「寄稿・転載」カテゴリーアーカイブ

恩田侑布子、樸俳句会への寄稿文掲載するページです。

2023 樸・珠玉作品集

誰も隠しもつ冬麗のふくらはぎ

2023 樸・珠玉作品集 (五十音順)     いつぽんの草木  俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。  「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。  樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日)        天野智美   花朧坂の上なる目の薬師   べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな   秋の苔弱き光をこはさぬやう 《二年ぶりに樸に復帰して》    好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。     猪狩みき   しめ縄の低き鳥居に春の風   卯波立つ廃炉作業の発電所   楡新樹望みを抱くといふ勇気 《興味のありか》    植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。        活洲みな子   父母は茅花流しの向かう岸   読み耽る昭和日本史虫の闇   枇杷の花いつか一人となる家族 《旅と私》    私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。  それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。        海野二美   在の春すする十割そば固め   お薬師様見下ろす村に花吹雪   長旅の蝶の夢かや藤袴 《強さとは・・》    皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。      金森三夢   鑑真の翳む眼や冬の海   枯れ尾花わたしのことといふ佳人   ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる 《出戻り致します》    「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。  八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。     岸裕之   五月雨の垂直に落つ摩天楼   碌山の≪女≫漆黒新樹光   病葉の猩々みだれ舞ふ水面 《今思ふこと》    私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。    小松 浩   酢もづくの小鉢に海の遠さかな   銀漢や調律終へし小ホール   警笛に長き尾ひれや熊渡る 《大リーグボール養成ギブス》    入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。  心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。      坂井則之   家継げり障子洗ひも知らぬまま   二親の去りし我が家に帰省せり   あし鍛ふいま一度富士登らんと 《初心者の苦弁》    2023年春から参加させていただきました。  その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。 (私は先生の高校の4年後輩に当たります)  今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。  いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり)    佐藤錦子   蜜月も悲嘆も誰も往く銀河   秋うらら桂花の菓子を頬張れば   疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 《旅の途中》    歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。  句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。  歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。  樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。    島田 淳   花南天兄にないしょの素甘かな   引越の最後に包む布団かな   菜の花の果てを見つけて人心地 《鑑賞という名の対話》    恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。 愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。  それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。 最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。  「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。  二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。  最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。  これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。  私が定年を迎えるのは、来年の夏である。         芹沢雄太郎   春の鳥五体投地の背に肩に   磔の案山子の頭ココナッツ   道迷ふたびあらはるるうさぎかな  《インドのひかり/日本のひかり》    インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。      田中泥炭   人類に忘却の銅羅水海月   耳鳴のいつでも聴けて稲の花   隠沼にあすを誘ふ栗の花 《実戦の年に》    普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい      都築しづ子   切り貼りは手鞠のかたち障子貼る   初夏やタンクトップにビーズ植う   牡蠣フライ妻と一男一女居て   《師の事 樸句会の事》    いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。  そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。  この文を記しているうちになんだか元気になってきた!    中山湖望子   鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す   夏の月うさぎも湖上走りけり   仏壇に手合わす子らや柏餅 《俳句〜日本という方法の神髄》    俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。  観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。       成松聡美   柚子青し手帳今日より新しく   きれぎれに防災無線山眠る   鍋焼吹く映画の話そつちのけ   《初心者を楽しむ》    句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。    林彰      最高裁「諫早湾開門せず」      海苔炙る有明海を解き放て   沢登り桃源郷あり幣辛夷   深く吸ひゆっくりと吐く去年今年      古田秀   シャンデリア真下の席の余寒かな   うぐひすや渦を幾重に木魚の目   テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬 《融》    冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。        前島裕子   菜の花や家々ささふ野面積   スマホすべる付爪のゆび薄暑光           岡部町、大龍勢        先駆けの子らの口上天高し 《外にとびだそう》    私の干支、卯年も残すところわずか。  少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。  Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。  コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。    益田隆久   露の玉点字の句碑に目をとづる   空蝉はゆびきり拳万の記憶   冬ごもり硯にとかす鐘のおと 《村越化石さんの原稿用紙》    藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。  既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。    見原万智子   フライパン買はむ極暑の誕生日   形見分くすつからかんの菊日和   星なき夜熊よりも身を寄せ合はす 《穴があったら入りたい》    涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。  しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔?   穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。      上村正明   もづく酢や昭和を生きて老い未だ   紙兜脱ぎて休戦柏餅        手術宣告        長々と俎上にのせん生身魂      上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。  これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。       (樸代表 恩田侑布子)         後記  樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。  俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。                           (小松)  

「円錐」澤好摩様追悼文 琅玕の人 恩田侑布子

澤好摩様追悼文

  追悼 澤好摩さん 生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んで 追悼の意を献げます。     恩田侑布子  澤さんとの最後の歓談は昨秋の田端であった。春に上梓した拙著『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』から、名句そぞろ歩きの講演にお運びいただき、二次会もご一緒してくださった。切子グラスに冷酒をきこし召す姿は静かな安心感に満ちておられた。  最後のお電話は六月二四日。不思議なことに、いつにも増して長い時間、腹蔵なく俳句を語り合った。まさか半月後には、もうこの世の人ではなくなるなどと誰が想像できただろう。闊達で明るいお声が今も耳元に聞こえる。   俳人と交流の乏しい私が、俳壇人にへこまされたとき、弱音をこぼして頼りにさせてもらうのが澤さんだった。いつもピシッと澤さんは正論を吐く。いくじなしはたちまち元気づけられたものだ。その最初を思えば一九九六年。攝津幸彦さんに急逝されたときであった。 「これからなのに、まさか夢にも思いませんでした。攝津さんに代わる人はいません。どんなに努力したってあんな俳句、一句も書けやしません。無力感が酷くて」 「攝津は攝津です。そこまで落ち込まなくたっていい。いいものを持っているのだから大丈夫、これからも頑張って書いていけばいいだけですよ」  兄でも先生でもなく同人誌も別なのに心底励まされた。  またある時は遠望し尊敬していた俳壇の某氏が、 「清らかなんてのはだめ。清濁併せ飲むことができないようじゃ、大した人間ではない」と壇上で話されたのに痛くショックを受け、澤さんはどう思うか電話でお訊きした。 「そんな奴の書く俳句こそダメだ。お前はずっと濁り水を飲んでいろと言ってやれ」  キッパリと青天の答えが返ってきた。  攝津さんのことを「会った日に負けたと思った。その日から弟分になった」とよく言っていた長岡裕一郎は、澤さんのことは「高柳重信の懐刀。すごい人だよ」と誇らしげに紹介してくれた。攝津幸彦、澤好摩、長岡裕一郎の三俳人は、わたしの胸の中で銀色のトライアングルとなって澄んだ音楽を響きかわす。その三人がなんと揃って高柳重信個人撰による「俳句研究」第一回五十句競作で第一席だったとは驚かされる。重信の名伯楽ぶりを証明する逸話だ。  「円錐」の表紙を長岡さんが毎号薔薇の絵で飾っていた頃はことに懐かしい。同人の句評に粒立つ温もりが弾けていた。山田耕司、今泉康弘の論客を育てた功績も大きい。 茅屋も毎月寄贈本誌の波に、たちまち畳が埋まってしまう。が、「円錐」は捨てられない。創刊号から書架の最上段で存在感を放つ。「検証昭和俳句史ⅠⅡ」「昭和の俳人」など、澤さんは闇夜に真珠の言葉を吐き続けた。  (※俳句の)レベルの差を厳密に問うというしんどさを内に持たぬそれ(※批評)が、しばしば目につきます。(中略)〈読み〉を伴走させつつ時代を判定していく力、そう言うものの不在こそが、一層、今日を「混沌と停滞」そのものとして印象づけているのではないかーと。 (「円錐」創刊号1991・5※恩田注)  (※俳句の)無意味性とは、無意味だから逆に気になる、忘れ難いというかたちで、日常的、社会的な価値規範に捕らわれた我々の存在そのものに照り返してくる原初的、根源的な感情のことである。       (「円錐」第22号2004・7)  無季俳句は、季題・季語が果たす役割を、何か別のものを以て保証しなければならない。(「円錐」第47号2010・冬)  現代俳句史、昭和三八年以降の生き証人であった澤好摩は重信から俳句を「書き」つつ「見る」鋭意を受け継いだ。さらに俳句の言葉を澄み切った小刀で「彫る」人となり、「照らす」人となっていった。重信の多行形式による飛躍のある造型世界を澤好摩はストイックな一行句に収斂した。底にあるのは名聞利養に曇ることのない透徹した眼だった。  ものかげの永き授乳や日本海  崖の上にひねもす箒の音すなり  日とどかぬ雪庇の内の幼戀  蘆刈ると天が重荷となるかなあ  夏深し釣られて空を飛ぶ魚  「円錐」七月号の一句は天の授けた辞世であろうか。  椿落つ月夜の汀に浮くために   春と秋を一首に畳み込んだ古歌が自ずと浮かんでくる。  月やあらぬ春やむかしの春ならぬ            わが身ひとつはもとの身にして  見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮  業平は春、定家は秋に着地した。まるで己がふるさとはそこにあるとでもいうかのように。好摩は春の夜に揺蕩いつつ、春秋を超えた未踏の汀に朱を灯そうとする。琅玕の人の落椿は永遠に着地を拒み続けるかのようだ。

波の向こうへ

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波の向こうへ 見原万智子  恩田侑布子の第五句集『はだかむし』は、できれば一気に三七一句を読みたい句集である。  処女句集『イワンの馬鹿の恋』と出会ったころ、知人たちを前に恩田の俳句世界を「ひと言で表すなら万華鏡」と話したのを思い出す。  当時の私にとって恩田は桜よりも牡丹に近い紅色のひと。そう、「接吻はわたつみの黙夕牡丹」の牡丹だ。「うしろより抱くいつぽんの瀧なるを」の瀧の轟々たる白と背景に広がる群青の闇は、牡丹の紅と鮮やかにコントラストをなし交わることがない。水に溶けない顔料で描いた日本画のような。一句の中に異世界と現実が、骸と赤子が、死と官能が混在し、さらに句集全体でひとつの恋愛小説のような印象を残す。  それを万華鏡と言えば言えるかもしれないが、いま思えば万華鏡は外から「内側」を覗くものであった。  『はだかむし』もまた、異世界と現実を自在に往還する作品集であることは間違いない。しかし『イワンの馬鹿の恋』から感じたコントラストは抑制されている。というより、この世に存在する全てのものに輪郭線はありませんと言われたような、まるで朦朧体の絵のような。  朦朧体と言っても、色彩が失われたわけではない。頁をめくるうちに、初めて透明水彩絵具を水に溶いた時の感激が蘇ってきた。あとから塗った色の下に、さきに塗った色が透けて見えている。何て綺麗なのだろう。  輪郭がぼんやりにじんでいるこの感じ、見覚えがある。そうだ、『はだかむし』をひと言で表すなら、回り燈籠だ。  ところがこの回り燈籠は、夜店のそぞろ歩きのついでに「外」から眺めるような、なまやさしい代物ではない。私自身が巨大な回り燈籠の「内側」にいて、次々に現れる幻像にからだごと持ち去られていく。いつの間にか五大陸がひとつに繋がっていた原初の地球へ。かと思えばいきなり、硝煙のきつい匂いが鼻を突く強者どもが夢のあと先へ。  NHKの科学番組で、「文字というものは『あ』を『あ』と読むように、一対一対応であり、確実に正解、不正解がある」という説が紹介された。文字を組み合わせてできる単語も基本的には同じだろう。「りんご」は「りんご」と読み、みかんを指してはいない、と我々は理解している。  『はだかむし』の作品はそのような説をたやすく飛び越えてしまう。理解していると思っていたものは単なる決めごとに過ぎなかったと思い知る。どの句にも隠された仕掛けがある。いや何もないかもしれない。幻惑の異空間にからめ取られる。これはもう文字のゲシュタルト崩壊どころではなく、私の思考言語の崩壊である。その崩壊を、喜べ。楽しめ。これはそういう句集だと思う。だからこそ、一気に読んでほしい。 そゝり立つ北斎の波去年今年   『枕草子』「森はこがらし」の辺に骨を埋めんと   木枯森こがらしのもりへ石ころ無尽蔵 口紅をさして迎火焚きにゆく 鬩ぎあふ四大プレート龍天に 死んでから好きになる父母合歓の花  昨年刊行された『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』で恩田が明らかにした、俳句における「時空の入れ子構造」が、『神奈川沖浪裏』へのオマージュにも見られる。地獄へ真っ逆さまになりそうな三艘の小舟と極楽浄土の象徴である遠景の富士を、大波が隔てている。寿ぎは呪言とも書くから、新年の季語「去年今年」は、そそり立つ大波と相似形をなすに違いない。大波の手前に描かれているもうひとつの波が富士と相似形をなすように。    安倍川の支流 藁科川上流の中洲にある木枯の森。その中に小さな神社が佇む。幼い日、うっかり田んぼ脇の石ころを踏んだら「だめだめ、それはご先祖様の墓石だから」と親戚に叱られたのを思い出す。  亡き人のためにさす口紅。きっとベニバナで作られていて、唇のぬくもりによって発色が変化する。その哀しみと慰め。  日本列島が乗っている四大プレートは、それぞれどこからどこまで? 地図を広げれば、各地で続く紛争・戦争を思わずにいられない。龍は日本列島の比喩でもあろう。  終盤、私が大好きな合歓の花の一句が登場する。お父さん、お母さん、生きておられた時は反発しましたが、会えなくなった今の方が、私はあなたたちを好きになっていますよという、両親を偲び慕う句、と解釈できよう。しかし誤読を恐れず次のようにも考えたい。  この世では諍いもすれ違いもあったお父さんとお母さん、今ごろ浄土できっとお互いに慈しみ合っていることでしょう。いつの日か、私がそちらへまいりますときには、お二人でお迎えください…いやひょっとして、私が死んだら父母をいまよりもっと好きになるでしょう、という解釈もあり得るだろうか…  ふと、大浜海岸の寂しい砂浜に立ち尽くしている自分に気づいた。ぽつねんとひとり、素裸で。  恩田が天空の書斎と呼ぶ「藁科庵」の北は南アルプス、南は駿河湾。そのほぼ中心部が大浜海岸である。  私が幼い頃、父親は陸上自衛隊 東富士演習場に勤務していた。標高は霊峰富士の三号目あたりだろうか、夏には列をなして斜面を歩く登山客が肉眼で見えた。当時は米軍との合同演習が日常的に実施されていたのか、様々な肌の色の、日本語と全く違う言葉を話す人々をふだんから目にしていた。海の彼方に、親たちが「向こう」と呼ぶ彼らの国があると聞かされて育った。  その後、父の転勤に伴い静岡市に引っ越した私は、小学校一年生の春の遠足で生まれて初めて海に出た。大浜海岸だ。地形的に砂浜に打ち寄せる波即、太平洋。水平線は絵本で見たとおりわずかに弧を描いている。それ以外、何も見えない。この海さえ越えれば「向こう」だと強く思った。  それから何十年も経ったが、私は「向こう」と「こちら」について少しでも知り得ただろうか。何度か「向こう(欧米)」の土を踏みつつも、「この目で観る『向こう』はやはり進んでいる。学ぶことが多いなぁ」という先入観が抜けきらないままだったように思う。  この世に存在する全てのものに、輪郭線はない。国境も文化の壁とやらも、私の思考の内側にあったに過ぎない。いっさいは崩壊し、いま私は素裸だ。    

松王かをり様より『はだかむし』へのお手紙

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 『はだかむし』に心温まる感想をいただきました。     札幌の松王かをりさん(現代俳句協会評論賞・現代俳句協会年度賞受賞者)から恩田侑布子の句集にステキなお手紙をいただきました。 *** 侑布子さま  『渾沌の恋人』を読ませていただいて、感想をお送りしようと思っていましたのに、ばたばたしていて、こんなに遅くなってしまいました。その間に、句集『はだかむし』もお送りいただき、本当にありがとうございました。  『渾沌の恋人』は、俳句にとどまらず日本の詩歌の源流、それをさらに遡り、東洋の詩の根底に息づいてきた「興」をめぐる緻密かつダイナミックな論考に、ため息をつきました。そして、大きな感動とともに読み終えました。  丸山眞男と加藤周⼀を向こうにまわしての時空論では、ドキドキわくわくしながら、俳人ゆうこりんにエールを送り、絵巻では、右から左に時間を巻き取っていきつつも、いつでも過去にも戻ることが出来、そして巻いてしまえば、過去・現在・未来がぐるぐる重なっていくという不思議。絵巻に興味がなかったわけではないのですが、改めて、絵巻の面白さに瞠目させられました。  俳人としては、第四章の「切れと余白」が最も身近なテーマでしたが、「日本の表現の本質に『切れ』があるのである」にはじまり、「切れとは俳意の別名である」に至り、最後に「切れと余白は俳句にとどまらない。異界も冥界もなく、あらゆる他者とゆたかに同居し合う日本の深い思想に、すでになっている」という卓見に感服致しました。  どの章も刺激的でありつつ、全体を通して、時空も生死も超越したうねりのようなものを感じて心が震えました。ゆうこりん、本当にすごい仕事をなさいましたね。どんな言葉でも足りないほどに感動しました。  句集の『はだかむし』、ぐいぐいひきこまれました。付箋だらけになったのですが、帯に「十二句抄」があったので、私の「十二句抄」を勝⼿に選ばせていただきました。お許し下さいね。帯の十二句抄と見比べましたら、四句被っていました。以下に「かをりによる十二句抄」をあげます。  いつの世かともに流れん春の川(雲を⼿に)  「たまたまそれはあなただったが、私でもありえた」(『渾沌の恋人』89頁)わたしたち。身ぬちを巡る水と「春の川」が響き合います。  母てふ字永久に傾き秋の海(あめのまなゐ)  「永久に傾き」が胸を打ちます。その母への思いを、「秋の海」が、しずかに、そして少しさびしく受け止めてくれるのでしょう。  青空に突つかい棒のなき寒さ(あめのまなゐ)  北国に来て、カーンと晴れた日のあの寒さを何と⾔ったものかと思っていましたら、「突つかい棒のなき寒さ」。まさに寄る辺のない寒さです。  淡交をあの世この世に年暮るゝ(あめのまなゐ)  荘子の「君子之交淡若水」は知っていますが、果たして、本当に「淡交」の意味をわかっているかというと…… お会いした時にでも、ぜひゆうこりんにお聞きしたいです。何十年も昔、茶道を嗜んでいた知人が、よく『淡交』という雑誌を読んでいたことを思い出しました。淡交の意味を深く理解していないものの、この句、う~んと唸りました。  仙薬は梅干一つ芽吹山(仙薬)  芽吹きの木々を抱えた「芽吹山」は、命のエネルギーに満ちています。取り合わせの季語の働きで、「梅干」の霊力もぐんと大きくなって。ただし、私は梅干が苦手なんです。  水澄むや敬語のまゝに老いし恋(仙薬)  「距離、屈折、秘匿。色気の三宝はこれではないかしら」(『渾沌の恋人』84⾴)、思わずくすっと。こんな恋の句もあって、楽しいです。流れるままに時を重ね、清らかなままで終わった恋でしょうか。こんな恋のひとつやふたつ、あればいいなあ。  あをあをと水の惑星核の冬(核と銀河)  「地球はまだまだ美しかった」と宇宙飛行士の野口氏が語っておられましたが、その地球に「核」があること。「あをあを」が、哀しみの青にならないことを!!!  涙袋大き法然春の夢(核と銀河)  達磨図の耳毛三本秋うらゝ  この⼆句はセットで⼀句に。もう、ゆうこりんたら、よくそんなところをと驚きと感心と。「法然・涙袋」「達磨・耳毛」、この「涙袋」と「耳毛」を入れ替えては、句になりませんものね。  歳月は褶曲なせり夕ひぐらし(はだかむし)  『渾沌の恋人』の時空論ともリンクして、胸を打ちました。まさに時空はゆがんだり、たわんだり。「夕ひぐらし」の声が、空からも、そして深井の底からも響いてきます。  引くほどに空繰り出しぬ枯かづら(はだかむし)  「空繰り出しぬ」の措辞に感服の⼀句です。  死んでから好きになる父母合歓の花(はだかむし)  <母てふ字永久に傾き秋の海>の句とも併せて、心の機微を詠んだ句も大好きでした。季語の「合歓の花」が絶妙です。  うちよするするがのくにのはだかむし(はだかむし)  本当に私たちは、この星に生まれ合った「はだかむし」同士。⾔葉の地層を抱え持っている枕詞、その枕詞「うちよする」で詠み出したところもさすがです。大きな時空を抱え持った句で、一生忘れない句だと思いました。心というより、頭にがーんときた句です。  拙い感想で申し訳ないのですが、感動の⼀端でもお伝えできればと思い、⻑々と書いてしまいました。笑って、お許し下さいね。  札幌はもう真っ白になりました。「やまとのくにのはだかむし」は、寒さに慣れていないので、元気をなくしていたのですが、ゆうこりんのご本を読ませていただいて、頑張らなくっちゃと元気が出てきました。  それでは、くれぐれもお身体に気をつけて、どうぞよいお年をお迎え下さいませ。 ⼼からの感謝をこめて 松王かをり  

恩田侑布子代表講演「『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き (10/29)」を聴いて

講演感想_前島さん

樸会員 前島裕子、島田淳の聴講記    北斎の画中の人になりかわって 十月二十九日。延期になっていた現代俳句講座−『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き−に出かけた。 久しぶりの東京、新幹線、山手線、地下鉄、都電と乗りつぎ、ゆいの森あらかわへ。  そしてそこに足を踏み入れたとたん、驚きです。大きな図書館、こういう所はテレビでは見ていましたが実際に入るのは初めて。一階にホール、二階には吉村昭の文学館、エレベーターで三階につくと目の前に現代俳句センターが。天井までの書架に句集がびっしり、俳誌もたくさんある。あわただしく館内を一まわりして会場へ。  「ゆいの森ホール」が会場です。正面の大スクリーンに今日のタイトルが写し出されていた。いよいよ先生の講演が始まり、進行して北斎の話になると、スクリーンに「富嶽三十六景」より、「青山圓座松」「神奈川沖浪裏」「五百らかん寺さざゐどう」が次々大写しになった。おいおい本物はB4サイズよ、両手に持てて、じっくりながめるのがいいのよ。こんなに大きくして持てないよ。 いや待て、これだけ大きければ舟にも乗れる笠をかぶった坊やの後からついていける、欄干にも立てる。これが入れ子、なりかわり、なのか。一人スクリーンの中に入りこんだような不思議な気持ちになりました。 今でもあの三枚の浮世絵の大写しが、目にうかんできます。 また質疑応答のコーナーでは思わず「是非樸に見学にいらして下さい」とさそいたくなる場面もありました。  講演が終わり、聴講できた興奮と充足感。 そこもだけど、ここをもっと聴きたかったというところもありましたが、講演できいたことをふまえ、再度読み、深めていこうと、思いながら帰路につきました。 ありがとうございました。 (前島裕子)   「第46回現代俳句講座」(主催:現代俳句協会)に参加して 今年8月6日の毎日新聞書評欄で、演劇評論家の渡辺保氏は恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』の書評を、「斬新な日本文化論が現れた」の一文から書き起こしました。そして、著者による名句鑑賞を引いて、「近代の合理的な思考から、日本文化を解放して」「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」と述べています。 今回の講演は、日本人の美意識の源流を辿る壮大な物語のエッセンスでした。 主体と客体が「なりかわる」描写、単一の意味でなく多面的な「入れ子構造」、『華厳経』の蓮華蔵世界さながらのフラクタルな世界観。こうした日本人の美意識を、俳句にとどまらず葛飾北斎の浮世絵、近代詩、万葉集から古代中国の「興」へと自由に往還しながら説き明かしていきます。 「興」に淵源を持つ「季語」によって詠み手と受け手の間に共通のイメージが広がり、「切れ」によってそのイメージを自分の現在ある地点に結び付ける。こうした構造がある事によって、俳句はたった十七音で詩として成立するのだと得心できました。 『渾沌の恋人』は、自宅そばの猪の描写から古代中国の『詩経』へなど、現代から一気に過去の時代に跳んだりする場面が多くあります。最初は戸惑いましたが、こうしたタイムワープが可能なのは、おそらく現代は古代と切り離されたものではないからなのでしょう。古代人の感情が現代のわれわれのそれと大きく隔たってはいないからこそ理解可能なのであり、それを仲立ちするのが「興」にルーツを持つ「季語」なのでしょう。言い換えれば、風土に根ざした共同体の共通認識だからこそ、時代を超えて受け継がれていくのだと。 また、古今の名句を声に出して詠むことの素晴らしさ、大切さも再認識しました。「五七五(七七)定型は、日本語の生理に根ざした快美な音数律」とレジュメにありましたが、実際に古今の名句を耳から聴くことでそれを実感することができました。 階段状のホール最上段でも聴きやすい明瞭な発声、落ち着いた抑揚、「切れ」をきちんと意識し微細な緩急のある速度。五音七音の調べに身を委ねる心地よさは、定型の俳句が紛れもなく十七音の詩であることを身体感覚として理解させてくれました。 講演終了後、冒頭に引用した渡辺保氏の「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」という文章を思い出しながら、夕暮れの町屋駅前に向かったのでした。 (島田 淳)

全国俳誌協会第4回新人賞授賞式 (10/30)・古田秀 正賞受賞作品十五句

全国俳誌新人賞授賞式_2

全国俳誌協会第4回新人賞 授賞式に寄せて 全国俳誌協会第4回新人賞を受賞した樸の古田秀の授賞式が10月30日、東京都内でありました。授賞式には樸代表の恩田侑布子も出席し、多くの俳句関係者らが古田の受賞を祝いました。正賞の古田とともに、準賞、特別賞、選者賞の受賞者七名は、十九歳から三十代後半までの若者で会場は華やかな雰囲気に包まれました。 併せて、「俳誌の現在と未来を語る」シンポジウムも開催されました。登壇者は選者の鴇田智哉氏・堀田季何氏・神野紗希氏に、『俳句』編集長の石川一郎氏、同協会長の秋尾敏氏という豪華メンバーで、「紙」の俳誌の保存性と信頼性の高さを改めて評価する声で一致しました。俳句文庫鳴弦文庫館長でもある秋尾会長に、「恩田さんのところの樸はWeb誌のみでやっていて驚きです。全国で他にそういう会があるでしょうか」と会場で紹介され、喜ぶべきか、悩みました。 『俳壇』・『俳句四季』の編集長に、「芭蕉記念館」館長も来席され、白熱の議論は大いに盛り上がりました。 二次会は田町駅近くの居酒屋に大勢でなだれ込み、高校生をはじめとする若い情熱ある俳句作者たちと忌憚なく俳句談義に花を咲かせ、幸せが倍増しました。改めて、おめでとうございます! (恩田侑布子)   古田秀の正賞受賞作品「大学」15句を掲載いたします。           大学     水差しの影にも水位昼寝覚     さくらんぼ暫し噛まずにゐたりけり     母をらぬ部屋はあかるし髪洗ふ     実験棟から門までの夕立かな     水槽に水平線のなき晩夏     桃の皮ずるりと剥けて夜の汽笛     秋黴雨ひとりにひとつ椅子と窓     消火器の函に錆吹く蜻蛉かな     木は鳥の鳥は木の名を秋の暮     初雪やからからせんべい割れば毬     歌は火の熾るに似たりクリスマス     搭乗を待つまどろみや冬帽子     パブの灯の途切れたるより吹雪の野     焼きそばの焦げかうばしき初詣     大学や焔のごとき冬木の芽 

恩田侑布子講演レポート

(第46回現代俳句講座 10/29 ゆいの森あらかわ)

講演1029_1

演題 『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き ◇主催:現代俳句協会 共催:荒川区 ◇日時:2022年10月29日(土)13:30~16:45 ◇会場:ゆいの森あらかわ「ゆいの森ホール」 ◇講師:「軸」代表・秋尾 敏、「樸」代表・恩田侑布子  10月29日(土)、東京都荒川区のゆいの森あらかわ・ゆいの森ホールで現代俳句協会主催の第46回現代俳句講座が開かれ、樸俳句会代表・恩田侑布子が「『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き」と題して講演しました。 当初は9月24日の予定が、静岡にも大きな被害をもたらした台風で中止となり、延期されていた講演です。一転して素晴らしい秋晴れとなったこの日は、首都圏を中心に俳句愛好者や恩田ファンらがたくさん聴講し、「俳句は目に見えないもの、耳に聞こえないものに思いをはせる」という恩田のメッセージを心に留める1日となりました。 「興」と「入れ子」という説で日本文学に新たな地平を切り開いた恩田の近著『渾沌の恋人』は、各紙誌の書評で高く評価されていますが、開会挨拶に立った現代俳句協会の中村和弘会長も「日本文学をグローバルな視点で体系的に分析・集約した本であり、感動した。文体が素晴らしく、小説を読むようで思わず引き込まれた」と賛辞を送りました。恩田は、全身を揺さぶられた高校時代の名句との邂逅などに触れながら、「歳はとっても俳句はやまぬ、やまぬはずだよ先がない」の都々逸で会場を笑わせ、なごやかな空気の中で講演は進みました。 近著の内容に沿ったこの日の講演は、芭蕉、蕪村に始まり北斎の浮世絵、中国の詩経、フレーザーの金枝篇、タイラーのアニミズム、ピカソのキュビスムに至るまで、古今東西縦横無尽の視点から文学としての俳句の奥深さを再発見する旅、とでも言うべきものでした。聴き手にとってはまさに豊潤なひとときで、本を読んだ人は著者と俳句の魅力を再確認でき、未読の人は手にとってすぐ読んでみたくなったことでしょう。 とりわけ、恩田が「雲の峯幾つ崩(くづれ)て月の山」をはじめとする芭蕉や蕪村らの名句や若い時から心酔してきた蒲原の詩「茉莉花(まつりか)」を、ゆっくりと歌うように詠みあげる場面では、上質の朗読劇を聴くような心地よさが会場を包みました。俳句を始めて3年になるという聴衆の女性からは「ああ、俳句ってやっぱり詩なんだな、と感動しました」という声が寄せられました。あっという間の1時間余りでした。 恩田に先立って、「軸」主宰の秋尾敏氏が「桜井梅室の系譜—知られざる十九世紀俳句史」をテーマに講演し、軽妙な語り口で楽しませました。 (樸編集長 小松浩)      

恩田侑布子『渾沌の恋人ラマン』(春秋社)に、読書ノート到来!

生きて死ぬ素手素足なり雲の峰    俳句photo by 侑布子  

静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。   読書ノート165 vol. 1 『渾沌の恋人ラマン』 プロローグ 芭蕉の恋   俳人にして文芸評論家である恩田侑布子さんの新著 『渾沌の恋人ラマン』(春秋社)を読んだ。「北斎の波、芭蕉の興」が副題で「恋人」にはフランス語であろう、「ラマン」とルビが振られている。80歳を過ぎた私には難解な内容だったが、二度三度と読み返し何とか理解できたような気がする。本の帯に「八年がかりのたましいの結晶」とあるが、頷けた。   まず「芭蕉の恋」と題したプロローグが私の知識をひっくり返した。 芭蕉は旅の途上、若い頃の愛人とされる寿貞が亡くなったという知らせを聞き、〈数ならぬ身とな思ひそ玉祭り〉と追悼句を詠んだ。句意は「生涯を不仕合せに終わったお前だが、決して取るに足らぬ身だなどと思うでないよ」(『新潮日本古典集成』)といったもので「静かに語りかける口調に、深いいたわりと悲しみがこもる」(同)とされる。 ところが、恩田さんは次のように述べている。 「ねぎらいはあっても、ここに恋慕はない。私が寿貞なら、上から目線のこんな余裕綽々の(しゃくしゃく)慰めなんかいらない。葉先にこすった小指のかすり傷ほどでもいい。血の匂いのにじむ悼句がほしい」。 そして芭蕉が本当に恋した相手は、弟子の杜国だと言う。むろん杜国は男性であり、芭蕉は「市井の女性に燃えることはなかったと思われる」、そう恩田さんは書き、芭蕉の気持ちが伝わる句を挙げている。 それは〈白げしにはねもぐ蝶の形見哉〉という『野ざらし紀行』にある句だ。「白げしの花びらに分け入って蜜を吸っていた蝶が、みずから白い翅(はね)をもぎ、わたしを忘れないでと黙(もだ)し与える」と句意を述べる。「杜国二十七歳、芭蕉四十一歳の恋である」が、「芭蕉の美意識の一つに、清らかなもの同士をエキセントリックに重ねる手法がある」としている。この句の場合、「白昼・白げし・紋白蝶とひかりの多層幻像は、純白のハレーションをひきおこさずにはいられない」と言う。   恩田さんの文により〈雲雀より空にやすらふ峠哉(たうげかな)〉(『笈の小文』)は「いのちのよろこびにあふれている」句と知る。 また〈草臥(くたびれ)て宿(やど)かる比(ころ)や藤の花〉(同)は「芳(かぐわ)しい恋を迎える長藤のゆらぎである」と言い、さらに〈起(おき)あがる菊ほのか也(なり)水のあと〉(『続 虚栗(みなしぐり)』)は「極上のエロティシズムが漂う」句だとしている。 そんな杜国が亡くなると、〈凩に(こがらし)匂(にほ)ひやつけし帰花(かへりばな)〉(『後の旅』)と詠んだ。この句は 「冬麗(とうれい)に狂い咲いた花が,落葉を吹きあげる風に身を揉むさまは、あのときのあの人の匂いを、肌の底に刻むように蘇らせる」 と説明している。 そして 「恋とはつよい自覚をもつ狂気だ。芸術のミューズは、狂おしく揺らぐものに微笑む」 と述べプロローグを締める。俳句だけでなく日本の文化伝統に関心を抱く者は〝恩田ワールド〟に引きずり込まれてゆく。(2022・7・3)     読書ノート165 vol. 2 『渾沌の恋人ラマン』 第一章・上 北斎の「なりかわる」絵と蕪村の俳句 本書の副題は「北斎の波、芭蕉の興」だが、第一章で葛飾北斎の絵と俳句が共通するものであることを説明している。それは北斎が「なりかわる」絵であり、自在な「入れ子構造」を持ち、俳句のこころに通じると言うのだ。 北斎の「青山圓(あおやまえん)座(ざ)松(まつ)」という絵の説明によると、画面右下の菅笠をかぶった童(わらべ)のはずむ足取りとかわいい笠が見るものを絵の中に誘い込むとし、次のように述べる。 「わたしたちは、いつの間にか菅笠をかぶった童子になって風景を眺め、父に手を引かれてうららかな霞の端を踏み、のんびりとした安らぎに包まれる。そう、ひとりでにこの子の気持ちになりかわっているのだ」。 そして、北斎は「見る絵」ではなく共感して画中に入り込んでくれるひとを待つ「なりかわる絵」なのだとする。画中に入り込むものがつまり「入れ子」だ。恩田さんならではのオリジナルな見解であろう。 北斎の「冨嶽三十六景」の一つ、「五百らかん寺さざゐどう」は9人の男女が配置されているが、富士に背を向けているのは1人、顔が見える若い女性の巡礼だ。江戸中期の禅僧で原宿(沼津市)に住んだ白隠(はくいん)は画賛で富士山を「おふじさん」と女性になぞらえて呼びかけた。「入れ子としての世界は融通(ゆうずう)無碍(むげ)である」と恩田さんは言う。「おふじさん」が巡礼の女性であってもいいということだ。 俳句との関連では「なりかわる心身」という小見出しの項で蕪村の〈稲づまや浪もてゆ((結))へる秋津しま((島))〉を挙げ、以下のように書いている。 「天地のまぐわいを暗示する放電現象に、直線と曲線、極大と極微とが交響する。そこに浮かび上がる花綵(かさい)列島は、もはや地勢というより、闇にほの白く弓なりに身をそらせる女身さながらである。この句から女体幻想を消し去ることはできまい。そこに豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国の豊穣への祈りが合体している。雷と海と地の織りなす凄艶(せいえん)なエロティシズムに、稲作民族のはるかな呪言を隠喩(興)として結晶した十七音である」。 この「興」が本書の大きなテーマの一つ。第三章で詳述される。 第一章ではこの他に「二十世紀思想家の時間論」という項で丸山眞男、加藤周一らの見解を紹介している。時間は過去、現在、未来へ一方通行で流れるものではないとし、恩田さんは「わたしなぞ、視線もこころも、絵巻の上を川のようにたゆたい、渦巻き、うねり、時には平気でさかのぼってしまう」と言う。 俳句の初心者は「いま、ここ、われ」と教えられる。しかし、恩田さんは「ここにいない死者や他者を思い、相手の身にやさしくなりかわる(、、、、、)思い、それこそが自他の境界を乗り越える『いま・ここ』からの超出」であろうと言っている。俳句の切れは、そこから時空が展開するのだとわかった。(2022・7・4)