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2月6日 句会報告

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2022年2月6日 樸句会報 【第113号】 オミクロン株の急速な感染拡大にともない、2月の樸俳句会は夏雲システムを利用したリモートでの開催となりました。コロナ禍の中、家に籠っていると鬱々としてしまいますが、外に出れば梅が咲き、目白がみどりの礫となって目の前をよぎります。季節は確実に春になっているのに、いまだ人類の精神は真冬のただなかにあるような日々です。 兼題は「氷」「追儺」「室咲」です。 特選句1句、入選句4句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選  首元の皺震はする追儺かな             芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「追儺」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  雪掻きの苦なきマンション父と母                前島裕子 【恩田侑布子評】 何十年間も冬は雪掻きの労苦と共にあった両親が、今は老いてマンション住まいに。ようやく雪掻きの苦役から解放されました。安堵感とともに、昔の一軒家での家族の暮らしぶりや、雪の朝、若かりし父母が元気に立ち働いていた声など、こもごもが望郷の思いに呼び起されます。北国の暖かなマンションの一室に、皺深くなった父母が夫婦雛のように福々しく鎮座しているのが目に見えるようです。「苦なきマンション」に雪国の実感があふれます。     ○入選  パリパリと氷砕いて最徐行                望月克郎 【恩田侑布子評】 スノータイヤを履いた車が厳冬の朝、凍結した道路や薄く氷の張った山道を進んでゆくところ。中七の「パリパリと氷砕いて」までの歯切れの良さ、フレッシュな若々しさから下五が一転する面白さ。「最徐行」の慎重さが一句に実直な生命感を注入しています。地味な句柄ですが、臨場感いっぱいでユニークな俳句。     ○入選  室の花会へばいつもの口答へ               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 温室栽培の「室の花」に暗示されているのは、両親・祖父母に大事にされて大きくなったお嬢さん、お坊ちゃんでしょう。中国の一人っ子政策で長じた青年もこんな感じでしょうか。親元にたまに帰って来れば、すぐさま口答え。一人で大きくなったと勘違いしているようです。てっきり子や孫を詠んだ句と思ったら、なんと作者は三十代の若者。自分を客観視して「室の花」と自嘲しているのでした。そこにこの句のシャープな切れ味があります。 【合評】 ぬくぬくした環境は人の甘えを誘いますね。甘えもあって、つい大切な人に口答えしてしまう光景が思い浮かびました。そのあとに少し後悔してしまうところも。     ○入選  割れ残る氷探しつ通学路               島田 淳 【恩田侑布子評】 暖国の小学生の冬の登校路が活写されました。静岡は氷の張ること自体が珍しいので、子どもたちはもし、氷が通学路に張っていようものなら、われ先に乗ったり、砕いたりして快哉を叫んだものでした。欠片でもいいからと、キョロキョロ氷を探す小学生のまなざしが、中七の「探しつ」に込められ、イキイキした子ども時代の実感があります。 【合評】 小学生の登校時を思い出します。60年近く前は、人が乗っても割れない氷がありました。「割れ残る氷」を探したということは、ずっと後の世代の方なのですね。 水たまりに氷が張っていれば踏んで遊ぶのが小学生というもの。わざわざ「探し」てまで氷を割りたがるのが可愛らしく、面白いです。     【原】打ち砕く氷や告白を終へて               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 若者ならではのやり場のない思いと力の鬱屈を同時に感じます。「終へて」で終えない方がいいでしょう(笑)。語順を替えて、 【改】告白を終へて氷を打ち砕く こうするとやり場のなさが力強い余韻となって残ります。しかも打ち砕かれた氷の鋭いバラバラの光までもが見えてきそうです。             【後記】 3月9日に本年度の芸術選奨が発表され、堀田季何さんの第四詩歌集『人類の午後』が文部科学大臣新人賞を受賞しました。受賞作の中の一句<戦争と戦争の間の朧かな>は、戦争を人類史に永続するものと捉え、平和はその狭間に仄かに点在するものだという、人類世界の本質を深く抉るような句。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが連日取りざたされている中、平和を希求する言葉を持ち続けることの大切さを思い知らされます。(古田秀)   今回は、◎特選1句、○入選4句、原石賞1句、△5句、✓シルシ8句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 2月23日 樸俳句会  兼題は「バレンタインデー」「白魚」「蕗の薹」です。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選  からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる               林 彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  蕗の薹姉の天婦羅母の味              金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。             ↑         クリックしてください    ○入選  バレンタイン忘れて過ぎる安けさよ                望月克郎 【恩田侑布子評】  少年時代からバレンタインは、ドキドキしたり、うれしかったり、淋しかったり、めんどうだったり。まあ、今となっては、ドタバタ劇のようなもの。そんなことにはもう煩わされない。「忘れて過ぎる安けさよ」に、いい歳を重ねたものだ、という自足の思いが滲みます。言えそうでいえないセリフは大人の俳味。さらにいえば、文人の余裕が仄見えます。   ○入選  鶏を煮る火加減バレンタインデー                 古田秀 【恩田侑布子評】 チョコレートを異性に贈る「バレンタインデー」に、「火加減」を気遣って「鶏を煮」ていることに、まず意外性があります。チョコレートの他に、こってりした骨付き肉のワイン煮やトマトソース煮をいそいそと作って、やがて仲睦まじい晩餐が始まるのでしょう。勤めを終えた恋人が今にもマンションのドアを叩きそう。俳句の重層性を持つ大人の句です。作者はきっと恋愛の達人でしょう。    【原】飯場にて女湯は無し蕗の薹               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  「飯場」は鉱山やダムや橋などの長期工事現場に設けられた合宿所。そうした人里離れた労働現場に咲く蕗の薹の情景には手垢がついていません。しかもそこには「女湯」がない、という内容も、蕗の薹を引き立てて清らかです。素材の選定で群を抜いた句です。惜しいたった一つの弱点は「にて」。のっけから説明臭が出てしまいました。この句の内容である早春の山間の男だけの空間の清しさを出すには、助詞一字変えるだけでOKです。 【改】飯場には女湯は無し蕗の薹            【原】飲むやうに食ふ白魚の一頭身               塩谷ひろの 【恩田侑布子評・添削】 「白魚の一頭身」は素晴らしい発見。そのとおり、白魚の胴体にはくびれも節もありません。「一頭身」によって、言外に黒い二つの眼も印象されます。惜しむらくは、五七六の字余りがリズムをもたつかせて終わることです。ここは定型の調べに乗せて、すっきりとうたい、勢いをつけましょう。喉を通ってゆくのが感じられる特選句になります。 【改】しらうをの一頭身を呑み下す      

1月9日 句会報告

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2022年1月9日 樸句会報 【第112号】 2022年(令和四年)の初句会。和服で参加された方もいらっしゃいました。 句会に先立って、新年お楽しみ福引会が行われました。恩田は染筆の短冊と特注の短冊掛のセットを出品し、ホテルのスイーツバイキング券や、竹久夢二のハンカチーフセットなど、夢のあるものが沢山。思いがけないものが当たって喜ぶ顔があちこちに…。 句会冒頭、第12回北斗賞準賞(文學の森主催)に輝いた古田秀さんへ恩田から花束が贈呈されました。恩田からの激励、会員の大きな拍手、当会で最も若い古田さんの今後への決意、と華やかな新年句会になりました。 初句会の兼題は「新年」詠です。 入選2句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  雑煮膳娘と二人ほぼ無言                望月克郎 【恩田侑布子評】 親一人娘一人。片親の家族でしょう。お互いに「明けましておめでとうございます」とも言わないで、ただ黙って親のつくったお雑煮を黙々と食べています。胸の底では美味しいと思って、ありがたいような気がして。「膳」なので、いろどり豊かなお節料理も並んでいそうです。「ほぼ無言」が実にいい座五です。至って地味な作行に静かなお正月のしみじみとした味わいがあります。「雑煮椀」とせず「雑煮膳」としたところ、ある種の華やぎもあり、配慮が細やか。 【合評】 お正月、娘さんと向かい合っている様子が伝わってきます。これが「息子と」だったら全然違ったものになるでしょう。     ○入選  叱られたしよ筆圧つよき師の賀状                山本正幸 【恩田侑布子評】 勢いのあふれる初句の七音です。一気に真情を吐露したゆえの字余りは心臓が脈打つようでいいですね。先生の字の太くて強い筆圧は、作者にとって指導の厳しさと温かさにつながっています。師弟の間の愛情が一枚の賀状を通して確かに感じられる俳句です。 【合評】 上五の字余りが気になりました。 気持ちは伝わるが、余り新しさは感じられなかった。「先生に叱られる」という関係性がベタ。 熱血教師だったんでしょう。     【原】癖字ある友の賀状はもうこない                益田隆久 【恩田侑布子評】 ユニークな新年の俳句です。実際に会えない年はあっても、毎年、お正月には何十年も賀状で会っていた旧友です。その賀状には昔から独特の癖っぽい字が踊っていて、名前を見なくてもアイツだと、一目でわかったものです。今年の賀状の束は、めくってもめくってもアイツが出てきません。改めて本当に遠いところに行ってしまった実感がこみ上げます。ただし「癖字ある」は不自然な言い回しです。また、「友」と限定しない方が効果的でしょう。原句の口語を生かし、 【改】癖つよき文字の賀状はもう来ない こうすると余白がひろがります。   【原】凧はらからの声束ねつつ                田村千春 【恩田侑布子評】 面白い観点です。ただし、このままではリズムが弱々しく凧が落ちてきそうです。 【改】はらからの声束ねつつ凧 とすると、大空に凧が昇ってゆきませんか。 【合評】 光景がよく見えます。 下五の「つつ」と言い止して上五に返っていくところがいいと思います。 いや、「つつ」は流しすぎでしょう。 「はらから」がタコ糸の強さと合っている。 全体主義的、民族主義的なにおいを感じて採れませんでした。     [後記] 新年から活発な議論が飛び交い、いきなりトップスピードに乗った樸俳句会。 恩田の鋭く丁寧なコメントが議論を引き締めます。その一端は本句会報の恩田講評にあらわれています。句の弱点を指摘されることは参加者にとって励みになることです。 私事ですが、句作を始めて今年は8年目に入ります。以前の句と比べるとたしかに技法は上がったかもしれませんが、発想や視点などについては「自己模倣」に陥りがちであることを痛感しています。「自己模倣」から如何に自由になるかを今年の課題としたいと思います。 新型コロナウイルスのオミクロン株の感染者が急増して、いろいろなことの先が見通せません。県外の会員も含めたフルメンバーで句座を囲めることを只管祈る年始めです。  (山本正幸) ※ 樸会員によるアンソロジー「2021 樸・珠玉集」はこちらで読むことができます。 ※ 古田秀さんの第12回北斗賞準賞のお知らせはこちらです(恩田による抄出二十五句あり)。 今回は、〇入選2句、原石2句、△9句、ゝシルシ10句、・4句という結果でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ============================= 1月26日 樸俳句会 入選句および原石賞を紹介します。   ○入選  明け番や雑木林のライト冴ゆ               山田とも恵 【恩田侑布子評】 作者は宿直や警備などの夜勤が明けて家に帰る途中です。里山の道か雑木林の中を通る情景にポエジーがあります。曲がり角でクヌギや楢や椎の寒林にヘッドライトがさあっと差し込み、ことのほか青白い氷のように感じられた瞬間でしょう。スピード感のある光が冴え冴えと体性感覚に迫ります。「明け番」も「夜勤明け」などに比べ手垢がついていません。   【原】白さにも濃淡のあり冴えかへる                猪狩みき 【恩田侑布子評】 素晴らしく鋭い感性です。しかし、このままでは感覚の鋭さだけが主人公になってしまい、何もみえてきません。抽象的です。読者の目の前に白いものを広げて見せてください。紙や車にする手もありますが、布がいいのでは。雪では即きすぎです。 【改】白き布濃淡のあり冴えかへる 和服屋の店先で、白い絹を選ぶ時の微妙な白の濃淡と手触りを想像してもいいですし、花嫁衣装の白無垢を選んだ日の体験ととれば、さらに凛烈な印象を刻みましょう。「布」のほかはいわぬが花。   【原】家猫の帰宅はいまだ日脚伸ぶ               都築しづ子 【恩田侑布子評】 猫好きな作者は、あいつまだ帰ってこないよと、愛猫を待つともなく待っています。季語と相俟って、さりげない感情の襞が表現されかけていますが、「帰宅はいまだ」と「日脚伸ぶ」がやみくもにぶつかった感じで、嬉しいのか寂しいのか少し不安定です。一字変えればはっきりと切れが生まれ、感情の筋目がつきます。 【改】家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ 猫をうべなう気持ちが出て、句柄が膨らみますね。   【原】寒鯉や人待ち顔の紫煙かな                島田 淳 【恩田侑布子評】 作者は寒鯉のいる池か小川のほとりで人を待っています。所在なげに煙草を燻らせて。「紫煙」の措辞が効果的です。いかにも寒い日の午後を思わせます。水の中でじっと動かない鯉と人を待つ作者はあたかも同じ感情の中にいるように感じられます。水と空気と煙と衰えた日差しが薄い紫の帯になって棚引いています。いただけない点は「や」「かな」の初心者的二重の切字。落ち着きを無くしています。 【改】寒鯉に人待ち顔の紫煙かな こうすれば冬の午後が寒暮へうつろう様子も見えてきます。   【原】月冴えてカラカラ外れゆく琴柱                田村千春 【恩田侑布子評】 琴柱は今はプラスチック製ですが、昔は象牙や楓の枝で作られました。この句は江戸の浦上玉堂を思い出させます。岡山の上級藩士でしたが、五十歳で息秋琴と春琴を伴い脱藩。諸国を遊行しつつ中国伝来の七弦琴を奏し書画を残しました。中国文人の愛した「琴詩書画」四絶一致の境に達した日本を代表する文人です。川端康成が収蔵し国宝となった「凍雲篩雪図」は必見です。この句には玉堂を思わせるどこか脱俗の雰囲気があります。ただし、表現技法が叙述形態で流れるのが残念です。また「外れゆく」と、琴を人任せなのも気になります。 【改】月冴ゆとカラカラはづしゆく琴柱 寒月がいよいよ冴えわたると、琴を掻き鳴らすのをやめ、あとは山月にまかせます。琴柱を外したあとの琴の弦が寒月光に浮かび、余韻が深まります。    

2021 樸・珠玉作品集

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二〇二一年・樸・珠玉作品集 (五十音順)   iPhoneは禅に生まれし冬うらら  恩田侑布子 HAIKUPhoto   火と土の匂い 恩田侑布子  今年もリアルとリモート両用の樸(あらき)俳句会の珠玉かつ異色の作品が揃いました。2021年というコロナ禍にあっても、俳句を伴走者に日々新しい気づきに恵まれたことは幸せでした。地方都市に住む者の自粛期間は、海山川のいのちと語り合い、句作を楽しむゆたかな時間。日本の毛細血管の血流のすこやかさでした。  多様性(ダイバーシティ)がいま国内外で叫ばれています。当会ではそれをすでに実現出来ていることに胸を張れます。齢は80代から31歳まで、住まいはエチオピアから名古屋まで。生い立ち、教育、職業、家庭のまったく違う来歴の持ち主が、何のわだかまりもなく好きな俳句の解釈と批評に熱くなれます。それはかけがえのない時間。そうした中から立ち上がった俳句は、誰の真似でもない、ひとり一人の足元にある火の匂い土の匂いを持っています。それこそが樸俳句会の特色です。  以下の作品中には恩田の添削句も含まれますが、座の文芸である俳句において、改作は原作者にお返しします。  昨年の恩田は微恙続きでした。本年は温かい仲間とともに健康第一に、三月の第二文芸評論『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社刊)と、秋の第五句集開版に向かって全力投球いたします。  こじんまりした会のなか、次代を切り拓く若者が育っているのもうれしいことです。願わくは、志ある若手の層を厚くし、新たな俳句の潮流をともに生んでゆきたく存じます。  ご訪問いただいている皆さまにおかれましても、およろこび多い年になりますよう心からお祈りしております。ご高覧ありがとうございます。 福引をひく七色のひかりかな  恩田侑布子 HAIKUPhoto    猪狩みき   湖出づる川のさざめき柳の芽   遠雷や大陸を象大移動   雨に濡るる牛と見てゐる大花野 《ねむっているもの》    先日の句会での拙句“ほそ枝のふるへ 映せる白障子”を読んで、恩田先生が “冬の水一枝の影も欺かず(中村草田男)”を思い出したとおっしゃった。この句はとても好きな句なので、それが話題に出てきたことが嬉しかった。作るときに草田男の句はまったく頭に浮かんではいなかったけれど、自分の中のどこかにその見方や表現の仕方が残ってはいるのかもしれない。知らず知らずに自分の中に残っているもの、眠っているものが引き出されてしまう句作を怖いともおもしろいとも思っている。    海野二美   探梅や独り上手の万歩計   向日葵や強情は隔世遺伝   夏草を漕ぎ湿原の点となる 《樸の強み》    恩田先生が無事に回復なさり、コロナ禍に於いても我が樸は喧々諤々(?笑)忌憚のない楽しい句会を重ねることができました。今年最後の句会の折り、先生が皆様個性的な作句が出来るようになって来たと言われましたが、そもそもオールオッケーというか、先生が自由な作句をお許しくださっているからで、今回は花鳥諷詠、たまには時事俳句と会員は想像の翼を拡げて句作ができているからではないでしょうか・・・。  それが一番の樸の強みだと思っています。    金森三夢   職辞せる妻の小皺のあたたかし   下駄ひとつ九月の汀ただよへり   猪鍋や夫婦和合の合わせ味噌 《谷あり谷あり》    樸句会に入会し2年が過ぎた。谷あり谷ありで毎回冷や汗を流しつつの苦会(句会)だが、能力に秀でた連衆とビギナーズラックに支えられ何とか休むことなく励んでいる。恩田氏から「作風が変わった」と評して戴き、少しだけ小さな胸を撫で下ろしている。憧れの岩波文庫に執筆の依頼を受けた辣腕の師に受ける叱咤激励が心を満たし、今年は<自分にしか詠めない句を分かりやすく>をテーマに悪足掻きを続けたい。    塩谷ひろの   鉄板の足場ひびけり梅雨夕焼   椎茸を干すおとついの新聞紙   猫を撮る落葉に膝を湿らせて 《いたまきし》    俳句ブームの折、二年ほど前からネットなどで「いたまきし」という俳号で投句し始め、たまに選ばれると一喜一憂していました。そのネット上の常連の方が樸句会の方だと知り、勇気を出して地元静岡の俳句の会に入ることにしました。欲張りなもので今では句会だけでなく吟行をしてみたいと思っています。    島田 淳   一列に緋袴くぐる茅の輪かな   春の月財布も軽き家路かな   でで虫や己が身幅に道を食み 《俳句とパワハラ》    昔私がお世話になった上司は、今で言う「パワハラ」気味の人と恐れられていた。私とは気が合ったのは、仕事についての考え方が共通していたためであろう。そこで私は、上司の意図を相手に丁寧に説明して回った。おかげで私は「話の長い人」の異名を頂戴することになった。  俳句は、自分の感動を十七音で伝えなければならない。伝わらないのは表現が未熟だからである。いわゆるパワハラの中には、伝え方の問題に起因するものも少なくない。そして私の「話の長い人」からの脱却も未だしである。    鈴置昌裕   安倍川に異国に慰霊花火降る   踊場にひとり九月の登校日   塾の子のペダルふみこむ小夜時雨 《樸に入会して学んだこと》    7月から入会し、恩田侑布子先生と連衆の皆さんから多くのことを学んでいます。  先生からは、俳人として誠実でなければならないこと、人真似ではない、自分の全体重をかけた句がいい俳句であること、見るとは見られることなど、俳句に親しむ者の基本姿勢を教えられています。  そして、連衆の皆さんからは、人間としての優しさや柔軟性、自己の個性を大事にし、互いを尊重しながら、人生を楽しむ生き方を実感させていただいています。     芹沢雄太郎   胸いだく白きひざしや探梅行   春風の尻尾を掴む夜道かな   春の日や額の高さのよく香る  《海外で俳句に触れる》   2021年に私は海外での仕事を始めて、日本の四季の移ろいの豊かさが相対化される思いがしています。 しかし離れすぎれば実感は遠のくばかり。 そのバランスをいかに保って作句を続けていけるかが、私の本年のテーマとなりそうです。    田村千春   躙口片白草へ灯を零し   かへり路迷ひに迷ひ日雷   銀杏落葉ジンタの告げし未来あり 《きらめく河》    樸俳句会HP『久保田万太郎俳句集』コーナーから、書評にトライ。初めての体験である。「千 波留」なる筆名に変えてみて、やっぱり本名でいいか、と元に戻した。その四文字を見返すうち、「でも元の私とは違う…俳句を知らない頃の私とは」という思いが湧いた。美を見出すたびに、喜びに浸る毎日。俳句がもたらしてくれたものは計り知れない。十七音より生まれる光の河を隔てて、対岸に立つもう一人の自分に出会うことができた。    都築しづ子   媼より給ぶ大根の葉の威風   雪女郎来しか箱階段みしり   原つぱへ一人吟行小春かな 《喜びと痛みと》    昨年のクリスマス。 フラ・アンジェリコの受胎告知を見たくなって画集を開く。 数ある受胎告知の中で一番好きだ。フィレンチェのサンマルコ修道院でこの絵に会った時の喜びが甦る。暫く見入って棚に戻そうと重い画集を手に持った時、それは私の力ない指からズドンと落ちて足の親指をしたたか打った。数日後痛みが指先から膝に及び脚が曲がらない。喜びも痛みも呉れる永遠の名画である。   初日影はらわたに底なかりけり  恩田侑布子 HAIKUPhoto    萩倉 誠   レコードのざらつき微か霜の夜   ぷしゆるしゆるプルトップ開く街薄暑   小三治の落とし噺や草紅葉 《退化論》   奈良公園の鹿のごとくタレントの識別ができず、 散歩なのか徘徊なのかの戸惑。常にとりあえずのトイレ。 アイセルとアイフル、同じページを読み返す、誤認と忘却。 などなど、70有余年経て細胞が入れ替わり、「ジジイ」という亜種に退化。 いかんいかん。 介護士のいじめに耐える体力、独力で三途の川を渡る泳力だけは・・・ ということで、週2,3回ジムでお魚になっています。 まてよ、体力が付くということは徘徊が遠方まで・・・    林 彰   明けやすし夢の続きを探しをり   葉脈は骨格となり朴落ち葉   摩天楼崩れし九月青い空    古田秀   ししむらを水の貫く淑気かな   言はざるの見ひらくまなこ日雷   彫るやうに名を秋霖の投票所 《家族会議》    新型コロナウイルスの蔓延以来久しく帰省しておらず、ついに大晦日に家族でzoomミーティングをすることになった。染めるのをやめて白髪になった親と、背景に映る懐かしい実家の部屋。子ども部屋はもう親の仕事場になってしまったらしい。終わったあとの除夜の静けさの中、今年最後の新幹線が窓の外を過ぎていった。    前島裕子   八橋にかかるしらなみ半夏生   腕白が薫風となる滑り台    めくるめく十七文字新樹光 《来年こそ》   今年も残すところ数日となりました。 一年前の自分のエッセイを読み返してみて、フムフム、 今も同じことを思っている。 コロナ禍の中リアル句会にも参加させてもらっているのに、いい副教材もいただいているのに、自分は・・・。 一歩踏み出したい。 「継続は力なり」という。めげることなく自分らしい俳句をめざしやり続ける。来年も。    益田隆久   朝にけに茶の花けぶる水見色   内づらの吾しかしらぬ障子かな   しづけさを午後の障子にしまひをり 《影あってこその形》    吾64歳。若い時を振り返ると、寅さんの口上ではないが恥ずかしきことの数々。坂を上る時には自分の影は見えない。下る時になって初めて、上っている過去の自分の影が見える。当時見えなかった周りの風景も見える。過去と現在はすれ違う。自分の影を直視することは魂の救済になるのかもしれない。久保田万太郎俳句集を読んでいると当時の彼と私とが俳句を通して出会い互いの魂が共鳴する。    見原万智子   目刺焼くうからやからを遠ざかり   瓜揉や食卓に小ぶりの遺影   ひと皿は椎茸の軸慰労の夜 《入れる、抜く》    見原家は舅の代までずっと漁師。魚中心の食生活は味覚が鋭くなるようで、家族に美味しいと言ってもらえるまで何年もかかり、その後も調理に力を入れてきた。だから兼題が食べもののときはつい張り切ってしまう。  ところが恩田先生や連衆に採っていただいたのは、ひとりの気楽な昼餉、実母の簡素な献立、居酒屋の脇役的な一品。どれも力が入っていない。入れたら抜いて、呼吸するように。と俳句の神様が言っているかのようだ。    望月克郎   いつからか夏野となりし田しづか   声高く子らの走るや落葉踏み   おでん煮る一人住まいの暖かさ 《俳句を始めて半年》    6月に入会して以来、毎回出される兼題に振り回されるかのような半年でした。燕を観察し、甘酒を作り、里芋を煮転がし、あちこちから空を見上げ、風を感じる。日常の中に新しい発見をいくつも経験しました。    山田とも恵   冬灯落つ階段の会釈かな   急坂や肺いつぱいの夏至ゆふべ   輪廻してまた佇みぬ大花野 《輪廻》  「言葉」とかくれんぼをしている。「言葉」は隠れるのがうますぎる。私は見つけるのに疲れ、つい目をそらして探すのを休もうとしてしまう。しかし、疲れ果てた仕事終わりに見る冬の星や、ふくらみ始めた梅のつぼみの影に「言葉」の気配を感じると、またかくれんぼをはじめる。2022年はもっと多くの「言葉」を見つけ出したいと思う。    山本正幸   短夜や文庫の『サロメ』★ひとつ   雷遠く接種の針の光りけり   人妻の幼馴染と踊るなり 《紙の本》    自選句に挙げたワイルド作・福田恆存訳『サロメ』(岩波文庫)は★ひとつで定価50円。ビアズレーの妖しい挿画に惹かれた。半世紀前、青版の岩波新書もなべて150円だった。学生の懐にやさしかったが、今は昔。先般購入した文庫本は266ページしかないのに何と税込1870円!年金生活者の懐にはきつい。安い古本をネットで渉猟することも屡々。電子書籍版なら手軽で廉価なのか?でも、紙の手ざわりと匂いを愛でつつ、ボクは読み続ける。          

12月5日 句会報告

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2021年12月5日 樸句会報 【第111号】 2年にわたるコロナ禍、熱海での土石流、さらに地球環境の急激な変化が、私たちの身近に迫っていることを感じさせられて来た2021年も、いよいよ師走を迎えました。冬日和のこの日、12月1回目の句会が開かれました。 今回の兼題は、「冬晴」「冬菜」「狐火」。なかでも「狐火」は難しい兼題だと思います。 原石賞3句を紹介します。         芭蕉の句碑「狐石」を訪ねて 【原】狐火に句碑の上五の失せにけり                海野二美 【恩田侑布子評】 静岡市葵区足久保には、郷土のほまれ聖一国師が宋からお茶を伝えたことを記念して、芭蕉の「駿河路やはなたちばなも茶のにほひ」を大岩に刻んだ碑があります。茶商が茶畑のまん中に建てた大きな句碑です。岩の下に狐が棲んでいるという村の伝説があります。 この句の第一のよさは、「狐火」の兼題で、「狐石」の句碑を思い出し、中山間地の足久保まで足を運んだ作者の熱意です。第二のよさは、文字のかすれて読みにくくなった句碑を「狐火に上五が失せた」と感受したことです。これはすばらしい発見です。 句の弱点は、せっかくの詩の発見を、正直な前書きで理に落としてしまったことです。読者は「なあんだ、狐石だから狐火か」とがっかりします。前書きは要りません。芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」に唱和する気概をもって、一句独立させましょう。ご存知のように俳句で「翁」といえば芭蕉のことです。 【改】狐火に上五失せをり翁の碑   【原】媼よりの大根の葉の威風かな               都築しづ子   【恩田侑布子評】  ひとまず、上五の字余りを「をうなより」と定形の調べにし、〈媼より大根の葉の威風かな〉とするだけでも佳い句になります。さらに、年配の婦人から、丹精した大根、それも青々と葉のたわわな抜きたてを頂いたことをはっきりさせます。それには「もらう」より「給ぶ」が引き締まるでしょう。宝のような措辞「葉の威風」を存分に生かして座五に据えましょう。切れ字は使わなくても、かえって堂々とリアルな俳句になります。 【改】媼より給ぶ大根の葉の威風     【原】内づらの吾を見ている障子かな                益田隆久 【恩田侑布子評】 我が家の障子は「内づらの」私しかしらない。ところが、外づらの私はまったくの別人なんだよ。「障子」の兼題から、詩の発見のある面白い句が出来ました。ただ、障子が「内づらの吾を見ている」という擬人化は、かえってまだるっこしくありませんか。素直に叙しましょう。   【改】内づらの吾しかしらぬ障子かな 白く沈黙する障子にむかう問わず語りに、どこか人間という生きものの空恐ろしさが感じられる句になります。   サブテキストとして、今回と次回の季語の名句が配付され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。     冬晴  山国や夢のやうなる冬日和              阿波野青畝  冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ               大野林火  冬麗の微塵となりて去らんとす               相馬遷子     冬菜  しみじみと日のさしぬける冬菜かな             久保田万太郎  坐忘とは冬菜あかりに在る如し              宇佐美魚目     狐火  狐火をみて東京にかへりけり             久保田万太郎  狐火を伝へ北越雪譜かな              阿波野青畝  余呉湖畔狐火ほどとおもひけり              阿波野青畝  狐火を詠む卒翁でございかな              阿波野青畝  狐火や真昼といふに人の息              宇佐美魚目     障子  障子あけて置く海も暮れ切る               尾崎放哉  障子あけて空の真洞や冬座敷               飯田蛇笏  日の障子太鼓のごとし福寿草              松本たかし         築地八百善にて  障子あけて飛石みゆる三つほど             久保田万太郎     おでん  飲めるだけのめたるころのおでんかな             久保田万太郎        ─語る。   人情のほろびしおでん煮えにけり             久保田万太郎  老残のおでんの酒にかく溺れ             久保田万太郎     冬の富士  ある夜月に富士大形の寒さかな               飯田蛇笏  小春富士夕かたまけて遠きかな             久保田万太郎 このなかで連衆の圧倒的な人気を集めたのは、恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』にも収録されている次の句でした。  しみじみと日のさしぬける冬菜かな 難しい言葉は一つも使わずに、「日のさしぬける」という措辞が冬菜の雰囲気をよく表しています。     今回は、原石賞3句、△2句、ゝ6句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ================================================     12月22日 樸俳句会 原石賞 【原】談笑に懺悔のまじるおでんかな                古田秀 【恩田侑布子評】   おでん鍋を囲んで、心安く打ち解けて笑い声をあげて話し合っていたら、そこに「いやあ、俺、そん時、こんなことしちゃったんだよ」と、過去の過ちを打ち明け出した友がいました。「懺悔のまじる」は推敲したいです。おでんと酒と人情の熱気で、ぐたぐたに酔ってゆく一夜を描くとさらに面白い人間味が出そうです。 【改】談笑のいつか懺悔になるおでん   【後記】 12月22日の樸アイセル忘年句会は、ひさしぶりに、関東から2名の俳友が参加してくださり、暖かく賑やかな嬉しい会になりました。 樸に入会してこの半年、俳句は句会に入り師と友を得て、そのなかで学び楽しむものであることを実感しています。同じことは、様々な活動やスポーツ、習い事、学問、芸術、さらには人生そのものにも当てはまるのではないかと思います。来たる年も、恩田先生と俳友の皆さんのなかで切磋琢磨しながら、「座の文芸」俳句の奥深さを味わっていきたいと思います。                      (鈴置 昌裕)  

11月7日 句会報告

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2021年11月7日 樸句会報 【第110号】 昼過ぎには雲間にサックスブルーがこぼれ、雨意もすっかり払われました。久々に戻って来られたメンバーを交えて、心躍る句会の始まりです。ちょうど立冬。次回は冬季で詠むのかと思うと、日差しがより一層いとおしく感じられます。 兼題は「新蕎麦」「猪」「草紅葉」――いずれも晩秋の季語ですが、後に載せるそれぞれの例句のうち、「猪鍋」や「山鯨」は既に冬の季語。ちなみに、「蕎麦掻」「蕎麦湯」も冬の季語となります。美味しそうなものばかりですね。 特選句、入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ◎ 特選  彫るやうに名を秋霖の投票所            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋霖」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  小三治の落とし噺や草紅葉            萩倉 誠 【恩田侑布子評】 さきごろ八十一歳で亡くなられた人間国宝の噺家、十代目柳家小三治さんへの追悼句です。小三治さんは、俳句を愛好する「東京やなぎ句会」のメンバーでもありました。作者は小三治贔屓だったのでしょう。芸にいのちを賭けたひとの高座をつらつらと思い出しながら草紅葉を踏んでいます。噺に登場する長屋の誰れ彼れも、郭の花魁も、幇間も、みな草紅葉のように胸にせまり、いとしくなります。 【合評】 渋く落ちました。 語り口から生み出される世界。自分もそこへ引き込まれ、草紅葉として聴き入っている心地になる。 落語と草紅葉は確かに合っている。ただ、小三治でなくて他の噺家でもいいのでは? 追悼句であると前書きを付けてはどうか。 いや、「草紅葉」といったら、落とし噺の名手である小三治しかあり得ない。前書きも不要。     【原】「げんまん」の声こぼれたる草紅葉                田村千春 【恩田侑布子評】 「草紅葉」の兼題に、ゆびきりげんまんをもってきた感性がすばらしいです。弱点は、「こぼれたる」の連体形が草紅葉にかかること。切れをつくりたいです。 【改】「げんまん」の声のこぼれし草紅葉 こうすると、「指きりげんまん」が、過去のあの日あの時の忘れ難い声になり、草紅葉のしじまのなかにいつまでも余情となって残ります。すばらしい特選句になります。 【合評】 幼い頃の約束事は、大人から見ると他愛ないものが多いとはいえ、いたって真剣にかわされる。草紅葉と響き合うし、光景が美しい。 「げんまん」と平仮名だから子供同士とは思うけれど、親と子が唱えている声のような気もしました。 子供の会話を題材にした句というと既視感がある。   サブテキストとして、今回の季語の名句が配布され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。     新蕎麦・走り蕎麦  新蕎麦やむぐらの宿の根来椀               蕪村  新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり               水原秋桜子  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦               草間時彦    猪・猪垣・猪道 (秋)  猪の寝に行かたや明の突き               去来  手負猪頭突きて石を落しけり               山中爽  猪垣の中やびつしり露の玉               宇佐美魚目    猪鍋・牡丹鍋・山鯨 (冬)  ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ               阿波野青畝    山鯨狸もろとも吊られけり               石田波郷    二三本葱抜いて来し牡丹鍋               廣瀬直人    草紅葉  家なくてただに垣根や草紅葉               松瀬青々  草紅葉焦土のたつき隣り合ふ               幸治燕居  泥地獄とぼしき草も紅葉せる               首藤勝二  好きな絵の売れずにあれば草紅葉               田中裕明   連衆の人気を集めたのは、次の二句です。  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦  好きな絵の売れずにあれば草紅葉 「もたれたる…」の「今年蕎麦」には、食欲を掻き立てられると評判でした。すがすがしい空気、煌めくせせらぎと水の香、蕎麦を打つ音――まさに五感が悦ぶ作品。伊豆の人気の蕎麦処を思い浮かべましたが、名店ひしめく信州かも。今か今かと待ち受ける、その場にいたら、瀬音より大きな音でお腹が鳴ってしまいそう。 「好きな絵の…」は、お気に入りの絵を目当てに通い詰めている画廊へ、足早に向かう人か、あるいは、「よかった、まだあった」と見届けたのち、帰りの路地をたどりつつ、「ほんとは買いたいんだけど…」と溜息をついている人でしょうか? 道端の草の紅いろが目に留まり、絵への愛着は増すばかり。市井をただよう哀歓をそっと掬い上げる、こんな優しい「草紅葉」もあるのですね。           【後記】 本日は、まず恩田より「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」と心得を説かれ、全員の背筋が伸びました。 範とすべき作品として、先ごろ刊行された恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)が浮かびます。同書をひもとけば、「珠玉句を一粒ずつあじわう楽しみ」と同時に、「いのちの一筆書きをたどる〝俳句小説〟の愉悦」にも浸ることが叶うのですが、それは、作者が「身體全部で俳句をやった」からに他なりません(「 」内:恩田解説――やつしの美の大家 久保田万太郎――から引用)。 生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました。      (田村千春)                             今回は、特選1句、入選1句、原石賞1句、△3句、ゝ10句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) =============================  11月24日 樸俳句会 特選句・入選句・原石賞 ◎ 特選  銀杏落葉ジンタの告げし未来あり             田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「銀杏落葉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください      ○入選  月蝕をあふぐ落葉のスタジアム             見原万智子 【恩田侑布子評】 十一月一九日金曜夜、部分月食が見られました。私も山の谷間で、山の端にうかぶ薄曇りの月蝕をいまかいまかと見上げていました。作者はスポーツか、音楽ライブか、いずれにしても巨大なスタジアムの観客として月蝕を仰いでいます。「落葉の」という限定がきわめて効果的です。野外場の周りは樹木が多く、そこから落葉がスタジアムの客席まで吹き込んでくる光景が想像されます。足元もコンクリの通路に色とりどりの落葉が散り敷いていることでしょう。人間の地上の祭典と天体のショーがひびき合っています。     【原】小夜時雨ペダルふみこむ塾帰り                鈴置昌裕 【恩田侑布子評】 なかなかいいところを捉えています。季語は下にもってゆくとよりいっそう余情が出ます。また「塾帰り」と「小夜時雨」がやや重なるので、「塾の子」と主語を先に明かしましょう。 【改】塾の子のペダルふみこむ小夜時雨     【原】葉脈は骨格となり朴落ち葉                林 彰 【恩田侑布子評】 発見がある句です。朴落葉の来し方行く末をしっかりとよく見ています。朴の木は五月、万緑のなかに、白い大きな芳しい花を冠のように咲かせます。そして、落葉は、ひときわ大きく、茶色の地味なそれは雨風とともに存在感を日々増してゆきます。まさにそれが朴の「骨格」をなす葉脈です。私は一昔前に西伊豆山中で、その骨格の葉脈だけが見事なレース細工のようになった一枚の朴落葉に感動したことがあります。このままでは経過途中です。結果だけを表現しましょう。 【改】葉脈はつひの骨ぐみ朴落葉 こうすると、朴落葉の気品まで感じられませんか。     【原】落ち葉踏み子らの走るや声高き                望月克郎 【恩田侑布子評】 落葉などほとんど眼中になく、公園や校舎裏を走り回る冬でも元気な子らの声。悪いところはないですが、俳句としての魅力がいまいちなのはなぜでしょうか。作者の感動の焦点が那辺にあるか、つかめないからです。「落葉を踏んで子どもたちが走っているよ。声も高く元気だよ。」と見たままの報告に終わっていませんか。話の順番を変えるだけで変わります。 【改】声高く子らの走るや落葉踏み 子どもらと、踏みつけられる落葉の対比がはっきり出ます。そこに、蛇笏の「落葉ふんで人道念を全うす」ではありませんが、元気にかけまわる子らを底で支えながら去ってゆく、声なきもろもろの存在がじわりと伝わります。詩の核心が誕生します。     【原】猫を撮る落葉に膝は湿りつゝ                塩谷ひろの 【恩田侑布子評】   猫好きな作者であることがわかります。しかも美しい猫なのでしょう。三十六歳で死んだ夭折の画家菱田春草の「黒き猫」(明治四三年)が目に浮かびます。ただしこの句はこのままでは、季語の「落葉」より、下五の「膝は湿りつゝ」のほうが目立ちます。座五は抑えましょう。 【改】猫を撮る落葉に膝を湿らせて こうすると、一匹の猫と向き合う静かな空間が立ち上がります。     【原】ふつくらな猫に寄り添ふ小春空                萩倉 誠 【恩田侑布子評】 副詞「ふっくら」は通常は「と」を伴います。同じ意味ですが冬の日にふさわしい微妙に陰影のある「ふっくりと」に変えてみましょう。季語も「小春空」ですと、冬晴れの空へ猫の毛の質感が消えて失くなりそうです。猫のからだのやわらかさを感じさせつつ、このあたたかさや慰安が、つかの間のことであることを感じさせる季語を斡旋し、調べをととのえましょう。 【改】ふつくりと猫に寄り添ふ冬うらら     【原】茶の花のけぶりて白き水見色                益田隆久 【恩田侑布子評】 静岡の奥座敷「水見色」村は、その美しい地名とともに、朝晩の霧の深い本山茶の茶処としても有名です。春は桜、夏は螢や河鹿が棲む、たいへん風光明媚な山里です。けぶりてまではいいですが、「白き」が惜しい。言わでもがなのことを言ってしまいました。ここが、ただの五七五か、俳句という詩になるかどうかの分かれ目です。水見色という清冽な地名を活かすために、朝や午前の日にかがやく清冽な茶の花の光景を描き出しましょう。すばらしい風土賛歌になります。 【改】朝にけに茶の花けぶる水見色  

10月3日 句会報告

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2021年10月3日 樸句会報 【第109号】 樸句会のメンバーもワクチン接種をほぼ終えて、久しぶりにリアル句会が和気あいあいと行われました。句会で選句するときは、披講する人のために丁寧に句を書き写すことも大切なのだとわかりました。新型コロナウィルスの感染者数が減ってきたなかで、新しい日常に小さな楽しみを見つけながら俳句を作れるようになりたいものです。 兼題は、「秋風」「鶺鴒」「椎茸」です。「鶺鴒」と「椎茸」はともに名句が少ないので、挑戦し甲斐のある季語でもあります。 特選一句と入選二句を紹介します。   ◎ 特選  耳たぼにきて秋風とおぼえけり             山本正幸   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋風」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  ひと皿は椎茸の軸慰労の夜             見原万智子 【恩田侑布子評】 とびきり大きく肉厚の干し椎茸だと、軸もダシが出るだけでなく、箸休めの乙な一品になります。高級料理というわけではありませんが、心遣いがよくゆき届いた居心地のいい店。もしかしたら仲間の家かもしれません。「椎茸の軸」が互いによく働き、ほどよく疲れた「慰労」の会の夜の雰囲気に溶け合って、しみじみした句になっています。 【合評】 慰労の会といっても高級店で行うのではなく個人的な会を思わせます。味のしみた椎茸の軸を使った料理のひと皿にその日の疲れが癒されていくようです。   ○入選  椎茸を干すおとといの新聞紙            塩谷ひろの 【恩田侑布子評】 干椎茸は美味しいだけでなくビタミンⅮの宝庫。骨粗鬆症の心配がある年配者には欠かせない健康食材です。椎茸を干すのに「おとといの新聞紙」を下に敷くところ、生活実感が溢れます。おとといの新聞がすでに新聞でもニュースでもなく、ただの古紙になっているところ、面白い俳句です。「おとつい」にすれば、さらに素朴な味が出たでしょう。 【合評】 椎茸を干すのがザルではなく、読み終わって捨てるだけの新聞紙であり、昨日のものでなく「おととい」というのに実感があります。 干し物をするから古新聞を持ってくるように親に言われた時のエピソードから作りました。方言のような「おとつい」を使うのか迷いました。(作者の弁)   【後記】 私は樸俳句会に入って5か月目になります。コロナ禍でリアル句会がリモートになることもあるなか、自分の句を披露したり、お互いの句を鑑賞しあうことは大変勉強になりますし楽しみでもあります。恩田先生の教えである「いたずらに新奇な措辞に走らず、平明で深い句」を心がけ、独りよがりにならず省略をきかせた句が作れたらと思っています。ただ、先行句を知らないために類想句になってしまったり、自分の思っていることを伝える難しさを感じています。今回の句会で山本さんの「耳たぼ」の特選句は、恩田先生の評を聞いて、素晴らしく省略がきいている良い句だとわかりましたが、残念ながら選句時にはわかりませんでした。「耳たぶ」のことを「耳たぼ」ということも知りませんでした。俳句を始めてから知らない言葉や季語や漢字がたくさんあることに気づきました。これからも、自然や人とのふれあいのなかで新しい気づきに敏感になって、自分の個性を失わずに楽しく俳句を続けていきたいと思いました。   (塩谷ひろの) 今回は、◎特選1句、〇入選2句、△2句、ゝ2句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

9月5日 句会報告

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2021年9月5日 樸句会報 【第108号】   コロナ禍で客足が遠のき、惜しまれながら閉店したデパートの跡地は、ワクチン接種会場として利用されていました。街を歩くたび、そうした寒々しい変化に出会います。そのワクチンにしても、ブレイクスルー感染が散見されるなど絶対的とはいかず、引き続き行動に制限が加えられることに。患者数の増加をみた静岡県では、八月二十日からの緊急事態宣言が九月末まで延長となり、今回報告する九月五日の句会もリモートで行われました。 兼題は、「九月」「花野」「松虫」です。 二句を紹介します。なお、連衆の評は、選句した会員の文章より抽出したもので、原文のままではない旨、ここでおことわりします。   ○入選  摩天楼崩れし九月青い空               林彰         【恩田侑布子評】 忘れられない九・一一の空。それは世界中の人々が画面で共有した痛烈な二十一世紀の幕開けでした。たしかに雲ひとつない青空でした。ゆえにニューヨークの超高層ビルに突っ込んでゆく機影と、直後の黒煙の拡がりが、悪夢の静止画像の堆積のように胸底ふかくに沈殿しました。米中枢同時多発テロ事件の規模の大きさと残虐性は、その後二十年に及ぶ米軍のアフガニスタン侵攻となり、先月末の米軍撤収に終わるまで、あまたの子らや民間人殺傷の痛ましい歴史を刻みました。掲出句は、ことばでは何も告発していません。しかし、高度資本主義社会の象徴たる「摩天楼」が自爆テロに崩れ、それが初秋を告げる「九月の青い空」であったところに、人類普遍の慟哭があります。 【合評】 911同時テロから20年。この「青い空」は何か? 実は、CO₂を排出しまくって取り返しがつかないほど空を大気を破壊したお前たちこそ、よほど恐ろしい環境テロリストだと罵っているのだ。上中12音と下5音は不可分で、よく読めば流れるような調べだ。私の読みはそうはずれてはいない。秀逸ではあるが、長生きしてもろくなことはないと思わせる句である。     ○入選  踊場にひとり九月の登校日               鈴置昌裕        【恩田侑布子評】   新型コロナウィルスが猛威をふるい、新学期は通学日とリモート学習日が入り混じっているのでしょう。そのたまさかの登校日です。もともと学校嫌い集団嫌いの上に、長い夏休みじゅう家に居た身には、ざらつく九月の残暑です。「踊場」は廊下続きのそれではなく、外階段でしょう。と、すると大学生かも知れません。出席だけとって、ふらりと日陰の踊り場で、そよ風混じりに構内を見渡しているのかも。宙ぶらりんでどこにも行けない「踊場」と、夏が終わったばかりで不安定な「九月」の季語の間に、青春期のひりつく感覚がリアルにとらえられています。 【合評】 長い夏休みが終わり、始業式終了後の昼少し前、授業は無く、生徒たちは帰宅するか部活へ。ひっそりとした踊り場に佇み、ひとり夏の忘れ物を探しながら見つめる秋。季語も動かない。 中途半端な場所。明るくもあり暗くもある光が、孤独な心を照らす。     【後記】 たぎるような陽光の下、深い間隙を覗かせているのが「九月」。入選作は、声なき叫びにみちた光景をまざまざと浮かび上がらせました。2001年の同時多発テロでは救助活動に携わった方々を含め、あまりに多数の貴重な命が失われ、二十年を経た今でも、痛みとともに恐怖が甦ります。登校日を取り上げた作者も、学童の自殺が増えており、特に八月と九月に多発している件を知り、かつて、その日を迎えるのが憂鬱であった自分と重ね合わせて詠んだと述べていました。 私事ですが、九月の喪失といえば、今回の兼題の一つにまつわる子供の頃のつらい思い出があります。夏休みのほとんどを祖父母の家で過ごし、新学期、自宅からさほど遠くない「花野」を久しぶりに訪れたところ、なんと造成地となっていました。足しげく通っては草や鳥たちのさざめきに耳を傾けていたのに、コンクリートで囲われた、ただの土に変えられていたのです。湿地が多くを占め、宅地には向かない土地でした。かくのごとき暴挙は各地で振るわれたに違いなく、明らかに近年の土砂災害の頻発につながっています。 暗い話になりました。このままでは「長生きしてもろくなことはない」とうなだれてしまいそう。私たちにもできることがあるはずです。花野について考えるのは、たしかな一歩となり得るのではないでしょうか。例えば、草原を保存するため、そこから得られる資源を飼料とするなど、様々な試みが行われています。 恩田の第三句集である『空塵秘抄』を手に取ってみましょう。秋の作品を中心とした章――「賽」七十七句に浸るうち、秋は五行説の金に属し、色は白であると、体感できるのが不思議です。一句を引用します。    闇迫る花野の深井忘れめや 脆弱でありながら、あまたの輪廻を実現し、さびしさのある美しさが人々を魅了してきた花野。その本質を照らし出す作品に心を寄せ、命にかけがえのないこと、受け継がれてきたからこそ今ここにあることを、忘れないようにしたいと思います。                      (田村千春) 今回は、〇入選2句、△5句、ゝ11句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   ============================= 2021年9月22日句会 入選句 ○入選  鶏頭に触るるゆびさき獺祭忌               猪狩みき 【恩田侑布子評】   子規の代表句の一つ〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を踏まえる句です。今回、衒学趣味の臭みが目立つ典拠の句がいくつかあるなかで、これはすこしもペダントリーではありません。まごころがこもっています。植物とは思えない鶏頭の硬い重量感のある実質を目の前にして、たじろぐ作者がいます。「触るるゆびさき」に、子規の三十五歳という短い、それゆえに常人の成し遂げ得ぬことを病床で成し遂げた赫奕たる生涯に対する畏怖の念がこもっています。     ○入選  芋煮るや投票はがきならそこに               古田秀 【恩田侑布子評】   里芋の煮ころがしをつくりながら、あれこれにいそがしく追われながら、なんとなく誰に投票しようか、どうしようか、と選挙のことも考えています。 「投票用紙はそこにあるんだっけ。今度の日曜日だな」 庶民のよりよい生活に政治が直結していてほしいという思いが、口語のさりげなさに感じられます。里芋と投票はがきの取り合わせがよく響き、手垢がついていません。句の下半分を平仮名にして脱力したところも神経細やかです。

8月25日 句会報告

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2021年8月25日 樸句会報 【第107号】   8月20日から静岡にも緊急事態宣言が出され、急遽リモート句会となりました。COVID-19が世界中に広がってから1年半が過ぎ、実社会においてもリモートワークやオンライン授業などが当たり前に導入されています。技術革新に感謝したい一方、皆が一堂に会する場の空気や手触りが恋しくなるのはないものねだりでしょうか。 兼題は、「墓参」「花火」「芙蓉」です。   ◎ 特選  安倍川に異国に慰霊花火降る             鈴置昌裕   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花火」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  からだぢゆう孔ひらきだす虫の闇               古田秀           【恩田侑布子評】 「孔ひらきだす」になまなましさがあります。季語と相俟って、ねとつくような蒸し暑さが残る深い闇を感じさせます。生きているからこそ人間には孔があり、虫には翅音があるのに、地中深く黄泉の国へ引きずり込まれてゆくかの不安感は、生と死が溶け合うようです。やや不気味な読後感は、生きていること自体得体が知れない、という思いへ人を誘います。 【合評】 縁側に坐し、真っ暗な庭から響く虫の声に秋の到来を感じ、聴覚、視覚に加え全身の孔が研ぎ澄まされるように全開する肌の感覚を巧みに表現した秀句。 「全身を耳にして」とはよく聞きますが、「体中の孔が開く」という表現に驚きました。眼、耳、口、鼻、肛門…。汗腺まで入れれば本当に人間の身体は孔だらけ。孔は外界と交信する器官です。虫のすだく闇に呼応するように、全身の孔という孔が一斉に開いていくという感覚はとてもシュールで面白い。漢字は孔、虫、闇のみで、あとはひらがなという表記も効果的と思います。       ○入選  眼鏡つともち上げもどす夕芙蓉               見原万智子      【恩田侑布子評】 近視用ではなく老眼鏡ではよくこんなことをします。年配者が焦点距離を少し合わせるための仕草です。古希前後の余裕のある日常の感じと夕芙蓉との取り合わせが絶妙です。それといった意味もないのに、たゆたいの情が匂う感覚の優れた句です。 【合評】 読書に余念のない作者が、涼しい風と辺りが薄暗くなってきたことを感じ、眼鏡を持ち上げ庭に視線を移すと、酔芙蓉は白からピンクに色を変えています。花の色に目を休めた作者は、眼鏡の位置を戻し、再び本に視線を落とします。晩夏から初秋にかけての季節感を静かに感じさせ、今の先行きの見えない閉塞感を一瞬忘れさせてくれるとてもよい句だと感じました。       ○入選  墓参てきぱきと骨になりたし               見原万智子 【恩田侑布子評】 「てきぱきと」仕事をこなす作者が、「てきぱきと骨になりたし」と思っておられたとは。ただ、全国にぽっくり寺があるくらいなので、老耄の身を晒して長々と子や孫に下の世話にまでなりたくないという思いは、珍しいわけではありません。手柄は「てきぱきと骨になりたし墓参」をひっくり返した五五七の破調の工夫にあります。宙吊りの余白が斬新です。しかし、作者コメントによると、「自分の焼骨はあまりお待たせしたくない」という火葬場での即物的希望を詠んだものと発覚。バラさないで欲しかったと思うのは私一人ではないでしょう。 【合評】 まさに近頃の己が思いを代弁してくれているように思いました。 普段からてきぱきと物事を進める方なのでしょう。他人に迷惑をかけず。自分の最期の時にまでそうありたいという切実な思い。そして墓参の際にもそう考えてしまう「性分」の可笑しみ。「てきぱき」の音が、骨の音に聞こえてきます。 墓に参ると諦念に襲われます。もう存分に生きたから、いや、そんなに生きていないけど、そろそろオサラバしてもいいかな。「ホラホラ、これが僕の骨」(by中也)       【原】亡き人よ見えわたるやと問ふ花火               見原万智子 【恩田侑布子評】 「姑が最後に見た焼津海上花火大会のひとコマ。車椅子に座り亡き舅の写真をしっかり抱いていました。「お父さぁん、見えるかね〜?」という呼びかけが、空へ向けて何度も放たれるのでした。」 以上が作者の弁。体験の刻まれた胸を打つ光景です。なるほど、思いが余って「亡き人よ」と呼びかけ、さらに「見えわたるや」とせずにはいられなかった気持ちはわかります。でも俳句表現としてみるとどうでしょうか。お姑さんの行動を横から見ている描写にとどまり、作者との一体感がイマイチです。ここはお姑さんの気持ちになりかわりましょう。 【改】亡き人に見えわたるやと問ふ花火 一字の違いで、中七の「見えわたる」という措辞がいっそう生きて来ましょう。 【合評】 花火を観ることが好きだった故人を偲ぶ思いがよく伝わります。「見えわたる 」に、空に広がる花火の壮大さがよく表現されています。       【後記】 兼題のこともありますが、近しい人の死、自己の死を想う句が多く、リモートゆえ孤独な選句であってもどこか会員同士輪になってともに句を読み進めていくような感覚がありました。ともすれば分断を煽られがちな異なる社会属性や世代が、対等に何かについて話し、評することができる場は本当に貴重です。ワクチン接種が進み、COVID-19の早期収束を望む一方、次々と出現する変異型に社会はまだ振り回されています。疫禍がもたらした予期せぬ“ニューノーマル”な暮らしの中で、奔流に抗う一本の自己の根を下ろすことが、俳句、ひいては文学の役割かもしれません。                      (古田秀) 今回は、特選1句、入選3句、原石賞2句、△2句、ゝ14句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     ============================= 2021年8月8日句会 入選句 ○入選  瓜揉や食卓に小ぶりの遺影               見原万智子 【恩田侑布子評】 暑い盛り。瓜揉が主役の簡素な昼餉でしょう。テーブルには遺影が置かれています。豪華な写真立ではなく、小ぶりのつつましい写真立に入っているいとしいひとの笑顔。「小ぶり」の措辞が素晴らしく働いています。生前もいつもここで一緒に食べていたが、亡くなっても一緒に食事をしているのです。仏壇のなかの位牌を拝むだけでは足りない親しさなつかしさ。瓜揉の翡翠色が、ひときわ涼しく哀しい。きっとひとり住いなのでしょう。清らかな故人への思いが、その亡き人のお人柄まで想像させる心打たれる俳句です。     ○入選  夏草を漕ぎ湿原の点となる               海野二美 【恩田侑布子評】 高地の湿原をゆくここちよさ。茅や蒲や、かやつり草、わたすげなどの群生する青々とした天上の草原で、いま私は、どこの誰でもない、男でも女でもない。もはや人間であることも忘れて、天地の間のただ一点になります。大自然に抱かれる夏の歓喜です。やぶこぎの「漕ぎ」と、座五の「点となる」によって、景が鮮やかに浮かぶ句になりました。