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7月22日 句会報告

20200722 句会報上1

令和2年7月22日 樸句会報【第94号】 梅雨明けの好天にいよいよ夏らしさが増してきました。コロナ対策のため窓を開け放ち、大暑の熱気に包まれた句会でした。 兼題は「緑蔭」「木下闇」「瀧」です。 原石賞6句を紹介します。      【原】瀧どどど手話のくちびる濡らしをり               村松なつを 「瀧」の季語に「手話のくちびる濡らしをり」は素晴らしいフレーズ。でも、擬音語の「どどど」は内容にふさわしいオノマトペでしょうか。しかもたいへん目立っています。オノマトペは、詩なら中原中也の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」、萩原朔太郎の「とをてくう、とをるもう、とをるもう」、俳句なら松本たかしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」のように、鮮度とオリジナリティがもとめられます。逆にいうと、オノマトペは斬新な手応えがあったときのみ使えるもので、安易に使うものではありません。そこで一例として、こんな添削案もあります。 【改】朝の瀧手話のくちびる濡らしをり (恩田侑布子) 【合評】 爆音と無音のコントラスト       【原】泡と消ゆ瀧くゞれども潜れども               見原万智子 瀧行というわけではありませんが、瀧遊びをした体験をお持ちの作者でしょう。中七以下に実感があってリズムも夏の太陽にふさわしい健康感です。ただしこのままではせっかくの実感が「泡と消」えてしまいそう。もったいないです。素直に次のようにすると、もっともっと潜っていたくなりませんか。 【改】泡真白瀧くゞれども潜れども (恩田侑布子)   【合評】 「くゞれども潜れども」のリズムが、瀧の中でもみくちゃにされている身体感覚を表現してとても面白い。ただ「泡と消ゆ」という外側からの視点とのつながりがよくわからなかった。        【原】果てなむ渇きくちなしの花崩る               山田とも恵 くちなしの花は散る前に黄変して錆びたようになります。そこに心象が重なってくる大変面白い句です。いい得ない女の情念が匂い立ちます。ただ表現上の「なむ」と「崩る」がもんだいです。「崩る」は散るを意味し、地に落ちたら渇きは終わります。そこでまだ終わらない果てしない渇きを出すために次の添削例を考えてみました。でもお若い作者です。じっくり推敲を重ね、ご自身でさらに句を磨きあげていってください。 【改】果てなき渇きくちなしの花尽(すが)れ (恩田侑布子) 【合評】 七七五のリズムと下五の「崩る」が合っていると感じました。         【原】木下闇的外したる天使の矢                金森三夢 キューピッドの番えた恋の矢が的を外れてしまったようです。うっそうとした木下闇に墜ちた矢はそのまま拾う人もいません。原句は中七の「外したる」がもんだいです。的を故意に外した主体が失恋した作者とは別にいるようです。恋の矢が木下闇に墜落したことだけをいいましょう。印象が鮮明になりますよ。 【改】木下闇的はづれたる天使の矢 (恩田侑布子) 【合評】 外れた矢は闇に吸い込まれて見つかりそうもないし、恋の顛末も気になるし、とってもファンタスティックです! キューピッドを思わせる天使が的を外すというコミカルな感じが良い。       【原】木下闇結界のごと香り満ち                猪狩みき ものの感受に詩人の感性があります。野山に木下闇が出現したばかりの五月下旬は、たしかに何の花の香ともしれず芳しい匂いが立ち込めています。それを「結界」と捉える感性に脱帽しました。ただ一つ惜しいのは句末の「満ち」です。これこそ蛇足。俳句は説明過多になると弱くなり、省略が効くと勁くなります。把握が非凡なのです。自信をもっていい切りましょう。 【改】結界のごとくに薫り木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 「木下闇」が香るという発想に惹かれました。足を踏み入れることを拒む「結界」のようだと。その香りには甘美にして危険なものが潜んでいるのかもしれません。       【原】口紅の一入紅し木下闇                田村千春 日を暗むまで枝々の茂る木陰で、口紅の色彩がひとしお強く感じられたという把握に感覚の冴えがあります。ただ耳で聞けば気になりませんが、視覚的には「口紅」「紅し」の文字の重なりが気になります。次のようにされると「ひとしお」の措辞が生きて、不気味な情念まで感じられませんか。 【改】口紅の色の一入木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 木下闇を舞台装置とした愛欲を感じさせる措辞が良い。 「木下闇」によって紅さに不気味ささえ感じる。       披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を最後まで読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。    ゆく駒の麥に慰むやどりかな    なつ衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず  一句目は甲州を経由して江戸に帰る道中、宿のもてなしに対する感謝を馬のよろこびに託した句。馬が麦畑の穂麦を食む情景を詠いつつ、宿にありつけた自らの姿も重ねている。二句目は「野ざらし紀行」最後の句。長い旅路を終えて深川の芭蕉庵に帰ってはきたものの、旅の余韻に浸りただぼんやりと日々を過ごしているさまを詠っている。旅の衣さえいまだに洗わず放っておいているような、快い虚脱感。 巻末には挨拶句の名手であった芭蕉の、様々な人との交流で生まれた応酬句や、芭蕉を風雅の友として称揚した山口素堂の跋文も寄せられているが、本文中では省略。「野ざらし紀行」は芭蕉が芭蕉になっていく成長段階が濃縮された紀行文であり、「風雅と俳諧の一体化」という芭蕉の文学史上の功績をつぶさに見ることができる。       [後記] アイセルが使えるようになってから3回目の句会でしたが、県外の方はまだ参加できず人数は少なめでした。会場も句会の議論も風通しがよく、自由闊達な意見が飛び交います。今回は複数の句について恩田から「修飾が多いほど句は弱くなる」と指摘がありました。言葉の修飾によって格調や巧さを演出するのではなく、季語との体験を通して身の内に湧き上がる詩情をいかに掬いとるかが大切なのだと痛感しました。小説さえも自動生成できるAI時代にあって問われるものは表現技法ではなく動機です。私たちの心を動かし句を詠ましむるものは何か、今一度振り返るべきだと思いました。(古田秀) 次回の兼題は「裸」「髪洗ふ」です。   今回は、原石賞7句、△1句、ゝシルシ7句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 

6月24日 句会報告

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令和2年6月24日 樸句会報【第93号】 句会場のアイセルがようやく開館。万全のコロナ対策をして、三か月ぶりのリアル句会となりました。 兼題は、「青芒」と「夏の蝶」です。 入選1句、原石賞2句、△4句の中から3句を紹介します。     ○入選  よこがほは初めての貌青すすき                田村千春 女性の恋情がひそんでいます。思う人の横顔をまともに見た初めての瞬間でしょう。青芒のひかりとの配合が初々しく青春性も豊かです。「貌」は相貌のことで人格、風格をあらわすので横顔と抵触するという批評はあたりません。 (恩田侑布子) 【合評】 素敵な恋の句。無駄な言葉が一切なく、「青すすき」で精悍さや作者の視線まで浮かびあがります。 単純な恋の感情を直接言っていない。ありがちでない表現です。         【原】壺の闇へ挿す一握の青芒               村松なつを   上五の字余りで、リズムがだれます。「の」をとれば素晴らしく格調が高い句になります。 【改】壺闇へ挿す一握の青芒 (恩田侑布子)  【合評】 よく分かる情景です。壺の闇は心の闇かもしれない。そこへ青芒を挿しこんで明るくしたのでは…。 「一握の」が効いています。詩があると思います。        【原】黒揚羽朝よりまふ立ち日かな                前島裕子 既視感があるという評もありましたが、実感があります。大切な人の命日に、朝から黒揚羽が庭に来て、打座即刻に口をついて出た句でしょう。原句はやや読みにくく感じられます。アシタよりでなく、「朝より舞へる立日」とはっきりしたほうが、亡き人の気配が返って濃く感じられそうです。   【改】黒揚羽朝より舞へる立日かな (恩田侑布子)  【合評】 立日に黒揚羽。夏の特別な日を感じます。 人の死を「黒」に託すのはストレートで、よくある気がします。     △ 年上の少女と追へり夏の蝶                島田 淳 小説的な結構をもつ句です。頑是ない少年にとって、少しだけ年上の少女は大人びた世界の入り口を垣間見せてくれる眩しい存在でしょう。「夏の蝶」という措辞によって、少女の美貌も匂い立つようです。親戚か、近所の少女か、どちらであっても、容姿の水際立った少女とあでやかな蝶を追った夏の真昼。大型の蝶はたちまち高空に駈け去り、夏天だけがいまも残っています。 (恩田侑布子) 【合評】 少年の白昼夢のようです。 甘い郷愁を誘います。夏休みに東京から綺麗ないとこが来て一緒に遊んだことを想い出しました。        △ 黒南風や日常に前輪が嵌まる               山田とも恵 「日常」という概念のことばを持って来たため、やや図式的ですが、そうした弱点はさておき、この句はたいへんユニークです。浮き上がった後輪に黒南風が吹き付けているブラックユーモア的情景に鮮度があります。「前輪が嵌まる」、端的で俳諧精神躍如。いいですね。 (恩田侑布子)      △ 裸婦像の背より揚羽のおびただし                山本正幸 映像のしっかり浮かぶ上手い句。技巧でつくっているので、ウブな感動に欠けるうらみがあります。 (恩田侑布子) 【合評】 映像の作り方がうまく、「より」「おびただし」の措辞に迫力があります。ただ「裸婦像」は好みの分かれるところではないでしょうか。 「おびただし」が新鮮です。蝶がワッと出た景色ですね。 上手いとは思いますが、なんとなくそれっぽい。手練れになっているのではないか。       披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。    白(しら)げしにはねもぐ蝶のかたみかな  牡丹蘂(ぼたんしべ)ふかく分ケ出(いづ)る蜂の名残(なごり)かな  一句目は杜國に宛てた句。杜國は富裕の米穀商で蕉風の門弟。ただならぬ感性の持ち主だったようだ。文才あり、容姿端麗。この句では白げしを杜國に比している。芥子の白がハレーションを起こし、幻想的である。別離に際して、男への恋心のこもった切ない句であるが、あまりに感情が昂り、かえって分かりにくくなっているきらいもある。 二句目は、芭蕉を厚遇した熱田の旅館主との別れを惜しんだ句である。牡丹は富貴のメタファー。 どちらも贈答句であるが、二句目は「挨拶句」にとどまっている。 芭蕉は感激屋。感情の濃密な人であった。     [後記] いつものようなお互いの顔の見えるロの字型の句会ではありませんでしたが、コロナ禍の自粛生活の欲求不満をぶつけるような談論風発の会になりました。丁々発止。このライヴ感がこたえられません。 本日のひとつの句について、恩田から「決まり切った措辞で構成されていて、パターン化の極み!」との厳しい指摘がありました。句作に際して陥りやすいところだなと自戒しました。特選・入選で褒められるのは嬉しいけれど、なぜ選に入らないのか、句の弱点や難点を教示されたほうが勉強になります。それはそのまま選句眼に直結することを痛感しました。  (山本正幸) 次回の兼題は「虹」「白玉」です。 今回は、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ7句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)        

6月7日 句会報告と特選句

20200607 句会報上

令和2年6月7日 樸句会報【第92号】 コロナによる自粛生活から徐々に活動も戻り始めていますが、会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「早苗」と「五月闇」です。陽と陰、対極にある季語でしたが、どちらも独自の視点に立つ感性豊かな句が多く寄せられました。 特選1句、入選2句、そして△6句の中から1句を紹介します。   ◎ 特選  早苗田は空に宛てたる手紙かな             田村千春  特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています                 ↑             クリックしてください   【合評】 根付きのびはじめた早苗が風にそよいでいるさまはまるで仮名文字、田をうめている。それは、田の神様が空に宛てた手紙のよう。なんて素敵な着眼。 なるほど、早苗が列をなしている田圃は空へ宛てた手紙なのか。とても納得させられる句です。その手紙を読んだ空は、「よしわかった。しっかりお日さまのひかりを浴びてもらうよ、たっぷり雨を降らせるぞ」と決意したに違いありません。天も地も秋の稔りを待ち望んでいます。      ○入選  早苗投ぐ水面の空の揺るるほど                島田 淳 うつくしい早苗田のうすみどりと、水色の空と白雲。そこに今どきの田植機ではなく、手ずから苗を植える早乙女の姿態まで、しなやかな光景が眼前します。丁寧に一株ずつ植えていくので、これは最後の仕上げでしょうか。全体を見渡して、植え残したところを補充するため、早苗を畦から放ったところでしょうか。「空の揺るるほど」が出色で、初夏の野山の青々としたいきおいまで感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 梅雨晴れの朝、黄緑色の早苗が熟練の手で水田に投げ入れられる。一見無造作に見える所作だが、そこに秋の実りへの期待感が伝わって来る。水面に映える青空の輝きと苗の緑の色彩感覚も見事。 懐かしい田植え作業の一コマを素直に切り取る。邪心のない句。     ○入選  早苗舟登呂の残照負うてゆく                金森三夢 登呂遺跡の古代米の早苗を詠まれ、静岡の誇る地貌俳句になっています。「早苗舟」という傍題の選び方も的確です。「残照」が夕焼けの残んのひかりであるとともに、歴史の残照でもあり、千数百年の民族の旅路をはるばると感じさせてくれます。 (恩田侑布子) 【合評】 弥生時代にタイムスリップしたかのようです。登呂の緩やかな地形を感じます。水平方向の視線の先に早苗舟と夕陽が重なり、胸があつくなりました。 夕刻の光と早苗の青々とした色の対比がいいですね。登呂は弥生時代の農耕生活を伝える地。原初の夕映えのなかを早苗舟がすすんでいく光景はまさに一幅の絵です。      △ 来年のおととい君と苺月               見原万智子 六月の満月を「苺月」というのですね。今回初めて知りました。まだ国語辞書には載っていないようです。「来年のおととい」はけっして来ない夜でしょう。好きな相手、たぶん女性を思いながら報われない思いに小さくヤケになっている男心がいじらしいです。ストロベリー・ラブというのでしょうか?この句の作者がおっさんならいいのですが、もしも作者が女性だと、急にナルシシズムの匂いがしてきます。ふしぎですね。 (恩田侑布子) 【合評】 とるか迷いましたが、攻めてる姿勢に一票。「苺月」は先日のストロベリームーンことでしょうか。「来年のおととい君と」という表現が好きです。言語的には正しくないのかもしれませんが、こんな使い方をしたくなる時がある気がします。「来年の今日だと君と過ごしたい日は過ぎてしまっている」という切実さがあります。ただ苺月だと甘く見えすぎてしまうかなと思います。   今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の「神橋」12句(『俳句』2020年新年号)を読みました。 『神橋』12句および連衆の句評は恩田侑布子詞花集(←ここをクリック)に掲載しています。     [後記] 「今回はいつもにも増して、しなやかな感性の匂う素晴らしい作品が多かった」との総評を恩田からいただきましたが、筆者も締め切り時間ぎりぎりまで選句に迷いました。自分にはない発想、感性の句は大きな刺激になります。また、今回も恩田の全句講評および電話での懇切丁寧な個人指導もいただき、なんとも贅沢なネット句会でした。(天野智美)   次回の兼題は「青芒」「夏の蝶」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、△6句、ゝシルシ6句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   

5月27日 句会報告

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令和2年5月27日 樸句会報【第91号】 新型コロナウイルス禍で“自粛”の毎日です。会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「浦島草」と「青葉木菟」です。 △5句を紹介します。         △ 青葉木菟結婚記念日の手紙               芹沢雄太郎 結婚記念日に、夫から妻に、妻から夫に、感謝の手紙をかわされる仲の良いご夫妻でしょう。これがもしも「時鳥」や、季節の違う「梟」だったら、人の世の縁のふしぎさを思わせるこんなファンタジックな味わいは生まれませんでした。山の緑、森の深さが感じられ、趣深く安定感のある作品です。 (恩田侑布子)        △ 草深く眠るボールや青葉木菟               天野智美 ちょっとした郊外の学校や幼稚園のそばの杜には青葉木菟が棲んでいます。私にもそんな思い出があります。野球のボールを山裾に飛ばして見つからなくなってしまったのでしょうか。探しても探しても出てこなかったボールを「草深く眠る」としたところに、作者のこころのあたたかさがにじんでいます。 (恩田侑布子) 【合評】 地上のボール=樹上の鳥。昼の子のざわめき=夜の鳥の声。→初夏の夜の静寂は透明。 春夏の甲子園が消えた今年。ボールは伸び切った雑草の中で眠っている。耳の尖っていないボールのような顔かたちの青葉木菟が涙にくれる球児にやさしく寄り添うような愛おしい景が伝わる。        △ うつし世に糸を流して浦島草               村松なつを 浦島さんは龍宮城のある海底にまで糸を垂らしたいのに、というこころが余白にあります。この雑駁とした現世に糸を流さなければならないあわれがそこはかとなく感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 浦島太郎と一緒に未来へタイムスリップしてしまった草でしょうか・・どおりで珍妙な姿です。うつし世では身を持て余し、釣れないと分かっている糸を流しているのですね。        △ 浦島草おとこひとりの喫茶店                萩倉 誠   意外性があります。一人で行った喫茶店の入り口、あるいはあまり日の当たらない窓辺などに浦島草の鉢植えが置かれていたのでしょう。「おとこひとりの」が出色です。浦島太郎が現代に蘇ったら、だれも連れず一人でふらっと喫茶店に行きそうです。そこできっと海よりも深い懐旧に沈むのですね。ブラックコーヒーを喫みながら。 (恩田侑布子)        △ 浦島草早引けの子の眺めゐる                田村千春   「へー、これって、あの浦島太郎さんの花なの」という小学生の声が聞こえてきそうです。何と言っても「早引け」がくすっと笑わせる俳味があります。浦島さんは乙姫様の色香、そして食欲、つまり五欲に溺れてついつい長居してしまったのですから。 (恩田侑布子) 【合評】 学校を早引けしちゃったんだね。帰り道、浦島草を見つけた。釣糸のように長く細い花軸の先には何があるのだろう。先生も知らない不思議な世界が拡がっているのかもしれない…。そこにいつまでもしゃがみこんでいる子のやさしい眼差しに共感しました。        今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が抄出した「芝不器男 代表二十九句」を読みました。 抄出句及び連衆の句評は 注目の俳人 芝不器男 代表二十九句(恩田侑布子抄出)に掲載しています。   ↑ クリックしてください        [後記] 今回の兼題(浦島草・青葉木菟)。筆者にはほとんど馴染みがなく、どうしたら実感をともなった句が詠めるのか難儀しました。実際にそのモノに接しないとダメなのか?でも、そもそも「実感」って何?「実感」しているワタシって誰?「体験」するとはどういうこと?などと頭の中はもうループ状態。 連衆は兼題に果敢に挑みバラエティに富んだ句が並びましたが、季語の説明に終ったり、即き過ぎだったり…。しかし、恩田の丁寧な全句講評・添削により、無点だった句もどこが弱点かわかり、△以上の句も焦点が定まり、新たな世界が広がりました。 今回で4回目のネット句会。侃侃諤諤のリアル句会が恋しい筆者です。(山本正幸) 次回の兼題は「早苗」「五月闇」です。   今回は、△5句、ゝシルシ8句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   

5月3日 句会報告

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令和2年5月3日 樸句会報【第90号】 青葉が美しく生命力にあふれた季節ですが、今回もネット句会です。本日は憲法記念日。恩田から出された兼題はまさに「憲法記念日」「八十八夜」でした。形のないものを詠むのに苦労しつつも独自の視点に立った面白い作品が多く寄せられました。 入選1句、原石賞1句及び△6句を紹介します。    ○入選  突堤のひかり憲法記念の日                山本正幸 第九条をとくに念頭にした志の高い俳句と思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という理想主義、平和主義を諸国に先んずる「突堤のひかり」と捉え、人類の平和のためにこの理想を失いたくない。胸を張って守って行きたい、という清らかな矜持が滲んでいます。共感を覚えます。 (恩田侑布子) 【合評】  堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。     【原】化石こふ故郷八十八夜かな                前島裕子 作者のふる里は、なんとかの化石の出土地として有名なところで、きっと作者ご自身もそれが誇りであり自慢なのでしょう。その化石と故郷が結びついたユニークさが取り柄の句です。 「望郷の目覚む八十八夜かな」という村越化石の代表句を思い出したりもしますが、と、ここまで書いて、そうか、これは村越化石を題材にした句であり、地質時代の遺骸の石化なぞではないんだとあわてて気づいた次第です。だとしたら、他人事に終わるのではなく、 【改】化石恋ふ故郷に八十八夜かな とご自分の位置をはっきり示されたほうがより力のある句になるのではないでしょうか。 (恩田侑布子)      △ お隣は実家へ八十八夜かな               樋口千鶴子 お隣さんはこぞって里帰りでがら空き、すこしさみしい、でも隣家のみんなのにぎやかな笑い声を想像してなんとなくほのぼのともしてしまう。そういう八十八夜のゆたかさがよく表れた俳句です。言外にふくよかさがあります。 (恩田侑布子)      △ 補助輪を外す憲法記念の日               芹沢雄太郎 憲法成立時のいさくさを思い、いい加減にアメリカというつっかえ棒をなくして、私たち国民の正真正銘の憲法として独立自尊させよう。という健全な民主主義への思いを感じます。 子供の自転車の補助輪を持ってきたところなかなかですが、寓喩性がやや露わなのが惜しまれます。 (恩田侑布子) 【合評】お孫さんかな、補助輪がはずれ颯爽と自転車をこぐ、自慢げな顔がうかぶ。「憲法記念の日」がきいていると思う。現行憲法が施行され70年が経過した。この日はそろそろGHQの補助輪を外し、良きものは残し、是々非々の自主憲法の制定を考える日でありたい。補助輪と憲法が響く。        △ 体幹を伸ばす八十八夜かな               芹沢雄太郎 気持ちのよい俳句です。背筋を伸ばすならふつうですが、「体幹」は身体の中心なので、こころまで、精神まで正し伸びやかにする大きさがあります。実際どのようにするのかイメージが湧けば更に素晴らしい句になることでしょう。 (恩田侑布子) 【合評】 初夏で本来なら心が浮き立つ時期・・しかしステイホームで運動不足。外出できる日に備えてストレッチ・・健全な心掛けですね。        △ 秒針の音よりわづかあやめ揺る               山田とも恵 真っ直ぐで清潔な茎と、濃紫の印象的なあやめの花の本意をよく捉えています。初夏の夜の繊細なしじまが伝わってきます。今後の課題としては、読後に景がひろがってくれるように作れるとなおいいですね。 (恩田侑布子) 【合評】あやめのピンと張りつめたような葉を、秒針の音よりわずかに揺れると表現したのが上手いと感じました。五風十雨のこの地。風も時もゆったりと流れる。心もまた静か。        △ 風呂入れ憲法記念日のけんか               山田とも恵 風呂嫌いの子がけっこういるものです。ささいもない家族の中のけんかを、大きな国家のきまりと溶け込ませて捉えたところにおもしろい勢いが感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 父親と息子のけんかだろうか。 改憲議論からの口論だろうか。いやいやそんな高尚な話ではない。 最後には「とっとと風呂入れ!」の親の一言で結んだケンカ。 憲法記念日という固い季語と「風呂入れ」のギャップが読み手を引き付ける。 国の行く末より家族のあしたの方が問題であり身につまされる。 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。        △ レース編む一目の窓に来る未来               海野二美 夏に向かってレースを編み始めた作者。「一目の窓に」が初々しくていいです。しかも「未来」と大きく出た処、まさに青空が透けて見えて来るようです。 (恩田侑布子) 【合評】 お子さんかお孫さんのために何か編まれているのでしょうか。レースの網目に未来が生まれてくるという発想が素晴らしい。ただ「窓に来る」という表現が若干説明しすぎのような気もしないではないですが、どうでしょう。       今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の『息の根』7句、『よろ鼓舞』7句、計14句を読みました。 連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています。       『息の根』7句 『よろ鼓舞』7句         ‎ ↑       ↑        クリックしてください       [後記] 筆者にとって「憲法記念日」は自分の信条を物や景色に託してどこまで出していいか非常に迷う難しい兼題でしたが、逃げずに向き合う良い機会となりました。恩田が総評として次の言葉を寄せています。「憲法記念日の季語は、ふだん感性主体で作っている俳句の土台に、ほんとうは現代の市民としての社会性や、世界認識が必要であることを気づかせてくれたのではないでしょうか。また、八十八夜は、目に見えているのにとらえどころがないおもしろい季語で、こちらは認識というより、いっそう全人的な感性それ自体が問われ、焦点を絞ることの大切さを学ばれたと思います」(天野智美) 次回の兼題は「青葉木菟」「浦島草」です。 今回は、○入選1句、原石賞1句、△6句、ゝシルシ3句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     

4月22日 句会報告

20200422 句会報上

令和2年4月22日 樸句会報【第89号】     前回に引き続き今回もネット句会です。連衆の自宅での生活が増えたせいか、それぞれ自分の生活をしっかりと見つめた句が多く出されました。 今回の兼題は「筍」「浅蜊」です。 入選2句、原石賞3句及び△の高点句を紹介します。     ○入選  鬼平の笑ひと涙あさり飯                萩倉 誠 池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」は、テレビドラマ・劇・アニメと大衆的人気を獲得し続けているようです。浅蜊もまさに庶民の味です。「笑ひと涙あさり飯」と名詞を三つぽんぽんぽんと置いた処、あさり飯のほんのり甘じょっぱい美味しさが、江戸の非道と戦う鬼平の人情とふところのふかさにぴったり。「汁」でなく「飯」であるのもいいです。この一字で締まりました。 (恩田侑布子) 【合評】深川飯か・・江戸っ子俳句は粋だねぇ。      ○入選  リハビリの足先へ降る桜蘂                山本正幸 季語の斡旋が味わい深い句です。もしこれが「落花かな」でしたら一句は甘く流れてしまったことでしょう。「桜蘂」の紅い針のような、見ようによっては音符のような蕊が、傷めたつま先へ降ってくることで、この春じゅうの切なさ淋しさが体感として伝わってきます。リハビリに励む春愁のなかのけなげさ。 (恩田侑布子)       【原】観覧車一望の富士霞をる                前島裕子 内容は雄大な景でこころ惹かれます。観覧車と一望がやや即きすぎかも知れません。いろいろな推敲の仕方がありますが、一案として、   【改】富士霞へと上りつつ観覧車 とされると、雄大な春の空中散歩の気分がかもしだされましょう。 (恩田侑布子)       【原】食卓のキュビスムならむ蒸し浅蜊                山本正幸 発想が斬新。詩の発見があります。「キュビスム」はよく出ました!でも「食卓の」という上五の限定はどうでしょうか。料理名が下五にくるので、やや説明的でくどい感じになってしまい、キュビスムの意外性がそがれませんか。一例に過ぎませんが、   【改】浅蜊の酒蒸し夜半のキュビスムか と、あえて破調の字足らずにするテもあります。リズムもキュビスムにしちゃうのです。 (恩田侑布子)       【原】肩ほそきひと遥けしや飛花落花                山本正幸 恋の句です。夢二の繪のようなはかなげにうつくしい女性と、若き日に花見をしたことがあったのでしょう。もう逢えないひとであればなおさら楚々としてうつくしく飛花落花のはなびらに幻が浮かびます。ただしリズムがややつっかえます。内容の繊細さを生かして、   【改】肩ほそきひとのはるけし飛花落花 と、ひらがな主体にやさしくいいなしたいところです。 (恩田侑布子) 【合評】 夢二?       △ 敗戦の兵筍を提げ帰る               村松なつを 顔の煤けやつれた帰還兵が、筍だけを提げて帰ってきたとは感動の瞬間です。むかし小説か映画でこのシーンをたしかに観たような気がします。気のせいならいいのですが。面白いけれど、デジャビュー感が気になり三角にいたしました。 (恩田侑布子) 【合評】 実際にこういう復員兵がいたのかどうかわからないが、ボロボロになっても不屈の生命力で筍を手に帰ってきた場面を想像すると市井の人の歴史の一コマを見るような感慨を覚える。「提げ帰る」という複合動詞が立ち姿、風貌まで浮かび上がらせてとても効果的。 感傷より食欲か・・人間は逞しい!コロナにもきっと勝利するでしょう。 「提げ帰る」の言い切りに説得力があり、敗戦の光景を知らずともこういう場面があったのかもしれないと感じさせます。「敗戦」と「筍」の取り合わせも、生きることへの希望や強かさを感じさせて良いなと思いました。 疲れ果てた命からがらの復員なのに、せめて家族に何か土産をと探し回った。そういう精一杯の心情を感じました。       今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が『俳句界』2020年4月号に掲載した特別作品21句「何んの色」を読みました。   連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています            ↑       クリックしてください        [後記] 二回目のネット句会でした。連衆の顔を思い浮かべながらの選句・選評は、自宅での生活が続く中で心の清涼剤となりますが、やはり生身の体を持ち寄って行う句会が恋しくなるばかりです。 またサブテキストの恩田の句群を集中して読むことで、残り少ない春の気配が再び息を吹き返してきました。夏が近づくのを感じつつ、春を惜しむ心を持って、それぞれの生活に勤しんでいきたいものです。(芹沢雄太郎) 次回の兼題は「八十八夜」「憲法記念日」です。 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

4月5日 句会報告

20200405 句会報上

令和2年4月5日 樸句会報【第88号】  令和2年度最初の句会は、新型コロナの影響を受けて、樸はじまって以来のネット句会でした。 今回は若手大型俳人の生駒大祐さんが参加して新風を吹き込んでくださいました。 兼題は「鶯」と「風光る」です。   入選2句、原石賞3句および最高点句を紹介します。    ○入選  千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり                前島裕子 桜の花に雪が降りこめてゆく美しさを、千鳥ヶ淵という固有名詞がいっそう引き立てています。 ら行の回転音四音も効果的です。完成度の高い俳句です。 (恩田侑布子)  【合評】 類想はあるように思うが、「桜かくし」という表現がよく効いている。「花」ではなく「桜」という言葉を用いることで、ベタベタの情緒ではなく現実に顔を出す異界の乾いた不気味さを詠み込むことに成功している。     ○入選  赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る                金森三夢 風光るの兼題に、会津の郷土玩具の赤べこをもってきた技量に脱帽です。しかもいたって自然の作行。「赤べこ」は紅白のボディに黒い首輪のシンプルな造型のあたたかみのあるおもちゃです。 素朴で可愛い赤い牛の頭が上下に揺れるたびに春風が光ります。ここは「あたま」でなく「かうべ」としたことで、K音の五音が軽やかなリズムを刻み、牛のかれんさを実感させます。 福島の原発禍からの再生の祈りも力強く感じさせ、さっそく歳時記の例句にしたい俳句。 (恩田侑布子) 【合評】 お土産にもらった赤べこは多分どの家にもあったと思うが、その赤べこの頭の動きが「風光る」と組み合わさることで春らしいささやかな幸せを感じさせる句になっている。東北のふるさとのことを思っているのかとも想像される。       【原】青葉風鍾馗様似の子の泣けり                天野智美 たいへん面白い句になるダイヤモンド原石です。 句の下半身「の子の泣けり」が、上句十二音を受け止めきれず、よろめいてしまうのが惜しまれます。   【改】青葉風鍾馗様似のややこ泣く のほうが青葉風が生きてきませんか。 (恩田侑布子)         【原】鱗粉をつけて春昼夢を覚める               村松なつを            内容に詩があります。半ば蝶の気分で春昼の夢から覚めるとはゴージャスです。アンニュイとエロスも匂います。 残念なことに表現技法が内容を活かしきれていません。なにがなにしてどうなった、というまさに因果関係の叙述形態になってしまっています。 また、「つけて」という措辞はやや雑な感じ。 そこで添削例です。 華麗にしたければ、   【改1】鱗粉をまとひて覚むる春昼夢 抑えたければ、   【改2】鱗粉をまとひて覚めし春昼夢 など、いかがでしょうか。 (恩田侑布子)  【合評】 現実に体のどこかに鱗粉がついているのか、鱗粉がついてしまう夢を見ていたのか判然としない。「鱗粉をつけて」「覚める」と言い切ることによって、昼の夢から覚める瞬間のぼんやり感へ読み手を連れて行く。そうか、春のきらめきを鱗粉に例えたのだな、と考えるとますます散文に翻訳不能になり紛れもなく「詩」なので、特選で採らせていただきました。 「胡蝶の夢」の故事を踏まえた句だろうが、つきすぎや嫌みではないと感じた。それは「春昼夢」という造語めいた言葉が句の重心になっているからで、機知よりも虚構の構築に向けて言葉が機能している。 夢の中で蝶と戯れていた。いや自らが蝶になって自在に遊んでいたのでしょう。まさしく「胡蝶の夢」。春昼の夢から目覚めたら、おのれの体だけでなく心も鱗粉にまみれていたという驚き。官能性も感じられる句です。現実に還ればそこはコロナウイルスがじわりと侵攻している世界でした。       【原】花の雨火傷の痕のまた疼き               芹沢雄太郎 詩があり、情感がよく伝わってきます。 ただこのままですと表現がくどいです。 添削案として一例を示します。 【改】花の雨およびの火傷また疼き  (恩田侑布子)       ※ 本日の最高点句 【・】風光るバイク降り立つ調律師               見原万智子 風光る と、調律師 の取り合わせは面白いですが、「降り立つ」でいいのでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】  「バイクを降り立つ」のが「調律師」であるという展開に、意外性が良いと思いつつ納得もしました。確かに家々を回る調律師の仕事にバイクはよく似合います。季語「風光る」が、バイクのエンジン音までリズミカルに、楽しげに聞こえさせているとともに、これから調律されるピアノの期待感を増幅しているように思います。 調律師がバイクで現れる意外性、その調律師の様子が「風光る」に表されている。 繊細な職業の方が颯爽とバイクから降り立つとは・・正に風が光りました。 言葉の選び方が素敵、「風光る」にふさわしい! 宮下奈都さんの『羊と鋼の森』を読んで、涙が出るほどの感動を覚えたのを、鮮やかに思い出しました。「ピアノを食べて生きていく」と決めた人を支える、調律師という仕事を選んだ若者の成長を描いた小説です。 風を切って疾走し、コンサートホールの前で停まるナナハン。調律するピアノの調べが春のイメージを乗せて聞こえてくるような句。ヘルメットを外すベテラン調律師のしゃんとした背筋が光る。 繊細な神経と技術を持つ調律師がバイクから降り立つ様が「風光る」によっていっそうきりっと浮かび上がる。しいて言うと、かっこよすぎて戯画調になっているきらいも。     [後記] ネット句会をはじめて体験しました。このワクワクドキドキ感はなかなか味わえません。恩田代表や連衆の講評・感想、作者の自句自解が一覧でき、何度でもじっくり読み返すことができる大きなメリットがあります。とはいうものの、フェイス・トゥ・フェイスで口角泡を飛ばしての白熱した議論(今は泡をとばすとコロナ感染の恐れがありますが)こそが句会の醍醐味ではないでしょうか。新型コロナウイルスの収束を只管祈ります。   次回兼題は、「筍」と「浅蜊」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ9句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   なお、3月25日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。   https://www.youtube.com/watch?v=NIwxvNW6MzE

3月1日 句会報告

20200301 句会報用特選句用

令和2年3月1日 樸句会報【第87号】          3月最初の句会です。新たに入会希望の方も見学に来られ、句会に新たな息吹が感じられました。 兼題は「水温む(春の水)」と「石鹸玉」です。   特選1句、入選1句、原石賞2句を紹介します。       ◎ 特選  なまくらな出刃で指切る日永かな             天野智美      特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています                  ↑             クリックしてください   合評では、「日永との取り合わせが面白い」「“な”が4回出てきて、調べが日永に合っている」「心もなまくらでボーッとしていて・・自戒をこめた句」などの意見が出ました。また日永という季語の本意が掴みにくいという声もあった。ちなみに山本健吉著「基本季語500選(講談社学術文庫)」では日永について次のように書かれている。 「俳諧の季題では、日永が春、短夜が夏、夜長が秋、短日が冬である。日永と短夜、夜長と短日は、算術的に計算すると、一致すべきはずだが、和歌、連歌以来そう感じて来ている。季感は人間が感じ取るものだから、理屈で割り切っても仕方がない。待ちこがれていた春が来た歓びと、日中がのんびりと長くなったことへのひとびとの実感が、日永の季語を春と決めたのであって、長閑が春の季語であることも相通ずる」 (芹沢雄太郎)         ○入選  春の水洗ふや堰の杉丸太               見原万智子 春になって水量がゆたかになり、土砂の崩れた岸や山際に、杉皮のついたままの丸太が土止めとして使われている光景を、いきおいと力のある措辞でいい切った句。景色に鮮度と野性味がある。「春の水洗ふや」という一息九拍のスピード感が「堰の杉丸太」にぶつかる様がリアルだ。春の力とういういしさを同時に感じさせる。 (恩田侑布子)  合評では、「景が良く詠めている」「今は堰に杉丸太を使う所は少ないだろうが、どこを詠んだ句なのか気になる」などの意見がでました。  (芹沢雄太郎)      【原】水温む駆け寄る吾子の頬に砂               活洲みな子 芳草が萌出し春らしくなった川ほとり。石川原のあいだの砂場で一心に砂掘りしていた子が、なにか見せようとするのか、「おかあさん」と駆け寄って来る。上気したまるい頬は汗ばんで、こまかい砂をつけている。情景がよく見える。ひとつ惜しいのは「吾子」の措辞。まさに、吾が子可愛やの「吾子俳句」そのものになってしまった。子にも孫にも「吾」は要らない。余分なものをとれば、俳句が普遍性を獲得する。 【改】かけ寄れる子の頬に砂水温む (恩田侑布子)  本日の高得点句でした。合評では、「春の喜びが句から伝わってくる」「孫は寒い時期は動きが鈍い。それが暖かくなってくると、外で夢中に遊び始めるのを思い出した」「実にほほえましい光景ですね」「動詞が多いのが少し気になる」等の意見が出ました。  (芹沢雄太郎)      【原】黒猫に漱石吹くや石鹸玉                安国和美 「吾輩は猫である」の猫は黒猫だった。「黒猫に漱石」では即きすぎかと思うが、後半で予想は小気味よく裏切られる。文豪の漱石が、幼児の好むしゃぼん玉を、愛する猫に向かって吹く面白さ。胃潰瘍の漱石の人生にもこんな長閑なひとときがあったらよかった。ただ、「切れ」は大切だが、何でも切ればいいわけでもない。切字は内容と相談しよう。この句に勇ましい切字は要らない。やさしく夢のようなしゃぼん玉を飛ばせてあげよう。 【改】黒猫へ漱石の吹く石鹸玉 (恩田侑布子)       合評の前に本日の兼題の例句が恩田により配布されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  春の水山なき国を流れけり               与謝蕪村  春の水岸へ/\と夕べかな               原 石鼎  春水をたゝけばいたく窪むなり               高浜虚子  野に出づるひとりの昼や水温む               桂 信子    向う家にかがやき入りぬ石鹸玉               芝不器男  ふり仰ぐ黒き瞳やしやぼん玉               日野草城     句会の終り近く恩田から、2月26日に東京青山葬儀場で行われた芳賀徹先生の告別式の様子が報告されました。 「無宗教の花葬の立派なご葬儀でした。小学校から中学・高校・大学まで、八〇年間も肝胆相照らす親友で、東大教養学部一期生の揃って大学者になられた平川祐弘先生と、高階秀爾先生の弔辞が、お二人で一時間近く。中身が濃く細やかで情がこもって圧巻でした。 ご子息のご挨拶も、見事なご尊父の生涯を「みなさまがいてくださったからこそ」と感謝し褒め称えるもので、半分は三保の松原の天人の世界のできごとのようでした。  また中村草田男の愛嬢・中村弓子先生と、昨冬パリでご一緒させていただいた金子美都子先生と歓談でき、芳賀先生が私のことを「野性味がいいんですよ」と認めてくださっていたことを弓子さんからお聞きし、芳賀山脈の居並ぶ秀才をさし置いて、シンポジウムのメンバーにこんな駿河の山猿を抜擢してくださったことをあらためて感謝した次第です」     [後記] 本日の句会中に、恩田から芳賀徹さんの葬儀に参列された際のエピソードが語られました。筆者は話を聞きながら「俳句あるふぁ2019年冬号」にて、芳賀さんと恩田がポール・クローデルの百扇帖をめぐって意見をぶつけ合うのを読み、興奮したのをひとり思い出していました。対談での互いに譲らないすさまじい熱量を目の当たりにし、自分に芯をしっかりと持つことの大切さを学んだ気がします。 次回兼題は、「ヒヤシンス」と「囀」です。 (芹沢雄太郎)   今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ10句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)