樸会員 前島裕子、島田淳の聴講記 北斎の画中の人になりかわって 十月二十九日。延期になっていた現代俳句講座−『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き−に出かけた。 久しぶりの東京、新幹線、山手線、地下鉄、都電と乗りつぎ、ゆいの森あらかわへ。 そしてそこに足を踏み入れたとたん、驚きです。大きな図書館、こういう所はテレビでは見ていましたが実際に入るのは初めて。一階にホール、二階には吉村昭の文学館、エレベーターで三階につくと目の前に現代俳句センターが。天井までの書架に句集がびっしり、俳誌もたくさんある。あわただしく館内を一まわりして会場へ。 「ゆいの森ホール」が会場です。正面の大スクリーンに今日のタイトルが写し出されていた。いよいよ先生の講演が始まり、進行して北斎の話になると、スクリーンに「富嶽三十六景」より、「青山圓座松」「神奈川沖浪裏」「五百らかん寺さざゐどう」が次々大写しになった。おいおい本物はB4サイズよ、両手に持てて、じっくりながめるのがいいのよ。こんなに大きくして持てないよ。 いや待て、これだけ大きければ舟にも乗れる笠をかぶった坊やの後からついていける、欄干にも立てる。これが入れ子、なりかわり、なのか。一人スクリーンの中に入りこんだような不思議な気持ちになりました。 今でもあの三枚の浮世絵の大写しが、目にうかんできます。 また質疑応答のコーナーでは思わず「是非樸に見学にいらして下さい」とさそいたくなる場面もありました。 講演が終わり、聴講できた興奮と充足感。 そこもだけど、ここをもっと聴きたかったというところもありましたが、講演できいたことをふまえ、再度読み、深めていこうと、思いながら帰路につきました。 ありがとうございました。 (前島裕子) 「第46回現代俳句講座」(主催:現代俳句協会)に参加して 今年8月6日の毎日新聞書評欄で、演劇評論家の渡辺保氏は恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』の書評を、「斬新な日本文化論が現れた」の一文から書き起こしました。そして、著者による名句鑑賞を引いて、「近代の合理的な思考から、日本文化を解放して」「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」と述べています。 今回の講演は、日本人の美意識の源流を辿る壮大な物語のエッセンスでした。 主体と客体が「なりかわる」描写、単一の意味でなく多面的な「入れ子構造」、『華厳経』の蓮華蔵世界さながらのフラクタルな世界観。こうした日本人の美意識を、俳句にとどまらず葛飾北斎の浮世絵、近代詩、万葉集から古代中国の「興」へと自由に往還しながら説き明かしていきます。 「興」に淵源を持つ「季語」によって詠み手と受け手の間に共通のイメージが広がり、「切れ」によってそのイメージを自分の現在ある地点に結び付ける。こうした構造がある事によって、俳句はたった十七音で詩として成立するのだと得心できました。 『渾沌の恋人』は、自宅そばの猪の描写から古代中国の『詩経』へなど、現代から一気に過去の時代に跳んだりする場面が多くあります。最初は戸惑いましたが、こうしたタイムワープが可能なのは、おそらく現代は古代と切り離されたものではないからなのでしょう。古代人の感情が現代のわれわれのそれと大きく隔たってはいないからこそ理解可能なのであり、それを仲立ちするのが「興」にルーツを持つ「季語」なのでしょう。言い換えれば、風土に根ざした共同体の共通認識だからこそ、時代を超えて受け継がれていくのだと。 また、古今の名句を声に出して詠むことの素晴らしさ、大切さも再認識しました。「五七五(七七)定型は、日本語の生理に根ざした快美な音数律」とレジュメにありましたが、実際に古今の名句を耳から聴くことでそれを実感することができました。 階段状のホール最上段でも聴きやすい明瞭な発声、落ち着いた抑揚、「切れ」をきちんと意識し微細な緩急のある速度。五音七音の調べに身を委ねる心地よさは、定型の俳句が紛れもなく十七音の詩であることを身体感覚として理解させてくれました。 講演終了後、冒頭に引用した渡辺保氏の「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」という文章を思い出しながら、夕暮れの町屋駅前に向かったのでした。 (島田 淳)
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恩田侑布子講演レポート(第46回現代俳句講座 10/29 ゆいの森あらかわ)
演題 『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き ◇主催:現代俳句協会 共催:荒川区 ◇日時:2022年10月29日(土)13:30~16:45 ◇会場:ゆいの森あらかわ「ゆいの森ホール」 ◇講師:「軸」代表・秋尾 敏、「樸」代表・恩田侑布子 10月29日(土)、東京都荒川区のゆいの森あらかわ・ゆいの森ホールで現代俳句協会主催の第46回現代俳句講座が開かれ、樸俳句会代表・恩田侑布子が「『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き」と題して講演しました。 当初は9月24日の予定が、静岡にも大きな被害をもたらした台風で中止となり、延期されていた講演です。一転して素晴らしい秋晴れとなったこの日は、首都圏を中心に俳句愛好者や恩田ファンらがたくさん聴講し、「俳句は目に見えないもの、耳に聞こえないものに思いをはせる」という恩田のメッセージを心に留める1日となりました。 「興」と「入れ子」という説で日本文学に新たな地平を切り開いた恩田の近著『渾沌の恋人』は、各紙誌の書評で高く評価されていますが、開会挨拶に立った現代俳句協会の中村和弘会長も「日本文学をグローバルな視点で体系的に分析・集約した本であり、感動した。文体が素晴らしく、小説を読むようで思わず引き込まれた」と賛辞を送りました。恩田は、全身を揺さぶられた高校時代の名句との邂逅などに触れながら、「歳はとっても俳句はやまぬ、やまぬはずだよ先がない」の都々逸で会場を笑わせ、なごやかな空気の中で講演は進みました。 近著の内容に沿ったこの日の講演は、芭蕉、蕪村に始まり北斎の浮世絵、中国の詩経、フレーザーの金枝篇、タイラーのアニミズム、ピカソのキュビスムに至るまで、古今東西縦横無尽の視点から文学としての俳句の奥深さを再発見する旅、とでも言うべきものでした。聴き手にとってはまさに豊潤なひとときで、本を読んだ人は著者と俳句の魅力を再確認でき、未読の人は手にとってすぐ読んでみたくなったことでしょう。 とりわけ、恩田が「雲の峯幾つ崩(くづれ)て月の山」をはじめとする芭蕉や蕪村らの名句や若い時から心酔してきた蒲原の詩「茉莉花(まつりか)」を、ゆっくりと歌うように詠みあげる場面では、上質の朗読劇を聴くような心地よさが会場を包みました。俳句を始めて3年になるという聴衆の女性からは「ああ、俳句ってやっぱり詩なんだな、と感動しました」という声が寄せられました。あっという間の1時間余りでした。 恩田に先立って、「軸」主宰の秋尾敏氏が「桜井梅室の系譜—知られざる十九世紀俳句史」をテーマに講演し、軽妙な語り口で楽しませました。 (樸編集長 小松浩)
思わず引き込まれる『渾沌の恋人』の読書案内です!
坂田昌一様(関西在住)のブログをどうぞ!
『渾沌の恋人 北斎の波、芭蕉の興』書評陸続!②
『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社2022年4月19日刊) 刊行から数ヶ月、絶え間なく書評の栄に浴しています。心から厚くお礼申し上げます。 ◎井上康明氏「郭公」主宰 『俳句』2022年8月号 「交響の祝祭」 豊潤にして自在な俳句評論である。 やすやすと境界を越えるスリリングな論考は、日本文化から中国文化へ、海を越えウィーンのクリムトへと、一編の躍動する絵巻を眼前にするかのようだ。俳句の新しい豊かな可能性が開かれ、深く力づけられる。 ◎浅沼璞氏(俳人・連句人) 週刊読書人 2022年 8/5 「定説への叛逆」だが、しかし単なる「叛逆」ではなかった。芭蕉の杜国への留別吟〈白げしにはねもぐ蝶の形見哉〉を引き…、そこに芭蕉の恋句の真髄をみる。こうした連句と発句との区別なき批評は、俳ジャンルを超え、茶道・絵画・哲学などを往還する。そして歯に衣着せぬ「定説への叛逆」から新たな視点へと読者を誘う。 ※本書の詳細はこちらからどうぞ
図書新聞 (8/13)書評欄にて『渾沌の恋人』をご紹介いただきました
神田ひろみ様、図書新聞2022年8月13日書評をありがとうございます。 図書新聞に俳人・文学博士の神田ひろみ様から書評を頂戴しました。 「消滅と生成を繰り返してやまない時間と空間という、日本の美や文化の底を流れる思想の、最大の鉱脈を著者は手に入れたのだ。この一書を心から称えたい。」 このような最大の賛辞を頂戴し、執筆に費やした八年の歳月に改めて大きな意味をお与えいただいたと、あふれるような喜びを噛み締めております。心より御礼申し上げます。 恩田侑布子 消滅と生成を繰り返してやまない時間と空間 神田ひろみ 絵巻の中に 本書には、これまで論理的に解明されてこなかった日本の芸術の風情や気配という目にみえぬものの姿が、明確に言葉によって示されている。その筆致は大らかで品位があり、私は読者の一人という立場を忘れる程に、共感した。 雑草とは 第一章。著者は和辻哲郎が渡欧の船上、京都帝大農学部の大槻教授が「「ヨーロッパには雑草がない」という驚くべき事実を教えてくれた」(『風土−人間学的考察』)という一節を引く。農学部生だった頃「雑草とは、許可なくして生えたる草」と教わったことを思い出した。そして、「雑草がない」という風土には「自然を人間が支配できるという西欧的思考」が生まれるであろうという、著者の主張に頷いた。 同じ章に、円覚寺塔頭での茶会の場面がある。著者は「茶室の中で、わたしたちはお道具というはるかな時代の人たちのいのちに囲まれていた」という。釜の前に座っているときの、不思議な心身の安定感はその見えない古人たちからの鼓舞、「過去や未来から切り離されてはいない」という感覚であったかも知れない。 止まれ お前は 同章「Ⅲ 二十世紀思想家の時間論」から「Ⅴ 日本の美と時間のパラドクス」にかけての、丸山眞男と加藤周一の時間論の検討は興味深かった。 丸山は日本の絵巻を「一方向的、、、、に無限進行してゆく姿(傍点恩田)」(「歴史意識の「古層」」)と捉える。一方、絵巻を加藤は「任意の時点(における世界)の自己完結性を強調する」(『日本文化における時間と空間』)ものと説く。また、 閑かさや岩にしみ入る蟬の声 芭蕉 の句について「そこでは時間が停まっている。過去なく、未来なく、「今=ここ」に、全世界が集約される」(同前書)と加藤は述べていた。 著者はこれに対して、「日本人の時間観は、前者のいう「一方通行」でも、後者のいう「自己完結性」でもないのではないか」と反論、俳句の「切れ」を「時間が停まっている」とした加藤に、疑義を投げかける。 第四章「切れと余白」に、著者は「切れ」をこう述べる。「それは長大さや完璧さを尊ぶ美意識とは別次元から生まれた。途上のもの、小さいもの、忘れられたものに価値を置き、作り手と受け手が、その不満足な部分、謂いいおおせない部分で感情を通わせようとするはかなさに生い立った(中略)双方向」のものと。「切れ」は「けっして「時間が停まっている」場所ではない」のであった。 それにしても「そこでは時間が停まっている」は、似ている。『ファウスト』の中の、美しい時間に向って「止まれ お前は」と呼びかける言葉に、と私は思う。 誰も 第二章。著者は「日本語は人称や時制、単数複数があいまいな言語」といい、その例として 田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉 をあげる。 これは「植ゑて」と「立ち去る」の「動詞の主語は誰か、長らく国文学者のあいだで侃々諤々かんかんがくがくの論争がくりひろげられてきた」句でもあった。著者は「掲句は、現実の芭蕉や早乙女を踏まえつつ、遊行上人や西行が柳を立ち去る幻影の多層構造をゆるやかに味わうように出来ている。主語は誰か、ではない。誰もだ。それでこそ遊行柳の風光は馥郁たる詩のふくらみをもつ」と解く。「人称や時制の乗換コレスポンダンスが呪力を帯びるときこそ、俳句は名句になる」と。主語はあなたでも、私でも、誰でもいいという著者の解釈に、人は励まされるのではなかろうか。 詩は「興きょう」 『詩経』の表現技法の一つである「興」を俳句の根源とみた著者は、古今の研究者の成果を第三章「季語と興」に、丁寧に取り上げる。 その一つ、「興に、草木をはじめとする自然のうちに人生を見、人生観の確立を求める後代の抒情詩の淵源をうかがうことは、興の未来に向かう生産性をも示す」という赤塚忠きよしの論に、俳句の足元を照らし出すような力を感じ、私は胸が打たれた。 抜いても抜いても生える地の雑草。時空を超えて茶席にやってくる見えない古人たち。 「始めも終わりもない絵巻の永遠の途上の時間」。切れてつながる芭蕉の俳句。 俯瞰すれば、北斎の『冨嶽三十六景』は絵巻の一景一景となって迫ってくる。 消滅と生成を繰り返してやまない時間と空間という、日本の美や文化の底を流れる思想の、最大の鉱脈を著者は明らかにしたのだ。 この一書を心から称えたい。
毎日新聞 (8/6)書評欄にて『渾沌の恋人』をご紹介いただきました
渡辺保様、毎日新聞2022年8月6日大書評をありがとうございます。 毎日新聞に演劇評論の大家、渡辺保様から身に余る書評を頂戴しました。「雲の峯幾つ崩て月の山 芭蕉」の拙著鑑賞の心臓部を引用してくださり、句の根底をなす「入れ子構造」は「興」と「切れ」によって輝く、と本書の核心を射抜いてくださいました。僥倖と申すほかありません。 「著者は日本文化の共通基盤に大きな風穴を開けた(中略)。 著者の発見こそが近代の合理的な思考から、日本文化を解放して、将来につなげる柱になると思うからであり、目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養うと思うからだ」 ご高評を反芻し、まさに身の引き締まる思いです。今後の精進を誓い、衷心より御礼申し上げます。 恩田侑布子 入れ子構造から広がる多面的世界 渡辺保 斬新な日本文化論が現れた。 たとえばここに芭蕉の句がある。 雲の峯みね幾いくつ崩くづれて月の山 芭蕉四十六歳の、山形県の月山の景色の句である。著者自身がこの句の、一般的として引用した井本農一の解釈は次の通り。 「高い雲の峰が夕日に映えている。月山を仰ぎ見れば、空には淡い月がかかっている。この夕暮の月のさす月山になるまで、雲の峰は幾つ立っては崩れ、崩れては立ったことであろうか」(井本農一ほか校注・訳『芭蕉文集 去来抄』小学館刊) ごく一般的な解釈だろう。ところが著者はこの解釈は「知性で捉えた表層の貌かおにすぎない」として独自の解釈を提案する。すなわちここには五つの「入れ子構造」がある。第一に現に登拝している月山、第二に秋の月に照らされた山、第三に麓ふもとの刀鍛冶かじの銘「月山」、第四に天台止観でいう真如の月、第五に女性原理の暗喩。この五つの「入子構造を踏まえて多層的な音楽ポリフォニーのダイナミズムを味わ」えば次の様になる。 「今朝もわたしは見た。炎暑の大空に峯雲が雄々しく聳そびえ立つのを。その隆々たる純白の柱を。柱廊は太古から月山をどれほど荘厳しょうごんしてきたことか。涯かぎりなく繰り返された雲の輪廻よ。すでに日は没し、潰ついえ去った積乱雲はあとかたもない。日中のふもとの炎暑が嘘うそのようだ。冷ややかな月光に洗われて横たわる寂寞しじまの山よ。あなたは知っているだろうか。雲の峯はわが煩悩、風狂の思いでもあったことを。万物の声をひかりのように孕んで、万物と放電を交わさずにはいられないこの男の祈りを。いつか真如の月のようにかがやくまで、わたしは歩き続けよう。弓なりに身を反らせる刃、十七音の詩という刀を、月の香になるまで鍛うち続けよう」 「入れ子構造」というのは、本体に全く別のものを重ねて入れ込む手法をいう。当然そこに二重三重の意味を生じる。その五つの意味を著者が奔放に、しかし細緻に逃さぬ名訳である。引用が長くなったが、それは入れ子構造による方法の重要性を知って欲しいからである。入れ子構造そのものが問題なのではない。それによってどのような読み方が可能になったかが問題なのである。 そこで著者のしたことには三つの意味がある。 第一に、一般的な解釈の世界とは全く違う世界を発見した。その世界は著者が指摘するように、さながら二十世紀のピカソのキュービズムにも似た多面的な世界であった。 第二に、この世界の発見によって十七文字の短詩は、時空を超えて歴史的かつ日本の他の分野の文芸、演劇、絵画を一貫する文化の本質に至ることになった。それだけこの世界が日本文化の本質を含んでいたからである。 そして第三に、これがもっとも重要なことであるが、近代的な合理主義が切り捨てて来たもの、目に見えず、耳に聞こえず、その心だけが見、聞くことができるものを捉えることが可能になった。たとえば「月山」という銘の刀はあの雲の峯とどう対峙たいじしているのか。それが鮮明になったのである。 以上三点。著者は日本文化の共通基盤に大きな風穴を開けた。それは大きく宇宙を目にすることを可能にしたばかりか、その宇宙の特質である細部の繊細な輝きも発見した。たとえば次の宇佐美魚目の一句 空蝉うつせみをのせて銀扇くもりけり 「空蝉」は蝉の抜け殻で、それを拾って銀扇に乗せた。著者の解は、 「やや古びて淡墨うすずみを帯びた扇の山と谷には、夏木立のひかりがうつろい、空の青さも溶け入っていよう。そのいぶし銀の空間に、蝉の空はしずかな位置を占める。瞬時、長く地中に生きていた息と体温がやどったのである。わずかばかり前、生身を満たしていた殻から水蒸気が投網とあみをひろげ、生と死がゆらぐ。それは白昼のほのかな幻影である」 なんという美しい幻影か。それは細部に宿ってなおかつ大きな空間に広がる幻影でもある。その感触は、喜多川歌麿から葛飾北斎に及び、さらに絵巻物の時空から、千利休の茶の湯、世阿弥の能楽に及んで一貫している。 さらにその広い空間から、著者は「興」と「切れ」という二つの概念に行きつく。「興」とは興趣、興味、興がるという言葉の示す通り、その作品の周辺に起き、作品の中から湧き上がって、それを享受する側の想像力を含めての、不可視のイメージの広がりを示すものである。 その一方「切れ」は俳句の短い詩形の中で作られて、場景、人格、道具の転換を可能にする、いわばブラック・ホールをいう。「興」はその作品を包む空気であり、それを蓄え、あるいは転換を可能にする仕掛けが「切れ」である。その「興」と「切れ」によってはじめて冒頭の「月山」の句の解釈による五つの入れ子構造のポイントが生きて働く。 この分析が新しい日本文化の視点になると私が思うのは、著者の発見こそが近代の合理的な思考から、日本文化を解放して、将来につなげる柱になると思うからであり、目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養うと思うからだ。
恩田侑布子『渾沌の恋人』(春秋社)に、読書ノート到来!
静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。 読書ノート165 vol. 1 『渾沌の恋人ラマン』 プロローグ 芭蕉の恋 俳人にして文芸評論家である恩田侑布子さんの新著 『渾沌の恋人ラマン』(春秋社)を読んだ。「北斎の波、芭蕉の興」が副題で「恋人」にはフランス語であろう、「ラマン」とルビが振られている。80歳を過ぎた私には難解な内容だったが、二度三度と読み返し何とか理解できたような気がする。本の帯に「八年がかりのたましいの結晶」とあるが、頷けた。 まず「芭蕉の恋」と題したプロローグが私の知識をひっくり返した。 芭蕉は旅の途上、若い頃の愛人とされる寿貞が亡くなったという知らせを聞き、〈数ならぬ身とな思ひそ玉祭り〉と追悼句を詠んだ。句意は「生涯を不仕合せに終わったお前だが、決して取るに足らぬ身だなどと思うでないよ」(『新潮日本古典集成』)といったもので「静かに語りかける口調に、深いいたわりと悲しみがこもる」(同)とされる。 ところが、恩田さんは次のように述べている。 「ねぎらいはあっても、ここに恋慕はない。私が寿貞なら、上から目線のこんな余裕綽々の(しゃくしゃく)慰めなんかいらない。葉先にこすった小指のかすり傷ほどでもいい。血の匂いのにじむ悼句がほしい」。 そして芭蕉が本当に恋した相手は、弟子の杜国だと言う。むろん杜国は男性であり、芭蕉は「市井の女性に燃えることはなかったと思われる」、そう恩田さんは書き、芭蕉の気持ちが伝わる句を挙げている。 それは〈白げしにはねもぐ蝶の形見哉〉という『野ざらし紀行』にある句だ。「白げしの花びらに分け入って蜜を吸っていた蝶が、みずから白い翅(はね)をもぎ、わたしを忘れないでと黙(もだ)し与える」と句意を述べる。「杜国二十七歳、芭蕉四十一歳の恋である」が、「芭蕉の美意識の一つに、清らかなもの同士をエキセントリックに重ねる手法がある」としている。この句の場合、「白昼・白げし・紋白蝶とひかりの多層幻像は、純白のハレーションをひきおこさずにはいられない」と言う。 恩田さんの文により〈雲雀より空にやすらふ峠哉(たうげかな)〉(『笈の小文』)は「いのちのよろこびにあふれている」句と知る。 また〈草臥(くたびれ)て宿(やど)かる比(ころ)や藤の花〉(同)は「芳(かぐわ)しい恋を迎える長藤のゆらぎである」と言い、さらに〈起(おき)あがる菊ほのか也(なり)水のあと〉(『続 虚栗(みなしぐり)』)は「極上のエロティシズムが漂う」句だとしている。 そんな杜国が亡くなると、〈凩に(こがらし)匂(にほ)ひやつけし帰花(かへりばな)〉(『後の旅』)と詠んだ。この句は 「冬麗(とうれい)に狂い咲いた花が,落葉を吹きあげる風に身を揉むさまは、あのときのあの人の匂いを、肌の底に刻むように蘇らせる」 と説明している。 そして 「恋とはつよい自覚をもつ狂気だ。芸術のミューズは、狂おしく揺らぐものに微笑む」 と述べプロローグを締める。俳句だけでなく日本の文化伝統に関心を抱く者は〝恩田ワールド〟に引きずり込まれてゆく。(2022・7・3) 読書ノート165 vol. 2 『渾沌の恋人ラマン』 第一章・上 北斎の「なりかわる」絵と蕪村の俳句 本書の副題は「北斎の波、芭蕉の興」だが、第一章で葛飾北斎の絵と俳句が共通するものであることを説明している。それは北斎が「なりかわる」絵であり、自在な「入れ子構造」を持ち、俳句のこころに通じると言うのだ。 北斎の「青山圓(あおやまえん)座(ざ)松(まつ)」という絵の説明によると、画面右下の菅笠をかぶった童(わらべ)のはずむ足取りとかわいい笠が見るものを絵の中に誘い込むとし、次のように述べる。 「わたしたちは、いつの間にか菅笠をかぶった童子になって風景を眺め、父に手を引かれてうららかな霞の端を踏み、のんびりとした安らぎに包まれる。そう、ひとりでにこの子の気持ちになりかわっているのだ」。 そして、北斎は「見る絵」ではなく共感して画中に入り込んでくれるひとを待つ「なりかわる絵」なのだとする。画中に入り込むものがつまり「入れ子」だ。恩田さんならではのオリジナルな見解であろう。 北斎の「冨嶽三十六景」の一つ、「五百らかん寺さざゐどう」は9人の男女が配置されているが、富士に背を向けているのは1人、顔が見える若い女性の巡礼だ。江戸中期の禅僧で原宿(沼津市)に住んだ白隠(はくいん)は画賛で富士山を「おふじさん」と女性になぞらえて呼びかけた。「入れ子としての世界は融通(ゆうずう)無碍(むげ)である」と恩田さんは言う。「おふじさん」が巡礼の女性であってもいいということだ。 俳句との関連では「なりかわる心身」という小見出しの項で蕪村の〈稲づまや浪もてゆ((結))へる秋津しま((島))〉を挙げ、以下のように書いている。 「天地のまぐわいを暗示する放電現象に、直線と曲線、極大と極微とが交響する。そこに浮かび上がる花綵(かさい)列島は、もはや地勢というより、闇にほの白く弓なりに身をそらせる女身さながらである。この句から女体幻想を消し去ることはできまい。そこに豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国の豊穣への祈りが合体している。雷と海と地の織りなす凄艶(せいえん)なエロティシズムに、稲作民族のはるかな呪言を隠喩(興)として結晶した十七音である」。 この「興」が本書の大きなテーマの一つ。第三章で詳述される。 第一章ではこの他に「二十世紀思想家の時間論」という項で丸山眞男、加藤周一らの見解を紹介している。時間は過去、現在、未来へ一方通行で流れるものではないとし、恩田さんは「わたしなぞ、視線もこころも、絵巻の上を川のようにたゆたい、渦巻き、うねり、時には平気でさかのぼってしまう」と言う。 俳句の初心者は「いま、ここ、われ」と教えられる。しかし、恩田さんは「ここにいない死者や他者を思い、相手の身にやさしくなりかわる(、、、、、)思い、それこそが自他の境界を乗り越える『いま・ここ』からの超出」であろうと言っている。俳句の切れは、そこから時空が展開するのだとわかった。(2022・7・4)
恩田侑布子『渾沌の恋人』(春秋社)、読書ノート(続)
静岡高校の先輩・川面忠男さん(日本経済新聞社友)が、恩田の新著 『渾沌の恋人ラマン』を読み解いて下さいました。川面さんがメール配信されている 『渾沌の恋人』に関する読書ノートを、4回に分けて転載させて頂きます。今回はその第2回目です。 読書ノート165 vol. 2 『渾沌の恋人ラマン』 第一章・下 入れ子構造の「切れ」をもつ俳句 第一章の後半で葛飾北斎が「なりかわる」絵だと解説し、さらに絵巻と共通する入れ子構造の「切れ」をもつ俳句についても詳しく説明している。「芭蕉―宇宙のエロス」と題した文だが、芭蕉の句について恩田さんの読みの深さを知った。 恩田さんはまず〈馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉〉を挙げ「画中の騎手にことよせてかつての自己の体験を見出したことにあった。発想自体が、他者になりかわる入れ子構造をしている」としている。 次に〈命二ツの中に生(いき)たる桜哉〉だが、これは芭蕉が俳句の手ほどきをした伊賀上野藩士の服部土芳と20年ぶりに再会した時の句。「芭蕉・土芳・桜木という三者三様の入れ子構造となって、花明りのなかに変幻し合う」とする。 さらに〈旅寐してみしやうき世の煤はらひ〉は「入れ子の多重構造をなす句ではなかろうか」と以下のように指摘している。 ①まず、入れ子の中心に現実の芭蕉がいる。②それを包む俗世間の「うき世」がある。③さらに一回り大きいのは「旅寝」する漂泊者の眼差しである。非僧非俗を自称する芭蕉は世外(せがい)の者として煤払いの忙(せわ)しさをみている。④芭蕉には天地は万物の宿る旅籠(はたご)との思いがあったはずである。すると、天地そのものが入れ子の四重目になる。こうして掲句がただの「郷愁と旅愁」のエレジーではないことがわかる。 恩田さんは芭蕉の『おくのほそ道』からも句を挙げて言う。〈雲の峯幾つ崩て(くづれ)月の山〉は五つの入れ子構造をなしている。一つは月山、二つは月に照らされた山、三つは麓の刀鍛冶の銘「月山」、四つは天台止観でいう真如の月、五つは女性原理の暗喩だ。果たして芭蕉がそこまで思って作ったか疑問だが、いずれにしろ恩田さんはそこまで読んでいる。 また〈荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)〉について「宇宙である天の河と、目の前の海峡に横たわる天の河。永遠の時間と、人間の時間。その入れ子構造は、悲壮な天体のエロスを織りなす」とし、大宇宙は一筋の天の河に姿を変えて流罪となった人々の頭上にかがやこうと言う。さらに「往古の人々の感情はいま、我がこととして胸をゆるがしてやまないのである」と述べるが、これは私にも伝わる。「見えない時空と響き合う」を絵巻の思想の一つとしているが、俳句の実作者なら経験することだ。 最後に芭蕉の辞世句、〈旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る〉に関連して北斎の、〈飛登(ひと)魂(だま)でゆくきさんじや夏の原〉という句を挙げる。〈きさんじや〉は「気晴らしをしよう」という意味だ。死の旅立ちも遊びの精神で高笑いする北斎を描いて第一章を締めている。(2020・7・9) 『渾沌の恋人』 第二章 定型と呪 第二章「定型と呪」では俳句の神髄を語っている。読み進むと、赤面せざるを得なくなる。私は俳句を作るようになって10年が過ぎ、それなりに分かっているつもりだったが、そうではないと自覚した。 「反転する短小」という見出しの項で「俳句の真価は、見たままを再現する写生にはない。日常のことばでいい得ないものを暗示することにある」という文言を目にした時がそうだ。 また五七五という定型は人の耳に普遍的な快美をもたらす「言語の蜜」ではないか、と言う。それを〈空蝉をのせて銀扇くもりけり〉という宇佐美魚目の句で以下のように例証した。 夏木立を散歩して蝉の抜け殻と出会った。胸に挿していた扇をひらいて載せてやる。瞬時、長く地中に生きていた息と体温がやどった。生と死がゆらぐ。それは白昼のほのかな幻影である。さらに『源氏物語』の薄衣(うすぎぬ)を脱ぎ捨てて去る「空蝉」の女や、扇の影に面(おもて)をくもらせる夢幻能のシテがほの昏(くら)く揺曳(ようえい)する-。 第二章では呪(じゅ)についても述べる。人間の祈りと、その切実な呪とは、科学によって乗り越えられるべきものであろうかとする。「ひとには恋と死がある。恋と死があるかぎり、祈りも呪もほろびようがない」と言い、王朝時代の歌人である和泉式部の歌を挙げる。〈つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降(あまくだ)り来んものならなくに〉で「恋しいあの方が天から神のように降り立ってくださればいいのに、そんなわけはないのに」と訳している。 この呪的な祈りは和泉式部ひとりのものではないとし、「自分や愛する人の死病を宣告されたとき、なんとか生きたい、生きていてほしいと願う」、「人事を尽くせばもうあとは祈るしかない」、「祈りは自我を超え,呪にとどく」と言う。 俳句では飯田蛇笏を「定型の呪力において冠絶した俳人」とし、〈流燈や一つにはかにさかのぼる〉を挙げる。ここは恩田さんの文章をそのまま引用しよう。 (前略)川筋にゆらりと乗った朱(あか)い灯が一つ、うちつけにぐっと遡ってくるではないか。彼方から立ちゆらぎ来るなつかしさ。そのとき、流灯はするりとあのひとになる。この世で出会ったたった一つのたましいに。ふたりだけにわかるまなざし。闇にゆらめくほほえみ。二度とおとずれない交感の瞬間である。 川の流れを灯籠が遡上しようか、と問うひとがいるかもしれない。ありえない事象は「一つにはかに」という決然たる調べによって、現実を超えるのである。 恩田さんは蛇笏の句から生きる力を得た人でもある。(2022・7・11)