「句会報告」カテゴリーアーカイブ

2022 樸・珠玉作品集

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2022 樸・珠玉作品集 (五十音順)     2023・新しいステージへ  コロナ禍の長いトンネル3年目に、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、グローバルなサプライチェーンは震撼させられました。国内は円安による物価高、出産数のさらなる激減、地球温暖化による天災の激増に見舞われました。  そうした社会環境に抗う思いは、しんじつの俳句に結晶し、ここに「2022年樸珠玉作品集」が誕生しました。安閑とした暖衣飽食の中ではなく、さまざまな鬱屈の中でこそ、俳句は力を持つのかもしれません。  昨夏から新たに、毎日新聞前主筆の小松浩さんと、芝不器男新人賞を受賞した田中泥炭さんという素晴らしい仲間を迎え、一番の若手、古田秀さんは全国俳誌協会賞を射止め、樸は新しいステージへ進みつつあります。   一句一句には、それぞれの作者の生まれる前からの蓄積が込められています。その人となりを知らなくても、十七音を一息で読んで共感できるのは、切れにたたまれた入れ子という俳句の余白の素晴らしさです。  当HPをご覧いただいておられる方との温かなつながりにも感謝し、心からお礼を申し上げます。本年もご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 恩田侑布子        猪狩みき   白き布濃淡のあり冴えかへる   点滴をはずせぬ母の残暑かな   ぐるぐると幼な描くや黒ぶだう 《句の作り方》    題が出されていなくとも、日々まわりをよく見て句を作っていれば句会の前日頃に慌てることもないだろうに、なかなかそうはできていない。これからはそうしたいもの(と毎年思っている)。  しかし、題が示されることで、その季語から思わぬ連想がわいたり、ずいぶん昔にあった、日頃思い出しもしないようなできごとやあるシーンが浮かびだしてくることがあり驚くことがある。制約があることが、かえって連想をとばせたり深まらせることにつながっているのだろう。  ゆとりの句作も苦しまぎれの句作も味わえる今年にしたい。        活洲みな子   日向ぼこ付箋だらけの句集抱き   病中のことは語らずマスカット   秋の蝶母は娘に還りゆき 《出会いの妙》    4年前、とある書店のエッセイコーナーに紛れ込むように並んでいた句集。偶然にもこの1冊に手を伸ばしたことが、私と俳句との出会いとなりました。句集は少しずつ増え、とうとう俳句のために新たな書架を部屋に据えたところです。12月には師の新しい句集も加わり、嬉しく読ませていただいています。あの時に1冊の句集に手を伸ばしていなかったら、俳句に親しむ今の私はいなかったのかも。つくづく出会いの妙を感じています。        海野二美   ままごとの今日のお菜はいぬふぐり   清流浴鮎に私にプリズム光   小さき露となりても消えぬ母心 《樸のこれからは・・》    昨年は主要メンバーの退会、転じて有望な新人の加入、また古田さんの度重なる受賞、ZOOM句会の開催と、変化の大きな1年でした。しかし昨今のデジタル時代に即した新たな飛躍も期待できます。  樸の皆様の俳句はバリエーションに富み、また恩田先生は個性を尊重し、幅広く評価してくださるので、毎回楽しく勉強させていただいております。  会計と致しましては、会費の前納が皆様のご協力で徹底できております事、ありがたく思っております。    金森三夢   職辞せる妻の小皺のあたたかし   菜園の薬味を選りて冷奴   荻の声水面に銀の波紋寄せ 《谷あり、谷あり・・・》    樸句会に参加させて戴き3年が経過しました。谷有り谷あり、ちょっと丘有り、又、谷底という3年でした。愚生は恩田代表が何度もおっしゃる「点数よりも自分の最高句を超えよ」を目指しつつも、提出3句の全てに代表のシルシ以上の評価を揃えたいという煩悩が捨てきれない凡夫です。今年は古稀です。句に爽風を吹き込み新境地を開けるよう精進したいと念じております。皆様どうぞお手柔らかに。    小松浩   古書市の裸電球文化の日   露霜を掠めて速きジョガーかな   大根の熱き中まで透きとほる 《背中を押されて》    1年前は、自分が句会に入って俳句を作る姿など、想像もしていなかった。ふと手にした本が導き手となり、気がついたら著者を囲む人たちの輪に自分もいる。水泳を習おうか逡巡していた少年が、いきなりプールに突き落とされ、必死で手足をばたつかせているような気分だ。でも人生の新しい道はいつだって、こんな偶然の出会いと、モノのはずみから始まるのかもしれない。背中を押してくれた樸の皆さんに、心から感謝しています。    島田淳   割れ残る氷探しつ通学路   卒業式音痴の友は右隣   斎場へ友と白粉花の土手 《自分の友との旅》    コロナ禍の前後から「断捨離」が流行している。モノへの執着を捨て、「不要なモノ」を手放すことでストレスから解放されるのだと言う。今年は「年賀状じまい」という言葉もよく聞かれた。自分に纏わりついている過去を整理しようという欲求なのかも知れない。  掲句はいずれも小中学校の友人達を念頭に詠んだ句である。纏わりついた過去どころか、記憶の奥底に沈んでいた情景である。それが十七音という形式と季語の助けを借りて、自分の中に蘇った。一読して決して立派な友人関係でない事がわかる。にもかかわらず、友人の通夜に一緒に行く友がいることが、自分にとって有り難く、幸せな事だったと再確認できた。句作は自己の内面への旅である。友の姿を句に映しながらその旅を続けられるのは、やはり幸せな事なのだろう。         芹沢雄太郎   サリーごと子ごと浴びたる春の波   水を打つまづガネーシャの眼前に   睡蓮をよけ水牛の浸かりをり  《インドの匂い/日本の匂い》    昨年よりインドに赴任し、インドの匂いに馴染むにつれ、日本の匂いの記憶が薄らいでいる気がします。そんな中、樸の仲間の句を国境を越えて読む度に、日本の匂いを鮮明に蘇らせてくれます。    田中泥炭   吾も亦祈らぬ一人白葡萄   とぢあはせ瞼に熱や藤袴   大未来その目前の鶏頭花 《捨てずに自由》    昨年は色々なことが起きた。まず長年勤めた職場を退職した。その後予期せぬ芝不器男俳句新人賞の受賞。受賞後に生じた迷いの中、矢継早にやってくる各種依頼…全て喜びであり、同時に試練となった。自分自身の迷いを晴らす為、環境を変える必要性を感じて樸句会に入会。句会では振るわなかったが、自身の俳句を一度引いた距離から眺め、そして再び認めることができた。珠玉集の三作品はいずれも句会では無点に近い句群であるが、俳句作者としての自己への認識、その過程が滲む句群である。特に『大未来』の句は筆者にとって昨年一番の成果だと感じている。そして今年は、書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ…等とぼんやり思っている。    都築しづ子   白髪の頬に紅刷く初鏡   家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ   蕗の薹土もろともに渡しくれ         林 彰   からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる   戒名は不要と残し柚子ひとつ   ふぅふぅと大福茶こそめでたけれ   《嗅覚を巡って》    不勉強の筆者では僭越なのですが、歳時記を捲っていて、嗅覚がピクピクする句に、なかなか出会えません。そこで、「不許葷酒山門」ではないでしょうから、昨年最後の句会では、”ネギ臭さ”に絞り詠んでみました。体臭となれば、官能的にもなります。先生からは、「破礼句」、と御𠮟責を受けた句も思い出しましたが、嗅覚、さらに触覚を十七音に解放してみるのは如何なものでしょう?。我が国には、源氏物語の世界をオマージュした、香道、という室町時代から継承されてきた嗅覚芸術の伝統も存在します。    古田秀   おほぞらの隅を借りたる花見かな   花すゝき欠航に日の差し来たる   道聞けば暗きを指され烏瓜 《からさで》    足立美術館目当ての山陰旅行前日、そのとき樸の兼題が「神の旅」で歳時記をめくっていると隣の「神等去出の神事」の項が目に入った。読めば旅行初日の夜に松江の佐太神社で行われるという。その情報だけを頼りに現地へ行くと、提灯のあかりを頼りに冬の山を登ることとなり、沈黙の中儀式が行われた。    進むほかなし神等去出の灯をうしなへど  車を出してくれた友人に感謝。道中の放言を許してほしい。        前島裕子   掌にのる春筍のとどきたる   成田屋のにらみきまりし神の留守    戒名に父の来し方冬銀河 《今年は私の干支》   コロナ禍で始まったネット句会がなんとZOOM句会に。始まるにあたり、古田さんにはご迷惑をおかけしましたが、この齢でZOOM句会に参加できるなんて、あの緊張感、終わったあとの心地好い疲れ、いいですね。  昨年は、義弟と父を亡くし、淋しいかぎりです。今年は私の干支の卯年、とびはまねるまではいきませんが、勉強することはたくさんあります。頑張ります。    益田隆久   箒目のしら砂辿り神の旅   ロケットの打ち上がる空大根抜く   猫の目に落ちゆく眩暈星月夜 《私が俳句を始めたのは》    句をひとつ墓石の脇に刻みたい。世間へのアピールではなく、孫の涼玄が俳句に興味を持ち、おじいさんがどんな人だったか知って欲しいから。俳句をやっていると否応なく自己開示し、「はだかむし」の自分を見つける。「はだかむし」の中に好きな句がある。「茶の花のやうに語らひたき人よ」。私の墓の前で、孫に私の魂と語らひあって欲しい。    見原万智子   麻酔からとろり卯の花腐しかな   大南風屋号飛び交う浜通り   しやうがねぇ父の口真似十三夜 《誘惑》    命の扱い方(実際に起きたあること)が、五十年来の親友と全く相容れないという経験をした。親友は私が最も望まない方法を選び、私は打ちのめされた。心の井戸を覗くと、何やらマグマのようなものが昇ってきて十七の文字になった。詩が書けたかもしれないと初めて感じたが、それ以来、心の井戸から組み上げた水は煤の味がする。命の扱い方を文字にしたのだから仕方がない。ぐいと飲み干し、また掘り進んでいこう。    望月克郎   パリパリと氷砕いて最徐行   バレンタイン忘れて過ごす安けさや   炎天や駆け抜く子らの呵々大笑 《心を映す写真》    この1年の作句を振り返ると、(なんでこんな句を)と思う句は少なくない。自身が進歩した証としておこう。  それよりも戸惑うのは、(あの時あの状況でこう感じたのか?)と不思議に思える句に再会することだ。1年にも満たないほんの何カ月か前の句だ。その時の感性と、今のそれとは微妙に違うことに気づいた。  俳句は、その時その時の心を映し出した写真のような要素もあるかとも思えるこの頃である。    山田とも恵   たらればといふ砂を吐き冬の海   はらわたの波打つほどに息白し   茶の花とともに転がる今朝の夢 《駿府の街》  樸俳句会に参加してから、静岡市内の色々なところに連れて行ってもらった。歴史の深さゆえか、それとも富士に見守られ山と海に囲まれた地形のせいか、「安心」が土の下でごろ寝しているようで、世界が滅んでもあの街でなら変わらない日常を送ることができるような気がする。コロナ禍で句会がリモートになり、遠出を憚る日々が続き、静岡まで車で通うこともめっきりなくなった。時々無性にあの街に向けて車を走らせたくなるのは、何かから守ってもらいたいからなのかもしれない。       後記  2022年の樸会員珠玉作品集、いかがだったでしょうか。私が初めて句会に参加した昨年9月、恩田代表に言われたのが「自分不在の句はダメ」ということでした。俳句は人なり。たった十七文字にもかかわらず、余情を湛えたそれぞれの3句の背後に、いかに多様かつ豊潤な作者の心の世界が垣間見えることか。俳句とは驚くほど不思議な魅力に富んだ文学、詩であると思います。それを生み出す源泉が、あの自由闊達で民主的な句会の場。今年も楽しく、そして緊張感のある句会を一緒に盛り上げましょう。(小松浩)  

12月4日 句会報告

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2022年12月4日 樸句会報 【第123号】  近くの市立図書館に子どもたちの選んだ今年の漢字が掲示されていました。第1位は「楽」、第2位は「友」。様々な規制が少し緩んだだけなのに…コロナ禍が子どもたちにどれだけ多くの我慢を強いていたかを痛感しました。  今年4回目のZoom句会、兼題は「鴨」「冬紅葉」「大根」です。入選4句、原石賞6句を紹介します。 ○入選  戒名は父の来し方冬銀河                前島裕子 【恩田侑布子評】  戒名に刻まれているのはわずか数文字です。でもそこには父の一生が凝縮されています。戦中、戦後の筆舌に尽くしがたい災禍を生き抜いて、母と力を合わせて作者兄弟を育ててくれたなんとも慈愛深い父親像が浮かびます。荘厳な冬銀河の中に刻まれるのがふさわしい威厳のあるそして誰よりも愛しい戒名です。     ○入選  日向ぼこ付箋だらけの句集抱き                活洲みな子 【恩田侑布子評】  日向ぼっこしているとのんびりうつらうつらしかかるものですが、なんと作者は「付箋」をいっぱいつけた「句集」を抱いています。俳句に日々向き合う真摯さが香ります。よく味わってみると、「日向ぼこ付箋だらけの文庫抱き」では到底味わえない広やかさがじわじわ染み出してきませんか。付箋を貼られた俳句一つ一つ、が、それぞれの空間と時間を持って待っていて、眠りからこの世へ呼び覚ましてくれる人を待っているよう。なんと豊かな作者と読者との交歓の姿、温かな俳句人生でしょうか。       ○入選  大根の熱き中まで透きとほる                小松浩 【恩田侑布子評】  ふろふき大根、またはあっさりと白味魚などと炊き合わせた旨味の濃い白い大根を思います。面取りされたまんまるな輪切りのなつかしさ。三センチはあろうかという厚さは中心まで熱々で透きとほっています。ごく卑近な食べ物である大根の炊いたんに玲瓏の感を抱いたところ、句姿が美しい。一物仕立ての俳句は至難なのに、素直な実感がじわりときて美味しそうです。これ見よがしでない俳句を初心で作れるとは大したものです。       ○入選  抜糸後の痺れまじまじ冬紅葉                見原万智子 【恩田侑布子評】  「まじまじ」は 日本国語大辞典によると第一義は眠れないさまですが、第三に、「ひるまないではっきりと言ったり見つめたり見きわめようとしたりする様を表す語」があります。術後の麻酔が覚め、しばらく続いた痛みが引くと、今度は皮膚のひきつれたような「痺れ」が気になり出します。作者は気にならなくなる日まで、まずはこの痺れを前向きに受け止めていこうと決意します。冬紅葉の木立を歩きながら、わが人生が冬へ向かってゆくこれも一つの序章、華やかな紅葉の日々なのだと自分に「まじまじと」脳神経の覚醒を言い聞かせているのです。季語の冬紅葉がよく響く凛とした俳句です。さらに、これが「術後の痺れまじまじと冬紅葉」と書かれていたら文句ない特選句でした。       【原石賞】冬花火大往生の父たたふ                前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  俳句の表現を云々する前に、立派なお父様の一生とご家族の愛情に脱帽します。日記なら「たたふ」でいいです。素晴らしい子の親への愛情です。俳句表現として練り上げるならば、 【添削例】遠き冬花火大往生の父 句跨りの音律に敬愛と悲しみを込めましょう。        【原石賞】温もりのきえてゆく父冬紅葉               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  終焉を迎えた父と冬紅葉の配合の句です。取り合わせではなく、終焉の姿を冬紅葉そのもの結晶化して差し上げたらいかがでしょうか。   【添削例】温もりのきえゆける父冬紅葉          【原石賞】葉も皮も大根づくし素浪人               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  内容に共感します。なかなかいいです。ただ「も」「も」の畳み掛けと「づくし」はくどすぎませんか。 【添削例】葉と皮の大根づくし素浪人 こうすると「素浪人」の措辞が効いて、脱俗の風流が感じられる素晴らしい俳句になります。       【原石賞】ロケット打ち上がる空よ大根抜く               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】  内容には大いに共感しますが、リズムが悪いです。「打ち上がる空/大根抜く」と中七は名詞句で切れを作ると調子がよくなるばかりか、景もはっきり見えるようになり、冬の壮快感が出ませんか。 【添削例】ロケットの打ち上がる空大根抜く          【原石賞】国引や波は冬日をたゝみ込み               古田秀 【恩田侑布子評・添削】  島根に「国来、国来」と新羅の国の一端を大山を杭にして綱で引っぱった『出雲国風土記』に記された神話があり、国引きの伝説が残っています。弓ヶ浜から眺めた海でしょうか。その神のおおらかな国引き神話は掻き消え、近頃は隣国と冷ややかな感情が行き来しています。その現状を憂えるクリティシズム躍如たる句でもあります。「たゝみ込み」という複合動詞がやや説明的なので、畳みたりの連体形にして余白を残しましょう。 【添削例】国引や波は冬日をたゝんだる        【原石賞】影に添ふ冬の灯や紅鶴フラミンゴ               田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】  ユニークな把握において今回随一の句です。作者は面白い感性を持っています。調べをととのえると幻想性が増しそうです。 【添削例】紅鶴ふらみんご冬ともしびに添ふる影    でも、これがもしも私の俳句なら「は」行の音韻を生かして、さらに幻想的にしてみたいです。   ひとかげに添ふる冬灯やふらみんご     ...

11月6日 句会報告

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2022年11月6日 樸句会報 【第122号】  ZOOM句会も3回目。参加者もこの形にだいぶ慣れてスムーズに句会が進むようになりました。兼題は「露霜」「文化の日」「唐辛子」。合評を交わすうちに、晩秋の空気をより感じられるようになった時間でした。  入選2句(2句とも同作者!)、原石賞5句を紹介します。 ○入選  露霜を掠めて速きジョガーかな                小松浩 【恩田侑布子評】  ゆっくりと朝の散歩道を歩いていると、背後からザッザッザッとジョギングの人に追い抜かれた。道端の草に置いた露霜など、意に介さない軽快なフットワーク。なんという速さ。たちまち取り残される。夜毎の露霜に磨かれた蓼の葉は色づき、芒はそそけてわら色だ。走る人には見えないものを、これからはじっくりと味わっていこうと思う作者である。   ○入選  古書市の裸電球文化の日                小松浩 【恩田侑布子評】  神保町では文化の日を挟む旬日、古書市が開かれる。毎年楽しみにしている作者は、収まらぬコロナ禍をついて出かけた。永年馴染んだ書肆から書肆を回っていると、あっという間に日が暮れた。店前からあふれた露店に裸電球が点りはじめる。まだまだ見たいものがある。  調べものもニュースも、あらゆる情報を電子画面から得る時代にあって、昭和の紙の文化への哀惜は深い。仮設の電線に宙吊りになった裸電球が、失われてゆくアナログ文化を象徴し、2022年の文化の日を確かに17音に定着させた。地味だが手堅い句である。     【原石賞】天を突く小さな大志鷹の爪               活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】  畑の鷹の爪をよく見て、そこから掴んだ詩の弾丸は素晴らしい。表現上の瑕疵は「小さな大志」という中七にある。また「天」を目にみえる晩秋の高空にできれば、さらに句柄が大きくなる。 【添削例】蒼天を突くこころざし鷹の爪           【原石賞】露霜を摘まんで今朝は始まれり                望月克郎 【恩田侑布子評・添削】  露霜といえば、見るものであったり、踏んだり、歩くものであったりと相場が決まっている。この句がユニークなのは、かがみ込んで摘まんで、しかもそこから今日を始めたこと。「今朝は始まれり」ではやや他人事っぽいので、さらに主体的にしてみたい。 【添削例】露霜を摘まんで今日を始めたり      【原石賞】小さき露となりても消えぬ母心               海野二美 【恩田侑布子評・添削】  目の前の露となって、母の心が語りかけてくるとする感受が素晴らしい。でも、露といえば小さいものだし、「なりても」少しくどい。そこで、それらを省略し、「消えぬ」という否定形を「います」と顕在化してみたい。 【添削例】露となりそこに坐すや母ごゝろ          【原石賞】爪先で大地を掴み秋の雨               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】  一読、インドの大地に降る秋の雨を想像した。そこに裸足同然に立つ人の姿も。「爪先」は女性的なので「足指」と力強くしたい。「大地を掴み」はひっくり返すと切れがはっきりする。 【添削例】足指で掴む大地や秋の雨          【原石賞】秋風や掌の色みな同じ               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】  白、黄色、黒という皮膚の色の差はてのひらにはないという発見が出色。そこに斡旋した「秋風」をさらに一句全体に響かせるためには季語以外をひらがなにしたい。そうすると、地球上に隈なく秋風が吹き渡り、人類の手のひらや身体がひとしなみに草のようにそよぎ出すのでは。 【添削例】秋風やてのひらのいろみなおなじ          【後記】  「文化の日」という兼題は、とても難しい題でした。「文化」という語の抽象性のせいでしょうか。合評中に「文化、福祉、愛というような言葉には”はりぼて感“を感じてしまう」という発言があったのがとても印象に残っています。その語に”はりぼて感”を感じさせないような、実のある、実感のある使い方を見つけることが必要なのですね。抽象語を好み、使いたがる私には大きな宿題です。 (猪狩みき) ...

10月9日 句会報告

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2022年10月9日 樸句会報 【第121号】 今回は樸俳句会にとって2度目のzoom句会でした。初めてzoom句会に挑戦した前回(9月4日)より滑らかに進めることができました。静岡県外や外国の参加者も出入り自由のグローバルなzoom句会、じかに顔を合わせて場の空気感を味わいながら楽しむリアル句会、どちらにも良さがありますね。コロナ禍の思わぬ副産物ではありますが、こうしたハイブリッド型が新しい時代の句会のかたちになっていく中、樸はその先頭に立っているのかもしれません。なんとなく浮き立つそんな気分を反映してか、今回は入選句はない代わりに特選句が3つも出るという、華やぐ会になりました。 兼題は「後の月(十三夜)」「烏瓜」「荻(荻の声・荻の風・荻原)」です。 特選3句を紹介します。 ◎ 特選  しやうがねぇ父の口真似十三夜             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「十三夜」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  道聞けば暗きを指され烏瓜               古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「烏瓜」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  荻の声水面に銀の波紋寄せ              金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「荻」をご覧ください。             ↑         クリックしてください         今回の例句が恩田によって紹介されました。     遠ざかりゆく下駄の音十三夜               久保田万太郎    目つむれば蔵王権現後の月                阿波野青畝    麻薬うてば十三夜月遁走す                 石田波郷    掌の温み移れば捨てて烏瓜               岡本眸『冬』    虹の根や暮行くまゝの荻の声         士朗(江戸中期、名古屋の医者)      空山へ板一枚を荻の橋                  原石鼎     【後記】 9月から樸に加えてもらった新参者ですが、千葉県在住にもかかわらずzoomのおかげで既に2度も句会に参加できて、とてもありがたいと思っています。 ずいぶん前のこと、ある雑誌で英国在住のピアニスト内田光子さんが、自分にとっての日本語は『おくのほそ道』が読めさえすれば十分、という趣旨のことをおっしゃっていました。それを読んだ時は、ドイツ語や英語が生活言語となった世界的音楽家が母国語である日本語の調べを芭蕉に聴くなんて、すてきな話だなと思っただけでした。それが、自分も恐る恐る俳句を作り始め、樸の句会に参加することで、内田さんのあの時の言葉がよみがえってきたのです。俳句という韻文が持つ象徴性と、洗練されたピアノの響きには、共通するものがあるということでしょうか。自分の感動を他者に伝えようとする時、それを韻律に乗せる最もふさわしい器、すなわち言葉や音を、俳人も音楽家も命をかけて模索しているのでしょう。俳句を作る人にはあたりまえのことかもしれませんが、たったひとつの文字が句の印象やリズムをがらりと変えてしまうということを、今回の句会で強く感じました。  句会とは、素晴らしいコミュニケーションの場ですね。互いに尊重しあいながら、自分の心の中の思いを率直に吐き出せる貴重な空間を、これからも大事にしていきたいと思います。句会の白熱する討議に夢中で、合評を記す余裕がありませんでした。ここまでお読み頂いた貴方様も、次はぜひ、樸のZoom句会をご体験ください。(小松浩) ...

9月4日 句会報告

9月上

2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。 兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選  花すゝき欠航に日の差し来たる              古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  病中のことは語らずマスカット               活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。     【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと               小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄 【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう         【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒               猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう      【原】 深刻なことはさらりと花薄              活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき      また、今回の例句が恩田によって紹介されました。   秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ               星野立子   白川西入ル秋灯の暖簾かな               恩田侑布子   たよるとはたよらるゝとは芒かな             久保田万太郎   新宮の町を貫く芒かな             杉浦圭祐   わが恋は芒のほかに告げざりし            恩田侑布子   葡萄食ふ一語一語の如くにて              中村草田男 【後記】 夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。 (古田秀) ...

8月24日 句会報告

八月句会報_上2_松林から

2022年8月24日 樸句会報 【第119号】 今回の兼題は「残暑」「流星」「白粉花」――今回は念願のリアル句会で、さらに恩田より今回1名、次回1名、計2名の新入会員のお知らせがありました。新しい息吹のちからで、ますます句会が熱を帯びてくる気配がします。そのおかげもあってか、特選・入選・原石賞が生まれる豊作の句会となりました。 特選2句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選  初戀のホルマリン漬あり残暑             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「残暑」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  斎場へ友と白粉花の土手              島田 淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「白粉花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  点滴をはづせぬ母の残暑かな                猪狩みき 【恩田侑布子評】 入院して日が浅いわけではないことを季語が語っている。長い夏のあいだじゅうじっと入院生活を耐えてきたのに、秋になっても、法師蝉が鳴いても、まだ刺さっている点滴の管。母の痩せた身体に食い入っている針を今すぐはずし、手足をゆったり伸ばしてお風呂に入れてあげたい。しかし、食が細っているのか、「はづせぬ母の残暑」。共感を禁じ得ない句である。 【合評】 もどかしさ、鬱陶しさが季語と響き合います。         【原】逢坂はゆくもかえるも星流る               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸」の本歌取りの句。惜しいことに「は」でいっぺんに理屈の句になってしまった。しかも句末の動詞で句が流れる。流さず、一句を立ち上がらせたい。 【改】逢坂やゆくもかへるも流れ星           【原】残暑をゆく壊れし天秤のやうに                古田秀 【恩田侑布子評・添削】 上五の字余りと句跨りは疲れた心身の表現だろうか。気持ちはわかるが、このままでは破調の句頭だけが目立ち、中七以下せっかくの詩性が押さえつけられてしまう。「残暑」の中をえっちらおっちら「壊れし天秤のやうに」ゆく、よるべない思いと肉体感覚は素直なリズムに乗せ、臍下丹田に重心をおきたい。残暑が逝くのと、残暑の中を自分が行くのと、ダブルイメージになればさらに面白い。 【改】残暑ゆく壊れし天秤のやうに 【合評】 うだるような残暑の中を辛そうに歩いている自分(もしくは他人)の姿を「壊れし天秤」と表現したのが新鮮です。        【原】同じこと聞き返す父いわし雲               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 晩年の笠智衆を思い出す。少しほどけて来ていても、どことなく憎めないいい感じの父である。「聞き返す」は「同じこと」なので、少しつよめた措辞にすると調べも良くなり、すっきりと「いわし雲」が目に浮かんでくる。 【改】一つこと聞き返す父いわし雲 【合評】 人生の終盤を迎えた父親。同じことを何度も聞き、何度も話しているように見える。それは父がその都度大事だと思った事を新たに問い、噛みしめているのかも知れない。      また、今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。       残暑    秋暑し癒えなんとして胃の病               夏目漱石    口紅の玉虫いろに残暑かな               飯田蛇笏       佐渡にて               膳殘暑皿かずばかり竝びけり             久保田万太郎         流星    星のとぶもの音もなし芋の上             阿波野青畝    流星や扉と思ふ男の背   恩田侑布子『イワンの馬鹿の恋』         白粉花・おしろい    おしろいや屑屋が戻る行きどまり               佐藤和村    おしろいのはなにかくれてははをまつ      恩田侑布子『振り返る馬』 【後記】 筆者は現在インドに在住しており長らくリアル句会には参加できていません。ですがこうやって月に2度、会員の俳句をじっくりと読むことで、ある意味家族以上に近い存在に思えてくるから不思議です。インドで生活しながら、そんな俳句の力をしみじみと感じています。 (芹沢雄太郎) ...

7月27日 句会報告

2022.7句会報4

2022年7月27日 樸句会報 【第118号】 今回の兼題は「炎天」「冷奴」「噴水」――残念ながら、リモート句会となりました。依然としてCOVIDー19という重荷を負わされており、ついシジフォスの神話を思い起こします。ゼウス神をも欺いた狡猾な彼は、大石を山頂へ押し上げる刑罰を永遠に繰り返させられました。人類もさらに長期にわたってこの辛苦に耐えねばならないのでしょうか。そんな中、リモートではあっても、俳句の紡ぎ出す無限の世界に浸れることは、この上もない幸せです。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選  炎天や糞転がしの糞いびつ             芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「炎天」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  寄港地の噴水へ手をかざしけり              田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「噴水」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  菜園の薬味を選りて冷奴                金森三夢 【恩田侑布子評】 家庭菜園に精を出している。冷奴の時こそ、まかしとき!本領発揮だ。葱にしようか、青紫蘇もいいな。裏庭にまわれば、そろそろ茗荷も出ているかも。読者にいろいろ想像させてくれる楽しさがある。想像しているうちにひとりでに読み手は作者の暮らしの涼味を味わう。冷奴が食卓をはみ出し清廉な生活まで感じさせる。季語の見事な働きである。 【合評】 丹精の暮らし方がしのばれる。 「選りて」の措辞に菜園の豊かさと料理への心遣いが表現されています。   ○入選  湿布貼る肩のあらはや冷奴                古田秀 【恩田侑布子評】 肉体労働者の夕餉だ。父は木綿のランニングシャツ一枚になってあぐらをかいている。背中から見ると、サロンパス(トクホンという商品もあった)を、何枚もベタベタ痛い方の肩に貼っている。その肩は子どもの目からは、赤銅色に日に焼けてガッチリとたくましい。「でも、やっぱり痛いのかな」。ちょっと心配しながらも、たのしい遅めの夕飯が始まる。冷奴には生姜や細葱や鰹の削り節がたっぷり盛られていよう。晩酌も一本つくのだろう。昭和のなつかしい茶の間、電球と畳の匂いまでしてくる。 【合評】 口当たりの良い冷奴の涼し気な白さにほっと一息つく、肉体労働者の汗と笑顔が見えて来る。       【原】炎天下駆けぬく子らの呵々大笑               望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 老いは感じないという人でも、炎天に立たされると参ってしまう。その点、子どもらは別の人種のよう。楽しみさえあれば水を得た魚のように笑いながら平気で走ってゆく。この句は「呵々大笑」という禅的な措辞をあどけない子らの笑い声に援用したのが出色。「炎天」と「呵々大笑」は相性がいい。が、画竜点睛を欠く一点がある。それが為に、途端に「呵々大笑」が空々しく浮いてしまった一字は、「下」である。「炎天下」でもね、という粘りが急に出てしまうのだ。粘りから離れ、カラリと「呵々大笑」しよう。切字一字で世界が変わる。 【改】炎天や駆けぬく子らの呵々大笑       【原】営業車まで噴水のひかり来る               古田秀 【恩田侑布子評・添削】 営業車と噴水の取り合わせは新味がある。ただしこのままでは、「まで」「来る」が説明っぽい。こんな時こそ切字の出番。「来る」を削り、噴水の白いひかりと涼しさが一挙に感じられるようにする。もう一つのやり方はもう少しカメラアイを絞って「まで」「来る」を両方消してしまう。 【改】営業車まで噴水のひかりかな    営業の車窓へ噴水のひかり 【合評】 少し離れた駐車場まで、噴水に揺れる光が届いている。炎天下の仕事で一休みしている人に噴水の涼が届いている様を上手く表現しています。   【後記】 入選句の「菜園の薬味」とは何の植物かと、会員が推理をはたらかせていました。また、前回の入選句「どの向きの風も捉へて三尺寝」には、昼寝に纏わるあれやこれやに座が盛り上がりました。暑中に涼を求める、小さな幸せこそが大きな幸せ。日本人は順応力に長けており、様々な工夫をもって、灼熱の時期も何とか笑顔で乗り切ってきました。分冊の歳時記のうち「夏」が最も厚いのも、わかる気がします。 (田村千春) ...

6月22日 句会報告

2022.6句会報上

2022年6月22日 樸句会報 【第117号】 樸俳句会のメンバーの中には、連れ立って、兼題の季物を見に出かける方も。たとえ本命に巡りあえずに終わったとしても、他の句材を得たり、さらに友情を深めたり――そうした裏話を伺うたび、あらためて俳句の素晴らしさを思います。コロナ禍でつい家に籠りがちになりますが、やはり季語の現場へ繰り出し、五感をフルに躍動させてこそ作品に命を吹き込めるのですね。 兼題は「夏の川」「亀の子」「夏木立」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。 ○入選  屋久のうみ亀の子月と戯れる                林彰 【恩田侑布子評】 屋久島の夜の海辺で目にしたさりげない光景です。やさしいしらべは凪いだ海さながら。屋久杉の生い茂る円かな島にひたひたと打ち寄せる藍色の海。波間には月光が散らばり、亀の子がやわらかな手足を伸ばしています。それを「月と戯れる」と把握し、うたいおさめたところに虚心な詩が生まれました。旅先のくつろぎのひととき、肩から力の抜けた小スケッチが永遠に通じています。     【原】底に臥し太陽見上ぐ夏の川               鈴置昌裕 【恩田侑布子評・添削】 プールで泳ぐより、川泳ぎが好きな人の俳句。静岡県下の河、安倍川、藁科川にはじまり、大井川、天竜川、富士川で泳ぎまくった少女時代を持つ私は大いに共鳴します。同時に、老婆心ながら「太陽見上ぐ夏の川」はゲームばかりしている現代っ子には一生詠めないのでは、と心配になります。川底の清らかな砂礫に腹を擦り付けるように潜り、そこから反転して浮かび上がる刹那にきらめく太陽の光こそ夏の醍醐味です。添削したいのは上五「底に臥し」の硬さです。 【改】潜りこみ太陽見上ぐ夏の川 【合評】 水面を透かして見る陽光にうっとり。 私の住む町の川は市民から親しまれているが、夏には水量が極端に減り、岸でバーベキューというのが定番。この「夏の川」はどんな状態なのか、「底」にどう寝ているのか、原句ではわかりにくい。     【原】還暦の洟たれ小僧夏河原               林彰 【恩田侑布子評・添削】 ちょうど還暦を迎えた作者でしょう。六〇歳は、壮年期の終わりを告げられるようで、今までの誕生日とはちょっと気分が違います。しかし作者は、俺はまだ「還暦の洟たれ小僧」にすぎないと言い聞かせ、夏河原をほっつき歩いています。このままでも十分気持ちは伝わります。が、たった一字の助詞を変えるだけで、「俺」という自意識から解放され、句柄が大きくなります。季語も生きてきます。 【改】還暦は洟たれ小僧夏河原 【合評】 こういう自虐めいたことを言える還暦の大人になりたいです(笑)。私は三八歳ですが、十代の記憶を持ったまま還暦になるような気がします。 傍題の「夏河原」を選んだのがいいですね。具体的な場所に自分を置き、客観視している。   今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。 なお、最後の句(付)は兼題そのものではなく、「夏の川を詠んだ」作品として紹介されています。     亀の子  子亀飼ふ太郎次郎とすぐ名づけ               皆吉爽雨    夏木立  夏木立伊豆の海づらみえぬなり               大江丸  井にとゞく釣瓶の音や夏木立               芝不器男     夏の川・夏川・夏河原  夏河を越すうれしさよ手に草履               蕪村    付  渓川の身を揺りて夏来るなり               飯田龍太 【後記】 入選句について「気負いのない作品の良さ」が話題になりました。愛唱句の条件でしょう。万人に愛されるといえば、前回の句会報の後記で取り上げた「馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉」。ふうふう息をつきながら馬に揺られている作者・芭蕉翁が浮かんで、微笑みを誘われます。実は縦書きで紹介したかったのですが、この句会報はスマホに合わせているので、ほとんどが横書きです。最近買った本、『松尾芭蕉を旅する:英語で読む名句の世界』では、著者ピーター・J・マクミラン氏が以下のごとく英訳していました。   Ambling on a horse through the summer countryside― Feels like I'm moving through a painting. これなら横書きがふさわしい、芭蕉の旅がアップデートされたように感じます。ところで俳句はなぜ縦書きなのでしょう。思わず膝を打ちたくなる答が、恩田侑布子の新著『渾沌の恋人(ラマン):北斎の波、芭蕉の興』に載っております。ぜひ、ご一読のほど賜りますよう。 (田村千春) 今回は、入選1句、原石賞3句、△4句、ゝ7句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) =============================  6月5日 原石賞紹介 【原】清流浴鮎に私にプリズム光                海野二美 【恩田侑布子評・添削】 「森林浴」という言葉があるので、「清流浴」と言ってみたくなったのでしょう。しかし、「鮎」は清流にしかいない魚ですから、念押しは野暮です。それに引き換え中七以下「鮎に私にプリズム光」は素晴らしいフレーズです。清流に潜った人の臨場感あふれる措辞です。ここを最大限生かすには、上五はあっさり動作だけにする方がいいです。それこそ清らかな水と一体化する感じがしますよ。 【改】泳ぎゆく鮎にわたしにプリズム光    【原】野糞すや旱の牛に見られつつ               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 「旱の牛」で野外ということが十分にわかります。「野糞すや」は俳諧味を狙ったとしても強烈でくどいです。「くそまる」といういい措辞があります。 【改】糞りぬ旱の牛に見られつつ こうすれば、恥ずかしさと、開放的な気分がともに表現されます。旱の牛との共生感覚が立ち現れ、光彩陸離たる野糞のインド詠に早変わりです。