「本日の特選句・入選句・最高点句」カテゴリーアーカイブ

本日の句会で高い評価を得た作品をご紹介します!

あらき歳時記 秋の暮

photo by 侑布子 2024年11月3日 樸句会特選句   投げ銭の帽子の歪み秋の暮 長倉尚世  大道芸に投げ銭はつきもの。当たり前の光景を当たり前でなくしたのは、ひとえに「帽子の歪み」です。くたびれた庇帽が目に浮かびます。いびつになった帽子の形に芸人の渡世の日々が偲ばれます。足早に迫る秋のたそがれの中、残光を浴びる帽子の縁の歪みを切り出してきた鮮度。リアルな臨場感を残す俳句です。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 蓑虫

photo by 侑布子 2024年11月3日 樸句会特選句  蓑虫や母は父の死忘れゆき 活洲みな子  「母は父の死忘れゆき」のフレーズは、子としては淋しくても、超高齢社会のいまや、珍しいものではありません。世に増えつつある感慨を生かすも殺すも季語の斡旋一つです。「蓑虫」は意外性を持った最適解ではないでしょうか。老母はあれほど仲の良かった夫の死さえおぼつかなくなり、口数も喜怒哀楽の表情も減ってきています。枯れ葉や小枝の屑をつないで冬へ入る「蓑虫」のように、自分を閉ざしてゆきます。一筋の糸にすがって秋風に揺れる焦茶色の虫と、人間の老いのあわれが重なって胸を打たれます。救いは蓑虫を包む晩秋の日差しに作者の眼差しが浸透していることです。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 釣瓶落し

photo by 侑布子 2024年11月3日 樸句会特選句  帰国便釣瓶落しの祖国かな 小松浩  作者は海外で旅行または仕事をし、日本の気象からはしばらく遠ざかっていたのでしょう。久々だわ、といった気分で「帰国便」が空港に着陸しようとすると、彼の国では明るかった時間に、早くも街は火灯しはじめ、タラップを降りる足元には「釣瓶落し」の闇が迫ります。にわかに胸に、この国の将来が重なって来るのです。二十一世紀初年は世界五位だった一人あたりGDPが昨年は二十四位になり、低落の一途です。急速に暮れる秋の「釣瓶落し」に、昭和のものづくり立国、教育立国のあとかたもない衰退が重なるやるせない悲憤慷慨。実感がこもっています。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 穭田

photo by 侑布子 2024年11月3日 樸句会特選句  穭田の真中の墓やははの里 見原万智子  田舎では広い田んぼの真ん中に集落の墓があるのをよく見かけます。青田や稲田の中ではそうでもありませんが、秋の刈入れが済んだあとには目立つものです。「穭田」は薄い碧色のパサついた葉が伸び、刈った直後の田にはない、そこはかとなくさびしい明るさがあります。田んぼの中の墓に、母が眠っていようといまいと、ここはたしかに母のふるさとなのです。言外にこもるぬくもりに秋の澄んだ日差しがあり救われます。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

10月20日 句会報告

2024年10月20日 樸句会報 【第145号】

10月20日静岡市の西、藁科地区にある洞慶院・見性寺・中勘助記念館をめぐる吟行句会が行われました。
「俳句にあいにくの雨はない」と聞きますが、そんな気持ちになる余裕もなく、当日、時折強く降る雨と風に、雨女を黙って幹事を引き受けたせいかしらん、とわが身を恨み、お昼に注文の天ざるを温かいお蕎麦に替えて頂いたのでした。
特選1句、入選1句、原石賞1句を紹介します。

◎ 特選
 身に入むや一灯に足る杓子庵
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「身に入む」をご覧ください。

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○ 入選
 釈迦守るごと沙羅の実のとんがりぬ
               海野二美

【恩田侑布子評】

静岡市の古刹、洞慶院の吟行で生まれた句です。伽藍を過ぎた奥手の小川添いいに黄葉した姫沙羅が二、三本。秋のうらぶれた姿は初めてでしたが、よく見ると宝珠の先に針を突き刺したような実がついています。作者はそれを即座に、「釈迦守る」眷属に見立て、針を「とんがりぬ」と剽げた口語調で勢い付かせました。釈迦の涅槃を見守った沙羅双樹の故事にかよう姫沙羅の実の健気さがイキイキと感じられます。

【原石賞】自然薯や遠忌の客と隣りつつ
              古田秀

【恩田侑布子評・添削】

洞慶院の駐車場は、玄関に「自然薯、調理しています」の紙を貼り出す蕎麦屋の前です。吟行句会の全員が自然薯蕎麦を注文しました。作者はつられて「自然薯や」としましたが、「自然薯」は山から掘った薯で、道の駅などの売店を想像させ、「遠忌の客」との関係が曖昧になります。遠忌客と隣り合って蕎麦を啜った情景にすれば、山寺門前にある蕎麦屋の晩秋の気配が立ち上がります。

【添削例】とろろ蕎麦遠忌の客と隣りつつ

【後記】
初めての吟行句会でした。
普段の句作に使う時間を考えると、数時間で3句なんて・・と心配でたまらず、句会場の予約のついでに、洞慶院で事前に俳句を作ってしまおう!と一人で内緒の吟行をしました。
ところが、後ろめたい気持ちでものを見るせいか、全く俳句ができません。結局、当日軽いパニックに陥りながら、数だけは三句を投句しました。
1.対象(感動)を掴む
2.対象(感動)の掘り下げ
3.対象(感動)を表現するための言葉選び
これは、10/6のzoom句会で、恩田先生が俳句を作る時の三つのポイントとして、お話してくださったことです。
当日にはすっかり忘れてしまって、あわあわするばかりでした。
次の吟行句会の時には、短時間で三つのポイントを押さえることができるように、少しは成長をしていたいと思いました。
最後になりましたが、山本さんと幹事を務めさせていただき、恩田先生はじめ皆様のアドバイスとご協力で、吟行句会が無事に終えられたこと、お礼申し上げます。
ありがとうございました。
 (長倉尚世)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

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10月6日 樸俳句会
兼題は水澄む、敗荷。
特選1句、入選2句、原石賞1句を紹介します。

◎ 特選
 鍋に塩振つてガンジー誕生日
             芹沢雄太郎

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「ガンジー誕生日」をご覧ください。

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○ 入選
 零れ萩はせを巡礼鳴海宿
               林彰

【恩田侑布子評】

芭蕉が『笈の小文』の前半で詠んだ、〈星崎の闇を見よとや鳴く千鳥〉には「鳴海にとまりて」の前書があります。芭蕉が伊良子の保美に流された杜国を訪ねる序章として、闇と星と千鳥の声が幻想的な句です。その鳴海を作者が訪ねました。名詞句を畳み掛けた句は三枚の絵を次々に重ねてゆくよう。ことに上五の「零れ萩」に杜国との儚い恋を暗示するあわれが添います。芭蕉を一人の「巡礼」と捉えたところも出色。芭蕉への遠い唱和として、艶のある俳句になっています。

○ 入選
 水澄むやさんさ太鼓の天に舞ふ
                山本綾子

【恩田侑布子評】

「さんさ」は岩手県各地に伝わるはやしことば。岩手の盛岡や遠野に伝わる盆踊りが「さんさ踊り」。田んぼの水路も川の流れも清く、お囃子に乗って胸に担ぐ「さんさ太鼓」を打ち鳴らします。「天に舞ふ」の下五で一気に、祭り太鼓の響く秋空に、色とりどりの帯の翻る陸奥に拉しさられるのは私だけではないでしょう。澄み渡る秋の風土詠です。

【原石賞】秋霖や瓦礫の中に春樹の本
              活洲みな子

【恩田侑布子評・添削】

目の付けどころが素晴らしく、「秋」と「春」の対照的な取り合わせも効いています。日本各地が地震や洪水の災害に見舞われ、能登の洪水と土石流は、元日の大地震に次ぐ自然の猛威に胸が潰れました。災害後にも絶え間なく降る秋雨と、崩壊家屋の隙間に覗いている村上春樹のデリケートな非日常を含む世界が印象的です。やや説明的な「中に」を直しましょう。

【添削例】秋霖や瓦礫にまざる春樹の本

あらき歳時記 ガンジー誕生日

photo by 侑布子 2024年10月6日 樸句会特選句  鍋に塩振つてガンジー誕生日 芹沢雄太郎  作者はふだん使いの鍋料理の仕上げにパラパラ塩を振って、ハッとします。今日、十月二日はガンジーの誕生日だと。非暴力、不服従運動を貫いたインド独立の父にして、世界の偉人、マハトマ・ガンジー。イギリスの植民地であるために、インド産の塩が英国政府の専売制度で独占されていることに抗議し、貧しき者の側に立って、三八〇キロの道のりを民衆と抗議デモした「塩の行進」を踏まえた俳句です。インドの近代史を自家薬籠中のものになしえた、さりげない力動感。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 身に入む

photo by 侑布子 2024年10月20日 樸句会特選句  身に入むや一灯に足る杓子庵 活洲みな子  小説『銀の匙』で有名な中勘助が第二次大戦中に疎開していた「杓子庵」は静岡市葵区新間の山里にあります。、「一灯に足る」の措辞通り、茅葺の廬で六畳一間きり。厠も風呂もなく、縁側どころか玄関さえありません。還暦近いとはいえ、よくもここで新婚生活が送れたものだと胸が詰まります。しみじみと骨身にしみる冷気と侘しさが「身に入むや」の切れに込められ、戦時下の逼塞間や、相次いで肉親と愛する嫂を失った憔悴感を際立たせます。杓子菜の種を撒くのは、これから始まる冬のことです。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

9月15日 句会報告

2024年9月15日 樸句会報 【第144号】

9月15日の兼題は「敬老日」「秋思」。心に染み入る俳句が並びました。
先生のご指導で印象的だったのは「俳句は最後の最後は人間性だ」という言葉。
俳句には沢山の決まりごとがあり、そこが楽しみの大きな要素です。決まりごとと向き合いながら、いかに深く正直に…そして最も大切なのは人間性。
俳句は面白い、あらためて確信できる会でした。
入選4句を紹介します。

○ 入選
 色鳥や病室に海照りかへす
               古田秀

【恩田侑布子評】

夏の間は生い茂る緑にまぎれて目立たなかったが、秋になると色彩の思わぬ清らかさにハッとする小鳥がいます。折しも病室の窓辺にやってきて、無心に尾を振ります。その向こうにはキラキラと海原がいちめんにかがやいて。秋の空が真っ青なだけに、ここが病室であることが哀しい。見舞いに訪れた作者のまなこに、祖父の終焉の光景が残されました。

○ 入選
 父と遇ふ十七回忌夜半の秋
                林 彰

【恩田侑布子評】

父と思いがけない遭遇をしました。しかもそれは父の十七回忌でした。遠忌の法事に、親族や有縁の懐かしい人々が集まってくれ、やがて潮が引くように去り、実家に一人になった秋の夜です。父が他界して十数年も経って、まったく知らなかった父の生前の姿、新たな横顔と向き合うことになったのです。静かなこころのドラマが感じられます。「あふ」には会ふ、逢ふ、遭ふ、もありますが、たまたま遭遇した意味の「遇ふ」を使ったことで、季語「夜半の秋」と交響し、肉親の情に奥行きが生まれました。墓じまいや、散骨が「ブーム」の現在、死者を弔い悼むことは、後ろ向きではなく、遺された人の明日の生につながることを示唆する気品ある俳句です。

○ 入選
 孝足らず過ぎていま悔ゆ敬老日
                坂井則之

【恩田侑布子評】

愚直そのまま。飾り気も技巧もあったものではありません。作者の両親、少なくとも片親が他界されているのでしょう。敬老の日に、「ああ、外国旅行に連れてゆくこともなかったなあ」とか、「もっと頻繁に帰って、手厚く介護してあげたかったなあ」とか、様々な思いが胸をよぎります。それが中七の「過ぎていま悔ゆ」です。(孝行のしたい時分に親は無し)という諺にそっくりだと思う人がいるかもしれません。しかし、ここまで朴訥、簡明に俳句に結晶化することは誰にでも出来ることではありません。真率な思いが口をついて出た、鬼貫のいう、まことの俳諧です。

○ 入選
 問診票レ点と秋思にて埋める
                成松聡美

【恩田侑布子評】

医者に行って、待合室で出される「問診票」の質問を何も埋めずに空欄にできる人はいたって健康です。この作者はほとんどの質問に「レ点」をつけなければなりません。「マークシートを埋めてゆくんじゃないのよ」。次第に憂鬱な気分に。それを「レ点と秋思にて埋める」と俳味たっぷりに表現した手柄。自己諧謔が効いた大人の俳句です。

【後記】
一年半前、音の数え方もままならぬ中で大胆にも恩田先生の門をたたきました。
日常に彩りをあたえ、何事にも好奇心をかきたて、絡まった過去をほどいてくれる…十七音の力の大きさを実感しています。
作句の面白さに加え、もう一つの楽しみが選句の時間です。同じ兼題で他の方はどんな句を詠んだのか。ずらりと並んだ中からぐっとくるものを見つける喜び、何度も読み返し次第に心が震えだした瞬間の感慨。二週間に一度の大切な時間です。
俳句と過ごした五年後十年後の自分自身の心のありようが今から楽しみです。
 (山本綾子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

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9月1日 樸俳句会
兼題は梨、蜻蛉。
入選4句を紹介します。

○ 入選
 高原の蜻蛉われらの在らぬごと
               猪狩みき

【恩田侑布子評】

見渡す限りの高原を無数の蜻蛉が飛び交っています。「われらの在らぬごと」という措辞は、見つめているわたしたちなど眼中になく、透明な翅を水平に広げて伸び伸びと風に乗る姿をありありと感じさせます。別世界そのものの命のありようは逆に、人間が地球のあちこちで繰り広げている戦争や、分断や、飢餓の現実を照らし出しています。

○ 入選
 剥く音のよこで噛む音長十郎
                山本綾子

【恩田侑布子評】

お母さんが梨を小気味よく剥いてくれるそばから、汁いっぱいの歯触りと甘みに夢中になる子ども。シャリリとした歯ごたえと代赭色の皮をもつ、昭和に流行った梨の品種名「長十郎」が効いています。赤褐色の皮がスルスル伸びていく映像の影に、ほんのりベージュがかった白い肌と、健康そのものの咀嚼音が共感覚を響かせ、初秋の清々しさがいっぱいです。

○ 入選
 ラ・フランス初体験の裸婦写生
                岸裕之

【恩田侑布子評】

眼前のラ・フランスが呼び起こす記憶。美大生や画家の日常的なドローイングとはわけが違います。なんといっても「裸婦写生」の「初体験」です。ドキドキするうぶな感じと、モデルが期待した若い女性ではなく、腰回りに贅肉がたっぷりついた「ラ・フランス」のような中年女性であったズレたおかしみもにじみます。とはいっても「初体験」。輪郭を描きにくい太り肉(じし)のやわらかな存在感がこそばゆく五感を刺激してきます。

○ 入選
 鬼やんま逃して授業再開す
                小松浩

【恩田侑布子評】

教室に突然、鬼やんまが飛び込んできた驚き。蜻蛉の大将は長くまっすぐな竿を持ち、大きな金属質の碧の目玉は、昆虫とは思えない威厳であたりを睥睨します。女の子はキャーキャー。男子は腕の奮いどころと勇み立ったか。先生は授業妨害物に過ぎないそれを窓から事務的に追放し、一言「さあ、教科書に戻って」。新秋の大空をわがものにする鬼やんまの雄勁な擦過力が、四角い箱の教室にいつまでも余韻を残します。