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10月13日 句会報告

20191013 句会報1

令和元年10月13日 樸句会報【第78号】 10月最初の句会は、台風19号が伊豆半島に上陸した翌日の開催となりました。恩田も避難所生活明けで、名古屋や埼玉の連衆は交通機関の不通などから参加できず空席が目立ち、ちょっと淋しい句会に。台風一過の秋晴れとはいえ、他県の河川の氾濫被害に胸が痛みます。 兼題は「水澄む」と「葡萄」です。 原石賞の4句を紹介します。   【原】黒葡萄ホモサピエンス昏々と                伊藤重之 黒葡萄はたわわに輝いているが地球上の動物の一種、ホモサピエンスだけは「昏々と」している、という句意。作者は「昏々と」で、人類のおろかさを表現したかったのだろう。しかし「昏々と眠る」というように深く眠るさまとみわけがたくなってしまうのが惜しい。そこで、 【改】黒葡萄ホモサピエンス昏みゆく とすれば「黒葡萄」ではっきりと切れる。中七以下との対比が際立つ。黒葡萄はつややかに豊穣の薫りと甘さを持ち、人類はますます昏冥をふかめ闇に呑み込まれてゆくのである。(恩田侑布子) 合評では、 「“昏々と”の次にどんな言葉が隠されているか気になります。“眠る”じゃないですよね?」 「“黒葡萄”と“昏々と”は合っている。ここに詩として醸し出されているものがあるのかもしれないが、私には世界が立ちあがって来ない」 「意味がうまくつかめませんでした」 などの感想がありました。  (山本正幸)       【原】六百句写し終へたり水澄める                前島裕子 作者はある句集に感動して尊敬のあまり、まるごと六百句をノートに筆写し終えたという。ただ原句の「水澄める」に付け足し感がある。俳句は語順を換えるだけで雰囲気が一変する。 【改】水澄むや写し終へたる六百句 こうすれば、水のみならず作者の周りの大気までもが澄み渡り、秋の昼の静けさに実感がこもる。こころをこめて六百句を写し取った達成感は、作者の心境をいつしらず高めてくれていたのである。 (恩田侑布子) 合評では、 「達成感と“水澄めり”がとてもよく合っていると思いました」 「六百句写す行為って何? 写経ほどのインパクトがない」 「季節感が感じられませんでした。季語が動くのでは?」 などやや辛口意見も聞かれました。(山本正幸)       【原】水澄みて木霊の国となりにけり               芹沢雄太郎 このままでも十代の少年俳句ならば悪くない。ファンタジックで童話的な俳句として初々しい。ただ作者は三〇代半ばの三人の子のお父さん。となると、どうか。やはり等身大の大人の句であってほしい。次のように一字を換えてみよう。秋の深い渓谷が出現するのではないか。(恩田侑布子) 【改】水澄みて木霊の谷となりにけり 本日の最高点句でした。 合評では、 「俳句のかたちとして“~~の国となりにけり”はありがちです」 「“水澄む”と“木霊の国”は共通するイメージがあり、即き過ぎかもしれない」 「“国”とは国家ではなく、山国とかの触感や空気感のある“国”だと思う」 「“木霊”とは、声と精霊のふたつのイメージがある。透きとおった木の精霊とすれば、透明感、木々の緑、水の青、という色が見えてきますね」 「ここには人のいない感じがして少し怖い」 「俳句初学の頃、“とにかく見たものを詠め”と言われた。この句からは何も見えてこない。観念的な句だと思います」 など様々な感想、意見が飛び交いました。 (山本正幸)       【原】しどろなる思考を放棄葡萄むく               萩倉 誠  「しどろなる思考」まではいいが、つぎの「放棄」という熟語は固くて気になる。また葡萄の皮をむくで終わるのは、いささか中途半端。句意を変えずに添削すれば、 【改】しどろなる思考やめなん葡萄食ぶ となる。「もういいかげん筋目なくあれこれ考えるのはやめよう」そう自分に言い聞かせて頬張る大粒の葡萄の甘さ。思考から味覚の酔いへ耽溺するおもしろさ。 (恩田侑布子) 合評では、 「こういうことよくある。深く共感した。漢語が固いが葡萄がそれを和らげている」 「葡萄をむいているけど、まだ思考にこだわっているのでしょう」 「“思考”と“放棄”というふたつの言葉が強くて気になります」 「どうでもいいことを考えているのなら“放棄”なんてしなくてもいいでしょ? 内容に共感しなかった」 と議論が広がっていきました。 (山本正幸)     今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。  黒きまでに紫深き葡萄かな                正岡子規  葡萄食ふ一語一語の如くにて               中村草田男  水澄みて四方に関ある甲斐の国                飯田龍太  澄む水のほか遺したきもののなし               恩田侑布子     注目の句集として、  井越芳子『雪降る音 』(2019年9月 ふらんす堂)  から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。   連衆の共感を集めたのは次の句です。  やはらかにとがりてとほる蝸牛    寒の雨夜が来てゐるとも知らず    天辺のしいんと晴れてゐる冬木    ふうりんは亡き人の音秋日向    森はなれゆく春月をベッドより    冷やかに空に埋もれてゐたりけり    あをぞらや眼冷たきまま閉づる     井越芳子『雪降る音』のページへ     [後記] 台風の影響で句会に参加できない連衆が相次ぎ、こじんまりと、それゆえに濃密な句会となりました。 今回、恩田の「等身大の大人の句であってほしい」(上記“木霊の国”の評にあります)との言葉を、精神的にいつまでも青春していたい筆者は「その年代の自分にしか詠めない句」を追求すべしとの鞭撻と受け止めました。確かに歳を重ねるにつれて、知らないことや新しい発見が逆に増えることを実感します。俳句の眼をもって見ればなお。 次回兼題は、「小鳥」と「釣瓶落し」です。 (山本正幸) 今回は、原石賞4句、△1句、ゝシルシ3句、・6句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

4月24日 句会報告

20190424 句会報用 上

平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。 兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。   ○入選  口紅で書き置くメモや花くぬぎ               村松なつを  エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子)   合評では 「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」 「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」 「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」 「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」 「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」 「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」 「歌謡曲的ではある」 など盛り上がりました。  (山本正幸)              ○入選  暗闇に若冲の雉うごきたる                前島裕子   「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。  この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子)  合評では 「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」 「季語が効いていないのでは?」 「暗闇でものが見えるんでしょうか」 「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」 「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」 と辛口気味の感想、意見が聞かれました。 (山本正幸)             故宮博物院にて        【原】春深し水より青き青磁かな                海野二美  「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな  春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。        △ 君にキス立入禁止芝青む               見原万智子    三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。        △ 渇愛や草の海ゆく雉の頸                伊藤重之  緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。        △ ぬうと出て櫟の花を食む草魚               芹沢雄太郎        ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢               樋口千鶴子    4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。 (以上講評は恩田侑布子)       今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。 多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。  雉子の眸のかうかうとして売られけり               加藤楸邨  東京の空歪みをり花くぬぎ              山田みづえ         [後記]  本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。 「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。  句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。  次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間 ゝシルシ ・シルシと無印の中間)

2月18日 句会報告

20190218 梅三分

平成31年2月18日 樸句会報【第65号】 二月第一回目の句会です。 兼題は「梅」と「下萌」。   ○入選2句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  行き先も言はずに乗りし梅三分               石原あゆみ    「急に思い立って行ってみたくなった気分と下五の梅三分の咲き具合が合っている」という感想がありました。 「詩情のある、リリカルな句です。まだ風は肌寒いけれど、佐保姫(春の女神)に心誘われてどこかに行ってみたい気持ち、遠くではなくて、ちょっとした小さな旅に出かけずにいられないという気持ちが表現されています。日常茶飯とは何ら関係のない旅であるところに清らかさが感じられます。浅春のリリシズムですね」と恩田侑布子が評しました。 「どこということもなく、という思いを“三分”にのせました。賤機山(しずはたやま※)のふもとの梅から思いをひろげました」と作者は述べました。 ※ 静岡市民に親しまれている葵区にある標高170mほどの山。「しずおか」の名もここに由来し、南麓には静岡浅間神社がある。       ○入選  その人のうすき手のひら梅の径                山本正幸   合評では「梅を見ながら手をつないで一緒に歩いている状況。相手は華奢なひと。相手の手の薄さとこの季節の感じが合っている」「“その人の”というはじまりも想像をそそってよい」「年老いた母親かもしれない!?」などの意見がありました。果たして二人は手をつないでいるかいないか。で連衆間で句座はカンカンガクガク盛り上がりました。 恩田は 「感覚の優れた句です。私は手をつないでいないと読みたいです。その方が清らかです。谷間の人気のない弱い日射しの梅の径を、翳りのある関係の二人が歩いていると読みました」と述べました。       原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】紅梅の香の蟠る夜の不眠                伊藤重之   「紅梅の香にはどこか動物的な生臭さがあり、“蟠る”の措辞はスバラシイです。ただ“夜の不眠”はくどいので“不眠かな”にしましょう」            ↓ 【改】紅梅の香の蟠る不眠かな 「このほうが切なさが出ませんか」       【原】草萌ゆる目で笑ひゐる緘黙児                猪狩みき 「素材がよく、鮮度があります。緘黙という難しさをもっている子を見守っているやさしさが出ていますね。“草萌や”と切り、“で”を“の”に変えてみましょう」           ↓ 【改】草萌や瞳の笑ひゐる緘黙児   「中七の動詞が生き、瞳の光が感じられるようになったのではありませんか」          合評の後は、第三十三回俳壇賞受賞作『白 中村遥 』の三十句を鑑賞しました。      糸を吐く夢に疲れし昼寝覚    音たてて畳を歩く夜の蜘蛛    蓮の花人の匂ひに崩れけり    が好まれていました。    「独自の視点があって、不安で不気味な感じを表現できるのが、この作者の持ち味ですね」と恩田が評しました。       [後記] 句会の数日前に会員のお一人が亡くなられました。病をもちながら句作に取り組まれていたとのこと。今回の句会には弔句がいくつか出されました。俳句での表現という場があったことが彼女の時間を充ちたものにしていたのではないか、そうだったらいいと思っています。(猪狩みき)                      「記」 2018年10月7日の特選句である  ひつじ雲治療はこれで終わります。 の作者、藤田まゆみさんが、2月16日胆のう癌のため65歳で逝去されました。12月2日の句会まで楽しく句座をともにし、最期まで愚痴一ついわなかった彼女の気丈な生き方に心からの敬意を捧げます。16年に及ぶ親交の歳月を銘記し感謝いたします。まゆみさん、ありがとう。貴女からいただいたエールをこれからも温めて参ります。                 恩田侑布子                         次回兼題は、「蕗の薹」と「春雷」です。 今回は、入選2句、原石賞3句、△1句、ゝシルシ9句でした。みなの高得点句と恩田の入選が重ならない会になりました。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

8月17日 句会報告と特選句

20180817 句会報用1

平成30年8月17日 樸句会報【第55号】 お盆が終わり、酷暑もややおさまった日に、八月第2回の句会がありました。 兼題は「八月」と「梨」です。 特選1句、入選2句、△2句、シルシ6句、・1句という結果でした。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)                          ◎IPS細胞が欲し梨齧る             石原あゆみ (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                                  〇梨剥いて断捨離のこと墓のこと              伊藤重之 合評では 「梨、断捨離、墓のつながりを違和感なく読んだ。梨の持ち味ゆえのこと。桃やりんごでは無理」 「林檎の青春性、桃の甘さに対して、梨は甘いけれども他の果物とは違う。執着から離れたい気持ちに梨が合っている」 「一口梨を食べたときに浮かんでくる思いが良く表現されている」 「自分の行く末への思いがしみじみ伝わってきます」 など、「梨」という季語のもっている性質が生かされているという評が多くありました。 一方で、「~のこと~のこと」という表現が気になったという声もありました。 また、“断捨離”という新語・流行語を俳句に使うことについての質疑もなされました。 恩田侑布子は、 「梨という果物の本意を十分に見すえて詠っている。梨のさっぱりした感じなどと内容がとても合っている。また、さりげない口調で並べた「~のこと~のこと」がこの句の内容にも合っている。内容と句形が調和している上手な句。下五で死のことを言いおさえている。“墓”に着地しているその仕方に説得力があり安定感がある」 と講評しました。                                    〇八月や南の海の青しるき              山本正幸 この句を採ったのは恩田のみでした。 恩田侑布子は、 「とてもシンプルだけれど、海の青を“しるき”と表現したところが素晴らしい。南の海には今も死者が眠る。まさに戦争を詠っている句で、非戦、不戦の句。省略した表現が読み手に想像をさせてくれる句」 と講評しました。 「八月」という季語のもつ含み(戦争、敗戦など)、重みについてが話題になり、意見が交わされました。「八月」の季語に戦争のことが込められていることが、若い詠み手(読み手)に果たして通じるのか?という疑義が出ました。いや、知らないのならば、次の世代に歴史を伝えることは我々の責務ではないかという意見の一方で、「八月」という季語をそのような意味に閉じ込めるのではなくもっと自由でいいのではという異論も出て議論が深まっていきました。 ===== 句の合評と講評のあとは、芭蕉の『野ざらし紀行』の鑑賞の続きでしたが、時間があまりなかったので時間内で読める範囲を読み進めました。 西行(さいぎょう)谷(だに)のふもとに流(ながれ)あり。をんなどもの芋(いも)あらふをみるに、  いもあらふ女西行ならば歌よまん と芭蕉は「西行谷」(神路山南方の谷で西行隠栖の跡)で詠んでいます。芭蕉の西行に対する崇敬の気持ちがここでもよくあらわれていると恩田の解説がありました。                                             〔後記〕  季語をどうとらえ、それをどう使うかについて考えさせられた会でした。また、句には思わず作者のいろいろが浮かび出る怖さとおもしろさを感じた会でもありました。 次回は、兼題なし。秋季雑詠です。(猪狩みき)                              特選   IPS細胞が欲し梨齧る                       石原あゆみ  切実な病をもつ人が、万能細胞で健康になりたいと願っている。梨はどこか寂しい果物で、その白さや透きとおった感じは病人ともつながる。梨をサクッとかじった瞬間、歯茎をひたす爽やかな果汁に、ふとIPS細胞の新しい臓器の感触を思った。発想の驚くべき飛躍だが、季語の本意を踏まえて無理がない。この句の深さは、作者がIPS細胞を欲しいと願う一方で、それはまだ無理、という現実も十分了解していること。切実な願望を持つ自分と、いま置かれている現実をわかっている自分と、ふたりの自己が鏡像のように静かに照らし合っている。心理的な陰影の深い句である。「が」を「の」にすべきでは、という意見があったが、それは俳句をルーチン化するとらえ方だ。「の」では、調べはきれいになっても他人事になる。「が」で一句に全体重がかかった。「吾、常に此処において切なり」(洞山良价)。そこにしか心を打つ俳句は生まれない。若く感性ゆたかな作者の幸いをこころから祈る。        (選句 ・ 鑑賞 恩田侑布子)

7月27日 句会報告

20180727 句会報用

平成30年7月27日 樸句会報【第53号】 七月第2回の句会です。記録的な酷暑(埼玉熊谷で41.1℃)のためか今回はやや低調。 特選・入選ともになし。原石賞2句、△1句、シルシ4句、・5句という結果でした。 兼題は「山開き」と「夏越」です。 原石賞と△の句からそれぞれ1句紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 【原】人類のつけ噴き出して炎暑かな             樋口千鶴子 合評では、 「これはすごい句と思った。こういうことを俳句にすることは大切ではないでしょうか。“つけ噴き出して”に温暖化の進んでいることへの人間の反省が込められている」 「CO2の問題。理屈を感じました」 「“つけ”としたことで川柳ぽくなったのでは?」 「“炎暑”は人間の罪なのですか?」 「こういった重目のものは好みではありません」 などさまざまな感想、意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「わたしたち現代社会が直面している題材を俳句に詠うことは大切なこと。現代社会の困難・矛盾に対する姿勢がないと地獄の裏づけのない「屋上庭園の花鳥諷詠」になってしまいます。きれいな句にまとめようとしていないところが良い。ただし、“つけ”にまだ理屈がのこっている。損得勘定の次元を引きずっているのが惜しいです」 と講評し、次のように添削しました。  人類の業噴き出せる炎暑かな 「人間の罪業の深さへの内省を誘います。文学的になり、心の深さが出ませんか」 と恩田は問いかけました。                                             △形代を納めてバーの小くらがり              伊藤重之 本日の最高点句でした。 「ハードボイルド小説風の孤独感があり、いい雰囲気」 「“形代”と“バー”の落差が面白い」 など連衆の感想がありました。         ===== 投句の合評と講評の後は、金曜日の句会の定番となった「野ざらし紀行」講義の四回目です。以下、筆者のまとめと感想です。 伊勢の外宮に詣でると峯の松風が芭蕉の身にしみます。  みそか月なし千(ち)とせの杉を抱()あらし この句は「峯の松風」をうたった西行の歌を踏まえている。また、この句のあらしは、『荘子』の斉物論篇で名高い地籟としての風をふくんでいるという説があるとのことでした。 本日の恩田の講義から、芭蕉における荘子や西行の影響の大きさが分かりました。また、神仏習合の思想(本地垂迹説が人々の心にある)についての説明も恩田からあり、日本文化に対する芭蕉の幅広く深い教養に感じ入った連衆でした。                                   [後記] いつもより少人数での本日の句会は、外の猛暑にも負けない?熱い論議。特に原石賞の「炎暑」の句については様々な意見が出されました。人類の将来に関する悲観論、CO2削減に応じない大国のエゴ、逆に地球は氷河期に向っているとの学者の意見等々‥。 社会問題を題材にした俳句についての議論は、発言者の思想や社会認識の一端に触れることができて、筆者としては興味深いものがあります。 次回兼題は「鬼灯」と「海(を使った夏の句)」です。(山本正幸)

6月22日 句会報告

20180622 句会報1

平成30年6月22日 樸句会報【第51号】 六月第2回の句会です。句会場に近い駿府城公園内に「劇団唐組」の紅テントが設置されました。本日と明日の夜、『吸血姫』の公演が行われます。 入選2句、△2句、シルシ7句という結果でした。兼題は「立葵」と「蝸牛」です。 〇 入選句を紹介します。                         〇大御所の天晴聞こゆ立葵              海野二美 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。 合評では、 「大御所(家康)と葵(徳川家の紋章)はいかにも近くないですか?」 との意見も。 恩田侑布子は、 「“聞こゆ”で切れています。駿府城公園に家康像が建っていますが、訪れた人でないと分からないかもしれません。また、徳川家の葵は京都の葵祭の双葉葵と同系の“三つ葉葵”で“立葵”とは種類が違うので、徳川の紋章と近いとの指摘は当たりません。 “あっぱれ! でかした!”と臣下を褒めたたえている大御所家康が、少しも公家風でなく、三河の田舎臭さをとどめているところが、立葵の季語の本意に合っています。“天晴”が、褒めことばであるとともに、梅雨晴れ間の真っ青な空も連想させて勢いがあります。視点が斬新。手垢のついていない俳句です」 と講評しました。                    〇雲に名を附けて遊ぶ子たちあふひ              伊藤重之 合評では、 「広い空間の感じられる句。立葵が咲いていて、空を見上げると雲があって、それに動物などの名前をつけて遊んでいる子供たちの声が聞こえてくるようです」 との共感の声。 恩田侑布子は、 「ほのぼのとした句。作者も子どもの視点になって、立葵越しに空を見上げているのがいいです。画面構成が生き生きとしています。子どものエネルギーと躍動感が感じられ、立葵がみずみずしく鮮明に見えてきます」 と講評しました。 =====                                           金曜日の句会の定番となった、芭蕉の『野ざらし紀行』講義の三回目です。恩田の詳しい講義がありました。 今日は富士川を出て、小夜の中山まで。何とこの紀行文で静岡(府中)は残念ながらスルーされています。 「唯是天にして、汝の性のつたなきをなけ」は 富士川の辺で捨子を見ての言葉ですね。『莊子』を踏まえているという国文学者の見解がありますが、もんだいの大きなところで注意を要します。『莊子』内篇「大宗師」に「死生は命なり。其の夜旦の常有るは、天なり」が出てきて、それは「道」を意味します。ですが「性」は大宗師篇のある内篇では一度も出て来ません。外篇の「駢拇」になって、初めて出てくる語なのです。そこでは、生まれつきやもってうまれた本性を意味し、芭蕉のここでいう「運命」とは微妙なずれがあります。つまり『莊子』の説く「性」よりも矮小化した宋学的な使われ方であることに注意すべきです。  道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれ鳧(けり) この句についてはいろいろな解があります。①白楽天からとった、槿花一日の栄を詠んだもの、②出る杭は打たれる式の理屈。現在は③嘱目というのが定説です。素直な眼前の写生ですね。古典にがんじがらめになるのではなく、ただ馬がぱくっと食べたととりたい。蕉風を樹立した直後の41歳の芭蕉が、「白氏」の古典を踏まえつつも風狂の世界へ踏み出しています。後年の軽みへ至る原点ともいえる句です。白い木槿だととても美しいですね。初秋の清らかな感じがします。手垢のついていない俳諧自由を打ち開いた一句といえるでしょう。  馬に寢て殘夢月(つき)遠しちやのけぶり 夜明けに宿を発ったので、馬上でうつらうつらと夢の行方を追っている。麓ではお茶を煮ている煙(ちやのけぶり)が立ち上っています。「小夜の中山」という地名はまさに「夜中」をさしているわけですから、暁闇の取り合わせで、ここに俳味、おどけがあります。 地の文は巻頭から引き続き中国古典を下敷きにした格調の高い文ですね。これから『野ざらし紀行』には、『奥の細道』に匹敵する名句が出て来ます。 一歩もとどまらず、死の日まで脱皮していく芭蕉。密度の濃い脱皮に感嘆します。                                         [後記] 句会の翌日、冒頭でもふれた唐組の『吸血姫』公演を観ました。筆者がこの奇想天外な前衛劇をはじめて観たのは1971年6月。京都・出町柳三角州でした(当時は“状況劇場”)。懐かしい紅テント内の桟敷は200人の観客で身動きもできないほど。劇の舞台は、江ノ島の愛染病院です。公演会場から濠を挟んで向かいにある市立静岡病院に入る救急車の音が聞こえてきたりして臨場感が高まります。47年前の感動が蘇りました。恩田侑布子を俳句同人誌「豈」に誘った攝津幸彦さんも、きっとこのような演劇空間に惹かれていただろうと、49歳で夭折された<前衛>俳人にしばし想いを馳せました。(攝津さんについては恩田がその評論集『余白の祭』で一章を割いて論じています。) 次回兼題は「夏の燈」と「葛切または葛桜」です。(山本正幸)

12月1日 句会報告と特選句

photo by 侑布子

 12月1回目の句会が行われました。 この日は句会終了後に樸俳句会の忘年会が開催されることもあってか、いつもに増して真面目な雰囲気の句会だったように感じました。今回の兼題は「落葉・霜・冬季雑詠」。久しぶりに特選句も出て、大いに盛り上がりました。 今回の入選句をご紹介します。                浮雲のどれも陰もつ一茶の忌              伊藤重之   合評では、 「俳句の形としてお手本のような句」 「一茶の幸福とは言えない人生が見えるよう」 「“陰もつ”を“陰もち”にした方が、切れが深くなるのではないか」 という意見が出ました。 恩田侑布子は、 「生涯辛酸を舐め続けながらも俳諧自由のこころを失わなかった俳人一茶への共感がある。浮雲は年中見られるけれど、“どれも陰もつ”という措辞に十一月の季感がただよい、肌寒さを感じさせる」 と講評しました。                 落葉踏む堤の端にひとりかな             藤田まゆみ 恩田は、 「堤の突端 まで落葉を踏んでゆく。つくづく誰も居ないなと思う。作者の背後には落葉が記憶のように降り積もっている。孤独感とさみしさをうたって、嫌味や押し付けがましさのないところがいいじゃありませんか」 と講評しました。               リヤカーの塀に倒立石蕗の雨              森田 薫 合評では、 「絵として美しく情景が見えるようだが、リヤカーが立てかけてある情景を“倒立”とするところに少し違和感を持った。“塀に立てかけ”のほうが自然ではないか」 という意見が出ました。 恩田は、 「一枚の絵に完全になっている。内塀でしょう。ほとんど使わないかすでに使い手のいなくなったリヤカーが、広い元農家の敷地片隅の塀に立てかけてある。しずかに降る雨が過ぎ去った時間を慰撫するよう。日のひかりの薄い初冬の情景として出色」 と講評しました。  下記に掲載する特選句は、今回、恩田を含む参加者の約半分が点を入れるという最高得点句となりました。この特選句に関しては「“霜雫”という季語が、どんな情景を描いているか」というところで議論を呼びました。植物に降りた霜から溶け出した雫なのか、屋根にできた霜が垂れ落ちる様子か。たった二文字の言葉に語りつくせぬ情景が詰まっている豊かさに、言葉の持つ面白さを改めて噛みしめる時間となりました。次回の兼題は「時雨・石」です。(山田とも恵)                特選        霜雫この世の時間使ひきる                 伊藤重之  霜雫は温かい静岡平野の市街地ではまず目にすることはない。わたしも四半世紀前にいまの山中に引っ越して、初めて厳寒の時期だけ見聞きするようになった。霜が降りる日は、明け方冷え込んでも日中はよく晴れる。冬晴れの下、山あいでは納屋などのトタン屋根から霜雫がかがやくように地に落ちる。それは朝霜の一面の厳しい白さとはまた別種の風情。どこかあの世の明るさもふくむ明るさ、ふしぎな時間である。すべてを昇華した末のような水滴が、寒気のゆるんだ日向に銀色のしずくを滴らせ、ときに水銀柱をおもわせる垂線を引く。静かで清らかな冬の真昼。愛するかけがえのないひとは、なすすべもなくこの世のいのちの火を使い切ってしまった。霜夜のような凍てつく時間、凍る思いの日 々のはてに、いま真っ青な冬晴れに見守られて大地にかえってゆく雫。泪のとけこんだ銀のかがやきがひとの一生に重なる。「霜雫」の季語の本意本情に一歩を付け加え得た俳句といえるのではなかろうか。      (選句/鑑賞   恩田侑布子)

10月20日 句会報告と特選句

20171020 酒

10月2回目の句会が開催されました。雨続きの今秋ですが、静岡はこの日晴れ間が見え、暖かな日差しが差し込んでいました。 本日の兼題は「酒」。お酒を楽しまれる方が多い樸俳句会。実感のこもった俳句が多く盛り上がりました。高得点句を中心にご紹介してまいります。(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎一葉忌縦皺多き爪を切る              杉山雅子 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                             ◯隣室は数学を吾は新酒を             藤田まゆみ 合評では、 「数学の難しい問題に挑むワクワク感と、新酒を飲むワクワク感。別々の部屋にいるのに静かなワクワク感が共通している」 「論理的な思考と、感情的な楽しみが隣り合わせになっている面白さのある句」 という感想が出ました。 恩田は、 「ユニークな内容に句またがりの破調が合っていて面白い。隣では数学の難問に取り組んでいる子ども、わたしはへっちゃらで新酒を傾ける。秋の夜長にそれぞれの楽しみがあっていい。型にはまらない個性的なのびのびとした俳句で楽しい」 と評しました。 ◯深酒を洗ひ流すや天の川             久保田利昭 合評では、 「酒飲みの心境がよく詠まれている。きれいな星空を見て、ちょっと反省することってあるよね」 「サラッとした句。ヒヤッとした夜の空気を感じる」 恩田は、 「酒豪はやることが大きい。深酔いして夜更け家路につくとき、天の川の下で酒気を洗い流すという。恩田は天の川で夢を洗う「夢洗ひ」でしたが久保田さんは酒を洗う「酒洗ひ」。してみると天の川はミルキーウェイじゃなく、どぶろくどくどくでしょうか」 と評しました。   ◯良寛のいろは一二三や草の花              伊藤重之  この句は恩田のみ入選で、ほかは誰も点を入れませんでした。 その理由として「あまりにも上手」「良寛にもたれかかってしまっていると感じた」というような意見が出されました。 恩田は、 「良寛に“いろは”“一二三”の双幅があって名高い。良寛の手跡のやわらかさと草の花が絶妙な配合で上手い句。欲をいうと技術力で書けてしまったような、どこか肉声から遠い感じのするうらみもある」 と講評しました。          [後記]  秋の季語には「酒」を含むものが多くこの兼題となりましたが、想像以上に幅広いお酒の種類が句に登場し、いつも以上に自由な明るい句会となりました。お酒は感情に直結する飲み物なので、句が思い浮かびやすいのかもしれません。飲めない筆者としては、羨ましい気持ちになりました。次回の兼題は「身に入む」「林檎」です。(山田とも恵)               特選       一葉忌縦皺多き爪を切る                     杉山雅子  縦皺の爪は老化現象といわれる。雨の降るような手足の爪を久しぶりに切る。気づけば今日は二十五歳で死んだ樋口一葉の命日十一月二三日。いつの間にか一葉の何倍も年を重ねてしまった。桜貝のような爪であった一葉のうら若い肉体を蝕んだ結核、病のなかではげしく才能を燃焼させて書き綴った不滅の文学作品、そして我が八十路の来し方をこもごも重ねみる。  一句の良さは対比された文学者一葉と私の命との等価性にある。どちらもずっしりと重く、その価値に軽重はない。冬の深まりにこの世に生きる悲しみを分かち合い人の世の不思議な運命を思う。 (選句 ・鑑賞 恩田侑布子)