
2月2回目の句会が行われました。
今回の兼題は「寒晴」「春を待つ」。
静岡から望む富士山はすでにあたたかさを帯びているようで、春の訪れを感じました。 まずは今回の高得点句から。 春を待つテトラポットの隙間かな
佐藤宣雄 恩田侑布子入選句。
「テトラポットとは危険なところに積まれていると聞いていたので、怖いイメージを持っていた。その隙間に春を感じた作者の着眼点が面白い」
「恋の予感を感じる。テトラポットの上に若い人が佇んでいるイメージ」
というような、砂浜などではなく“テトラポットの隙間”に着眼点を置いたところに面白さを感じた方が多かったようです。
恩田侑布子からは
「“テトラポット”という語呂は愛らしい。ただ、情景を思い浮かべると寒々しい。そこに意外性はある。が、下五の“隙間かな”が宙づりになってしまっている。無機物のなかにどんな有機物が隠れているのかがわかれば、さらに面白くなる」と講評しました。
初富士や絹麻木綿翻り
藤田まゆみ 恩田侑布子入選句。
「正月の空の色が見えてくる」
「織物工場でも作者は見たのかな?富士山の雪の白さと、その前で翻る反物の色彩が鮮やかに見えるよう」という意見が出ました。
恩田侑布子は
「富士山の雪を絹・麻・木綿に見立てたのだと思った。天候によって同じ雪でも姿は変わる。その姿を布の種類で表現したことが良いと思った」と講評しました。
寒晴や婦唱夫随の土手歩き
西垣 譲 恩田侑布子入選句。
恩田侑布子は
「本来は“夫唱婦随”。夫と妻の位置が逆ですね。この季語が“秋晴”だったら甘くなりすぎてしまうが、“寒晴”としたところが良い。また、“土手歩き”というところも年配のご夫妻のぶっきらぼうさが出ていてこれまた面白い。」と講評しました。 寒晴れやダブルバーガーがぶり食い
萩倉 誠 恩田侑布子入選句。
「母と娘がハンバーガーを食べている風景が思い浮かんだ。幸せな親子のちょっと特別なひと時を感じた」
「中七から下五への濁音の連打がとっても効いている」
という感想が出ました。
恩田侑布子は
「一見無内容で行儀が悪い。しかも現代仮名遣いでドライに書かれている。読み下すと、なんだか空しいような、嗚咽が潜んでいるような感じだ。ポールオースターの小説のような虚無の底知れなさをちょっと思った。一人でがぶり食いする視線の先にある冬の青空の虚無感。濁音が続き、ストリートミュージシャンの音楽のような個性的な句」と講評しました。
今回の句会では難読漢字の句が多く、非常に興味深かったです。例えば「蕪穢(ぶあい)」や「蛾眉(がび)」「漫ろ(そぞろ)」などです。普段あまり目にしない言葉を知るのはとても勉強になります。が、難読漢字の力に引っ張られて句の世界観が狭くなってしまう、という意見もありました。
気に入った言葉を使う際には、その言葉の力を最大限生かせる寝床を調えて句作したいと思いました。
次回の兼題は「春の闇」「ものの芽」です。兼題の季語も春へと移りますよ!(山田とも恵)

節分の句会。兼題は「当季雑詠(冬、新年)」です。
今回は恩田侑布子の特選、入選、原石賞のいずれもなくフチョーでした。
なかから△印の高点句を紹介します。 冴ゆる夜の監視カメラの視線かな
久保田利昭 「“冴ゆる夜”と監視カメラという機械の冷たさが一致している」
「冷たいキーンとした感じが出ている。カメラの無表情な視線がある。自然と人工の対比」
「監視カメラが意志をもって視ていることの気持ち悪さが表されている」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「季語が効いている。“視“が重なってくどいようだが、こう言わないと句にならない。無機的なものが有機的なものに転化し、ぎょっとする瞬間をつかまえた。現代を詠んでいる。座五もよい」
と講評し、さらに、
「“花鳥諷詠”だけではなく、自然環境や社会環境など2017年の現代に生きていることを詠むのは大切。“複眼の思想”を持ちたい」
と述べました。
三センチ歩幅広げる古希の春
松井誠司 「“一歩”ではなく“三センチ”が現実的でいい。70歳を迎え、前向きに生きようとしている」
「共感します。街で女の子に追い抜かれたりするんでしょ」
「共感! 歩幅を広げて歩くのは体にいい。意識してやらないと」
「健康雑誌に載りそうな句。糸井重里さんのコピーみたい」
など共感の声が多く出ました。
恩田は、
「懐かしい、情の豊かな句。歩幅を広げて速歩きするのは老化防止にいいそうです。中七にやわらかい切れをつくりたい」
とし、次のように添削しました。 三センチ歩幅広げて古希の春 「“て”で切れが生じ、リズムもよくなりませんか。俳句は音楽性をもつ韻文であることをこころがけて」
とうながしました。
枯枝の先一寸の人類史
伊藤重之
「はかなさと危うさ。リズム感があり、言い切っているのがよい」
「よく分からないが、なんとなく捨て難い句。イメージを膨らめていったのだろう」
などの感想。
恩田は、
「裸木に生物進化の系統図を投映した句。人類は威張っているが、地球生命史の上では誕生して間がない。戦争と殺戮を繰り返している人類への批判もある。しかし、季感が薄い。進化の系統図そのままで飛躍がなく、知的操作の勝った句」
と講評しました。
[後記]
今回の投句がやや低調だったのは「正月疲れ」なのでしょうか。しかし、かえって口角沫を飛ばす議論が百出し、みんなホットになりました。
恩田の「今回は説明や報告の投句が多かったように思う。俳句は韻文。叙述してはいけない」との指摘にうなずきながら句会を後にしました。
次回の兼題は「紅梅」「若布」です。乞うご期待!(山本正幸)

新年2回目の句会が催されました。兼題は「枯野」「御降」「雑煮」です。
今回は力作揃い。高点句や話題句などを紹介していきましょう。 単線の地平に消えり大枯野
久保田利昭 恩田侑布子原石賞。
「景が大きい。単線に親しみを感じる」
「景色が見えるが、地平と大枯野が重なるように思う」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「“消えり”は日本語として間違い。終止形が‟消ゆ”であるので、ここは‟消ゆる”か‟消えし”が正しい。‟消ゆる”は現在形で含みが感じられ、‟消えし”は過去形となり調べはいいが少し弱くなる。‟消ゆる”にすれば、‟の”が切字として働く。鉄路と枕木のみが続いている眼前の光景。単純な映像に迫力がある。謎があり、それからどうなった?と連想が広がっていく」
と講評しました。
御降や一直線の下駄の跡
松井誠司 恩田侑布子入選。
「雨の後、下駄の跡だけ続いている光景で、詩的である」
「雪だと思う。年あらたな清浄な雰囲気が出ている」
「きれいでいいが、やや既視感がある」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「雪だろう。無垢な感じがよく出ており、一種のめでたさがある。歳旦詠はかくあるべきで、有難さがにじみ出ている」
と講評しました。
一生(ひとよ)とは牛の涎と雑煮喰ふ
萩倉 誠
「生活感が溢れている。面白い句。一生を涎のように気長に暮らす。若い頃はこういう気持ちにはならないのだろう。「と」ではなく、「か」「や」「ぞ」で切ったほうがいいか」
「人生は牛の涎と同じという発想が面白い」
「「商いは牛の涎」ということわざがある。それと同じで人間の一生は切れ目がないという見方に脱帽」
などの感想、意見の一方で、
「なんか臭ってきそう。お雑煮が美味しくなくなる」
との拒否的(?)な感想も。
恩田は、
「大胆な発想の飛躍がある。何十回と繰り返している正月、昨年も一昨年もこうだったなと。牛の反芻に結び付けたことが効いている。雑煮の神聖性を引っくり返した。俳味あり。自己戯画化が面白い」
と講評しました。 今回の句会では、「(ボブ)ディラン」を詠み込んだ句(特選句)への合評が引き金となり、「引用」の問題が話題に上がりました。
「固有名詞、地名等を詠むとその言葉の喚起力やイメージに頼りすぎてしまうのではないか」という疑問の声。また、「分かる引用と分からない引用がある。鑑賞者の立場も考慮すべきであろう」との意見もありました。
恩田は、「地名、人名、文学作品等を引用するのも表現の冒険である。イメージに頼るというのならば、まさに季語がそうであり、すべてが引用ともいえる。引用の句を否定したくない。可能性が広がる」と持論を述べました。
[後記]
「引用」をめぐる議論が白熱しました。引用した言葉に、思ってもみなかった角度から光を当て、新たないのちが蘇るような句を詠みたいなあ、と皆さんの発言を筆記しながら考えておりました。
次回の兼題は「春を待つ(待春)」「寒晴」です。(山本正幸) 特選
ディラン問ふ
「Hoどwdoんyouなfee気l」分と枯野道 萩倉誠 子どもの頃、ディランやビートルズの歌声は容赦なく耳に入った。団塊の世代は熱狂し、級友たちもコーラと同じように親しんでいた。あれから半世紀。
1965年ディランのヒットシングル「Like a Rolling Stone 」の歌詞を中七に引用し、日本語訳をルビとした異色作である。あの頃、深い気持ちや思想哲学はカッコ悪かった。フィーリングがすべてだった。時代は老い、高度経済成長の右肩上がりの日本は、少子高齢社会となった。
「どんな気分?だれにも知られず転がり落ちてゆく石は」が本歌と知れば、句意はいよいよ深い。青春前期だった作者は、いまディランより少し遅れて古稀に近づいた。作者は両親の墓参りに富士山の裾野の大野原を通ったそうな。枯野のむこうにこの世を転がってゆく石のイメージがある。地平線に仄みえる死の幻影は、「feel」という措辞によってあかるく軽くなる。現実感の希薄さは枯野をあてもなくただよう。
「作者が誰かに質問される句はみたことがない」という意見が合評で出た。そう、そこに新しみがある。不変のディランの歌詞。一変した作者と時代。枯野道には長い時がふり積もる。
俳句技法に熟達した人が「と」が気になるという意見を述べた。 「Hoどwdoんyouなfee気l」分
ディランの問へる枯野道 ルーチン通りならこう添削するが、原句の味は死んでしまう。座五の「と」のイージーさが、フィーリングの時代を生きて来た寄る辺なさに合っている。それを感じていたい。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

謹賀新年。静岡は上天気の正月となりました。句会の行われる「アイセル」からほど近い静岡浅間神社には三が日で50万人の人出があったようです。
今回の兼題は「師走」と「暖房」です。
高点句や話題句などを紹介していきましょう。
恩田侑布子特選句はありませんでした。
宅配の路地をすり抜け十二月
久保田利昭 恩田侑布子入選句
「なにげない風景だが、届ける先の人がどんな人か想像させる。路地という言葉から、そんなに裕福ではない暮らしなのだろう。高齢者かもしれないが、たくましく生きている」
「“すり抜け”のスピード感がいい」
「季語の本意、本情を買った」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「季感が横溢している。働く人の実感が中七にこもり、届けられて喜ぶ人の顔が見える。“すり抜けて”でなく“すり抜け”でスピード感が出た。“路地を”の‟を”が効いていて弛みがない」と講評しました。
嘘ばれるように暖房消えにけり
佐藤宣雄 「エアコンのことだと思った。消すと室外機が変な音を立てて止まるような」
「石油ストーブと思う。比喩が面白い。暖房が消えた寒さと心の寒さが重なる」
「ストーブが消えたことにふと気づく。ウソがばれた冷たさ」
と感想、意見が出ました。
恩田は、
「レトロなストーブを連想した。可愛い嘘、悪質ではなく愛らしい嘘なのだろう」と講評しました。
呆けたる身を素通りす師走かな
佐藤宣雄
恩田侑布子原石賞
「最近このようなことを身をもって感じる。歳月を経てきた気持ちを代弁している」
「師走で忙しい他人の雑事とは関係なくボケている。自虐的な句で皮肉と滑稽さがある」
「自身の加齢を客観的にみている」
など感想、意見。 恩田は、
「‟呆ける”をほうけると訓ませるのはどうか。‟惚ける”か‟耄ける”であろう。また、句形に誤りがある。‟かな”で終わるときは、上五~中七で圧力を高めていって、一挙に‟かな”でひびかせる。「また、この句は‟素通りす”と、終止形で切れてしまっている」と述べ、次のように添削しました。 ぼけし身を素通りしゆく師走かな
「立句になり、自己客観化による自嘲の句になりませんか」と解説しました。
米を研ぐ指の透き間に十二月
松井誠司 恩田侑布子原石賞
「指の透き間から時間が通り過ぎていってしまう。中七がいい」
「十二月にこのような中七を持ってきた。白魚のような女性の指を思う」
「きれいな指と水の冷たさを想像できるきれいな句」
と感想、意見。
恩田は、
「行間に寂しさが感じられる。365日、誰にも評価されずに指の透き間を流れていった日々。こうやって研いできて、今、十二月にたどり着いた感慨がある」と講評しました。
[後記]
今年の初句会。年賀の挨拶もそこそこに、皆それぞれ早速選句に没頭します。沈黙に支配され、張り詰めたこの時間が筆者は好きです。今回も句の合評からさまざまな話題に飛びました。言葉の持つ喚起力を感じます。
次回の兼題は「当季雑詠(冬、新年)」です。(山本正幸)

12月2回目の句会が…と始まりたいところですが、今回は特別。いつもの句会はお休みし、代表・恩田侑布子の第四句集『夢洗ひ』の出版記念祝賀会を、ささやかながら句会参加者で開催しました。
当日は抜けるような冬青空の下、静岡市内の藁科川上流の手打ち蕎麦屋さんにて、季節の野菜をふんだんに使ったお料理に舌鼓を打ちました。 食事をしながら『夢洗ひ』のお気に入りの句を発表しあったり、参加者一人一人の句の傾向や変化など、普段の句会では話しきれない話題をじっくり話すことができました。 とはいえ、まじめな(?)樸俳句会。食事が終わると、前回の句会で提出した俳句のプリントが配布され、ペンとノートを取り出して出張俳句会が始まりました。兼題は「冬の月・湯冷め・綿虫」。時間の都合で今回は恩田の選句と講評のみでしたので、ここでは恩田が選んだ入選句と講評を掲載させていただきます。
出漁の航跡頒つ冬の月
杉山雅子
恩田:「頒つ」と「冬の月」の間に深い切れがある。画面構成が巧みであり、句のこころが通っている。出漁の航跡は左右に裂かれ開いていく。それを冬の月が皓々と照らしている。冬の自然の厳しさとともに、粛然とした、おごそかで気がひきしまるようなたたずまいがある。人の運命も感じさせる。
綿虫の指にとまりし一里塚
松井誠司
恩田:綿虫が止まった指を一里塚と詠んだところが面白い。孤独な静寂の中に決意が感じられる句である。
雨だれのイルミネーション落ちる嘘
山田とも恵
恩田:無季だが面白い。ぐっと焦点が豆電球に絞られ、美しくもないくたびれた都会のありふれたイルミネーションの赤や青の色に染まって、雨だれが落ちてゆくさまが浮かびあがる。現代の都会の虚飾、都会人の心象が描けた。うす汚れた風景が現実であることを突き付け、批判精神が詩になっている。
兼題の「湯冷め」は風呂から上がってからの時間経過と、寒さの両方の意味をすでに孕んでいるため、絶妙なセンスで使わないと“付き過ぎの句”になりやすいので難しかったという意見が出ました。使いづらい季語というのは作句力に負荷を与え力をつけてくれるので、「湯冷め」はまさに筋トレ季語ですね! 一年の最後にとても有意義な時間を過ごすことができました。来年もたくさん歩いて俳句を作りたいと思います。そして、このHPを通してより多くの方と俳句を楽しむことができれば幸いです。
2017年も樸俳句会をどうぞよろしくお願いいたします!(山田とも恵)

師走となりましたが、静岡は穏やかな気候が続いています。
今回の兼題は「水鳥」「冬夕焼」です。駿府城址を囲む外堀と中堀でも何種類かの水鳥が見られます。
高点句や話題句などを紹介します。恩田侑布子特選句はありませんでした。 鴛鴦の二つの水輪重なりぬ
佐藤宣雄 「いかにも仲の良い鴛鴦(おしどり)の様子が目に浮かぶ」
「素直に詠っているところに惹かれた」などの感想が聞かれました。
恩田は、
「情景を素直に詠っているが、既視感があり鮮度がない。ということは類想があるということ。最近の皆さんの句は「省略」がなくなってきている。同義語が並び、くどくなっている。万人の共感を得やすい句は類想が多い」と、掲句を題材に会員の投句について少し厳しく?講評しました。
見舞客去りての疲れ冬夕焼
西垣 譲 「私も入院した経験があり、見舞客が帰るとホッとする」と共感の声がありました。
恩田は、
「気持ちはよく分かるが、言いすぎの句。中七の「疲れ」という語で迷惑した気持ちが出た。「疲れ」で答を言ってしまっており、詩がない。むしろ、どんな見舞客だったかを具体的に述べたほうがいい」と講評し、次のように添削しました。 見舞客三人の去り冬夕焼
「『三人の去り』で十分疲れたのが分かる。余韻が深くなりませんか」と問いかけました。
冬夕焼トランペットの木陰から
藤田まゆみ 恩田侑布子原石賞
「冬の夕焼に音があるとすればトランペットの音か。音の広がりと夕焼の広がりが重なって感じられた」
「こんな情景、ニニ・ロッソの曲にありましたね」
などの感想。
恩田は、
「言おうとした景色が絶妙で、冬夕焼の美しさが伝わる。しかし、画面構成が縮んでいく句だ。風景を大きくしたい」と講評し、次のように添削しました。 木立よりトランペットや冬夕焼 「推敲は景が大きくなるようにしたい。小さい詩形なればこそ、大景を詠むのが大事だ」と解説しました。
弱虫を冬夕焼が抱きくれぬ
杉山雅子 「夕焼を見ると悲しさがついてくる。喧嘩したのか?ころんだのか?傍に母親がいる。親子の姿を夕焼が包みこんでいる」
「気が弱い男の子ではないか?夕焼が抱いてくれるというところに甘い悲しみがあるが、そこを俳句としていいと思うかどうかだ」などの感想、意見。
恩田は、
「『抱きくれぬ』で甘さが出て、句柄を小さくしてしまったのではないか。もっと突き放したほうがいいと思う」と講評しました。
水鳥の果つるは水かはた空か
西垣 譲 恩田侑布子入選
「水鳥の終焉に思いを馳せた、単純化された用語が茫々とした水と空しかない光景をつくりだす。まさに浮寝鳥。答を読み手に委ねたところがいい」と講評しました。
[後記]
今回も談論風発、三時間があっという間に過ぎました。
句会で話題に上った正岡子規『獺祭書屋俳話・芭蕉雑談』(岩波文庫)を求めて、早速T書店に走った筆者でした。
次回の兼題は「師走(十二月)」「暖房」です。(山本正幸)

11月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「小春」「大根」。
今年は秋があっという間に過ぎ去り、冬を感じることが多くなりました。寝て起きれば葉っぱの色が変わるこの忙しい景色を、寒さに負けずじっくり楽しみたいものです。 さて、まずは今回の高得点句から。
情念衰へ小春の為体(ていたらく)
伊藤重之
「欲望渦巻く世界に嫌気がさし、穏やかに生活している。でもそんなんでいいのか!?と嘆く日もあるよね」
「“情念衰へ”なんて言いながら、決して達観してるわけでなく、現世に未練がありそうなところが良い」
「自嘲気味に言っているが、それを楽しんでもいる句だ」
という意見が出ました。
恩田侑布子からは「破調のように見せて、十七音になっているところが面白い。吐き捨てるような調べが内容と合っている。でも、情念は歳とともに衰えるものでしょうか?」と参加者に問いかけがありました。
「歳とともに衰えるものだ」と言う参加者が多いようでしたが、
「ある情念は鋭くなる」という意見もありました。
恩田は草間時彦の≪色欲もいまは大切柚子の花≫という句を挙げ、正反対の位置から同じ状況を詠んでいる、と続けました。
情念が衰えている人は俳句なんか作れないはずだ!とこっそり思う、情念まみれの筆者でありました。 さて、続いて話題句です。
にぎやかや大根形体品評会
久保田利昭 「楽しい句。お化けカボチャのように、変な格好をした大根のコンテストがあったんだろうか?」
「“大根”という季語が持つ、どこかおどけた面白さが出ている」
「調べ、歯切れがよく、内容と合っている」
というような意見が出ました。
恩田侑布子は「日常の何気ない会話から面白い言葉を発見することがあるので、アンテナを張っておくと自分では思いつかない句が生まれることがありますよ」と、作者の着眼点に拍手していました。 次回の兼題は「冬の月・綿虫・湯冷め」です。11月に東京に雪が積もったのは史上初だそうです。駆け足の速い今年の冬と並走するためにも、風邪などひいてられません!(山田とも恵)

秋晴の静岡市。折しも「大道芸ワールドカップ in 静岡 2016」が開催され、駿府城公園や繁華街など30か所以上でアーティストの妙技が披露されていました。
兼題は「団栗」と秋の季語の「・・寒」です。 高点句や話題句などを紹介していきましょう。 朝寒や佐渡への距離問ふ海の宿
松井誠司 恩田侑布子原石賞。
合評では、
「孤独な旅人の感じが出ている。しかし、”朝寒”が合わないのではないか。”朝寒し”のほうがいいと思う。」
「”朝寒”でいいだろう。朝起きたときに宿の人に問うたのである。」
恩田侑布子は、
「”朝寒”が効いていると思う。新潟平野、それも晩秋の海辺の光景が浮かぶ。中八の字余りを整理したい。
また、”海の宿”は説明過多で句が小さくなってしまった。」
と講評し、つぎのように添削しました。 朝寒や佐渡への距離を訊ける宿
団栗や三つ拾へば母の佇つ
伊藤重之 恩田侑布子入選。
恩田侑布子は、
「団栗を母と拾った遠い日が眼前に蘇る。調べもいい。
だが、”三つ”というのは寺山修司の句に「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」もあり、やや作為が感じられる。作為を消すにはどうしたらいいか、が課題。」
と講評しました。 合評のあと、「秋の寒ささまざま-体性感覚の季語」と題して、14の句を例に、恩田侑布子からレクチャーがありました。
参加者の共感を呼んだ句は、 ひややかに人住める地の起伏あり 飯田蛇笏
野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉 などでした。 恩田侑布子は、 身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む 蕪村 について、高校時代にこの句から衝撃を受けた体験を語り、
「ここには詩的真実がある。自我の表現は近代以降だと言われているが、ヨーロッパの象徴派の詩人の感覚と比べても遜色がない。」
と評価しました。 [後記]
今回も盛り上がった句会でした。家族へのそれぞれの思いを託した句が多かったように思います。
蕪村を語った恩田侑布子ですが、その第四句集『夢洗ひ』にあるいくつかの句も、フランスの象徴派の詩と相通ずるものがあるのではないかと感じました。
次回の兼題は「水鳥(鴨、白鳥などでもよい)」「冬夕焼」です。(山本正幸) 特選
秋冷やライト鋭き対向車
久保田利昭 慣れっこになっている日常のひとこまを掬い取った良さ。
一義的には、対向車の白いヘッドライトに秋冷を感じた。何とも言えぬ突き刺さるものを感じたのである。二義的には、体性感覚を超えて、現代の文明を逆照射している。百年前まではあり得なかったこと。鋼鉄の車体に閉塞して、人 々 が冷たく擦れ違う現代をあぶり出している。一見すると目新しくはないが、揺るぎなく、切れ味鋭い手堅い句である。「秋冷」が動かない。「ライト鋭き」で、透き通るヘッドライトの無機質感が伝わってくる。
幼いころ祖父母の家に行くと、板壁に赤い提灯が畳んで架けられていた。油紙の手ざわりがやさしくて外して遊んだものだ。川端茅舎の句に「露散るや提灯の字のこんばんは」がある。提灯をかざして声を掛け合ってゆき合った夕闇からまだ百年も経っていないのに、なんと遠くに来てしまったことか。
(選評 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。