「本日の特選句・入選句・最高点句」カテゴリーアーカイブ

本日の句会で高い評価を得た作品をご紹介します!

8月17日 句会報告と特選句

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平成30年8月17日 樸句会報【第55号】 お盆が終わり、酷暑もややおさまった日に、八月第2回の句会がありました。 兼題は「八月」と「梨」です。 特選1句、入選2句、△2句、シルシ6句、・1句という結果でした。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)                          ◎IPS細胞が欲し梨齧る             石原あゆみ (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                                  〇梨剥いて断捨離のこと墓のこと              伊藤重之 合評では 「梨、断捨離、墓のつながりを違和感なく読んだ。梨の持ち味ゆえのこと。桃やりんごでは無理」 「林檎の青春性、桃の甘さに対して、梨は甘いけれども他の果物とは違う。執着から離れたい気持ちに梨が合っている」 「一口梨を食べたときに浮かんでくる思いが良く表現されている」 「自分の行く末への思いがしみじみ伝わってきます」 など、「梨」という季語のもっている性質が生かされているという評が多くありました。 一方で、「~のこと~のこと」という表現が気になったという声もありました。 また、“断捨離”という新語・流行語を俳句に使うことについての質疑もなされました。 恩田侑布子は、 「梨という果物の本意を十分に見すえて詠っている。梨のさっぱりした感じなどと内容がとても合っている。また、さりげない口調で並べた「~のこと~のこと」がこの句の内容にも合っている。内容と句形が調和している上手な句。下五で死のことを言いおさえている。“墓”に着地しているその仕方に説得力があり安定感がある」 と講評しました。                                    〇八月や南の海の青しるき              山本正幸 この句を採ったのは恩田のみでした。 恩田侑布子は、 「とてもシンプルだけれど、海の青を“しるき”と表現したところが素晴らしい。南の海には今も死者が眠る。まさに戦争を詠っている句で、非戦、不戦の句。省略した表現が読み手に想像をさせてくれる句」 と講評しました。 「八月」という季語のもつ含み(戦争、敗戦など)、重みについてが話題になり、意見が交わされました。「八月」の季語に戦争のことが込められていることが、若い詠み手(読み手)に果たして通じるのか?という疑義が出ました。いや、知らないのならば、次の世代に歴史を伝えることは我々の責務ではないかという意見の一方で、「八月」という季語をそのような意味に閉じ込めるのではなくもっと自由でいいのではという異論も出て議論が深まっていきました。 ===== 句の合評と講評のあとは、芭蕉の『野ざらし紀行』の鑑賞の続きでしたが、時間があまりなかったので時間内で読める範囲を読み進めました。 西行(さいぎょう)谷(だに)のふもとに流(ながれ)あり。をんなどもの芋(いも)あらふをみるに、  いもあらふ女西行ならば歌よまん と芭蕉は「西行谷」(神路山南方の谷で西行隠栖の跡)で詠んでいます。芭蕉の西行に対する崇敬の気持ちがここでもよくあらわれていると恩田の解説がありました。                                             〔後記〕  季語をどうとらえ、それをどう使うかについて考えさせられた会でした。また、句には思わず作者のいろいろが浮かび出る怖さとおもしろさを感じた会でもありました。 次回は、兼題なし。秋季雑詠です。(猪狩みき)                              特選   IPS細胞が欲し梨齧る                       石原あゆみ  切実な病をもつ人が、万能細胞で健康になりたいと願っている。梨はどこか寂しい果物で、その白さや透きとおった感じは病人ともつながる。梨をサクッとかじった瞬間、歯茎をひたす爽やかな果汁に、ふとIPS細胞の新しい臓器の感触を思った。発想の驚くべき飛躍だが、季語の本意を踏まえて無理がない。この句の深さは、作者がIPS細胞を欲しいと願う一方で、それはまだ無理、という現実も十分了解していること。切実な願望を持つ自分と、いま置かれている現実をわかっている自分と、ふたりの自己が鏡像のように静かに照らし合っている。心理的な陰影の深い句である。「が」を「の」にすべきでは、という意見があったが、それは俳句をルーチン化するとらえ方だ。「の」では、調べはきれいになっても他人事になる。「が」で一句に全体重がかかった。「吾、常に此処において切なり」(洞山良价)。そこにしか心を打つ俳句は生まれない。若く感性ゆたかな作者の幸いをこころから祈る。        (選句 ・ 鑑賞 恩田侑布子)

8月5日 句会報告と特選句

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平成30年8月5日 樸句会報【第54号】 八月第1回の句会です。 特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・4句という結果。前回の不調から一気に好調に転じた樸俳句会です。 兼題は「鬼灯」と「海(を使った夏の句)」です。 特選1句と入選2句を紹介します。  (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)                         ◎海月踏む眠れぬ夜に二度も踏む             芹沢雄太郎 (下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)                                       〇大の字に寝て炎昼を睨みつけ              松井誠司 合評では、 「今年は猛暑。ホントこんな気持ちです。響いてくるものがあります」 「“睨みつけ”の視線の強さがいい」 「座五で炎昼を押し返すパワーを感じました」 「“大の字”と“睨みつけ”で炎昼のつらさを表現した」 「下五を連用形にしたのがよい」 など共感の一方で、 「“睨みつけ”でなければいいのに・・。よけい暑くなってしまうじゃないですか!」 「“睨みつけ”の理由と意味が分かりづらい」 などの感想も述べられました。 恩田侑布子は、 「まさに家の中で大の字になって寝ているところ。部屋の窓から燃え盛る炎昼がみえる。それを横目で睨んでいるのです。こんくらいの炎天に負けてたまるか!という気概ですね。寝ながら見栄を切っているような滑稽感もある。作者のいのちの勢いが感じられます。合評にもありましたが、連用形で終わったところがいい。ここに切れ字を使ったら型にはまってしまいますものね」 と講評しました。                              〇横たわるかなかなと明け暮れてゆく               林 彰 合評では、 「“横たわるかなかな”とは絶命間近の蝉のことですか?それとも“横たわる”で切れるのでしょうか?両方の読みができるような・・」 「夕闇が近づいてくる実感がありますね」 「夏バテ気味。がんばりたいけどがんばれない。さびしい蝉の声・・。今日も一日過ぎていくのだなぁという感慨がある」 「子規っぽい。病床にある感じがよく出ており、内実がこもっている」 との感想のほか、 「それでどうした?というような句じゃないですか。“と”って何ですか?」 との辛口評も。 恩田侑布子は、 「“横たわる”でしっかり切れています。山頭火のようですね。または、放哉に代表句がもう一つ加わったような感じさえします。破調感が強いが、句跨りの十七音です。実感がこもっています。リアルな息遣いのある口語調です。蜩には他の蝉にはない初秋のさびしさがあります。社会の片隅で生きる弱者の気持ちになり切って、作者はそれを肉体化している。まさかお医者さんの林さんの作とは思いませんでした。長足の進歩ですね!」 と講評しました。ちなみに、林さんは名古屋の職場には自転車通勤、句会には新幹線通勤?です。                                              ...

6月3日 句会報告と特選句

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平成30年6月3日 樸句会報【第50号】 六月第1回の句会です。 特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・6句という結果でした。 兼題は「梅雨入り」と「ほととぎす」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ              山本正幸 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)    〇梅雨めくや父の書棚に父を知る             石原あゆみ 合評では、 「父との会話はあまりないのだろう。言葉のやりとりはないけれど、父の本棚を見て父が分かったような気がした。“梅雨めく”がいいと思います」 「本棚を見ればその人となりが分かると言う。お父様がご存命かどうかは別として、ここには父の一面を知った発見があります」 「もういない父なのかもしれない。“こんな人だったんだ”という驚きがある」 「きっと俗世間では派手ではなく、出世や金儲けとは縁遠かった父。その父の深さを感じている」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「男の孤独まで感じさせるいい句だと思います。ついぞ父の本心を聞いていなかったなあ、あんなことも聞いてみたかった、という余韻が響きます。作者の中で父が大きな存在感を持っていることもわかります。書棚に梅雨どきの湿りや黴臭さ、そして過ぎ去った父の日々まで感じられる。季語の付け味がとてもいいです」 と講評しました。     〇梅雨ごもり使徒行伝にルビあまた              山本正幸 合評では、 「キリスト教の使徒行伝ですね。“梅雨ごもり”がなんとなく意味深」 「ルビとか注釈が多いんですね」 「“梅雨”は日本的なこと。“キリスト教”は西洋のこと。その対比が面白い」 などの感想。 恩田侑布子は、 「季語が面白い働きをしています。“梅雨”という日本の湿潤な風土の中、異国の聖書を読んでいる。使徒行伝は新約聖書の一部で、イエスが亡くなった後、弟子たちによって書かれたものですね。荘重な文語訳にびっしり振られたルビが目に見えるよう。異民族が西洋のものを読んでいる。“梅雨ごもり” がそれを際立たせている。理解したいけれど今ひとつしっくりこないというもどかしさが体感的に伝わってきます。本日紹介するクローデルもカトリックの信仰を持っていた人です。姉のカミーユ・クローデルの影響で少年時代から日本への強い憧れを持ち、50代になった大正10年から昭和2年まで駐日大使を務めました」 と講評しました。 投句の合評と講評のあと、ポール・クローデルの『百扇帖』を恩田侑布子が俳句と短歌の形に訳出したレジュメが副教材として配布されました。              ↑     クリックすると拡大します     連衆の点を集めた俳句と短歌は次のとおりです。  みづの上(へ)に水のはしれり若楓  秋麗に生(あ)れし漆の眸かな  無始なるへ身を投げつづけ瀧の音  万物や瞑りてきく瀧の音  長谷寺の白き牡丹の奥処(おくが)なる         朱鷺いろを恋ひ地の涯来たる  神鏡はおのが深みに璞(あらたま)の          水の一顆をあらはにしたり 日仏交流一六〇周年記念事業の一環として、神奈川近代文学館で開催された「ポール・クローデル展記念シンポジウム」に恩田侑布子がパネリストとして登壇しました。 「今に生きる前衛としての古典―― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」  日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演   会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール  コーディネーター 芳賀徹  パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子 ※ シンポジウムの詳細はこちら     [後記] 句会報が50号に達しました。 これまでの句会報を遡り、連衆それぞれの句と鑑賞を味わう事が、筆者の密かな楽しみとなっています。 自身の句作も句会報のように、日々継続することが大切であると、歳時記を捲りながら想う筆者であります。 次回兼題は「立葵」と「蝸牛」です。     (芹沢雄太郎) 特選   廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ                  山本正幸    福島第一原発の廃炉は万人に願われているものの道のりは遠い。メルトダウンした燃料デブリを取り出すことさえできないのだから。富岡町から飯館村まで「うつくしま」とも呼ばれた自然と調和した町 々は帰還困難区域となって7年が経った。今や、2階家まで青葛が茂り、スーパーや団地の駐車場のコンクリートの割れ目から青野が広がっている。「廃炉遠し」という字余りの上句の切れが遣る瀬ない。が、一転して、燦 々たる陽光の中で二匹の蛇が絡み合っている。人間の招いた放射線量など知らぬ。超然と、雌雄が命を交歓している。その白昼の讃歌は逆に、わたしたち人間の所業を炙り出してやまない。蝶などの昆虫や蜥蜴などの小動物の交尾だったらこの力強さは出なかった。蛇は、インドのナーガや中国の女媧や日本のしめ縄など世界中で太古から、いのちと豊穣のシンボルである。そのいのちの脈 々たるエネルギッシュな連鎖と見えない廃炉とが対比され、一種悪魔的な絵をみる思いがする。          (選 ・鑑賞   恩田侑布子)    

4月20日 句会報告と特選句

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平成30年4月20日 樸句会報【第47号】 四月第2回の句会です。 特選1句、入選1句、原石賞3句、シルシ7句、 ・1句という結果でした。 兼題は「藤」と「“水”を入れた一句」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎茎太き菜の花二本死者二万              松井誠司  (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)       〇妻の知らぬ恋長藤のけぶりたる             山本正幸  合評では、 「こういうの、許せません!」 「結婚前の昔の話じゃないんですか?」 「“恋”と“藤”はよく合いますね」 「昔の恋なら情緒があるし、今の恋とするなら危険な香りがある」 「“長藤のけぶりたる”が上手だと思う」 「上五の字余りが気になる」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「字余りでリズムがもたつきます。このままでは入選句ではありません。“妻知らぬ恋”で十分です。“長藤がけぶる”のだから淡い初恋や十代の恋ではないでしょう。ちょっと危険な恋。成就した恋かどうかは知りませんが、秘めやかな心情の交歓があるのでは。満たされなかった思い。今もまだ心に揺らめくものが“けぶりたる”という連体止めにあらわれて効果的です」 と講評しました。 今日はほかにも原石賞が三句も出て、恩田の添削で見違える佳句になりました。原石は詩の核心を持っていることを再認識しました。 今年度から金曜日の「樸俳句会」では、句会に併せて芭蕉の紀行文に取り組むことになりました。これは古今東西のあらゆる芸術文化から俳句の滋養を取り入れようという恩田の一貫した姿勢のあらわれでもあります。そこで、芭蕉の最初の紀行『野ざらし紀行』から始め、数年計画で『おくのほそ道』に到ろうという息の長い講読が幕を開けました。冒頭部が取り上げられ、恩田から詳細な解説がありました。 『野ざらし紀行』の巻頭は、『荘子』「逍遥遊篇」や広聞和尚など、古典からの“引用のアラベスク”ともいえるもので、文が入れ子構造になっている。芭蕉は変革者であり、それまでの和歌のレールの上で作ったわけではないが、漢文と日本古典の伝統を十二分に背負っている。「むかしの人の杖にすがりて」、このタームが重要。近代の個人の旅ではない。いにしえ人と一緒に旅立つのである。  野ざらしを心に風のしむ身かな 「身にしむ」は、いまの『歳時記』では皮膚感覚に迫る即物的な秋の冷たさが主であるが、古典では、心理の深みを背負った言葉です、と恩田は述べました。 芭蕉は、古典と現代との結節点になった人なのだということで、古典の具体例として藤原定家の二首が紹介されました。  白妙の袖のわかれに露おちて         身にしむ色の秋風ぞ吹く  移香の身にしむばかりちぎるとて        あふぎの風のゆくへ尋ねむ この二首は歌人の塚本邦雄も賞賛しています。(塚本邦雄『定家百首』)        [後記] 今回の恩田による『野ざらし紀行』の講義は、大学~大学院レベルだったのではと思います。芭蕉の紀行文をじっくりと読み解くことが初めての筆者としてはこれから楽しみです。 句会の後調べましたら、定家の歌は、和泉式部の<秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ>を意識しているはず、と塚本邦雄は書いています。「身にしむ」という季語のなかに詩のこころが脈々と息づいているのを感ずることができます。 次回兼題は「薄暑」「夏の飲料(ビール、ソーダ水等)」「香水」です。(山本正幸) 特選   茎太き菜の花二本死者二万                松井誠司  「茎太き菜の花」で、真っ先に菜の花のはつらつとした緑と黄色のビビッドな映像が立ち現れます。それが、座五で一挙に「死者二万」と衝撃をもって暗転します。東日本大震で亡くなった人の数です。俳句の数詞は使い方が難しい。ややもすると恣意的に流れやすいです。でも、この句の二本と二万には必然性があります。眼前のあどけない菜の花二本は、大切なかけがえのない父と母であり、二人の子どもであり、親友でもあるかもしれない。たしかにこの世に生きたその人にとって大好きな二人です。その二人の奥に、数としてカウントされてしまう二万の失われたいのちが重なってきます。二つの畳み掛けられた数詞の必然性はどこにあるか。悲しみを引き立たせる戦慄をもつことです。菜の花が無心にひかりを弾いて咲くほど、中断されたひとりひとりのいのちが実感される。「茎太き」が素晴らしい。死者二万を詠んだ震災詠はたくさんありますが、こんなにいのちの実感が吹き込まれた二万はめずらしい。  あとから作者に聞けば、ボランティアとして二度に渡り現地で活動したという。「母の手を引いて逃げる階段の途中で津波に襲われ、すがる母の手を放してしまった、その感触が今も体内に残る」とつぶやいた男性との出会い。そこでもらった菜の花の種が、なぜか今年、自庭にたくましく二本だけが並んで咲いたという。「一句のなかで生き切る」ことができ、普遍に到達した作者の進境に敬意を表したい。    (選句・鑑賞  恩田侑布子)  

3月4日 句会報告と特選句

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平成30年3月4日 樸句会報【第44号】 彌生三月第1回。少し窓を開け、春風を呼び込んでの句会です。 特選2句、入選2句、△3句、シルシ8句という実りゆたかな会でした。 兼題は「踏青」と「蒲公英」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎合格や不合格あり春一番             久保田利昭 ◎「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく              萩倉 誠 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)          〇蒲公英を跨ぎ花一匁かな             芹沢雄太郎 合評では、 「かわいらしい句。思い出かな?こういう句は大好きです」 「かわいい。“花一匁”にノスタルジアが感じられる」 「うまくまとまってはいる。“跨ぎ”がもっと能動的であれば採りましたが」 「あちこちに咲いているたんぽぽは“跨ぐ”には小さすぎませんか?子どもの歩幅と一致しないような気がして・・」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「一読して、たんぽぽと花いちもんめは即きすぎかとも思った。でも花いちもんめの歌を思い出すと、“あの子がほしいあの子じゃわからん”と、浪のように手をつないで歌いながら、鮮やかな黄の蒲公英をひょいとまたぎ越す子どもの無邪気さが感じられた。子ども時代の余燼がまだ身のうちに残っていなければつくれない俳句。若草と蒲公英。その上にゆれる赤いスカートや半ズボンの戯れは春日の幸福感そのもの」 と講評しました。      〇犬矢来こえて行くべし猫の恋               林 彰 合評では、 「“犬矢来”ってなんですか」 「市内では見かけないですね。よく言葉を知っている作者ですね」 との質問や感想。 恩田侑布子は、 「“矢来”は遺らいであり、追い払う囲い。竹や丸たんぼを荒く縦横に組んでつくるもので“駒寄せ”と同義。犬のションベンよけ、埃よけともされ、最近は和風建築の装飾化している。この“犬矢来”という死語になりかけた措辞を活かした手柄。しかも犬なんかに負けるんじゃないぜ、猫の恋よ、の思いも入ったところに俳諧がある」 と講評しました。 投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。  来し方に悔いなき青を踏みにけり              安住 敦  たんぽぽや長江濁るとこしなへ              山口青邨  蒲公英のかたさや海の日も一輪             中村草田男   [後記] 本日は「静岡マラソン」の日。走り終えたランナーたちとすれ違いましたが、みな爽やかな感じ。達成感・充実感があるのでしょう。句会のあとの連衆も同じような表情をしているのかもしれません。 次回兼題は「菜飯」と「“風”を入れた一句」です。 (山本正幸)    特選    合格や不合格あり春一番                      久保田利昭  大方のひとにとって人生の始めの頃の喜び哀しみは受験にまつわることが多い。同じクラスでいつも軽口を叩きあっては笑いこけていた友人が、高校受験や大学受験で一朝にして合格者と不合格者の烙印を押されてしまう。それを春一番の吹き荒れる様に重ねた。この春一番はまさにこれから二番三番とかぎりなく展開する嵐の道のりを暗示する。それが合格やの「や」であり不合格「あり」である。が、いずれにせよまばゆさを増す春のきらめきのなかのこと。泣いても笑っても船出してゆく。さあこれからが本番だよと作者は懐深くエールを送る。  特選  「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく                 萩倉  誠  独白をうまく取り入れた冒険句。句跨りだが十七音に収めた。ほろ酔いの掌は思わずどこに触れたのか。手と手かしら?もしかしたら胸元にタッチ?「ヤバイ」。よこしまな関係になりそう。一瞬のたじろぎ、期待、春情。交錯する感情が生き生きと伝わってきて面白い。なんといっても座五の「春ぞめく」が出色。①群がり浮かれて騒ぐ。②遊郭をひやかして浮かれ歩く。の辞書にある語義に身体感覚が吹き込まれ、それこそザワザワ身内からうごめくよう。                                (選句・鑑賞 恩田侑布子)                       

2月11日 句会報告と特選句

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平成30年2月11日 樸句会報【第42号】 如月第1回の句会。名古屋と市内から見学の男性お二人が見え、仲間のふえそうなうれしい春の予感です。 特選1句、入選3句、原石賞3句、シルシ5句でした。 兼題は「息白し」と「スケート」です。 特選句、入選句及び最高点句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎スケートの靴紐きりりすでに鳥              松井誠司  (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                  〇白息を残しランナースタートす             石原あゆみ 合評では、 「まさに冬のマラソンの情景。選手の意気込みが映し出されている。垢ぬけている句」 「息を残しておきながらランナーはスタートしている。対照の妙がある」 「句の中に短い時間的経過が感じられる。箱根駅伝の復路でしょうか。白息のある場所にもうランナーはいない」 との共感の声がきかれました。 恩田侑布子は、 「発見がある。白息だけがスタート地点に残った。白息を吐いた肉体の主はすでにレースの渦中に飲み込まれた。その瞬間のいのちのふしぎを表現しえた句。ただ句の後半すべてがカタカナになって、ランナーとスタートの境がなくなり緊張感がゆるむのが惜しまれる」 と講評しました。                〇群立ちてわれに飛礫や初雀              西垣 譲 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。 恩田は 「作者が歩いてゆくと前方の群れ雀がおどろいて一斉にぱあっと飛び立った。一瞬、つぶてのように感じた。着ぶくれてのんびり歩いている自分に対して「もっときびきび生きよ」という励ましのように感じたのだ。新年になって初めてみる雀たちからいのちのシャワーを浴びた八十路の作者である。このままでも悪くないが“群れ立つてわれに飛礫や初雀”とするとさらに勢が増し、いちだんと臨場感がでるでしょう」 と講評しました。                   【原】湯たんぽや三葉虫に似て古し             久保田利昭 本日の最高点句でした。 合評では、 「西東三鬼の“水枕ガバリと寒い海がある”の句を思い浮かべました。気持ち良く夢の世界に入りこめそう」 「時間が止まったようだ。また人もいないような感じがする。“古し”にアルカイックなものを感じた」 「素直な句。こねくり回しておらず、何の気取りもない」 「湯たんぽを使っているという“自嘲”もあるのでは?」 などの感想、意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「感性と把握が素晴らしい。太古の生命の面白さが出ていて、“場外ホームラン”級の発見。ただし“古し”はよくない。芭蕉の言葉“言ひおほせて何かある”(『去来抄』)ですよ。言い過ぎで、意味の世界に引き戻してしまった。感性の世界のままでいてほしいのです。句は形容詞からそれこそ“古びて”いくのです」 と講評し、次のように添削しました。  三葉虫めく湯たんぽと寝まりけり または  湯たんぽの三葉虫と共寝かな        〇重心の定まらぬ夜と鏡餅             芹沢雄太郎 合評では、 「定まらない心とどっしりした鏡餅との対比が面白い。“夜と”と並べず“夜や”と切ったらどうでしょう?」 「句から若さを感じました」 との感想がありました。 恩田侑布子は、 「自己の不安定さとどっしりと座った鏡餅との対比。“青春詠”のよさがある。“と”だから、揺れながら生きている実感がある。この不安感はみずみずしい。夜の闇のなかに鏡餅のほのぼのとした白さが浮き立つ。うつくしい頼りなさ。作者のこれからの可能性に期待するところ大です」 と講評しました。          投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。  息白くはじまる源氏物語             恩田侑布子  この亀裂白息をもて飛べと云ふ             恩田侑布子  スケート場沃度丁幾の壜がある              山口誓子  スケートの濡れ刃携へ人妻よ              鷹羽狩行      [後記] 今年から始まった日曜句会の2回目です。新しい参加者を迎え、新鮮な解釈が聴かれました。 次回兼題は「春炬燵」と「寒明け」。春の季語です。(山本正幸) ※ 恩田侑布子は昨年の芸術選奨と現代俳句協会賞に続いて、この度第9回桂信子賞を受賞しました。1月28日の“柿衛文庫”における記念講演が好評を博し、4月8日に東京でアンコール講演が予定されています。 追ってHP上でお知らせします。                 特選   スケートの靴紐きりりすでに鳥                   松井誠司  フィギュアスケーターは氷上で鳥になる。まさに重力の桎梏を感じさせないジャンプと回転。それはスケート靴のひもをきりりと結んだ瞬間に約束されるという。白銀の世界にはばたく鳥の舞。その美しさを想像させてあますところがない。「すでに鳥」とした掉尾の着地が見事である。折しも冬季オリンピックの前夜。作者のふるさとは信州で、下駄スキーに励んだという。土俗的なスキー体験がかくもスマートな俳句になるとは驚かされる。体験の裏付けは句に力を与える。    (選句・鑑賞  恩田侑布子)

12月22日 句会報告と特選句

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平成29年12月22日  樸句会報 本年最後の句会会場はいつもと違って小ぶりな会議室。至近距離での親密な熱い議論がかわされました。投句の評価は、特選1句あったものの、入選なし、原石賞1句、△1句、シルシ9句という結果でした。一年の疲れが出たのでしょうか? 兼題は「時雨」と「“石”を入れた句」です。 話題句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎「AI」と「考える人」漱石忌             久保田利昭 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)            【原】石垣の滑らなりしや水洟や             藤田まゆみ この句を採ったのは恩田侑布子のみでした。 恩田は、 「発想は面白く、表現が未だしの句。語順を変え切字を一つにすると、水洟を垂らす作者の今と、駿府城の四〇〇年の濠の歴史が対比され、作者のユニークな感性が生きるのでは」 と評し、次のように添削しました。  水洟や濠の石垣滑らなる                △しぐるるやマドンナを待つ同期会              山本正幸 この句を採ったのは男性ばかり。 合評では、 「情景が浮かぶ。ホテルの受付。気が付けば外は雨。そういえばあの〇〇ちゃんはどうしているだろう?今日は来るのか?雨の持つしっとり感と同期の女性への想いが一致した」 「同感!“しっとり感”ですよ」 「“しぐるる”は心の中のざわつきでもある。急に降ってくるのが時雨。彼女は昔のイメージと変わっているかなぁ。もしかしたら・・」 「待つときのもどかしさ、複雑な感情を詠った」 という感想の一方で、 「なんだか、全然ピンときません」 と女性の声(複数)もありました。 恩田侑布子は、 「まだ来ない人を待つ心情のしっとりとした感じはある。小さな喫茶店での会を思った。“同期会”が行われる百人単位の大きなホテルには“しぐるるや”は合わないのでは。きっと会場はビルの中でもう同期会は始まっているのだろう」 と講評しました。                 ゝ石橋を冬日と渡り八雲の碑              森田 薫 本日の最高点句でした。 合評では、 「目に浮かぶ光景。“八雲館”のある焼津だろうか。詠われた自然と人名が合っている」 「中七の“冬日と渡り”の措辞がとてもいい」 との共感の一方で、 「句としてはよくできていると思う。しかし、八雲の碑と冬日が少しそぐわないのでは?」 「“あなたと渡り”ではいかが。私は“叩いて渡り”ますが(笑)」 「石橋と碑(いしぶみ)がくどいのではないか」 などの意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「皆さんの鑑賞に同感です。石橋と碑がくどいという指摘はそのとおり。上五~中七はいい。しかし、下五が“八雲の碑”の必然性があるか?吟行の嘱目詠ならいいですが」 と評しました。 今回の兼題の「時雨」について、恩田侑布子は下記の句を紹介し、それぞれ解説をしました。  水にまだあをぞらのこるしぐれかな             久保田万太郎 一句一章の句。万太郎の和文脈です。「かな」の切れが実に美しい。  翠黛の時雨いよいよはなやかに              高野素十 しぐれの持つ“艶”を引き出した句です。京の翠黛山に降る時雨を詠ったものですが、王朝人の翠のまゆずみで描いた眉も奥に幻想され、下五の“はなやかに”が効いて名句になりました。 投句の合評と講評のあと、桂信子の俳句(『桂信子全句集』(1914~2004年) 60歳以降の作品から)を読みました。 共感の声が多くあがりました。「若い頃の“女性性”を前面に出した句よりも格段に良い」との評価も。「忘年や・・」の句に対する「モノではなく、ひとは心の中にいるのですね」との最年長会員の感想に一同大きくうなずきました。 特に点の集まったのは次の句でした。  たてよこに富士伸びてゐる夏野かな  大寒のここはなんにも置かぬ部屋  忘年や身ほとりのものすべて塵  闇のなか髪ふり乱す雛もあれ  冬滝の真上日のあと月通る 恩田侑布子は第一句集を出版した際、桂信子から評価の葉書をもらい、俳句のパーティーでもやさしく声をかけてもらったことがあるそうです。 [後記] 句会の冒頭、恩田侑布子から「このたび“桂信子賞”をいただくことになりました。句集『夢洗ひ』だけでなく、これまでの俳人としての歩みを評価されたことがとても嬉しいです。来月伊丹市の“柿衛文庫”での授賞式に出席し、記念講演を行います」との報告がありました。芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞に続く受賞で、実に喜ばしいことです。連衆から心よりのお祝いの言葉が述べられました。 (授賞式のご案内はこちらをご覧ください) 本日配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。 「見たマンマを詠むと説明的で即きすぎの句になります。月並ではない新しみある俳句を!」 どうしても発想が月並になってしまう筆者ですが、一気に新しさの高みにのぼる王道がない以上、コツコツ句作を続けようと思います。 次回兼題は、「“寒”を入れた句」「コート」です。              (山本正幸)                  特選   「AI」と「考える人」漱石忌                 久保田利昭  AI、考える人、漱石忌、三つの名詞が並列や直列の関係にないところが新しい。これはトライアングル構造の句である。もし〈AIと「考える人」漱石忌〉なら、三角構造は崩れて弱くなる。カギカッコで括られた「AI」は「考える人」同様、すでに存在として受けとめられている。ブロンズの「考える人」が覗き込むロダン(1840〜1917)の「地獄の門」は1900年前後の作という。漱石(1867〜1916)は ロダンより二十七も歳下だが、ロダンより一年早く四十九歳で卒した。ロダンの生存期間にすっぽり入るから、同時代の近代を象徴する彫刻家と文豪といえる。そう思うと切れは、〈「AI」と/「考える人」漱石忌〉になり、漱石のみ実在者と思えば、切れは、〈「AI」と「考える人」/漱石忌〉となる。人工知能とロダンの考える人を対比させ、漱石忌でうけとめた後者ととるのが自然だろう。とはいえ、切れの位置の変幻は読者を思弁に誘い込む。人工知能が近未来にかけて猛威を振るい世界の活動を根底から変えようとしている。その「AI」 と「考える人」を、漱石が双肩に受けて真面目な顔で考えて居る。漱石の胃に穴が空いたのは我執のもんだいであったが、今やartificial intelligenceが加わった。山本健吉は、俳句は認識を刻印する芸術であるといった。刻印というより認識の迷宮をそぞろ歩きし、あ、もういいやと、漱石の口髭を撫でたくなる句ではないか。          (選句/鑑賞  恩田侑布子)

12月1日 句会報告と特選句

photo by 侑布子

 12月1回目の句会が行われました。 この日は句会終了後に樸俳句会の忘年会が開催されることもあってか、いつもに増して真面目な雰囲気の句会だったように感じました。今回の兼題は「落葉・霜・冬季雑詠」。久しぶりに特選句も出て、大いに盛り上がりました。 今回の入選句をご紹介します。                浮雲のどれも陰もつ一茶の忌              伊藤重之   合評では、 「俳句の形としてお手本のような句」 「一茶の幸福とは言えない人生が見えるよう」 「“陰もつ”を“陰もち”にした方が、切れが深くなるのではないか」 という意見が出ました。 恩田侑布子は、 「生涯辛酸を舐め続けながらも俳諧自由のこころを失わなかった俳人一茶への共感がある。浮雲は年中見られるけれど、“どれも陰もつ”という措辞に十一月の季感がただよい、肌寒さを感じさせる」 と講評しました。                 落葉踏む堤の端にひとりかな             藤田まゆみ 恩田は、 「堤の突端 まで落葉を踏んでゆく。つくづく誰も居ないなと思う。作者の背後には落葉が記憶のように降り積もっている。孤独感とさみしさをうたって、嫌味や押し付けがましさのないところがいいじゃありませんか」 と講評しました。               リヤカーの塀に倒立石蕗の雨              森田 薫 合評では、 「絵として美しく情景が見えるようだが、リヤカーが立てかけてある情景を“倒立”とするところに少し違和感を持った。“塀に立てかけ”のほうが自然ではないか」 という意見が出ました。 恩田は、 「一枚の絵に完全になっている。内塀でしょう。ほとんど使わないかすでに使い手のいなくなったリヤカーが、広い元農家の敷地片隅の塀に立てかけてある。しずかに降る雨が過ぎ去った時間を慰撫するよう。日のひかりの薄い初冬の情景として出色」 と講評しました。  下記に掲載する特選句は、今回、恩田を含む参加者の約半分が点を入れるという最高得点句となりました。この特選句に関しては「“霜雫”という季語が、どんな情景を描いているか」というところで議論を呼びました。植物に降りた霜から溶け出した雫なのか、屋根にできた霜が垂れ落ちる様子か。たった二文字の言葉に語りつくせぬ情景が詰まっている豊かさに、言葉の持つ面白さを改めて噛みしめる時間となりました。次回の兼題は「時雨・石」です。(山田とも恵)                特選        霜雫この世の時間使ひきる                 伊藤重之  霜雫は温かい静岡平野の市街地ではまず目にすることはない。わたしも四半世紀前にいまの山中に引っ越して、初めて厳寒の時期だけ見聞きするようになった。霜が降りる日は、明け方冷え込んでも日中はよく晴れる。冬晴れの下、山あいでは納屋などのトタン屋根から霜雫がかがやくように地に落ちる。それは朝霜の一面の厳しい白さとはまた別種の風情。どこかあの世の明るさもふくむ明るさ、ふしぎな時間である。すべてを昇華した末のような水滴が、寒気のゆるんだ日向に銀色のしずくを滴らせ、ときに水銀柱をおもわせる垂線を引く。静かで清らかな冬の真昼。愛するかけがえのないひとは、なすすべもなくこの世のいのちの火を使い切ってしまった。霜夜のような凍てつく時間、凍る思いの日 々のはてに、いま真っ青な冬晴れに見守られて大地にかえってゆく雫。泪のとけこんだ銀のかがやきがひとの一生に重なる。「霜雫」の季語の本意本情に一歩を付け加え得た俳句といえるのではなかろうか。      (選句/鑑賞   恩田侑布子)