「句会報告」カテゴリーアーカイブ

2月18日 句会報告

いつの世かともに流れん春の川

2024年2月18日 樸句会報 【第137号】  最近の温暖化の進行は早く、多くの県で2月の最高気温を記録しましたが、朝晩はまだまだ冷たく、体調管理が大変な日々が続きました。しかし有望な新人さんに続々とご入会いただき、樸の活動は活況を呈してまいりました。河津桜も咲き、菜の花とのコラボレーションも見られ、春の訪れが目にも鮮やかです。益々句作に励んでまいりましょう!2月18日のズーム句会の兼題は「建国記念日」「春一番」「梅」です。入選3句を紹介します。           ○入選  象徴といふ五体あり建国日                小松浩 【恩田侑布子評】  日本国憲法の第一章は「天皇」です。第八条までが天皇条項で、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。「平和憲法」で有名な第九条は第二章です。でも、「象徴」の意味はどこにも明示されていません。そこで作者は「手足や臓器がある生身の人間が「象徴」とはどういうことだろう」と、問うのです。風刺よりもさらに一歩踏み込んだ句です。「五体」の発見が秀逸。哲学的ともいえる疑問を、神話由来の曖昧な「建国日」にぶつけた真摯で真っ向勝負の俳句。    ○入選  建国の日やもはもはと麩菓子食む                 見原万智子 【恩田侑布子評】  うす甘い駄菓子を食べながら、批評精神躍如というギャップの面白さ。紀元節は、軍国的ナショナリズムの宣伝に大きな役割を果たし、敗戦によって一旦廃止後、昭和四十一年に「建国記念の日」の名で復活した経緯があります。元は神武天皇の即位日という神話を「建国の日」とした曖昧な国日本に、「麩菓子」を取り合わせた俳味。「ビスケット嚙めばもはもは冬の暮」という恩田の先行句があるという指摘もありました。     ○入選  建国日ビルの地下茎いづこまで                古田秀 【恩田侑布子評】  能登半島地震で輪島塗のビルが根こそぎ倒壊し、隣家を押し潰した映像は痛ましいものでした。東京のビルでは地下数階も珍しくありません。それらをひっくるめ、「ビルの地下茎」といったところが出色。植物の根に喩えたことで、神話起源の建国日を持つ日本の脆さが浮かびあがります。      【後記】  建国記念日という兼題は、思想や価値観、また現在の世界情勢にも関わる難しいお題でしたが、角度の違う入選句が3句出ました。合評にも興味深い意見がたくさんあり勉強させていただきました。雪月花の中の花の季節ももうすぐです。地方の会員さんに、大御所様のお膝元、駿府城公園の戦火を免れた見事なソメイヨシノの枝が堀に張り出す姿をお目にかけたいものです。と言っても、私は花より餡団子ですが・・  (海野二美)  (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 2月4日 樸俳句会 兼題は「春」「鶯餅」「菠薐草」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  人類の敵は人類余寒なほ                活洲みな子 【恩田侑布子評】  世界で戦火が拡大しているゆゆしさ。地球温暖化が喫緊の課題でありながら、排出ガスゼロに向かって舵をきれない人類の傲慢。作者は自己撞着に陥った世界の現状に「余寒」という季語を据えました。さらに「なほ」でトドメを刺します。浅き春が来てもぶり返す寒さは、身体よりも心にいっそう響きます。この現状に立ち竦んで言葉を失っている作者。一句自体が静かで大いなる問いかけです。              【原石賞】はうれん草みづに放てば色濃くし                  長倉尚世   【恩田侑布子評・添削】  一句一章のさっぱりした句です。店頭にあった菠薐草を袋から出し、シンクの水を張ったボールに放った瞬間の緑色が印象的。いかにも春の到来です。リズムを引き緊めると、色まで鮮やかになります。 【添削例】はうれん草みづに放てばいよよ濃し     【原石賞】はうれん草湯掻く間に決める明日のこと                  成松聡美   【恩田侑布子評・添削】  六八五という二字の字余りは俳句のリズムを大きく壊します。せめて字余りは季語だけにとどめましょう。漢字を減らし字面も明るくすれば。忙しく心浮き立つ春先に、ほうれん草を手早く湯がいている溌剌とした作者像が立ち上がります。 【添削例】はうれん草ゆがく間決める明日のこと     

1月27日 句会報告

里神楽星へつがへる白羽の矢

2024年1月27日 樸句会報 【第136号】  2024年は、能登半島地震の発生に始まり、正月だからといって平穏ではないという自然の厳しさを突きつけられた気がします。  安否を気遣う、支援に協力するといったことの他に、忘れずにいるということも私たちにできることの一つ。俳句という表現を借りて、今の想いを心に留め置くことも必要なことだと感じています。  1月27日の句会は静岡市でのリアル句会となりました。参加者からも欠席投句からも力作が寄せられました。  兼題は「春待つ」「鯛焼」「笹鳴」、特選1句、入選4句を紹介します。         ◎ 特選  鯛焼のしつぽの温みほどの恋              小松浩 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「鯛焼」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  文具屋に桃色多し春を待つ                星野光慶 【恩田侑布子評】  「文具屋に桃色多し」は端的かつ印象鮮明です。書店と同じように、街の文房具屋もいつの間にかめっきり減ってしまいました。そんなご時世でも、この文房具屋さんはがんばっています。明るい桃色のポップ手書きがそこここに貼ってあったり、立っていたりします。自然の中ではなく、都会の中で見つけた待春の情景が生き生きしています。調べも上品です。    ○入選  抱きしめるだけの介護や春を待つ                 活洲みな子 【恩田侑布子評】  病床にある肉親でしょう。抱きしめてやることだけしかできない介護。切ないですね。でも、介護される方にとっては、きっとそれ以上安心できるひとときはないでしょう。春が来れば、車椅子でも外に連れ出してあげられそう。早く春の暖かな日がやって来ますように。心を合わせて待っている二人の姿が彷彿とします。    ○入選  テトラポッドひとつに一羽冬鷗                長倉尚世 【恩田侑布子評】  冬の真っ青な海原を背景に消波ブロックが突兀と横たわっています。よく見るとその一つ一つのツノに冬鷗が止まっているではありませんか。はっきりと目に見えてくる映像です。かつての白砂青松が失われて久しい、渚の痩せた日本の浜辺の、乾いた冬の抒情です。    ○入選  山里のリハビリ棟や雪笹子                都築しづ子 【恩田侑布子評】  山里にある静かなリハビリ専門の病棟です。長期入院者、あるいは長期通院者が多く、身体機能の回復訓練をする患者さんの地道な努力の暮らしが営まれています。「雪笹子」の季語が美しく効いています。夜来の雪に薄化粧をした裏藪からチャッチャッチャッと、足踏みするような笹鳴が聞こえてくるのです。すこしさみしいけれどやさしい、山里のたしかな応援歌です。         【後記】  樸では3ヶ月に一度リアル句会を行っています。今回は静岡市の小料理屋を会場に新年の句会が開かれました。一人二人と会場に集まる毎に自然と会話が生まれ、掘り炬燵に足を入れての句会は和気あいあいと始まりました。  今回の兼題「笹鳴」は、街中ではなかなか体験することの少ないお題です。難しかったという参加者の多い中、「ビル風の奥底に聴く笹鳴よ」と詠まれた方がいらして、師の目にとまりました。東京の中心地にお勤めの方の句で、お話を伺っていると、摩天楼のような都会の景色の中にふと私にまで笹鳴が聞こえてきそうな感覚になりました。  樸には少しずつ遠方の会員が増え、詠まれる景色も広がっています。いつか一堂に会して句会が開けたら楽しいなあと思っています。  (活洲みな子)  (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 1月13日 樸俳句会 兼題は「叔気」「初暦」「獅子舞」です。 入選2句、原石賞5句を紹介します。     ○入選  獅子舞に噛まれしと児のよくしやべる                活洲みな子 【恩田侑布子評】  瞬時に、獅子舞に噛まれて興奮冷めやらないおさな児の姿が浮かび上がります。去年なら、ただ泣き叫ぶばかりだったかもしれません。怖かったのに泣かずにその時のことを伝える成長ぶりに親は目を細めます。ふだんは訥弁の子が、今、自分の知っている最大限の言葉を使って、食われるほど大きく感じた獅子の金歯を、その硬さを、夢中で両親や祖父母に訴えている微笑ましさ、めでたさ。            ○入選  倒壊の家にもありし初暦                天野智美 【恩田侑布子評】  二〇二四年は震度七の能登半島地震で明けたようなものです。画面に流れる家屋倒壊と、大火災、津波の映像に胸を潰しました。作者はそこに今まで穏やかな日常を営んでいた人々の暮らしを思いやっています。梁や屋根に押し潰された居間にかかっていたに違いない初暦が何と生々しく無残に感じられることか。一瞬にして断たれた平穏な暮らしの象徴としての「初暦」です。 将来句集を編むときには、「二〇二四年を迎ふ」という前書きがあるとなお良いでしょう。          久能山東照宮 【原石賞】千百段昇りきりたる淑気かな               活洲みな子   【恩田侑布子評・添削】  他県から来る観光客は久能山東照宮を参拝するのに、よく日本平からロープウェイに乗ります。地元の作者は久能の有度浜側から九十九折の石段を上ったのでしょう。「いちいちごくろうさん」と覚えられている一一五九段を「千百段」とすっきり省略したのも手柄です。ロープウェイではなく自分の足で社殿まで行けた初詣のよろこびをさらに躍らせるには、「きりたる」の固い文語表現を、「きつたる」という弾む息遣いにしましょう。俳句は韻文なので、気息が大事です。内容はおなじでも迫力が変わります。 【添削例】千百段昇りきつたる淑気かな     【原石賞】 義母 ははとゐて母を思ふる初明り               山本綾子   【恩田侑布子評・添削】  古語の「思ふ」は「はひふふへへ」と活用しますから「思ふる」は誤り、正しくは「思ふ初明り」です。 連れ合いのお母さんと一つ屋根の下で新年を迎え、自分の母とではないことをしみじみと実感します。自分を産み育ててくれたこの世でたった一人の女性を恋う思いが泉のように胸をひたすのは、清らかな「初明り」のなせるわざでしょう。 【添削例】義母ははとゐて母を思ひぬ初明り     【原石賞】玉砂利を靴底に聞く淑気かな                島田淳   【恩田侑布子評・添削】  神社の境内を神籬ひもろぎといい、拝殿までよく玉砂利が敷かれています。その美しい小石を踏み鳴らす瞬間を「靴底に聞く淑気」と捉えた感性は見事です。ただ微妙なことを申すと、もったいなさがあります。原句ではまず「玉砂利」が出て次に「靴底」となるので、せっかくの玉砂利の明るい清らかさが濁ってしまうのです。そこで、まず「ふみゆける」と、足元に神経を集中させ、次に「玉砂利」の白さを出し、畳み掛けるように細石の鳴る音を「聞」けば、まさに淑気が四囲に響きわたるではありませんか。 【添削例】ふみゆける玉砂利を聞く淑気かな   【原石賞】その人は赤のカシミアその淑気                  林彰   【恩田侑布子評・添削】  意外な場面の淑気。句に鮮度があります。ただし、「その」「その」のリフレインはたどたどしい。なんといってもこれは恋の句。「赤のカシミアの」映える女性の佇まいに「淑気」まで覚える作者です。非の打ちようもない美しさに圧倒されているのです。いつも胸の底に住まう人であることも暗示して「かの」とするだけで、何もいわなくても、しじまに情熱は燃え上がります。 【添削例】かの人は赤のカシミアその淑気   【原石賞】獅子舞に灘の菰樽噛ませおり               金森三夢   【恩田侑布子評・添削】  「おり」の正しい歴史的仮名遣いは「をり」です。 新年詠ならではのめでたい光景です。原句は、そのままの状態を表す「をり」を使っています。獅子舞の活発な動きの面白さ、噛んだ瞬間の感動を一句に定着させるには「噛ませたものだよ」という詠嘆の「けり」がよりふさわしいでしょう。一字のちがいで、「獅子舞」の嚙む「灘の菰樽」に御神酒の霊気があふれ、今年の吉兆をここに集う人々と会全体に呼び寄せる切れ味のいい句になります。 【添削例】獅子舞に灘の菰樽噛ませけり         

2023 樸・珠玉作品集

誰も隠しもつ冬麗のふくらはぎ

2023 樸・珠玉作品集 (五十音順)     いつぽんの草木  俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。  「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。  樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日)        天野智美   花朧坂の上なる目の薬師   べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな   秋の苔弱き光をこはさぬやう 《二年ぶりに樸に復帰して》    好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。     猪狩みき   しめ縄の低き鳥居に春の風   卯波立つ廃炉作業の発電所   楡新樹望みを抱くといふ勇気 《興味のありか》    植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。        活洲みな子   父母は茅花流しの向かう岸   読み耽る昭和日本史虫の闇   枇杷の花いつか一人となる家族 《旅と私》    私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。  それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。        海野二美   在の春すする十割そば固め   お薬師様見下ろす村に花吹雪   長旅の蝶の夢かや藤袴 《強さとは・・》    皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。      金森三夢   鑑真の翳む眼や冬の海   枯れ尾花わたしのことといふ佳人   ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる 《出戻り致します》    「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。  八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。     岸裕之   五月雨の垂直に落つ摩天楼   碌山の≪女≫漆黒新樹光   病葉の猩々みだれ舞ふ水面 《今思ふこと》    私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。    小松 浩   酢もづくの小鉢に海の遠さかな   銀漢や調律終へし小ホール   警笛に長き尾ひれや熊渡る 《大リーグボール養成ギブス》    入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。  心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。      坂井則之   家継げり障子洗ひも知らぬまま   二親の去りし我が家に帰省せり   あし鍛ふいま一度富士登らんと 《初心者の苦弁》    2023年春から参加させていただきました。  その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。 (私は先生の高校の4年後輩に当たります)  今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。  いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり)    佐藤錦子   蜜月も悲嘆も誰も往く銀河   秋うらら桂花の菓子を頬張れば   疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 《旅の途中》    歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。  句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。  歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。  樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。    島田 淳   花南天兄にないしょの素甘かな   引越の最後に包む布団かな   菜の花の果てを見つけて人心地 《鑑賞という名の対話》    恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。 愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。  それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。 最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。  「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。  二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。  最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。  これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。  私が定年を迎えるのは、来年の夏である。         芹沢雄太郎   春の鳥五体投地の背に肩に   磔の案山子の頭ココナッツ   道迷ふたびあらはるるうさぎかな  《インドのひかり/日本のひかり》    インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。      田中泥炭   人類に忘却の銅羅水海月   耳鳴のいつでも聴けて稲の花   隠沼にあすを誘ふ栗の花 《実戦の年に》    普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい      都築しづ子   切り貼りは手鞠のかたち障子貼る   初夏やタンクトップにビーズ植う   牡蠣フライ妻と一男一女居て   《師の事 樸句会の事》    いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。  そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。  この文を記しているうちになんだか元気になってきた!    中山湖望子   鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す   夏の月うさぎも湖上走りけり   仏壇に手合わす子らや柏餅 《俳句〜日本という方法の神髄》    俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。  観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。       成松聡美   柚子青し手帳今日より新しく   きれぎれに防災無線山眠る   鍋焼吹く映画の話そつちのけ   《初心者を楽しむ》    句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。    林彰      最高裁「諫早湾開門せず」      海苔炙る有明海を解き放て   沢登り桃源郷あり幣辛夷   深く吸ひゆっくりと吐く去年今年      古田秀   シャンデリア真下の席の余寒かな   うぐひすや渦を幾重に木魚の目   テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬 《融》    冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。        前島裕子   菜の花や家々ささふ野面積   スマホすべる付爪のゆび薄暑光           岡部町、大龍勢        先駆けの子らの口上天高し 《外にとびだそう》    私の干支、卯年も残すところわずか。  少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。  Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。  コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。    益田隆久   露の玉点字の句碑に目をとづる   空蝉はゆびきり拳万の記憶   冬ごもり硯にとかす鐘のおと 《村越化石さんの原稿用紙》    藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。  既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。    見原万智子   フライパン買はむ極暑の誕生日   形見分くすつからかんの菊日和   星なき夜熊よりも身を寄せ合はす 《穴があったら入りたい》    涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。  しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔?   穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。      上村正明   もづく酢や昭和を生きて老い未だ   紙兜脱ぎて休戦柏餅        手術宣告        長々と俎上にのせん生身魂      上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。  これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。       (樸代表 恩田侑布子)         後記  樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。  俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。                           (小松)  

12月23日 句会報告

あらあらと色のぬけゆく冬の暮

2023年12月23日 樸句会報 【第135号】  暖かな日が続いていた後にやってきた寒波で、空気がピンと張った冬晴れの日。今年最後の句会がありました。  兼題は「数へ日」「鍋焼」「熊」。  特選2句、入選4句、△4句、レ4句、・8句。高点句と高評価の句があまり重ならなかったことから、それぞれの読みをめぐって活発に意見が交わされました。「鍋焼」の食べ方談義も楽しい時間でした。          ◎ 特選  斎場のチラシかしまし冬の朝            林彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬の朝」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  警笛に長き尾ひれや熊渡る            小松浩 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「熊」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  数へ日やかき抱きたき犬のなし                天野智美 【恩田侑布子評】  「かき抱きたき人」ではなく「かき抱きたき犬」で、とたんに俳諧になった。いつも一緒にいた小柄なお座敷犬が想像される。その愛らしかった瞳やら毛並みやら。もう一緒に迎えるお正月は来ない。「数へ日」が切実である。   ○入選  星なき夜熊よりも身を寄せ合はす                見原万智子 【恩田侑布子評】  「星なき夜」でなければならない。一粒でも星が瞬けば童話になってしまうから。月もない真っ暗な夜。希望もない。声もない。が、「身を寄せ合はす」人がいる。飢えかけているときに一番食べものが美味しいように、絶望しかけている時ほど、愛する人がいる幸せを感じる。居ないはずの熊を感じるのは、作者が熊になりかわっているから。    ○入選  数へ日の日毎重たくなりにけり                海野二美 【恩田侑布子評】  毎日は二十四時間で変化がないはずなのに、年が詰まり、あとわずかになると、言われるように一日が沈殿するように「重たくなる」。あれもしていない。こっちの片付けもまだ何もやっていない。どうしよう。日数が足りない。途方に暮れても、時間の流れは容赦ない。省略が効いていて、覚えやすい良さもある句。    ○入選  鍋焼吹く映画の話そっちのけ                成松聡美 【恩田侑布子評】  映画の帰りに店に寄ったのだろう。今まで夢中で主人公や脇役の話をしていたのに、「鍋焼」が湯気を立てて運ばれてきた途端、もう映画なぞ「そっちのけ」。ふーふー。ずるずる。アッチッチと言ったかどうか知らないが、美味しく楽しく夜はふけてゆく。         【後記】  年末のあわただしい気分がありながら、句会の間は別の時間が流れているような気持ちにもなりました。  「“発見”が大事といつも言っているけれども、それは“知”“頭だけ”での発見ではなくて“知・情・意”があるものでなければ」との恩田先生の言葉に、詩的な発見のための構えについてあらためて感じるところがありました。また、「情、気持ちの切実さは十分に持ちつつそれに耽溺せず表現するのが俳句」との言葉も。難しい、ですが、その難しさを楽しむ気持ちで新年に向かえたらと思っています。 (猪狩みき) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 12月12日 樸俳句会 兼題は「冬ざれ」「山眠る」「枇杷の花」です。 特選2句、入選3句を紹介します。       ◎ 特選  テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  枇杷の花サクソフォーンの貝ボタン            益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「枇杷の花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください    ○入選  枇杷の花いつか一人となる家族                活洲みな子 【恩田侑布子評】  枇杷はしめやかな花。半日陰を好むようで、遠目にはそれと知れない。トーンの低い冬の日差しに似合う。大きな濃緑の葉影に静まって地味に群れ咲く。「いつか一人となる家族」。この感慨にこれほどピッタリと収まる花は他にはないだろうと思わせる。             ○入選  磔の案山子の頭ココナッツ                芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】  案山子は秋の季語。ココナッツの頭はエキゾチック。作者は南インド在住の芹沢さんと想定して入選に。 まず案山子を「磔」とみたことに驚かされる。今まで衣紋掛けは連想しても、キリストの磔刑など、夢にも想わなかった。言われてみれば、案山子が痩せこけた磔刑像のキッチュなポップアートのように思えてくる。そこら辺のココナッツで無造作に頭を代用しているとなればなおさら。インドの原色の服装も見えてくる。名詞をつないで勢いのある面白い俳句だ。        ○入選  きれぎれに防災無線山眠る                成松聡美 【恩田侑布子評】  よくある山村が目に浮かぶ。限界集落ともいわれる山間地の寒村だろう。「きれぎれに」の措辞がリアル。谷住まいの評者も日々経験しているが、山や木や風に遮られて明瞭には聞こえてこないもの。ばかばかしいほどゆっくりとした広報の声が風に乗って、だいたい何を伝えたいかだけはわかる、あいまいの国、日本。「空気が乾燥しているので火の元に気をつけましょう」とか。大したことは言っていなそう。山は安堵して眠りについている。      

11月12 日 句会報告 

冬木のみ触れて一日のたなごころ

2023年11月12日 樸句会報 【第134号】  記録的な猛暑だった今年、借り地の菜園は夏野菜のみならず冬野菜の生育もさっぱりです。視線を落とせばノジスミレやホトケノザの返り花。つくづく季節をつかみにくくなったと感じます。  しょんぼり日々を送るなか、樸zoom句会が開催されました。やれ嬉しやとパソコンの画面の中へ飛び込みたいような気持ちで参加しました。  兼題は「ばつた」「障子洗ふ」「柚子」。  特選2句、入選2句、△4句、レ11句、・11句。恩田先生が「切れの余白がゆたかで、調べもよく、多様で面白い俳句がそろった」と評した豊作の会となりました。          ◎ 特選  形見分くすつからかんの菊日和            見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「菊日和」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  切り貼りは手鞠のかたち障子貼る            都築しづ子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「障子貼る」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  疵あまた無骨な柚子よ宛名書く                佐藤錦子 【恩田侑布子評】  健康な生活実感があふれる俳句だ。庭の柚子はたくさんなるが店頭に並ぶピカピカの別嬪さんではない。疵やシミや凹みがあちこちにある。でもいいじゃん。早速あの人に送ろう!茎を切っただけで芳しく匂う。料理にかければ魔法の調味料、一瞬で高級になる。お風呂にもプカプカ浮かべてもらおう。なんともいい香り。「無骨な柚子」に新しみがあり、「宛名書く」の動詞にも勢いがある。         ○入選  柚子青し手帳今日より新しく                成松聡美 【恩田侑布子評】  気がつくと庭の柚子が葉影に大きく実っている。まだ青々として、もぐには早いが、黄色いひかりの珠になって、清らかな香りが初卓や湯殿にあふれる日は近い。そうだ、新しい手帳を下ろそう。そう思わせるときめきは、軽快な調べを奏でる定型感覚のよろしさと、上五のキッパリした切れから来ている。         【後記】  季節以外にも実感をつかみにくくなったものがあります。いくつかの動作です。 ちなみに今回の季語「障子洗ふ」のかんれん季語「障子貼る」とほぼ同じ「障子を貼る」が、『絶滅危惧動作図鑑』(祥伝社、藪本晶子)という本に収められています。「障子を貼る」は絶滅危惧レベル全5段階のうちレベル4「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。今ではあまり見かけないということでしょう。  かく言う私も、破れないグラスファイバー入り障子紙なるものを購入してから、洗うどころか張り替えすらやっていません。  しかしひとたび季語として作句を試みれば、障子紙を寸法に合わせて切る者、刷毛で桟に糊を塗る者、自分が開けてしまった穴を切り貼りする子ども、夕暮れが迫り七輪で魚を焼く祖母、薪で風呂を沸かす祖父など、懐かしい光景が立ちどころに蘇ります。俳句には絶滅の危機に瀕したことばの保護という側面があるような気がします。  単に動作のさまを伝えるだけではないでしょう。  たとえば今回の特選句「切り貼りは手鞠のかたち障子貼る」から連想されるのは、まず、丸く切って手毬に見立てた千代紙。次に、暮らしを機能一辺倒に終わらせない作者の美意識やお人柄です。創意工夫を凝らした衣食住のあれこれが次々と目に浮かび、しみじみと、私もこの人のように生きてみたいという思いに駆られます。俳句には作者の心の持ちようを共同体に伝播させ継承させ得るはたらきがあると感じました。  これは恩田先生の超人的なご鑑賞をお聞きし、連衆の忖度のない議論に参加して初めて湧いてきた思いであり、数年前にひとりで何となく十七音を並べていた頃には想像もつかなかった気づきです。俳句は句座を囲む文芸、囲むことで完結する文芸であると改めて感じた句会でした。  この日を境に、季節は駆け足で冬へと向かっていきました。 (見原万智子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 11月23日 樸俳句会 兼題は「七五三」「木の葉髪」「柊の花」です。 入選1句、原石賞4句を紹介します。         ○入選  乾杯の音頭決まりて木の葉髪                岸裕之 【恩田侑布子評】  大勢の集まりでは、まず司会者から指名を受けた人が乾杯の音頭を取ります。 挨拶、自己紹介、会の趣旨を手短かに話し、「乾杯!」の斉唱でグラスを合わす瞬間です。若い頃は音頭をとる人のテキパキと堂に行った采配に憧れたものですが、いざやらされる年代になってみると、なにげない手櫛にもはらりと髪が纏いつきます。会場の華やかな席に明るい声が響くだけに、昔日の若さを失った実感が迫ります。ペーソスある俳句です。           【原石賞】柊の花の家遠し跨線橋               見原万智子   【恩田侑布子評・添削】  いま歩いている「跨線橋」から、かつての家、それも柊の花の記憶を蘇らせた感性が素晴らしいです。ただ「ハナノイエトオシ」という中七字余りはいただけません。もたつきます。素直な定型に調べるだけで、ぐっと格調の高い句になります。 【添削例】柊の咲く家遠し跨線橋     【原石賞】吾娘もまた母の顔せり七五三               小松浩   【恩田侑布子評・添削】  孫の七五三でようやく我が娘が、一人前の母親らしい顔つきになったことに気づいた作者です。自身にも、祖父になった実感が迫ります。ただ、「もまた」の説明臭を刈り込みたいです。世代交代のめでたさと、着実な継承を印象付けるため、省略を効かせ、かつての娘の七五三もダブルイメージさせましょう。 【添削例】母の顔になりし娘や七五三      【原石賞】旅の荷は下着二枚や小春富士               古田秀   【恩田侑布子評・添削】  旅荷が「下着」だけというのはさっぱりと気持ちがいいです。このままでもなかなかの句ですが、さらに水準を高めるならば、「二枚」と「小春」の甘さを消して「一組」「冬の富士」にすれば気持ちも調子も引き緊ります。 【添削例】旅の荷は下着一組冬の富士     【原石賞】すきま風指輪リングを見遣る銀婚日               林彰   【恩田侑布子評・添削】  戸障子を吹き込む冬の季語の「隙間風」を心象に転じた着眼が面白いです。「指輪」にリングのルビを振ったことで、エンゲージリングとわかり、結婚式から二十五年経って、ぷっくりしていた指がやつれたことまで想像させます。ただ、銀婚式の日を縮めて「銀婚日」というのはやや無理がありましょう。 【添削例】銀婚の指輪リングを見遣るすきま風      

あらき歳時記 障子貼る

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2023年11月12日 樸句会特選句  切り貼りは手鞠のかたち障子貼る                   都築しづ子  障子は開け閉てする通り道でもあるだけに穴が開きやすい。作者はまだ丸ごと張り替えなくてもいい破れの些細な障子にパッチ補修を試みる。丸や四角や、紅葉を貼る家もあるが、「手毬のかたち」で詩になった。趣味のいい千代紙の鞠が、一つ二つ散れば、完璧な白障子よりも愛らしくなつかしいだろう。暮らしも楽しくなる。「切り貼り」と、「障子貼る」のリフレインが弾んで、甲斐甲斐しい障子貼りの一日があざやかに浮かぶ。                                  (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

10月21日 句会報告

しあはせのいろは日のいろ草の絮

2023年10月21日 樸句会報 【第133号】 秋の吟行句会。本日は滅多に見られないほどの秋晴れに恵まれました。 藤枝市岡部町朝比奈地区に戦国時代から伝わる、朝比奈大龍勢を見に行きました。 ここは、俳人の村越化石さんの生誕地です。 また、大龍勢のすぐ隣の休耕田ではコスモス畑が見頃を迎えておりました。 茶室瓢月亭がある玉露の郷、昆虫館、あさぎまだらの乱舞、村越化石さんの句碑など素材が満載の吟行となりました。 「句友あり金木犀の香の中に」(恩田先生の句) 今日ほど、「句友あり」という喜びを実感したことはありませんでした。 「先駆けの子らの口上天高し」(前島さんの句)(本日の最高点句) 会場のどよめき、一体感、感動の瞬間。 「大龍勢龍の鱗は里に降り」(活洲さんの句)(本日の次点句) 四方八方に飛び散る生きているかのような赤青黃の龍たち。鱗と見立てた美しい落下傘や紙吹雪、この地と人々への豊祝。 特選3句 入選3句 △5句 レ14句 ・2句 計27句(出句は計50句)             ◎ 特選  大龍勢龍の鱗は里に降り            活州みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「大龍勢(花火)」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  露の玉点字の句碑に目をとづる            益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「露の玉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください ◎ 特選       岡部町、大龍勢       先駆けの子らの口上天高し            前島裕子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「天高し」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  秋の苔弱き光をこはさぬやう                天野智美 【恩田侑布子評】  繊細な感受性がとらえた「秋の苔」の本意。岡部の玉露の里に建つ茶室瓢亭うらの山かげは、ささやかな万葉植物園の趣。藤袴とあさぎまだらの楽園をプロローグとして、林間に一歩ふみ入るや、冷やかな苔のしじまの小道になる。無造作に置かれた庭石にも苔がみっしり。「弱き光をこはさぬやう」といいさしたデリケートな句形と調べは内容と協奏し、ピアニッシモのひかりを漂わす。       ○入選  大龍勢花笠受くる秋の水                天野智美 【恩田侑布子評】  龍勢の打ち上げ会場を途中で引き上げ際、本日最高と思われる高さへ上り、長い空中遊泳を果たした一本の竹竿が薄桃色の落下傘を広げてゆらめくように舞い降りてきた。これは、その長細い竹の尾が恥じらうように秋の川面に触れる瞬間である。秋真澄の空と水との間に、村人が丹精して作った花笠が舞う。天、水、人がかたみに照らしあう思いがけない静けさ。        ○入選  秋うらら桂花の菓子を頬張れば                佐藤錦子 【恩田侑布子評】  木犀の花びらをいっぱい摘んで酒にしたのが桂花酒。香り高い酒を紅茶に滴らすのもいいが、漬けた花びらをこんもりとマフィンの上によそって食すのもいい。今回は吟行会場まで、未知の水素自動車で送迎してくださる仲間に恵まれ、恩田には、句友のみんなに配るマロン入り蒸しケーキを作る余裕が生じた。これもこじんまりした会だからできること。それを頬張って「秋うらら」とよろこんで下さる佐藤錦子さんの贈答句に感激した。贈答はよろこびの連鎖をひき起こす。これも現場でのナマの楽しい交流があればこそ。       【後記】 準備段階から藤枝在住の3人で何度も集まりました。 友情と結束が深まったことは大きな収穫です。 65歳過ぎてから新たな友人が出来たことは人生の僥倖です。俳句のお蔭です。 顔を見合わせてやる句会とZOOMでは情報量が全然違います。 ノンバーバルコミュニケーションの情報は大事です。 つまり顔の表情、しぐさ、声の波動の情報など。 帰りの車内でも、「吟行句会っていいね」という話で盛り上がりました。 遠方からの参加は大変ですが、それに見合う以上の収穫があります。 欠席された方も次回はぜひご参加下さい。 (益田隆久) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 10月9日 樸俳句会 兼題なし、当季雑詠のみの句会でした。 入選1句、原石賞1句を紹介します。         ○入選  うそ寒や喉のんどにのこる無精髭                活洲みな子 【恩田侑布子評】  感覚が利いている。朝は喉元の髭を剃り残したことに気づかなかったが、今気づいた。その時ふいに、この秋になってはじめて身に沁みる寒さを感じた。ルビが「のみど」なら、いっそう調べが内容にマッチします。        【原石賞】天空は豊饒の海鰯雲               岸裕之   【恩田侑布子評・添削】  入選で採られた林さんの解釈「夕空の風景として素晴らしい」という発言から、急に、句頭を一字変えさえすれば、たまゆらの代赭色の豊饒感が眼前に迫ってくることに気付かされました。 【添削例】夕空は豊饒の海鰯雲     

9月10日 句会報告

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2023年9月10日 樸句会報 【第132号】  一年の内でこの時期は暑さによる疲れや中だるみで俳句の出来が概して夏枯れ状態になるという先生のお話でしたが、開けてみたら、◎2句〇3句△4句✓4句とかなりの豊作でした。不出来を暑さのせいにできないとひとり内心ひやっとしましたが、措辞や評価を巡って議論も活発で面白い句会となりました。  兼題は「新豆腐」「虫」「稲の花」です。          ◎ 特選  読み耽る昭和日本史虫の闇            活州みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「虫の闇(一)」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  惑星の形(なり)の遊具や虫の闇            田中泥炭 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「虫の闇(二)」をご覧ください。             ↑         クリックしてください    ○入選  図書館の自動施錠や虫の闇                古田秀 【恩田侑布子評】  NHKもAIの自動音声でニュースを読ませる時代である。公的機関では特に「自動施錠」が珍しくなくなった。わが愛する古書や新刊本が架蔵されている馴染みの図書館もまた、閉館直後に、ブルータスお前もかの「自動施錠」がなされる。周りは木立が豊かで、とっぷりと虫の闇が広がっている。人間の営みがいつかしらか一つずつAIの管理下に組み込まれてゆく時代の居心地の悪さ。       ○入選  耳鳴のいつでも聴けて稲の花                田中泥炭 【恩田侑布子評】  耳鳴りは不快なもの。でも、それが常住茶飯になると慣れるものらしい。気にすれば気になる。気にしなければそれが自分のデフォルト。ところが作者の心境はもう一段垢抜けている。「耳鳴」なら私は「いつでも聴け」るのよと、やや誇らしげだ。そこに「稲の花」からゆらりと垂れた白い小さな葯が風に揺らぐ稲田の光景が一面に広がる。不快なはずの肉体の現象をおだやかな俳味に転じている。        ○入選  残暑なほ「溶かしちまいなミサイルも」                林彰 【恩田侑布子評】  ロシアのウクライナ侵略戦争開始いらい、毎日毎晩、戦火の現場と、武器の応酬の画面がニュースに途絶えることはない。核弾頭を運搬するミサイルも種々開発され、戦略核やら戦術核やら喧しい。いずれにしても無辜の市民を大量虐殺する武器にちがいない。酷暑の後の残暑は終わりが見えず、地球のあちこちが山火事や大洪水の悲鳴を上げているのに、愚かな戦争をまだやめない。作者は、ミサイルなんか暑さに「溶かしちまいな」と伝法な啖呵を切ってみせる。「残暑なほ」のやりきれなさ。       【後記】  今回の兼題の「新豆腐」は、大豆の収穫は秋でも実際豆腐になるのは冬から春にかけて、また、「稲の花」も今ではたいていの地域で8月の上旬には終わってしまう(そもそも田んぼを目にする機会がない人も多い)という状況で、季語の中には実感をもって理解することが難しくなっているものも多いと改めて感じました。普通に暮らしていたら気づくこともないまま失われていってしまう風物を何とか理解し自分に引き寄せようとする作業ができるのは俳句があればこそ。こうした季語を詠むのは難しいので私などついつい飛ばしがちですが、本当はこれこそ豊かで贅沢な時間ですね。 (天野智美) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 9月24日 樸俳句会 兼題は「秋彼岸」「栗」「曼珠沙華」です。 原石賞2句を紹介します。         【原石賞】不意つかれ一輪の塔曼珠沙華               小松浩   【恩田侑布子評・添削】  素直な感動がある。草の緑を背景に一輪の曼珠沙華が立ち上がっている。無心に見ると一つの精緻な塔のように思えてくる。が、上五の「不意つかれ」はイージーな言葉。不意をつかれたから、さてどうなったか。そこからを書くのが俳句。周りの夾雑物の一切を捨象し、塔として自分の目の前に立ち上がった一茎の曼珠沙華に焦点を絞ろう。句意が勁くなる。 【添削例】一輪の塔をまつぶさ曼珠沙華        【原石賞】露の朝三百年の橅の息               活洲みな子   【恩田侑布子評・添削】  朝露はあるが、露の朝というだろうか。耳で聞くと「梅雨の朝」と思う。三百年の橅はほぼほぼ大木だが、昔、函南原生林で、倒れて半年の樹齢七百年の橅の勇姿を見たことがある。そこで六百年の威風堂々たる老樹を描き出したい。 【添削例】朝露や六百年の橅の息