
令和元年 9月8日 樸句会報【第76号】 9月1回目。台風15号が静岡に上陸する気配を感じながらの句会となりました。
句会冒頭に、2020年版「戸田書店カレンダーノート」に樸の連衆の句が掲載されることが恩田より発表され、掲載一句一句に対する恩田からの熱い選評と、戸田書店先代社長夫人・戸田聰子さんの思い出が語られました。
兼題は、「月」と「爽やか」です。
特選句、入選句及び△1句を紹介します。 ◎特選
人類へ月の兎に近よるな
林 彰
生まれて初めて聞いた神話は、アマテラスでも海幸山幸でもなかった。
「お月さまにはうさぎがいて、おもちをついているんだよ」
幼いころはよく酒屋へお醤油を買いに行くお使いをさせられた。往きはカラの一升瓶が帰りはずっしり重い。赤ちゃんを胸に抱くようにして帰ったものだ。その時、幼ごころに長い道のりのおともはお月さまであった。夜道の心細さに「出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい、ぼーんのような月が」と歌えば、うさぎがはねた。もううさぎさん、後ろに行っちゃったかな。見上げるたびに、月から白い長い耳がこぼれそう。いつまでたってもついてくるのが不思議でならなかった。
二〇一九年の年頭に中国は月の裏側に人工衛星を着陸させた。九月にはインドの探査機が月の南極に着陸寸前。すでに五〇年前、アメリカ人が月を踏んだ。テレビ画面に写る月はまるで砂漠のように見えた。
中国神話では月には蟾蜍に化した嫦娥が住んでいる。神話は古代人の迷妄のしるしだとする考えもある。しかし、月の満ち欠けに再生を祈り不老不死を願った心性は、人間が死から免れない以上、現代人にもよくわかる。
掲句は月にではなく、「月の兎に近よるな」という。この差は大きい。
「わたしたちのなかに住む清らかなものを、知識と技術で滅ぼしてくれるな」
仰がれる時、月の兎はかがやかしい白をもってはね遊ぶ。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
月白やマジシャンは先づカード切る
田村千春
「月白」という美しい季語を、まだ俳句を始めてまもない作者は歳時記に発見し、たちどころに過去のある記憶がよみがえったという。手品を始める白い長い指が一束のカードを繚乱と歯切れよく切り始める。これから始まる魔法の空間の先触れのように。月はいま、銀の湖のように山窪の空を明るませている。まもなく中秋の名月が上がる。その前のときめくような、どこかものさびしいようなたまゆらの時間に、あやかしの十指が澄み切った時間の開幕を告げる面白さ。 (恩田侑布子)
○入選
袖まくり路上ピアノの爽やかに
田村千春
最近のテレビに、世界の各都市の駅のコンコースにピアノを置いて、自然発生的に繰り広げられる市民の演奏を紹介する番組がある。この句は「袖まくり」がいい。この初句で、ふだんから弾いている音楽家でも音大生でもないことがはっきり想像される。純粋に楽しみでピアノを弾くひとである。長袖になったばかりの秋服の袖をまくる。ちょっと久しぶり。「さあ」という心はやり。素朴な生活者の顔がそこに表れ、まさに爽やか。袖をまくる仕草はどこかカワイイ。 (恩田侑布子)
今回、特選と入選が奇しくも、名古屋市在住の精神科医と藤枝市在住の内科医という医師ふたりに占められた。俳句は文科系だけのものでないという良い証拠。もっとも文化系・理科系という旧概念から脱して、自由に往還し反響し合っていくところに日本と俳句の未来が開けるように思う。(恩田侑布子)
△ 爽やかやトレモロこぼす名無し指
村松なつを
合評では、プロではなく、アマチュアギター奏者が屋外で楽しく演奏している感じがする。薬指ではなく名無し指としたところにアマチュアの名もなき演奏家のイメージを重ねたのではないか。などという意見が挙がりました。
作者によると、「爽やか」という季語を「爽やかに」と使いたくなかったそうです。また、この句で演奏している楽器はギターではなくフルートであり、フルートではトレモロのことをトリルとも表現するとのこと。それを聞いた恩田は フルートのトリルさはやか名無し指 と添削し、映像がさらに鮮やかに浮かび上がりました。
(芹沢雄太郎)
今回、恩田より兼題「月」「爽やか」の例句の紹介がありました。その中で恩田は、俳句における「月」という季語の重要性と、「爽やか」という季語の作句の難しさを語りました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。 やはらかき身を月光の中に容れ 桂 信子
道なりに来なさい月の川なりに 恩田侑布子
過ちは過ちとして爽やかに 高浜虚子
爽やかに第一石をうちおろす 山口青邨
[後記]
今回は恩田と連衆の選がほとんど重なりませんでした。限られた選句の時間の中で、どれだけ相手の句を読み込めるのかが問われます。
「俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場であり、表現の喜びと共感の喜びがある」と恩田は言います。(※)
選句も作句と同等に修練を積んでいかねばと改めて思わされました。
次回の兼題は「音楽に関係した句」「秋刀魚」です。(芹沢雄太郎)
(※)恩田は5月10日開催の静岡高校教育講演会でも同様のことを述べています。 講演会のページへ
今回は、特選1句、入選2句、△2句、ゝシルシ5句、・11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)

令和元年 8月28日 樸句会報【第75号】
8月2回目の句会。夏の終わりの豪雨をついて連衆が集いました。なかには神奈川県から1年半ぶりに馳せ参じた方も。
兼題は、「夜食」と「盆」です。
特選句、入選句及び原石賞のうち2句を紹介します。
◎特選 みな死んでをはる戯曲や夜食喰ふ 山本正幸 登場人物がことごとく死んで終わる戯曲は、ギリシャ悲劇やシェークスピアなど、純文学に多い。人類最古の文学ギルガメシュ叙事詩も、英雄の不死への希求は叶わず、死を以て終る。作者は秋の夜長、重厚な戯曲に引きずり込まれ、こころを騒がせ共感する。はるかまで旅した劇のおわり、主人公のみならず全員が死んでしまった。なぜかいつもは食べない夜食を食べたくなるのである。
するどい感性の句である。理屈上の関係はない「みな死んでをはる戯曲」と「夜食」に、詩のゆたかな橋が架かった。みな死ぬのは戯曲ばかりじゃない。ここにいるものは一人残らず死ぬのだ。死の入れ子ともいうべきマトリョーシカが夜の闇に広がりだす。おれは元気だ。寝腹を肥やそう。熱 々のカップ麺をすすったにちがいない。「喰ふ」という身体性に着地したそこはかとない滑稽がいい。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
夜食とるまだ読点の心地して
猪狩みき
やりかけの仕事がまだまだ残っている。でもひとまずここで小休憩をかねた夜食としよう。サンドイッチなどの軽食をつまみながら、こころは落ち着かない。それを「読点の心地」と表現した巧みさ。壮年期のしなやかな働きぶりが伺われる。 (恩田侑布子) 合評では
「作者の自分の仕事への誠実さを感じます」
「勉強なのか仕事なのか、やり残しがある。その中途半端な気持ち悪さが“読点の心地”という措辞に出ている」
「“読点の心地”が素晴らしいと思います。まだまだ仕事が終わらず気がかりだったとき、上司がピザを取ってくれて、軽くササっと食べたことを思い出しました」
「“読点”をどう評価するか。クサいような気も・・・」
「何かが中断されたことのメタファーじゃないんですか?」
など様々な感想・意見が飛び交いました。 (山本正幸)
【原】晩夏光機影ひとつを残しをり
田村千春 【改】晩夏光機影一つを地に残し 原句では、飛行機の機体が晩夏の空中にとどまっているようで、心に浮かんだ幻想にすぎなくなる。ひとつを「一つ」と漢字表記にし、「地」という措辞一字を新たに入れるだけで、機体の影はくっきりと黒く、大地のみならず胸にも刻印される。 (恩田侑布子)
合評では
「夏の終わりのものさびしさがよく出ています」
「ロシアかどこかの軍用機が領空侵犯して飛び去ったとか…」
などの感想が述べられました。
(山本正幸)
【原】荷台より足垂らしてやいざ夜食
島田 淳 【改】荷台より足を垂らしていざ夜食
原句では、中七の「や」の切字と、下五の「いざ」というさそいかけの感動詞とが混線している。トラックの荷台に足を垂らして夜食を摂る働く仲間同士の労働歌なので、「いざ」だけにしてすっきりさせれば、やっと夜食と休憩にありつけたつつましやかな安堵とよろこびがにじむ自然ないい句になる。(恩田侑布子)
投句の合評に入る前に芭蕉の『野ざらし紀行』を少し読みすすめました。
取りあげられた三句と恩田の解説の要点は次のとおりです。
市人(いちびと)よこの笠うらう雪の傘
客気(かっき)の句。昂揚感があらわれている。風狂精神あり。
馬をさへながむる雪の旦(あした)かな
古典の中でうまれたのではなく、眼前の句。茶色の馬体と雪の朝とが釣りあっている。省略がよく効いており、暗誦性に富む。
海くれて鴨の聲ほのかに白し
余白に富んだ名句。波間から鴨の声が聞こえてくる。「ほのかに白し」にいのちのほの白さが宿る。芭蕉の中の「白」のイメージには清浄たるものへの憧れがある。「淡いかなしみの安堵感」と捉えた高橋庄次説も紹介して、連衆それぞれの感受を問うた。聴覚(声)が視覚(白)として捉えられているところに時代を超えた新しみがある。(「共感覚」に関するテキストとして中村雄二郎『共通感覚論』(岩波現代文庫)が恩田から紹介されました)
合評・講評の後は、最近出版された
行方克巳句集『晩緑』(2019年8月)
から恩田が抽出した句を鑑賞しました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。
冬空のその一碧を嵌め殺す 地下モールにも木枯の出入口 尋ね当てたれば障子を貼つてをる 雪螢しんそこ好きになればいい
行方克巳『晩緑』のページへ
[後記]
本日の特選句について、「西鶴の女みな死ぬ夜の秋」(長谷川かな女)の等類ではないかとの指摘がありました。恩田は、「かな女の句は浮世草子のなかの女の人生に終始しますが、正幸さんの句は、最後に自身の身体性に引きつけて終るのがいいです。詠まれている世界が異なるので、類句とは言えないでしょう」とこれを退けましたが、講師の評価に対しても疑義を呈し、闊達に議論できる樸俳句会の自由さ、風通しの良さをあらためて実感した次第です。
筆者としてはかな女の句をそもそも知らなかったおのれの不勉強が身に沁みましたが・・。
次回の兼題は「月」「爽やか」です。 (山本正幸) 今回は、特選1句、入選1句、原石3句、△2句、 ゝシルシ4句、・8句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年 8月4日 樸句会報【第74号】 猛暑日が続く八月最初の句会。暑さのためか欠席者がいつもより多くちょっとさびしい句会になるかと思いましたが、始まれば熱のある楽しい句会となりました。
兼題は、「夕焼」と「祭」です。 今回は原石賞1句と△2句を紹介します。
【原】はらつぱに忘れものあり夕焼かな
田村千春
【改】はらつぱに忘れものある夕焼かな
「はらつぱ」というなつかしい措辞は、万人の胸に郷愁を呼び起こす。そこに少女は大事なものを忘れて来てしまった。石けり遊びでいつも使うお気に入りの石だったかもしれない。人にはどうでもいいものだが、自分にはかけがえのないものが大人になった今もある。それは少女の日の忘れもののように、胸の底に夕焼けと一緒に住んでいる。 遠い街でふと夕焼を見上げても、その下でいまも自分を待っているような気がして胸がうずく。 この句の忘れものは、昔と今とがダブルイメージになっているところがいい。作者の永遠の忘れものなのだろう。
俳句初心者の作者は、切字「かな」の使い方に通じず、中七を「あり」と終止形で切ってしまい、「忘れ物」と「夕焼」がばらばらになってしまった。
連体形の「ある」にすればすべて解決する。 句頭の「はらっぱ」から「夕焼」まで一気につながり、句末の「かな」で、そこまでに撓められた圧力が一挙に放出され、夕焼けが大きく広がってくれる。 (恩田侑布子)
合評では「一日の終わりの夕焼けのもつかなしみと”忘れもの”が重なる」「逆に、“忘れもの”と “夕焼”のさみしさが即き過ぎのような気もします」「ぽつんと残っているものの感じが書けている」などの感想がありました。 (猪狩みき)
切字「かな」を使った芝不器男の名句が恩田から紹介されました。
この奥に暮るゝ峡ある柳かな 芝不器男 南風の蟻吹きこぼす畳かな 芝不器男 あなたなる夜雨の葛のあなたかな 芝不器男
△ 小遣ひを残して帰る祭の夜
島田 淳
子供のころ、お祭の日は親から特別なお小遣いがもらえた。チャックのお財布を握りしめて、参道の夜店や神社の境内を見て歩く。でもこの子はあれもこれもとすぐ使ったりしない。「もったいない。あとは貯金しよう」と決めて、暗くなった夜道を帰っていく。誰にもある子ども時代のさりげない体験を掬い取ったよさ。いじらしく思慮深い子どもは、その後どんな人生を歩いていくのだろう。「祭かな」だと他人事めいてしまうが、「祭りの夜」としたことで実感がこもった。 (恩田侑布子)
本日の最高点句でした。「よくある光景だが、その光景を句としてよくすくいあげている」「こども時代を思い出した。こどもの気持ちがよく出ている」「帰り道の暗さ、心細さが感じられました」という評でした。 (猪狩みき)
△ 外れなき籤引き待つや氷水
芹沢雄太郎 かき氷をガリガリ手動で掻いてくれるおばさんのいる店。狭い店内で、子どもどうしぎゅうぎゅう坐って、氷いちごや、氷レモンを食べる。赤や黃に染まった口でふざけあう。今日はおまけのくじ付きだ。何か当たるよ。飴かもしれないけど、車のおもちゃかもしれない。楽しみ。氷水のチープさが横丁に住みなすよろこびと合っている。「外れなき」の句頭が心地よい。(恩田侑布子) 合評でも、「こどものわくわく感」「こどもの喜び、うれしい感じ」「ハズレがないんだ!という安心感」がよくあらわされているという意見が多くでていました。 (猪狩みき)
今回の兼題の例句として恩田が板書したものは以下の句です。 夕焼て指切りの指のみ残り 川崎展宏
夕焼の金をまつげにつけてゆく 富沢赤黄男
夕焼のほかは背負はず猿田彦 恩田侑布子
肉塊に沈没もする神輿あり 阿波野青畝
神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎
祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子
老杉の根方灯ともす祭かな 恩田侑布子
合評の後は、中嶋鬼谷、行方克巳、小川軽舟 各氏の最近の句集から抄出した36句(12句×3)を読みました。三人の句風の違いから、自分たちは俳句で何を書くのか、書きたいと思っているのかという話題になりました。
連衆の点を多く集めたのは次の句でした。 西行忌花と死の文字相似たり 中嶋鬼谷
都鳥水の火宅もありぬべし 行方克巳
雪降るや雪降る前のこと古し 小川軽舟
[後記]
原石賞句の鑑賞で、恩田先生が切れ字「かな」について書いています。切れ字によって句のリズムや間、言葉の圧が変わっていくことがわかります。「切れ字の役割」というような学習をするだけでなく(この学習も足りないのですが)、実際に使って作句すること、良い句を多く読んで感覚を得ることが大切であることがわかりました。
次回の兼題は「盆」「夜食」です。 (猪狩みき)
今回は、 特選、 入選ともなく、 原石賞2句、 △3句、ゝシルシ3句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
なお、7月7日と7月24日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。

令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。
兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。
特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。
◎特選
メーデーや白髪禿頭鬨の声
島田 淳
日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◎特選
さつき雨猿の掌光る屋久の森
林 彰
季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。
〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
△ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む
村松なつを
合評では
「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」
「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。
「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。
△ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり
芹沢雄太郎
恩田だけが採り、
「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。
ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す
松井誠司
本日の最高点句でした。
恩田は、
「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。
ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士
萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。
「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。
ゝ 病む人にこの囀りを届けたし
樋口千鶴子
「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。
恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩
彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人
やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城
手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子
手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼
手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子
生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子
歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子
樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。
そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ
久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。
[後記]
句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。
本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。
次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)
今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年 6月26日 樸句会報【第73号】 いかにも梅雨の季節という日に句会がありました。 兼題は「青蛙、雨蛙」と「薔薇」。
◎特選2句、○入選1句を紹介します。
◎特選
薔薇園の眼下海抜ゼロの町
天野智美
近景の薔薇園と、眼下に広がる海抜ゼロメートルの町並みの対比が衝撃的である。
赤やピンクの薔薇の中を歩けば王侯貴族の気分を味わえる。ましてや花園は空中庭園と言ってもいいほど、遮るもののない海に突き出た山鼻にある。真っ青な空と海と、あでやかに感覚を蕩かす薔薇の色と匂いと。しかし、遠い海ではない中景の足下には、マッチ箱のような屋根が陽光を反射し無数にひしめいている。防潮堤一枚に囲われ、海と同じ平面に張り付いた町並み。ひとたび、地震による津波が起これば阿鼻叫喚の地獄になる。妖しい美しさと恐怖の危険とが隣り合っている。それは、この薔薇園に限らない。わたしたち二十一世紀日本の普遍的な現実の姿なのだ。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◎特選
金山やつるはし跡の青蛙
海野二美
静岡県では梅ヶ島と土肥が、全国では佐渡金山が有名である。どこも金山といえば、金堀人夫たちが命がけで坑道に取り組んでいた。その昔のつるはしの跡に乗っかって、青蛙が可愛い顔をしてこっちを見ている。四〇〇年前の採掘当時も青蛙が同じようにケロリとやってきたことだろう。無宿人の地獄のような一生の一方で、ゴールドラッシュに沸き返るお大尽もいたに違いない。人間の欲と苦労の営 々たる歴史を何も知らない青蛙のかわいさが印象的だ。洗い立てたような青蛙の眼が、逆に人間の営みを浮かび上がらせる射程距離は大きい。平易な措辞によるさりげない俳句の裏には、作者の長年にわたる修練の裏付けがある。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◯入選
引きこもる窓に一匹青蛙
林 彰
引きこもるそのひとの窓に一匹の青蛙が貼り付いている。
「大丈夫かい。ぼくのいるところまで出ておいでよ」というように。梅雨時の雨が、ときどき降って、窓に雨滴が溜まっている。
物音もしない。なかに人がいるとは思えない静けさ。でもぼくは知っている。そのひとはそのなかに暮らしている。
80-50問題がマスコミでさわがれる。ひきこもりはいまや少青年のみならず全世代の問題だ。時事俳句といえなくはないが、そういいたくない静謐さは、作者のやさしさがそのまま青蛙に乗り移っているから。(恩田侑布子) 今回の最高点句のひとつでした。(もう一句は特選の“薔薇園の”句)
合評では、青蛙のやさしさ、かわいらしさに言及した評が多くありました。また、この句が、部屋の内側から見て書いている句か部屋の外から見ての句かの議論がありました。「内側から詠んだ句と読むと短歌的叙情句となり、つらさが出過ぎる。外から見た方が世界が広がる。俳句的には、‟距離‟がある方が良いので、外から見ている句と読みたい」と恩田が評しました。(猪狩みき)
合評の後は、『文芸春秋』(7月号)、『現代俳句』(6月号)に載った俳句を鑑賞しました。
息継ぎのなき狂鶯となりゆくも 恩田侑布子 教会の鐘に目覚めて風五月 片山由美子 水無月の底なる父の手を摑む 水野真由美
などが連衆に人気。 「写生、即物具象での作句が絶対と考える作家もいれば、象徴詩として俳句をとらえ、隠喩を大事にしている作家もいる。‟どの考え、方法でなければいけない‟とは私は考えていない。それぞれが自分の足場から水準の高い俳句を作ってくれればよい」と恩田が述べました。
[後記]
鑑賞の中で、「詠んでいるものとの距離」が話題になりました。短歌との違い、俳句らしさはその距離にあるということだったと思います。また、ある句について「平易だけれど射程が深い句」と恩田先生が表現していたのが印象的でした。「俳句」の表現についていつも以上に考えさせられた回でした。
次回兼題は、「夏の朝」と「雷」です。(猪狩みき)
今回は、特選2句、入選1句、△3句、ゝシルシ4句、・シルシ 7句でした。欠席投句者の入選が多かった会になりました。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年5月15日 樸句会報【第71号】 五月第二回目の句会。まさに五月晴れの中を連衆が集ってきました。
兼題は「鰹」と「“水”という字を使って」。
◎特選 緑降る飽かず色水作る子へ 見原万智子
「緑さす」は夏の季語。「緑降る」は季語と認められていないかもしれません。でも、朝顔の花などで色水をつくっている子の周りに、ゆたかな緑の木立があって、一心に色を溶かし出している腕や手や、しろがねの水に「緑が降る」とは、なんという美しい発見でしょう。ピンクや紫色の色水に、青葉を透かして陽の光の緑がモザイクのように降り注ぎます。色彩の祝福に満ちた夏の日の情景。誰の胸の底にもある原体験をあざやかに呼び覚ますうつくしい俳句です。
見原さんはこの句で、「緑降る」という新造季語の作者にもなりました。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◯入選
皮のままおろす生姜や初鰹
天野智美 句の勢いがそのまま初鰹の活きのよさ。ふつうはヒネ生姜の皮を剥くが、ここでは晒し木綿でキュキュッと洗って、すかさず下ろし、大皿に目にもとまらぬ早さで盛り付ける。透き通る鋭い切り口に、銀色の薄皮が細くのこり、生姜や葱や新玉ねぎの薬味も香り高い。初鰹の野生を活かすスピード感が卓抜。(恩田侑布子) この句を採ったのは恩田のほか女性一人。
「美味しそう!」との共感の声があがりました。(山本正幸) ◯入選
藁焼きの鰹ちよい塩でと漢
海野二美 ワイルドな料理を得意とするかっこいい男を思ってしまった。港で揚がった鰹を、藁でくるんでさっとあぶり、締めた冷やしたてを供してくれる時、「ちょい塩で行こうぜ」なんて言ったのかと思いきや、これは作者の弁によれば、御前崎の「なぶら市場」のカウンターでのこと。隣に座ったウンチク漢のセリフという。やっぱり体験がないと、俳句は読み解けないことを痛感した次第。(恩田侑布子) 選句したのは恩田以外一人だけでしたが、合評は盛り上がりました。
「“漢”で終わっている体言止めがいい。暮らしが見えてきます」
「“漢”がイヤ。“女”ではダメですか? ジェンダー的にいかがなものか」
「ジェンダー云々というのではなく、文学的にどうかということなのでは?」
「お客さんがお店のカウンターで注文したところじゃないでしょうか?」
「男の料理と思いました」
など議論沸騰。 (山本正幸) ◯入選
水滸伝読み継ぐ午后のラムネかな
山本正幸 上手い俳句。明代の伝奇小説の滔々たる筋に惹き込まれてゆく痛快さに、夏の昼下がりをすかっとさせるラムネはぴったり。ラムネ玉の澄んだ音まで聞こえてきそう。この水滸伝は原文の読み下しの古典ではなくて、日本人作家の翻案本か、ダイジェストか、あるいは漫画かもしれない。という意見もあったが、たしかに長椅子に寝転がって読んでいる気楽さがある。夏の読書に水滸伝はうってつけかも。(恩田侑布子)
合評では
「“水滸伝”に惹かれました。複合動詞がぴったり。ラムネも好き」
「上手いけど、ありそうな句。手に汗を握ってラムネを飲んでいる」
「“水滸伝”は昔少年版で読みましたよ」
「“水滸伝”の“水”と“ラムネ”の取合せがどうでしょうね?」
などの感想、意見が聞かれました。(山本正幸)
【原】まだ距離をはかりかねゐて水羊羹
猪狩みき 知り合って間もないふたりが対座する。なれなれし過ぎないか。よそよそし過ぎないか。どんな態度が自然なのか。どぎまぎする気持ちが、水羊羹の震えるような切り口に託される。が、このままでは調べがわるい。「ゐて」でつっかえ、水羊羹に砂粒があるよう。 【改】まだ距離をはかりかねをり水羊羹 「はかりかねをり」とすれば、スッキリした切れがうまれ、水羊羹の半透明の肌が、ぷるんとなめらかな質感に変化する。「り・り・り」の三音のリフレインも涼しく響きます。
【原】はがね色目力のこる鰹裂く
萩倉 誠
詩の把握力は素晴らしい。でもこのままだと、「のこる」のモッタリ感と「裂く」のシャープ感が分裂してしまう。
【改】鰹裂くはがね色なる眼力を
こうすれば、鰹に包丁を入れる作者と、鰹の生けるが如き黒目とが、見事に張り合う。拮抗する。そこに「はがね色」の措辞が力強く立ち上がって来るのでは。
【原】水中に風のそよぎや三島梅花藻
天野智美
柿田川の湧水に自生している三島梅花藻は、源兵衛川でも最近はよくみられるという。清水に小さな梅の花に似た白い花が、緑の藻の上になびくさまはじつに涼しげ。それを「水中にも風のそよぎがある」と捉えた感性は素晴らしい。しかし、残念なのはリズムの悪さ。下五が七音で、おもったるくもたついている。
【改】みしま梅花藻水中に風そよぐ
上下を入れ替え、漢字を中央に寄せて、上下にひらがなをなびかせる。「風のそよぎや」で切っていたのを、かろやかに「風そよぐ」と止めれば、言外に余白が生まれ涼しさが感じられよう。
(以上講評・恩田侑布子)
第53回蛇笏賞を受賞した大牧広(惜しくも本年4月20日に逝去)の第八句集から第十句集の中から恩田が抄出した句をプリントで配布しました。
連衆の共感を呼んだのは次の句です。
枯葉枯葉その中のひとりごと
凩や石積むやうに薬嚥む
外套の重さは余命告ぐる重さ 落鮎のために真青な空があり
ひたすらに鉄路灼けゐて晩年へ
春帽子大きな海の顕れし
人の名をかくも忘れて雲の峰
秋の金魚ひらりひらりと貧富の差
仏壇にころがり易き桃を置く
本日句会に入る前に『野ざらし紀行』を読みすすめました。
あけぼのやしら魚白き事一寸(いつすん)
漢詩には「白」を主題に詠む伝統があり、芭蕉の句もこれを継いでいるという説がある(杜甫の“天然二寸魚”)。しかし、典拠はあるものの芭蕉の句は杜甫の詩にがんじがらめになっていない。古典の知識だけで書いているのではない、遠く春を兆した冬の朝のはかない清冽な美しさがここにある。新しい文学の誕生を告げる句のひとつである。と恩田が解説しました。
[後記]
句会の終わり際に読んだ大牧広の句には筆者も共感しました。80歳を超えても、「老成」せず、枯れず、あたかも北斎やピカソのように「自己更新」してやまない俳人の姿に多くの連衆がうたれたのです。
恩田も5月10日の静岡高校教育講演会において、「きのふの我に飽くべし」との芭蕉の言葉を援用し「自己更新」の喜びを語っていました。 ※講演会についてはこちら 次回兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。 (山本正幸) 今回は特選1句、入選3句、原石3句、△3句、シルシ6句、・11句と盛会でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年5月5日 樸句会報【第70号】 10連休のさなか、夏のような陽気の5月5日に句会がありました。
兼題は「袋掛」と「夏山」。 入選1句、△2句を紹介します。
○入選
げんげ編めば編むほどひと日長くなる
田村千春
恩田以外に採った人は男性が一人。
「かわいいなあという思いがわく。少女が野原で日が暮れるのを忘れるほど集中してげんげを編んでいる。時間の長さとひと日の長さのハーモニーが良い」と共感を述べました。
「観察者ではなく編んでいる人になりきって詠んでおり、ふしぎな詩の発見がある。”編めば編むほどひと日長くなる“と感じられるときがある。いまこのときが永遠のような気がする感覚。‟春日遅遅”の情が深くとらえられた。春の空気感がリアルで、リズムと内容が合っている。前半の「げ」「ば」「ど」の濁音が編み込まれてゆく湿ったげんげ束の質感をおもわせ、大変効果的」と恩田侑布子が評しました。
△ 青重くとろり滴る山となる
萩倉 誠
「一物仕立ての句。芭蕉の“黄金打延べたる句”ですね。一物仕立ては難しいのだが、成功すればうまい、平凡でない句になる。山の存在感が表現されている、感覚のいい句。‟青重く‟は、この句のよさでもあり悪さでもあるところ。‟青“と‟滴る山”で季重なりの気味があるからです。青を消す方向で考えてみると大化けしそう」と恩田が評しました。
△ 薫風や四元号をかくる友
前島裕子
恩田のみに採られた句でした。
「友がいい。父や母なら成り立たない。友はある意味、人生の伴走者なので、大正、昭和、平成、令和の四元号を駈ける実感がともなう。そこに句の力強さが生まれた。実際に即していえば、かなりお齢のはなれた友だろう。その老境の友への尊敬とエールが、こちらに反響してかえってくる。こころあたたまる句です」(恩田評)
(参考)芭蕉の“黄金打延べたる句”
先師曰く、発句は頭よりすらすらといひ下し来るを上品(じょうぼん)とす。先師酒堂に教えて曰く、発句は汝が如く、二つ三つ取り集めするものにあらず。金(こがね)を打延べたる如くなるべし、と也。(『去来抄』)
[後記]
季語をどう斡旋するか、季語の本意をわきまえて使うことの重要性も合評の中で話題になりました。季語を自分の中でどう実感のあるものにしていくかが大事だということをあらためて感じました。「題を出されてそれに合わせて句を作るだけでなく、自分の表現したいものをその時々の季語を選んで作句するという主体的な句作りも大事に大切に育てていってほしい」という恩田先生の言葉を心にとめておきたいと思います。
次回兼題は、「鰹」と「‟水“の文字を使った句」です。(猪狩みき) 今回は、入選1句、△3句、シルシ4句、・15句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。
兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。
○入選
口紅で書き置くメモや花くぬぎ
村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子)
合評では
「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」
「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」
「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」
「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」
「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」
「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」
「歌謡曲的ではある」
など盛り上がりました。 (山本正幸)
○入選
暗闇に若冲の雉うごきたる
前島裕子
「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。
この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では
「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」
「季語が効いていないのでは?」
「暗闇でものが見えるんでしょうか」
「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」
「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」
と辛口気味の感想、意見が聞かれました。
(山本正幸)
故宮博物院にて
【原】春深し水より青き青磁かな
海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。
△ 君にキス立入禁止芝青む
見原万智子
三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。
△ 渇愛や草の海ゆく雉の頸
伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。
△ ぬうと出て櫟の花を食む草魚
芹沢雄太郎
ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢
樋口千鶴子
4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。
(以上講評は恩田侑布子)
今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。
多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ
[後記]
本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。
「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。
句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。
次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間
ゝシルシ ・シルシと無印の中間)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。