12月1回目の句会が行われました。 この日は句会終了後に樸俳句会の忘年会が開催されることもあってか、いつもに増して真面目な雰囲気の句会だったように感じました。今回の兼題は「落葉・霜・冬季雑詠」。久しぶりに特選句も出て、大いに盛り上がりました。 今回の入選句をご紹介します。 浮雲のどれも陰もつ一茶の忌 伊藤重之 合評では、 「俳句の形としてお手本のような句」 「一茶の幸福とは言えない人生が見えるよう」 「“陰もつ”を“陰もち”にした方が、切れが深くなるのではないか」 という意見が出ました。 恩田侑布子は、 「生涯辛酸を舐め続けながらも俳諧自由のこころを失わなかった俳人一茶への共感がある。浮雲は年中見られるけれど、“どれも陰もつ”という措辞に十一月の季感がただよい、肌寒さを感じさせる」 と講評しました。 落葉踏む堤の端にひとりかな 藤田まゆみ 恩田は、 「堤の突端 まで落葉を踏んでゆく。つくづく誰も居ないなと思う。作者の背後には落葉が記憶のように降り積もっている。孤独感とさみしさをうたって、嫌味や押し付けがましさのないところがいいじゃありませんか」 と講評しました。 リヤカーの塀に倒立石蕗の雨 森田 薫 合評では、 「絵として美しく情景が見えるようだが、リヤカーが立てかけてある情景を“倒立”とするところに少し違和感を持った。“塀に立てかけ”のほうが自然ではないか」 という意見が出ました。 恩田は、 「一枚の絵に完全になっている。内塀でしょう。ほとんど使わないかすでに使い手のいなくなったリヤカーが、広い元農家の敷地片隅の塀に立てかけてある。しずかに降る雨が過ぎ去った時間を慰撫するよう。日のひかりの薄い初冬の情景として出色」 と講評しました。 下記に掲載する特選句は、今回、恩田を含む参加者の約半分が点を入れるという最高得点句となりました。この特選句に関しては「“霜雫”という季語が、どんな情景を描いているか」というところで議論を呼びました。植物に降りた霜から溶け出した雫なのか、屋根にできた霜が垂れ落ちる様子か。たった二文字の言葉に語りつくせぬ情景が詰まっている豊かさに、言葉の持つ面白さを改めて噛みしめる時間となりました。次回の兼題は「時雨・石」です。(山田とも恵) 特選 霜雫この世の時間使ひきる 伊藤重之 霜雫は温かい静岡平野の市街地ではまず目にすることはない。わたしも四半世紀前にいまの山中に引っ越して、初めて厳寒の時期だけ見聞きするようになった。霜が降りる日は、明け方冷え込んでも日中はよく晴れる。冬晴れの下、山あいでは納屋などのトタン屋根から霜雫がかがやくように地に落ちる。それは朝霜の一面の厳しい白さとはまた別種の風情。どこかあの世の明るさもふくむ明るさ、ふしぎな時間である。すべてを昇華した末のような水滴が、寒気のゆるんだ日向に銀色のしずくを滴らせ、ときに水銀柱をおもわせる垂線を引く。静かで清らかな冬の真昼。愛するかけがえのないひとは、なすすべもなくこの世のいのちの火を使い切ってしまった。霜夜のような凍てつく時間、凍る思いの日 々のはてに、いま真っ青な冬晴れに見守られて大地にかえってゆく雫。泪のとけこんだ銀のかがやきがひとの一生に重なる。「霜雫」の季語の本意本情に一歩を付け加え得た俳句といえるのではなかろうか。 (選句/鑑賞 恩田侑布子)
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11月17日 句会報告
11月2回目の句会が行われました。静岡市街は温暖な気候のせいか、ゆっくりと紅葉が進んでいるようです。 今回の兼題は「猪・鹿・柘榴」。人によっては食欲をそそる季語ですね。今回は色調豊かな入選句が4句出揃いました 〇秋夕焼文庫百冊売つて来し 山本正幸 合評では、 「サッパリした爽やかさと、淋しさが出ている。複雑な心理状況」 「百冊とは結構な量なので終活をイメージした。人生の過ぎゆく早さと秋の暮の早さを詠んでいるのでは」 「寺山修司の“売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき”の短歌を思い出した。百冊が効いている」 という意見の一方、「“秋夕焼”と“売って来し”が即きすぎではないか」という指摘も出ました。 恩田侑布子は 「百冊の文庫本に親しんだ思い出と未練が秋夕焼をさらに赤くする。スッキリしたようで切ない夕焼け。すこし墨色を帯びたさびしさ。はかなく色あせてゆく秋の夕日に、文庫本を一冊づつ買って読んだ長い歳月が反照される。青春性の火照りが残っていて、終活というよりも人生を更新したいという前向きさを感じる。古書との別れの季語として秋夕焼は動かないでしょう」 と講評しました。 〇仁王門潜れば老いし柘榴の木 佐藤宣雄 合評では、 「自分の原風景に老いた柘榴の木があるので、柘榴にホッとする気持ちがよみがえった」 「景がよく、中七の調べがよい」 「ただの写生句で、スナップ写真のよう」 「老いた柘榴の木じゃなくても成立する」というように、意見が二手に分かれました。 恩田は、 「一瞬に景が立ち上がる重厚な句。朱塗りと赤、茶と緑の色彩も美しい。仁王門を見つめてきた柘榴の長い歳月が感じられます。「老いし」の措辞に、実はつけていても、木のやつれが浮かび、悟り済ませぬ人間の歳月が裏に重なるよう。二重構造の俳句といっていいでしょう」 と講評しました。 〇敬老席どんと座つて運動会 西垣 譲 「なんでもないけど、なるほどなと思うこういう句が好き」 「俳句じゃなくて川柳じゃないか」 「いや、これは川柳じゃなくて一流の句」 と、軽妙に意見が交わされました。 恩田は、 「連合町内会の運動会の敬老席はたいてい見晴らしのいい場所にある。“どんと”がのさばっている感じで滑稽。が、その裏に、もう花形の徒競走など、イキのいい競技に参加できない一抹の淋しさもあります。俳味ゆたかな句です」 と講評しました。 〇兄の如し月命日に台風来 樋口千鶴子 合評では、 「はじめに“兄の如し”と言い切った。スピード感があり、どんなお兄さんだったかイメージできる」 「追慕の心情が出ている」 と感想がでました。 恩田は、 「上五字余りの重量感のある切れが出色です。お兄さんの死に切れぬ情念が台風になって吹きすさぶように感じた。『嵐が丘』のヒースクリフを思い出します。巧まざる倒置法も効果的です。作者は上手い俳句を作ろうとしたわけではなく、亡き兄の気持ちを慰めたい一心なのだと思います。それが図らずもこういう表現をとった。そこに俳句の懐の広さがあります」 と講評しました。 [後記] 句会が始まる前、その日に鑑賞する句が並ぶプリントが配布されます。その冒頭にいつの頃からか、恩田侑布子の叱咤激励文が掲載されています。今回は「ただごと俳句や報告句からいかに抜け出すかに配慮し、感動のある一句を!」と書かれていました。毎回この一文を読むと、座禅中に背後から鋭く警策を食らうような痛みとともに、心地よい緊張感が身を貫きます。いかにダラリと座っていたか気づく瞬間です。次回の兼題は「霜・霜除け・落葉」です。(山田とも恵)
11月3日 句会報告
11月1回目の句会。小春日和の一日。「大道芸ワールドカップin 静岡 2017」で街は大賑わい。丸く赤い鼻をつけた「市民クラウン」があちこちに出没しイベントを盛り上げています。 兼題は「身に入む」と「林檎」です。入選2句、△1句、シルシ8句、・1句。特選句はありませんでした。 入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇林檎剥く相愛のとき過ぎたるも 山本正幸 本日の最高点句。 合評では、 「夫婦を長くやっていると、こういうもんだろうなと共感する」 「愛情を感じる句。愛は冷めてきているのではなく、“愛情の種類”が変わってきているのではないでしょうか」 「“相愛”とはお互いに愛し合うこと。一方が愛さなくなったときは・・ひとしお身に沁みます」 「それでも妻は夫の好みに合わせて林檎を剥くのかしら?」 「いや夫が剥いているのでは?」 「“も”の使い方が上手。共感します」 「“相愛”という言葉に引っかかる。甘すぎるというか浮いている」 「奥さんが林檎を剥いている日本の家庭の日常的な生活風景を描き、心に沁みる」 などさまざまな感想、意見が飛び交いました。 恩田侑布子は、 「絵に描いたような相思相愛の熱い時期は過ぎたのかもしれない。でも、そう言いつつ一緒に食べる林檎を剥いているのだから、安定した平和な夫婦関係を想像させる。それこそ長年連れ添った夫婦の理想形というべきではないか。句末の“過ぎたるも”の“も”に、句頭に帰っていくはたらきがあり、ナイフから白くあらわれ出る林檎に生き生きとした芳香が添う。“過ぎたるも”という措辞は反語なのに反語のあざとさがない」 と講評しました。 〇林檎消ゆあなたとよびし人の部屋 萩倉 誠 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。 恩田は、 「いなくなった恋人の部屋なのだろう。“あなた”と呼び合ってふたり仲睦まじい時を過ごした。気づけば、いとしいひとも芳しい赤い林檎もなにもない殺風景な部屋になってしまった。上五に置かれた動詞終止形“林檎消ゆ”の切れが新鮮。忽然と消えた真っ赤な林檎の残像が、一句を読み下したあと哀しみに変わり、からっぽの白い部屋だけがイメージされる、そのスピード感に俳句のセンスを感じる」 と講評しました。 今回の兼題の「身に入む」については、恩田侑布子から次のような解説がありました。 「皆さんの中でこの季語を間違って捉えている方が少なからずいました。本来は、秋も深まって寒気や冷気を身体に感じるその感覚が先ずくるのです。国語の辞書に出てくる意味、深くしみじみと感ずるという、人生のいろいろな場面で遭遇する身に沁みる思いは、季語の本意としては次にくるのです」 投句の合評と講評のあと、注目の句集として『真実の帆』(21句抄出 「天荒」合同句集七集 沖縄県)を読みました。 恩田侑布子が朝日新聞紙面の「俳句時評」で取り上げた句集です。 連衆の感想としては、 「俳句と川柳の違いを考えさせられた。これらの句は川柳に近いのではないか。切れがなく、定型でもない」 「読んで疲れます」 「季語の季節感が沖縄とこちらとは全然違う」 「『沖縄歳時記』というものが出たようですよ」 「一言で言うと“反戦”。こういう内容を詠むには、字余りやゴツゴツした表現しかないのだろうか」 「福島の問題を沖縄の人たちは自分の身に引き付けて考えている」 「時事詠は甘い言葉ではダメなのだろうか」 「無季の句が多いけれど、社会性俳句だからいいのでしょうか」 などが述べられました。 特に点が集まったのは次の二句でした。 反戦デモ先頭をゆく乳母車 牧野信子 線量計狂ったままの花野かな おおしろ房 [後記] 句会の日が迫ってくると苦吟する筆者です。 今回の句会で、「なかなか句ができないときどうしたらいいのか」「スランプからどうしたら脱出できるのか」が話題となりました。 恩田の助言は、「スランプのときこそ、句をどんどん作ることです。駄句でもいいんです。とにかく句作を続けること。そうすると開けてきます」とのことでした。 次回兼題は、「猪」「鹿」「石榴」です。(山本正幸)
10月20日 句会報告と特選句
10月2回目の句会が開催されました。雨続きの今秋ですが、静岡はこの日晴れ間が見え、暖かな日差しが差し込んでいました。 本日の兼題は「酒」。お酒を楽しまれる方が多い樸俳句会。実感のこもった俳句が多く盛り上がりました。高得点句を中心にご紹介してまいります。(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎一葉忌縦皺多き爪を切る 杉山雅子 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ) ◯隣室は数学を吾は新酒を 藤田まゆみ 合評では、 「数学の難しい問題に挑むワクワク感と、新酒を飲むワクワク感。別々の部屋にいるのに静かなワクワク感が共通している」 「論理的な思考と、感情的な楽しみが隣り合わせになっている面白さのある句」 という感想が出ました。 恩田は、 「ユニークな内容に句またがりの破調が合っていて面白い。隣では数学の難問に取り組んでいる子ども、わたしはへっちゃらで新酒を傾ける。秋の夜長にそれぞれの楽しみがあっていい。型にはまらない個性的なのびのびとした俳句で楽しい」 と評しました。 ◯深酒を洗ひ流すや天の川 久保田利昭 合評では、 「酒飲みの心境がよく詠まれている。きれいな星空を見て、ちょっと反省することってあるよね」 「サラッとした句。ヒヤッとした夜の空気を感じる」 恩田は、 「酒豪はやることが大きい。深酔いして夜更け家路につくとき、天の川の下で酒気を洗い流すという。恩田は天の川で夢を洗う「夢洗ひ」でしたが久保田さんは酒を洗う「酒洗ひ」。してみると天の川はミルキーウェイじゃなく、どぶろくどくどくでしょうか」 と評しました。 ◯良寛のいろは一二三や草の花 伊藤重之 この句は恩田のみ入選で、ほかは誰も点を入れませんでした。 その理由として「あまりにも上手」「良寛にもたれかかってしまっていると感じた」というような意見が出されました。 恩田は、 「良寛に“いろは”“一二三”の双幅があって名高い。良寛の手跡のやわらかさと草の花が絶妙な配合で上手い句。欲をいうと技術力で書けてしまったような、どこか肉声から遠い感じのするうらみもある」 と講評しました。 [後記] 秋の季語には「酒」を含むものが多くこの兼題となりましたが、想像以上に幅広いお酒の種類が句に登場し、いつも以上に自由な明るい句会となりました。お酒は感情に直結する飲み物なので、句が思い浮かびやすいのかもしれません。飲めない筆者としては、羨ましい気持ちになりました。次回の兼題は「身に入む」「林檎」です。(山田とも恵) 特選 一葉忌縦皺多き爪を切る 杉山雅子 縦皺の爪は老化現象といわれる。雨の降るような手足の爪を久しぶりに切る。気づけば今日は二十五歳で死んだ樋口一葉の命日十一月二三日。いつの間にか一葉の何倍も年を重ねてしまった。桜貝のような爪であった一葉のうら若い肉体を蝕んだ結核、病のなかではげしく才能を燃焼させて書き綴った不滅の文学作品、そして我が八十路の来し方をこもごも重ねみる。 一句の良さは対比された文学者一葉と私の命との等価性にある。どちらもずっしりと重く、その価値に軽重はない。冬の深まりにこの世に生きる悲しみを分かち合い人の世の不思議な運命を思う。 (選句 ・鑑賞 恩田侑布子)
10月6日 句会報告
10月1回目の句会。この時期、句会の催される「アイセル」から北方向にある「城北公園」(旧制静岡高校跡地)は金木犀の香りで満たされます。 入選2句、原石賞1句、△4句、シルシ4句、・2句。特選句はありませんでした。 兼題は「コスモス」と「案山子」です。 入選句および話題句を紹介します。 〇案山子立てん母の帽子に父のシャツ 山本正幸 合評では、 「案山子は句作に苦労する兼題だった。過去の風物であり、昔と違ってそんなに立っていない。“母の帽子に父のシャツ”というのが具体的で俳味もある。両親の仲睦まじさも思われる」 「作者はお茶目な人なのでは?面白い発想だ。ほのぼのとした作者の人柄が匂う」 という共感の声の一方で、 「“立てん”が気になった。むしろ“古案山子”などとしたほうが良かったのでは?」 「作者の“意志”は俳句にならないのではないかと思う。これだと標語になってしまう。“案山子立つ”で良いのでは?」 という意見もありました。 恩田侑布子は、 「古着で案山子の衣装を間に合わせるのだが、“母の帽子に父のシャツ”とはっきり特定したことで情景が鮮明に浮かび上がった。案山子を立てる人の両親が存命かどうかはわからないけれど、家中の古着を探して案山子によそおわせる気持ちが温かい。“案山子立てん”という意思表示で始まる元気のよさに、豊作への明るい祈りもこもっている」 と講評しました。 〇原子炉は草木を残し秋夕焼 松井誠司 「福島の原発事故を想起させる。人は退去させられて、残ったのは草木だけ。夕焼けを見る人もおらず、淋しい風景である。原発問題へのメッセージもこもる」 との感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「福島第一原発の風下になった汚染区域は今も人が住めず村落が消失、もしくは崩壊してしまった。当原子炉の直近は万年の単位で人が住めないだろう。草木だけは無心に生えひろがり、夕焼けはいつにも増してすごく美しい。地を覆う草木と夕焼けだけの風景は、人間の罪業ということを考えさせずにはおかない」 と講評しました。 ゝ遠く案山子そのまた遠く磐梯山 佐藤宣雄 本日の話題句。 合評では、「昔何回か行った裏磐梯を思い出した。なつかしい情景。郷愁を感じる」という共感の声。 投句の合評と講評のあと、鈴木太郎氏の俳句(句集『花朝』より21句抄出)を読みました。 恩田侑布子が朝日新聞紙面の「俳句時評」に取り上げた俳人です。 前回の句会で読んだ田島健一氏の句と違って、多くの連衆に共感を持たれました。作者と連衆の年齢が比較的近いことも関係しているのでしょうか。 特に点が集まった共鳴句は次の二句でした。 亡きものに手のひらみせて盆踊 鈴木太郎 母死にき寒中の息使ひきり 鈴木太郎 [後記] 本日の句会で配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。 「日常そのマンマや観念や雰囲気ではなく、一歩踏み込んだ具象化、詩の結晶化を!」 日頃見慣れた風景でも一歩踏み込むことや視点を変えることによって、見え方が違ってくるのでしょう。その昔読んだリルケの一行「僕は見ることを学んでいる」(『マルテの手記』)にも通ずるところがあるように思われます。 次回兼題は、「酒」です。燗酒が心身に沁みる季節となってまいりました。(山本正幸)
9月15日 句会報告
9月2回目の句会が開催されました。近年は9月でも猛暑が続くことが多かったように思いますが、 今年はすっかり秋の空。静岡は秋晴れが広がっていました。 本日の兼題は「秋の潮」「瓢」。恩田の特選はありませんでしたが、8月の“夏枯れ”から息を吹き返したような句が並びました。 それでは入選句を取り上げていきたいと思います。 ( ◎ 特選 〇 入選 【原】 原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ ) 〇馬追の雨戸を閉める時鳴けり 藤田まゆみ 合評では、 「馬追の鳴き声に聞き入っている様子が目に浮かぶ」 「現代的なスチールの雨戸ではなく、木製の雨戸を思い浮かべた。ものを、日常を丁寧に扱っている姿が描かれている」 というような感想が出た一方、 「雨戸を閉める音で、馬追は鳴き止んでしまうのではないか?」 というような意見も出ました。 恩田は、 「夏の時間に慣れたままで過ごしていると、気付くと外がとっぷり暮れている。慌てて雨戸を閉めようとすると、馬追が鳴く。馬追はコオロギと違ってのべつ鳴くわけではないし、金属質な鳴き声ではなくどこかもの悲しく、秋の訪れを感じる。“雨戸”としたところが良い。雨が降っているわけではないが、句中に“雨”という文字が入ることで深層心理に雨のイメージが加わり、詩情が濃くなる」、 と講評しました。 〇原生林抜けて明るき秋の潮 杉山雅子 合評では、 「秋=もの悲しい、というようなイメージで句を作ってしまいがちだが、この句は初秋の明るさを詠んでいる」 「リズム感がよく原生林(暗)と秋の潮(明)の転換、遠近の転換もある。平易な言葉を選んでいるので、俳句に馴染んでいない人にも分かりやすく、平凡だが、じわっとした力強さや生命感がある」 という感想が出ました。 恩田は、 「初秋・中秋・晩秋を感じ分ける感性が大事。“秋の潮”という季語には“さみしい”というような本意があるが、それを理解した上で明るさを詠んでいる。原生林を抜け、はっと思いがけないパノラマに出会う。「優れた句とは風景を描きながら、心象風景も描けている句だ」と草田男も言っているが、作者の来し方も感じられるような、安定感があり、句柄が大きい」 と講評しました。 鑑賞終了後は、現代俳句界で注目を集めている田島健一さんの第二句集『ただならぬぽ』から23句を恩田が選び、語らいました。独特の世界観、言葉の使い方に一同頭を抱えつつ、この難解さは世代のせいなのか、それとも個性なのか話は尽きませんでした。 “世代の差”といえば作品世界と対峙する際に都合の良い逃げ道になるような気もするし、“時代の子”と向き合えば自分の抱いた感想に正当性を求めてしまうような気がします。自分の句と向き合い直すいい機会となりました。 次回の兼題は「案山子」「コスモス」です。(山田とも恵)
9月1日 句会報告
9月1回目の句会。 入選1句、原石賞2句、△2句、シルシ8句。特選句なく、「夏枯れ」を引きずる?樸俳句会です。 兼題は「花火「稲の花」。 入選および原石賞の句を紹介します。 ( ◎ 特選 〇 入選 【原】 原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ ) 〇手花火や背に張り付く夜の闇 荒巻信子 合評では、 「今の街の夜は真っ暗にならないが、かつて田舎の夜はとても暗かった。子どもの頃、家の庭で花火をして、それが消えると本当に真っ暗闇になった。“花火”と“闇”の対比が効いている」 「“背に張り付く”がうまい。手元の花火に夢中だったのが、消えると闇に気づく」 という共感の声の一方で、 「闇は薄っぺらではなく深さがあるもの。それを“張り付く”としているが、むしろ“纏い付く”ものではないか」 「“手花火”と“闇”を対比させた句は多い。何か空々しい気がする」 という辛口意見もありました。 恩田侑布子は、 「中七が生きている。線香花火を指先につまんでじいっとしているときの体性感覚がある。無防備な背中へ真っ黒な闇がべったり密着する感じ。 “張り付く”としたことで、よるべない不安感や夜のそぞろ寒さまで感じられる。秋への気配をうまく捉えている」 と講評しました。 【原】はつ恋やぱりんとひらく揚花火 伊藤重之 合評では、 「“花火”と“恋”は結びきやすい。これは、あっけらかんとしてドライな恋だ。“ぱりんと”とすることによって爽やかさや軽い感じが出る」 「島崎藤村の“まだあげ初めし前髪の・・”の詩(「初恋」)を思い出した。藤村の時代に比して、現代の初恋は湿っぽくない。いつでも蹴飛ばせる。“ぱりんと”としたことで現代の“恋”と“花火”が生きた」 「恋も花火も“ぱりん”と開いたのでしょう。かな表記がいいと思う」 などの感想に対して、 「“ぱりん”なんてお煎餅みたい」 「共感できない。十代後半の人が詠んでいるようだが、初恋はもっと早く、小学校高学年くらいでしょう。年代にズレを感じ、内容と合わないのでは?」 「“ぱりん”は問題!作者がそこにいない。初恋の実がない。他人事のように感じる」 「恋に恋しているみたいだ」 などと議論沸騰。 恩田は、 「初恋にはオクテの人もいるでしょう。“ひらく”が問題。揚花火は開くものであり、わざわざ言う必要はない。幼い恋で、懊悩がないので浅い句になってしまった。ダブルイメージ、余情や余白がない」 と講評しました。 【原】これきりの恋煙る空遠花火 萩倉 誠 合評では、 「これで終わりという恋が燻っている。恋が遠のくことと“遠花火”とかけたのだろう」 という感想がありました。 恩田は、 「“空”が気になった。惜しい」 と講評し、次のように添削しました。 これつきり恋煙らせて遠花火 [後記] 本日もタイムオーバーしての熱い句会でした。 句会終盤で、「作品と作者」について議論になりました。作者を知って読むのとそうでないのとは理解が違ってくるという問題です。作者が分かっていて読むとバイアスがかかるのは避け難いことですが、作者の境涯を背景に読めば、より鑑賞・理解が深まるのではないでしょうか。逆に作者を知らずに読む楽しみもあります。合評と講評のあと、作者の名乗りがあると「ほおーっ」という声(この句を詠まれたのは〇〇さんだったのね)が連衆から上がる瞬間が筆者は好きです・・。 次回兼題は、「秋の潮」と「瓢」です。 (山本正幸)
8月25日 句会報告
8月2回目の句会は猛暑日。樸俳句会も「夏枯れ」なのでしょうか? 特選句なく、入選1句、原石賞1句、シルシ11句、「・」(シルシまではいかないが、無印ではない)1句という惨状?でした。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ 〇漲(みなぎ)りし乳房の如く桃抱く 杉山雅子 恩田侑布子は、 「かつて“漲りし”乳房がわたしにもあった。そのときのようにいま、見事な白桃を胸に捧げ持つ。かつての若さをいとおしみ、目の前に生まれ出でた命を賛嘆する句。上五を過去形にしたことで、自分の身に引き付けた。母乳で子を育てたことの矜持もある。八〇代後半になられる雅子さんの作品とわかると、その若々しい感性にいっそう感動します」 と講評しました。 【原】たなごころ居心地のよき桃一つ 松井誠司 「手のひらに置いた桃の重さが感じられる。桃は傷みやすいので持つのが難しい」 という感想がありました。 恩田は、 「“たなごころ”というひらがな表記がいい。実感をもって迫ってくる」 と講評し、次のように添削しました。 ゐごこちのよき桃一つたなごころ 「上五に“たなごころ”があると重量感が逃げていく。下五にもってくることによって、手に気持ちよくおさまっている桃の様子が浮かびませんか?」と問いかけました。 [後記] 本日の兼題の「桃」については、桃がお尻や乳房を連想させることもあって、オトナの議論がいろいろ広がりました。「深まった」かどうかは別ですが(笑)。やはり句会は楽しさが第一、と筆者は確信しております。 次回兼題は、「花火」と「稲の花」です。(山本正幸)