「寄稿・転載」カテゴリーアーカイブ

恩田侑布子、樸俳句会への寄稿文掲載するページです。

「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」恩田侑布子を読んで

20200927 S.S様 久保田万太郎

「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」恩田侑布子(『図書』9月号)を読んで                      兵庫県在住 S.S  江戸の雰囲気の残る落語の世界に身をおく木久扇さんに続いて、生粋の江戸っ子として「伝統的な江戸言葉」を駆使した(特に小説や劇作)という久保田万太郎(1889-1963)の俳句のことにふれてみようと思います。  全く門外漢である私が<万太郎の俳句>を取り上げようとしたのは、月刊『図書』の今月号で、「俳人」とキャプションされた 恩田侑布子 という方の「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」 という文章を読んで感じ入ったからです。「感じ入った」というのはいささか大げさになりますが、それほど見事な批評的紹介文だと感じたということです。  最近、コロナ問題にとらわれていろんな資料なども手さぐりで読んだりしていて、どこか心のささくれのようなものを自覚することがあります。そんな私を、万太郎の俳句が別の世界に連れていってくれたという強い印象が残りました。けれども、最後のところで、今を生きる恩田の批評性が爆発しているとみることもできます。  恩田は、万太郎の俳句を5つの小見出しのもとで、それぞれに自分の惹かれてきた俳句を計13句、それぞれを作句したときの万太郎の年齢を付して紹介しています。それは、万太郎俳句の代表作としてネットで読むことができる句群とほとんど重なっていませんでした。  ここでは、まず、その小見出しごとに恩田の一文を添えて俳句だけを列記しておくことにします。恩田の言葉の切れ端だけで味わうことは難しいかもしれませんが、そうさせてもらいます。絖(ぬめ)のひかり  「万太郎はひかりのうつろいをとらえる天性の詩人でした。//季物そのものではなく、うつろうあたりのけはいを絖(ぬめ)のように掬いとっています。」 鶯に人は落ちめが大事かな     56歳 ふりしきる雨はかなむや櫻餅  33~37歳 新涼の身にそふ灯影ありにけり  36歳短歌的抒情の止揚  「万太郎の俳句の水脈にはこの短歌的抒情がひそんでいます。//短歌の抒情を俳句の冷静さで止揚したしない(ゝゝゝ)があればこそ、王朝由来の抒情を俳句という定型に注ぎこめたのです。」 しらぎくの夕影ふくみそめしかな  40歳 双六の賽に雪の気かよひけり  38~45歳 夏じほの音たかく訃のいたりけり  59歳    ㊟「六世尾上菊五郎の訃、到る」との前書付き稚気のままに  「おとなの俳句の名匠が子ども心を失わなかったのもおもしろいことです。//子どもらしい匂いやかな稚気を持ち続けることもまた、非凡な才能でしょう。」 さびしさは木をつむあそびつもる雪  36歳 時計屋の時計春の夜どれがほんと 48~52歳彽佪趣味への反発  「万太郎は、漱石の「彽佪趣味」や、「ホトゝギス」の虚子の「客観写生・花鳥諷詠」に反発を感じていました。//彽佪趣味にアンチ近代を装う倒錯した近代の知性を見、そこにエリート臭をかぎあてても何もふしぎではなかったのです。」 人情のほろびしおでん煮えにけり  56歳 ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 62歳かげを慕いて  「万太郎は恋句の名手でもあります。//おぼろに美を感じる感性はモンスーン域のもの。日本の風土を象徴するしめやかな恋です。」 さる方にさる人すめるおぼろかな  46歳 わが胸にすむ人ひとり冬の梅    56歳 たよるとはたよらるゝとは芒かな  67歳 恩田は、最後にもう一つ小見出し「文学の沃土から」 をおいて、万太郎俳句を総括するとともに、現代とクロスさせようとしています。  万太郎俳句の源を、恩田は次のように評しています。  「万太郎の俳句は絖(ぬめ)のふうあいの奥に厳しい文学精神が息づいていました。彽佪趣味や花鳥諷詠という、禅味俳味の石を終生抱こうとはしませんでした。//万太郎は俳句という桶から俳句を汲んだのではありません。文学の大いなる泉から俳句を汲んだのです。」  「俳句という桶から俳句を汲んだのでは」ないという恩田の言葉は、とても説得的に、私のように俳句に縁遠い者にも鋭く響きました。それこそ全く知らない恩田の俳句にも通じるものなのかもしれません。  そして、コロナ禍のもとで生きる私たちに向け、「万太郎の俳句は日本語の洗練の極み」と結論づけつつ、次のメッセージを送っています。  「近代の個人主義とは根を違える万太郎の俳句は、分断と格差社会の現代に新たなひかりを放ちましょう。なぜならそれは最も親密で馴染みのふかい在所を奪われた人間の望郷の歌であり、感情と古典にしっとりと根ざしたものだからです。」  最後の一文で、恩田は、冒頭においた<鶯に人は落ちめが大事かな>を念頭に、こんな問いを万太郎に発しています。  「かれははたして<鶯に国(ゝ)は落ちめが大事かな>と、つぶやくことをゆるしてくれるでしょうか。」  この一文をどう解釈することが正当なのか私には分かりません。  冒頭の句<鶯に人は落ちめが大事かな>を、恩田は「おもしろいと思いながらもいま一つわからなかった」けれど、「足もとからみずからの来(こ)し方を低くつぶやいている」万太郎に思い至ったそうです。「文学では早くから檜舞台に立ったものの、家庭生活は不幸だった」万太郎が、「老の坂を迎えて、落魄の日々をなつかしみ、あわれみ、いたわ」っている姿に、恩田は「鶯の声のあかるみにこころのうるおいが溶けこんでい」ると受けとめているようです。  ですから、今の心のささくれやすくなる状況のもとにあって、こんな句をつぶやいて、そこに「こころのうるおい」を失くすことなくやっていこうよというメッセージを込めようということかもしれませんね。  恩田の真意を汲みとれたわけではありませんが、私としては、「本当に大切なものは何か」という問いの前に立たされた人間の集団である<国>というものを思い浮かべました。さらに言えば、成長信仰の囚人である現代の日本社会へのアンチテーゼ、たとえばポストコロナで少し紹介した広井良典の「成熟社会」論的な社会のありよう(「分散型システム」への転換もその一つ)へのメッセージを感じたりもしました(2020.7.3「手がかりはどこに-コロナ後の社会のありようをめぐって-」)。  つまり、それは恩田のいう「分断と格差の現代」へ放つ「新たなひかり」の基軸のようなものを、私はこんなことにも感じているということにほかならないのでしょう。  さらに最近のブログと絡めていえば、福岡伸一のいう「ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、ピュシスの逆襲を受けた」という事態を前にした私たちのあるべき態度に通じるものであり、恩田は万太郎の「人は落ちめが大事」から「国は落ちめが大事」へと想像を飛ばしたと理解することもできそうです。 2020.09.07 S.S恩田侑布子「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」(岩波『図書』2020・9月号)をブログに取り上げてくださった兵庫県在住のS.S様から転載許可をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。 S.S様のブログ『思泳雑記』はこちらです

『夢洗ひ』の4句

20200506 川面さん1

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。               『夢洗ひ』の4句  俳句結社「汀」の主宰、井上弘美さんの『読む力』(角川書店)は60人近い俳人の俳句について鑑賞している。第2章の「表現の力を読む」の「予定調和を超える」という文の後、「表記」の広げる世界、という見出しで恩田侑布子さんの句集『夢洗ひ』の中から以下の4句を挙げている。  まず  あきつしま祓へるさくらふぶきかな という句について井上さんはこう述べている。 「あきつしま」を「祓」うことのできる花は「桜」以外には考えられない。それも咲き満ちた爛漫の桜ではなく「さくらふぶき」であることも、日本という国が隈なく浄められるイメージをもたらす。桜前線の北上には一ケ月以上の時を要するから、その長い時間をも捉えることに成功している。  また、掲出句が成功したのは、平仮名表記の効果に負うところが大きい。「秋津洲祓へる桜吹雪かな」と比較すれば明らかだ。これでは日本列島も風に舞う桜吹雪も見えては来ない。  恩田さんは一年前、母校の静岡高校の生徒が聴き手の教育講演会の講師になったが、その中で「物を見る時は大きな視線、微細な視線という二つの視線が必要ではないか」と述べた。恩田さんは桜が好きなようだ。教育講演会は自作の俳句を朗読して締めたが、その中で〈吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜〉も読んだ。こちらは、どちらかと言えば微細な視線で詠んだ句と言えるだろうが、〈あきつしま祓へるさくらふぶきかな〉は大きな視線が捉えた句だ。  井上さんは『夢洗ひ』から    小さき臍濡らしやるなり花御堂 という句については以下のように評している。      「臍」は釈迦と摩耶夫人が臍の緒で繋がれていたことの証。「右脇から産まれた」と伝説は伝えるが、「臍」は釈迦が人の子として母の胎内で育ったことを語っている。人々を救済するために苦難の道を歩むことになる釈迦が、「臍」を持っているということで、釈迦の人間性がより近しいものに思える。  誕生仏を甘茶で濡らす場面は様々に詠まれているが、この句は「臍」を捉えたことで写生を超えたのである。  私は掲句を写生句だと思っていたが、井上さんは写生を超えたと言う。俳句には余白があり、掲句の余白は広いだけでなく深い。恩田さんは釈迦、ひいては仏教に通じている俳人だということを思い出した。  恩田さんは病気になった時、仏教に出会って救われた。そして、静岡高校の教育講演会で例えばこんな話をした。  仏法の核心は縁起である。土に種を蒔くだけでは育たない。雨がふりそそいで太陽の光も浴びるという縁があって植物は成長し実を結ぶ。すべての現象は複数の原因や縁が相互に関連し支え合っている。  掲句の〈臍〉は諸々の縁を象徴していると言ってよいだろう。 井上さんは『夢洗ひ』から    羊水の雨が降るなり涅槃寺 も挙げて「釈迦が死して母の胎内に還ってゆくかのような一句。釈迦の誕生も入滅も、母なるものの存在を通して描かれていることがわかる」と鑑賞している。  恩田さんが静岡高校の生徒であった頃、両親は不仲であり、恩田さんは心を痛めた。母への想いには格別なものがあろう。その後、恩田さんは病気になり、生きて45歳までだろうと思ったそうだ。〈羊水の雨〉は母の涙を見て再び生きる力を持とうという気持ちから詠んだ措辞であるような気がする。  『夢洗ひ』から井上さんが4番目に選んだのは  この亀裂白息をもて飛べといふ で鑑賞は以下の通りだ。  ここに描かれている「亀裂」が現実のものではなく、人生における決断の時を象徴していることは明らかである。しかし「亀裂」というような、平凡とも思える言葉を用いながら、教訓的で平板な句に陥らないのは、句に緊張感が漲っているからである。  第一に、「飛べ」と命じている「声」の主が明かされないことで、句にミステリアスな味わいが生まれた。第二に、「白息」に一途さや真摯な思いが感じられる。そして、上五に「この亀裂」と置いたことで、情景が映像化されて臨場感が生まれた。「亀裂」と「白息」だけで、これほどの切迫感を描いてみせたのである。  恩田さんは志戸呂焼の修行を積んで陶芸家になろうとしたが、28歳の時に慢性腎炎が見つかり医師から陶芸を断念するように言われた。そこで高校生の頃に出会った俳句の可能性にかけたという経歴がある。他にも人生に何度か亀裂が生じ、それを乗り越える場面があったのだろう。その時の気合を白息と表現したように思われる。  私が2年半前、句集『夢洗ひ』を求めた時、恩田さんが表紙裏にサインのサービスをした。その際、〈ころがりし桃の中から東歌〉と書いてくれた。井上さんの鑑賞には遥かに及ばないものの掲句について私なりに味わってみよう。  〈桃〉は古代から邪気を払うと信じられた植物だ。桃から産まれた桃太郎は鬼退治をしたという物語もある。万葉集の東歌は、東国の庶民が親を慕ったり恋人を想ったりして作ったものが多い。桃の霊力と庶民の生活力が結びつき〈ころがりし〉という措辞で音が出て響き合っている。 川面忠男(2020・5・6)     

AI時代を生きるための「耕し読解」という読み-恩田侑布子 静岡高校教育講演会より

耕し読解図1

「あなたの橋を架けよう」 第40回静岡高校教育講演会 ・日時 2019年5月10日(金)13時30分開演 ・会場 静岡市民文化会館 大ホール ・講師 恩田侑布子 6月20日にアップロードした上記の静岡県立静岡高校教育講演会レポートにおいて、項目のみご紹介した章についてあらましをご紹介します。 既にご紹介した第2章・第3章に続く第4章は、「読むという行為」の意味を考察し、高校生の皆さんに向けて、恩田の考えを問いかけたものです。 非常に広い「読む」ことの意味を、恩田は独自の考察により『クリア読解』『カオス読解』『耕し読解』の三つの言葉で表わしました。そして、『耕し読解』こそはクリエイティヴの土台であり、文系・理系を問わずイノベーションの源である。AIと人間が共存する時代において、人間にしかできない『耕し読解』を深めてほしいと訴えました。 先のレポートに引き続き、静岡高校OBの川面忠男様が作ってくださった抄録を中心にご紹介します。 (なお、『クリア読解』『カオス読解』『耕し読解』は、今回の講演にあたって恩田が考案した造語です。) 第4章 「読むという行為」-AIの時代だからこそ、人間にしかできない『耕し読解』を深める 物を見る時は大きな視線、微細な視線という二つの視線が必要ではないか。しかも、二つの間を往復する。それが「蝶の眼」と「月の眼」だ。今までは地上をひらひら舞う蝶の眼で見て来た。ここで俳句からいったん離れて月の眼になってみよう。人間社会を大きく俯瞰し、読むという人間の営みと可能性を探ってみよう。 読むことは広大で限りないものだ。それは三つの範疇に分けられる。 一つは読む対象がはっきりしていて明示的なもの。 二つ目は明示と暗示の混淆した表現。 三つ目は生きて動くこの現実社会、ひいては宇宙そのもの。 一つ目の明示的なものは、信号・標識、事務的な文章、新聞記事、さらには学術論文などで、知性、判断力が読み解いてゆく。知性優位で読むことからこれを〝クリア読解〟と名づけよう。 二つ目の明示と暗示の混淆した表現には、絵画、小説・詩などあらゆる文学・芸術作品が含まれる。ここはクリア読解の知的な判断力だけでは読み解けない。知性に感性、想像力、体験の総合力が求められる。これを〝カオス読解〟と名づけよう。 さて、読むという行為はクリア読解、カオス読解に尽きるものだろうか。それだけで十分と言えるだろうか。 現実社会とその動態を読むということには、上記の二つの表現とは違うものが三つある。 一つは形が定まったものではないということ。現実の社会は常にダイナミックな動態だ。鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」と言ったように変化し続ける。 二つ目は誰かに与えられるものではないということ。自らが能動的に読むということではじめて立ち上がって来る。 三つ目は主体的に読み解いたものを私蔵しないことだ。現実に活かし反応させるという積極的行為が必要になる。それは自己の認識と外部の存在との間で、認識のピストン運動をすることで健全な読解力になる。自分の立っている場所を中心に、外界を認識し、周りに働きかけ、少しずつ変えていく過程で認識が深化・成長する。これを〝耕し読解〟と名づけよう。 耕し読解には経済面と精神面がある。産業社会は消費者に求められるサービスを読み取り、それを商品化することで持続可能だ。実利的な読解だ。 一方、精神面の読解は死者や弱者の思いを読みこみ、尊敬し思いやるという人間の尊厳に関わる読解がある。未来と過去を読むことも求められる。現在はそれだけで自立していない。過去と未来にまたがっている。これを総合理解力で読み取り、問題解決に役立てなければならない。 ここ20年、グローバルに視ると、日本は経済的地位が相対的に落ち、高齢化や少子化、性差別の問題など社会的な問題への対応が遅れた。今までは経済が回っていれば人間の精神面をないがしろにしてもよかったという面があったが、今後は人のメンタリティにも目を向けなければ社会が立ち行かなくなる。そこで経済と精神という両者が結びつく。 耕し読解はあらゆるクリエイティヴの土台である。ここから様々なイノベーション、諸学問の研究、科学の発見、思想の構築、芸術、そして俳句も生まれる。 耕し読解は未来を引き寄せる大きな力になることがわかる。 AI が急速に勢力をのばしている。こうした状況の中で人類が耕し読解という主体的なことを手放して知的、感性的な怠慢に陥ってしまったらどうなるか。AIが人間の価値観を左右しかねない。もはやその寸前だ。 耕し読解の実例としての俳句をみてみよう。人間が自然をコントロールするところに文化があるという考えがある。一方、人間は自然と和み合うものという考えがある。俳句も人間と自然を一体のものとして捉えて来た。 しかし、21世紀は自然との調和という掛け声だけでは現実を捉えることはできない。 俳句は自由に捉えることができる。なぜなら俳諧自由という精神があるから。 世界のどんなことでも垣根を設けず自由に精神を解放し、往き来しようとする。決まりきったものの見方や考え方から脱皮して自分なりの新しい切り口で対象に迫ろうとしている。 それは「自己更新」の豊かさにつながってゆく。芭蕉はこれをひとことで言った。「きのふの我に飽くべし」と。 現実を直視し物を生き生きと感じる理系や科学者に優れた俳句が多いということもそれを証明している。例えば山口青邨は東大工学部の教授で鉱山学者だった。青邨は中国の長江の畔で一輪のたんぽぽと出会い、〈たんぽゝや長江濁るとこしなへ〉という句を作った。向こう岸は見えず土砂で濁った川が滔々と流れている中に真ん丸い黄色の花がクローズアップされる。永遠へという言葉の古語、〈とこしなへ〉が句の感情を高めている。中国の穀倉地帯が広がり、稲作文化の黎明期を思い起こさせる。春秋戦国時代、怒涛のような歴史の興亡を絵巻物のように想像させる。鉱山学者として何億年の地質史を背景に長江に咲くたんぽぽを耕し読解してみせた。 ◇《引き続き恩田さんは、新潟医科大学教授で法医学者だった高野素十の〈くもの糸一すじよぎる百合の前〉、〈塵とりに凌霄の花と塵少し〉を挙げ、対象をリアルに見つめる科学者の目と俳句との親和性について高校生に語り掛けました。》 (川面忠男 2019・5・24)

恩田侑布子講演「あなたの橋を架けよう」レポート(下)

破行句-3

「あなたの橋を架けよう」    第40回静岡高校教育講演会 ・日時 2019年5月10日(金)13時30分開演 ・会場 静岡市民文化会館 大ホール ・講師 恩田侑布子  川面忠男様ご寄稿の(下)として、第3章を掲載します。 第3章 世界でなぜ俳句が人気か 《恩田侑布子さんは、2014年にパリ日本文化会館客員教授としてコレ―ジュ・ド・フランス、リヨン第Ⅲ大学、エクスマルセイユ大学などで講演している。それで今回の講演の第三章が「世界でなぜ俳句が人気か」というテーマになっていることも頷ける。以下は恩田さんの話である。》  俳句とはいったい何だろうか。俳句がいま世界中の至るところで作られているのはなぜだろうか。グローバル世界に生きる現代人は俳句のどこに魅かれているのだろうか。  欧米の小学校ではカリキュラムに俳句の実作がある。夏休みの宿題にしているところも多い。  フランスでこの数年間、俳句をめぐる講演を6回行った。フランス人の俳句に対する理解と共感は半端ではない。街の本屋に芭蕉、蕪村、一茶、夏目漱石や山頭火の句集が並んでいる。またEUの前大統領、ヘルマン・ファン=ロンパイさんはベルギー出身だが、俳句に心を通わせ句集を出している。  ここでセザンヌやゴッホなど近代の芸術を支えて来たものは何であったかを思い出してみよう。それは個人の才能だった。作家の個性やその天才性を際立たせるものだった。  一方、俳句は根本の精神が違う。まず俳句には共同体に根づく「季語」がある。その背後には大きな自然が存在する。  自然は近代的な自我を超えたものだ。俳句を作る時、感情を季物に託して広やかで大きなものに自我を解放する。  蛇笏の落葉は、枯れて地べたに落ちて潰えるものという固定観念を破って、一人の人間の道念を支えるものになった。  俳句を作るということは、ささやかでも今までの自分のものの見方、感じ方を破ってゆくものだ。決まり切ったものの見方、パターン認識の縛りから精神が自由になってゆく。  作者が一句の中に生き切った俳句は、切れの余白の中で読み手が新たに生き直すことができる。蛇笏の〈落葉踏む〉の句は六十余年が過ぎて、一人の高校生の胸に飛び込んできた。今も心の底に落葉の踏み心地が感じられるのだ。  俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場だ。表現の喜びと共感の喜びがある。  現代は技術革新が加速し、人間疎外どころか人工知能というAIに管理される時代になっている。そうした中で自然と共生し人と共感し合い精神の潤いを求める人たちが増えている。俳句は現代人が星の子としてつながり合うことができる可能性を持っている。       (川面忠男 2019・5・23)                   講演の締めくくりに、恩田は自句21句を「俳句パフォーマンス」という形で披露しました。写真スライドを背景に、13句は日本語のみで、8句は日本語とフランス語で。  本抄録でも触れられているように、俳句は韻文であり調べやリズムという音楽性を持つこと、俳句が国際的な広がりを持っていることを、「俳句パフォーマンス」として直接伝える機会となりました。  これだけ多くの若者、しかも俳句に興味がある人ばかりではない講演会は恩田にとってもあまり経験が無いことでした。しかし、高校生の皆さんから「一冊の本を読むような講演会でおもしろかった」「まるで小説を読んでいるかのような感覚」などの感想をいただきました。恩田も、無事に大役を果たすことができたことを安堵しております。  終演後に控室とロビーで1時間半近くも続いた質疑応答や五百通以上の個別の感想をいただき、恩田自身も今後の創作活動に大いに刺激をいただくことができた講演会でした。  開催に向けて一方ならぬご尽力をいただいた静岡高校の志村剛和校長先生、教育講演会を主催した静中・静高同窓会ご担当の三浦俊一先生をはじめとする静岡高校の教職員の皆さまに、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

恩田侑布子講演「あなたの橋を架けよう」レポート(上)

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「あなたの橋を架けよう」    第40回静岡高校教育講演会 ・日時 2019年5月10日(金)13時30分開演 ・会場 静岡市民文化会館 大ホール ・講師 恩田侑布子  恩田の母校・静岡県立静岡高校では、総合学習の一環として毎年各界で活躍する卒業生による講演会を開催しています。  今年は、恩田が講師として選ばれ、全校生徒約千人と保護者・同窓生及び一般参加の市民の方々を前に講演をいたしました。  講演は今回のために新たに作った100枚余のスライドを使い、以下の6章立てで進めました。 1)「辛かった子ども時代」 2)「高校時代に出会った感動の俳句」    (抜粋を掲載します) 3)「世界でなぜ俳句が人気か」    (抜粋を掲載します) 4)「読むという行為」  ・AIの時代だからこそ、人間にしかできない   『耕し読解』を深める  ・理系や科学者こそ俳句の精神に合う    …現実の直視と固定観念の打破 5)「東洋思想から餞のことば」  ・釈尊の原始仏教は『耕し読解』の優れた実例  ・自分に執着する心は最後の支えにならない    …原始仏教の教え「空の智慧」  ・これから十年間で、生涯を支える精神の骨格   を作る 6)「俳句朗読パフォーマンス」 この講演会に同校OBとして参加された川面忠男様が抄録を作ってくださいました。その中から、第2章・第3章を(上)(下)二回に分けてレポートを掲載させていただきます。川面様、ありがとうございます。 第2章 高校時代に出会った感動の俳句 《静岡高校の生徒であった頃、恩田侑布子さんは中村草田男と飯田蛇笏の俳句に出会い心の救いを得た。恩田さんは教育講演会の第2章を「高校時代に出会った感動の俳句」と題し、あらまし以下の通り語った。》  俳句は定型のリズムと切れの余白によって感情を表現する。    会へば兄弟ひぐらしの声林立す  「兄弟」は「はらから」と読み、この中村草田男の句を歳時記から見つけた瞬間、全身がどこか別の場所に連れて行かれるようだった。  ひぐらしの声は天上から林に降りそそいでいる。それぞれの人生が山と谷をはるばるやって来て今ようやくここで出会った二人はお互いの静かな眼差しの中に憩うのだ。  このはかない苦しい人生にあってカナカナの澄んだ声に二人が包まれている永遠の瞬間だ。寂しくても生きながらえてさえいれば、いつか心を受け止めてくれる人に出会えるかもしれない。  「はらから」、ここに深い切れがある。俳句は切れの余白を味わうところに醍醐味がある。下五の〈林立す〉は詩人ならではの感受性だ。ひぐらしの声が林立し、現か幻か境のない空間に読み手は誘われていく。  兄弟という漢字に「はらから」とルビを振ったのはなぜだろうか。調べやリズムという音楽のためだ。俳句は韻文であり、名句は音楽である。              ◇  飯田蛇笏との出会いは次の句だった。    落葉踏んで人道念を全うす  歳時記を読んだ時、目が釘付けになったが、道念という意味がわからなかった。広辞苑には「道を求めること、求道心」とある。蛇笏にとって俳句は仏道と同じなのかと思った。  この落葉に死屍累々という言葉が浮かんだ。落葉は滅び去って行った数知れない人々の思いではないだろうか。生きている自分は病弱な母が産んでくれた命。地球上で生と死が繰り返され、命をつないできてくれたことであろうか。  そう言えば夢中に読んでいる本も死者たちのものだった。図書館の書架の前に立つと死者たちの魂に囲まれているような感じがした。人類も自然の歴史も死屍累々だ。  〈落葉踏んで人道念を全うす〉とつぶやくたびにかわいがってくれた祖父母の仕草が次々に浮かんできた。その思い出は散りたての落葉のようだ。人の一生は死んで終わりではない。落葉を踏み死者を思うとき生きている者は自分の志を全うしようと思うのだ。  一生は自分一人のものではないと思った。その時だ。見たこともない、会ったこともない飯田蛇笏と言う人がまるで我が人生の師のように立ち上がった。俳句という文学の不思議さを痛感していた。                  (続く)      (川面忠男 2019・5・21)

恩田侑布子さんの「石牟礼道子の俳句」評

20190210 川面さん

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。 ご執筆の日は石牟礼道子さんの一周忌にあたります。     黒田杏子さんが主宰の俳句結社「藍生」の俳誌2月号は石牟礼道子の追悼特集を組んでいる。俳人、作家、学者、写真家の6人が寄稿しているが、その1人は俳人・文芸評論家の恩田侑布子さんで石牟礼道子の俳句を鑑賞している。それを読んでAI(人工知能)のレベルが上がっても石牟礼道子の俳句を作ることは難しいだろうと思った。  石牟礼道子は詩人・小説家だが、2018年2月10日に亡くなった。生前は熊本で水俣病を文明病として訴え、それを文学活動にした。  恩田さんは石牟礼を「みっちん」と親しみを込めて呼び、『石牟礼道子全句集 』から恩田侑布子選として23句を挙げている。これらの中から7句について「石牟礼道子の俳句 ふみはずす近代」と題して論じている。  石牟礼道子の俳句は、コンピューターが集めたビッグデータの解析から抜け落ちるとし、「常人が感知しえない異形のものを聞き澄ます詩人」だと述べている。それは7句すべてに言えるが、とりわけ以下の2句について自分の句作に関連して感じるものがある。    童んべの神々歌う水の声    無季の句。〈童んべ〉は「わらんべ」とルビが振ってある。恩田さんは「等類がない俳句」と言う。等類は素材・趣向が他の俳句と類似することだ。「現代俳人の句は似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前の言葉は空怖ろしい」。その自前の感性は個性といった安っぽいものではないとも言う。    さくらさくらわが不知火はさくら凪  「不知火」について恩田さんは両義があるとして次のように言う。「ひとつは別称八代海の名を持つ海の名前。ふたつは神話時代からの海上の怪火を意味する秋の季語」。そのうえで、一句の忘れ難さは「さくら凪」という新造季語の初々しさにもある、と指摘する。「新作季語は、俳人が一生かかっても容易にはつくり得ないもの。二十世紀の悲母からわたしたちはやさしく妖しい季語を頂戴した」と付言する。  そして最後に次のように述べる。〈「いま・ここ・われ」は、近現代俳句の合言葉であった。みっちんの俳句はそこから何という遠い地平、何という広やかな海と山の間にあることだろうか。〉  もし私が「さくら」という春の季語と「不知火」という秋の季語を一句に織り込めば、指導者から注意されるだろう。私のように余生の趣味として俳句を楽しんでいる者から見れば石牟礼道子の俳句は別世界であるが、そこに真実の詩があることは恩田さんの鑑賞に導かれて理解できた。       川面忠男(2019・2・10)                     樸俳句会でも取りあげられた『石牟礼道子全句集 泣きなが原 』についてはこちら

「俳壇」の恩田侑布子さん特別作品

20181221 川面さん ろうかん

川面忠男様がブログの転載をご了承くださいましたので、掲載させていただきます。川面様、いつもありがとうございます。                      「俳壇」の恩田侑布子さん特別作品  俳人・文芸評論家で「樸」の代表、恩田侑布子さんから過日メールをいただき、月刊「俳壇」1月号に恩田さんの特別作品30句が載ることを知った。発売日の15日、最寄りの書店で「俳壇」を求めて読んでみた。恩田さんの言う余白がある句であり、どの句も味わい深いと思ったが、とりわけ以下の10句を選び私なりに鑑賞してみた。      琅玕の背戸や青女の来ます夜  一読して惹きつけられる句だ。琅玕は「ろうかん」と読み、ここでは「美しい竹」という意味になろう。青女は「せいじょ」で「霜・雪を降らすという女神。転じて、霜の別名」(広辞苑)だが、私は雪と思いたい。そうすると、青女という女神が雪女のイメージに重なり、「来ます夜」という措辞が幻想的な世界を伝える。青女は特別作品の題になっており、恩田さんも掲句を30句の代表と思っているのであろう。    霜ふらば降れ一休の忌なりけり  恩田さんは静岡高校の生徒であった頃、仏教書を読みふけったという。ウイキペディアによると、一休は「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えて一休の道号を授かったという。有漏路とは迷う「煩悩」の世界、無漏路は「悟り」を意味する。  絶壁の寒晴どんと来いと云ふ  これは30句を締める句。〈どんと来いと云ふ〉という措辞は〈霜ふらば降れ〉という恩田さんの心境と同じなのではないか。雪や霜が降ろうが、晴れようが、絶壁という煩悩は常に立ちふさがっている。それに立ち向かおうという心の鼓舞が伝わってくるような句である。  宝船手ぶらで来いと云はれけり  土産を持たずに行って宝を貰って帰る、ということではなかろう。手ぶらは心に何も持たずに来い、つまり心を無にして来いということではないか。そうすれば悩みはなくなり煩悩から解脱できよう。作者が恩田さんだと、私にはそのように感じられる。  群峯は羅漢ならずや冬茜  阿羅漢は仏教修行の最高段階に達した聖者。それらの表情はさまざまだ。冬の夕焼けに黒い影を見せる西の峰々に託して羅漢の修行を思うのであろうか。恩田さんも仏の境地に近づきたいと願っているのではないか。  淡交をあの世この世に年暮るる  君子の交わりは淡きこと水のごとく、の淡交である。この世の人との淡交は誰にもありうるが、相手があの世の人となると、どうであろうか。しかし、恩田さんが相手のあの世の人は芭蕉であったり、故人になった俳句仲間であったり、詩を介して自在に交流できるのであろう。  直近の俳人では金子兜太が思い浮かぶ。恩田さんは今年2月26日付け朝日新聞の「俳句時評」で「土の人」と題して兜太の〈よく眠る夢の枯野が青むまで〉を挙げ、次のように書いている。「芭蕉の〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉への唱和であろう。芭蕉の夢はどこまで行っても藁色と金の条」と。藁色は草鞋を履いての行脚をイメージできるが、金の条(すじ)は金科玉条の条であろうか。  よく枯れて小判の色になりゐたり  枯葉は夕陽をあびて小判の色、つまり金色に光る。西方浄土の金色に通じる感じがする。冬の枯木はそんな世界に変わる。飛躍して言えば、人間も枯れれば仏に近づき金色の世界が見えてくるであろう。  まばたきに混じる金粉三ヶ日  正月には金粉入りの酒を飲む。それを〈まばたきに混じる〉と詩的に表現したのであろうか。恩田さんの俳句は、趣味の域を出ない拙句などと違ってなかなか答えが出ない。それだけ読者としては想像を楽しむことができる。  初富士を仰ぐ一生の光源を  〈一生〉は「ひとよ」と読ませる。静岡に暮らす恩田さんにとって富士山はしばしば眺める山であろう。喜怒哀楽それぞれの日に。人生は富士とともにあったと言っても過言ではないだろう。  私的なことだが、思い出すことがある。私が5歳の時、静岡の空襲で焼け出され、静岡育ちの母と二人で父の故郷である志摩半島の小さな町(現・三重県志摩市大王町波切)に疎開した。母は朝早く起きて伊勢湾の彼方にある富士山を見ようとした。そうして故郷を懐かしんだ。「見えた」と喜んだ母の声を憶えている。富士山は小さな紫の影だったが、母には生きる力の光源であった。  たまゆらは永遠に似て日向ぼこ  〈たまゆら〉は一瞬のことだ。それが〈永遠に似て〉と詠う。そういう心境と〈日向ぼこ〉という季語が合う。  ここで思い出すのは、曹洞宗開祖の道元の時間観だ。「時は飛去するとの解会すべからず、飛去は時の能力とのみ学すべからず」(正法眼蔵)、つまり時間は過去から現在、未来へと流れるだけではないと言う。恩田さんが芭蕉を思う一瞬、芭蕉は恩田さんの心の中で生き返る。過去が現在になる。それが永遠に似るということであろう。             以上10句について勝手な鑑賞をして楽しんだ。      川面忠男(2018・12・21)

シンポジウム クローデル『百扇帖』をめぐって(下)

HP用金子美都子 

「今に生きる前衛としての古典― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」  ・日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演  ・会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール ・コーディネーター 芳賀徹 ・パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子       川面忠男様のご寄稿の(下)を掲載します。  シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (4)   日常の風景と深読みの詩句 恩田侑布子さん、夏石番矢さんに続き金子美都子さん(聖心女子大名誉教授)がパネラーとなり「クローデルは物真似をしなかった。そこがいいところだ」と話し出した。「生命力が豊か」と感じさせる詩がクローデルの特徴という。金子さんは欧州の短詩を研究してきた学者だ。 金子さんは『百扇帖』をめくっていると、ふと金魚と猫を題材にした以下の詩句が目に入ったという。仏文学者の山内義雄先生の訳だ。  鉢のそばにうづくまった猫どの  薄目をあけて日(のたま)はく「私は金魚がきらひです」 金子さん(写真)は「一風変わった詩篇だが、日常的でわかりやすい光景を詠んでいる」と言ったうえフランス語で読み、以下のように解説した。 「夏の昼間、金魚鉢の中で金魚が泳いでいる。傍らでうずくまった猫が薄目で見るともなく『金魚など嫌い』と言っているようだ。しかし、実は幼い頃よく目にした光景だ。クローデルは『百扇帖』に生き物を詠んだこんなコミカルな鑑賞もあるということを示したかったのだ。  フランス近代詩で猫を謳ったのはボードレール。猫に託した恋人の詩などがある。クローデルの詩とは違う。ボードレールの詩では猫と詩人の関係が猫は恋人、女性への微妙な愛情のシンボルになっている。 クローデルの詩の中では人と猫とが接近している。クローデルが俳句を理解しようと思っていたことの表れだ。日本の俳句は発生の根底に諧謔がある。万葉集や古今集は身体表現の豊かな、また滑稽な動作を詠んだ笑いの歌が認められ、そこには動植物を擬人化した動作が詠み込まれている。 クローデルは、明治後半に東大法学部の外国人教師として教えていたミシェル・ルボンの日本文学詩歌集を参照している。その中に芭蕉の〈麦飯にやつるる恋か猫の妻〉という句が載っている。それについてルボンが麦飯は白米より栄養が少ないとか、猫の恋は俳諧として好まれた題材であると注を付けている。古典詩歌の気品や威厳に全く反するものではないとも。クローデルは動物も人間と同列に扱われる題材だと思ったのではないか。」 次に金子さんは同じようにクローデルが身近なことを詠んだ句として「紙鳶」を紹介した。芳賀徹さん訳だ。   小柄なお母さん  小走りで  凧を舞いあがらせる   いや、それは子ども  母さんの背で口を ぽ  かんとあけて  凧あげしてる 金子さんは「微笑ましい短抄。〈ぽ〉で切るのはクローデルの手法であって『意味の出血』と言っている」と述べた。「意味があふれて出てしまう」のだ。 続いて金子さんは「影月」と「陰墨」というクローデルの二つの詩句をフランス語と日本訳で紹介した。どちらも有名だという。 まず山内義雄先生訳の「影月」。  今宵床上にあって 手 壁面にものの影をゑがく 月出でぬ また「陰墨」(栗村道夫訳)も似たような秋の詩句だ。  月のわれに与ふる此の陰  此の世のものならぬ 墨の如し これらの詩句について以下のように解説した。 「秋のひんやりした空気、十五夜を過ぎた月が上っている。〈名月や畳の上に松の影〉という其角の句があるが、影をつくっているのは〈手〉、そこで切っている。クローデルが得意な表現だ。手から出た息吹がとどける無言の言葉を君も心の耳に受けよ、という文言があるが、手から自分の持っている思想、考えが最終的には手という身体から相手の心に伝わるという大事なものになるわけだ。それを出せる空間を十分にとっている。 壁の上に陰をつくる手は、存在するすべてが至るところで自分がそれなしには存在しえなかったものを指示している。そこで月が隠れた意味を示している。陰は月が与えた墨にもなっている。ここで見えない世界というか、現実の世界にないものを表している。」 クローデルも実と虚の間を行き来する詩人だと思う。       (川面忠男 2018・6・28)         シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (5)    芭蕉を超える?句もあり 恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんという3人のパネラーの発言の後、司会の芳賀徹さん自身がパネラーになってポール・クローデルの詩を鑑賞、解説した。それらの詩句は「日本――神話的ヴィジョン」、「牡丹と月――自然のエロス」、「魂のうるほひ」と芳賀さんの言葉で分類している。 まず「神話的ヴィジョンの句」。  日本  長き琴のごと    出づる日の一指のもとに いまをののく まずこの詩句について芳賀さん(写真)は「クローデルは日本史を知っている。古代の神話にも興味を持っている。太平洋のいちばん東に上ったばかりの朝日、その光を浴びて日本列島は琴のように張っている。クローデルが作り上げた神話的日本のヴィジョンだ」とコメントした。 続いて以下の詩句。  夜明け  男体(なんたい)は白根に放つ   大いなる金の矢 芳賀さんは「男体山の山頂の日の光がさらに下にある白根山に。これもダイナミックな日本神話の世界。クローデルの中には神話的ヴィジョンがあり、それが百扇帖の骨格をなしている」と言った。 また同じような詩句の紹介。  緑の森の  動かぬ闇のなかから   緋いろのどよめき 芳賀さんはこう解説した。 「男体山の上から山麓の緑の広がりを見ると、その一個所に朝日が当たり明るくなっている。芭蕉の〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を受けているが、芭蕉よりいいかもしれない。神話的ヴィジョンを凝縮し自分の詩として俳句の中に詠んだ。」 次は「牡丹と月――自然のエロスの詩句」。  白牡丹の  芯にあるのは   色ならぬ 色の思ひ出   香りならぬ 香りの思ひ出 さらにもう1篇。  牡丹  思ひに先立って わがうちに萌(きざ)す   この紅(くれなゐ) 芳賀さんは「〈白牡丹といふといへども紅ほのか〉、という高浜虚子の句よりはいい。牡丹が好きな蕪村は〈牡丹切て気のおとろひし夕かな〉と牡丹と一体になっている素晴らしい句を作ったが、これに匹敵する」と評した。 そして「魂のうるほひ」の句。「何と言っても『百扇帖』の中で最もいいのは」と以下の詩句に言及した。「山内先生の訳もいい」と訳は山内義雄先生のものだ。    水の上(へ)に  水のひびき   葉のうへに   さらに葉のかげ 「これは百扇帖の最高峰。これには芭蕉も及ばないのではないか。〈水のひびき〉と〈葉のかげ〉だけで成り立っている詩。ひっそりとしてまさに幽玄の世界。これ以上ない静寂、水の響きがあるからいっそう静寂が深まる。 芭蕉の〈閑さや岩にしみいる入る蝉の声〉も蝉の声があるから閑さが増すが、具象的過ぎる。クローデルの詩は音や色のない世界に入っている。 葉は竹の葉、かすかに揺れている。水は京都の寺の庭の池の隅でちょろっ、と落ちている。葉のかげは太陽ではなく月の陰だろう。フランス人の詩がここまで行ったのは驚嘆すべきだと思う。」 芳賀さんが言うようにクローデルの詩が芭蕉よりいいかどうかはわからないが、日本の美の真髄をつかんでいたことは確かだと感じた。       (川面忠男 2018・6・29)            シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (6)        「余白」に気づいた西洋人 シンポジウムの司会者、芳賀徹さんは恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんの3人のパネラーに追加の発言を求めた。それぞれの発言について芳賀さんはコメントしたが、ここではパネラーの発言のみ以下の通り要約する。 まず恩田さんは「ポール・クローデルは西洋人として初めて東洋の余白ということに気づいて実験した詩人だった」と以下の通り述べた。 「ジャポニスム(日本趣味)の影響を受けたのは二十歳の頃だ。ジャポニスムの影響を受けた画家としてモネがいる。移ろう光と雲と水の色、ジャポニスムを自家薬籠中のものにしたと言ってみることができると思う。しかし、描きつくしたいという西洋的感性による巨大な絵が自分の胸の中でどんどん縮んでいく。一方、雪舟の『秋冬山水図』は、見ている時よりも離れている時に絵がどんどん大きくなる。なぜかと言えば、余白があるからだ。 モネは余白を理解できなかった。ロートレック、ゴッホもジャポニスムは取り入れていたが、余白については理解していなかった。小石を一つ投げてそこに広がりができるようなものが余白だ。目に見えるすべてを表現することではなく、写実主義ではなく、余分なものは省いて、肝心なものだけを描く。写実主義では本当の美の秘密は描けない。 クローデルは省略して凝縮することに気がついた初めての人ではないかと思う。まさに俳句の精神、深いもの、無への接近ができた。クローデルの脳裏には北斎があった。『百扇帖はクローデルが描いた北斎漫画』ではなかったか、と言いたい。」 続いて司会の芳賀さんに声をかけられて金子さんが以下の通り発言した。 「〈水の上に 水のひびき〉の句のように日本人が感じることができるような詩句をつくることがクローデルの素晴らしいところだが、クローデルの全体を見ると、日本にだけ入り込もうとはしていない。 筆を使っているのは大きい。中国や日本にいたことから全てが始まっているように思える。墨を使うと自分が書きながら画家と同じようになる。作者であるだけでなく作品の鑑賞者、批評家にもなれる。墨を使って書いたことが実験的であり、前衛的なことであった。 クローデルは1980年代以降、日本の詩とか東洋の詩を考えている。その余白は前衛的なことであった。 シュールレアリスト(超現実主義者)のアンドレ・ブルドンが初期の作品の『黒い森』という詩篇に何秒かの空白を入れた。その何秒かの空白が信じがたいほどの効果を出した。語と言うものの周りに置かれた空白のゆえに、またその後に書かなかった他の無数の語と接触するゆえに、とシュールレアリスム宣言に書いている。書かれること書かれないこと、無言の言葉、短縮ということがフランスでは前衛的なことと思う。 その余白の使い方はクローデルとは全然違う。クローデルの場合は象徴詩であると思う。ブルトンの場合は象徴であったならばシュールレアリズムにならないわけだ。その余白のくくり方が違う。クローデルは(〈かあさんの背で口を〉の後、空白をつくり〈ぽ〉と置き、改行して〈かんとあけて〉と続く、といった)『意味の出血』もだいぶ前から『百扇帖』に練り込んでいる。 句読点の廃止は、アポリネールが1913年の作品「アルコール」で初めて試みた。その中でマリーランサー(画家)との恋で有名なミラボー橋を詠んでいるが、そこで初めて句読点を廃止した。句読点は『百扇帖』にも全く入っていない。」 夏石さんが司会の芳賀さんに発言を促がされ、以下の通り述べた。 「(クローデルは)リズムも、書き方も、まっさらなところから書いている。パターンから書かない。日本に迫るとき、詩的な部分とナイーブな感性がうまくからまっている。 日本の中でいろんなものに着目するが、最後は水滴に集約していく。水、太陽、植物とかなりテーマがあるが、水滴に集約していくところがおもしろい。 山頭火も最終的には水を様々な角度から詠んでいる。クローデルも(山頭火と)接触はなかったが、日本は水というものに注目せざるを得ない環境にある。」 再び金子さんが発言、クローデルの『日本文学散歩』(芳賀訳)の以下の文言を紹介した。 「いいハイカイというものは、本質的に、一つの中心となる映像と、その映像 が心の中によびおこす反響、つまりはっきりと言いあらわされたものであれ、言外のものであれ、その映像をとりかこんで生じる一種の霊的精神的な暈(かさ)とからなっている、といえましょう。」 そして金子さんは「クローデルは大胆にいろいろなことをやろうする意思が強 くて、自分が吐く息のリズムに合うような詩づくりを貫き通していた。文体を省略し、自分の詩を作っていた。」とも述べた。 最後に芳賀さんが「クローデルは、もののあわれがわかっており、これからも日本人が読んで面白がり、さらに解釈してゆきたい詩人だ」と締めくくった。       (川面忠男 2018・6・30)