその本質云々」と書かれている。欠けていたことを表白するのも、家制度の埒外の行為であると思う。
のど笛のうす〳〵とあり近松忌
近松門左衛門は江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の作者。代表作の「曽根崎心中」では「この世の名残 夜も名残 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜」とお初と徳兵衛が手を取り合う道行の場面に、観客も涙を誘われた。道ならぬ恋、喉を掻き切って死ぬ覚悟ができるほどの恋とは、いかなるものか。そんなことを思いながら、恋しい人の喉を眺めている句である。近松忌は陰歴十一月二十二日。いよいよ寒くなってくるころおいである。
天皇に人権のなし秋の暮
「枕草子」や「三夕の歌」以来、秋の代表的な季語である「秋の暮」と、「天皇に人権のなし」というフレーズを取り合わせた俳句である。日本国憲法は国民の基本的人権を保障しているが、天皇はその例外で保障されていないとされている。天皇に人権のないことは、昔も、今も、日本の伝統なのか。かつて天皇は国の家長とされた。今も天皇家は、日本を代表する家であるといえるだろう。
霜ふらばふれ一休の忌なりけり
室町時代の僧で後小松天皇の落胤と伝わる一休の歌に〈有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け〉がある。歌意は「この世からあの世までの旅の途上で私はひとやすみしている。雨も好きなだけ降れ、風も好きなだけ吹け、自分は気にしない」というものである。森女と暮らし、男色もという伝説のある一休の忌日は、近松忌の一日前、陰暦十一月二十一日。仮の宿に霜がふる。
青嵐おのれを島とせよと釈迦
釈迦に「自らを島とし、自らを頼りとせよ」という言葉がある。私はこの俳句を読んで、大海の孤島が頭の中にパッと浮かんだ。島が人間の化身のようで、青嵐の木々が眩しい。
昭和二十二年の民法改正で、家制度が無くなっても、家は存在し、家の内にいたい人もいる。その一方で家から離れたい人もいる。
家とは関わりなく、自恃の心をもって、エロスとタナトスに向き合う。明るい青嵐の島の景色が、侑布子俳句の現在地なのではないかと思う。 (文中敬称略)
(2024年7月17日拝受)
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山根 真矢(やまね まや)
昭和42年、京都生まれ。平成9年「鶴」入会、星野麥丘人、鈴木しげをに師事。
平成12年「鶴」同人。同年、第15回俳句研究賞を受賞。俳人協会会員。句集『折紙』。京都府京田辺市在住。
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東京吟行会のレポートが届きました!
6月8日(土)に開催された樸の吟行会にゲスト参加された川面忠男様(日本経済新聞社友)が、ご自身のブログで3回にわたって当日の様子をレポートしてくださいました。
転載をご快諾いただいた川面様に厚く御礼申し上げます。
樸俳句会の東京吟行(上)
浅草神社の万太郎句碑
静岡市の樸(あらき)俳句会の吟行句会に参加した。5月8日の土曜日、東京の浅草神社にある久保田万太郎の句碑の前に集合という案内をいただいたからだ。浅草界隈だけでなくクルーズ船で隅田川を下り、浜離宮恩賜庭園を吟行、同園の芳梅亭で句会という段取りだった。
多摩市に住む私は地下鉄の都営浅草線・浅草駅で降りると雷門方面へ足を向けた。地上に出ると、人の多さに目を見張った。仲見世通りは人波で埋まり遅々として進まないとわかり、脇の道を通って浅草寺へ。脇道も人が多い。外国人が目立った。欧米系の人だけでなく東洋人も少なくない。言葉の違いでわかる。
浅草神社は浅草寺に向かって右隣にある。境内に入ると、人だかりがしている。日光・鬼怒川にある「日光さる軍団」の若い女性の猿回しが子猿に芸をさせていたのだ。子猿は竹馬に乗ったり台の上で逆立ちしたり芸達者だ。猿回しは新年、竹馬は冬の季語。句会までに夏の季語で猿の芸の一句を作ろうと思った。
集合時間の午前11時前、万太郎の句碑の近くへ。写真でお顔を知っている金森文孝さんに挨拶した。樸俳句会では三夢という雅号、静岡高校の後輩だ。朝早く静岡の家を出たという。静岡高校3年時の同級生、岸裕之君も樸俳句会のメンバーで顔を会わせた。昨年秋、静岡で開かれた同期会以来の再会だ。
樸俳句会の参加者は15人、ビジターの私を加えて16人だ。代表の恩田侑布子さんが現れ、万太郎の句碑の前に立った(右写真)。句碑には「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」と刻まれている。
この句について恩田さんは編著者となった岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』で以下のように解説している。
冬虹のようなグラデーションが一句から立ちゆらぎます。あるときは竹馬に乗ってはしゃいでいた子どもらが、冬の日暮れに帰ってゆくところ。あるときは竹馬の友が浮かび、どうしているだろうと懐旧にさそわれます。作者の愛してやまない「たけくらべ」の美登利たちの下駄音まで聴こえそう。小学一年の「かきかた」教本には、いろはにほへとが散らばっていました。(中略)こんこんとイメージが湧くのは、やつしの美に貫かれているからです。「竹馬」にやつされたもろもろが、ゆらぐ虹を架けます。(後略) 集合後、恩田さんが私を静岡高校の先輩として参加者たちに紹介してくれた。おかげで私も樸俳句会のメンバーという気分になった。(2024.6.11)
樸俳句会の東京吟行(中)
浜離宮恩賜庭園内の句会
静岡市の樸(あらき)俳句会の吟行句会は参加者が浅草神社の久保田万太郎の句碑の前に集合後、クルーズ船で隅田川を下り、浜離宮恩賜庭園の船着場から園内に入った。時刻は12時20分頃、園内をしばらく散策して午後1時に句会の会場となる芳梅亭へ。昼の弁当を食べた後、1時半までに5句を投句した。
投句を受け付けたのは古田秀さん、後で年齢を訊いたら34歳だった。持参のパソコンに入力し、その場で16人の投句を合わせて74句をプリントした。選句は特選1句と並選2句。先生の恩田さんは3クラスに分けて25句ほど選んだが、拙句は会員の互選、恩田さんの選に1句も入らなかった。
〈異国客の込み合う通り夏衣〉は、外国人観光客の多い浅草だが、和服の日本人も目立った。世相を描いた句だが、変哲のないのが欠点だろう。
〈浅草の暑さ忘るる猿の芸〉は、日光さる軍団の出張芸を見ての句だ。浅草神社の境内で若い女性の猿回しの太鼓と掛け声に応じて子猿が逆立ち(右写真)などの芸を見せていた。当日は暑かったが、それを忘れさせてくれる一時だ。
〈観音の施無畏の癒し傘雨の忌〉だが、「傘雨の忌」は久保田万太郎の忌日。万太郎は妻が自殺したり息子が戦死したり苦難の人生だった。浅草寺本堂には「施無畏」という扁額がかけられている。どんな悩み、不安、恐怖でも観音が救うという意味だ。万太郎の句碑の前に集合と聞き、万太郎の人生を思い掲句を作った。
〈夏の空スカイツリーの突く勢い〉は、「夏の空」という季語が動くのが欠点だろう。春でも秋でもいいわけだ。
〈遊船やスカイツリーの見え隠れ〉は隅田川のグルーズ船に乗って見たスカイツリーの景だ(左写真)。橋の下を通る時、スカイツリーは全く見えなくなる。それは何度も繰り返された。
選句で私が特選としたのは、金森三夢さんの〈立葵スカイツリーと背くらべ〉。立葵は人の背よりも高くなるが、スカイツリーと背比べしては勝てるわけがない。それがおもしろいが、さらに立葵が擬人化されていると読めば、とても勝てっこない人に挑戦してみようという心意気のある句になる。同じスカイツリーを句材にしても拙句より格段上の句と思った。(2024.6.12)
樸俳句会の東京吟行(下)
懇親会の雑感
樸俳句会の句会が6月8日午後4時に終わると、浜離宮恩賜庭園からJR新橋駅近くの店に場所を変えて5時から懇親会となった。酒を飲みながらテーブルが同じになったメンバーと語り合い様々な雑感を抱いた。
まず岸裕之君と隣り合って座り感慨を覚えた。岸君は静岡高校3年時の同級生。東北大学に進み、一級建築士になって静岡市で岸裕之設計工房を営んでいる。同期会で顔を会わせる程度の仲だったが、いつしか毎日の拙文をメールで送るようになっていた。その後、樸俳句会のメンバーとわかった。6月8日の吟行句会には静岡市から来て句会でも隣に座った。お互い83歳、少なからずの友人が亡くなったり疎遠になったりしているが、岸君と今になって親しくなり人生はわからないものだと思った。
代表の恩田侑布子さんが参加者の中で最高年齢の岸君か私に乾杯の発声役をやるように求めた。岸君は渋った。私はビジターだからと遠慮したが、その代わり当日の句会で最高点を得た方がいいのではないかとアイデアを出した。
最高得点者は、小松浩さんで樸俳句会の編集長。毎日新聞の記者だったと紹介された。小松さんは私が勤めた日本経済新聞にも友人がいると名前を挙げたが、かなり若くて私の記憶になかった。小松さんは話を短くして乾杯の発声をした。
樸俳句会は比較的若い人が多いのではないか。ヤングの男性に年齢を訊くと、1人は31歳、もう1人は34歳と答えた。私と同じテーブルには岸君の他に3人の女性がいたが、うち2人は静岡高校で20年も後輩だ。吟行と句会には仕事の都合で参加できなかった男性が懇親会には遅れて参加し隣のテーブルに座った。彼は彼女たちの同期生、つまり私より20歳若い。
樸俳句会の句会に出て拙句が一句も選ばれなかったのは、老人俳句になっているせいかもしれない。詩嚢が枯渇と嘆く高齢者が少なくないが、もともと詩情に欠ける私はなおさらだ。
かつて高名な女流俳人の黒田杏子さん(故人)が拙句を添削し、「あなたには俳句をやめることをお勧めします」と添え書きした。むろん今に至るまで続けている次第だが、これでいいと思っているわけではない。
恩田侑布子さんが7月から早稲田エクステンションセンター中野校で「初めての楽しい俳句講座」の講師となる。私も受講する。70歳を過ぎて地元の多摩市社会福祉協議会が65歳以上の高齢者を対象に俳句入門講座を設けた際、受講して当時の講師が先生になっている「まほら会」に入会した。その後、他の結社にも入り句会は現在、月に6回だが、俳句は上手くなっていないと自覚している。樸俳句会で刺激を受け、恩田さんの講座を受ければ、何か前進できるのではないか。学び直しができて良いとも感じた懇親会だった。(2024.6.13)
6月16日 句会報告
2024年6月16日 樸句会報 【第141号】
六月は八日に東京吟行(浅草~隅田川~浜離宮)、十六日にZOOM句会。吟行はゲスト二名も加わって大変賑やかで楽しい催しとなったものの、残念ながら入選句なしという結果に。十六日は吟行から日数のない中、入選四句、原石賞一句が選ばれました。兼題は「鮎」そして「蛍」。吟行で着想を得たと思われる句も散見され、バラエティに富んだ五十八句が集まりました。
○ 入選
鮎天や上司の語りほろ苦く
中山湖望子
【恩田侑布子評】
稚鮎は塩焼きにできないので天ぷらにする。頭も腸も丸ごと食されて美味。はらわたのほろ苦い美味さが、乙な小料理屋での少し気のはる上司との会話を想像させる。上司みずからが体験してきた、宮仕えの気苦労や失敗譚が、婉曲表現で作者への諌めに重なってくる。その微妙な上下関係の人間の立場と感情が「鮎天や」の季語と切れによって無理なく表現されている。
○ 入選
節くれた祖父の手に入る夕螢
見原万智子
【恩田侑布子評】
手中の螢をうたった句としては山口誓子の「螢獲て少年の指みどりなり」が名高い。「みどりなり」とうたわれた少年の六十年後のような俳句。「節くれた」の措辞に血が通って温か。誓子は「獲て」で、主体的。こちらは「手に入る」と受身なのも、老いた心の柔らかさが自然に感じられる。まだ更け切っていない夕べの螢のやさしい手触りが伝わってくる。
○ 入選
万緑や大社造は屋根の反り
林彰
【恩田侑布子評】
大社造といえば、出雲大社が名高いが、国宝で日本最古のそれは、松江市街から緑濃い南に入った神魂(かもす)神社である。鳥居から本殿に至る擦り減った石段の鄙びた感じがじつにいい。山ふところに包まれて鎮座する切妻屋根の裾の抑制されたアウトカーブが奥ゆかしい。掲句によって、一人尋ねた昔日の光景の中へ、たちどころに招じこまれた。神奈備山と神籬(ひもろぎ)の織りなす万緑は、栩葺のやわらかく荘厳な屋根の「反り」と相まって、イザナミノミコトの神話時代へと想いを誘う。古建築と日本の風土への堂々たる讃歌。
○ 入選
大皿をすべりて鮎のかさならず
長倉尚世
【恩田侑布子評】
鮎の月光色の薄皮がカリッと炭火に香ばしく焼かれ、大皿に供されたのであろう。この皿は清流を連想させる青磁かもしれない。「すべりて」で、鮎の軽やかさが、「かさならず」で、その姿の美しさが際立った。大皿と鮎のみを漢字表記としたことで、清らかな川のほとりの涼風が吹きかよってくる。
【原石賞】応答なき骨董店の夏暖簾
長倉尚世
【恩田侑布子評・添削】
「ごめんください」。さっきから奥へ向かって何度か声をかけている。が、ちっとも返事のない骨董店の「夏暖簾」が印象的。店主が席を外すのだから、そうそう高価な時代物は並んでいなかろう。かといって、ただの我楽多屋でもない。染付の小皿や、澄泥硯が朱漆の函に収まっていたり。小味の利いた品々が、麻の暖簾の陰に微睡んでいそう。「応答なき」は宇宙船のようで遠すぎる。「応(いらへ)なき」が静かで涼しい。
【添削例】応なき骨董店の夏暖簾
【後記】
今月の兼題「蛍」は、夏を代表する人気季語の一つではないでしょうか。有名句の多い難敵とも言えます。作句前、自分の愛誦句帖を見直して深々と嘆息。これは素敵、心に届くと思って書き付けた蛍の句の多くが、現在の私には陳腐でありふれた十七音に見えるのです。句作を始めて僅か一年ほど、ものの見方感じ方はこれほど短期間に劇的な変化を遂げるのかと苦笑いするしかありません。自分は何を求めて、どんな十七音を表現したいと望んでいるのか。躓きながらの試行錯誤は、まだまだ続きそうです。
(成松聡美)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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6月8日(土)の吟行会にゲスト参加された川面忠男様が、ご自身のブログで当日の様子をレポートしてくださいました。
ぜひご覧ください↓東京吟行会のレポートが届きました!
新刊紹介
『ゆれるマナー』 恩田侑布子他
中央公論新社 2024年3月18日刊
読売新聞・文化欄に掲載(2019〜23年)された恩田侑布子ほか「現代の賢者」9名のエッセイが、1冊の本になりました。
どこから読んでも面白いエッセイ100篇が、ぎゅっと詰まっています。
『ゆれるマナー』中央公論新社 3月18日刊行 税込1760円
著者:青山七恵/戌井昭人/小川糸/温又柔/恩田侑布子/白岩玄/服部文祥/松家仁之/宮内悠介(五十音順)
オープンワールドで見つけた作法、骨法、処方箋
この本にはまえがきもあとがきも無い。ではどのあたりに留意して読めばよいのであろうか?
出版元の新刊紹介に「浮き世をサバイブしてきた賢者9名」によるマナーのエッセイ100篇とある。
賢者とくればテレビゲームと連想した私は、プレーヤーの移動制限がない“オープンワールド“と呼ばれるゲームのように、この本はどのエッセイから読んでもいい、と思うことにした。
ランダムにパラパラパラ…どれもこれも面白い。止まらない。だが、まだ読んでいないのはどれなのか探しづらくなってきた。
ならば、と普通に最初から読み出すと、これまた止まらない。さっきまでのオープンワールド的な読み方とは異なる趣があり、章ごとに新たな知恵を授けられる感じ。
ひとことで言うと100篇はどれも上品である。育ちがいいとはこういう人たちを指すのだろう。
「それ私も同じことやってる」と我が意を得たマナーあり、思わず声に出して笑ってしまったマナーあり。
確かに現代をサバイブするマナー、というより極意、いや処方箋のように思えてくる。しかも楽しみ方を増やし生きづらさというヤツを極小化してしまう処方箋。そこが素敵だ。
では、恩田侑布子のエッセイをゆっくり味わおう。
大さじ一杯で酔っ払う話、追突事故に遭った話、と街なかのモノやコトも出てくるが、どの「マナー」にも、日々、野山や川辺を歩き小さないのちのほとばしりから感得した広大無辺な宇宙の営みのゆらぎを、ことばとして紡ぎ続けている恩田ならではの清々しいオチがついている。そしてちょっぴり置き去りにされたような、ここから先は自分で見つけてねと言われているような、見事な余白がある。マナー=作法というより(俳句の)骨法がエッセイにも通底している。
初出は読売新聞・水曜日夕刊「たしなみ」欄掲載(2019年4月2日〜20年4月7日)。毎回、誌面の真ん中に配置されていた山本容子さんの美しい銅版画をおぼろげに懐かしみつつ、こうして本棚に収まるようになっていつでも手に取れるのはいいなぁ、としみじみする。
そのうち私も9人の賢者のように品のいいモノ・コトの見方・処し方ができるようになって、ひとつくらい「〇〇のマナー」というエッセイが書けるかもしれない。
おっと、こんな大それた妄想はマナー違反か。しかし、久々に並の自己肯定感を抱いて眠れそうとか、ほどよく気持ちが”ゆれる”のは、「まえがきもあとがきもないマナー」からそれほど逸脱していないはず、と思うことにする。
(樸編集委員 見原万智子)




