
10月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「花野」「運動会」でした。
「運動会」は昔、春の季語だったそうですが、現在は秋の季語です。しかし昨今熱中症対策などで春に運動会を行う学校も増えているので、あと数年したら春の季語に戻るかもしれない、ということが話題に上がりました。世相に影響される季語もあるのだと興味深く聞いていました。
また今回より、怪我をされ休まれていた話題豊富な長老(!?)が元気に復帰され、どこか沈んだ雰囲気の句会に活気が戻りうれしい日となりました! さて、今回の高得点句から。 父は砲兵
大陸の花野駆けたる足といふ
山本正幸 「大陸→花野→足とズームインしていくようでおもしろい。」
「“花野”が“戦争”と対比されていて、より残酷さが際立つ」
「カラー映像としてあまり残っていない戦争はどこかフィクションのようだが、花野という言葉が入ると鮮やかになり途端に生々しく感じる」
という意見が出る一方、
恩田侑布子からは「戦争に絡む句は伝えたいことを明瞭にしないと、意図しない形で取られてしまう危険性がある。」と指摘がありました。
恩田の指摘を受け、一同、句における戦争や時事問題の描き方を再考するいい機会となりました。
また、今回は説明過多の句が多かったと恩田より講評ありました。
「説明過多」というのは「自分の中に伝えたいことがそんなにない」時に生まれやすく、反対に「伝えたいことがたくさんある」場合は削っていく作業なので、自然と説明を省いていくので過多にはなりにくいということです。 例)陽を留む金木犀のしたの夜 山田とも恵(10月21日句会より) 上記の例句では、「金木犀のしたの夜」が余分で、いらない説明。推敲の余地あり。 次回の兼題は「小春日・大根」です。
いよいよ冬の季語の到来です。寒さに負けず、紅く染まる季節を楽しみたいと思います。(山田とも恵) 特選
鈴虫を貰いし夜の不眠かな
久保田利昭 なにげなくもらった鈴虫だったのに、ただ風流な声を聴こうと思っただけなのに。寝室の窓際に置いた虫籠から澄み切った音色がきこえる。うすい羽をこすり合わせて出しているとは思えない。その声に思わず引き込まれてゆく。思い出さなくてもいいことまで、ついつい糸を手繰るように思い出されてキリがない。なんと、すっかり夜明け近くになってしまった。一匹の鈴虫がもたらした心理のドラマは、人生行路の凝縮そのもののようであった。非常に実感がこもる句で、不眠が感染してしまいそう。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

10月1回目の句会が行われました。今回の兼題は「蟲」「秋の七草」でした。
秋の七草といえば「女郎花(おみなえし)」「尾花(おばな)」「桔梗(ききょう)」「撫子(なでしこ)」「藤袴(ふじばかま)」「葛(くず)」「萩(はぎ)」です。“といえば”などと知った風ですが、春の七草は言えても秋の七草は言えませんでした。無知というのは恥ずかしいものですが、知識が増えるというのは嬉しいものです。
さて、まずは今回の高得点句から。 虫の音や開いたまゝの方丈記
松井誠司
「無常観を感じる。」
「“開いたまま”というところに、“人の気配があるが不在”という雰囲気が出ていて面白い。」
一方で「無常観を表わすものなら『方丈記』ではない本でも成り立つのでは?」「ツキすぎの感じがする。」
というような意見も出ました。
恩田侑布子は
「句として綺麗だが、“開いたまま”というところに既視感を感じ、雰囲気になってしまっている。いい俳句だけにもったいない。この風景に作者ならではの発見があるはずだから、そこを中七にして推敲てみてはどうか」と鑑賞しました。
続いて、想像力を掻き立てられた話題句です。
虫時雨彼岸此岸の湯あみせし
藤田まゆみ
「秋の夜長にお風呂に入り気持ちよくなって、あの世とこの世を行ったり来たりしているイメージ。」
「仏事のことかと思った。お彼岸にお墓を洗っている?」
という意見が出ました。
恩田侑布子は「“彼岸此岸(ひがんしがん)”という言葉が強すぎて、句が上ずってしまっているように感じた。重い言葉に感動が見合っていない。」
とい感想を述べました。
次回の兼題は「団栗(どんぐり)・~寒」です。秋空を満喫する暇もなく、今年は寒さがやってきそうですね。寒いのは大嫌いですが、寒さの中に俳句の尻尾を探せると思えば外に出ていけるでしょうか?!
正直、団栗を頬張って冬眠の準備に入りたい気持ちでいっぱいです…(山田とも恵)

9月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「秋の日・茸」でした。
“茸(きのこ)”と一口に言っても、「しいたけ・しめじ・まつたけ・えのきだけ…」と色々ありますね。それぞれの持ち味を句に読みこめたら、句だけでなく料理も上達しそうな気がします。 さて、今回の高得点句。 余生とは言わじ五千歩秋うらら
杉山雅子 「年配の方の句だろうか?春でなく秋にこの句を詠んだところが、老齢感が出て良い。」
「しっかり生きていく。という、高齢者の自立を感じる。」
「今までのじっくり生きてきた人生を感じる。励まされた。」
「共感が持てる。“余生=人生を捨てる”ということはしたくないもんね。」
「これは、高齢化社会のアイドル俳句だ!!」
「歩いている季節もいいし、おいしい空気も感じられる。」
と、活発に意見が出ました。 恩田侑布子は「ややスローガンぽいが、実践句なので“余生”という措辞のいやみ、臭みが出ず、明るくて欠点を持っていない。私もこう生きたい」と鑑賞しました。
一方、「歴史的仮名遣いが間違っているので注意していきましょう」とのことでした。 誤)余生とは言わじ五千歩秋うらら
正)余生とは言はじ五千歩秋うらら 次回の兼題は「花野・運動会」です。今年は秋真っ盛り!というほどのお天気には恵まれないようですが、それでも花は咲き、運動会は雨間を縫って開催されるのでしょう。耳をそばだてながら、秋の到来を感じたいと思います。(山田とも恵) 特選
哲学を打ち消す夜半のすいつちよん 山田とも恵 すいっちょんは馬追。草のなかに棲み、ジー、スイッチョンと鳴く。灯のそばにやってきて、姿見の上にとまっていたりもする。色は薄緑や褐色で、そんなに美形ではない。地味な秋の虫だ。
句会ではハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」のセリフを思い出したというひともいた。若い作者ならではの句である。句頭に「哲学」を据えたのは大胆だが、作者は真剣に生死や存在を考え、どうどうめぐりしていたのだろう。そうした昼間からの懊悩が、窓辺に来た小さな虫の一声に幕を下ろす。「打ち消す」という措辞が潔い。明日は早い、さあ、寝なくちゃ。草やぶに馬追がいてくれるいとしさ。
(選句 ・鑑賞 恩田侑布子)

9月1回目の句会が行われました。今回の兼題は「涼し・残暑」でした。
季語の“涼し”は「秋が近づいてきたなぁ~」という頃(晩夏)に使うのではなく、初夏~晩夏まで使える季語だと知りました。恩田侑布子からは、「『涼し』は微妙な季語であり、悟り、達観を込めている。体感や皮膚感覚を超えた文学的、伝統的な言葉である。嫌味になることがあり、“ナマ悟り”に転びかねない。」との解説がありました。 さて、まずは今回の高得点句から。 ビルの窓ビルを映して秋暑し
伊藤重之
「都会の風景。今のビルは窓を開けないから、ほかのビルがよく映るのだろう。」
「ビルが二つ出てきて、ビル同士が反射して暑さを増幅している」
「太陽が真夏よりやや傾いていて、より暑い日差し。秋の西日を感じる。」
というような意見が出されました。
恩田侑布子は、
「特選に近い入選句。直すところがないくらい、よく秋の暑さとビル群を描けている。が、鮮度の点で特選に採れなかった。」
という意見でした。 今回の句会では、「季語がつきすぎ」の句が多かったと恩田侑布子より講評がありました。 例)感電す積乱雲ごと窓拭きて 山田とも恵(9月2日句会より)
→“積乱雲”という季語と、“感電”が付きすぎている。 (1)季語が付きすぎることで、句のふくらみが無くなってしまい、逆に季語の本意から遠ざかってしまう。
(2)一方季語と離れすぎる言葉を入れてしまうと、自分の世界に入り込みすぎてしまって鑑賞者を置き去りにしてしまう。 とても難しいバランス感覚だが、どちらかというと後者(季語と離れる言葉の取り合わせ)の方が挑戦心を買える。
小さくまとまらず季語に飛び込んでいってほしい。 「句会は挑戦の場なのだ!」ととても心強くなりました。
一句ごとに挑戦心を忘れず、でも一人よがりにならぬよう、作句していきたいと思いました。
次回の兼題は「蟲(むし)・秋の七草」です。(山田とも恵)

8月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「向日葵」「夏服」でした。
今回は恩田侑布子の特選句が出ませんでしたが、「あと一歩で名句だったのに!」という句が目立ちました。イメージが沸きやすい兼題にも関わらず、個性豊かな世界観が広がっていたような気がします。
さて、まずは今回の高得点句から。 夏服や遠くに海を見るホーム
佐藤宣雄
「すごく単純だけど、心惹かれる青春句に感じた」
「涼やかで悲哀に満ちて落ち着きがある」
「津波で町が流され、遠くにある海まで見渡せてしまう悲哀を感じた」という感想が出ました。
“ホーム”という言葉にそれぞれ違うイメージを持ったようです。
青春句と感じた方は「夏の制服を着た若者が電車のプラットホームから海を眺めている様子」を、
悲哀に満ちた句と感じた方は「老人ホームの窓から海を見ている老人の様子」を、
そして「東日本大震災の被災地をプラットホームから眺め、季節が巡っても光景が変わらない様子」を見たのです。 恩田侑布子はこの読み手のイメージのばらつきは、やはり“ホーム”を曖昧に描写しているところに理由があると感想を述べました。
同じ音でも違う意味を持つ言葉には注意が必要ですね。
さて、続いての句は添削してみるとより面白くなると話題になった句です。 アロハ着て夜の国ゆくピアノ弾き
伊藤重之
恩田侑布子はとても個性的な世界観の句で、ひとところに収まらない、放浪のジャズピアニストをイメージできると鑑賞しました。しかし中七の「夜の国ゆく」というところがメルヘンチックになってしまい、損をしているように感じたようです。そこで、このような添削例を出しました。 (添削例)
アロハ着て千夜をゆけりピアノ弾き
アロハ着て千夜をゆくとピアノ弾き 「千夜一夜」という言葉の持つ妖艶さが、夜から夜に渡り歩くピアニストの放浪の旅と結びつき、句の世界観をより一層高めるのではないか、というアドバイスでした。
作者は「千夜をゆけり」が気に入ったようです。 次回の兼題は「秋の日」「きのこ」です。
すっかり秋の季語です!!この兼題では「秋日」「秋日和」「しいたけ」「タケノコ」などの食べ物としてのきのこでも、「キノコ狩り」のような使い方でもOKと、幅広く季語を探していいとのことですが…逆にとても頭を抱える二週間となりそうです。(山田とも恵)

8月1回目の句会が行われました。今回の兼題は「風鈴」「夜店」でした。
「風鈴」は住宅環境の変化によって最近は姿を消しつつありますが、あの音色は日本人のDNAに刻まれているのか、自然と涼しい風を感じることができる気がします。 さて、まずは今回の高得点句から。 風鈴に音みな吸い取られし午後
佐藤宣雄 「夏の午後の倦怠感がある」
「音を“吸い取られる”という表現がとても勉強になった」
「風鈴の音が聞こえるからこそ、より周りの音が静かに聞こえるという感覚が共感できる」
というような意見が出ました。 恩田侑布子からは、
「発想は面白いがリズムが良くないと思う。静謐な風鈴の音を感じる上五と中七があるのに、最後の「午後」という音が雑音になってしまっていてもったいない。」という意見が出ました。
作者は情景を明瞭にしたいと思い、あえて「午後」を入れたとのことでした。
全体のリズム感を保ちつつ、自分の描きたい情景を浮き上がらせる…難しい!
さて、続いての句です。 ちちははとあにあねと行く夜店かな
藤田まゆみ 「幼いころを思い出している光景かなぁ」
「夜店の出ている場所へと向かう、幼い日のあたたかい雰囲気が懐かしくなる」
「できたらもう一度戻りたい」
「あとから付いていく自分の姿を俯瞰で見ているよう」
というような、幼いころを思い出す意見が多く出ました。
が、一方で
「これはこの句会(大人しかいない句会)で投句されているから“過去を懐かしんでいる”というような鑑賞になるが、誰が投句しているか分からない状態だったら小学生の素直な句と感じるのではないか?」というような意見も出ました。 恩田侑布子もこの意見に賛成とのことでした。
また、「ちちはは」は良いとしても「あにあね」まで平仮名にしてしまうのはやや作為的に感じてしまう、という意見が出ました。
あえて作為的にしたからこそ、小学生の素直な句には思えなかったのかもしれません。
とはいえ、指摘があった通り「句会の状況を見て、句を勝手に解釈してしまう」というのは句の本質をとらえ損ねる危険があるので、今後も注意していきたいと思いました。 次回の兼題は「涼し」「残暑」です。暦では秋ですが、現代の日本では8月下旬はまだ秋の実感よりも、夏がかげっていく実感の方がしっくりきますね。夏好きとしては、離れがたい気持ちでいっぱいです。(山田とも恵) 特選
貝風鈴カウンセリング始まれり 山本正幸 貝風鈴がカウンセリングの小部屋に吊るされている。白やスモーキーピンクのやわらかな色の薄い貝殻たちが透明な糸につづられて音もなき音、かそけき音をたてる。砂浜を裸足で歩くときのあの心地よさをからだのどこかが思い出すような音色(ねいろ)である。これはなんのカウンセリングだろう。深刻とまではいかないけれど、もやもやとした気の晴れない悩みごと、心配ごとの相談に来たのだろう。カウンセラーの話を聞く前に、揺れる貝殻のしずかに触れ合う音に癒されてゆく。こころはすでになかば静まって、これから対処してゆくべきことが夜明けの水のように感じられる。作者はカウンセリングの受け手であったかもしれないが、不思議にも掲句のデリケートさ、やさしさ自体がヒーリング効果をもっているようだ。A音の頭韻に、ラ行のリリレリが添って、調べに微妙な風と陽光がささめく。七月初めの梅雨の晴間。ゆれる貝殻のむこうに青空がみえてくる。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)

7月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「蜘蛛(の囲)」「植ゑ」「昼顔」。
恥ずかしながら「蜘蛛」が夏の季語であるということを初めて知りました。冬にも家の中で見ることはあった気がしますが、言われてみると梅雨の頃になると蜘蛛の巣に顔をつっこむ確率が上がる気がします。
「梅雨明け宣言」など聞かなくても身体がまず感じ取った季節感覚を取り戻したいものです。 さて、まずは今回の高得点句から。 廃線路尽き昼顔の浄土かな
杉山雅子 「風景がよく見える」
「栄えた後の静けさ、切なさを感じた」
「作者は昼顔の淡いピンク色を浄土の色と見たのかもしれない」という意見が出ました。
それぞれ句から読み取ったイメージは驚くほど一致していました。
恩田侑布子は、合評の皆の解釈が揃っていることからもとてもよく書かれているのはわかるが、美しい光景はすべて「浄土かな」で片付いてしまいがち。その光景を自分なりの言葉で捕まえて来てほしい。と激励していました。
一同それぞれ胸に刻む言葉でした。 続いて、今回の句会で話題になった句です。 きゆるきゆると自転車鳴るや梅雨曇
西垣 穣 「“きゆるきゆる”から梅雨の湿り気のある空気を感じる」
「自転車には一人で乗っている気もするし、子供を乗せているのかも?句の世界が広がって面白い」
「きゆるきゆるという音がちょっと不穏な感じがする」という意見が出ました。 恩田侑布子は、
「晴れ晴れとはしないが、雨も降らずに“なんとかもってる”、自転車もブレーキがうるさいが“なんとかもってる”、そして作者も…。
もってくれているんだから、儲けもんじゃないか、というような句だと思う。自転車も歳もすべてほころびた感じ。でも悪くないじゃん!というなんの理屈もない感受が句に命を吹き込んでいる」と鑑賞しました。 若輩者としてはとても勇気づけられる句でした。 次回の兼題は「ひまわり」「夏服」です。夏ならではの兼題ですが、月並みなことしかパっと浮かばないのでこれは気を付けなければならない兼題です。よく観察して自分なりの言葉を見つけたいと思います。(山田とも恵)

7月1回目の句会が行われました。
今回の兼題は「サングラス・夏の夕」でした。静岡市内は陽ざしを遮るものが少ないため、ガラにもなくサングラスが欲しくなってしまいます。 まずは今回の高得点句から。 すててこの論語嫌ひや夏ゆふべ
伊藤重之 「手ぬぐい、団扇、風鈴…昭和の世界観がパーッと広がった」とノスタルジーを感じた方が多いようでした。
また、あえて「論語嫌ひ」というところが「そう言いながらもついつい論語の勉強をしてしまう、昭和頑固親父のかわいい後ろ姿」をイメージさせ、ユニークという意見もありました。 恩田侑布子からは
「“すててこ”と“夏ゆふべ”の季重なりが気になる。 “すててこ”の面白さを生かせる言葉がほかにきっとあるはず」
と、いう意見がありました。
続いて、今回の句会で話題になった句です。
掌の豆腐捌きて夏の夕
杉山雅子 先ほどの「すててこの句」は男性から人気でしたが、こちらの句は女性に人気の句でした。
「豆腐を捌(さば)く」というところが珍しかったこともあり、この一語に対して色々な意見が生まれました。
例えば「捌くは男っぽく、手慣れている印象。夕暮れの豆腐屋さんの光景なのでは?」という意見がある一方、
「膨大な家事を捌くように生活する主婦が、手のひらでササッと豆腐を切って味噌汁に投げ込む雄姿なのでは?」という意見もありました。作者は自分の手のひらで豆腐を切っている時に句の着想を得たそうです。主婦の実感の句です。 恩田侑布子も
「“捌く”というところが夏っぽく効いていて、サバッとした感じがする。確かに冷奴なんかは切るというより、捌く感じがしますね」
と、主婦の実感がこもった鑑賞でした。 次回の兼題は「風鈴」「夜店」です。蝉の声も聞こえ始め、いよいよ夏本番。今年はどんな夏がやってきて、どんな句を作れるのか、夏休み前の子供のようにワクワクしています。(山田とも恵) 特選 苛立ちはけもののやうに夏野ゆく 山田とも恵 一句一章の句。一気に読ませる。「苛立つて」でなく「苛立ちは」とした擬人化が効果的だ。芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の「夢は」と同じ叙法である。芭蕉は上五で情景を提示したが、この句は暴力的に「苛立ちは」で始まる。そこに有無を言わせぬ苛立ちの感情と、若さゆえの動物的なエネルギーの発散がある。作者は現状に満足していない。吠えるように、夏草の茂る径(みち)を歩いて行く。言うにいえない懊悩が体性感覚にのりうつり、若いいのちの圧倒的な存在感がある。哀しみや寂しさの俳句は山のように詠まれてきたが、苛立ちの感情は新しい。ネガとポジのはざまのような夏野があざやかである。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。