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9月1日 句会報告

photo by 侑布子

9月1回目の句会。 入選1句、原石賞2句、△2句、シルシ8句。特選句なく、「夏枯れ」を引きずる?樸俳句会です。 兼題は「花火「稲の花」。 入選および原石賞の句を紹介します。 ( ◎ 特選  〇 入選  【原】 原石賞     △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ )                      〇手花火や背に張り付く夜の闇              荒巻信子 合評では、 「今の街の夜は真っ暗にならないが、かつて田舎の夜はとても暗かった。子どもの頃、家の庭で花火をして、それが消えると本当に真っ暗闇になった。“花火”と“闇”の対比が効いている」 「“背に張り付く”がうまい。手元の花火に夢中だったのが、消えると闇に気づく」 という共感の声の一方で、 「闇は薄っぺらではなく深さがあるもの。それを“張り付く”としているが、むしろ“纏い付く”ものではないか」 「“手花火”と“闇”を対比させた句は多い。何か空々しい気がする」 という辛口意見もありました。 恩田侑布子は、 「中七が生きている。線香花火を指先につまんでじいっとしているときの体性感覚がある。無防備な背中へ真っ黒な闇がべったり密着する感じ。 “張り付く”としたことで、よるべない不安感や夜のそぞろ寒さまで感じられる。秋への気配をうまく捉えている」 と講評しました。                       【原】はつ恋やぱりんとひらく揚花火              伊藤重之 合評では、 「“花火”と“恋”は結びきやすい。これは、あっけらかんとしてドライな恋だ。“ぱりんと”とすることによって爽やかさや軽い感じが出る」 「島崎藤村の“まだあげ初めし前髪の・・”の詩(「初恋」)を思い出した。藤村の時代に比して、現代の初恋は湿っぽくない。いつでも蹴飛ばせる。“ぱりんと”としたことで現代の“恋”と“花火”が生きた」 「恋も花火も“ぱりん”と開いたのでしょう。かな表記がいいと思う」 などの感想に対して、 「“ぱりん”なんてお煎餅みたい」 「共感できない。十代後半の人が詠んでいるようだが、初恋はもっと早く、小学校高学年くらいでしょう。年代にズレを感じ、内容と合わないのでは?」 「“ぱりん”は問題!作者がそこにいない。初恋の実がない。他人事のように感じる」 「恋に恋しているみたいだ」 などと議論沸騰。 恩田は、 「初恋にはオクテの人もいるでしょう。“ひらく”が問題。揚花火は開くものであり、わざわざ言う必要はない。幼い恋で、懊悩がないので浅い句になってしまった。ダブルイメージ、余情や余白がない」 と講評しました。                      【原】これきりの恋煙る空遠花火              萩倉 誠 合評では、 「これで終わりという恋が燻っている。恋が遠のくことと“遠花火”とかけたのだろう」 という感想がありました。 恩田は、 「“空”が気になった。惜しい」 と講評し、次のように添削しました。  これつきり恋煙らせて遠花火 [後記] 本日もタイムオーバーしての熱い句会でした。 句会終盤で、「作品と作者」について議論になりました。作者を知って読むのとそうでないのとは理解が違ってくるという問題です。作者が分かっていて読むとバイアスがかかるのは避け難いことですが、作者の境涯を背景に読めば、より鑑賞・理解が深まるのではないでしょうか。逆に作者を知らずに読む楽しみもあります。合評と講評のあと、作者の名乗りがあると「ほおーっ」という声(この句を詠まれたのは〇〇さんだったのね)が連衆から上がる瞬間が筆者は好きです・・。 次回兼題は、「秋の潮」と「瓢」です。 (山本正幸)

5月19日 句会報告と特選句

bara-park

風薫る5月2回目の句会。兼題は「木蓮」と「夏近し」です。 特選1句、入選8句、シルシ7句。恩田侑布子の言によれば「今回は粒選りでしたね」。 高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ                                      ◎仏間にも母の面影大牡丹             塚本敏正 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                                         〇蝶や蝶おいてけぼりの地球人            山田とも恵              合評では、 「蝶は地球人を超越し、生命サイクルを繰り返している。蝶には平和も戦争もなく、また進歩も退歩もない」 「奇抜な表現の句。自然界の代表としての蝶から見たら人間は無様だ」 「“蝶や蝶”という呼びかけがいい。でも何から“おいてけぼり”なのだろう」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「蝶はのどかに飛びめぐり、人間だけが戦乱、差別、対立の中にいる。多義性があり、独特のリズム感があって面白い。特選にしようかと思ったが、やや意味が露わかな。芭蕉のいう、腸(はらわた)の厚き所より詠んでいるのかなと、ちょっと迷ったので」 と講評しました。                           〇夏近き突堤の風職退けり             山本正幸 合評では、 「定年退職した人の気持ちをよく表している。これからの人生への期待と不安」 「退職しても前向きの気持ちを持っている。突堤の風はきつい。そこに立って、決意をこめている」 「三段切れではないか? 三つのうち何を言いたいのかはっきりしない」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「やや措辞がごちゃついている。“夏が近い”“突堤の風”“退職”の三つが等価で、言葉がそれぞれ強さを持ってしまっている」 と講評し、次のように添削しました。  はつなつの突堤の風職退けり 「季語を変えることによって、突堤の風に爽やかさが出ませんか?」 と問いかけました。              〇若冲の白い象来る夏近し             杉山雅子                  「白い象は幻想だと思う。覆いかぶさるように、ふっくらした肉体の形が白象になってやって来る」 「静岡県立美術館にある若冲の絵の白象。それがこちらに向かってくる様子と季語が合っている」 などの感想が述べられました。 恩田は、 「ただの白象だと仏教を思わせる。若冲と限定したことによって屏風絵や画だとわかる。 “来る” と “近し” と意味的に近い動詞と形容詞の並びがやや気になるが、感性はとてもいい」 と講評しました。                         〇紫木蓮塀巡りたり人の荘             杉山雅子 恩田の講評。 「“人”とは“想い人”でしょう。山里の森閑とした山荘の塀を巡っている。玄関の戸を叩いたのか、鍵がかかっていてそのまま帰ったのか想像させる。「人の荘」という格調のある措辞によって塀の長さが出、自分とその人の間の距離を感じさせる。逡巡の気持ちと心理の陰影が、紫木蓮にこもった」                     〇短髪になりし少女や夏近し             松井誠司 「読めばそのとおりである。恋も愛もないけれど」 「“短髪”と“夏近し”が近いような気がする」 などの感想。 恩田の講評。 「うなじの抜き出た少女のユニセックスの感じに、さっぱりした夏の到来の間近さが表現された」                       〇主なきも咲きめぐりてや紫木蓮            久保田利昭 「まさに私の父が住んでいた家の様子そのもの。毎年紫木蓮が咲いていました」 との感想。 恩田は、 「短歌的だが、調べが美しい。「咲きめぐりてや」に、かつての主が知り得ない幾年ものめぐりが感じられる。上五のゆったりした字余りが内容に合っていて、紫木蓮が目に浮かぶよう」と講評しました。                      〇日溜りに猫の影なし夏隣            久保田利昭 恩田の講評。 「“不在”を句にした独特の面白い捉え方。猫のいない空白感によって、夏の近さを知った。 “夏隣”がいい。日常の気付きが自然な一句になった例」                       〇気まぐれにドーナツ揚げて夏近し             森田 薫 「夏が近づくというワクワク感がある」 との感想。 恩田の講評。 「“気まぐれに”の措辞は一読粗いようだが、この句の感覚に合っている。普段からまめに料理を楽しむ女性の弾むような五月の到来」                      ゝ 紫木蓮歳とらぬ子の一人いて             伊藤重之   本日の最高点の中の一句であり、話題になった句。 「“歳とらぬ子”とは夭逝されたお子さんなのか、結婚せずにまだ一人でいる子か。親の気持ちが感じられる。子どもの頃から変わらない可愛さ。 愛情の深さとせつなさが紫木蓮に表れている」 との解釈に対して、恩田は、 「分裂した解釈なので、どちらかにすべきです。両方を共に味わうことはできない」 と指摘しました。 「不思議な句。年齢はいっているが、精神的に歳をとらない子どものことでしょうか?それに対比される紫木蓮は大人びた感じを持つ」 「嫁き遅れた子のことか。心配だけれど手放したくないという気持ちでは」 「もっと深刻。精神的に病んで大人になったのではないか?」 「“紫木蓮”だからきっと大人のことなのでしょう」 など議論が沸きました。 恩田は、 「季語が動く。素直に読めば夭逝した子と考えるが、そうすると紫木蓮は合わない」 と講評し、次のように添削しました。  はくれんや歳とらぬ子の一人ゐて 「“はくれん”とすることによって無垢、あどけなさとあわれが出ませんか。幼くして死んだ子を想っている。また、春先の初々しさも出る。“紫木蓮”だから意味が分裂してしまうのでは?」 と解説しました。 [後記]  「歳とらぬ子」の句を巡る議論は句作の本質に触れるものではなかったでしょうか。個人的なことをどこまで詠むのか。「文学的真実」があればどんな内容であってもよいのか。そもそも、「文学的真実」とは?・・大きな問いを抱いて句会を後にした筆者でした。  次回兼題は、「夏の日」と「更衣」です。  (山本正幸)                                  特選   仏間にも母の面影大牡丹                 塚本敏正                  居間にも台所にも玄関にも、そして仏間にも亡き母の面影があらわれる。母は莞爾とほほえんで牡丹の花のようにひろがる。「大牡丹」の措辞から、母の存在がどんなに大きかったかがわかる。ふくよかにゆたかに慈愛に満ちていた母。幻の大きな牡丹の影が家じゅうに満ちて、どこに身を置こうと包まれる。仏壇に御線香をあげていると「お前、しっかりご飯食べているかい」と案ずる母の声がうしろから聞こえる。窓に若葉が揺れる。緑さす庭をもう一度手を引いて歩きたかった。牡丹という季語の本意に、中有の気配が新たに加えられた。      (選句・鑑賞 恩田侑布子)

5月5日 句会報告

mokkoubara

5月1回目の句会が行われました。 今回の兼題は「春昼」「蝶」。 子供の日ということもあり、駿府城公園ではイベントが開催されとてもにぎわっていました。 それでは高得点句を中心にご紹介していきます。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ                                                            〇春昼やビルの谷間の人形焼き            藤田まゆみ 合評では、 「都会の春昼のイメージ。映像が浮かんだ」 「ビルという現代的なものと、昔からある人形焼きというものの対比がいいなぁ」 「“ビルの谷間”というところに発見と感動がある」 と意見があがりました。 恩田侑布子は 「人形焼のいい匂い、そこに群がる観光客。浅草のこの賑わいがビルの谷間のことだと見定めたところがいい。大木あまりさんに〈春風や人形焼のへんな顔〉という、春風と一体化した名句がありましたが、まゆみさんの句もなかなか“春昼”が効いています」と講評しました。                     〇二代目も顔剃り上手蝶の昼             山本正幸 合評では、 「薄い剃刀と蝶の翅のイメージが合っていて面白い」 「田舎の床屋さんののんびりした風景が思い浮かぶ」 など意見があがりました。 恩田侑布子は 「蝶の翅と刃を持ってくるところに感覚の鋭さを感じる。時の流れが“蝶の昼”の奥にある。先代に剃ってもらった感触を現在味わうことで、奥行きが生まれている。過去現在が合わせ鏡のようになっていて、そこを蝶が行ったり来たりしているよう。平凡な風景のように見えて、幻視のおもしろさもある。視覚聴覚は句にしやすいが、皮膚感覚を詠みこむ俳句は少ない 。」と講評しました。                 【原】紙買ひにゆく裏道や春の昼             伊藤重之 今回の最高得点句でした。 合評では、 「“紙買ひにゆく裏道”とい表現が斬新」 「“紙買ひに”という言葉の軽やかさが、薄っぺらい紙をイメージさせ、それが春の昼とあっている」 という意見が出た一方、 「どんな紙か漠然としすぎている」、「“紙”が何かを読み手に託すのか?」、「“紙”と“春の昼”は合わない」というような意見も出ました。 恩田侑布子は 「“紙買ひに”というのが分かりづらい。“ka”音がキツイ印象を与え、コピー用紙を想像した。具体的なものを入れるとニュアンスが出て分かりやすくなる。」と講評し、「“春の昼”のやわらかい感じで詠むのなら…」と、次のように添削しました。  和紙購ひにゆく裏道や春の昼 「こうすることによって音韻が落ち着き、語呂も合いませんか?」 と解説しました。              [後記]  個人的なことですが、約二か月ぶりに参加した今回の句会。句会中、汗が滝のように流れたので「もう夏だなぁ」と思っていましたが、よく考えてみると諸先輩方の熱い議論に久しぶりに触れたからではないか?と思いいたりました。このままでは誰よりも先に干からびてしまう!樸の熱さにも夏の熱さにも負けないよう、頑張ります。次回の兼題は「夏近し・木蓮」 です。(山田とも恵)

4月7日 句会報告と特選句

sakura

 本日はスペイン国王と妃殿下、天皇皇后両陛下がご来静。会場近くの静岡浅間神社では稚児舞楽をご覧になりました。通規制のため、少し遅れて句会が開かれました。 兼題は「古草」と「春障子」です。 (句頭の記号凡例) ◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ◎早退けの少女かくまふ春障子             山本正幸     ◎妻と子は動物園へ春障子             西垣 譲 (下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)         〇古草や突つ込んでおく古バイク             西垣 譲 合評では、 「情景がよく分かる。懐かしく、温かい感じ」 「家庭の物置の日陰。倉庫に入らないから横っちょに。とり合わせが面白い。」 「バイクへの愛情を感じる」 「いや、もう乗らないので、その辺に突っ込んでおくのですよ」 「“古”が二回出てくるのが引っかかる」 「でも、それが逆にいいのでは。」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「“古”が味を出している。このふたつの“古”は違う。古草は去年の草だが、古バイクは10年も20年も乗ってきて愛着があり、その思い出を裏に潜めている。“古”に濃淡がある。“突つ込んでおく” というぶっきらぼうで勢いのある言葉が上五と下五を繋ぎ、血の通った俳句となった」 と講評しました。     〇約束を反故にし寝ねり春障子             佐藤宣雄 合評では、 「読めばすぐ分かる句。何か理由は知らないが出て行くのが嫌になったのだろう。“春障子”に温かさがあり、“反故にし”で滑稽味も出た」 「“寝ねり”という無責任さが男っぽい。“反故にし”に意志が感じられるが、逡巡もあるのでは。」 「居直ってますよ。反省していない!」 と感想、意見はまちまち。 恩田は、 「独特の身体感覚による春障子。すっぽかしておきながら明るさがまとわりつき、居心地が悪くて安らぐことができない。屈折した心理を春障子がうまく受け止めている」 と講評しました。     〇古草や鎌の手止める貫頭衣             松井誠司   「最近うちの菜園の手入れをした。古草は根を張っていてしぶとい。この句からはその生命力が感じられる」 「“貫頭衣”が分かりにくかったが、登呂遺跡での光景でしょうか。愛着を感じる句」 との感想。 恩田は、 「弥生人の生活の息吹が生々しく伝わってくる。作業のふと手を止めた瞬間を切り取っている。古草と貫頭衣の取り合わせが面白く、絵画的に決まった」 と講評しました。     ゝ庭石のみな角とれて草古し             杉山雅子 「昔は格式のあった古い家。その庭の石をいろんな人が踏んで通っていったのだろう。」 「日本風の落ち着いた住まい。住人は若い頃バリバリ働き、老いた今も矍鑠としている。住む人の息遣いや人物像まで投映している」 との感想が聞かれました。 恩田からは、 「落ち着いた日本の家の庭の様子を詠んでいるが、季感が薄い。“みな”はあいまいな形容であり、甘い。感じは分かるが焦点が定まらない。もう少し中七を工夫して、自分の観点で焦点を絞り直したら」 と厳しめの講評がありました。     ゝ古草やひそりと昭和閉ぢてゆく             伊藤重之 「“ひそりと”に心情的に共感する。哀惜の心」 と共鳴の声。 恩田は、 「その“ひそりと”が根付いていない。俳句は副詞や形容詞から古びていくので気をつけなければいけない。また、“閉ぢてゆく”という時間の経過表現があまりよろしくない」 と講評しました。     [後記]  今日の恩田侑布子の指導テーマは「観念から詩的真実(リアル)へ」。今回は観念に堕ちていく投句が目立ったとのこと。「意味や理屈を離れて、詩のリアルを獲得してほしい」といつもにも増して熱く語った恩田代表でした。 今回、私が「古草も新草もなく犬尿(いば)る」の句を採らせていただいたとき、恩田侑布子代表から「季重なりですが、いいのですか?」と問われました。「犬は古草と新草の区別もつかず、季語を知りませんから」と私が答えたところ、「それが理屈!そこから離れなければいけません。理屈を追い出すこと」と一刀両断されました。まさに今日のテーマ!(ちょっと堪えましたが納得です) 次回兼題は、「風光る」と「雲雀」です。(山本正幸)     特選     早退けの少女かくまふ春障子                 山本正幸  頭が痛くなったのか、お腹が痛くなったのか。大した病気ではなさそうだが、思春期の危うさを感じる。桜の咲く前の柔らかいひかりが障子を明るい雪洞のようにしている部屋に引きこもる。それを春障子が意思あるように「かくまう」といった。あえて不穏な言葉を使ったことで「異化効果」が生まれ、春障子が呼吸をし出す。少女との間にあたかも密事(みそかごと)がなるよう。清楚なエロティシズムまで感じられる。言語感覚のよろしい極めて繊細な句。 特選   妻と子は動物園へ春障子                  西垣 譲    ぬけぬけとした長閑さがユニーク。ちょうど妻と子が動物園のゴリラを見ている間、一家の主人である作者は所在無く春障子の明るいふくらみの中にいる。ついていけばよかったかな。いやいや、騒がしいやつらのいない日曜の昼間はなんて貴重なんだ。一抹の寂しさの中に満足感があり、いかにも春昼の風情。「へ」は俳句では難しいが、うまく働いている。そこはかとない俳味がある。        (選句・鑑賞 恩田侑布子)

3月17日 句会報告

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彼岸の入りの句会。兼題は「ものの芽」と「春の闇」です。 句会の行われるアイセルから徒歩5分の熊野神社の鳥居をくぐると「ものの芽」に包まれるような気がします。 高点句を紹介していきましょう。今回、恩田侑布子特選はありませんでした。 (今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ○ 昼酒の蕎麦屋に長居柳の芽             伊藤重之 合評では、 「リタイアした老人の一日のひとコマ。こういう身分になりたいな」 「昼酒のまったりした気分が出ている。蕎麦屋の入り口に柳の木があるのだろう」 「漢字の表記が作者の気分を表していて良い」 「ワタシもこれから“昼酒”にしようかな」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「のどかな春の雰囲気が出ており、季語が効いている。お客も少なくて、馴染みの店で遠慮なく吞んでいる。窓には柳がしな垂れかかっている情景」 と講評しました。     ○ 春の闇来る人の来ぬ喫茶店            久保田利昭 合評では、 「異性を待つ切ない心とマッチしている春の闇」 「生温かく濃密な春の闇の向うから現れるであろう恋人を待ち焦がれている。ここは夏でも秋でもなく“春の闇”でなければダメ」 「異性を待っているのではなく、いつもの喫茶店のそこに座っている人が来ない。どうしたのだろうという、心配の気持ちではないでしょうか」 「“待つ人の”だと散文的になるので、“来る人の” と推敲したのではないか」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「恋がひそんでいる。来るはずのを省略しているので含みがあり、気を揉んでいる感じが出た。 “春の闇”に体性感覚がある。闇が震えている。デリケートな質感をもった闇。季語が効いている、いのちを持っている」 と講評しました。     △渡し場の水のふくらみ蘆の角             塚本敏正 「この情景は水彩画を見るようだ。蘆が新芽を出す、いささか古めかしい渡し場の光景」 との感想。 恩田からは、 「映像再現性がある。うまくまとめてあって絵葉書的なのがやや惜しまれるが、「ふくらみ」の措辞がいい手堅い句。これからさらに新味の獲得と着眼点の飛躍に挑戦されれば塚本さんは素晴らしくなる」 との講評と励ましの言葉がありました。     ゝものの芽にかこまれて妻退院す             山本正幸 「わかりやすく、いい句だ。愛する奥さんが無事退院した。ちょうど木々の芽が盛んに出てくる時節。奥さんを寿ぐ句」 「いかにも退院おめでとうという気持ちになる」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「季語が効いている句。やわらかな空、やさしい作者の奥様を思う心が溢れ、一物仕立てで祝意を表している。“存問”の句としては良質だが、文芸としての奥行きや多層構造はない」 と講評しました。     ゝひそめたる息ほつと吐く春の闇             西垣 譲 「若い女性の気持ちを詠っている。異性と付き合って間がなく、何かを迫られるかなと期待したが何もなかった。残念なような、安心したような気持ちが出ている」 「何のことかよく分からなかった。深くはないが、緊張感のある句。春の闇だからそれほど深刻ではないのでしょう」 などの感想。 恩田は、 「“ひそめたる”が思わせぶり。感じは分かり、雰囲気もある。しかし、正体がつかめず、根のない句と言わざるを得ない」 と講評しました。     [後記] 樸俳句会代表の恩田侑布子は、句集『夢洗ひ』の成果により平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。本日の句会の冒頭、句会の連衆から熱い祝福の拍手が送られました。ホワイトボードには大きくお祝いの言葉と花マルがいっぱい。「今回の句集が一番好きです」「日本語の美しさを堪能」との声もあがりました。連衆にとっても嬉しく励みになることです。 (恩田の受賞コメント及び、講座生からの祝詞は本HPの「お知らせ」をご覧ください。また文部科学省の芸術選奨のURLも掲載しました) 今回の句会で感じたのは、自分の感情をいかにして詩の言葉に結晶できるかということです。恩田は、“モノに託す”“潜める”“転じる”などにより、感情をストレートに出さないで句にしていくことを強調しました。「短歌ならそれ(ストレートな感情表現)ができる」とも。 次回句会の兼題は「古草」「春障子」です。 (山本正幸)

3月3日 句会報告と特選句

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桃の節句の句会。兼題は「紅梅、和布」です。 句会会場近くの駿府城公園に紅葉山庭園があります。ちょうどいま、飛び石伝いに梅林を散策して香りにうたれることができます。 高点句を紹介していきましょう。 朝日入る一膳飯屋わかめ汁             佐藤宣雄 恩田侑布子の入選句で、合評では、 「生活感のある句だ。夜勤を終えてくつろぐ肉体労働者の姿が浮かぶ」 「“朝日入る”という上五がいい。作者の感性に共感した」 「学生街の一膳飯屋を想像した。都会の一隅の光景」 「独り者だろう。“朝日入る”が効いている。小さな開放的な店の景がくっきりしている。月並みでない面白さがある」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「みなさんの鑑賞がいい。シッカリ書けていて、曲解されることのない句でしょう。安サラリーマンや学生が気軽に寄る店。あたたかい元気なおじちゃんおばちゃんが迎えてくれる。上五が清々しく、飾り気がない。和布の兼題で、浜辺ではなく店をもってきて成功している。平易な言葉が使われており、いろいろな人の想像力を掻き立てることができた」 と講評しました。   紅梅や進む病状月毎に            樋口千鶴子 恩田侑布子の入選で、合評は 「深刻な病気の状況であろう。現代社会では、安楽死など死をめぐる議論がいろいろある。人工呼吸器を着けたらもとに戻れない。大変な気持ちを抑えて句にしている。それを紅梅と対比させている」 との共感の声がありました。 恩田は、 「“紅梅”が効いている。紅梅はうつくしいが、むごさや残酷さも併せ持つ。他の植物では中七以下を受け止めきれないだろう。あえて感情を押し殺して事実のみを述べた。そぎ落とされた表現が共感を呼ぶ」 と講評しました。     色褪せてなを紅梅の香を残し            樋口千鶴子   「近くの公園に白梅と紅梅が咲いている。紅梅は白梅に比べて少し重い。しつこさもある。この句は、まだまだどっこい生きているぞという心意気がベースにあると感じた」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「千鶴子さんはいつもものをよく見ている。誠実な眼差しが感じられる。白梅の潔い散り際に比べて、紅梅は白っぽく色が抜けたり、逆にくろずんだりして縮れて落ちる。ここでは香りに注目したのが良い。昔の人は香りの高い植物を愛好し、自分の生きる鑑とした。この句は散文のようだが、内容が良く、下五に実がある。紅梅のありように自分を重ねた。一生を見つめて一瞬を詠むのが俳句」 と講評しました。     紅梅の髪にかざして自撮りして           久保田利昭 「~して~して、という軽快感がよい」 「髪に花をかざす習慣は昔からあったが、“自撮り”で新しさが出た」 などの感想。 恩田は、 「軽いタッチの句。紅梅とこの女性の自己愛(ナルシシズム)がつり合っている。白梅ではこうはいかない。季語が効いている」 と講評しました。     風に老い飛沫に老いぬ和布採            伊藤重之 「“老い”のリフレインが効いている。和布採りの一情景と一老人の生き方が重なる」 との感想。 恩田は、 「対句をいいと思うか、鼻につくかで評価が分かれる。ちょっとカッコつけすぎているところのある句だ」 と講評しました。     [後記]  今回の句会で恩田が強調したのは「よく見る」ということでした。 よく見る(視る)とは、ただ網膜という器官に像を写すのではなく、意識と五感を総動員しなければいけないことを痛感。 次回の兼題は「古草」「春障子」です。(山本正幸) 特選 紅梅を仰げるあぎと娶りけり                   山本正幸    濃艶である。紅梅を仰ぐ女性の透けるような白い肌の顎から喉もと、首筋がみえてくる。こんな美しい女を我妻にしたのだという男の満足感と、ある種の征服感まで感じられる。白い喉のなめらかさに負けず、紅梅はいっそう黒々と濃く中天にこずむ。性愛の烈しさが匂う。「あぎと」に焦点を絞って、紅梅の紅と対比させた技法が巧みである。講座では、「娶りけり」はジェンダーギャップのことばで不快、という意見も出た。たしかにそう。しかしそれがわたしたちの蓄えてきた「言語阿頼耶識」であることも事実。時に、性愛の場は平等をよろこばない。さくらよりも肉感的なエロスを匂わせる紅梅がふさわしい由縁。         (選句・鑑賞 恩田侑布子)

2月3日 句会報告

irumi

節分の句会。兼題は「当季雑詠(冬、新年)」です。 今回は恩田侑布子の特選、入選、原石賞のいずれもなくフチョーでした。 なかから△印の高点句を紹介します。 冴ゆる夜の監視カメラの視線かな            久保田利昭 「“冴ゆる夜”と監視カメラという機械の冷たさが一致している」 「冷たいキーンとした感じが出ている。カメラの無表情な視線がある。自然と人工の対比」 「監視カメラが意志をもって視ていることの気持ち悪さが表されている」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「季語が効いている。“視“が重なってくどいようだが、こう言わないと句にならない。無機的なものが有機的なものに転化し、ぎょっとする瞬間をつかまえた。現代を詠んでいる。座五もよい」 と講評し、さらに、 「“花鳥諷詠”だけではなく、自然環境や社会環境など2017年の現代に生きていることを詠むのは大切。“複眼の思想”を持ちたい」 と述べました。     三センチ歩幅広げる古希の春             松井誠司 「“一歩”ではなく“三センチ”が現実的でいい。70歳を迎え、前向きに生きようとしている」 「共感します。街で女の子に追い抜かれたりするんでしょ」 「共感! 歩幅を広げて歩くのは体にいい。意識してやらないと」 「健康雑誌に載りそうな句。糸井重里さんのコピーみたい」 など共感の声が多く出ました。 恩田は、 「懐かしい、情の豊かな句。歩幅を広げて速歩きするのは老化防止にいいそうです。中七にやわらかい切れをつくりたい」 とし、次のように添削しました。  三センチ歩幅広げて古希の春 「“て”で切れが生じ、リズムもよくなりませんか。俳句は音楽性をもつ韻文であることをこころがけて」 とうながしました。     枯枝の先一寸の人類史             伊藤重之   「はかなさと危うさ。リズム感があり、言い切っているのがよい」 「よく分からないが、なんとなく捨て難い句。イメージを膨らめていったのだろう」 などの感想。 恩田は、 「裸木に生物進化の系統図を投映した句。人類は威張っているが、地球生命史の上では誕生して間がない。戦争と殺戮を繰り返している人類への批判もある。しかし、季感が薄い。進化の系統図そのままで飛躍がなく、知的操作の勝った句」 と講評しました。     [後記]  今回の投句がやや低調だったのは「正月疲れ」なのでしょうか。しかし、かえって口角沫を飛ばす議論が百出し、みんなホットになりました。 恩田の「今回は説明や報告の投句が多かったように思う。俳句は韻文。叙述してはいけない」との指摘にうなずきながら句会を後にしました。 次回の兼題は「紅梅」「若布」です。乞うご期待!(山本正幸)