令和元年5月15日 樸句会報【第71号】 五月第二回目の句会。まさに五月晴れの中を連衆が集ってきました。 兼題は「鰹」と「“水”という字を使って」。 ◎特選 緑降る飽かず色水作る子へ 見原万智子 「緑さす」は夏の季語。「緑降る」は季語と認められていないかもしれません。でも、朝顔の花などで色水をつくっている子の周りに、ゆたかな緑の木立があって、一心に色を溶かし出している腕や手や、しろがねの水に「緑が降る」とは、なんという美しい発見でしょう。ピンクや紫色の色水に、青葉を透かして陽の光の緑がモザイクのように降り注ぎます。色彩の祝福に満ちた夏の日の情景。誰の胸の底にもある原体験をあざやかに呼び覚ますうつくしい俳句です。 見原さんはこの句で、「緑降る」という新造季語の作者にもなりました。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ◯入選 皮のままおろす生姜や初鰹 天野智美 句の勢いがそのまま初鰹の活きのよさ。ふつうはヒネ生姜の皮を剥くが、ここでは晒し木綿でキュキュッと洗って、すかさず下ろし、大皿に目にもとまらぬ早さで盛り付ける。透き通る鋭い切り口に、銀色の薄皮が細くのこり、生姜や葱や新玉ねぎの薬味も香り高い。初鰹の野生を活かすスピード感が卓抜。(恩田侑布子) この句を採ったのは恩田のほか女性一人。 「美味しそう!」との共感の声があがりました。(山本正幸) ◯入選 藁焼きの鰹ちよい塩でと漢 海野二美 ワイルドな料理を得意とするかっこいい男を思ってしまった。港で揚がった鰹を、藁でくるんでさっとあぶり、締めた冷やしたてを供してくれる時、「ちょい塩で行こうぜ」なんて言ったのかと思いきや、これは作者の弁によれば、御前崎の「なぶら市場」のカウンターでのこと。隣に座ったウンチク漢のセリフという。やっぱり体験がないと、俳句は読み解けないことを痛感した次第。(恩田侑布子) 選句したのは恩田以外一人だけでしたが、合評は盛り上がりました。 「“漢”で終わっている体言止めがいい。暮らしが見えてきます」 「“漢”がイヤ。“女”ではダメですか? ジェンダー的にいかがなものか」 「ジェンダー云々というのではなく、文学的にどうかということなのでは?」 「お客さんがお店のカウンターで注文したところじゃないでしょうか?」 「男の料理と思いました」 など議論沸騰。 (山本正幸) ◯入選 水滸伝読み継ぐ午后のラムネかな 山本正幸 上手い俳句。明代の伝奇小説の滔々たる筋に惹き込まれてゆく痛快さに、夏の昼下がりをすかっとさせるラムネはぴったり。ラムネ玉の澄んだ音まで聞こえてきそう。この水滸伝は原文の読み下しの古典ではなくて、日本人作家の翻案本か、ダイジェストか、あるいは漫画かもしれない。という意見もあったが、たしかに長椅子に寝転がって読んでいる気楽さがある。夏の読書に水滸伝はうってつけかも。(恩田侑布子) 合評では 「“水滸伝”に惹かれました。複合動詞がぴったり。ラムネも好き」 「上手いけど、ありそうな句。手に汗を握ってラムネを飲んでいる」 「“水滸伝”は昔少年版で読みましたよ」 「“水滸伝”の“水”と“ラムネ”の取合せがどうでしょうね?」 などの感想、意見が聞かれました。(山本正幸) 【原】まだ距離をはかりかねゐて水羊羹 猪狩みき 知り合って間もないふたりが対座する。なれなれし過ぎないか。よそよそし過ぎないか。どんな態度が自然なのか。どぎまぎする気持ちが、水羊羹の震えるような切り口に託される。が、このままでは調べがわるい。「ゐて」でつっかえ、水羊羹に砂粒があるよう。 【改】まだ距離をはかりかねをり水羊羹 「はかりかねをり」とすれば、スッキリした切れがうまれ、水羊羹の半透明の肌が、ぷるんとなめらかな質感に変化する。「り・り・り」の三音のリフレインも涼しく響きます。 【原】はがね色目力のこる鰹裂く 萩倉 誠 詩の把握力は素晴らしい。でもこのままだと、「のこる」のモッタリ感と「裂く」のシャープ感が分裂してしまう。 【改】鰹裂くはがね色なる眼力を こうすれば、鰹に包丁を入れる作者と、鰹の生けるが如き黒目とが、見事に張り合う。拮抗する。そこに「はがね色」の措辞が力強く立ち上がって来るのでは。 【原】水中に風のそよぎや三島梅花藻 天野智美 柿田川の湧水に自生している三島梅花藻は、源兵衛川でも最近はよくみられるという。清水に小さな梅の花に似た白い花が、緑の藻の上になびくさまはじつに涼しげ。それを「水中にも風のそよぎがある」と捉えた感性は素晴らしい。しかし、残念なのはリズムの悪さ。下五が七音で、おもったるくもたついている。 【改】みしま梅花藻水中に風そよぐ 上下を入れ替え、漢字を中央に寄せて、上下にひらがなをなびかせる。「風のそよぎや」で切っていたのを、かろやかに「風そよぐ」と止めれば、言外に余白が生まれ涼しさが感じられよう。 (以上講評・恩田侑布子) 第53回蛇笏賞を受賞した大牧広(惜しくも本年4月20日に逝去)の第八句集から第十句集の中から恩田が抄出した句をプリントで配布しました。 連衆の共感を呼んだのは次の句です。 枯葉枯葉その中のひとりごと 凩や石積むやうに薬嚥む 外套の重さは余命告ぐる重さ 落鮎のために真青な空があり ひたすらに鉄路灼けゐて晩年へ 春帽子大きな海の顕れし 人の名をかくも忘れて雲の峰 秋の金魚ひらりひらりと貧富の差 仏壇にころがり易き桃を置く 本日句会に入る前に『野ざらし紀行』を読みすすめました。 あけぼのやしら魚白き事一寸(いつすん) 漢詩には「白」を主題に詠む伝統があり、芭蕉の句もこれを継いでいるという説がある(杜甫の“天然二寸魚”)。しかし、典拠はあるものの芭蕉の句は杜甫の詩にがんじがらめになっていない。古典の知識だけで書いているのではない、遠く春を兆した冬の朝のはかない清冽な美しさがここにある。新しい文学の誕生を告げる句のひとつである。と恩田が解説しました。 [後記] 句会の終わり際に読んだ大牧広の句には筆者も共感しました。80歳を超えても、「老成」せず、枯れず、あたかも北斎やピカソのように「自己更新」してやまない俳人の姿に多くの連衆がうたれたのです。 恩田も5月10日の静岡高校教育講演会において、「きのふの我に飽くべし」との芭蕉の言葉を援用し「自己更新」の喜びを語っていました。 ※講演会についてはこちら 次回兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。 (山本正幸) 今回は特選1句、入選3句、原石3句、△3句、シルシ6句、・11句と盛会でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
「句会報告」カテゴリーアーカイブ
5月5日 句会報告
令和元年5月5日 樸句会報【第70号】 10連休のさなか、夏のような陽気の5月5日に句会がありました。 兼題は「袋掛」と「夏山」。 入選1句、△2句を紹介します。 ○入選 げんげ編めば編むほどひと日長くなる 田村千春 恩田以外に採った人は男性が一人。 「かわいいなあという思いがわく。少女が野原で日が暮れるのを忘れるほど集中してげんげを編んでいる。時間の長さとひと日の長さのハーモニーが良い」と共感を述べました。 「観察者ではなく編んでいる人になりきって詠んでおり、ふしぎな詩の発見がある。”編めば編むほどひと日長くなる“と感じられるときがある。いまこのときが永遠のような気がする感覚。‟春日遅遅”の情が深くとらえられた。春の空気感がリアルで、リズムと内容が合っている。前半の「げ」「ば」「ど」の濁音が編み込まれてゆく湿ったげんげ束の質感をおもわせ、大変効果的」と恩田侑布子が評しました。 △ 青重くとろり滴る山となる 萩倉 誠 「一物仕立ての句。芭蕉の“黄金打延べたる句”ですね。一物仕立ては難しいのだが、成功すればうまい、平凡でない句になる。山の存在感が表現されている、感覚のいい句。‟青重く‟は、この句のよさでもあり悪さでもあるところ。‟青“と‟滴る山”で季重なりの気味があるからです。青を消す方向で考えてみると大化けしそう」と恩田が評しました。 △ 薫風や四元号をかくる友 前島裕子 恩田のみに採られた句でした。 「友がいい。父や母なら成り立たない。友はある意味、人生の伴走者なので、大正、昭和、平成、令和の四元号を駈ける実感がともなう。そこに句の力強さが生まれた。実際に即していえば、かなりお齢のはなれた友だろう。その老境の友への尊敬とエールが、こちらに反響してかえってくる。こころあたたまる句です」(恩田評) (参考)芭蕉の“黄金打延べたる句” 先師曰く、発句は頭よりすらすらといひ下し来るを上品(じょうぼん)とす。先師酒堂に教えて曰く、発句は汝が如く、二つ三つ取り集めするものにあらず。金(こがね)を打延べたる如くなるべし、と也。(『去来抄』) [後記] 季語をどう斡旋するか、季語の本意をわきまえて使うことの重要性も合評の中で話題になりました。季語を自分の中でどう実感のあるものにしていくかが大事だということをあらためて感じました。「題を出されてそれに合わせて句を作るだけでなく、自分の表現したいものをその時々の季語を選んで作句するという主体的な句作りも大事に大切に育てていってほしい」という恩田先生の言葉を心にとめておきたいと思います。 次回兼題は、「鰹」と「‟水“の文字を使った句」です。(猪狩みき) 今回は、入選1句、△3句、シルシ4句、・15句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
4月24日 句会報告
平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。 兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。 ○入選 口紅で書き置くメモや花くぬぎ 村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子) 合評では 「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」 「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」 「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」 「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」 「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」 「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」 「歌謡曲的ではある」 など盛り上がりました。 (山本正幸) ○入選 暗闇に若冲の雉うごきたる 前島裕子 「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。 この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では 「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」 「季語が効いていないのでは?」 「暗闇でものが見えるんでしょうか」 「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」 「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」 と辛口気味の感想、意見が聞かれました。 (山本正幸) 故宮博物院にて 【原】春深し水より青き青磁かな 海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。 △ 君にキス立入禁止芝青む 見原万智子 三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。 △ 渇愛や草の海ゆく雉の頸 伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。 △ ぬうと出て櫟の花を食む草魚 芹沢雄太郎 ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢 樋口千鶴子 4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。 (以上講評は恩田侑布子) 今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。 多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨 東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ [後記] 本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。 「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。 句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。 次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間 ゝシルシ ・シルシと無印の中間)
4月7日 句会報告と特選句
平成31年4月7日 樸句会報【第68号】 今回は花盛りの吟行句会でした。 午前中に各々が駿府城公園や浅間神社など市内中心地の緑ゆたかな場所で作句し、午後より「もくせい会館」(静岡県職員会館)の和室にて開催されました。新たに2名の仲間が加わり、県外からの参加者も含め総勢14名の連衆とともに、恩田が持参した甘い苺を食べながらの賑やかな句会となりました。 ◎特選1句、○入選2句を紹介します。 ◎特選 大杉栄の墓にて 刻まれし名前ひよろりと草若葉 天野智美 大杉栄は大正時代のアナーキストで、関東大震災の混乱の中、軍部によって、妻の伊藤野枝と六つの甥とともに虐殺された。その墓が静岡の沓谷にある。 私はまだ墓参したことがないが、この句を読んで、大杉栄という無政府主義者の生き方が生 々しく立ち上がってくるのを感じた。一句は真ん中八音目の「名前」で切断される。ちょうど栄が三八歳という人生の真ん中で、拷問後に扼殺されたように。切れを挟んで、句の下半身は視線が地べたへ移る。雑草は踏まれても潰されてもなにくわぬ顔をして「ひよろりと」春の日差しに生え出てくる。墓石に刻まれた一個のアナーキストの名前と、痩せていてもなかなか根強い草若葉の生命力が対比される。それがアナーキズムという東西古代からの人類史を脈 々と流れている思想のリアルな息吹であることも体感させる。栄の生涯を悼みながら、人類史を展望し、現代の地球上の草の根の営みまで励ます。淡々として大きな句である。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ○入選 籾蒔くや抜け出しさうな子を背負ひ 芹沢雄太郎 合評では、「現在の事ではなく、人手が足りなくて、子どもを背負ってでもやらなければならない農作業をしていた昔の話ではないか」「言葉として残しておきたい情景である」「そもそも今回の吟行句ではないのではないか」などの感想がありました。 恩田侑布子は 「籾を蒔く光景は今ではなかなか見られなくなった。しかも子どもを負ぶいながらとは、ますます貴重な情景。“抜け出しさうな子”に、なんとも元気で健康そうな、自分で立ちたがっている一歳ぐらいの子の実感がある。三人のお子を育てながら芹沢さんの奥さんは籾蒔きをされるという。これは家族じゅうで力を合わせて創った俳句。だからはちきれんばかりの命に満ちている」 と評しました。 ○入選 古墳へと迫る春筍掘りにけり 芹沢雄太郎 恩田だけが採った句でした。 「静岡市の街なみの真ん中には、ぽこんぽこんとかわいいいくつかの山があって、市民の散策場になっている。この古墳も「きよみずさん」の愛称で親しまれている山頂のもの。山の下にすむ近所の人が、ハシリの筍を掘りに来た。それを“古墳へと迫る春筍”と捉えた眼が卓抜。古墳に、顔を出しかけた春筍が「こんにちは」とよびかけそうで、千数百年隔たった時間が睦みあうような錯覚を覚える。古墳時代と、現代と、ともに晴れやかな日永のなかに存在し合う、何ともふしぎな読み心地をもたらす俳句である」 と評しました。 ※「きよみずさん」は静岡市葵区にある「音羽山清水寺」(高野山真言宗) 恩田は、吟行のやり方は結社などによって様々だが、吟行には大きく3つの効果があると言いました。 ① 締切がある即吟の為、作者の作為が消えて無意識が句に現れる効果がある。 ② その土地の風物や歴史に触れた句が出来る。 ③ 句会の仲間との親睦が図れる。 また選句の時間に恩田が、 「選句は全人格を持って俳句に向き合い、個人の好き嫌いではなく、句の水準の高さで選んで下さい」 と話し、オープンマインドでいるために作句帖と別に愛誦句帖を持つことの重要性を説きました。 次回の兼題は「雉」「櫟の花」です。 (恩田侑布子・芹沢雄太郎) [後記] 筆者にとって初めての吟行句会でした。新たに加わった仲間より、樸の連衆の句に感銘を受けて入会したと聞き、その作者の方々は照れながらもとても嬉しそうな顔をされていました。素直に心を開いて、初心の頃に俳句で受けた感動をいつまでも忘れずにいたいものです。(芹沢雄太郎) 今回は、◎特選1句、○入選2句、△4句、ゝシルシ13句、でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
3月31日 句会報告と特選句
平成31年3月31日 樸句会報【第67号】 駿府城址公園の花が四分咲きの弥生尽。静岡にはめずらしい春疾風に「自転車を漕いで来るのたーいへん」といいながら集まったら、ちょっとドラマチックな句会になりました。 兼題は「花」と‟色名‟を入れた句でした。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ◎特選 花の世へ公衆電話が鳴つてゐる 村松なつを 一読、凶々しい句です。「花の世へ」という大胆で巨視的な掴みにインパクトがあります。対比的に「公衆電話が鳴つてゐる」という小さな個人的な緊急事態の逼迫感は切実です。「悲鳴が上がつてゐる」と書かれるよりずっとナマナマしい存在感です。警察からの電話でしょうか。それとも消防署からの折返しなのか。いずれにしろ直面したくない非日常の事態が、血を噴くように、花の世と対置されています。事実だけを投げ出している口語調が効果的です。無表情の恐ろしさといっていいでしょう。わたしたちが安閑と過ごしているこの俗世間の日常の危うさ、脆さをけたたましくあぶり出しています。心ここに切なるものがあり、表現技法上も間然するところのない一句です。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ○入選 色抜きのジーンズ洗ふ花の昼 萩倉 誠 合評では、「‟色抜きのジーンズ‟と‟花の昼‟がとてもよく合っている」「色の組み合わせにさわやかさを感じる」「若さを感じる気持ちのいい句」などの感想がありました。 恩田侑布子は 「ブリーチアウトジーンズを、“色抜きのジーンズ”と言い換えただけで、見違えるような含蓄と含羞が生まれたことに驚かされます。いろはうたに始まって、色どり、色好み、色気、色欲などなど、“色”の一文字がひろげる連想はかぎりないものがあります。日本語に熏習されたそれこそいろつや(❜ ❜ ❜ ❜)でしょう。灰味がかったうすい水色のジーンズの向こうに、かがやかしい薄桃色の花の枝が見えて来ます」 と評しました。 ○入選 花予報線量数値一画面 猪狩みき 恩田だけが採った句でした。 「桜の開花情報と地域別の放射線量の数値が、同じ画面に並んでいます。福島県のテレビは、今も天気予報の時に放射線量の数値を知らせるのでしょう。極めて現代的な日常風景を情緒のつけ入る隙なく、すべて漢字で表現しています。除染水も汚染袋も累々と遺跡を築きつつある重苦しく、行き詰まった状況のそばで生活をしていかなければならない現実の重みがあります」 と評しました。 【原】茶色の斑浮きて安堵も白木蓮 天野智美 恩田は 「無傷のはくれんの清らかさ、美しさを謳う俳句はたくさんありますが、茶色の斑に安堵するはくれんの句は初めて見ました。着眼に詩があります。ただ、このままではリズムが悪いですし、“も”がネバリます。せっかくの作者の独自な感受性を活かしてみましょう」 と評し、次のように添削しました。 【改】安堵せりはくれんに斑の浮き立ちて 今回の兼題の例句として、恩田が以下の句を紹介しました。 <花> 火を仕舞ひ水を仕舞ひし夜の桜 山尾玉藻 古稀といふ発心のとき花あらし 野沢節子 さくらさくらわが不知火はひかり凪 石牟礼道子 西行忌花と死の文字相似たり 中嶋鬼谷 紙の桜黒人悲歌は地に沈む 西東三鬼 老眼や埃のごとく桜ちる 西東三鬼 <色を使った句> 赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼 元日を白く寒しと昼寝たり 西東三鬼 合評の後は、現代詩で色をテーマとした作品として、石牟礼道子の『紅葉 』を読みました。さらに、石牟礼道子の研究家でもある岩岡中正氏(「阿蘇」主宰)の「心の種をのこすことの葉」という題のエッセイと近詠句を皆で味わいました。 次回は、駿府城公園や浅間神社、谷津山など、市内中心地の緑ゆたかな場所で自由に俳句をつくる吟行句会です。静岡駅から徒歩十分の「もくせい会館」(静岡県職員会館)が句会場です。 (恩田侑布子・猪狩みき) [後記] 「花」と「色」という大きなお題の今回。それぞれの視点のおもしろさを感じることができた句会でした。「色」からイメージできることの大きさ、広さ、深みを表現に活かしていくようなことを意識して句を作りたいと思わされました。(猪狩みき) 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ9句、でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月8日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。
2月24日 句会報告
平成31年2月24日 樸句会報【第66号】 如月第二回目の句会です。 兼題は「春雷」と「蕗の薹」。 ○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ○入選 春雷や午後の微熱をもてあまし 猪狩みき 合評では 「ありそうな句。流行のインフルエンザからの快復期の人でしょうか。ことしの時事俳句?」 「春の物憂い感じが出ている」 「微熱くらいなら、ワタシはもて余しません!」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は 「入選でいただきました。治りそうなのにまた午後になって上がってきた熱。“また今日も”という気だるさが春の午後の物憂い感じとよくつり合っています。第二義的には、心象を詠んだ恋の句とみることもできます。相手にぶつけられない内心の懊悩が“午後の微熱”という措辞にこめられていて、そこに春雷がかすかに轟きます。やや技巧的ですが詩のある俳句ですし、愛誦性もありますね」 と講評しました。 ○入選 天地の睦むにほひや春の雷 村松なつを 合評では 「萌え出す春の色っぽさを感じる。春の雷を聴くとギリシャ神話のゼウスを思います」 「“睦む”と“にほひ”の結びつきがよく分からないけど、何かが生まれるような感じがある」 「激しく成長をうながす夏の雷と春雷は違いますね」 「雷が鳴って、雨が降って、それで匂いがするというだけの句ではないですか?」 など感想や辛口意見も。 恩田は 「秋の雷光は稲を孕ませるものとされ、稲妻ともいなつるびとも言われてきました。ですから季節はちがっても、春雷に天地の睦み合いを感じるのは自然です。冬の間は、天も地もカキーンと凍りついて、地平線や水平線に画然と対峙していたのに、“春の雷”が轟くと、まるで天の男神、地の女神が睦み合うようにつややかに交歓を始めます。“にほひ”は嗅覚つまりsmellではなく、色合いや情趣、余情であり、ゆたかで生き生きした美しさです。源氏物語の“匂宮”を想起しますね。天地有情ともいうべき句柄の大きな句です」 と評しました。 【原】蕗の薹逢へぬ時間の知らぬ顔 海野二美 合評では 「“逢へぬ時間”に切なさを感じます。ただ“知らぬ顔”って何? 恋の相手が知らぬ顔をしているのか、知らぬ顔をしているのは蕗の薹? いろいろ考えられて面白い」 「作者である自分の知らない顔を相手が持っているということなのでは?」 などの感想がありました。 恩田は 「推敲すれば特選クラスです。“知らぬ顔”の主体が三つにブレるのです。つまり、蕗の薹、相手、自分です。また、“逢へぬ時間”は“逢へぬ日”にしたほうがより切なさが増します。“時間”は短いので切実感がなくなってしまいます。上下を変えると品のいい切ない恋の句になるのでは」 と評し、次のように添削しました。 【改】逢へぬ日の知らん顔なり蕗の薹 「蕗の薹は震えるような葉っぱ、恥じらっているようなちぢれ方をしています。こうすると透明感のある萌黄色の姿が際立つ清冽な恋の句になりませんか」 今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 特に中村汀女の句については、「万人受けのする句です。この句を嫌いな人はいないのでは?失われた日々への愛惜、清らかな淡々とした抒情があります」との解説がありました。 蕗の薹おもひおもひの夕汽笛 中村汀女 蕗の薹古ハモニカのうすぐもり 恩田侑布子 (『イワンの馬鹿の恋』) 春の雷鯉は苔被て老いにけり 芝不器男 あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷 投句の合評・講評のあと、去る2月5日にパリで開催されたポール・クローデルをめぐる俳句討論会(恩田もシンポジストとして登壇)のレジュメが配布され、恩田から解説がありました。 クローデルは、 「日本人の詩や美術は(中略)もっとも大切な部分は、つねに空白のままにしておく」 「俳句は中心イメージを取り囲む精神的な暈(かさ)によって本質が作られる」 と述べています。 想像力の反響作用によって本質が作られるという俳句論は、恩田の「俳句拝殿説」に重なります。恩田は「俳人が造れるのは拝殿まで。作者は読者に拝殿の前に一緒に立ってくださいと誘う。短歌は本殿を造りそこに読者を招じて座らせることができる。しかし、俳句は本殿は造れない。拝殿の向う、時空が畳みこまれた余白に、読者は自己を開いて他者と交感する」と『余白の祭』に書いています。 俳句討論会についてはこちら [後記] 今回の句会で筆者が触発されたのは、「類句」「類想」についての恩田の指摘です。 「類句」「類想」の問題とは他人の俳句と似ていることではなく、自分の昔の句に似ているのがダメということ。すなわち、戦う相手はおのれの中にある。自分の固定観念を打ち破ることが必要。クローデルと姉のカミーユが師と仰いだ北斎も、死ぬまで脱皮していったことを恩田は強調しました。筆者も「自己模倣」に陥らぬよう句作に取り組みたいと思います。 次回兼題は、「朧」と「雛」です。(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ5句、・1句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
2月18日 句会報告
平成31年2月18日 樸句会報【第65号】 二月第一回目の句会です。 兼題は「梅」と「下萌」。 ○入選2句、原石賞2句を紹介します。 ○入選 行き先も言はずに乗りし梅三分 石原あゆみ 「急に思い立って行ってみたくなった気分と下五の梅三分の咲き具合が合っている」という感想がありました。 「詩情のある、リリカルな句です。まだ風は肌寒いけれど、佐保姫(春の女神)に心誘われてどこかに行ってみたい気持ち、遠くではなくて、ちょっとした小さな旅に出かけずにいられないという気持ちが表現されています。日常茶飯とは何ら関係のない旅であるところに清らかさが感じられます。浅春のリリシズムですね」と恩田侑布子が評しました。 「どこということもなく、という思いを“三分”にのせました。賤機山(しずはたやま※)のふもとの梅から思いをひろげました」と作者は述べました。 ※ 静岡市民に親しまれている葵区にある標高170mほどの山。「しずおか」の名もここに由来し、南麓には静岡浅間神社がある。 ○入選 その人のうすき手のひら梅の径 山本正幸 合評では「梅を見ながら手をつないで一緒に歩いている状況。相手は華奢なひと。相手の手の薄さとこの季節の感じが合っている」「“その人の”というはじまりも想像をそそってよい」「年老いた母親かもしれない!?」などの意見がありました。果たして二人は手をつないでいるかいないか。で連衆間で句座はカンカンガクガク盛り上がりました。 恩田は 「感覚の優れた句です。私は手をつないでいないと読みたいです。その方が清らかです。谷間の人気のない弱い日射しの梅の径を、翳りのある関係の二人が歩いていると読みました」と述べました。 原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】紅梅の香の蟠る夜の不眠 伊藤重之 「紅梅の香にはどこか動物的な生臭さがあり、“蟠る”の措辞はスバラシイです。ただ“夜の不眠”はくどいので“不眠かな”にしましょう」 ↓ 【改】紅梅の香の蟠る不眠かな 「このほうが切なさが出ませんか」 【原】草萌ゆる目で笑ひゐる緘黙児 猪狩みき 「素材がよく、鮮度があります。緘黙という難しさをもっている子を見守っているやさしさが出ていますね。“草萌や”と切り、“で”を“の”に変えてみましょう」 ↓ 【改】草萌や瞳の笑ひゐる緘黙児 「中七の動詞が生き、瞳の光が感じられるようになったのではありませんか」 合評の後は、第三十三回俳壇賞受賞作『白 中村遥 』の三十句を鑑賞しました。 糸を吐く夢に疲れし昼寝覚 音たてて畳を歩く夜の蜘蛛 蓮の花人の匂ひに崩れけり が好まれていました。 「独自の視点があって、不安で不気味な感じを表現できるのが、この作者の持ち味ですね」と恩田が評しました。 [後記] 句会の数日前に会員のお一人が亡くなられました。病をもちながら句作に取り組まれていたとのこと。今回の句会には弔句がいくつか出されました。俳句での表現という場があったことが彼女の時間を充ちたものにしていたのではないか、そうだったらいいと思っています。(猪狩みき) 「記」 2018年10月7日の特選句である ひつじ雲治療はこれで終わります。 の作者、藤田まゆみさんが、2月16日胆のう癌のため65歳で逝去されました。12月2日の句会まで楽しく句座をともにし、最期まで愚痴一ついわなかった彼女の気丈な生き方に心からの敬意を捧げます。16年に及ぶ親交の歳月を銘記し感謝いたします。まゆみさん、ありがとう。貴女からいただいたエールをこれからも温めて参ります。 恩田侑布子 次回兼題は、「蕗の薹」と「春雷」です。 今回は、入選2句、原石賞3句、△1句、ゝシルシ9句でした。みなの高得点句と恩田の入選が重ならない会になりました。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
1月25日 句会報告
平成31年1月25日 樸句会報【第64号】 新年第二回目の句会です。 兼題は「水仙」と「“寒”のつく季語」。 ○入選 足先に闇すでにあり寒茜 松井誠司 合評では 「たしかに寒茜はすぐに暗くなってしまいます」 「闇が来ている、という作者の気づきがいい」 「夕刻の時間の経過とともにあたりの色の変化も感じさせます」 「“足元”ではなく“足先”にしたのがよいのでは」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は 「“すでにあり”という措辞を俳句に活かすのは難しいが、この句ではよく効いています。“足先”という語におのれの行方を重ねている。真っ暗になっていく情景に自分が進んでいく先のことを想っているのです。晩年や死のことも見据えた心象がよく描けており、実感のある句です。昔、連句をおそわった草間時彦先生の代表句のひとつに“足もとはもうまつくらや秋の暮”があります。でも季節も違いますし、足もとは佇む感じ、足先は行く末を暗示しますから類句とはいえないでしょう。いい句です」 と講評しました。 ○入選 わしわしと湯気もろともにもつ煮込み 萩倉 誠 合評では 「“わしわしと”がいい感じ。もつ煮込を食べている実感がある」 と共感の声。 恩田は 「オノマトペが素晴らしく効いていて、“もつ煮込み”を引き立てています。庶民の生活のエネルギーを感じます。ガッツある主婦が大家族のために厨房でもつを煮込んでいる姿でしょうか。煮ているのではなく、食べている情景ならば“み”は不要です。もつ煮込みそのもののリズム感で愛誦性もありますね」 と評しました。 【原】海風と香もかけのぼる野水仙 松井誠司 合評では 「斜面に群れて咲く水仙の光景が目に浮かぶ」 「“かけのぼる”という擬人化がどうでしょうか」 と感想や疑問がありました。 恩田は 「“海”と“野”がわずらわしい。海というからには野にある水仙に決まっています。“かけのぼる”はいいですね。青空が余白に広がっていきます。“と”も推敲したい」と述べ、次のように添削しました。 【改】海風に香もかけのぼり水仙花 【原】喪の帯をとくや水仙香をほどく 村松なつを 合評では 「女性の喪服には魅力があります。行事が一段落し、ふっと気持ちにゆとりが出たときに水仙の香に気付いた」 「色っぽさに負けて・・(思わず採りました)」(ここまで評者は男性) 「えーっ!色っぽさなんて感じませんよ。ひとつの儀式の緊張感が取れて、水仙のかおりに気がついた瞬間を詠んだのでしょう」(と、女性の評者) 「“香をほどく”という言い方があるのか」 「いや“ほどく”は新鮮ですよ」 「“とくや”と“ほどく”がいかがなものか。“匂ひたつ”くらいのほうがいいのでは」 と感想・意見が飛び交いました。 恩田は 「“香をほどく”は鮮度があっていいです。問題は“とくや”の勇ましいリズムに句の内容が合わないことです。杉田久女の代表句(花衣ぬぐや・・)にインスパイアーされたのでしょうか。もう少し力を抜いて、おだやかな表現にしたい。“香をほどく”に焦点を当てましょう」と評し、下記のように添削しました。 【改】喪の帯をとけば水仙香をほどき 今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 「松本たかしの句については、直喩はこれくらい飛躍しないと働かない。“水仙”と“古鏡”に橋を架けることによって詩の世界が現出している。また昨年逝去された宇佐美魚目の句は、作者の高潔な精神の佇まいまで描き切っています」と、解説がありました。 水仙の花のうしろの蕾かな 星野立子 水仙や古鏡の如く花をかゝぐ 松本たかし 水仙を巖場づたひにはこぶ夢 宇佐美魚目 極寒の塵もとゞめず巌ふすま 飯田蛇笏 寒の月白炎曳いて山をいづ 飯田蛇笏 涸れ瀧へ人を誘ふ極寒裡 飯田蛇笏 大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田蛇笏 寒月や貴女のにはとり静かなり 攝津幸彦 合評のあと、注目の句集として宇多喜代子第八句集『森へ 』が紹介されました。 恩田は次の七句を佳句として挙げました。 透明の傘の八十八夜かな 白足袋の白にこころを従えて つらなりて石鹸玉にもこの重さ 恩師みな骨格で立つ花野かな 春寒や正岡子規の大頭 永き昼硯の川を渡りゆく 夏木立先生のこと一入に [後記] 投句の不調もなんのその、合評は侃侃諤諤、丁丁発止。バレ句に近いものもあったりして、爆笑することも度々。句会が了ったのは会場の借用時間ギリギリの午后5時でした。今年も熱く和やかな樸俳句会です。 恩田は「今日は理屈の通った、頭でつくったような句がちょっと目立ちました。理屈から出てくる擬人化は句を安っぽくしてしまいます。理屈で意味は通っても、そのとき“詩”は消えます。また、季語と合っていない句や予定調和的な句も散見されました」と少々苦言を呈しました。 この指摘はまさに今回の筆者の投句に当てはまり、自らの句作と選句を省みながら帰途につきました。 次回兼題は、「下萌」と「梅」です。(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞2句、△2句、ゝシルシ10句とやや低調でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)