2021年3月7日 樸句会報【第102号】 2021年弥生の句会は、コロナの影響などにより今回もリモート句会となりました。 兼題は「目刺」「踏青」「春の月」です。 特選1句、入選2句を紹介します。 ◎ 特選 目刺焼くうからやからを遠ざかり 見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(目刺)をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 可惜夜の添寝をつつむ春の雨 萩倉 誠 【恩田侑布子評】 「添寝」からすぐ赤ん坊の添い寝を思いましたが、そうではないようです。 男女、しかも夫婦ではない恋人同士のようです。それでなければ「可惜夜の」措辞が生きてきません。久々に逢えた愛しい人のとなりで、ただしめやかな春の雨音につつまれてそのひとの眠りを見守っています。春雨とはちがう「春の雨」の微妙な情調が一句全体をひたしています。 【合評】 しっとり感。 詩情あふれる句。最初はなぜ「可惜夜や」としなかったのかと思いましたが、ここに切れを入れると上五の存在感が強くなりすぎ、季語の影が薄くなってしまうのかも知れません。そう考えると、掲句の方がより良い形だと思えました。 ○入選 春の月財布も軽き家路かな 島田 淳 【恩田侑布子評】 省略の効いた句です。さらに、ふつうは失敗しやすい「も」がこの句ではめざましく活きています。「財布も」の「も」に感心しきりです。「財布の」とした場合と比較してみると違いは歴然です。「も」の一字によって作者の足取りも心も軽いことが余白にうかがえます。ほろ酔いの一杯機嫌で家路につく軽やかな満足感。何より素晴らしいのは、おおらかな春の月にみあう恬淡な心境が垣間みえることです。 【合評】 分かりやすい句だが、思わず頬が緩む。長い冬が去り、やっと訪れた春の宵は何となく心が浮き立ち、思わず衝動買いに走る楽しさ。気が付けば散財により軽くなってしまった財布にも溢れる満足感。 学びの庭 恩田侑布子 リズムは俳句のいのちです。なぜなら俳句は韻文だからです。事務文や日記や小説や評論などの散文は、意味の伝達をなによりも第一に考えます。いっぽう、韻文では、内容と調べは不即不離です。ことに、現代短歌が昭和後期から趨勢として口語散文化へ傾斜してゆき、いまや俳句が日本の韻文の最後の砦ともいうべき状況になりつつあります。わたしたち俳人は韻文としての俳句の固有性と可能性にこれからも果敢に挑戦しつづけて参りましょう。 『去来抄』の名言のひとつに「句においては身上を出づべからず」があります。頭だけの句、想像だけの句、教養にものをいわせた句ほど弱いものはありません。自然、社会、人間という現場のただなかで全人的な俳句を志していきたいものです。 [後記] 個人的な感覚ですが、どこかへ出かけて吟行したとき、その場で句を詠むよりも数日経過してそのときのことを思い出しながらの方が、俳句としての言葉が出てくるような気がします。目の前のものを俳句という型に当てはめてどう詠むかという技術論・形式論ではなく、自分の心に何が引っかかり、本当は何を詠みたいのか、いわば感動の芯のようなものを見つめ返す契機になるからかもしれません。恩田代表の「学びの庭」にもあるように、「自然、社会、人間という現場のただなか」に立ち、本当に詠みたいものは何なのかを問うことから、感動やそれを伝える言葉が生じるのかもしれません。(古田秀) 今回は、◎特選1句、〇入選2句、△8句、ゝシルシ15句、・6句という結果でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
「本日の特選句・入選句・最高点句」カテゴリーアーカイブ
本日の句会で高い評価を得た作品をご紹介します!
1月10日 句会報告
2021年1月10日 樸句会報【第100号】 樸代表 恩田侑布子 第100号記念祝詞 このたびの初句会が樸句会報の100号記念になるとのこと、慶賀に存じます。これも連衆のみなさまの熱意のたまものです。心から感謝しおん礼申し上げます。 樸は一人ひとりが真剣に、「リアル・オンライン融合句会」の全俳句を選句し、口角泡を飛ばして合評し、笑い合う楽しい句会です。そこにぱらぱら振られる恩田のカプサイシンが心地よい緊張感をもたらすことを庶幾しております。もちろんコロナ禍とあって、だだっぴろい部屋には三方向から風が吹き込み、美男美女があたらマスクをしております。が、そこからはみだす頬のかがやかきは隠しようもございません。三時間余の句会を、「生きがいです」とも「ボケ防止です」とも言ってくださる連衆のイキイキした俳句に私自身が毎回励まされております。三役と編集委員のみなさまのたゆまぬご支援にもつねづね頭が下がります。 そうと教えられるまで夢にも知らなかった第100号記念、本当にありがとうございます。これからも一人ひとりの目標に向かって、互いに温かく見守りあい切磋琢磨して、一句でもいい俳句をつくってまいりましょう。 2021年の初句会は、新型コロナウイルス感染再拡大の影響もありネット句会となりましたが、新年に相応しい力作が寄せられました。 兼題は「初雀(初鴉、初鶏)」「去年今年」です。 特選1句、入選1句、原石賞6句を紹介します。 ◎ 特選 ししむらを水の貫く淑気かな 古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(淑気)をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 初鴉燦々とくろ零しゆく 田村千春 【恩田侑布子評】 元日の淑気のなかをゆく鴉の濡れ羽色がきわやかです。黒い色はひかりを吸いますからふつうは「燦々と」は感じられません。ところがこの句では、「燦々と」にたしかな手応えがあります。「初鴉」を句頭に置き、「くろ」をひらがなにしたことでしなやかな羽根の動きが眼前し、「零しゆく」で、青空に散る水滴が墨痕淋漓としたたるのです。みどりの黒髪ならぬぬばたまの羽の躍動は斬新です。一句一章の句姿も新年のはりつめた空気さながら。 【原】終電ののちの風の音去年今年 猪狩みき 【恩田侑布子評】 終電の通り過ぎたあとの風に去年今年を感じるとは、まさにコロナ・パンデミックに襲われた昨年をふりかえる二〇二一年ならではの新年詠です。ただ「カゼノネ」という訓みかたはクルしくないですか。 【改】終電ののちの風音去年今年 あるいは都会の無機質な風の質感に迫って 【改】終電ののちのビル風去年今年 などにされると、コロナ禍に吹きすさぶ深夜の風がいっそうリアルに感じられるでしょう。 【合評】 終電を降り人がほとんどいないホームに立つと、私はまず「こんなこといつまで続けるんだろう」と思い、次に「今日はやり切った。そして続けるしかない」と気持ちを切り替え、さらに移動し始めます。気持ちの境目と去年・今年の境目という二重構造になっている点が優れていると思います。 終電を降りて深夜の家路を急いでいます。すでに年は改まりました。自分ではよく働き、よく生きてきたと思う…。耳元で風が囁きます。「あゝ、おまへはなにをして来たのだと…」(by中也)。作者の心情がよく伝わってくる句だと思いました。 コロナ禍で深夜の初詣も自粛。終電も早くなったことのむなしさと淋しさが後の風に良く響く。さりげない一句に、例年にない年明けの哀感が滲み出ている。 【原】胸に棲む獅子揺り起こす去年今年 金森三夢 【恩田侑布子評】 力強い新年の詠草です。ただ終止形の「す」だと一回きりの感じがしてもったいないです。「去年今年」の季語ですから、いくたびも揺りおこしつつという句にしたいです。そこで、 【改】胸に棲む獅子揺り起こし去年今年 一字の違いで秀句になります。 【合評】 作者の内にある獅子を起こす。今年の意気込みを感じる。 【原】今年こそ麒麟出でよと富士映ゆる 金森三夢 【恩田侑布子評】 ご存知のように中国の古典では麒麟は聖人がこの世に現れると出現するといわれ、才知の非常にすぐれた子どものことを麒麟児といいます。郷土の誇り富士山に、気宇壮大な幻想を力強くかぶせたところがすばらしい。惜しいのは最後の「映ゆる」。「麒麟出でよ」と富士山が身を乗り出しているようで俗に流れます。ここは作者自身の肚にどーんと引き受けたいところ。 【改】今年こそ麒麟出でよと富士仰ぐ 格調のある特選句◎になります。座五は大事。俳句の死命を制します。 【原】干涸びし甲虫の落つ煤払い 島田 淳 【恩田侑布子評】 「煤払い」のさなかに貴重な体験をしました。いえ、俳句の眼がはたらいていたからこそ、この瞬間を見逃さなかったのでしょう。「夏のカナブンがその姿を止めていた」と作者はコメントしています。その感動にたいして「落つ」はもったいない。正直なたんなる報告句になってしまいます。 【改】干凅びし甲虫と会ふ煤はらひ 詩的ドラマが生まれます。 【原】初雀しばし「じいじ」に浸りおり 萩倉 誠 まだ幼い孫におじいちゃんおじいちゃんと慕われ、まといつかれる作者。「初雀」と「じいじ」の取り合わせがなかなかです。そのぶん「浸りをり」でいわゆる「孫俳句」に転落しかかったのが惜しいです。 「孫が逗留中。「じいじ」「じいじ」の大洪水。溺死しそうな毎日が続く」の作者コメントを生かし、こんな案を考えてみました。 【改】初雀「じいじ」コールに溺死せり 浸るのではなく溺死。俳味を得ればもう「孫俳句」とはいわせません。 【原】レジとづれば大息つきぬ去年今年 益田隆久 【恩田侑布子評】 コロナ禍の日本で、いえ世界中の小売店でどれほどこのような光景が日々繰り返された去年今年であったことでしょう。「大息つきぬ」に理屈抜きの実感があります。ただ「レジとづれば」の字余りの已然形はいかがでしょうか。「…するときはいつも」は現実に忠実かもしれませんが俳句表現としては弛みます。ここはレジを閉じる一瞬に焦点を当て定形で調べを引き締めたいです。 【改】レジ閉ぢて大息つきぬ去年今年 これならすぐれた時代詠の入選句◯になります。 【合評】 年中無休が当たり前のようになった現代の小売業。サントムーンもららぽーとも大晦日元日関係ないかのように営業していました。掲句はずっと小規模な商店かもしれませんが、大晦日も営業していたのでしょう。「大息」に実感があり、レジを閉じる音とともに年が変わってしまったような錯覚が生きています。ああもう今年は「去年」に、来年は「今年」になってしまった… [後記] 新年詠に際して連衆のそれぞれの思いを一部抜粋してみました。 昨年の初句会で恩田代表から、新年の季題は明るく、めでたしが良しと伺った。それを基に作句・選句しました。 「去年今年」が平べったく「去年と今年」「去年から今年」となってしまいとても難しい季語だと思いました。新年の明るさや喜びの句が少なかったのはやはりコロナ禍のせいでしょうか。 たった一語の違いで、つまらない句が活き活きと動き出すおもしろさ。日本語の素晴らしさ。 年始の慶びを実感できない、表現しづらい社会状況だった。きっといまの時代にしか作れない俳句があると思うので、喧騒ややるせなさを逆手にとって、したたかに頑張っていきましょう。 俳句という器のサイズと、季の中に私自身を往還させることの大切さを改めて認識出来ました。季語ともっと親しくなるために、机の上で作句するだけでなく、自然環境に身を置く事を大切にする一年としたい。 緊急事態宣言が再発令され、なかなかコロナ収束が見通せない年初です。 句座をフルメンバーで囲める日の来ることを心より願います。思う存分口角泡を飛ばしたい筆者です。 (山本正幸) 今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞6句、△4句、ゝシルシ9句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ===================== 1月27日 樸俳句会 特選句と入選句を紹介します。 ◎ 特選 レコードのざらつき微か霜の夜 萩倉 誠 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(霜夜)をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 風花舞へり六尺の額紙 萩倉 誠 【恩田侑布子評】 「額紙」は「葬式のときに棺を担いだり位牌を持ったりする血縁者が額につける三角形の紙」と、辞書にあります。私の経験したお葬式にはそうした風習はなく、初めて知った言葉です。知ってみるとなかなか迫力のある光景です。 六尺の大男の額に三角の白紙がひらひらして、そこに風花が舞うとは、きっと喪主なのでしょう。悲しみに寡黙に耐えて白木の仮位牌を胸に抱き出棺の儀式に歩むその瞬間でしょう。句またがりのリズムが効果的。 作者がわかってお聞きすると、御殿場市の田舎では1950年代まで土葬だったそうです。棺を担ぐ男たちを「六尺」といって、みな白い三角の額紙をつけて土葬の野辺まで歩いたそうです。帰りには浜降りといって、黄瀬川や千本松原で仮位牌に石をぶつけて流したそうです。日本の古い送葬の儀式の最後の証言ともいうべき大変貴重な俳句です。
8月2日 句会報告
令和2年8月2日 樸句会報【第95号】 Withコロナの時代、リアル句会が復活して4回目です。県外の連衆は来館制限されているため少人数でしたが熱い議論となりました。 兼題は、「髪洗ふ」と「裸」です。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選 ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください ○入選 立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ 山田とも恵 自転車で出発。思わず立ち漕ぎをして急ぎます。心が逸り、炎昼も汗も眼中にはありません。私はそこに行く。まっしぐらに行くのです。もう、心は向こうにあるから。そのとき、です。炎天を踏み抜いた、底が抜けた!と思ったのです。映像を即物的に「立ち漕ぎの踵」に絞ったことが奏効しました。座五の「踏み抜きぬ」で、踵がリアルに異界に突き抜けた感じが出ています。 (恩田侑布子) 【合評】 暑さの激しさと立ち漕ぎで踏み抜くという動きの強さとがマッチしている。 ○入選 裸子の羽あるやうに逃げまはる 前島裕子 ひとは赤ん坊から幼児期に移行するほんのひととき、肩甲骨のあたりに透明な羽をつけます。まだいちども強い日光にさらされていないやわらかな肌。ふくふくした手足のくびれ。その子をバスタオルを拡げて捕獲しようとする母の、なんというしあわせな一瞬。 (恩田侑布子) 【合評】 逃げまわっている子どもの動きが見えるよう。裸であることで楽しさが増すような。 子どもの貝殻骨はよく動く。その光景がよく見えます。 「羽あるやうに」がいいですね。幼児の肩甲骨は天使の羽に擬せられますから。 【原】裸子や目に羊水の波頭 見原万智子 おかあさんの胎内の羊水にただよう胎児を裸子とみた着眼にインパクトがあります。ただ「波頭」はどうでしょうか。強すぎませんか。推敲はいろいろ考えられますが、たとえば一例として次のようにすると、羊水と母なる海とがダブルイメージとなり、内容にふくらみがうまれそうです。 【改】はだか嬰よ目に羊水のしじら波 (恩田侑布子) 【合評】 羊水を海に喩えたのですね。精神分析の世界のようにも思えます。 「生まれたての赤ちゃんの目を覗き込んだら、羊水の波頭が見えた」という風に読みました。なんだか本当の波の音も近くで聞こえているような気もします。とても詩的な光景だと思います。羊水の波頭っていいなぁ…。 披講・合評に入る前に、恩田から本日の兼題の例句が板書されました。 裸 伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸 中村草田男 はだかではだかの子にたたかれてゐる 山頭火 海の闇はねかへしゐる裸かな 大木あまり 髪洗ふ 洗ひ髪身におぼえなき光ばかり 八田木枯 洗い髪裏の松山濃くなりぬ 鳴戸奈菜 髪洗ふいま宙返りする途中 恩田侑布子 風切羽放つごとくに髪洗ふ 恩田侑布子 サブテキストとして、恩田がSBS学苑で指導している「楽しい俳句」の会員の句(2020年5月1日静岡新聞掲載)を読みました。 連衆の共感を集めたのは以下の句でした。 春の雨知らぬ男の傘がある 美州萌春 歌がるた公達の恋宙を跳び 都築しづ子 春の雨窓に小さき鼻の跡 活洲みな子 鉄瓶の湯気やはらかし女正月 石原あゆみ [後記] やっぱりリアル句会に勝るものはないようです。合評における言葉のやりとり(ときに応酬)が次々に化学反応を起こし新しい世界が現出していく様は、まさに「句座を囲んでいる」ことを実感させるものでした。特に今回は身体に即した兼題でしたので、連衆の生活の一端が垣間見え、大いに盛り上がったのです。恩田も全体の講評の中で「選評にはおのずと異性観や恋愛観があらわれ、愉快な句会でした」と述べています。そうか、おのれの異性観・恋愛観を振り返る契機としての句会でもあったのだな…いやまだこれから異性観などを変えることができるのかもしれないなぁ…などと独りごちた筆者でした。 (山本正幸) 次回の兼題は「天の川」「門火(迎火、送火)」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ3句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 8月26日句会 入選句 兼題「天の川」・「門火(迎火、送火)」 ○入選 天の川みなもと辿る野営かな 金森三夢 それきりのをんな輪切りの檸檬かな 古田 秀
6月7日 句会報告と特選句
令和2年6月7日 樸句会報【第92号】 コロナによる自粛生活から徐々に活動も戻り始めていますが、会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「早苗」と「五月闇」です。陽と陰、対極にある季語でしたが、どちらも独自の視点に立つ感性豊かな句が多く寄せられました。 特選1句、入選2句、そして△6句の中から1句を紹介します。 ◎ 特選 早苗田は空に宛てたる手紙かな 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください 【合評】 根付きのびはじめた早苗が風にそよいでいるさまはまるで仮名文字、田をうめている。それは、田の神様が空に宛てた手紙のよう。なんて素敵な着眼。 なるほど、早苗が列をなしている田圃は空へ宛てた手紙なのか。とても納得させられる句です。その手紙を読んだ空は、「よしわかった。しっかりお日さまのひかりを浴びてもらうよ、たっぷり雨を降らせるぞ」と決意したに違いありません。天も地も秋の稔りを待ち望んでいます。 ○入選 早苗投ぐ水面の空の揺るるほど 島田 淳 うつくしい早苗田のうすみどりと、水色の空と白雲。そこに今どきの田植機ではなく、手ずから苗を植える早乙女の姿態まで、しなやかな光景が眼前します。丁寧に一株ずつ植えていくので、これは最後の仕上げでしょうか。全体を見渡して、植え残したところを補充するため、早苗を畦から放ったところでしょうか。「空の揺るるほど」が出色で、初夏の野山の青々としたいきおいまで感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 梅雨晴れの朝、黄緑色の早苗が熟練の手で水田に投げ入れられる。一見無造作に見える所作だが、そこに秋の実りへの期待感が伝わって来る。水面に映える青空の輝きと苗の緑の色彩感覚も見事。 懐かしい田植え作業の一コマを素直に切り取る。邪心のない句。 ○入選 早苗舟登呂の残照負うてゆく 金森三夢 登呂遺跡の古代米の早苗を詠まれ、静岡の誇る地貌俳句になっています。「早苗舟」という傍題の選び方も的確です。「残照」が夕焼けの残んのひかりであるとともに、歴史の残照でもあり、千数百年の民族の旅路をはるばると感じさせてくれます。 (恩田侑布子) 【合評】 弥生時代にタイムスリップしたかのようです。登呂の緩やかな地形を感じます。水平方向の視線の先に早苗舟と夕陽が重なり、胸があつくなりました。 夕刻の光と早苗の青々とした色の対比がいいですね。登呂は弥生時代の農耕生活を伝える地。原初の夕映えのなかを早苗舟がすすんでいく光景はまさに一幅の絵です。 △ 来年のおととい君と苺月 見原万智子 六月の満月を「苺月」というのですね。今回初めて知りました。まだ国語辞書には載っていないようです。「来年のおととい」はけっして来ない夜でしょう。好きな相手、たぶん女性を思いながら報われない思いに小さくヤケになっている男心がいじらしいです。ストロベリー・ラブというのでしょうか?この句の作者がおっさんならいいのですが、もしも作者が女性だと、急にナルシシズムの匂いがしてきます。ふしぎですね。 (恩田侑布子) 【合評】 とるか迷いましたが、攻めてる姿勢に一票。「苺月」は先日のストロベリームーンことでしょうか。「来年のおととい君と」という表現が好きです。言語的には正しくないのかもしれませんが、こんな使い方をしたくなる時がある気がします。「来年の今日だと君と過ごしたい日は過ぎてしまっている」という切実さがあります。ただ苺月だと甘く見えすぎてしまうかなと思います。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の「神橋」12句(『俳句』2020年新年号)を読みました。 『神橋』12句および連衆の句評は恩田侑布子詞花集(←ここをクリック)に掲載しています。 [後記] 「今回はいつもにも増して、しなやかな感性の匂う素晴らしい作品が多かった」との総評を恩田からいただきましたが、筆者も締め切り時間ぎりぎりまで選句に迷いました。自分にはない発想、感性の句は大きな刺激になります。また、今回も恩田の全句講評および電話での懇切丁寧な個人指導もいただき、なんとも贅沢なネット句会でした。(天野智美) 次回の兼題は「青芒」「夏の蝶」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、△6句、ゝシルシ6句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
3月1日 句会報告
令和2年3月1日 樸句会報【第87号】 3月最初の句会です。新たに入会希望の方も見学に来られ、句会に新たな息吹が感じられました。 兼題は「水温む(春の水)」と「石鹸玉」です。 特選1句、入選1句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選 なまくらな出刃で指切る日永かな 天野智美 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください 合評では、「日永との取り合わせが面白い」「“な”が4回出てきて、調べが日永に合っている」「心もなまくらでボーッとしていて・・自戒をこめた句」などの意見が出ました。また日永という季語の本意が掴みにくいという声もあった。ちなみに山本健吉著「基本季語500選(講談社学術文庫)」では日永について次のように書かれている。 「俳諧の季題では、日永が春、短夜が夏、夜長が秋、短日が冬である。日永と短夜、夜長と短日は、算術的に計算すると、一致すべきはずだが、和歌、連歌以来そう感じて来ている。季感は人間が感じ取るものだから、理屈で割り切っても仕方がない。待ちこがれていた春が来た歓びと、日中がのんびりと長くなったことへのひとびとの実感が、日永の季語を春と決めたのであって、長閑が春の季語であることも相通ずる」 (芹沢雄太郎) ○入選 春の水洗ふや堰の杉丸太 見原万智子 春になって水量がゆたかになり、土砂の崩れた岸や山際に、杉皮のついたままの丸太が土止めとして使われている光景を、いきおいと力のある措辞でいい切った句。景色に鮮度と野性味がある。「春の水洗ふや」という一息九拍のスピード感が「堰の杉丸太」にぶつかる様がリアルだ。春の力とういういしさを同時に感じさせる。 (恩田侑布子) 合評では、「景が良く詠めている」「今は堰に杉丸太を使う所は少ないだろうが、どこを詠んだ句なのか気になる」などの意見がでました。 (芹沢雄太郎) 【原】水温む駆け寄る吾子の頬に砂 活洲みな子 芳草が萌出し春らしくなった川ほとり。石川原のあいだの砂場で一心に砂掘りしていた子が、なにか見せようとするのか、「おかあさん」と駆け寄って来る。上気したまるい頬は汗ばんで、こまかい砂をつけている。情景がよく見える。ひとつ惜しいのは「吾子」の措辞。まさに、吾が子可愛やの「吾子俳句」そのものになってしまった。子にも孫にも「吾」は要らない。余分なものをとれば、俳句が普遍性を獲得する。 【改】かけ寄れる子の頬に砂水温む (恩田侑布子) 本日の高得点句でした。合評では、「春の喜びが句から伝わってくる」「孫は寒い時期は動きが鈍い。それが暖かくなってくると、外で夢中に遊び始めるのを思い出した」「実にほほえましい光景ですね」「動詞が多いのが少し気になる」等の意見が出ました。 (芹沢雄太郎) 【原】黒猫に漱石吹くや石鹸玉 安国和美 「吾輩は猫である」の猫は黒猫だった。「黒猫に漱石」では即きすぎかと思うが、後半で予想は小気味よく裏切られる。文豪の漱石が、幼児の好むしゃぼん玉を、愛する猫に向かって吹く面白さ。胃潰瘍の漱石の人生にもこんな長閑なひとときがあったらよかった。ただ、「切れ」は大切だが、何でも切ればいいわけでもない。切字は内容と相談しよう。この句に勇ましい切字は要らない。やさしく夢のようなしゃぼん玉を飛ばせてあげよう。 【改】黒猫へ漱石の吹く石鹸玉 (恩田侑布子) 合評の前に本日の兼題の例句が恩田により配布されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 春の水山なき国を流れけり 与謝蕪村 春の水岸へ/\と夕べかな 原 石鼎 春水をたゝけばいたく窪むなり 高浜虚子 野に出づるひとりの昼や水温む 桂 信子 向う家にかがやき入りぬ石鹸玉 芝不器男 ふり仰ぐ黒き瞳やしやぼん玉 日野草城 句会の終り近く恩田から、2月26日に東京青山葬儀場で行われた芳賀徹先生の告別式の様子が報告されました。 「無宗教の花葬の立派なご葬儀でした。小学校から中学・高校・大学まで、八〇年間も肝胆相照らす親友で、東大教養学部一期生の揃って大学者になられた平川祐弘先生と、高階秀爾先生の弔辞が、お二人で一時間近く。中身が濃く細やかで情がこもって圧巻でした。 ご子息のご挨拶も、見事なご尊父の生涯を「みなさまがいてくださったからこそ」と感謝し褒め称えるもので、半分は三保の松原の天人の世界のできごとのようでした。 また中村草田男の愛嬢・中村弓子先生と、昨冬パリでご一緒させていただいた金子美都子先生と歓談でき、芳賀先生が私のことを「野性味がいいんですよ」と認めてくださっていたことを弓子さんからお聞きし、芳賀山脈の居並ぶ秀才をさし置いて、シンポジウムのメンバーにこんな駿河の山猿を抜擢してくださったことをあらためて感謝した次第です」 [後記] 本日の句会中に、恩田から芳賀徹さんの葬儀に参列された際のエピソードが語られました。筆者は話を聞きながら「俳句あるふぁ2019年冬号」にて、芳賀さんと恩田がポール・クローデルの百扇帖をめぐって意見をぶつけ合うのを読み、興奮したのをひとり思い出していました。対談での互いに譲らないすさまじい熱量を目の当たりにし、自分に芯をしっかりと持つことの大切さを学んだ気がします。 次回兼題は、「ヒヤシンス」と「囀」です。 (芹沢雄太郎) 今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ10句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
9月8日 句会報告と特選句
令和元年 9月8日 樸句会報【第76号】 9月1回目。台風15号が静岡に上陸する気配を感じながらの句会となりました。 句会冒頭に、2020年版「戸田書店カレンダーノート」に樸の連衆の句が掲載されることが恩田より発表され、掲載一句一句に対する恩田からの熱い選評と、戸田書店先代社長夫人・戸田聰子さんの思い出が語られました。 兼題は、「月」と「爽やか」です。 特選句、入選句及び△1句を紹介します。 ◎特選 人類へ月の兎に近よるな 林 彰 生まれて初めて聞いた神話は、アマテラスでも海幸山幸でもなかった。 「お月さまにはうさぎがいて、おもちをついているんだよ」 幼いころはよく酒屋へお醤油を買いに行くお使いをさせられた。往きはカラの一升瓶が帰りはずっしり重い。赤ちゃんを胸に抱くようにして帰ったものだ。その時、幼ごころに長い道のりのおともはお月さまであった。夜道の心細さに「出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい、ぼーんのような月が」と歌えば、うさぎがはねた。もううさぎさん、後ろに行っちゃったかな。見上げるたびに、月から白い長い耳がこぼれそう。いつまでたってもついてくるのが不思議でならなかった。 二〇一九年の年頭に中国は月の裏側に人工衛星を着陸させた。九月にはインドの探査機が月の南極に着陸寸前。すでに五〇年前、アメリカ人が月を踏んだ。テレビ画面に写る月はまるで砂漠のように見えた。 中国神話では月には蟾蜍に化した嫦娥が住んでいる。神話は古代人の迷妄のしるしだとする考えもある。しかし、月の満ち欠けに再生を祈り不老不死を願った心性は、人間が死から免れない以上、現代人にもよくわかる。 掲句は月にではなく、「月の兎に近よるな」という。この差は大きい。 「わたしたちのなかに住む清らかなものを、知識と技術で滅ぼしてくれるな」 仰がれる時、月の兎はかがやかしい白をもってはね遊ぶ。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ○入選 月白やマジシャンは先づカード切る 田村千春 「月白」という美しい季語を、まだ俳句を始めてまもない作者は歳時記に発見し、たちどころに過去のある記憶がよみがえったという。手品を始める白い長い指が一束のカードを繚乱と歯切れよく切り始める。これから始まる魔法の空間の先触れのように。月はいま、銀の湖のように山窪の空を明るませている。まもなく中秋の名月が上がる。その前のときめくような、どこかものさびしいようなたまゆらの時間に、あやかしの十指が澄み切った時間の開幕を告げる面白さ。 (恩田侑布子) ○入選 袖まくり路上ピアノの爽やかに 田村千春 最近のテレビに、世界の各都市の駅のコンコースにピアノを置いて、自然発生的に繰り広げられる市民の演奏を紹介する番組がある。この句は「袖まくり」がいい。この初句で、ふだんから弾いている音楽家でも音大生でもないことがはっきり想像される。純粋に楽しみでピアノを弾くひとである。長袖になったばかりの秋服の袖をまくる。ちょっと久しぶり。「さあ」という心はやり。素朴な生活者の顔がそこに表れ、まさに爽やか。袖をまくる仕草はどこかカワイイ。 (恩田侑布子) 今回、特選と入選が奇しくも、名古屋市在住の精神科医と藤枝市在住の内科医という医師ふたりに占められた。俳句は文科系だけのものでないという良い証拠。もっとも文化系・理科系という旧概念から脱して、自由に往還し反響し合っていくところに日本と俳句の未来が開けるように思う。(恩田侑布子) △ 爽やかやトレモロこぼす名無し指 村松なつを 合評では、プロではなく、アマチュアギター奏者が屋外で楽しく演奏している感じがする。薬指ではなく名無し指としたところにアマチュアの名もなき演奏家のイメージを重ねたのではないか。などという意見が挙がりました。 作者によると、「爽やか」という季語を「爽やかに」と使いたくなかったそうです。また、この句で演奏している楽器はギターではなくフルートであり、フルートではトレモロのことをトリルとも表現するとのこと。それを聞いた恩田は フルートのトリルさはやか名無し指 と添削し、映像がさらに鮮やかに浮かび上がりました。 (芹沢雄太郎) 今回、恩田より兼題「月」「爽やか」の例句の紹介がありました。その中で恩田は、俳句における「月」という季語の重要性と、「爽やか」という季語の作句の難しさを語りました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 やはらかき身を月光の中に容れ 桂 信子 道なりに来なさい月の川なりに 恩田侑布子 過ちは過ちとして爽やかに 高浜虚子 爽やかに第一石をうちおろす 山口青邨 [後記] 今回は恩田と連衆の選がほとんど重なりませんでした。限られた選句の時間の中で、どれだけ相手の句を読み込めるのかが問われます。 「俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場であり、表現の喜びと共感の喜びがある」と恩田は言います。(※) 選句も作句と同等に修練を積んでいかねばと改めて思わされました。 次回の兼題は「音楽に関係した句」「秋刀魚」です。(芹沢雄太郎) (※)恩田は5月10日開催の静岡高校教育講演会でも同様のことを述べています。 講演会のページへ 今回は、特選1句、入選2句、△2句、ゝシルシ5句、・11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
8月28日 句会報告と特選句
令和元年 8月28日 樸句会報【第75号】 8月2回目の句会。夏の終わりの豪雨をついて連衆が集いました。なかには神奈川県から1年半ぶりに馳せ参じた方も。 兼題は、「夜食」と「盆」です。 特選句、入選句及び原石賞のうち2句を紹介します。 ◎特選 みな死んでをはる戯曲や夜食喰ふ 山本正幸 登場人物がことごとく死んで終わる戯曲は、ギリシャ悲劇やシェークスピアなど、純文学に多い。人類最古の文学ギルガメシュ叙事詩も、英雄の不死への希求は叶わず、死を以て終る。作者は秋の夜長、重厚な戯曲に引きずり込まれ、こころを騒がせ共感する。はるかまで旅した劇のおわり、主人公のみならず全員が死んでしまった。なぜかいつもは食べない夜食を食べたくなるのである。 するどい感性の句である。理屈上の関係はない「みな死んでをはる戯曲」と「夜食」に、詩のゆたかな橋が架かった。みな死ぬのは戯曲ばかりじゃない。ここにいるものは一人残らず死ぬのだ。死の入れ子ともいうべきマトリョーシカが夜の闇に広がりだす。おれは元気だ。寝腹を肥やそう。熱 々のカップ麺をすすったにちがいない。「喰ふ」という身体性に着地したそこはかとない滑稽がいい。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ○入選 夜食とるまだ読点の心地して 猪狩みき やりかけの仕事がまだまだ残っている。でもひとまずここで小休憩をかねた夜食としよう。サンドイッチなどの軽食をつまみながら、こころは落ち着かない。それを「読点の心地」と表現した巧みさ。壮年期のしなやかな働きぶりが伺われる。 (恩田侑布子) 合評では 「作者の自分の仕事への誠実さを感じます」 「勉強なのか仕事なのか、やり残しがある。その中途半端な気持ち悪さが“読点の心地”という措辞に出ている」 「“読点の心地”が素晴らしいと思います。まだまだ仕事が終わらず気がかりだったとき、上司がピザを取ってくれて、軽くササっと食べたことを思い出しました」 「“読点”をどう評価するか。クサいような気も・・・」 「何かが中断されたことのメタファーじゃないんですか?」 など様々な感想・意見が飛び交いました。 (山本正幸) 【原】晩夏光機影ひとつを残しをり 田村千春 【改】晩夏光機影一つを地に残し 原句では、飛行機の機体が晩夏の空中にとどまっているようで、心に浮かんだ幻想にすぎなくなる。ひとつを「一つ」と漢字表記にし、「地」という措辞一字を新たに入れるだけで、機体の影はくっきりと黒く、大地のみならず胸にも刻印される。 (恩田侑布子) 合評では 「夏の終わりのものさびしさがよく出ています」 「ロシアかどこかの軍用機が領空侵犯して飛び去ったとか…」 などの感想が述べられました。 (山本正幸) 【原】荷台より足垂らしてやいざ夜食 島田 淳 【改】荷台より足を垂らしていざ夜食 原句では、中七の「や」の切字と、下五の「いざ」というさそいかけの感動詞とが混線している。トラックの荷台に足を垂らして夜食を摂る働く仲間同士の労働歌なので、「いざ」だけにしてすっきりさせれば、やっと夜食と休憩にありつけたつつましやかな安堵とよろこびがにじむ自然ないい句になる。(恩田侑布子) 投句の合評に入る前に芭蕉の『野ざらし紀行』を少し読みすすめました。 取りあげられた三句と恩田の解説の要点は次のとおりです。 市人(いちびと)よこの笠うらう雪の傘 客気(かっき)の句。昂揚感があらわれている。風狂精神あり。 馬をさへながむる雪の旦(あした)かな 古典の中でうまれたのではなく、眼前の句。茶色の馬体と雪の朝とが釣りあっている。省略がよく効いており、暗誦性に富む。 海くれて鴨の聲ほのかに白し 余白に富んだ名句。波間から鴨の声が聞こえてくる。「ほのかに白し」にいのちのほの白さが宿る。芭蕉の中の「白」のイメージには清浄たるものへの憧れがある。「淡いかなしみの安堵感」と捉えた高橋庄次説も紹介して、連衆それぞれの感受を問うた。聴覚(声)が視覚(白)として捉えられているところに時代を超えた新しみがある。(「共感覚」に関するテキストとして中村雄二郎『共通感覚論』(岩波現代文庫)が恩田から紹介されました) 合評・講評の後は、最近出版された 行方克巳句集『晩緑』(2019年8月) から恩田が抽出した句を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 冬空のその一碧を嵌め殺す 地下モールにも木枯の出入口 尋ね当てたれば障子を貼つてをる 雪螢しんそこ好きになればいい 行方克巳『晩緑』のページへ [後記] 本日の特選句について、「西鶴の女みな死ぬ夜の秋」(長谷川かな女)の等類ではないかとの指摘がありました。恩田は、「かな女の句は浮世草子のなかの女の人生に終始しますが、正幸さんの句は、最後に自身の身体性に引きつけて終るのがいいです。詠まれている世界が異なるので、類句とは言えないでしょう」とこれを退けましたが、講師の評価に対しても疑義を呈し、闊達に議論できる樸俳句会の自由さ、風通しの良さをあらためて実感した次第です。 筆者としてはかな女の句をそもそも知らなかったおのれの不勉強が身に沁みましたが・・。 次回の兼題は「月」「爽やか」です。 (山本正幸) 今回は、特選1句、入選1句、原石3句、△2句、 ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
6月2日 句会報告と特選句
令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。 特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。 ◎特選 メーデーや白髪禿頭鬨の声 島田 淳 日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ◎特選 さつき雨猿の掌光る屋久の森 林 彰 季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む 村松なつを 合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。 △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり 芹沢雄太郎 恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。 ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す 松井誠司 本日の最高点句でした。 恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。 ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士 萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。 ゝ 病む人にこの囀りを届けたし 樋口千鶴子 「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。 今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩 彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人 やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城 手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子 手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼 手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子 生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子 歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子 樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ 久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。 [後記] 句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。 本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。 次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸) 今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)