「本日の特選句・入選句・最高点句」カテゴリーアーカイブ

本日の句会で高い評価を得た作品をご紹介します!

あらき歳時記 露の玉

IMG_1114

2023年10月21日 樸句会特選句  露の玉点字の句碑に目をとづる               益田隆久  地水庭園に茶室瓢亭が建つ玉露の里の入り口には、町内に生まれた村越化石の句碑がある。石彫家、杉村孝の思いのこもった大岩の亀裂は、母が子を抱えるようにも、子が母と引き裂かれる悲しみのようにも見える。〈望郷の目覚む八十八夜かな 化石〉と彫られた側面には、ステンレスの大きな鋲が打たれている。全盲となった作者が帰郷した時、みずから読んでもらえるようにという点字の俳句である。 その金属の丸い頭を「露の玉」と言い切ったことで、鋲はたちまち宇宙を映す水玉に変容する。ハンセン病のため十六歳で故郷を去らねばならなかった化石の思い。見渡す山並も川音も何百年も変わらないのに、化石も、石彫家も、やがてまたわれわれも、露の玉さながらこの世をこぼれ落ちてゆく。まぶたの裏の思いは深い。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 大龍勢

IMG_8585

2023年10月21日 樸句会特選句  大龍勢龍の鱗は里に降り              活洲みな子  日本三大龍勢の一つが五年ぶりに開催された。芭蕉の句、〈梅若菜鞠子の宿のとろろ汁〉の西隣の宿が岡部。旅籠だった「柏屋」から朝比奈川を車で数分遡れば玉露の里に出る。稲穂を収穫したての真昼の刈田に、思い思いの桟敷を広げ、連ごとに丹精をこめた龍勢花火をみんなで見物し、天空の技を競い合う。ガンタと呼ばれるロケット部に花火や落下傘など曲物を詰め、山裾から伐った竹に火薬を詰めて推進力とする。十数メートルの尾を持つ竹幹が、みるみる秋天を駆け登り、工夫の曲物を青空に花のように散らするさまは壮観である。    この句はまず「大龍勢」と祭全体を息太く打ち出し、次いで空中に弾ける花火やパラシュートや紙吹雪を龍の「鱗」と見立てたところ、技アリである。龍の鱗が、群衆の頭上にも家々にも、きらきらと降り注いでいるよ。谷あいの里に暮らす老若男女を丸ごと祝福する作者の慈愛にも包まれてしまう。                                      (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

11月6日 句会報告

IMG_4739

2022年11月6日 樸句会報 【第122号】  ZOOM句会も3回目。参加者もこの形にだいぶ慣れてスムーズに句会が進むようになりました。兼題は「露霜」「文化の日」「唐辛子」。合評を交わすうちに、晩秋の空気をより感じられるようになった時間でした。  入選2句(2句とも同作者!)、原石賞5句を紹介します。 ○入選  露霜を掠めて速きジョガーかな                小松浩 【恩田侑布子評】  ゆっくりと朝の散歩道を歩いていると、背後からザッザッザッとジョギングの人に追い抜かれた。道端の草に置いた露霜など、意に介さない軽快なフットワーク。なんという速さ。たちまち取り残される。夜毎の露霜に磨かれた蓼の葉は色づき、芒はそそけてわら色だ。走る人には見えないものを、これからはじっくりと味わっていこうと思う作者である。   ○入選  古書市の裸電球文化の日                小松浩 【恩田侑布子評】  神保町では文化の日を挟む旬日、古書市が開かれる。毎年楽しみにしている作者は、収まらぬコロナ禍をついて出かけた。永年馴染んだ書肆から書肆を回っていると、あっという間に日が暮れた。店前からあふれた露店に裸電球が点りはじめる。まだまだ見たいものがある。  調べものもニュースも、あらゆる情報を電子画面から得る時代にあって、昭和の紙の文化への哀惜は深い。仮設の電線に宙吊りになった裸電球が、失われてゆくアナログ文化を象徴し、2022年の文化の日を確かに17音に定着させた。地味だが手堅い句である。     【原石賞】天を突く小さな大志鷹の爪               活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】  畑の鷹の爪をよく見て、そこから掴んだ詩の弾丸は素晴らしい。表現上の瑕疵は「小さな大志」という中七にある。また「天」を目にみえる晩秋の高空にできれば、さらに句柄が大きくなる。 【添削例】蒼天を突くこころざし鷹の爪           【原石賞】露霜を摘まんで今朝は始まれり                望月克郎 【恩田侑布子評・添削】  露霜といえば、見るものであったり、踏んだり、歩くものであったりと相場が決まっている。この句がユニークなのは、かがみ込んで摘まんで、しかもそこから今日を始めたこと。「今朝は始まれり」ではやや他人事っぽいので、さらに主体的にしてみたい。 【添削例】露霜を摘まんで今日を始めたり      【原石賞】小さき露となりても消えぬ母心               海野二美 【恩田侑布子評・添削】  目の前の露となって、母の心が語りかけてくるとする感受が素晴らしい。でも、露といえば小さいものだし、「なりても」少しくどい。そこで、それらを省略し、「消えぬ」という否定形を「います」と顕在化してみたい。 【添削例】露となりそこに坐すや母ごゝろ          【原石賞】爪先で大地を掴み秋の雨               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】  一読、インドの大地に降る秋の雨を想像した。そこに裸足同然に立つ人の姿も。「爪先」は女性的なので「足指」と力強くしたい。「大地を掴み」はひっくり返すと切れがはっきりする。 【添削例】足指で掴む大地や秋の雨          【原石賞】秋風や掌の色みな同じ               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】  白、黄色、黒という皮膚の色の差はてのひらにはないという発見が出色。そこに斡旋した「秋風」をさらに一句全体に響かせるためには季語以外をひらがなにしたい。そうすると、地球上に隈なく秋風が吹き渡り、人類の手のひらや身体がひとしなみに草のようにそよぎ出すのでは。 【添削例】秋風やてのひらのいろみなおなじ          【後記】  「文化の日」という兼題は、とても難しい題でした。「文化」という語の抽象性のせいでしょうか。合評中に「文化、福祉、愛というような言葉には”はりぼて感“を感じてしまう」という発言があったのがとても印象に残っています。その語に”はりぼて感”を感じさせないような、実のある、実感のある使い方を見つけることが必要なのですね。抽象語を好み、使いたがる私には大きな宿題です。 (猪狩みき) ...

10月9日 句会報告

1009_句会報上_荻の声2

2022年10月9日 樸句会報 【第121号】 今回は樸俳句会にとって2度目のzoom句会でした。初めてzoom句会に挑戦した前回(9月4日)より滑らかに進めることができました。静岡県外や外国の参加者も出入り自由のグローバルなzoom句会、じかに顔を合わせて場の空気感を味わいながら楽しむリアル句会、どちらにも良さがありますね。コロナ禍の思わぬ副産物ではありますが、こうしたハイブリッド型が新しい時代の句会のかたちになっていく中、樸はその先頭に立っているのかもしれません。なんとなく浮き立つそんな気分を反映してか、今回は入選句はない代わりに特選句が3つも出るという、華やぐ会になりました。 兼題は「後の月(十三夜)」「烏瓜」「荻(荻の声・荻の風・荻原)」です。 特選3句を紹介します。 ◎ 特選  しやうがねぇ父の口真似十三夜             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「十三夜」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  道聞けば暗きを指され烏瓜               古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「烏瓜」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  荻の声水面に銀の波紋寄せ              金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「荻」をご覧ください。             ↑         クリックしてください         今回の例句が恩田によって紹介されました。     遠ざかりゆく下駄の音十三夜               久保田万太郎    目つむれば蔵王権現後の月                阿波野青畝    麻薬うてば十三夜月遁走す                 石田波郷    掌の温み移れば捨てて烏瓜               岡本眸『冬』    虹の根や暮行くまゝの荻の声         士朗(江戸中期、名古屋の医者)      空山へ板一枚を荻の橋                  原石鼎     【後記】 9月から樸に加えてもらった新参者ですが、千葉県在住にもかかわらずzoomのおかげで既に2度も句会に参加できて、とてもありがたいと思っています。 ずいぶん前のこと、ある雑誌で英国在住のピアニスト内田光子さんが、自分にとっての日本語は『おくのほそ道』が読めさえすれば十分、という趣旨のことをおっしゃっていました。それを読んだ時は、ドイツ語や英語が生活言語となった世界的音楽家が母国語である日本語の調べを芭蕉に聴くなんて、すてきな話だなと思っただけでした。それが、自分も恐る恐る俳句を作り始め、樸の句会に参加することで、内田さんのあの時の言葉がよみがえってきたのです。俳句という韻文が持つ象徴性と、洗練されたピアノの響きには、共通するものがあるということでしょうか。自分の感動を他者に伝えようとする時、それを韻律に乗せる最もふさわしい器、すなわち言葉や音を、俳人も音楽家も命をかけて模索しているのでしょう。俳句を作る人にはあたりまえのことかもしれませんが、たったひとつの文字が句の印象やリズムをがらりと変えてしまうということを、今回の句会で強く感じました。  句会とは、素晴らしいコミュニケーションの場ですね。互いに尊重しあいながら、自分の心の中の思いを率直に吐き出せる貴重な空間を、これからも大事にしていきたいと思います。句会の白熱する討議に夢中で、合評を記す余裕がありませんでした。ここまでお読み頂いた貴方様も、次はぜひ、樸のZoom句会をご体験ください。(小松浩) ...

9月4日 句会報告

9月上

2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。 兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選  花すゝき欠航に日の差し来たる              古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  病中のことは語らずマスカット               活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。     【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと               小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄 【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう         【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒               猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう      【原】 深刻なことはさらりと花薄              活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき      また、今回の例句が恩田によって紹介されました。   秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ               星野立子   白川西入ル秋灯の暖簾かな               恩田侑布子   たよるとはたよらるゝとは芒かな             久保田万太郎   新宮の町を貫く芒かな             杉浦圭祐   わが恋は芒のほかに告げざりし            恩田侑布子   葡萄食ふ一語一語の如くにて              中村草田男 【後記】 夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。 (古田秀) ...

8月24日 句会報告

八月句会報_上2_松林から

2022年8月24日 樸句会報 【第119号】 今回の兼題は「残暑」「流星」「白粉花」――今回は念願のリアル句会で、さらに恩田より今回1名、次回1名、計2名の新入会員のお知らせがありました。新しい息吹のちからで、ますます句会が熱を帯びてくる気配がします。そのおかげもあってか、特選・入選・原石賞が生まれる豊作の句会となりました。 特選2句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選  初戀のホルマリン漬あり残暑             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「残暑」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  斎場へ友と白粉花の土手              島田 淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「白粉花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  点滴をはづせぬ母の残暑かな                猪狩みき 【恩田侑布子評】 入院して日が浅いわけではないことを季語が語っている。長い夏のあいだじゅうじっと入院生活を耐えてきたのに、秋になっても、法師蝉が鳴いても、まだ刺さっている点滴の管。母の痩せた身体に食い入っている針を今すぐはずし、手足をゆったり伸ばしてお風呂に入れてあげたい。しかし、食が細っているのか、「はづせぬ母の残暑」。共感を禁じ得ない句である。 【合評】 もどかしさ、鬱陶しさが季語と響き合います。         【原】逢坂はゆくもかえるも星流る               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸」の本歌取りの句。惜しいことに「は」でいっぺんに理屈の句になってしまった。しかも句末の動詞で句が流れる。流さず、一句を立ち上がらせたい。 【改】逢坂やゆくもかへるも流れ星           【原】残暑をゆく壊れし天秤のやうに                古田秀 【恩田侑布子評・添削】 上五の字余りと句跨りは疲れた心身の表現だろうか。気持ちはわかるが、このままでは破調の句頭だけが目立ち、中七以下せっかくの詩性が押さえつけられてしまう。「残暑」の中をえっちらおっちら「壊れし天秤のやうに」ゆく、よるべない思いと肉体感覚は素直なリズムに乗せ、臍下丹田に重心をおきたい。残暑が逝くのと、残暑の中を自分が行くのと、ダブルイメージになればさらに面白い。 【改】残暑ゆく壊れし天秤のやうに 【合評】 うだるような残暑の中を辛そうに歩いている自分(もしくは他人)の姿を「壊れし天秤」と表現したのが新鮮です。        【原】同じこと聞き返す父いわし雲               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 晩年の笠智衆を思い出す。少しほどけて来ていても、どことなく憎めないいい感じの父である。「聞き返す」は「同じこと」なので、少しつよめた措辞にすると調べも良くなり、すっきりと「いわし雲」が目に浮かんでくる。 【改】一つこと聞き返す父いわし雲 【合評】 人生の終盤を迎えた父親。同じことを何度も聞き、何度も話しているように見える。それは父がその都度大事だと思った事を新たに問い、噛みしめているのかも知れない。      また、今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。       残暑    秋暑し癒えなんとして胃の病               夏目漱石    口紅の玉虫いろに残暑かな               飯田蛇笏       佐渡にて               膳殘暑皿かずばかり竝びけり             久保田万太郎         流星    星のとぶもの音もなし芋の上             阿波野青畝    流星や扉と思ふ男の背   恩田侑布子『イワンの馬鹿の恋』         白粉花・おしろい    おしろいや屑屋が戻る行きどまり               佐藤和村    おしろいのはなにかくれてははをまつ      恩田侑布子『振り返る馬』 【後記】 筆者は現在インドに在住しており長らくリアル句会には参加できていません。ですがこうやって月に2度、会員の俳句をじっくりと読むことで、ある意味家族以上に近い存在に思えてくるから不思議です。インドで生活しながら、そんな俳句の力をしみじみと感じています。 (芹沢雄太郎) ...

11月7日 句会報告

20211107-1

2021年11月7日 樸句会報 【第110号】 昼過ぎには雲間にサックスブルーがこぼれ、雨意もすっかり払われました。久々に戻って来られたメンバーを交えて、心躍る句会の始まりです。ちょうど立冬。次回は冬季で詠むのかと思うと、日差しがより一層いとおしく感じられます。 兼題は「新蕎麦」「猪」「草紅葉」――いずれも晩秋の季語ですが、後に載せるそれぞれの例句のうち、「猪鍋」や「山鯨」は既に冬の季語。ちなみに、「蕎麦掻」「蕎麦湯」も冬の季語となります。美味しそうなものばかりですね。 特選句、入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ◎ 特選  彫るやうに名を秋霖の投票所            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋霖」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  小三治の落とし噺や草紅葉            萩倉 誠 【恩田侑布子評】 さきごろ八十一歳で亡くなられた人間国宝の噺家、十代目柳家小三治さんへの追悼句です。小三治さんは、俳句を愛好する「東京やなぎ句会」のメンバーでもありました。作者は小三治贔屓だったのでしょう。芸にいのちを賭けたひとの高座をつらつらと思い出しながら草紅葉を踏んでいます。噺に登場する長屋の誰れ彼れも、郭の花魁も、幇間も、みな草紅葉のように胸にせまり、いとしくなります。 【合評】 渋く落ちました。 語り口から生み出される世界。自分もそこへ引き込まれ、草紅葉として聴き入っている心地になる。 落語と草紅葉は確かに合っている。ただ、小三治でなくて他の噺家でもいいのでは? 追悼句であると前書きを付けてはどうか。 いや、「草紅葉」といったら、落とし噺の名手である小三治しかあり得ない。前書きも不要。     【原】「げんまん」の声こぼれたる草紅葉                田村千春 【恩田侑布子評】 「草紅葉」の兼題に、ゆびきりげんまんをもってきた感性がすばらしいです。弱点は、「こぼれたる」の連体形が草紅葉にかかること。切れをつくりたいです。 【改】「げんまん」の声のこぼれし草紅葉 こうすると、「指きりげんまん」が、過去のあの日あの時の忘れ難い声になり、草紅葉のしじまのなかにいつまでも余情となって残ります。すばらしい特選句になります。 【合評】 幼い頃の約束事は、大人から見ると他愛ないものが多いとはいえ、いたって真剣にかわされる。草紅葉と響き合うし、光景が美しい。 「げんまん」と平仮名だから子供同士とは思うけれど、親と子が唱えている声のような気もしました。 子供の会話を題材にした句というと既視感がある。   サブテキストとして、今回の季語の名句が配布され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。     新蕎麦・走り蕎麦  新蕎麦やむぐらの宿の根来椀               蕪村  新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり               水原秋桜子  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦               草間時彦    猪・猪垣・猪道 (秋)  猪の寝に行かたや明の突き               去来  手負猪頭突きて石を落しけり               山中爽  猪垣の中やびつしり露の玉               宇佐美魚目    猪鍋・牡丹鍋・山鯨 (冬)  ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ               阿波野青畝    山鯨狸もろとも吊られけり               石田波郷    二三本葱抜いて来し牡丹鍋               廣瀬直人    草紅葉  家なくてただに垣根や草紅葉               松瀬青々  草紅葉焦土のたつき隣り合ふ               幸治燕居  泥地獄とぼしき草も紅葉せる               首藤勝二  好きな絵の売れずにあれば草紅葉               田中裕明   連衆の人気を集めたのは、次の二句です。  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦  好きな絵の売れずにあれば草紅葉 「もたれたる…」の「今年蕎麦」には、食欲を掻き立てられると評判でした。すがすがしい空気、煌めくせせらぎと水の香、蕎麦を打つ音――まさに五感が悦ぶ作品。伊豆の人気の蕎麦処を思い浮かべましたが、名店ひしめく信州かも。今か今かと待ち受ける、その場にいたら、瀬音より大きな音でお腹が鳴ってしまいそう。 「好きな絵の…」は、お気に入りの絵を目当てに通い詰めている画廊へ、足早に向かう人か、あるいは、「よかった、まだあった」と見届けたのち、帰りの路地をたどりつつ、「ほんとは買いたいんだけど…」と溜息をついている人でしょうか? 道端の草の紅いろが目に留まり、絵への愛着は増すばかり。市井をただよう哀歓をそっと掬い上げる、こんな優しい「草紅葉」もあるのですね。           【後記】 本日は、まず恩田より「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」と心得を説かれ、全員の背筋が伸びました。 範とすべき作品として、先ごろ刊行された恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)が浮かびます。同書をひもとけば、「珠玉句を一粒ずつあじわう楽しみ」と同時に、「いのちの一筆書きをたどる〝俳句小説〟の愉悦」にも浸ることが叶うのですが、それは、作者が「身體全部で俳句をやった」からに他なりません(「 」内:恩田解説――やつしの美の大家 久保田万太郎――から引用)。 生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました。      (田村千春)                             今回は、特選1句、入選1句、原石賞1句、△3句、ゝ10句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) =============================  11月24日 樸俳句会 特選句・入選句・原石賞 ◎ 特選  銀杏落葉ジンタの告げし未来あり             田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「銀杏落葉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください      ○入選  月蝕をあふぐ落葉のスタジアム             見原万智子 【恩田侑布子評】 十一月一九日金曜夜、部分月食が見られました。私も山の谷間で、山の端にうかぶ薄曇りの月蝕をいまかいまかと見上げていました。作者はスポーツか、音楽ライブか、いずれにしても巨大なスタジアムの観客として月蝕を仰いでいます。「落葉の」という限定がきわめて効果的です。野外場の周りは樹木が多く、そこから落葉がスタジアムの客席まで吹き込んでくる光景が想像されます。足元もコンクリの通路に色とりどりの落葉が散り敷いていることでしょう。人間の地上の祭典と天体のショーがひびき合っています。     【原】小夜時雨ペダルふみこむ塾帰り                鈴置昌裕 【恩田侑布子評】 なかなかいいところを捉えています。季語は下にもってゆくとよりいっそう余情が出ます。また「塾帰り」と「小夜時雨」がやや重なるので、「塾の子」と主語を先に明かしましょう。 【改】塾の子のペダルふみこむ小夜時雨     【原】葉脈は骨格となり朴落ち葉                林 彰 【恩田侑布子評】 発見がある句です。朴落葉の来し方行く末をしっかりとよく見ています。朴の木は五月、万緑のなかに、白い大きな芳しい花を冠のように咲かせます。そして、落葉は、ひときわ大きく、茶色の地味なそれは雨風とともに存在感を日々増してゆきます。まさにそれが朴の「骨格」をなす葉脈です。私は一昔前に西伊豆山中で、その骨格の葉脈だけが見事なレース細工のようになった一枚の朴落葉に感動したことがあります。このままでは経過途中です。結果だけを表現しましょう。 【改】葉脈はつひの骨ぐみ朴落葉 こうすると、朴落葉の気品まで感じられませんか。     【原】落ち葉踏み子らの走るや声高き                望月克郎 【恩田侑布子評】 落葉などほとんど眼中になく、公園や校舎裏を走り回る冬でも元気な子らの声。悪いところはないですが、俳句としての魅力がいまいちなのはなぜでしょうか。作者の感動の焦点が那辺にあるか、つかめないからです。「落葉を踏んで子どもたちが走っているよ。声も高く元気だよ。」と見たままの報告に終わっていませんか。話の順番を変えるだけで変わります。 【改】声高く子らの走るや落葉踏み 子どもらと、踏みつけられる落葉の対比がはっきり出ます。そこに、蛇笏の「落葉ふんで人道念を全うす」ではありませんが、元気にかけまわる子らを底で支えながら去ってゆく、声なきもろもろの存在がじわりと伝わります。詩の核心が誕生します。     【原】猫を撮る落葉に膝は湿りつゝ                塩谷ひろの 【恩田侑布子評】   猫好きな作者であることがわかります。しかも美しい猫なのでしょう。三十六歳で死んだ夭折の画家菱田春草の「黒き猫」(明治四三年)が目に浮かびます。ただしこの句はこのままでは、季語の「落葉」より、下五の「膝は湿りつゝ」のほうが目立ちます。座五は抑えましょう。 【改】猫を撮る落葉に膝を湿らせて こうすると、一匹の猫と向き合う静かな空間が立ち上がります。     【原】ふつくらな猫に寄り添ふ小春空                萩倉 誠 【恩田侑布子評】 副詞「ふっくら」は通常は「と」を伴います。同じ意味ですが冬の日にふさわしい微妙に陰影のある「ふっくりと」に変えてみましょう。季語も「小春空」ですと、冬晴れの空へ猫の毛の質感が消えて失くなりそうです。猫のからだのやわらかさを感じさせつつ、このあたたかさや慰安が、つかの間のことであることを感じさせる季語を斡旋し、調べをととのえましょう。 【改】ふつくりと猫に寄り添ふ冬うらら     【原】茶の花のけぶりて白き水見色                益田隆久 【恩田侑布子評】 静岡の奥座敷「水見色」村は、その美しい地名とともに、朝晩の霧の深い本山茶の茶処としても有名です。春は桜、夏は螢や河鹿が棲む、たいへん風光明媚な山里です。けぶりてまではいいですが、「白き」が惜しい。言わでもがなのことを言ってしまいました。ここが、ただの五七五か、俳句という詩になるかどうかの分かれ目です。水見色という清冽な地名を活かすために、朝や午前の日にかがやく清冽な茶の花の光景を描き出しましょう。すばらしい風土賛歌になります。 【改】朝にけに茶の花けぶる水見色  

8月25日 句会報告

20210825

2021年8月25日 樸句会報 【第107号】   8月20日から静岡にも緊急事態宣言が出され、急遽リモート句会となりました。COVID-19が世界中に広がってから1年半が過ぎ、実社会においてもリモートワークやオンライン授業などが当たり前に導入されています。技術革新に感謝したい一方、皆が一堂に会する場の空気や手触りが恋しくなるのはないものねだりでしょうか。 兼題は、「墓参」「花火」「芙蓉」です。   ◎ 特選  安倍川に異国に慰霊花火降る             鈴置昌裕   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花火」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  からだぢゆう孔ひらきだす虫の闇               古田秀           【恩田侑布子評】 「孔ひらきだす」になまなましさがあります。季語と相俟って、ねとつくような蒸し暑さが残る深い闇を感じさせます。生きているからこそ人間には孔があり、虫には翅音があるのに、地中深く黄泉の国へ引きずり込まれてゆくかの不安感は、生と死が溶け合うようです。やや不気味な読後感は、生きていること自体得体が知れない、という思いへ人を誘います。 【合評】 縁側に坐し、真っ暗な庭から響く虫の声に秋の到来を感じ、聴覚、視覚に加え全身の孔が研ぎ澄まされるように全開する肌の感覚を巧みに表現した秀句。 「全身を耳にして」とはよく聞きますが、「体中の孔が開く」という表現に驚きました。眼、耳、口、鼻、肛門…。汗腺まで入れれば本当に人間の身体は孔だらけ。孔は外界と交信する器官です。虫のすだく闇に呼応するように、全身の孔という孔が一斉に開いていくという感覚はとてもシュールで面白い。漢字は孔、虫、闇のみで、あとはひらがなという表記も効果的と思います。       ○入選  眼鏡つともち上げもどす夕芙蓉               見原万智子      【恩田侑布子評】 近視用ではなく老眼鏡ではよくこんなことをします。年配者が焦点距離を少し合わせるための仕草です。古希前後の余裕のある日常の感じと夕芙蓉との取り合わせが絶妙です。それといった意味もないのに、たゆたいの情が匂う感覚の優れた句です。 【合評】 読書に余念のない作者が、涼しい風と辺りが薄暗くなってきたことを感じ、眼鏡を持ち上げ庭に視線を移すと、酔芙蓉は白からピンクに色を変えています。花の色に目を休めた作者は、眼鏡の位置を戻し、再び本に視線を落とします。晩夏から初秋にかけての季節感を静かに感じさせ、今の先行きの見えない閉塞感を一瞬忘れさせてくれるとてもよい句だと感じました。       ○入選  墓参てきぱきと骨になりたし               見原万智子 【恩田侑布子評】 「てきぱきと」仕事をこなす作者が、「てきぱきと骨になりたし」と思っておられたとは。ただ、全国にぽっくり寺があるくらいなので、老耄の身を晒して長々と子や孫に下の世話にまでなりたくないという思いは、珍しいわけではありません。手柄は「てきぱきと骨になりたし墓参」をひっくり返した五五七の破調の工夫にあります。宙吊りの余白が斬新です。しかし、作者コメントによると、「自分の焼骨はあまりお待たせしたくない」という火葬場での即物的希望を詠んだものと発覚。バラさないで欲しかったと思うのは私一人ではないでしょう。 【合評】 まさに近頃の己が思いを代弁してくれているように思いました。 普段からてきぱきと物事を進める方なのでしょう。他人に迷惑をかけず。自分の最期の時にまでそうありたいという切実な思い。そして墓参の際にもそう考えてしまう「性分」の可笑しみ。「てきぱき」の音が、骨の音に聞こえてきます。 墓に参ると諦念に襲われます。もう存分に生きたから、いや、そんなに生きていないけど、そろそろオサラバしてもいいかな。「ホラホラ、これが僕の骨」(by中也)       【原】亡き人よ見えわたるやと問ふ花火               見原万智子 【恩田侑布子評】 「姑が最後に見た焼津海上花火大会のひとコマ。車椅子に座り亡き舅の写真をしっかり抱いていました。「お父さぁん、見えるかね〜?」という呼びかけが、空へ向けて何度も放たれるのでした。」 以上が作者の弁。体験の刻まれた胸を打つ光景です。なるほど、思いが余って「亡き人よ」と呼びかけ、さらに「見えわたるや」とせずにはいられなかった気持ちはわかります。でも俳句表現としてみるとどうでしょうか。お姑さんの行動を横から見ている描写にとどまり、作者との一体感がイマイチです。ここはお姑さんの気持ちになりかわりましょう。 【改】亡き人に見えわたるやと問ふ花火 一字の違いで、中七の「見えわたる」という措辞がいっそう生きて来ましょう。 【合評】 花火を観ることが好きだった故人を偲ぶ思いがよく伝わります。「見えわたる 」に、空に広がる花火の壮大さがよく表現されています。       【後記】 兼題のこともありますが、近しい人の死、自己の死を想う句が多く、リモートゆえ孤独な選句であってもどこか会員同士輪になってともに句を読み進めていくような感覚がありました。ともすれば分断を煽られがちな異なる社会属性や世代が、対等に何かについて話し、評することができる場は本当に貴重です。ワクチン接種が進み、COVID-19の早期収束を望む一方、次々と出現する変異型に社会はまだ振り回されています。疫禍がもたらした予期せぬ“ニューノーマル”な暮らしの中で、奔流に抗う一本の自己の根を下ろすことが、俳句、ひいては文学の役割かもしれません。                      (古田秀) 今回は、特選1句、入選3句、原石賞2句、△2句、ゝ14句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     ============================= 2021年8月8日句会 入選句 ○入選  瓜揉や食卓に小ぶりの遺影               見原万智子 【恩田侑布子評】 暑い盛り。瓜揉が主役の簡素な昼餉でしょう。テーブルには遺影が置かれています。豪華な写真立ではなく、小ぶりのつつましい写真立に入っているいとしいひとの笑顔。「小ぶり」の措辞が素晴らしく働いています。生前もいつもここで一緒に食べていたが、亡くなっても一緒に食事をしているのです。仏壇のなかの位牌を拝むだけでは足りない親しさなつかしさ。瓜揉の翡翠色が、ひときわ涼しく哀しい。きっとひとり住いなのでしょう。清らかな故人への思いが、その亡き人のお人柄まで想像させる心打たれる俳句です。     ○入選  夏草を漕ぎ湿原の点となる               海野二美 【恩田侑布子評】 高地の湿原をゆくここちよさ。茅や蒲や、かやつり草、わたすげなどの群生する青々とした天上の草原で、いま私は、どこの誰でもない、男でも女でもない。もはや人間であることも忘れて、天地の間のただ一点になります。大自然に抱かれる夏の歓喜です。やぶこぎの「漕ぎ」と、座五の「点となる」によって、景が鮮やかに浮かぶ句になりました。