
2022年7月27日 樸句会報 【第118号】 今回の兼題は「炎天」「冷奴」「噴水」――残念ながら、リモート句会となりました。依然としてCOVIDー19という重荷を負わされており、ついシジフォスの神話を思い起こします。ゼウス神をも欺いた狡猾な彼は、大石を山頂へ押し上げる刑罰を永遠に繰り返させられました。人類もさらに長期にわたってこの辛苦に耐えねばならないのでしょうか。そんな中、リモートではあっても、俳句の紡ぎ出す無限の世界に浸れることは、この上もない幸せです。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選
炎天や糞転がしの糞いびつ
芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「炎天」をご覧ください。
↑
クリックしてください
◎ 特選
寄港地の噴水へ手をかざしけり
田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「噴水」をご覧ください。
↑
クリックしてください ○入選
菜園の薬味を選りて冷奴
金森三夢 【恩田侑布子評】 家庭菜園に精を出している。冷奴の時こそ、まかしとき!本領発揮だ。葱にしようか、青紫蘇もいいな。裏庭にまわれば、そろそろ茗荷も出ているかも。読者にいろいろ想像させてくれる楽しさがある。想像しているうちにひとりでに読み手は作者の暮らしの涼味を味わう。冷奴が食卓をはみ出し清廉な生活まで感じさせる。季語の見事な働きである。 【合評】 丹精の暮らし方がしのばれる。
「選りて」の措辞に菜園の豊かさと料理への心遣いが表現されています。
○入選
湿布貼る肩のあらはや冷奴
古田秀 【恩田侑布子評】 肉体労働者の夕餉だ。父は木綿のランニングシャツ一枚になってあぐらをかいている。背中から見ると、サロンパス(トクホンという商品もあった)を、何枚もベタベタ痛い方の肩に貼っている。その肩は子どもの目からは、赤銅色に日に焼けてガッチリとたくましい。「でも、やっぱり痛いのかな」。ちょっと心配しながらも、たのしい遅めの夕飯が始まる。冷奴には生姜や細葱や鰹の削り節がたっぷり盛られていよう。晩酌も一本つくのだろう。昭和のなつかしい茶の間、電球と畳の匂いまでしてくる。 【合評】 口当たりの良い冷奴の涼し気な白さにほっと一息つく、肉体労働者の汗と笑顔が見えて来る。
【原】炎天下駆けぬく子らの呵々大笑
望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 老いは感じないという人でも、炎天に立たされると参ってしまう。その点、子どもらは別の人種のよう。楽しみさえあれば水を得た魚のように笑いながら平気で走ってゆく。この句は「呵々大笑」という禅的な措辞をあどけない子らの笑い声に援用したのが出色。「炎天」と「呵々大笑」は相性がいい。が、画竜点睛を欠く一点がある。それが為に、途端に「呵々大笑」が空々しく浮いてしまった一字は、「下」である。「炎天下」でもね、という粘りが急に出てしまうのだ。粘りから離れ、カラリと「呵々大笑」しよう。切字一字で世界が変わる。 【改】炎天や駆けぬく子らの呵々大笑
【原】営業車まで噴水のひかり来る
古田秀 【恩田侑布子評・添削】 営業車と噴水の取り合わせは新味がある。ただしこのままでは、「まで」「来る」が説明っぽい。こんな時こそ切字の出番。「来る」を削り、噴水の白いひかりと涼しさが一挙に感じられるようにする。もう一つのやり方はもう少しカメラアイを絞って「まで」「来る」を両方消してしまう。 【改】営業車まで噴水のひかりかな
営業の車窓へ噴水のひかり 【合評】 少し離れた駐車場まで、噴水に揺れる光が届いている。炎天下の仕事で一休みしている人に噴水の涼が届いている様を上手く表現しています。
【後記】
入選句の「菜園の薬味」とは何の植物かと、会員が推理をはたらかせていました。また、前回の入選句「どの向きの風も捉へて三尺寝」には、昼寝に纏わるあれやこれやに座が盛り上がりました。暑中に涼を求める、小さな幸せこそが大きな幸せ。日本人は順応力に長けており、様々な工夫をもって、灼熱の時期も何とか笑顔で乗り切ってきました。分冊の歳時記のうち「夏」が最も厚いのも、わかる気がします。
(田村千春)
...

2022年6月22日 樸句会報 【第117号】 樸俳句会のメンバーの中には、連れ立って、兼題の季物を見に出かける方も。たとえ本命に巡りあえずに終わったとしても、他の句材を得たり、さらに友情を深めたり――そうした裏話を伺うたび、あらためて俳句の素晴らしさを思います。コロナ禍でつい家に籠りがちになりますが、やはり季語の現場へ繰り出し、五感をフルに躍動させてこそ作品に命を吹き込めるのですね。 兼題は「夏の川」「亀の子」「夏木立」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。 ○入選
屋久のうみ亀の子月と戯れる
林彰 【恩田侑布子評】 屋久島の夜の海辺で目にしたさりげない光景です。やさしいしらべは凪いだ海さながら。屋久杉の生い茂る円かな島にひたひたと打ち寄せる藍色の海。波間には月光が散らばり、亀の子がやわらかな手足を伸ばしています。それを「月と戯れる」と把握し、うたいおさめたところに虚心な詩が生まれました。旅先のくつろぎのひととき、肩から力の抜けた小スケッチが永遠に通じています。
【原】底に臥し太陽見上ぐ夏の川
鈴置昌裕 【恩田侑布子評・添削】 プールで泳ぐより、川泳ぎが好きな人の俳句。静岡県下の河、安倍川、藁科川にはじまり、大井川、天竜川、富士川で泳ぎまくった少女時代を持つ私は大いに共鳴します。同時に、老婆心ながら「太陽見上ぐ夏の川」はゲームばかりしている現代っ子には一生詠めないのでは、と心配になります。川底の清らかな砂礫に腹を擦り付けるように潜り、そこから反転して浮かび上がる刹那にきらめく太陽の光こそ夏の醍醐味です。添削したいのは上五「底に臥し」の硬さです。 【改】潜りこみ太陽見上ぐ夏の川 【合評】 水面を透かして見る陽光にうっとり。
私の住む町の川は市民から親しまれているが、夏には水量が極端に減り、岸でバーベキューというのが定番。この「夏の川」はどんな状態なのか、「底」にどう寝ているのか、原句ではわかりにくい。
【原】還暦の洟たれ小僧夏河原
林彰 【恩田侑布子評・添削】 ちょうど還暦を迎えた作者でしょう。六〇歳は、壮年期の終わりを告げられるようで、今までの誕生日とはちょっと気分が違います。しかし作者は、俺はまだ「還暦の洟たれ小僧」にすぎないと言い聞かせ、夏河原をほっつき歩いています。このままでも十分気持ちは伝わります。が、たった一字の助詞を変えるだけで、「俺」という自意識から解放され、句柄が大きくなります。季語も生きてきます。 【改】還暦は洟たれ小僧夏河原 【合評】 こういう自虐めいたことを言える還暦の大人になりたいです(笑)。私は三八歳ですが、十代の記憶を持ったまま還暦になるような気がします。
傍題の「夏河原」を選んだのがいいですね。具体的な場所に自分を置き、客観視している。
今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。
なお、最後の句(付)は兼題そのものではなく、「夏の川を詠んだ」作品として紹介されています。 亀の子 子亀飼ふ太郎次郎とすぐ名づけ 皆吉爽雨 夏木立 夏木立伊豆の海づらみえぬなり 大江丸 井にとゞく釣瓶の音や夏木立 芝不器男 夏の川・夏川・夏河原 夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村 付 渓川の身を揺りて夏来るなり 飯田龍太 【後記】
入選句について「気負いのない作品の良さ」が話題になりました。愛唱句の条件でしょう。万人に愛されるといえば、前回の句会報の後記で取り上げた「馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉」。ふうふう息をつきながら馬に揺られている作者・芭蕉翁が浮かんで、微笑みを誘われます。実は縦書きで紹介したかったのですが、この句会報はスマホに合わせているので、ほとんどが横書きです。最近買った本、『松尾芭蕉を旅する:英語で読む名句の世界』では、著者ピーター・J・マクミラン氏が以下のごとく英訳していました。
Ambling on a horse
through the summer countryside―
Feels like I'm moving through a painting. これなら横書きがふさわしい、芭蕉の旅がアップデートされたように感じます。ところで俳句はなぜ縦書きなのでしょう。思わず膝を打ちたくなる答が、恩田侑布子の新著『渾沌の恋人(ラマン):北斎の波、芭蕉の興』に載っております。ぜひ、ご一読のほど賜りますよう。
(田村千春) 今回は、入選1句、原石賞3句、△4句、ゝ7句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 6月5日 原石賞紹介 【原】清流浴鮎に私にプリズム光
海野二美 【恩田侑布子評・添削】 「森林浴」という言葉があるので、「清流浴」と言ってみたくなったのでしょう。しかし、「鮎」は清流にしかいない魚ですから、念押しは野暮です。それに引き換え中七以下「鮎に私にプリズム光」は素晴らしいフレーズです。清流に潜った人の臨場感あふれる措辞です。ここを最大限生かすには、上五はあっさり動作だけにする方がいいです。それこそ清らかな水と一体化する感じがしますよ。 【改】泳ぎゆく鮎にわたしにプリズム光
【原】野糞すや旱の牛に見られつつ
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 「旱の牛」で野外ということが十分にわかります。「野糞すや」は俳諧味を狙ったとしても強烈でくどいです。「くそまる」といういい措辞があります。 【改】糞りぬ旱の牛に見られつつ こうすれば、恥ずかしさと、開放的な気分がともに表現されます。旱の牛との共生感覚が立ち現れ、光彩陸離たる野糞のインド詠に早変わりです。

2022年5月8日 樸句会報 【第116号】 ゴールデンウィーク後半は好天続き、駿府城公園を彩る木々の目映さに句会への期待がふくらみます。今回の兼題は「初夏」「柏餅」「薔薇」――これらを耀わせるのもまた新緑ですが、風土によって「みどり」のイメージには揺れが生じ得ます。さらに、その時の心持ちにより、感じ方は変わってくるでしょう。まず自らの心に映る色をみつめることが、季節の息吹を捉え、体験や実感を作品として結実させる大切な一歩になると思いました。 入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ○入選
睡蓮をよけ水牛の浸かりをり
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 まさに正統的インド詠。睡蓮と水牛が共生している大空と水と大地の匂いがします。日本ではとてもできない句。「をり」の措辞はおうおうにしてたるみをもたらしますが、ここでは水牛の体躯の量感と存在感を表して盤石です。作者自身の野生味も充分に発揮されています。 【合評】 大きな景色。睡蓮をよけるのがまさか「水牛」とは。一気に意識が異国へと飛ばされる。
芹沢さんの句でしょう。私もかつては仕事でインドを旅していました。睡蓮と来れば、北インドのルンビニ辺りを思い出します。
【原】初夏や青菜でくるむ握り飯
都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】 塩漬けした青菜を広げてご飯を包む、シンプルな青と白の握り飯と、「初夏」の季語の颯爽とした健康感とが映発します。ただ一つ惜しいのは、「さあ、野山に出かけるぞ」という意気込みが、中七の「で」でくじけ、濁ってしまうことです。この一音を透き通らせましょう。 【改】初夏や青菜にくるむ握り飯 【合評】 いかにも美味しそう。
菜漬け(冬の季語)でくるむ熊野のめはりずしが浮かぶ。また「青菜」を春の季語としてとっている歳時記もあり、人によっては冬や春の句のほうがしっくり来るかもしれない。
今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。 初夏・初夏(はつなつ) 酔うて候鋲の如くに星座は初夏 楠本憲吉 はつなつの日蓮杉の匂いかな 夏石番矢 薔薇・薔薇(さうび) 風きよし薔薇咲くとよりほぐれそめ 久保田万太郎 星わかし薔薇のつぼみの一つづゝ 久保田万太郎 薄暮、微雨、而(しか)して薔薇(さうび)白きかな 久保田万太郎 まどろみにけり薔薇園に鉄の椅子 恩田侑布子 サンダルの紐喰ひ込んで薔薇の園 恩田侑布子 夜の薔薇指に弾いて帰らんか 恩田侑布子 瞑りても渦なすものを薔薇とよぶ 恩田侑布子 【後記】
句会に参加するうち、選句眼がだんだん磨かれてきたような気がします。とはいえ自分の句となると未だにわかりません。とりあえず気に入りの句を出し、師や句友に披露する喜びに浸っていたのですが、それだけで満足してはいけないという思いはありました。先月、その師匠による評論集『渾沌の恋人(ラマン)』が上梓されたことは僥倖でした。日本人の美意識の淵源を示す芸術作品と共に、究極の俳句が挙げられているから。その中に、芭蕉の次の名句があります。
馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉 「夏野」というのも「新緑」と同様、さまざまなイメージで詠まれている季語。これもとびきりユニークな作品といえます。学者の考証によれば、実は画賛の句であったとのこと。しかし、オノマトペに「蹄の音や馬上に揺れる動きを感じさせるリアルな身体感覚の裏打ち」を見出した恩田は、「草いきれの夏野をゆく田夫に自己を投影したところにあたたかな俳味がある」と述べ、先入観なしにこの句への解釈を加えており、共感を覚えました。俳聖は目線を低くしながら、のちの世の私たちに「夏野」の本意を伝えてくれたのですね。これから青々と広がる野に佇むたび、芭蕉翁の姿をさがしてしまう予感がします。
(田村千春) 今回は、入選1句、原石賞1句、△2句、ゝ6句、・12句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 5月25日 入選句紹介
○入選
麻酔からとろり卯の花腐しかな
見原万智子 【恩田侑布子評】 麻酔から醒めて手術室から病室に戻ったところでしょうか。やれやれ無事に終わったなと安堵する一方で、身体にメスが入ったあとの微熱感や気だるさ。昨日も一昨日も降っていた雨が今も音もなく振りこめています。病窓から遠い垣根には白い花が咲いているような、いないような。ぼわわっと雨に煙っています。わけもなく茂りゆく新緑と、病にかかわる人間の時間とが、「とろり」の措辞でごく自然に卯の花につながれます。物憂い時間の谷間に、飛沫を思わせる白く粒立つ花が、雨の銀鈍色と緑の中に浮かび上がり、切字の「かな」をやさしく響かせています。

2022年4月3日 樸句会報 【第115号】 三月末、ソメイヨシノが満開になったと静岡地方気象台の発表があり、四月一日から三日間行われる静岡まつりにおいては、大御所花見行列も三年ぶりに復活しました。これは徳川家康が家臣とともに花見を楽しんだ故事にちなみ、装束姿で市民らが市街を練り歩くものです。あいにく本日は荒れた天気となりましたが、句会の始まる頃には風もおさまり、駿府城公園より遠からぬ会場に祭りの賑わいが伝わってきました。 入選3句、原石賞1句を紹介します。 ○入選
おほぞらの隅を借りたる花見かな
古田秀 【恩田侑布子評】 花見に行くと花筵をどこに敷こうか迷います。コロナ前の都会では、夜桜見物も午前中からブルーシートの陣地取りが行われたものでした。この句はそうした常識を一変させます。地面ではなく、「おほぞら」を、しかもその「隅を借りる」というのです。「大空」と漢字にしなかったのも神経細やかです。やわらかな春の空気と水色の空、溶けるような花の枝々が目に浮かびます。ほんのひととき、空と花から安らぎを得て、また花なき空に向かうわたしたち。人間は旅人なんだよと、やさしくささやかれる気がします。 【合評】 私などが花見をする時は、ついつい自分たちのグループが世界の中心にでもいるような気分になりがちなので、作者の謙虚な姿勢には目を開かれました。
視点を空に、というところ、俳味もあり、大きな景が心地好い。
○入選
花月夜影といふ影めくれさう
田村千春 【恩田侑布子評】 「花月夜」は、五箇の景物にかぞえられる花と月を合わせもつ豪奢な季語です。松本たかしに「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」がありますが、むしろ花月夜の影といって思い出すのは、原石鼎の名句「花影婆娑(ばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月」でしょう。たぶん作者の想念の中にある本歌もこの「花影婆娑(ばさ)と」ではないでしょうか。そこに加えた「影といふ影めくれさう」という初々しい発見が出色です。石鼎の漢文調の雄渾さに比して、この句は女性的な口調のやさしさを持ち味とし、溶けてなくなりそうな幻想美がモダンです。たかしと石鼎を踏まえながら、新しい春の感触をかもし出すことに成功しています。 【合評】 「めくれさう」という表現の妙。次に桜の花びらが散る姿を見ると、きっとこの句を思い出してしまいそうです。
感性が先行している。「めくれさう」でなく、もっと言い切ってほしい。
○入選
掌にのる春筍のとどきたる
前島裕子 【恩田侑布子評】 今年は寒さが長引き雨も少なかったため、筍の表年とは名ばかりです。わが茅屋の竹藪もひっそり閑として、歩いてもまだ気配すらありません。店頭には皮付き筍が眼の玉の飛び出る値段で申し訳程度に並んでいます。そんな折しも、親戚あるいは友人から掘り立ての土つき筍が届きました。茹でて皮を剥くと掌に包めるほどの小ささ。姫皮の肌の柔らかさと可憐さに、料峭の竹林を踏みながら探し当ててくれた筍掘りの名人の姿が浮かびます。 【合評】 嬉しいお裾分けですよね、羨ましい。小さいのがまた美味しいのです。まさしく春のよろこび。
手で大切に包み込みたくなる。「ル、ル」の響きも楽しい。温もりの感じられる作品。
【原】春星を食べ尽くさむとやもりかな
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 面白い、そして新しい句です。家の窓に張り付いている蛾を狙っている守宮が、実は満天の春星を食べ尽くそうとしている。これこそ詩の発見です。しかし、守宮は夏の季語で、日本では春には出ないので、実態に合いません。常夏の国、南インド在住の芹沢さんの作品とわかれば、現地の空に見える星の名前にするのも一法でしょう。あるいは夏の守宮に焦点を絞るほうが、句がイキイキしそうです。 【添削例】星くづを食べ尽くさむとやもりかな
今回の兼題、それぞれの名句が、恩田によってホワイトボードに書き出されました。 雲雀・春の星・花 青空の暗きところが雲雀の血
高野ムツオ 火に水をかぶせてふやす春の星
今瀬剛一 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり
虚子 またせうぞ午後の花降る陣地取
攝津幸彦 このうち最初の作品が連衆の話題に上りました。雲雀は垂直に上がり、急降下する、縦方向の動きが顕著な鳥、見ている側もどちらが天とも地ともつかなくなり、切なさを覚えます。恩田は「繰り広げられる詩的現実の緊密さ、これこそが現代俳句」と評しました。 【後記】
原石賞句はインドに赴任した会員の作品ですが、日本とかけ離れた環境に身を置きながら、「水が合った」というにふさわしく、秀句を立て続けに披露しています。考えてみれば、インド洋上を大移動するアジアモンスーンにより梅雨をもたらされる我が国、彼の国とのつながりは深いのでした。「皆さんの花の句を読み、日本に春が来ていることを実感しています。二年前に日本でコロナ禍のため家に籠っていた頃、飽きるほど眺めていたはずの桜ですが、こうやって離れてみると、すぐに恋しくなってしまうものなんですね。また俳句や季語に親しむことで、日本の季節の移り変わりに敏感となるだけでなく、海外の季節にも敏感になれている気がします。これほど自然に目を向け、身体感覚に訴えかけてくる文芸が他にあるでしょうか」とのコメントに、肯くことしきりです。
(田村千春) 今回は、入選3句、原石賞1句、△5句、ゝ6句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 4月27日 樸俳句会 入選句・原石賞紹介
○入選
サリーごと子ごと浴びたる春の波
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 匿名の数多い作品の中にこの句があれば、国内でサリーを着たインド人とその子を見て詠んだ句かと思い、意味がよくわかりません。しかし四月からインドに赴任した芹沢さんの作とわかればピンときます。「インド着任」の前書きさえあれば、どこに出しても恥ずかしくない特選句になりました。インドの大地が句に大きな息を吹き込みます。サリーの赤や緑の原色を纏う赤銅色の肌と、その胸に抱かれる幼子がともにベンガル湾の春の波を浴びています。たぶん作者もご家族と一緒でしょう。この「春の波」の季語は、従来日本で詠まれたものと違って、大陸の陽光を宿しています。よろこびと生命力に溢れる力強い俳句です。
【原】もづもづと這ふ虫をりて春落葉
益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 春落葉をよくみています。「もづもづと」のオノマトペが出色です。この句は「もづもづと這ふ虫」と「春落葉」ですでに出来上がっています。「をりて」が言葉数を埋めるつなぎめいていて気になります。 【改】もづもづと腹這ふ虫や春落葉 這う虫も春落葉も、春の地面までやわらかに生動しはじめます。
【原】春暑し彼方(をち)に研屋の拡声器
前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 「春暑し」は晩春の季語ですが、地球温暖化のせいでしょうか、近年の日本の春は仲春からこの通り、いきなり夏になるようです。包丁の研屋さんは昔は店を構えていましたが、今は軽自動車からスピーカーを流しっぱなしにして住宅街を回ります。せっかく面白い発見を、無機的な「拡声器」で締めるのは感心しませんし、もったいないです。 【改】春暑し「とぎやァい研屋」近づき来

2022年3月23日 樸句会報 【第114号】 今回の兼題は「彼岸」「卒業」「青饅」――まさに彼岸のさなかの句会となりました。春分を迎える頃に冷え込むのが常とはいえ三月中旬の寒さは例年以上に厳しく、北日本は豪雪に覆われました。さらに十六日には福島沖を震源とする烈震が発生し、亡くなられた方もいらっしゃいます。被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。 特選句1句、入選句2句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選
富士山の臍まで白き彼岸かな
塩谷ひろの 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「彼岸」をご覧ください。
↑
クリックしてください ○入選
卒業式音痴の友は右隣
島田 淳 【恩田侑布子評】 清新な希望をうたったり、厳かであったりする「卒業」の俳句としてはかなりの異色作です。卒業式で隣にいる親友が、最後の歌声を張り上げます。またしてもいつもの音痴ぶり、自分もついつられそう。オッと、こいつはもう明日からは隣にはいないんだ。そう気付いた時に、おかしさの中に込み上げる、今日を限りに会えなくなる別れの神妙さ。さびしさと笑いがないまぜになった感情の微妙さ。この「音痴の友」の盤石の存在感はどうでしょう。なんとも人間味あふれる俳句です。 【合評】 調子っ外れの歌も、もう聞けなくなると思うと価値を再認識する。誰よりも仲の良い友人なのだろう。
ただ感傷的なだけではない、こんな切り口で卒業をとらえるとは、面白い。
○入選
ふるさとをとほざける地震雪の果
前島裕子 【恩田侑布子評】 ふるさとの山河を子どものころのように伸びのびと歩き回りたい、老親と春炬燵を囲んでゆっくりくつろぎたい。いつも胸の底にある願いは、またもや東北を襲った震度六強の地震に打ち砕かれました。三・一一以来、岩手に生まれ育った作者の望郷の念は強まるばかりです。座五に置かれた「雪の果」は、暖国に生まれ育った私には想像を絶します。垂れ込める雪空の長い冬が終わったと思いきや、また冴え返りふりしきる雪。春の終わりを告げる「雪の果」のなんと切ないこと。
【原】卒業歌止み数秒のしじま在り
猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 数多い学校行事のなかで、最もゆったりと進行するのが卒業式。全員起立して歌う卒業歌では、いつものお茶目はどこへやら、感極まって泣く子も少なくありません。その荘重な歌が止んだ後の静寂に思いを寄せる句です。惜しむらくは「止み」「在り」で説明臭が出てしまいました。万人の胸に畳まれた卒業式の講堂の空気感は、まさに「しじま」に任せたいものです。 【改】卒業歌止みたる数秒のしじま 【合評】 そういう雰囲気でした。音が止み、間をおいて次の音が、保護者席からパラパラ拍手が起きたりする。見守る側の優しい視線も感じられる。
その一瞬に何を思う。
【原】失敗せむ卒業からの迷ひ道
海野二美 【恩田侑布子評・添削】 原句ではなんのことかわかりませんでした。句会で「小さい時から優等生の子は小さくまとまって口うるさいが、出来の良くなかった子は卒業後面白いように伸びる」という作者の弁を聞き、同じ脱線組の私には腑に落ちるものがありました。一字変え、命令形にすれば、ユニークで裕か、おかしみあふれる人生讃歌になります。 【改】失敗せよ卒業からの迷ひ道 【合評】 現状は学生時代の志や理想とかけ離れているのだから失敗してもかまわないという気づき、積極的に足掻き抜いた果てにあの日の理想に近づけるかもしれないという希望、を感じます。
高校を卒業以降、自分の辿った道には悔いもある。でも「迷ひ道」との言葉に、「あれはあれでよかったのだ」と許された気持ちになった。あたたかく背中を押してくれる作品。
【原】四方山に飛ぶ燕をくぐりけり
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 二〇二二年三月、作者は建築の仕事でインドに着任、南アジア大陸での獲れたて俳句です。作者の弁には「インドで大量の燕が低く乱れ飛ぶ様を見て、世間という意味も含まれる『四方山』という言葉を引っ張ってきましたが、適切なのか不安になっています」と正直に書かれています。実は、単独で掲句に向き合ったときは〈八方へとぶつばくらをくぐりけり〉と日本の河空を高く飛び交う燕の情景に添削してしまいました。しかしインド大陸詠であれば、「大量の燕が低く乱れ飛ぶ」エキゾチックな状況を生かすべきでしょう。 【改】ここかしこ飛ぶ燕をくゞりけり
【後記】
本日は、国会において、ゼレンスキー大統領のオンライン形式での演説が行われました。振り返ると、先月の二十四日からロシアによるウクライナ侵攻が始まり、翌日には北東部でクラスター弾攻撃を受け、幼稚園に避難していた子供が犠牲となっています。その報道に、たしか禁止された武器であるはず、と思い、足元がゆらぐのを覚えました。何が現実で何が虚なのか? かけがえのない命に多くの人が手を差し伸べようとする、身近にある社会もいつまた覆されるか知れないのか? 前回の句会を前に、すっかり子供に関係した句しか詠めなくなってしまいました。そんな自分と引きかえ、他の会員はものを見極める目を捨てず、戦車を題材にした四作品も投句されていたことを、ここに記しておきたいと思います。それを読み、私たちの目、耳、手足、心は、気持ちを文字にする自由を守るためにある――そう気づかされました。 (田村千春)
...

2022年2月6日 樸句会報 【第113号】 オミクロン株の急速な感染拡大にともない、2月の樸俳句会は夏雲システムを利用したリモートでの開催となりました。コロナ禍の中、家に籠っていると鬱々としてしまいますが、外に出れば梅が咲き、目白がみどりの礫となって目の前をよぎります。季節は確実に春になっているのに、いまだ人類の精神は真冬のただなかにあるような日々です。
兼題は「氷」「追儺」「室咲」です。 特選句1句、入選句4句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選
首元の皺震はする追儺かな
芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「追儺」をご覧ください。
↑
クリックしてください ○入選
雪掻きの苦なきマンション父と母
前島裕子 【恩田侑布子評】 何十年間も冬は雪掻きの労苦と共にあった両親が、今は老いてマンション住まいに。ようやく雪掻きの苦役から解放されました。安堵感とともに、昔の一軒家での家族の暮らしぶりや、雪の朝、若かりし父母が元気に立ち働いていた声など、こもごもが望郷の思いに呼び起されます。北国の暖かなマンションの一室に、皺深くなった父母が夫婦雛のように福々しく鎮座しているのが目に見えるようです。「苦なきマンション」に雪国の実感があふれます。
○入選
パリパリと氷砕いて最徐行
望月克郎 【恩田侑布子評】 スノータイヤを履いた車が厳冬の朝、凍結した道路や薄く氷の張った山道を進んでゆくところ。中七の「パリパリと氷砕いて」までの歯切れの良さ、フレッシュな若々しさから下五が一転する面白さ。「最徐行」の慎重さが一句に実直な生命感を注入しています。地味な句柄ですが、臨場感いっぱいでユニークな俳句。
○入選
室の花会へばいつもの口答へ
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 温室栽培の「室の花」に暗示されているのは、両親・祖父母に大事にされて大きくなったお嬢さん、お坊ちゃんでしょう。中国の一人っ子政策で長じた青年もこんな感じでしょうか。親元にたまに帰って来れば、すぐさま口答え。一人で大きくなったと勘違いしているようです。てっきり子や孫を詠んだ句と思ったら、なんと作者は三十代の若者。自分を客観視して「室の花」と自嘲しているのでした。そこにこの句のシャープな切れ味があります。 【合評】 ぬくぬくした環境は人の甘えを誘いますね。甘えもあって、つい大切な人に口答えしてしまう光景が思い浮かびました。そのあとに少し後悔してしまうところも。
○入選
割れ残る氷探しつ通学路
島田 淳 【恩田侑布子評】 暖国の小学生の冬の登校路が活写されました。静岡は氷の張ること自体が珍しいので、子どもたちはもし、氷が通学路に張っていようものなら、われ先に乗ったり、砕いたりして快哉を叫んだものでした。欠片でもいいからと、キョロキョロ氷を探す小学生のまなざしが、中七の「探しつ」に込められ、イキイキした子ども時代の実感があります。 【合評】 小学生の登校時を思い出します。60年近く前は、人が乗っても割れない氷がありました。「割れ残る氷」を探したということは、ずっと後の世代の方なのですね。
水たまりに氷が張っていれば踏んで遊ぶのが小学生というもの。わざわざ「探し」てまで氷を割りたがるのが可愛らしく、面白いです。
【原】打ち砕く氷や告白を終へて
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 若者ならではのやり場のない思いと力の鬱屈を同時に感じます。「終へて」で終えない方がいいでしょう(笑)。語順を替えて、 【改】告白を終へて氷を打ち砕く こうするとやり場のなさが力強い余韻となって残ります。しかも打ち砕かれた氷の鋭いバラバラの光までもが見えてきそうです。
【後記】
3月9日に本年度の芸術選奨が発表され、堀田季何さんの第四詩歌集『人類の午後』が文部科学大臣新人賞を受賞しました。受賞作の中の一句<戦争と戦争の間の朧かな>は、戦争を人類史に永続するものと捉え、平和はその狭間に仄かに点在するものだという、人類世界の本質を深く抉るような句。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが連日取りざたされている中、平和を希求する言葉を持ち続けることの大切さを思い知らされます。(古田秀)
今回は、◎特選1句、○入選4句、原石賞1句、△5句、✓シルシ8句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 2月23日 樸俳句会
兼題は「バレンタインデー」「白魚」「蕗の薹」です。
特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選
からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる
林 彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。
↑
クリックしてください
◎ 特選
蕗の薹姉の天婦羅母の味
金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。
↑
クリックしてください ○入選
バレンタイン忘れて過ぎる安けさよ
望月克郎 【恩田侑布子評】 少年時代からバレンタインは、ドキドキしたり、うれしかったり、淋しかったり、めんどうだったり。まあ、今となっては、ドタバタ劇のようなもの。そんなことにはもう煩わされない。「忘れて過ぎる安けさよ」に、いい歳を重ねたものだ、という自足の思いが滲みます。言えそうでいえないセリフは大人の俳味。さらにいえば、文人の余裕が仄見えます。
○入選
鶏を煮る火加減バレンタインデー
古田秀 【恩田侑布子評】 チョコレートを異性に贈る「バレンタインデー」に、「火加減」を気遣って「鶏を煮」ていることに、まず意外性があります。チョコレートの他に、こってりした骨付き肉のワイン煮やトマトソース煮をいそいそと作って、やがて仲睦まじい晩餐が始まるのでしょう。勤めを終えた恋人が今にもマンションのドアを叩きそう。俳句の重層性を持つ大人の句です。作者はきっと恋愛の達人でしょう。
【原】飯場にて女湯は無し蕗の薹
見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 「飯場」は鉱山やダムや橋などの長期工事現場に設けられた合宿所。そうした人里離れた労働現場に咲く蕗の薹の情景には手垢がついていません。しかもそこには「女湯」がない、という内容も、蕗の薹を引き立てて清らかです。素材の選定で群を抜いた句です。惜しいたった一つの弱点は「にて」。のっけから説明臭が出てしまいました。この句の内容である早春の山間の男だけの空間の清しさを出すには、助詞一字変えるだけでOKです。 【改】飯場には女湯は無し蕗の薹
【原】飲むやうに食ふ白魚の一頭身
塩谷ひろの 【恩田侑布子評・添削】 「白魚の一頭身」は素晴らしい発見。そのとおり、白魚の胴体にはくびれも節もありません。「一頭身」によって、言外に黒い二つの眼も印象されます。惜しむらくは、五七六の字余りがリズムをもたつかせて終わることです。ここは定型の調べに乗せて、すっきりとうたい、勢いをつけましょう。喉を通ってゆくのが感じられる特選句になります。 【改】しらうをの一頭身を呑み下す

2022年1月9日 樸句会報 【第112号】 2022年(令和四年)の初句会。和服で参加された方もいらっしゃいました。
句会に先立って、新年お楽しみ福引会が行われました。恩田は染筆の短冊と特注の短冊掛のセットを出品し、ホテルのスイーツバイキング券や、竹久夢二のハンカチーフセットなど、夢のあるものが沢山。思いがけないものが当たって喜ぶ顔があちこちに…。
句会冒頭、第12回北斗賞準賞(文學の森主催)に輝いた古田秀さんへ恩田から花束が贈呈されました。恩田からの激励、会員の大きな拍手、当会で最も若い古田さんの今後への決意、と華やかな新年句会になりました。 初句会の兼題は「新年」詠です。
入選2句、原石賞2句を紹介します。
○入選
雑煮膳娘と二人ほぼ無言
望月克郎 【恩田侑布子評】 親一人娘一人。片親の家族でしょう。お互いに「明けましておめでとうございます」とも言わないで、ただ黙って親のつくったお雑煮を黙々と食べています。胸の底では美味しいと思って、ありがたいような気がして。「膳」なので、いろどり豊かなお節料理も並んでいそうです。「ほぼ無言」が実にいい座五です。至って地味な作行に静かなお正月のしみじみとした味わいがあります。「雑煮椀」とせず「雑煮膳」としたところ、ある種の華やぎもあり、配慮が細やか。
【合評】 お正月、娘さんと向かい合っている様子が伝わってきます。これが「息子と」だったら全然違ったものになるでしょう。
○入選
叱られたしよ筆圧つよき師の賀状
山本正幸 【恩田侑布子評】 勢いのあふれる初句の七音です。一気に真情を吐露したゆえの字余りは心臓が脈打つようでいいですね。先生の字の太くて強い筆圧は、作者にとって指導の厳しさと温かさにつながっています。師弟の間の愛情が一枚の賀状を通して確かに感じられる俳句です。
【合評】 上五の字余りが気になりました。
気持ちは伝わるが、余り新しさは感じられなかった。「先生に叱られる」という関係性がベタ。
熱血教師だったんでしょう。
【原】癖字ある友の賀状はもうこない
益田隆久 【恩田侑布子評】 ユニークな新年の俳句です。実際に会えない年はあっても、毎年、お正月には何十年も賀状で会っていた旧友です。その賀状には昔から独特の癖っぽい字が踊っていて、名前を見なくてもアイツだと、一目でわかったものです。今年の賀状の束は、めくってもめくってもアイツが出てきません。改めて本当に遠いところに行ってしまった実感がこみ上げます。ただし「癖字ある」は不自然な言い回しです。また、「友」と限定しない方が効果的でしょう。原句の口語を生かし、 【改】癖つよき文字の賀状はもう来ない こうすると余白がひろがります。 【原】凧はらからの声束ねつつ
田村千春 【恩田侑布子評】 面白い観点です。ただし、このままではリズムが弱々しく凧が落ちてきそうです。 【改】はらからの声束ねつつ凧 とすると、大空に凧が昇ってゆきませんか。
【合評】 光景がよく見えます。
下五の「つつ」と言い止して上五に返っていくところがいいと思います。
いや、「つつ」は流しすぎでしょう。
「はらから」がタコ糸の強さと合っている。
全体主義的、民族主義的なにおいを感じて採れませんでした。
[後記]
新年から活発な議論が飛び交い、いきなりトップスピードに乗った樸俳句会。
恩田の鋭く丁寧なコメントが議論を引き締めます。その一端は本句会報の恩田講評にあらわれています。句の弱点を指摘されることは参加者にとって励みになることです。
私事ですが、句作を始めて今年は8年目に入ります。以前の句と比べるとたしかに技法は上がったかもしれませんが、発想や視点などについては「自己模倣」に陥りがちであることを痛感しています。「自己模倣」から如何に自由になるかを今年の課題としたいと思います。
新型コロナウイルスのオミクロン株の感染者が急増して、いろいろなことの先が見通せません。県外の会員も含めたフルメンバーで句座を囲めることを只管祈る年始めです。 (山本正幸) ※ 樸会員によるアンソロジー「2021 樸・珠玉集」はこちらで読むことができます。 ※ 古田秀さんの第12回北斗賞準賞のお知らせはこちらです(恩田による抄出二十五句あり)。 今回は、〇入選2句、原石2句、△9句、ゝシルシ10句、・4句という結果でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 1月26日 樸俳句会 入選句および原石賞を紹介します。
○入選
明け番や雑木林のライト冴ゆ
山田とも恵 【恩田侑布子評】 作者は宿直や警備などの夜勤が明けて家に帰る途中です。里山の道か雑木林の中を通る情景にポエジーがあります。曲がり角でクヌギや楢や椎の寒林にヘッドライトがさあっと差し込み、ことのほか青白い氷のように感じられた瞬間でしょう。スピード感のある光が冴え冴えと体性感覚に迫ります。「明け番」も「夜勤明け」などに比べ手垢がついていません。 【原】白さにも濃淡のあり冴えかへる
猪狩みき 【恩田侑布子評】 素晴らしく鋭い感性です。しかし、このままでは感覚の鋭さだけが主人公になってしまい、何もみえてきません。抽象的です。読者の目の前に白いものを広げて見せてください。紙や車にする手もありますが、布がいいのでは。雪では即きすぎです。 【改】白き布濃淡のあり冴えかへる 和服屋の店先で、白い絹を選ぶ時の微妙な白の濃淡と手触りを想像してもいいですし、花嫁衣装の白無垢を選んだ日の体験ととれば、さらに凛烈な印象を刻みましょう。「布」のほかはいわぬが花。 【原】家猫の帰宅はいまだ日脚伸ぶ
都築しづ子 【恩田侑布子評】 猫好きな作者は、あいつまだ帰ってこないよと、愛猫を待つともなく待っています。季語と相俟って、さりげない感情の襞が表現されかけていますが、「帰宅はいまだ」と「日脚伸ぶ」がやみくもにぶつかった感じで、嬉しいのか寂しいのか少し不安定です。一字変えればはっきりと切れが生まれ、感情の筋目がつきます。 【改】家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ 猫をうべなう気持ちが出て、句柄が膨らみますね。 【原】寒鯉や人待ち顔の紫煙かな
島田 淳 【恩田侑布子評】 作者は寒鯉のいる池か小川のほとりで人を待っています。所在なげに煙草を燻らせて。「紫煙」の措辞が効果的です。いかにも寒い日の午後を思わせます。水の中でじっと動かない鯉と人を待つ作者はあたかも同じ感情の中にいるように感じられます。水と空気と煙と衰えた日差しが薄い紫の帯になって棚引いています。いただけない点は「や」「かな」の初心者的二重の切字。落ち着きを無くしています。 【改】寒鯉に人待ち顔の紫煙かな こうすれば冬の午後が寒暮へうつろう様子も見えてきます。 【原】月冴えてカラカラ外れゆく琴柱
田村千春 【恩田侑布子評】 琴柱は今はプラスチック製ですが、昔は象牙や楓の枝で作られました。この句は江戸の浦上玉堂を思い出させます。岡山の上級藩士でしたが、五十歳で息秋琴と春琴を伴い脱藩。諸国を遊行しつつ中国伝来の七弦琴を奏し書画を残しました。中国文人の愛した「琴詩書画」四絶一致の境に達した日本を代表する文人です。川端康成が収蔵し国宝となった「凍雲篩雪図」は必見です。この句には玉堂を思わせるどこか脱俗の雰囲気があります。ただし、表現技法が叙述形態で流れるのが残念です。また「外れゆく」と、琴を人任せなのも気になります。 【改】月冴ゆとカラカラはづしゆく琴柱 寒月がいよいよ冴えわたると、琴を掻き鳴らすのをやめ、あとは山月にまかせます。琴柱を外したあとの琴の弦が寒月光に浮かび、余韻が深まります。

二〇二一年・樸・珠玉作品集 (五十音順) iPhoneは禅に生まれし冬うらら 恩田侑布子 HAIKUPhoto
火と土の匂い
恩田侑布子 今年もリアルとリモート両用の樸(あらき)俳句会の珠玉かつ異色の作品が揃いました。2021年というコロナ禍にあっても、俳句を伴走者に日々新しい気づきに恵まれたことは幸せでした。地方都市に住む者の自粛期間は、海山川のいのちと語り合い、句作を楽しむゆたかな時間。日本の毛細血管の血流のすこやかさでした。
多様性(ダイバーシティ)がいま国内外で叫ばれています。当会ではそれをすでに実現出来ていることに胸を張れます。齢は80代から31歳まで、住まいはエチオピアから名古屋まで。生い立ち、教育、職業、家庭のまったく違う来歴の持ち主が、何のわだかまりもなく好きな俳句の解釈と批評に熱くなれます。それはかけがえのない時間。そうした中から立ち上がった俳句は、誰の真似でもない、ひとり一人の足元にある火の匂い土の匂いを持っています。それこそが樸俳句会の特色です。
以下の作品中には恩田の添削句も含まれますが、座の文芸である俳句において、改作は原作者にお返しします。
昨年の恩田は微恙続きでした。本年は温かい仲間とともに健康第一に、三月の第二文芸評論『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社刊)と、秋の第五句集開版に向かって全力投球いたします。
こじんまりした会のなか、次代を切り拓く若者が育っているのもうれしいことです。願わくは、志ある若手の層を厚くし、新たな俳句の潮流をともに生んでゆきたく存じます。
ご訪問いただいている皆さまにおかれましても、およろこび多い年になりますよう心からお祈りしております。ご高覧ありがとうございます。 福引をひく七色のひかりかな 恩田侑布子 HAIKUPhoto
猪狩みき 湖出づる川のさざめき柳の芽 遠雷や大陸を象大移動 雨に濡るる牛と見てゐる大花野 《ねむっているもの》
先日の句会での拙句“ほそ枝のふるへ 映せる白障子”を読んで、恩田先生が “冬の水一枝の影も欺かず(中村草田男)”を思い出したとおっしゃった。この句はとても好きな句なので、それが話題に出てきたことが嬉しかった。作るときに草田男の句はまったく頭に浮かんではいなかったけれど、自分の中のどこかにその見方や表現の仕方が残ってはいるのかもしれない。知らず知らずに自分の中に残っているもの、眠っているものが引き出されてしまう句作を怖いともおもしろいとも思っている。
海野二美 探梅や独り上手の万歩計 向日葵や強情は隔世遺伝 夏草を漕ぎ湿原の点となる 《樸の強み》
恩田先生が無事に回復なさり、コロナ禍に於いても我が樸は喧々諤々(?笑)忌憚のない楽しい句会を重ねることができました。今年最後の句会の折り、先生が皆様個性的な作句が出来るようになって来たと言われましたが、そもそもオールオッケーというか、先生が自由な作句をお許しくださっているからで、今回は花鳥諷詠、たまには時事俳句と会員は想像の翼を拡げて句作ができているからではないでしょうか・・・。
それが一番の樸の強みだと思っています。 金森三夢 職辞せる妻の小皺のあたたかし 下駄ひとつ九月の汀ただよへり 猪鍋や夫婦和合の合わせ味噌 《谷あり谷あり》
樸句会に入会し2年が過ぎた。谷あり谷ありで毎回冷や汗を流しつつの苦会(句会)だが、能力に秀でた連衆とビギナーズラックに支えられ何とか休むことなく励んでいる。恩田氏から「作風が変わった」と評して戴き、少しだけ小さな胸を撫で下ろしている。憧れの岩波文庫に執筆の依頼を受けた辣腕の師に受ける叱咤激励が心を満たし、今年は<自分にしか詠めない句を分かりやすく>をテーマに悪足掻きを続けたい。 塩谷ひろの 鉄板の足場ひびけり梅雨夕焼 椎茸を干すおとついの新聞紙 猫を撮る落葉に膝を湿らせて 《いたまきし》
俳句ブームの折、二年ほど前からネットなどで「いたまきし」という俳号で投句し始め、たまに選ばれると一喜一憂していました。そのネット上の常連の方が樸句会の方だと知り、勇気を出して地元静岡の俳句の会に入ることにしました。欲張りなもので今では句会だけでなく吟行をしてみたいと思っています。 島田 淳 一列に緋袴くぐる茅の輪かな 春の月財布も軽き家路かな でで虫や己が身幅に道を食み 《俳句とパワハラ》
昔私がお世話になった上司は、今で言う「パワハラ」気味の人と恐れられていた。私とは気が合ったのは、仕事についての考え方が共通していたためであろう。そこで私は、上司の意図を相手に丁寧に説明して回った。おかげで私は「話の長い人」の異名を頂戴することになった。
俳句は、自分の感動を十七音で伝えなければならない。伝わらないのは表現が未熟だからである。いわゆるパワハラの中には、伝え方の問題に起因するものも少なくない。そして私の「話の長い人」からの脱却も未だしである。 鈴置昌裕 安倍川に異国に慰霊花火降る 踊場にひとり九月の登校日 塾の子のペダルふみこむ小夜時雨 《樸に入会して学んだこと》
7月から入会し、恩田侑布子先生と連衆の皆さんから多くのことを学んでいます。
先生からは、俳人として誠実でなければならないこと、人真似ではない、自分の全体重をかけた句がいい俳句であること、見るとは見られることなど、俳句に親しむ者の基本姿勢を教えられています。
そして、連衆の皆さんからは、人間としての優しさや柔軟性、自己の個性を大事にし、互いを尊重しながら、人生を楽しむ生き方を実感させていただいています。 芹沢雄太郎 胸いだく白きひざしや探梅行 春風の尻尾を掴む夜道かな 春の日や額の高さのよく香る 《海外で俳句に触れる》
2021年に私は海外での仕事を始めて、日本の四季の移ろいの豊かさが相対化される思いがしています。
しかし離れすぎれば実感は遠のくばかり。
そのバランスをいかに保って作句を続けていけるかが、私の本年のテーマとなりそうです。 田村千春 躙口片白草へ灯を零し かへり路迷ひに迷ひ日雷 銀杏落葉ジンタの告げし未来あり 《きらめく河》
樸俳句会HP『久保田万太郎俳句集』コーナーから、書評にトライ。初めての体験である。「千 波留」なる筆名に変えてみて、やっぱり本名でいいか、と元に戻した。その四文字を見返すうち、「でも元の私とは違う…俳句を知らない頃の私とは」という思いが湧いた。美を見出すたびに、喜びに浸る毎日。俳句がもたらしてくれたものは計り知れない。十七音より生まれる光の河を隔てて、対岸に立つもう一人の自分に出会うことができた。 都築しづ子 媼より給ぶ大根の葉の威風 雪女郎来しか箱階段みしり 原つぱへ一人吟行小春かな 《喜びと痛みと》
昨年のクリスマス。 フラ・アンジェリコの受胎告知を見たくなって画集を開く。 数ある受胎告知の中で一番好きだ。フィレンチェのサンマルコ修道院でこの絵に会った時の喜びが甦る。暫く見入って棚に戻そうと重い画集を手に持った時、それは私の力ない指からズドンと落ちて足の親指をしたたか打った。数日後痛みが指先から膝に及び脚が曲がらない。喜びも痛みも呉れる永遠の名画である。
初日影はらわたに底なかりけり 恩田侑布子 HAIKUPhoto
萩倉 誠 レコードのざらつき微か霜の夜 ぷしゆるしゆるプルトップ開く街薄暑 小三治の落とし噺や草紅葉 《退化論》
奈良公園の鹿のごとくタレントの識別ができず、
散歩なのか徘徊なのかの戸惑。常にとりあえずのトイレ。
アイセルとアイフル、同じページを読み返す、誤認と忘却。
などなど、70有余年経て細胞が入れ替わり、「ジジイ」という亜種に退化。
いかんいかん。
介護士のいじめに耐える体力、独力で三途の川を渡る泳力だけは・・・
ということで、週2,3回ジムでお魚になっています。
まてよ、体力が付くということは徘徊が遠方まで・・・ 林 彰 明けやすし夢の続きを探しをり 葉脈は骨格となり朴落ち葉 摩天楼崩れし九月青い空 古田秀 ししむらを水の貫く淑気かな 言はざるの見ひらくまなこ日雷 彫るやうに名を秋霖の投票所 《家族会議》
新型コロナウイルスの蔓延以来久しく帰省しておらず、ついに大晦日に家族でzoomミーティングをすることになった。染めるのをやめて白髪になった親と、背景に映る懐かしい実家の部屋。子ども部屋はもう親の仕事場になってしまったらしい。終わったあとの除夜の静けさの中、今年最後の新幹線が窓の外を過ぎていった。 前島裕子 八橋にかかるしらなみ半夏生 腕白が薫風となる滑り台 めくるめく十七文字新樹光 《来年こそ》
今年も残すところ数日となりました。
一年前の自分のエッセイを読み返してみて、フムフム、
今も同じことを思っている。
コロナ禍の中リアル句会にも参加させてもらっているのに、いい副教材もいただいているのに、自分は・・・。
一歩踏み出したい。
「継続は力なり」という。めげることなく自分らしい俳句をめざしやり続ける。来年も。 益田隆久 朝にけに茶の花けぶる水見色 内づらの吾しかしらぬ障子かな しづけさを午後の障子にしまひをり 《影あってこその形》
吾64歳。若い時を振り返ると、寅さんの口上ではないが恥ずかしきことの数々。坂を上る時には自分の影は見えない。下る時になって初めて、上っている過去の自分の影が見える。当時見えなかった周りの風景も見える。過去と現在はすれ違う。自分の影を直視することは魂の救済になるのかもしれない。久保田万太郎俳句集を読んでいると当時の彼と私とが俳句を通して出会い互いの魂が共鳴する。 見原万智子 目刺焼くうからやからを遠ざかり 瓜揉や食卓に小ぶりの遺影 ひと皿は椎茸の軸慰労の夜 《入れる、抜く》
見原家は舅の代までずっと漁師。魚中心の食生活は味覚が鋭くなるようで、家族に美味しいと言ってもらえるまで何年もかかり、その後も調理に力を入れてきた。だから兼題が食べもののときはつい張り切ってしまう。
ところが恩田先生や連衆に採っていただいたのは、ひとりの気楽な昼餉、実母の簡素な献立、居酒屋の脇役的な一品。どれも力が入っていない。入れたら抜いて、呼吸するように。と俳句の神様が言っているかのようだ。 望月克郎 いつからか夏野となりし田しづか 声高く子らの走るや落葉踏み おでん煮る一人住まいの暖かさ 《俳句を始めて半年》
6月に入会して以来、毎回出される兼題に振り回されるかのような半年でした。燕を観察し、甘酒を作り、里芋を煮転がし、あちこちから空を見上げ、風を感じる。日常の中に新しい発見をいくつも経験しました。 山田とも恵 冬灯落つ階段の会釈かな 急坂や肺いつぱいの夏至ゆふべ 輪廻してまた佇みぬ大花野 《輪廻》
「言葉」とかくれんぼをしている。「言葉」は隠れるのがうますぎる。私は見つけるのに疲れ、つい目をそらして探すのを休もうとしてしまう。しかし、疲れ果てた仕事終わりに見る冬の星や、ふくらみ始めた梅のつぼみの影に「言葉」の気配を感じると、またかくれんぼをはじめる。2022年はもっと多くの「言葉」を見つけ出したいと思う。 山本正幸 短夜や文庫の『サロメ』★ひとつ 雷遠く接種の針の光りけり 人妻の幼馴染と踊るなり 《紙の本》
自選句に挙げたワイルド作・福田恆存訳『サロメ』(岩波文庫)は★ひとつで定価50円。ビアズレーの妖しい挿画に惹かれた。半世紀前、青版の岩波新書もなべて150円だった。学生の懐にやさしかったが、今は昔。先般購入した文庫本は266ページしかないのに何と税込1870円!年金生活者の懐にはきつい。安い古本をネットで渉猟することも屡々。電子書籍版なら手軽で廉価なのか?でも、紙の手ざわりと匂いを愛でつつ、ボクは読み続ける。
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。