
6月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「麦秋」「鮎」。
夏の季語なのに「麦の“秋”」これ如何に!?日本語の季節をあらわす言葉は実に面白いですね。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
◎日表に阿弥陀を拝す麦の秋
荒巻信子
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇麦の秋ことさら夜は香りけり
西垣 譲 「見た目でなく香りに着眼した所が良い」
「湿気ているような香りで季節感を表現している」
というような感想がでました。
恩田侑布子は
「麦秋は一年で一番美しい季節だと思っている。その夜の美しさがサラッと描けている一物仕立ての句」
と講評しました。
〇カーブを左突き当たる店囮鮎
藤田まゆみ 「なんとも不思議な句。理屈はいらない。囮鮎のお店へ向かうワクワク感が詠み込まれている」
という意見が出ました。
恩田侑布子は
「見たことのない個性的な句。運転手と助手席の人との会話の口語俳句。可笑しさがあるだけでなく、“カーブ”という言葉から川の流れに沿って蛇行した道を車が走っていることが分かる。沿道には緑の茂みがあり、季節感まで詠みこまれている」
と講評しました。
〇巨大なる仏陀の如し朴の花
塚本敏正 恩田侑布子は
「“巨大なる仏陀”と先に言うことで、作者の驚きが出ている。山を歩いているとき、谷を覗くと朴の花がその谷の王者のように咲き誇っているところに出会う。その姿を想像すると“巨大なる仏陀”は決してこけおどしでなく、朴の花の本意に届き、その気高さを捉えている。直喩はこれくらい大胆なほうが良い。誰もが思いつくようなものはだめ。直喩には発想の飛躍が必要」
と講評し、直喩を使った名句を紹介しました。 死を遠き祭のごとく蝉しぐれ
正木ゆう子
やませ来るいたちのやうにしなやかに
佐藤鬼房
雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし
飯田龍太
〇駄犬どち鼻こすり合ふ春の土手
西垣 譲 「やさしい句。“駄犬”と“春の土手”が合っている。あまり美しくない犬でしょ」
という感想がでました。
恩田侑布子からは、
「散歩している人と犬同士が出くわし、はしゃぎあっている様子が分かる。“どち”の措辞がうまい。“駄犬らの”にするとダメ。作者も犬と同化していて、動物同士の温もりと春の土手の温もりが感じられる」
との講評がありました。 今回の句会では点がばらけたこともあり、たくさんの句を鑑賞しあうことができました。が、それゆえ終了時間間際はかなり駆け足になってしまいました。それぞれ思い入れのある句を持ち寄るものですから、致し方ないですね。作者から句の製作過程を直接伺えるのも句会の楽しみの一つです。
次回の兼題は「バナナ・虹」です。
(山田とも恵) 特選
日表に阿弥陀を拝す麦の秋
荒巻信子 日光のさす場所が日表。田舎の小さなお堂に安置された阿弥陀三尊像だろう。もしかしたら露座仏。磨崖仏かもしれない。阿弥陀様は西方浄土を向いておられるから、まさにはつなつの日は中天にあるのだろう。背後はよく熟れた刈り取り寸前の麦畑、さやさやとそよぐ風音も清らかである。阿弥陀様のまどやかなお顔、やさしく微笑む口元までも見えてくる。「拝す」という動詞一語が一句を引き締め、瞬間の感動を伝える。日表と麦秋という光に満ちた措辞が、この世の浄土を現出している。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

6月1回目の句会。兼題は「夏の日」と「更衣」です。
特選2句、入選2句、原石賞1句、シルシ10句。粒揃いの句が多かった前回と比べると今回は不調気味。
兼題にもよるのでしょうか。浮き沈みの激しい?樸俳句会です。
高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
◎風立ちて竹林にはか夏日影
松井誠司 ◎先生の自転車疾し更衣
山本正幸
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇膝小僧抱きて見る君夜光虫
山田とも恵 合評では、
「幻想的な句。ロマンティシズムも感じられる。夜光虫の青白い光が“君”という人間のかたちになってくる」
「発想が面白い」
「膝小僧を抱くのが誰なのか分かりにくい」
などの感想、意見がありました。
恩田は、
「膝小僧を抱いて遠くから好きな人を見ている。海辺には大勢の仲間がいる。あの人が好きなのに傍に行けないもどかしさ。夜光虫のブルーの光が幻想的に渚を彩る」
と講評しました。
〇吹き抜けに大の字でいる夏日かな
久保田利昭 「こういう光景にあこがれる。誰もいないお寺かな」
という感想。
恩田は、
「天井の高い吹き抜けのフロアーに大の字で寝ころがる。高窓から午前の陽が射しており、まだ涼しい時間である。いまにもストレッチ体操でも始まりそうな健康的な感覚に溢れている」
と講評しました。
【原】立ちこぎて夏を頬ばる男子かな
萩倉 誠 合評では、
「自転車に乗って、頬ばった夏の風はどんな味がするのだろう?」
「風を受けて爽やかな感じが伝わってくる」
「“夏を頬ばる”の措辞で採った」
などの感想。
恩田は、
「“立ちこぎて”が耳慣れない。また“男子(だんし)”がそぐわないかな」
と講評し、次のように添削しました。 立ち漕ぎの夏を頬ばる男の子かな
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投句の合評と講評のあと、いつも恩田が現俳壇から注目の句集を紹介し鑑賞するコーナーがあります。
今回は5月29日の朝日新聞紙面の「俳句時評」で恩田侑布子が取り上げた上田玄氏の俳句(『月光口碑』より20句抄出)を読みました。
はじめに恩田から、作者を取材して知り得た来歴、時代背景などの紹介がありました。 連衆からは、
「挫折していった仲間たちを想って詠っていると思う」
「同世代として共感できる句がある」
「生きていくことへの決意を感じる。自分をスカラベに擬した句に共感」
「イメージが追いついていかない」
「いちいち辞書を引かないと理解がおぼつかない」
「戦争体験者としてはやや違和感がある」
「この世代の“戦争”とは“ベトナム戦争”を指すのではないか」
「謎めいている。謎解きを読者に強いる」
「深刻すぎないか? ナルシシズムを感じる」
「やはり万人に分かる俳句であるべきだろう」
「俳句というより“詩”に近いと思う。
『現代詩手帖』に出てきそう」
「この内容を読者に媒介する人、訳す人が必要」
など様々な感想や意見がありました。 恩田は、
「多行形式という表現技法は措いて、実に深い世界である。古典の素養も背景にある。こういう句を埋もれたままにしておいてはいけない、と思った。今、俳壇が軽く淡白になってゆく中で貴重だ」
と語りました。
一番票を集めた句は次の二句です。 人間辞めて
何になる
水切り石の
跳ねの旅 塩漬けの
魂魄を
荷に
驢馬の列 [後記]
上田玄氏の俳句について、同じ時代の空気を吸ってきた筆者としては俄かには評価しがたい感じに襲われました。まさに、おのれの来歴と現在の在り方を問うものであるからです。どの句にも “祈り”(家族への、友人たちへの、時代への、そして・・)がこめられていると思います。
次回兼題は、「麦秋」と「鮎」です。(山本正幸) 特選
風立ちて竹林にはか夏日影
松井誠司 夏日影は陰ではなく、夏の日のひかりをいう。純然たる叙景句は難しいが、技巧の跡をとどめない自然な句である。カタワカナカと6音のA音が主調をなす明るい調べも内容にマッチして心地よい。一陣の風に竹幹がしない、いっせいに大空に竹若葉がそよぎわたる。はつなつの光が放たれる里山の光景である。竹の琅玕、若竹のみずみずしさ、きらきらと透き通る日差しのなかに、読み手もいつしらず誘われてゆく。
藤枝市在の白藤の瀧への吟行と、あとから聞く。地霊も味方してくれたのだと納得。
特選
先生の自転車疾し更衣
山本正幸 更衣の朝、通学路は一斉にまばゆいワイシャツの群れとなる。「おはよう」。背中からさあっと風のように追い越してゆくひと。あ、先生だ。作者の憧れの先生は女性だが、読み手が女性なら男の先生を想像するだろう。初夏の風を切ってゆく背中が鮮やかである。更衣の季語から朝の外景に飛躍し、はちきれんばかりの若さにあふれる。疾しと、中七を形容詞の終止形で切り、座五を季語で止めた句姿も美しい。一句そのものに涼しいスピード感がある。
(選句 ・鑑賞 恩田侑布子)

風薫る5月2回目の句会。兼題は「木蓮」と「夏近し」です。
特選1句、入選8句、シルシ7句。恩田侑布子の言によれば「今回は粒選りでしたね」。
高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
◎仏間にも母の面影大牡丹
塚本敏正
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇蝶や蝶おいてけぼりの地球人
山田とも恵
合評では、
「蝶は地球人を超越し、生命サイクルを繰り返している。蝶には平和も戦争もなく、また進歩も退歩もない」
「奇抜な表現の句。自然界の代表としての蝶から見たら人間は無様だ」
「“蝶や蝶”という呼びかけがいい。でも何から“おいてけぼり”なのだろう」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「蝶はのどかに飛びめぐり、人間だけが戦乱、差別、対立の中にいる。多義性があり、独特のリズム感があって面白い。特選にしようかと思ったが、やや意味が露わかな。芭蕉のいう、腸(はらわた)の厚き所より詠んでいるのかなと、ちょっと迷ったので」
と講評しました。
〇夏近き突堤の風職退けり
山本正幸 合評では、
「定年退職した人の気持ちをよく表している。これからの人生への期待と不安」
「退職しても前向きの気持ちを持っている。突堤の風はきつい。そこに立って、決意をこめている」
「三段切れではないか? 三つのうち何を言いたいのかはっきりしない」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「やや措辞がごちゃついている。“夏が近い”“突堤の風”“退職”の三つが等価で、言葉がそれぞれ強さを持ってしまっている」
と講評し、次のように添削しました。 はつなつの突堤の風職退けり 「季語を変えることによって、突堤の風に爽やかさが出ませんか?」
と問いかけました。
〇若冲の白い象来る夏近し
杉山雅子
「白い象は幻想だと思う。覆いかぶさるように、ふっくらした肉体の形が白象になってやって来る」
「静岡県立美術館にある若冲の絵の白象。それがこちらに向かってくる様子と季語が合っている」
などの感想が述べられました。
恩田は、
「ただの白象だと仏教を思わせる。若冲と限定したことによって屏風絵や画だとわかる。 “来る” と “近し” と意味的に近い動詞と形容詞の並びがやや気になるが、感性はとてもいい」
と講評しました。
〇紫木蓮塀巡りたり人の荘
杉山雅子 恩田の講評。
「“人”とは“想い人”でしょう。山里の森閑とした山荘の塀を巡っている。玄関の戸を叩いたのか、鍵がかかっていてそのまま帰ったのか想像させる。「人の荘」という格調のある措辞によって塀の長さが出、自分とその人の間の距離を感じさせる。逡巡の気持ちと心理の陰影が、紫木蓮にこもった」
〇短髪になりし少女や夏近し
松井誠司 「読めばそのとおりである。恋も愛もないけれど」
「“短髪”と“夏近し”が近いような気がする」
などの感想。
恩田の講評。
「うなじの抜き出た少女のユニセックスの感じに、さっぱりした夏の到来の間近さが表現された」
〇主なきも咲きめぐりてや紫木蓮
久保田利昭 「まさに私の父が住んでいた家の様子そのもの。毎年紫木蓮が咲いていました」
との感想。
恩田は、
「短歌的だが、調べが美しい。「咲きめぐりてや」に、かつての主が知り得ない幾年ものめぐりが感じられる。上五のゆったりした字余りが内容に合っていて、紫木蓮が目に浮かぶよう」と講評しました。
〇日溜りに猫の影なし夏隣
久保田利昭 恩田の講評。
「“不在”を句にした独特の面白い捉え方。猫のいない空白感によって、夏の近さを知った。 “夏隣”がいい。日常の気付きが自然な一句になった例」
〇気まぐれにドーナツ揚げて夏近し
森田 薫 「夏が近づくというワクワク感がある」
との感想。
恩田の講評。
「“気まぐれに”の措辞は一読粗いようだが、この句の感覚に合っている。普段からまめに料理を楽しむ女性の弾むような五月の到来」
ゝ 紫木蓮歳とらぬ子の一人いて
伊藤重之
本日の最高点の中の一句であり、話題になった句。 「“歳とらぬ子”とは夭逝されたお子さんなのか、結婚せずにまだ一人でいる子か。親の気持ちが感じられる。子どもの頃から変わらない可愛さ。 愛情の深さとせつなさが紫木蓮に表れている」
との解釈に対して、恩田は、
「分裂した解釈なので、どちらかにすべきです。両方を共に味わうことはできない」
と指摘しました。 「不思議な句。年齢はいっているが、精神的に歳をとらない子どものことでしょうか?それに対比される紫木蓮は大人びた感じを持つ」
「嫁き遅れた子のことか。心配だけれど手放したくないという気持ちでは」
「もっと深刻。精神的に病んで大人になったのではないか?」
「“紫木蓮”だからきっと大人のことなのでしょう」
など議論が沸きました。
恩田は、
「季語が動く。素直に読めば夭逝した子と考えるが、そうすると紫木蓮は合わない」
と講評し、次のように添削しました。 はくれんや歳とらぬ子の一人ゐて 「“はくれん”とすることによって無垢、あどけなさとあわれが出ませんか。幼くして死んだ子を想っている。また、春先の初々しさも出る。“紫木蓮”だから意味が分裂してしまうのでは?」
と解説しました。 [後記]
「歳とらぬ子」の句を巡る議論は句作の本質に触れるものではなかったでしょうか。個人的なことをどこまで詠むのか。「文学的真実」があればどんな内容であってもよいのか。そもそも、「文学的真実」とは?・・大きな問いを抱いて句会を後にした筆者でした。
次回兼題は、「夏の日」と「更衣」です。 (山本正幸)
特選
仏間にも母の面影大牡丹
塚本敏正
居間にも台所にも玄関にも、そして仏間にも亡き母の面影があらわれる。母は莞爾とほほえんで牡丹の花のようにひろがる。「大牡丹」の措辞から、母の存在がどんなに大きかったかがわかる。ふくよかにゆたかに慈愛に満ちていた母。幻の大きな牡丹の影が家じゅうに満ちて、どこに身を置こうと包まれる。仏壇に御線香をあげていると「お前、しっかりご飯食べているかい」と案ずる母の声がうしろから聞こえる。窓に若葉が揺れる。緑さす庭をもう一度手を引いて歩きたかった。牡丹という季語の本意に、中有の気配が新たに加えられた。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)

5月1回目の句会が行われました。
今回の兼題は「春昼」「蝶」。
子供の日ということもあり、駿府城公園ではイベントが開催されとてもにぎわっていました。 それでは高得点句を中心にご紹介していきます。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします
◎ 特選 〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
〇春昼やビルの谷間の人形焼き
藤田まゆみ 合評では、
「都会の春昼のイメージ。映像が浮かんだ」
「ビルという現代的なものと、昔からある人形焼きというものの対比がいいなぁ」
「“ビルの谷間”というところに発見と感動がある」
と意見があがりました。
恩田侑布子は
「人形焼のいい匂い、そこに群がる観光客。浅草のこの賑わいがビルの谷間のことだと見定めたところがいい。大木あまりさんに〈春風や人形焼のへんな顔〉という、春風と一体化した名句がありましたが、まゆみさんの句もなかなか“春昼”が効いています」と講評しました。
〇二代目も顔剃り上手蝶の昼
山本正幸 合評では、
「薄い剃刀と蝶の翅のイメージが合っていて面白い」
「田舎の床屋さんののんびりした風景が思い浮かぶ」
など意見があがりました。
恩田侑布子は
「蝶の翅と刃を持ってくるところに感覚の鋭さを感じる。時の流れが“蝶の昼”の奥にある。先代に剃ってもらった感触を現在味わうことで、奥行きが生まれている。過去現在が合わせ鏡のようになっていて、そこを蝶が行ったり来たりしているよう。平凡な風景のように見えて、幻視のおもしろさもある。視覚聴覚は句にしやすいが、皮膚感覚を詠みこむ俳句は少ない 。」と講評しました。
【原】紙買ひにゆく裏道や春の昼
伊藤重之 今回の最高得点句でした。
合評では、
「“紙買ひにゆく裏道”とい表現が斬新」
「“紙買ひに”という言葉の軽やかさが、薄っぺらい紙をイメージさせ、それが春の昼とあっている」
という意見が出た一方、
「どんな紙か漠然としすぎている」、「“紙”が何かを読み手に託すのか?」、「“紙”と“春の昼”は合わない」というような意見も出ました。
恩田侑布子は
「“紙買ひに”というのが分かりづらい。“ka”音がキツイ印象を与え、コピー用紙を想像した。具体的なものを入れるとニュアンスが出て分かりやすくなる。」と講評し、「“春の昼”のやわらかい感じで詠むのなら…」と、次のように添削しました。 和紙購ひにゆく裏道や春の昼 「こうすることによって音韻が落ち着き、語呂も合いませんか?」
と解説しました。 [後記]
個人的なことですが、約二か月ぶりに参加した今回の句会。句会中、汗が滝のように流れたので「もう夏だなぁ」と思っていましたが、よく考えてみると諸先輩方の熱い議論に久しぶりに触れたからではないか?と思いいたりました。このままでは誰よりも先に干からびてしまう!樸の熱さにも夏の熱さにも負けないよう、頑張ります。次回の兼題は「夏近し・木蓮」 です。(山田とも恵)

駿府城石垣の躑躅が咲き始めています。
兼題は「風光る」と「雲雀」です。
入選句、高点句を紹介していきましょう。恩田侑布子特選はありませんでした。 (今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)
◎ 特選 〇 入選
【原】 原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
〇給食の残され組や揚雲雀
藤田まゆみ 合評では、
「なつかしさがある。給食を食べるのが遅くて教室に残された子たちへの作者の優しさを感じる」
「私も“残され組”だったので気持ちがわかる。外から雲雀の声が聞こえる。早く出てこいと」
という感想の一方で、
「私の頃は給食がなかったので、残念ながら理解できませんでした」
「今ではこれは体罰になってしまう。不登校になったらどう責任を取るのか、と親からクレームがくるだろう」
など世代間格差?を感じさせる発言もありました。
恩田は、
「田舎の野原の中の小学校を思う。雲雀は励ましているようでもあるし、からかっているようでもある。いずれにしてもかつての体感のこもったユニークな句」
と評しました。
〇風光るにつぽん丸の操舵室
山本正幸 合評では、
「清水港に子どもを連れて日本丸を見学に行ったことがあり、よく分かる句」
との感想。
恩田は、
「句としてできてはいる。その一面、ややステレオタイプで面白みに欠ける。絵葉書俳句」
と講評しました。
〇天空に声残してや落雲雀
松井誠司 恩田の講評。
「雄雲雀の哀れが出ている。自分の声の限界まで鳴いて、墜落のような落ち方をする。落雲雀にもはや声はないのに天空には残っているというところに詩がある。シンプルだが、忘れ難い句」
〇県境の尾根緩やかに風光る
佐藤宣雄 合評では、
「景が平凡」
との指摘。
恩田は、
「季語が生きていて、本意が捉えられている。気持ちがよく健やかな句である。“国境”だと月並みになるところだ」
と講評しました。
作者は、
「平凡な句になっちゃった。はじめは“尾根の石仏”だったが、それだとホントに月並みでした」
と句作を振り返りました。
【原】陽を乗せし富士傾くや落雲雀
杉山雅子 恩田は、
「過去形と現在形が混在しているので、ひとつの時制にすべきである。語呂もよくない。ただ、雲雀になりきっている作者の視点は面白く、身体感覚と一致した表現が素晴らしい」
と講評し、次のように添削しました。 日を載せて富嶽かたむく落雲雀
「こうすると落ちてゆく雲雀に乗り移った眩暈のような大景が見え、蛇笏ばりの格調が出ませんか?“富士”より“富嶽”にする方がダイナミックでしょう」
と解説。
スマホ繰るネールアートに風光る
萩倉 誠 これが本日の最高点句でした。議論が沸騰。
「素材の新しさ。そこに惹かれて採った」
「上五~中七ときて“風光る”という季語で締める。指先に光が集中していく面白さ」
「具体性があり、景がよく見える。ただ、細かく焦点を当てていくことと風景が合わないかも」
「電車で乗客の半分くらいがスマホに触っている風景かな」
「しゃれているが、季語とズレを感じる」
「“に”ではなく“や”で切ったほうがいい」
恩田は、
「シルシにしようか無点にしようか悩んだ。ありふれた光景であり、またカタカナだらけの句だ。風俗の新素材から句は古びていく。鮮度は感じない。動詞が多く煩雑で、散文的。季語の本意である清潔感が感じられず残念。スマホとそれを繰るネールアート自体がキラキラしていて、同じものが並んだ“お団子俳句”です」
と厳しい講評がありました。 [後記]
今回、恩田侑布子の無点二句が連衆の高点句になり、「選句眼」について考えさせられました。目新しい素材の句、季語の本意を踏まえていない句、知識だけで作った句などの見極めが大事なことを痛感しました。
次回兼題は、「春昼」と「蝶」です。 (山本正幸)

本日はスペイン国王と妃殿下、天皇皇后両陛下がご来静。会場近くの静岡浅間神社では稚児舞楽をご覧になりました。通規制のため、少し遅れて句会が開かれました。
兼題は「古草」と「春障子」です。 (句頭の記号凡例)
◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞
△ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ◎早退けの少女かくまふ春障子
山本正幸
◎妻と子は動物園へ春障子
西垣 譲
(下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)
〇古草や突つ込んでおく古バイク
西垣 譲 合評では、
「情景がよく分かる。懐かしく、温かい感じ」
「家庭の物置の日陰。倉庫に入らないから横っちょに。とり合わせが面白い。」
「バイクへの愛情を感じる」
「いや、もう乗らないので、その辺に突っ込んでおくのですよ」
「“古”が二回出てくるのが引っかかる」
「でも、それが逆にいいのでは。」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「“古”が味を出している。このふたつの“古”は違う。古草は去年の草だが、古バイクは10年も20年も乗ってきて愛着があり、その思い出を裏に潜めている。“古”に濃淡がある。“突つ込んでおく” というぶっきらぼうで勢いのある言葉が上五と下五を繋ぎ、血の通った俳句となった」
と講評しました。
〇約束を反故にし寝ねり春障子
佐藤宣雄 合評では、
「読めばすぐ分かる句。何か理由は知らないが出て行くのが嫌になったのだろう。“春障子”に温かさがあり、“反故にし”で滑稽味も出た」
「“寝ねり”という無責任さが男っぽい。“反故にし”に意志が感じられるが、逡巡もあるのでは。」
「居直ってますよ。反省していない!」
と感想、意見はまちまち。
恩田は、
「独特の身体感覚による春障子。すっぽかしておきながら明るさがまとわりつき、居心地が悪くて安らぐことができない。屈折した心理を春障子がうまく受け止めている」
と講評しました。
〇古草や鎌の手止める貫頭衣
松井誠司
「最近うちの菜園の手入れをした。古草は根を張っていてしぶとい。この句からはその生命力が感じられる」
「“貫頭衣”が分かりにくかったが、登呂遺跡での光景でしょうか。愛着を感じる句」
との感想。
恩田は、
「弥生人の生活の息吹が生々しく伝わってくる。作業のふと手を止めた瞬間を切り取っている。古草と貫頭衣の取り合わせが面白く、絵画的に決まった」
と講評しました。
ゝ庭石のみな角とれて草古し
杉山雅子 「昔は格式のあった古い家。その庭の石をいろんな人が踏んで通っていったのだろう。」
「日本風の落ち着いた住まい。住人は若い頃バリバリ働き、老いた今も矍鑠としている。住む人の息遣いや人物像まで投映している」
との感想が聞かれました。
恩田からは、
「落ち着いた日本の家の庭の様子を詠んでいるが、季感が薄い。“みな”はあいまいな形容であり、甘い。感じは分かるが焦点が定まらない。もう少し中七を工夫して、自分の観点で焦点を絞り直したら」
と厳しめの講評がありました。
ゝ古草やひそりと昭和閉ぢてゆく
伊藤重之 「“ひそりと”に心情的に共感する。哀惜の心」
と共鳴の声。
恩田は、
「その“ひそりと”が根付いていない。俳句は副詞や形容詞から古びていくので気をつけなければいけない。また、“閉ぢてゆく”という時間の経過表現があまりよろしくない」
と講評しました。
[後記]
今日の恩田侑布子の指導テーマは「観念から詩的真実(リアル)へ」。今回は観念に堕ちていく投句が目立ったとのこと。「意味や理屈を離れて、詩のリアルを獲得してほしい」といつもにも増して熱く語った恩田代表でした。
今回、私が「古草も新草もなく犬尿(いば)る」の句を採らせていただいたとき、恩田侑布子代表から「季重なりですが、いいのですか?」と問われました。「犬は古草と新草の区別もつかず、季語を知りませんから」と私が答えたところ、「それが理屈!そこから離れなければいけません。理屈を追い出すこと」と一刀両断されました。まさに今日のテーマ!(ちょっと堪えましたが納得です)
次回兼題は、「風光る」と「雲雀」です。(山本正幸)
特選
早退けの少女かくまふ春障子
山本正幸 頭が痛くなったのか、お腹が痛くなったのか。大した病気ではなさそうだが、思春期の危うさを感じる。桜の咲く前の柔らかいひかりが障子を明るい雪洞のようにしている部屋に引きこもる。それを春障子が意思あるように「かくまう」といった。あえて不穏な言葉を使ったことで「異化効果」が生まれ、春障子が呼吸をし出す。少女との間にあたかも密事(みそかごと)がなるよう。清楚なエロティシズムまで感じられる。言語感覚のよろしい極めて繊細な句。 特選
妻と子は動物園へ春障子
西垣 譲
ぬけぬけとした長閑さがユニーク。ちょうど妻と子が動物園のゴリラを見ている間、一家の主人である作者は所在無く春障子の明るいふくらみの中にいる。ついていけばよかったかな。いやいや、騒がしいやつらのいない日曜の昼間はなんて貴重なんだ。一抹の寂しさの中に満足感があり、いかにも春昼の風情。「へ」は俳句では難しいが、うまく働いている。そこはかとない俳味がある。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

彼岸の入りの句会。兼題は「ものの芽」と「春の闇」です。
句会の行われるアイセルから徒歩5分の熊野神社の鳥居をくぐると「ものの芽」に包まれるような気がします。
高点句を紹介していきましょう。今回、恩田侑布子特選はありませんでした。
(今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞
△ 入選とシルシの中間 ゝシルシ
高点句を紹介していきましょう。 ○ 昼酒の蕎麦屋に長居柳の芽
伊藤重之 合評では、
「リタイアした老人の一日のひとコマ。こういう身分になりたいな」
「昼酒のまったりした気分が出ている。蕎麦屋の入り口に柳の木があるのだろう」
「漢字の表記が作者の気分を表していて良い」
「ワタシもこれから“昼酒”にしようかな」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「のどかな春の雰囲気が出ており、季語が効いている。お客も少なくて、馴染みの店で遠慮なく吞んでいる。窓には柳がしな垂れかかっている情景」
と講評しました。
○ 春の闇来る人の来ぬ喫茶店
久保田利昭 合評では、
「異性を待つ切ない心とマッチしている春の闇」
「生温かく濃密な春の闇の向うから現れるであろう恋人を待ち焦がれている。ここは夏でも秋でもなく“春の闇”でなければダメ」
「異性を待っているのではなく、いつもの喫茶店のそこに座っている人が来ない。どうしたのだろうという、心配の気持ちではないでしょうか」
「“待つ人の”だと散文的になるので、“来る人の” と推敲したのではないか」
などの感想、意見がありました。
恩田は、
「恋がひそんでいる。来るはずのを省略しているので含みがあり、気を揉んでいる感じが出た。 “春の闇”に体性感覚がある。闇が震えている。デリケートな質感をもった闇。季語が効いている、いのちを持っている」
と講評しました。
△渡し場の水のふくらみ蘆の角
塚本敏正 「この情景は水彩画を見るようだ。蘆が新芽を出す、いささか古めかしい渡し場の光景」
との感想。
恩田からは、
「映像再現性がある。うまくまとめてあって絵葉書的なのがやや惜しまれるが、「ふくらみ」の措辞がいい手堅い句。これからさらに新味の獲得と着眼点の飛躍に挑戦されれば塚本さんは素晴らしくなる」
との講評と励ましの言葉がありました。
ゝものの芽にかこまれて妻退院す
山本正幸 「わかりやすく、いい句だ。愛する奥さんが無事退院した。ちょうど木々の芽が盛んに出てくる時節。奥さんを寿ぐ句」
「いかにも退院おめでとうという気持ちになる」
との感想が聞かれました。
恩田は、
「季語が効いている句。やわらかな空、やさしい作者の奥様を思う心が溢れ、一物仕立てで祝意を表している。“存問”の句としては良質だが、文芸としての奥行きや多層構造はない」
と講評しました。
ゝひそめたる息ほつと吐く春の闇
西垣 譲 「若い女性の気持ちを詠っている。異性と付き合って間がなく、何かを迫られるかなと期待したが何もなかった。残念なような、安心したような気持ちが出ている」
「何のことかよく分からなかった。深くはないが、緊張感のある句。春の闇だからそれほど深刻ではないのでしょう」
などの感想。
恩田は、
「“ひそめたる”が思わせぶり。感じは分かり、雰囲気もある。しかし、正体がつかめず、根のない句と言わざるを得ない」
と講評しました。
[後記]
樸俳句会代表の恩田侑布子は、句集『夢洗ひ』の成果により平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。本日の句会の冒頭、句会の連衆から熱い祝福の拍手が送られました。ホワイトボードには大きくお祝いの言葉と花マルがいっぱい。「今回の句集が一番好きです」「日本語の美しさを堪能」との声もあがりました。連衆にとっても嬉しく励みになることです。
(恩田の受賞コメント及び、講座生からの祝詞は本HPの「お知らせ」をご覧ください。また文部科学省の芸術選奨のURLも掲載しました) 今回の句会で感じたのは、自分の感情をいかにして詩の言葉に結晶できるかということです。恩田は、“モノに託す”“潜める”“転じる”などにより、感情をストレートに出さないで句にしていくことを強調しました。「短歌ならそれ(ストレートな感情表現)ができる」とも。
次回句会の兼題は「古草」「春障子」です。
(山本正幸)

桃の節句の句会。兼題は「紅梅、和布」です。
句会会場近くの駿府城公園に紅葉山庭園があります。ちょうどいま、飛び石伝いに梅林を散策して香りにうたれることができます。 高点句を紹介していきましょう。 朝日入る一膳飯屋わかめ汁
佐藤宣雄 恩田侑布子の入選句で、合評では、
「生活感のある句だ。夜勤を終えてくつろぐ肉体労働者の姿が浮かぶ」
「“朝日入る”という上五がいい。作者の感性に共感した」
「学生街の一膳飯屋を想像した。都会の一隅の光景」
「独り者だろう。“朝日入る”が効いている。小さな開放的な店の景がくっきりしている。月並みでない面白さがある」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「みなさんの鑑賞がいい。シッカリ書けていて、曲解されることのない句でしょう。安サラリーマンや学生が気軽に寄る店。あたたかい元気なおじちゃんおばちゃんが迎えてくれる。上五が清々しく、飾り気がない。和布の兼題で、浜辺ではなく店をもってきて成功している。平易な言葉が使われており、いろいろな人の想像力を掻き立てることができた」
と講評しました。
紅梅や進む病状月毎に
樋口千鶴子 恩田侑布子の入選で、合評は
「深刻な病気の状況であろう。現代社会では、安楽死など死をめぐる議論がいろいろある。人工呼吸器を着けたらもとに戻れない。大変な気持ちを抑えて句にしている。それを紅梅と対比させている」
との共感の声がありました。
恩田は、
「“紅梅”が効いている。紅梅はうつくしいが、むごさや残酷さも併せ持つ。他の植物では中七以下を受け止めきれないだろう。あえて感情を押し殺して事実のみを述べた。そぎ落とされた表現が共感を呼ぶ」
と講評しました。
色褪せてなを紅梅の香を残し
樋口千鶴子
「近くの公園に白梅と紅梅が咲いている。紅梅は白梅に比べて少し重い。しつこさもある。この句は、まだまだどっこい生きているぞという心意気がベースにあると感じた」
との感想が聞かれました。
恩田は、
「千鶴子さんはいつもものをよく見ている。誠実な眼差しが感じられる。白梅の潔い散り際に比べて、紅梅は白っぽく色が抜けたり、逆にくろずんだりして縮れて落ちる。ここでは香りに注目したのが良い。昔の人は香りの高い植物を愛好し、自分の生きる鑑とした。この句は散文のようだが、内容が良く、下五に実がある。紅梅のありように自分を重ねた。一生を見つめて一瞬を詠むのが俳句」
と講評しました。
紅梅の髪にかざして自撮りして
久保田利昭 「~して~して、という軽快感がよい」
「髪に花をかざす習慣は昔からあったが、“自撮り”で新しさが出た」
などの感想。
恩田は、
「軽いタッチの句。紅梅とこの女性の自己愛(ナルシシズム)がつり合っている。白梅ではこうはいかない。季語が効いている」
と講評しました。
風に老い飛沫に老いぬ和布採
伊藤重之 「“老い”のリフレインが効いている。和布採りの一情景と一老人の生き方が重なる」
との感想。
恩田は、
「対句をいいと思うか、鼻につくかで評価が分かれる。ちょっとカッコつけすぎているところのある句だ」
と講評しました。
[後記]
今回の句会で恩田が強調したのは「よく見る」ということでした。
よく見る(視る)とは、ただ網膜という器官に像を写すのではなく、意識と五感を総動員しなければいけないことを痛感。
次回の兼題は「古草」「春障子」です。(山本正幸) 特選 紅梅を仰げるあぎと娶りけり
山本正幸
濃艶である。紅梅を仰ぐ女性の透けるような白い肌の顎から喉もと、首筋がみえてくる。こんな美しい女を我妻にしたのだという男の満足感と、ある種の征服感まで感じられる。白い喉のなめらかさに負けず、紅梅はいっそう黒々と濃く中天にこずむ。性愛の烈しさが匂う。「あぎと」に焦点を絞って、紅梅の紅と対比させた技法が巧みである。講座では、「娶りけり」はジェンダーギャップのことばで不快、という意見も出た。たしかにそう。しかしそれがわたしたちの蓄えてきた「言語阿頼耶識」であることも事実。時に、性愛の場は平等をよろこばない。さくらよりも肉感的なエロスを匂わせる紅梅がふさわしい由縁。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。