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6月2日 句会報告と特選句

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令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。   特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。                  ◎特選                        メーデーや白髪禿頭鬨の声                  島田  淳    日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                   ◎特選                        さつき雨猿の掌光る屋久の森                  林  彰    季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                                           △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む               村松なつを   合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。        △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり               芹沢雄太郎   恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。        ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す                松井誠司    本日の最高点句でした。  恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。        ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士                萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。        ゝ 病む人にこの囀りを届けたし               樋口千鶴子    「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。                                  今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。    古寺に狐狸の噂や五月雨              江戸川乱歩  彼の岸も斯くの如きか五月闇              相生垣瓜人  やはらかきものはくちびる五月闇               日野草城  手花火に妹がかひなの照らさるる               山口誓子  手品師の指いきいきと地下の街               西東三鬼  手花火の柳が好きでそれつきり              恩田侑布子  生きて死ぬ素手素足なり雲の峰              恩田侑布子  歳月やここに捺されし守宮の手              恩田侑布子                              樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。  母のごとでんと座したり鏡餅  オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ  父の日や花もなければ風もなき  音沙汰の無き子に新茶送りけり  青田風新幹線の断ち切りぬ     久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。                                         [後記]  句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。  本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。  次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)   今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

3月4日 句会報告と特選句

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平成30年3月4日 樸句会報【第44号】 彌生三月第1回。少し窓を開け、春風を呼び込んでの句会です。 特選2句、入選2句、△3句、シルシ8句という実りゆたかな会でした。 兼題は「踏青」と「蒲公英」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎合格や不合格あり春一番             久保田利昭 ◎「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく              萩倉 誠 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)          〇蒲公英を跨ぎ花一匁かな             芹沢雄太郎 合評では、 「かわいらしい句。思い出かな?こういう句は大好きです」 「かわいい。“花一匁”にノスタルジアが感じられる」 「うまくまとまってはいる。“跨ぎ”がもっと能動的であれば採りましたが」 「あちこちに咲いているたんぽぽは“跨ぐ”には小さすぎませんか?子どもの歩幅と一致しないような気がして・・」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「一読して、たんぽぽと花いちもんめは即きすぎかとも思った。でも花いちもんめの歌を思い出すと、“あの子がほしいあの子じゃわからん”と、浪のように手をつないで歌いながら、鮮やかな黄の蒲公英をひょいとまたぎ越す子どもの無邪気さが感じられた。子ども時代の余燼がまだ身のうちに残っていなければつくれない俳句。若草と蒲公英。その上にゆれる赤いスカートや半ズボンの戯れは春日の幸福感そのもの」 と講評しました。      〇犬矢来こえて行くべし猫の恋               林 彰 合評では、 「“犬矢来”ってなんですか」 「市内では見かけないですね。よく言葉を知っている作者ですね」 との質問や感想。 恩田侑布子は、 「“矢来”は遺らいであり、追い払う囲い。竹や丸たんぼを荒く縦横に組んでつくるもので“駒寄せ”と同義。犬のションベンよけ、埃よけともされ、最近は和風建築の装飾化している。この“犬矢来”という死語になりかけた措辞を活かした手柄。しかも犬なんかに負けるんじゃないぜ、猫の恋よ、の思いも入ったところに俳諧がある」 と講評しました。 投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。  来し方に悔いなき青を踏みにけり              安住 敦  たんぽぽや長江濁るとこしなへ              山口青邨  蒲公英のかたさや海の日も一輪             中村草田男   [後記] 本日は「静岡マラソン」の日。走り終えたランナーたちとすれ違いましたが、みな爽やかな感じ。達成感・充実感があるのでしょう。句会のあとの連衆も同じような表情をしているのかもしれません。 次回兼題は「菜飯」と「“風”を入れた一句」です。 (山本正幸)    特選    合格や不合格あり春一番                      久保田利昭  大方のひとにとって人生の始めの頃の喜び哀しみは受験にまつわることが多い。同じクラスでいつも軽口を叩きあっては笑いこけていた友人が、高校受験や大学受験で一朝にして合格者と不合格者の烙印を押されてしまう。それを春一番の吹き荒れる様に重ねた。この春一番はまさにこれから二番三番とかぎりなく展開する嵐の道のりを暗示する。それが合格やの「や」であり不合格「あり」である。が、いずれにせよまばゆさを増す春のきらめきのなかのこと。泣いても笑っても船出してゆく。さあこれからが本番だよと作者は懐深くエールを送る。  特選  「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく                 萩倉  誠  独白をうまく取り入れた冒険句。句跨りだが十七音に収めた。ほろ酔いの掌は思わずどこに触れたのか。手と手かしら?もしかしたら胸元にタッチ?「ヤバイ」。よこしまな関係になりそう。一瞬のたじろぎ、期待、春情。交錯する感情が生き生きと伝わってきて面白い。なんといっても座五の「春ぞめく」が出色。①群がり浮かれて騒ぐ。②遊郭をひやかして浮かれ歩く。の辞書にある語義に身体感覚が吹き込まれ、それこそザワザワ身内からうごめくよう。                                (選句・鑑賞 恩田侑布子)                       

12月22日 句会報告と特選句

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平成29年12月22日  樸句会報 本年最後の句会会場はいつもと違って小ぶりな会議室。至近距離での親密な熱い議論がかわされました。投句の評価は、特選1句あったものの、入選なし、原石賞1句、△1句、シルシ9句という結果でした。一年の疲れが出たのでしょうか? 兼題は「時雨」と「“石”を入れた句」です。 話題句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎「AI」と「考える人」漱石忌             久保田利昭 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)            【原】石垣の滑らなりしや水洟や             藤田まゆみ この句を採ったのは恩田侑布子のみでした。 恩田は、 「発想は面白く、表現が未だしの句。語順を変え切字を一つにすると、水洟を垂らす作者の今と、駿府城の四〇〇年の濠の歴史が対比され、作者のユニークな感性が生きるのでは」 と評し、次のように添削しました。  水洟や濠の石垣滑らなる                △しぐるるやマドンナを待つ同期会              山本正幸 この句を採ったのは男性ばかり。 合評では、 「情景が浮かぶ。ホテルの受付。気が付けば外は雨。そういえばあの〇〇ちゃんはどうしているだろう?今日は来るのか?雨の持つしっとり感と同期の女性への想いが一致した」 「同感!“しっとり感”ですよ」 「“しぐるる”は心の中のざわつきでもある。急に降ってくるのが時雨。彼女は昔のイメージと変わっているかなぁ。もしかしたら・・」 「待つときのもどかしさ、複雑な感情を詠った」 という感想の一方で、 「なんだか、全然ピンときません」 と女性の声(複数)もありました。 恩田侑布子は、 「まだ来ない人を待つ心情のしっとりとした感じはある。小さな喫茶店での会を思った。“同期会”が行われる百人単位の大きなホテルには“しぐるるや”は合わないのでは。きっと会場はビルの中でもう同期会は始まっているのだろう」 と講評しました。                 ゝ石橋を冬日と渡り八雲の碑              森田 薫 本日の最高点句でした。 合評では、 「目に浮かぶ光景。“八雲館”のある焼津だろうか。詠われた自然と人名が合っている」 「中七の“冬日と渡り”の措辞がとてもいい」 との共感の一方で、 「句としてはよくできていると思う。しかし、八雲の碑と冬日が少しそぐわないのでは?」 「“あなたと渡り”ではいかが。私は“叩いて渡り”ますが(笑)」 「石橋と碑(いしぶみ)がくどいのではないか」 などの意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「皆さんの鑑賞に同感です。石橋と碑がくどいという指摘はそのとおり。上五~中七はいい。しかし、下五が“八雲の碑”の必然性があるか?吟行の嘱目詠ならいいですが」 と評しました。 今回の兼題の「時雨」について、恩田侑布子は下記の句を紹介し、それぞれ解説をしました。  水にまだあをぞらのこるしぐれかな             久保田万太郎 一句一章の句。万太郎の和文脈です。「かな」の切れが実に美しい。  翠黛の時雨いよいよはなやかに              高野素十 しぐれの持つ“艶”を引き出した句です。京の翠黛山に降る時雨を詠ったものですが、王朝人の翠のまゆずみで描いた眉も奥に幻想され、下五の“はなやかに”が効いて名句になりました。 投句の合評と講評のあと、桂信子の俳句(『桂信子全句集』(1914~2004年) 60歳以降の作品から)を読みました。 共感の声が多くあがりました。「若い頃の“女性性”を前面に出した句よりも格段に良い」との評価も。「忘年や・・」の句に対する「モノではなく、ひとは心の中にいるのですね」との最年長会員の感想に一同大きくうなずきました。 特に点の集まったのは次の句でした。  たてよこに富士伸びてゐる夏野かな  大寒のここはなんにも置かぬ部屋  忘年や身ほとりのものすべて塵  闇のなか髪ふり乱す雛もあれ  冬滝の真上日のあと月通る 恩田侑布子は第一句集を出版した際、桂信子から評価の葉書をもらい、俳句のパーティーでもやさしく声をかけてもらったことがあるそうです。 [後記] 句会の冒頭、恩田侑布子から「このたび“桂信子賞”をいただくことになりました。句集『夢洗ひ』だけでなく、これまでの俳人としての歩みを評価されたことがとても嬉しいです。来月伊丹市の“柿衛文庫”での授賞式に出席し、記念講演を行います」との報告がありました。芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞に続く受賞で、実に喜ばしいことです。連衆から心よりのお祝いの言葉が述べられました。 (授賞式のご案内はこちらをご覧ください) 本日配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。 「見たマンマを詠むと説明的で即きすぎの句になります。月並ではない新しみある俳句を!」 どうしても発想が月並になってしまう筆者ですが、一気に新しさの高みにのぼる王道がない以上、コツコツ句作を続けようと思います。 次回兼題は、「“寒”を入れた句」「コート」です。              (山本正幸)                  特選   「AI」と「考える人」漱石忌                 久保田利昭  AI、考える人、漱石忌、三つの名詞が並列や直列の関係にないところが新しい。これはトライアングル構造の句である。もし〈AIと「考える人」漱石忌〉なら、三角構造は崩れて弱くなる。カギカッコで括られた「AI」は「考える人」同様、すでに存在として受けとめられている。ブロンズの「考える人」が覗き込むロダン(1840〜1917)の「地獄の門」は1900年前後の作という。漱石(1867〜1916)は ロダンより二十七も歳下だが、ロダンより一年早く四十九歳で卒した。ロダンの生存期間にすっぽり入るから、同時代の近代を象徴する彫刻家と文豪といえる。そう思うと切れは、〈「AI」と/「考える人」漱石忌〉になり、漱石のみ実在者と思えば、切れは、〈「AI」と「考える人」/漱石忌〉となる。人工知能とロダンの考える人を対比させ、漱石忌でうけとめた後者ととるのが自然だろう。とはいえ、切れの位置の変幻は読者を思弁に誘い込む。人工知能が近未来にかけて猛威を振るい世界の活動を根底から変えようとしている。その「AI」 と「考える人」を、漱石が双肩に受けて真面目な顔で考えて居る。漱石の胃に穴が空いたのは我執のもんだいであったが、今やartificial intelligenceが加わった。山本健吉は、俳句は認識を刻印する芸術であるといった。刻印というより認識の迷宮をそぞろ歩きし、あ、もういいやと、漱石の口髭を撫でたくなる句ではないか。          (選句/鑑賞  恩田侑布子)

7月7日 句会報と特選句

photo by 侑布子

7月1回目の句会。本日は七夕。静岡市清水区の七夕祭も今年で65回目になります。 兼題は「バナナ」と「虹」。特選2句、入選2句、原石賞2句、シルシ9句という結果でした。 高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ ◎虹の橋袂めざして走れ走れ             久保田利昭    ◎アリランの国まで架けよ虹の橋              杉山雅子 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                                        〇置き去りのバナナ昭和の色となる              萩倉 誠 合評では、 「こういう発想は今までなかったのではないか。 “置き去り”が分かりにくいかもしれないが」 「古びていく昭和への哀感がある。高度成長した昭和の時代が去っていく寂しさ」 「バナナは昭和の象徴だろう。琥珀色の中に死んでいく昭和」 「“置き去り”のバナナと“昭和”の取り合わせに無理矢理感があるが、発想は面白い」 「“となる”が不自然」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「“意味”に還元していないところが良い。昭和の時代へのノスタルジア、ペーソスを感じ、説明できないニュアンスがある。それは良い句の条件でもある。季語が効いており、面白い感性だ。哀惜の情はあっても、昭和の時代への政治的な批判精神はない。哀惜の情を詠うとき批評は邪魔になる。昭和史の中に眠ろうとするあまたのエピソード。その人固有の体験を呼び覚まそうとしている」 と講評しました。                      〇虹立つやミケランジェロの指の先              塚本敏正 「リズムがすがすがしい。気持ちのいい句」 「私は “ピエタ”が好き。ミケランジェロの指から虹が立っている。本物の虹との二重イメージの句」 「ミケランジェロその人の指ではなく、真っ白な大理石の彫刻の指。例えば、巨人ゴリアテへ投げる石を持ったダビデの手を想像させる。虹は希望の象徴」 「“ダビデの像の”と作品を特定すれば、特選でいただいたのに」 との感想、意見。 恩田は、 「そのままミケランジェロの指と読むべきだ。固有名詞が効いている。例えば“草間彌生の”とすると“虹”と相殺してしまう。ミケランジェロだからこそルネッサンスの時代精神を体現し、芸術賛歌になっているし人間賛歌にもなっている。ミケランジェロの作品名を載せるとそこに収斂してしまう。ここにはエコーのような多層構造がある」 と講評しました。                     【原】スコール過ぎバナナの下に水平線              佐藤宣雄 恩田は、 「迫力のある句。景色に重量感と立体感があるが、上五を変えたい」 と講評し、次のように添削しました。  天霽(は)るるバナナの下に水平線                     【原】バナナ喰ひて死なむと言ひし戦さの日々               西垣 譲 合評では、 「まもなく命が尽きるとき、最後に“これを食べたい”という欲望が出てくる。昔バナナは風邪をひかないと食べられなかった。戦争体験が背景にある」 「五七五に収まりきらず、内容は短歌的のように感じた。“切れ”はないが、一気に読み共感した」 「“喰ひ”のほうが良いのでは?」 などの感想と意見が出ました。 恩田は、 「生きるという実感のある句。“喰ひて”の字余りは問題ない。“喰ひ”だと“死なむ”に繋がっていかない。むしろ“日々”を変えたい。このままだと長いある一定の期間となり、理屈に解消し思い出話になってしまう。“あの時”という切実感を出したい」 と講評し、次のように添削しました。  バナナ喰ひて死なむと言ひし戦さの日                   [後記] 恩田侑布子の句集『夢洗ひ』が、平成29年度の現代俳句協会賞(第72回)を受賞しました。芸術選奨文部科学大臣賞とのダブル受賞です。 句会冒頭、樸俳句会一同でお祝いを申し上げ、大きな拍手を送りました。連衆にとって励みになることです。 今回の兼題の「バナナ」について話が盛り上がりました。句会参加者の年齢層にあっては、当時のバナナは高級品。一日3本以上食べることもあるという人もいて、健康談義にまで広がりました。皆さんそれぞれ思い入れがあって句作に取り組んだようです。 次回兼題は、「空梅雨」と「トマト」です。 (山本正幸)                         特選                         虹の橋袂めざして走れ走れ                  久保田利昭  虹の脚や虹の根はよく俳句にされるが、「虹の橋の袂」は盲点かもしれない。しかも座五に「走れ走れ」と命令形を畳み掛けたところがユニーク。一読して、あまりにも楽天的な向日性を思う。が、一句の異様な無音に気付くや、世界は一転、不気味な悪夢のように思えてくる。走った末に行き着くところは虹の橋ではなく、袂にすぎない。しかも掴むことも登ることもできない幻かもしれない。それなのにひたむきに走る。もしかしたらこれは、底無しの虚無ではないか。楽天と虚無がメビウスの環のような階段になったエッシャーのだまし絵のような俳句。         (選句・鑑賞 恩田侑布子)                                   特選                         アリランの国まで架けよ虹の橋                   杉山雅子  「アリランの国」という措辞がよく出たと感心した。何か他の国を象徴するもので代用できないか考えてみたが「サントゥールの国」では甘くなるし、「ウォッカの国」では虹が生きない。アリランは動かない。日本は韓国侵略の歴史をもち、近年は一部の人によるヘイトスピーチもある。また民族分断という悲劇の歴史も継続している。作者は隣国の庶民に深い共感を寄せ、幸せを祈る。それは自身が少女時代に戦争を体験したことも大きいだろう。アリランという哀調の民謡を唄う庶民に人間として共感を惜しまず、この虹を隣国まで架けようという心根は美しい。視覚的にもチマの鮮やかな遠い幻像に、大空の虹が濃淡をなして映発し合う。         (選句・鑑賞 恩田侑布子)

6月2日 句会報告と特選句

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6月1回目の句会。兼題は「夏の日」と「更衣」です。 特選2句、入選2句、原石賞1句、シルシ10句。粒揃いの句が多かった前回と比べると今回は不調気味。 兼題にもよるのでしょうか。浮き沈みの激しい?樸俳句会です。 高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ                     ◎風立ちて竹林にはか夏日影             松井誠司 ◎先生の自転車疾し更衣             山本正幸     (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                      〇膝小僧抱きて見る君夜光虫             山田とも恵 合評では、 「幻想的な句。ロマンティシズムも感じられる。夜光虫の青白い光が“君”という人間のかたちになってくる」 「発想が面白い」 「膝小僧を抱くのが誰なのか分かりにくい」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「膝小僧を抱いて遠くから好きな人を見ている。海辺には大勢の仲間がいる。あの人が好きなのに傍に行けないもどかしさ。夜光虫のブルーの光が幻想的に渚を彩る」 と講評しました。                    〇吹き抜けに大の字でいる夏日かな             久保田利昭 「こういう光景にあこがれる。誰もいないお寺かな」 という感想。 恩田は、 「天井の高い吹き抜けのフロアーに大の字で寝ころがる。高窓から午前の陽が射しており、まだ涼しい時間である。いまにもストレッチ体操でも始まりそうな健康的な感覚に溢れている」 と講評しました。                       【原】立ちこぎて夏を頬ばる男子かな              萩倉 誠 合評では、 「自転車に乗って、頬ばった夏の風はどんな味がするのだろう?」 「風を受けて爽やかな感じが伝わってくる」 「“夏を頬ばる”の措辞で採った」 などの感想。 恩田は、 「“立ちこぎて”が耳慣れない。また“男子(だんし)”がそぐわないかな」 と講評し、次のように添削しました。  立ち漕ぎの夏を頬ばる男の子かな                     ===== 投句の合評と講評のあと、いつも恩田が現俳壇から注目の句集を紹介し鑑賞するコーナーがあります。 今回は5月29日の朝日新聞紙面の「俳句時評」で恩田侑布子が取り上げた上田玄氏の俳句(『月光口碑』より20句抄出)を読みました。 はじめに恩田から、作者を取材して知り得た来歴、時代背景などの紹介がありました。 連衆からは、 「挫折していった仲間たちを想って詠っていると思う」 「同世代として共感できる句がある」 「生きていくことへの決意を感じる。自分をスカラベに擬した句に共感」 「イメージが追いついていかない」 「いちいち辞書を引かないと理解がおぼつかない」 「戦争体験者としてはやや違和感がある」 「この世代の“戦争”とは“ベトナム戦争”を指すのではないか」 「謎めいている。謎解きを読者に強いる」 「深刻すぎないか? ナルシシズムを感じる」 「やはり万人に分かる俳句であるべきだろう」 「俳句というより“詩”に近いと思う。 『現代詩手帖』に出てきそう」 「この内容を読者に媒介する人、訳す人が必要」 など様々な感想や意見がありました。 恩田は、 「多行形式という表現技法は措いて、実に深い世界である。古典の素養も背景にある。こういう句を埋もれたままにしておいてはいけない、と思った。今、俳壇が軽く淡白になってゆく中で貴重だ」 と語りました。 一番票を集めた句は次の二句です。  人間辞めて  何になる  水切り石の  跳ねの旅  塩漬けの  魂魄を  荷に  驢馬の列 [後記]  上田玄氏の俳句について、同じ時代の空気を吸ってきた筆者としては俄かには評価しがたい感じに襲われました。まさに、おのれの来歴と現在の在り方を問うものであるからです。どの句にも “祈り”(家族への、友人たちへの、時代への、そして・・)がこめられていると思います。 次回兼題は、「麦秋」と「鮎」です。(山本正幸) 特選      風立ちて竹林にはか夏日影                     松井誠司  夏日影は陰ではなく、夏の日のひかりをいう。純然たる叙景句は難しいが、技巧の跡をとどめない自然な句である。カタワカナカと6音のA音が主調をなす明るい調べも内容にマッチして心地よい。一陣の風に竹幹がしない、いっせいに大空に竹若葉がそよぎわたる。はつなつの光が放たれる里山の光景である。竹の琅玕、若竹のみずみずしさ、きらきらと透き通る日差しのなかに、読み手もいつしらず誘われてゆく。  藤枝市在の白藤の瀧への吟行と、あとから聞く。地霊も味方してくれたのだと納得。           特選      先生の自転車疾し更衣                      山本正幸  更衣の朝、通学路は一斉にまばゆいワイシャツの群れとなる。「おはよう」。背中からさあっと風のように追い越してゆくひと。あ、先生だ。作者の憧れの先生は女性だが、読み手が女性なら男の先生を想像するだろう。初夏の風を切ってゆく背中が鮮やかである。更衣の季語から朝の外景に飛躍し、はちきれんばかりの若さにあふれる。疾しと、中七を形容詞の終止形で切り、座五を季語で止めた句姿も美しい。一句そのものに涼しいスピード感がある。       (選句 ・鑑賞 恩田侑布子)                            

5月19日 句会報告と特選句

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風薫る5月2回目の句会。兼題は「木蓮」と「夏近し」です。 特選1句、入選8句、シルシ7句。恩田侑布子の言によれば「今回は粒選りでしたね」。 高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ                                      ◎仏間にも母の面影大牡丹             塚本敏正 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                                         〇蝶や蝶おいてけぼりの地球人            山田とも恵              合評では、 「蝶は地球人を超越し、生命サイクルを繰り返している。蝶には平和も戦争もなく、また進歩も退歩もない」 「奇抜な表現の句。自然界の代表としての蝶から見たら人間は無様だ」 「“蝶や蝶”という呼びかけがいい。でも何から“おいてけぼり”なのだろう」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「蝶はのどかに飛びめぐり、人間だけが戦乱、差別、対立の中にいる。多義性があり、独特のリズム感があって面白い。特選にしようかと思ったが、やや意味が露わかな。芭蕉のいう、腸(はらわた)の厚き所より詠んでいるのかなと、ちょっと迷ったので」 と講評しました。                           〇夏近き突堤の風職退けり             山本正幸 合評では、 「定年退職した人の気持ちをよく表している。これからの人生への期待と不安」 「退職しても前向きの気持ちを持っている。突堤の風はきつい。そこに立って、決意をこめている」 「三段切れではないか? 三つのうち何を言いたいのかはっきりしない」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「やや措辞がごちゃついている。“夏が近い”“突堤の風”“退職”の三つが等価で、言葉がそれぞれ強さを持ってしまっている」 と講評し、次のように添削しました。  はつなつの突堤の風職退けり 「季語を変えることによって、突堤の風に爽やかさが出ませんか?」 と問いかけました。              〇若冲の白い象来る夏近し             杉山雅子                  「白い象は幻想だと思う。覆いかぶさるように、ふっくらした肉体の形が白象になってやって来る」 「静岡県立美術館にある若冲の絵の白象。それがこちらに向かってくる様子と季語が合っている」 などの感想が述べられました。 恩田は、 「ただの白象だと仏教を思わせる。若冲と限定したことによって屏風絵や画だとわかる。 “来る” と “近し” と意味的に近い動詞と形容詞の並びがやや気になるが、感性はとてもいい」 と講評しました。                         〇紫木蓮塀巡りたり人の荘             杉山雅子 恩田の講評。 「“人”とは“想い人”でしょう。山里の森閑とした山荘の塀を巡っている。玄関の戸を叩いたのか、鍵がかかっていてそのまま帰ったのか想像させる。「人の荘」という格調のある措辞によって塀の長さが出、自分とその人の間の距離を感じさせる。逡巡の気持ちと心理の陰影が、紫木蓮にこもった」                     〇短髪になりし少女や夏近し             松井誠司 「読めばそのとおりである。恋も愛もないけれど」 「“短髪”と“夏近し”が近いような気がする」 などの感想。 恩田の講評。 「うなじの抜き出た少女のユニセックスの感じに、さっぱりした夏の到来の間近さが表現された」                       〇主なきも咲きめぐりてや紫木蓮            久保田利昭 「まさに私の父が住んでいた家の様子そのもの。毎年紫木蓮が咲いていました」 との感想。 恩田は、 「短歌的だが、調べが美しい。「咲きめぐりてや」に、かつての主が知り得ない幾年ものめぐりが感じられる。上五のゆったりした字余りが内容に合っていて、紫木蓮が目に浮かぶよう」と講評しました。                      〇日溜りに猫の影なし夏隣            久保田利昭 恩田の講評。 「“不在”を句にした独特の面白い捉え方。猫のいない空白感によって、夏の近さを知った。 “夏隣”がいい。日常の気付きが自然な一句になった例」                       〇気まぐれにドーナツ揚げて夏近し             森田 薫 「夏が近づくというワクワク感がある」 との感想。 恩田の講評。 「“気まぐれに”の措辞は一読粗いようだが、この句の感覚に合っている。普段からまめに料理を楽しむ女性の弾むような五月の到来」                      ゝ 紫木蓮歳とらぬ子の一人いて             伊藤重之   本日の最高点の中の一句であり、話題になった句。 「“歳とらぬ子”とは夭逝されたお子さんなのか、結婚せずにまだ一人でいる子か。親の気持ちが感じられる。子どもの頃から変わらない可愛さ。 愛情の深さとせつなさが紫木蓮に表れている」 との解釈に対して、恩田は、 「分裂した解釈なので、どちらかにすべきです。両方を共に味わうことはできない」 と指摘しました。 「不思議な句。年齢はいっているが、精神的に歳をとらない子どものことでしょうか?それに対比される紫木蓮は大人びた感じを持つ」 「嫁き遅れた子のことか。心配だけれど手放したくないという気持ちでは」 「もっと深刻。精神的に病んで大人になったのではないか?」 「“紫木蓮”だからきっと大人のことなのでしょう」 など議論が沸きました。 恩田は、 「季語が動く。素直に読めば夭逝した子と考えるが、そうすると紫木蓮は合わない」 と講評し、次のように添削しました。  はくれんや歳とらぬ子の一人ゐて 「“はくれん”とすることによって無垢、あどけなさとあわれが出ませんか。幼くして死んだ子を想っている。また、春先の初々しさも出る。“紫木蓮”だから意味が分裂してしまうのでは?」 と解説しました。 [後記]  「歳とらぬ子」の句を巡る議論は句作の本質に触れるものではなかったでしょうか。個人的なことをどこまで詠むのか。「文学的真実」があればどんな内容であってもよいのか。そもそも、「文学的真実」とは?・・大きな問いを抱いて句会を後にした筆者でした。  次回兼題は、「夏の日」と「更衣」です。  (山本正幸)                                  特選   仏間にも母の面影大牡丹                 塚本敏正                  居間にも台所にも玄関にも、そして仏間にも亡き母の面影があらわれる。母は莞爾とほほえんで牡丹の花のようにひろがる。「大牡丹」の措辞から、母の存在がどんなに大きかったかがわかる。ふくよかにゆたかに慈愛に満ちていた母。幻の大きな牡丹の影が家じゅうに満ちて、どこに身を置こうと包まれる。仏壇に御線香をあげていると「お前、しっかりご飯食べているかい」と案ずる母の声がうしろから聞こえる。窓に若葉が揺れる。緑さす庭をもう一度手を引いて歩きたかった。牡丹という季語の本意に、中有の気配が新たに加えられた。      (選句・鑑賞 恩田侑布子)

3月17日 句会報告

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彼岸の入りの句会。兼題は「ものの芽」と「春の闇」です。 句会の行われるアイセルから徒歩5分の熊野神社の鳥居をくぐると「ものの芽」に包まれるような気がします。 高点句を紹介していきましょう。今回、恩田侑布子特選はありませんでした。 (今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ○ 昼酒の蕎麦屋に長居柳の芽             伊藤重之 合評では、 「リタイアした老人の一日のひとコマ。こういう身分になりたいな」 「昼酒のまったりした気分が出ている。蕎麦屋の入り口に柳の木があるのだろう」 「漢字の表記が作者の気分を表していて良い」 「ワタシもこれから“昼酒”にしようかな」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「のどかな春の雰囲気が出ており、季語が効いている。お客も少なくて、馴染みの店で遠慮なく吞んでいる。窓には柳がしな垂れかかっている情景」 と講評しました。     ○ 春の闇来る人の来ぬ喫茶店            久保田利昭 合評では、 「異性を待つ切ない心とマッチしている春の闇」 「生温かく濃密な春の闇の向うから現れるであろう恋人を待ち焦がれている。ここは夏でも秋でもなく“春の闇”でなければダメ」 「異性を待っているのではなく、いつもの喫茶店のそこに座っている人が来ない。どうしたのだろうという、心配の気持ちではないでしょうか」 「“待つ人の”だと散文的になるので、“来る人の” と推敲したのではないか」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「恋がひそんでいる。来るはずのを省略しているので含みがあり、気を揉んでいる感じが出た。 “春の闇”に体性感覚がある。闇が震えている。デリケートな質感をもった闇。季語が効いている、いのちを持っている」 と講評しました。     △渡し場の水のふくらみ蘆の角             塚本敏正 「この情景は水彩画を見るようだ。蘆が新芽を出す、いささか古めかしい渡し場の光景」 との感想。 恩田からは、 「映像再現性がある。うまくまとめてあって絵葉書的なのがやや惜しまれるが、「ふくらみ」の措辞がいい手堅い句。これからさらに新味の獲得と着眼点の飛躍に挑戦されれば塚本さんは素晴らしくなる」 との講評と励ましの言葉がありました。     ゝものの芽にかこまれて妻退院す             山本正幸 「わかりやすく、いい句だ。愛する奥さんが無事退院した。ちょうど木々の芽が盛んに出てくる時節。奥さんを寿ぐ句」 「いかにも退院おめでとうという気持ちになる」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「季語が効いている句。やわらかな空、やさしい作者の奥様を思う心が溢れ、一物仕立てで祝意を表している。“存問”の句としては良質だが、文芸としての奥行きや多層構造はない」 と講評しました。     ゝひそめたる息ほつと吐く春の闇             西垣 譲 「若い女性の気持ちを詠っている。異性と付き合って間がなく、何かを迫られるかなと期待したが何もなかった。残念なような、安心したような気持ちが出ている」 「何のことかよく分からなかった。深くはないが、緊張感のある句。春の闇だからそれほど深刻ではないのでしょう」 などの感想。 恩田は、 「“ひそめたる”が思わせぶり。感じは分かり、雰囲気もある。しかし、正体がつかめず、根のない句と言わざるを得ない」 と講評しました。     [後記] 樸俳句会代表の恩田侑布子は、句集『夢洗ひ』の成果により平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。本日の句会の冒頭、句会の連衆から熱い祝福の拍手が送られました。ホワイトボードには大きくお祝いの言葉と花マルがいっぱい。「今回の句集が一番好きです」「日本語の美しさを堪能」との声もあがりました。連衆にとっても嬉しく励みになることです。 (恩田の受賞コメント及び、講座生からの祝詞は本HPの「お知らせ」をご覧ください。また文部科学省の芸術選奨のURLも掲載しました) 今回の句会で感じたのは、自分の感情をいかにして詩の言葉に結晶できるかということです。恩田は、“モノに託す”“潜める”“転じる”などにより、感情をストレートに出さないで句にしていくことを強調しました。「短歌ならそれ(ストレートな感情表現)ができる」とも。 次回句会の兼題は「古草」「春障子」です。 (山本正幸)

3月3日 句会報告と特選句

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桃の節句の句会。兼題は「紅梅、和布」です。 句会会場近くの駿府城公園に紅葉山庭園があります。ちょうどいま、飛び石伝いに梅林を散策して香りにうたれることができます。 高点句を紹介していきましょう。 朝日入る一膳飯屋わかめ汁             佐藤宣雄 恩田侑布子の入選句で、合評では、 「生活感のある句だ。夜勤を終えてくつろぐ肉体労働者の姿が浮かぶ」 「“朝日入る”という上五がいい。作者の感性に共感した」 「学生街の一膳飯屋を想像した。都会の一隅の光景」 「独り者だろう。“朝日入る”が効いている。小さな開放的な店の景がくっきりしている。月並みでない面白さがある」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「みなさんの鑑賞がいい。シッカリ書けていて、曲解されることのない句でしょう。安サラリーマンや学生が気軽に寄る店。あたたかい元気なおじちゃんおばちゃんが迎えてくれる。上五が清々しく、飾り気がない。和布の兼題で、浜辺ではなく店をもってきて成功している。平易な言葉が使われており、いろいろな人の想像力を掻き立てることができた」 と講評しました。   紅梅や進む病状月毎に            樋口千鶴子 恩田侑布子の入選で、合評は 「深刻な病気の状況であろう。現代社会では、安楽死など死をめぐる議論がいろいろある。人工呼吸器を着けたらもとに戻れない。大変な気持ちを抑えて句にしている。それを紅梅と対比させている」 との共感の声がありました。 恩田は、 「“紅梅”が効いている。紅梅はうつくしいが、むごさや残酷さも併せ持つ。他の植物では中七以下を受け止めきれないだろう。あえて感情を押し殺して事実のみを述べた。そぎ落とされた表現が共感を呼ぶ」 と講評しました。     色褪せてなを紅梅の香を残し            樋口千鶴子   「近くの公園に白梅と紅梅が咲いている。紅梅は白梅に比べて少し重い。しつこさもある。この句は、まだまだどっこい生きているぞという心意気がベースにあると感じた」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「千鶴子さんはいつもものをよく見ている。誠実な眼差しが感じられる。白梅の潔い散り際に比べて、紅梅は白っぽく色が抜けたり、逆にくろずんだりして縮れて落ちる。ここでは香りに注目したのが良い。昔の人は香りの高い植物を愛好し、自分の生きる鑑とした。この句は散文のようだが、内容が良く、下五に実がある。紅梅のありように自分を重ねた。一生を見つめて一瞬を詠むのが俳句」 と講評しました。     紅梅の髪にかざして自撮りして           久保田利昭 「~して~して、という軽快感がよい」 「髪に花をかざす習慣は昔からあったが、“自撮り”で新しさが出た」 などの感想。 恩田は、 「軽いタッチの句。紅梅とこの女性の自己愛(ナルシシズム)がつり合っている。白梅ではこうはいかない。季語が効いている」 と講評しました。     風に老い飛沫に老いぬ和布採            伊藤重之 「“老い”のリフレインが効いている。和布採りの一情景と一老人の生き方が重なる」 との感想。 恩田は、 「対句をいいと思うか、鼻につくかで評価が分かれる。ちょっとカッコつけすぎているところのある句だ」 と講評しました。     [後記]  今回の句会で恩田が強調したのは「よく見る」ということでした。 よく見る(視る)とは、ただ網膜という器官に像を写すのではなく、意識と五感を総動員しなければいけないことを痛感。 次回の兼題は「古草」「春障子」です。(山本正幸) 特選 紅梅を仰げるあぎと娶りけり                   山本正幸    濃艶である。紅梅を仰ぐ女性の透けるような白い肌の顎から喉もと、首筋がみえてくる。こんな美しい女を我妻にしたのだという男の満足感と、ある種の征服感まで感じられる。白い喉のなめらかさに負けず、紅梅はいっそう黒々と濃く中天にこずむ。性愛の烈しさが匂う。「あぎと」に焦点を絞って、紅梅の紅と対比させた技法が巧みである。講座では、「娶りけり」はジェンダーギャップのことばで不快、という意見も出た。たしかにそう。しかしそれがわたしたちの蓄えてきた「言語阿頼耶識」であることも事実。時に、性愛の場は平等をよろこばない。さくらよりも肉感的なエロスを匂わせる紅梅がふさわしい由縁。         (選句・鑑賞 恩田侑布子)