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慶祝 樸会員 静岡新聞文芸欄 特選・入選・秀逸

恩田侑布子は2024年9月から、静岡新聞文芸欄「俳句」(月1回最終火曜日の朝刊に掲載)の選者を務めています。 その中から、特選、入選、秀逸に選ばれた樸会員の句を紹介します。    恩田侑布子 写真   2024年 10月 入選  ぱぱあつちいけ西日さすはうにいけ 芹沢雄太郎   11月 特選一席  秋澄むや母に五分粥喰む力 活洲みな子 [評] 病み衰えてゆく母の介護はつらいもの。ことに天高い日は。若かった頃の思い出が蘇ります。野や川で一緒に笑いころげたこと。大人になって楽しんだ旅。ベッドの母はまだ流動食ではありません。五分粥を食べられます。一日でも長生きして。秋真澄の祈りが句末の「力」に込められています。   秀逸  お使ひの袋引き摺り秋夕焼 芹沢雄太郎   12月 入選  レジ閉ぢて急ぐ背中や寒北斗 益田隆久  ルービックキューブ冷たし揃ふても 芹沢雄太郎   2025年1月 入選  枯木立感光液の水たまり 益田隆久   2月 入選  短日のバスを待ちつつにきび触れ 芹沢雄太郎  ラヂオ体操に初鴉来てゐたりけり 益田隆久   3月 秀逸  早春の怪獣膝を抱へをり 芹沢雄太郎   4月 特選三席  ひこばえや皆貧しくて皆笑ひ 益田隆久 [評] ひこばえは孫生(ひこばえ)の意で、刈られた木が春になって芽吹く命の再生です。傷めつけられても蘇る植物のいきおいと、失われた30年で貧しくなった庶民が笑いで温め合う日常を、「や」の切れ字で対比し、とりはやしています。句の底には思いやりがあります。こういわれるとトランプのスター気取りの顔が浮かんでくるから不思議です。   秀逸  蒼空や砂紋をのこし大河涸る 前島裕子   入選  三月の遅き回転木馬かな 芹沢雄太郎   5月 入選  図書館の本の汚れや霾れり 前島裕子   6月 入選  白藤の香り天降りて夜の重さ 益田隆久   7月 入選  麦の秋焼きたてホームベーカリー 前島裕子  重力の無きが如しやあめんばう 益田隆久  子と吾の汗合はさりて昼のバス 山本綾子   8月 入選  庭先にサンダル「キュッキュ」小さき客 前島裕子  トマト噛み忘れ去られし歌「友よ」 益田隆久   9月 入選  墓洗ふとなりもかども墓じまひ 前島裕子   10月 秀逸  開けし戸に客人のごと今朝の秋 山本綾子  人情に倦んで猫抱く秋夕焼 益田隆久   入選  戦場の瓦礫に番地虫の闇 活洲みな子   11月 入選  姉妹して父抱きかかへ十三夜 山本綾子    恩田侑布子 写真

9月7日 句会報告

2025年9月7日 樸句会報 【第155号】

 歴史的猛暑の8月いっぱいをお休みして再開された句会、出席者も休養十分(?)のせいか普段より多めで、Zoomながら対面と変わらぬ賑やかな句会となった。前半を点盛りと講評、後半は毎回題材を変えて勉強会という二部方式もすっかり定着し、今回は「俳壇」誌9月号掲載の師の鈴木真砂女評と現代俳句協会賞受賞作をめぐる意見交換、、、のはずが後半は脱線して師も弟子もない俳句論議に。この自由闊達さこそ樸の魅力と満足してのお開きとなった。

 兼題は「月」「顔の一部」。特選1句、入選2句、原石賞2句を紹介します。
 

澄む水の削りし大地なりにけり    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
戦後史の最終ページ蚯蚓鳴く
             小松浩

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蚯蚓鳴く」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 署名みな眼とおもふ終戦日
               古田秀

【恩田侑布子評】

「終戦日」ですから平和を希求する署名でしょうか。一人一票の投票と同じで、一人に一つしかない名前と住所です。それを黒い「眼」と思った発想の飛躍が素晴らしい。たちどころに署名用紙に並んだ個性ある記名文字が、生きた魚群のように泳ぎ出す幻想に誘われます。庶民一人ひとりの意思表示がうろくずの眼の切実さを帯び、なまなましく浮かび上がってきます。
 

○ 入選
 をり鶴に帰る空無し原爆忌
               益田隆久

【恩田侑布子評】

平和を祈って千羽、万羽の鶴を折っても原爆で焼け焦げた人の命は帰りません。嗟嘆が空に虚しく反響します。「戦争はイヤ」「しちゃだめ」とどれほどつぶやいても、庶民が巻き込まれるときは時局に抗えないという絶望感が感じられます。死者の安寧と平和への祈りだけでは平和は築けないという諦念が腹の底まで染み渡ることで、かえって、いまわたしたちが何をするべきかを問いかけてくる句です。
 

【原石賞】八月や球児は土と凱旋す
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

甲子園の球児に「凱旋」という古風な言葉を斡旋した言語感覚が素晴らしい。さらに「土と」の措辞が効果抜群です。ユニホームについた泥土を眼前し、試合終了後に球場の土を掬って袋に詰める姿がありありと瞼に浮かびます。甲子園の土とともにふるさとに帰ってきた勇者達です。ただ「八月や」では、暑さだらけでつきすぎでしょう。夏の始まりとともに、幾多の地方予選を勝ち抜き、遠い兵庫県の炎天下で死闘を繰り広げた夏百日の記憶があります。きっと、なつかしい郷土の群衆に迎えられる空ほど清々しいものはないでしょう。長い戦いを勝ち抜いて辿りついた爽涼の思いを共有したいです。

【添削例】爽涼や球児は土と凱旋す

 
【原石賞】銀盤の海や月影さらさら来
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

月かげが「さらさら来」という出色のオノマトペを生かすためには上五の措辞は瑕になります。なぜなら「銀盤」は古来、月の異称として様々な文学作品に表現されてきたからです。最近は「銀盤の女王」という決まり文句から、スケート場のことと短絡されがちですが、俳句をやるものは本来の美しい意味を踏まえていたいものです。そこで上五は抑えて静かな海面を描写すれば、「月影さらさら来」というフレーズの佳さがいっそう生きてくるでしょう。

【添削例】凪わたる海や月影さらさら来く

 
【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 くちびるは手花火の煙の匂ひ
              見原万智子
 弁慶の衣裳の裾のすれ涼し
              前島裕子
 湯灌終へ髯なき兄のさやかなり
              馬場先智明
 月見酒子ども代わりの老犬と
              活洲みな子
 ピンヒール刻む色なき風の街
              益田隆久

 
【後記】
 私の樸入会は2022年9月。ちょうど「石の上にも3年」の節目なのだが、石から立ち上がれる兆しはない。初めから自分の世界を限定せず、いろんな型の句に挑戦してみようとしてきたものの、それだけでいいのかなと、最近は疑問に思うことがある。樸の皆さんの句はそれぞれに鋭く温かい個性があって、作者の存在が匂い立ってくるのに比べ、自分の場合は「お前は一体どこにいるのか?」と冷たく問われているような気がするのだ。そんな中、この日の句会で紹介された現代俳句協会賞受賞の大井恒行さんの句からは、なぜ俳句を作るのか、俳句で何を表現していきたいのか、改めて考え直す機会をいただいたように思う。世の中を斜めにばかり見てきた自分にとって、社会性と詩性が融合して文学に昇華する大井さんの作品群は、大きな魅力であった。

 (小松浩)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

口紅をさして迎火焚きにゆく    恩田侑布子(写俳)
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9月21日 樸俳句会
兼題は稲妻、啄木鳥。
入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

○ 入選
 稲妻のつながり落つる河口かな
               橋本辰美

【恩田侑布子評】

天空に青白いいなびかりが二頭の龍のように絡み合ったかと思うや、音もなく河口の果ての大海原へ落ちていくことだよ。一瞬の視覚がとらえた稲妻の走りと大景です。シーンとした無音の映像が深遠で、それが、川の長いいのちが果てて海と交わる「河口」であることも象徴的です。「稲妻」は、古くから稲の結実と関係するとされてきた呪的な色彩をもつ季語です。いなびかりと稲田という天と地の陰陽の交わりを遠くひびかせたはかない映像のどこかに、果たせなかった作者の思いを感じるのは私だけでしょうか。
 

○ 入選
 父も子もダリの絵の中秋暑し
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

「も」の畳み掛けに、ダリの噎せるような絵に取り込まれている残暑感が濃厚です。ダリはシュールレアリズム。時計が暑さにぐにゃりと折れ曲がって垂れる絵を思います。あるいは、漆黒の髭を誇示する自画像でしょうか。その眼は、激しいけれど虚無的。父は子どもを前世紀に美術界の巨匠と称された人の展覧会に連れ出したのでしょう。この「秋暑し」は体感を超えて文明批評の色彩を帯びます。ダリの近代的自我の強烈さが資本主義と経済の発展に邁進した二十一世紀のアナロジーめくのです。それを「絵の中秋暑し」が雄弁に語っています。
 

【原石賞】秋の灯の堅田の路地に住まふひと
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

樸の春の吟行会でおもてなしいただいた「俳句てふてふ」代表の今井竜さんのお宅が思われます。句の内容はこのままでいいのですが、表現として、「の」の三連続は調べをたるませ、のんべんだらりになっていませんか。さりながら「秋灯や」では内容にそぐわないキツさになってしまいます。上五はやさしく切りましょう。ぬくもりに満ちていた主をなつかしむ思いを、遠いけれど同じ秋灯の下にいますねという共感の滲むかたちで表現できます。

【添削例】秋ともし堅田の路地に住まふひと

 

【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 天高しスタートは祈りのかたち
              長倉尚世
 再開の芭蕉紀行や秋高し
              前島裕子
 稲妻や時の薬のきくを待つ
              山本綾子
 ヘルメットの露ふつ飛ばす手榴弾
              小住英之
 まろき背にとどめし秋や無著像
              星野光慶
 
🌹祝 現代俳句協会賞受賞🌹
大井恒行「水月伝」🌹🌹🌹

底なしや一足ごとに天の川  恩田侑布子(写俳)

わが恩田侑布子 一句鑑賞 5

         前島裕子

photo by 侑布子
 
 平茶盌天さはさはと畳かな
恩田侑布子  
(『俳句』2025年6月号「八風」21句より)
 
 「八風」の二十一句は、初夏と仲夏でそろえたという。そのなかに季語のない一句がある。無謀にもそれを鑑賞したくなった。
 句は茶道のことをよんでいる。
 まずは、薄茶をいただく客の立場で句をくり返しよんだ。「平茶盌」は夏季の茶の湯に用いられるとあるのでこれはわかる。しかし「天」と「畳」がわからない。
 次に亭主になりかわり句をよんでみる。
 するとストンと自分の中に落ちてきた。
 客をもてなすために用意した「平茶盌」にお茶を点てる。あわが茶盌の広い口に「天」のようにひろがり「さはさは」とさわやかに涼しげだ。その「平茶盌」を「畳」におく。心の中で(ちょうどのみごろです。めしあがりください)と言いながら。これが詠嘆の「かな」なのではないか。
 「畳」におかれた「平茶盌」は、客に委ねられる。
 また客になりかわる。今度は「畳」より「平茶盌」を手にとり、亭主もてなしの「さはさは」と涼しく点った薄茶をあじわうことができ、初夏のすがすがしい気分になった。
 恩田は「平茶盌」が季語になるようにと、願っている。ときいている。

5月18日 句会報告

2025年5月18日 樸句会報 【第152号】

 「五月」というひびきのよい語感には、新鮮な生命力がある。物憂い晩春から一気にベールを脱ぎ棄てて、初夏へ。「新緑」「風薫る」「若葉風」…と季語にもあるように、大地が緑に染まるさわやかな季節だ。
 我が『樸』にも若葉風が吹く。アメリカから、フランスから、新しい会員が加わった。インド在住の会員も含め、日本以外の風土や文化を含んだ風が、『樸』に吹き込んでくることをとても楽しみにしている。
 今回の兼題は「薄暑」「蚕豆」。特選1句、入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

息継ぎのなき狂鶯となりゆくも    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行
             古田秀

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「薔薇」をご覧ください。

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○ 入選
 肩書のとれた名刺と空豆と
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

名刺に立派な肩書きがあればあるほど俗人はうれしく誇らしいかもしれません。しかし作者は「そんなもん、やっと取れた」と清々しく思っています。組織の人間でなくなった自由こそが、晴れて味わう五月の空豆の美味しさです。もちろんビールを片手にして。技法的には、「と」で名詞を並列した句は「たるみ」が出がちですが、この句は逆にその並列が効果を発揮してリアルです。
 

○ 入選
 新快速午睡絶滅皆スマホ
               林彰

【恩田侑布子評】

京阪神地域の主要都市を結ぶ快速の車輌風景。昔の夏は、戸外の暑さに疲れた人々が冷房の効いた車内に乗り込むや、ついうつらうつらして船を漕ぎ出したもの。しかし、今ではそんな人は一人もいません。みな小さなスマホの窓を覗き込んで指先で操作しています。名詞を五つ並べた句がビビッドなのは、句頭の「新」と中七の「絶滅」の効果。まず、新しい快速電車が走る午後に昼寝族は「絶滅」したという断定が面白いです。さらに、車両とスマホの相似形も見逃せません。肉体は車両にあり、脳はその縮小相似形のスマホに吸い込まれ、小さな画面から世界大の情報の海に溺れている夏の午後であることよ。「昼寝」の季語を、昼寝しない人らを素材に歌うのも新しい表現。
 

【原石賞】かたらねど母のかたはら緑さす
              前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

病床にあって言葉少なくなられたお母さんでしょうか。黙っていても温かく心は通じ合っています。「緑さす」の季語の斡旋が抜群です。この世で許された浄福という感じがします。惜しいのは「かたらねど」の措辞の粘りです。上五を「もだす」という動詞に変えれば、心の通じ合った安らぎが一層感じられるでしょう。

【添削例】黙しゐて母のかたはら緑さす
 

【後記】
 私ごとだが、事情があってこの4月までの半年間、句会を休ませていただいた。「句を作ることを続けないと、句はだめになる」。日ごろの師の教えを胸に、締め切り前にバタバタと投句だけは続けた。
 5月から句会に再び参加。久しぶりの句会は…これがなかなか面白いのだ。Zoomの窓が開き、親しい人と目が合って思わず目礼。新入会員の紹介や会員の授賞式のお知らせには、小さな拍手があちらこちらから起こる。画面の窓は小さいけれど、恩田先生は相変わらずエネルギッシュだ。
 仲間の句を推す会員相互の熱弁(?)も、師から質問されて一斉に下を向く姿も、画面を通して息遣いまで感じられる。以前の私は断然リアル句会派だったが、会員の幅が広がり、パソコン操作にも少しだけ慣れた今、Zoom句会ならではの面白さを楽しんでいる。
 とはいえ、句会に参加できなかった期間に投句だけは続けることができたのは、句会後のお疲れも厭わずに全句講評をお送りくださった師の励ましの言葉や、句会の様子をそっと知らせてくれた句友たちとの繋がりがあったからこそ。俳句は座の文学だと言われるが、心と血が通ってこその座であると、しみじみ感じている。
 (活洲みな子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

宙ゆらぐ前に帰らん夏の闇    恩田侑布子(写俳)
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5月4日 樸俳句会
兼題はゴールデンウィーク、若葉。
特選2句、入選3句、原石賞1句を紹介します。
 

◎ 特選
 吾の歌に母の輪唱桜の実
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「桜の実」をご覧ください。

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◎ 特選
天上の母はすこやか樟若葉
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「樟若葉」をご覧ください。

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○ 入選
 死にたまふゆびのささくれ夏みかん
               見原万智子

【恩田侑布子評】

「死にたまふ」と、胸底に敬語で呼びかける人はどなたでしょう。ささくれた指から肌の乾燥し痩せ細った高齢の母を思います。母とは幼い日から夏みかんの厚い皮をむきあって、数限りない睦まじい時間を過ごしてきました。自分を産み育て、年老い、弱っていった愛しいその指はもう、くすっとも動いてくれません。しぶきのように迸る黄金の果汁に、ともに指先を濡らすこともありません。ややぶっきらぼうに投げ出された三段切れは茫然たる悲しみです。陽の色をした夏みかんの丸々した重量に、死者の指先の蒼ざめた硬直が哀切です。
 

○ 入選
 母がりは永遠の緑陰なりにけり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

母はいつでも作者の憂悩を癒し、励ましてくれたやさしい方なのでしょう、まるで涼やかな緑陰のように。今も木陰を通り抜ける気持ちのいい風にくつろいでいると、ありありと母が甦ります。永遠に失われた肉体が、緑陰となって作者を待ってくれているようです。句末の「なりにけり」には文語のよさが発揮されています。ただ、「母がりは」はどうでしょう。上代は、母+接尾語「がり」で、母のもとへ、母のところへ、の意ですが、中古以降は助詞「の」を介し、「母がりの半日あまり桐の花  細川加賀」、「母許の廂の古りぬゑんど飯  永田耕衣」 などの先行句があります。「の」を介さない単独の名詞としての使用にはやや違和感があります。
 

○ 入選
 木香薔薇あふれんばかり死者の庭
               成松聡美

【恩田侑布子評】

一挙に咲き誇って、あたりを異様なまでの明るさにする木香薔薇の黄色のはんらんが、かえって死者の庭に合っています。「霊園」や「墓地」という言葉を使わなかったことで普遍性を獲得しました。その静寂に包まれて佇むことの不思議さ。初夏のひかりが迫ってきます。
 

【原石賞】夕若葉マーマレードの煮詰まるる
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

庭若葉にはまだ充分に日があるのに、時計の針はすでに夕刻をさしています。作者はたぶん夏みかんのマーマレードでも煮ているのでしょう。柑橘類の香りが厨いっぱいに広がります。日永は春の季語ですが、実際には夏至が最も日が長いので、夕方でも暗くならない若葉の和らいだ色と、ジャムの黄味とが響き合います。ただし句末の文法は誤りです。助動詞「る」は「詰まる」に接続しません。鍋の中に焦点を絞れば実感が出ます。

【添削例】夕若葉マーマレードの煮詰まり来(く)
 

卯の花の谷幾すぢや死者と逢ひ     恩田侑布子(写俳)

わが恩田侑布子 一句鑑賞3

        前島裕子

photo by 侑布子
 
 三光鳥月日はづんでなんぼなる
恩田侑布子  
(『現代俳句』「百景共吟」 2025年5月号)
 
 百景共吟の五句で
三光鳥月日はづんでなんぼなる
の「三光鳥」にひかれた。
 何年か前に岡部町の玉露の里で、その尾だけを見た。残念ながら全身は見えず、鳴き声も聞けなかったと記憶している。先日、今はどうなっているのか行ってみたが、それらしき気配はみうけられなかった。
 それでは電子辞書でこえだけでもと思い、聞いてみた。
『ツキヒホシ ホイホイホイ』
何度か聞いているうちに、何か楽しく、明るい気持ちになってきた。
 そんななか、句を読み返してみた。すると、「月日」は人生、「はづむ(ん)」は思いきって何かをする、「なんぼなる」はすることに価値がある。『人生、思い切って何かすることに価値があるんだよ』と「三光鳥」が励ましてくれている、などとかってな考えが浮かんできた。この句は、そんな一つの生き方をさし示してくれているように思えてきた。
 久しぶりの一句鑑賞。一語一語かみしめ、恩田の意図するところは?と、深く考えることができた。

4月13日 句会報告

2025年4月13日 樸句会報 【第151号】

 2025年春の吟行は、恩田代表が「恩田侑布子の名句鑑賞」を連載し、会員の毎月の佳句が恩田の鑑賞付きで掲載されているご縁から、SNSアプリ「俳句てふてふ」代表兼編集長 今井竜様のご後援を得て、芭蕉がこよなく愛した近江(大津市)へ、泊まりがけで出かけました。
 琵琶湖線膳所駅に集合し、最初に参詣したのは木曾義仲の胴塚と芭蕉の墓所が並ぶ義仲寺。池から上がってきた石亀が駘蕩と歩む姿が、これから始まる旅の案内役のように見えました。
 近江野菜をふんだんに使ったランチを大急ぎで戴いてから堅田へ移動。出迎えてくださった今井様に、若き日の一休和尚が修養を積んだ祥瑞寺、琵琶湖に臨む満月寺浮御堂等をご案内頂きました。
 この日は次第に風雨が強まり肌寒いほどでしたが、湖畔のカフェで身も心も温まり、かつて水上交通の要衝として栄えた街並みの散策を続けました。そして国指定の名勝 居初氏庭園へ。滋賀県観光協会の特別なお取り計らいで、園内の書院 天然図画亭の茶室で句会が催されました。素早くメモを取る恩田代表や観察に集中する連衆の熱意に力をもらい、吟行2回目の筆者も何とか五句出句という課題をクリアしました。
 夕方からは比叡山の麓にある生源寺日吉大社・山王祭を拝観しました。大津在住の連衆が「今夜の神輿振りは見逃せませんよ」と教えてくれたとおり、豪壮な神事に魅了されました。
 興奮冷めやらぬまま下山した我々を、今井様がご自宅へ迎え入れてくださり、湖岸に打ち寄せる波音を聞きながら夕餉を囲むという贅沢この上ない一夜を過ごしました。
 打って変わって快晴の二日目。漁船に乗り込み、雁の群れ飛ぶ琵琶湖クルーズを満喫し、解散後は各自思い思いの名所旧跡へ足を伸ばしました。
 連衆の一人が「素材がありすぎてかえって急には俳句が読めない」と呟いた今回の旅。感動はしばし醸成され、27日のzoom句会でも近江を詠んだ句がたくさん出されました。
 旅程の企画、二日間のご案内役、さらに宴のご準備までもお世話になった今井様に、参加者一同厚く御礼申し上げます。
 
 特選1句、入選3句を紹介します。
 

花の雲あの世の人ともやひつゝ    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
亀鳴くや巴御前の吐息のせ
             金森三夢

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「亀鳴く」をご覧ください。

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○ 入選
 どうだんの衣広げり巴塚
               見原万智子

【恩田侑布子評】

満天星の花が咲けば春もたけなわです。義仲寺の木曾義仲の宝篋印塔の傍には小さな自然石の巴塚があり、その上に満天星が覆いかぶさるように枝を広げ、ほころびかけていました。まどやかに剪定された植栽を巴の「衣」と見立てたあでやかさ。小袖を涼やかに広げた巴の颯爽たる風姿が浮かび、最高点句でした。作者は、「満天星」の漢字は、勇猛な巴御前には艶やかすぎると思ったのでしょう。ただ、「どうだんの花」なら間違いなく季語ですが、「どうだん」では「同団の衣」と読まれる心配もあり曖昧です。吟行句の難しいところ。
 

○ 入選
 走り根へ春愁の雨たたきけり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

京都駅から膳所までは傘要らずでしたが、堅田は雨。町並みの落ち着いた水郷のたたずまいを傘越しに眺めて歩きます。満開の桜が雨に散りそめ、内湖にはちらほらと花筏。若き日の一休の修行寺を足早やに、浮御堂へ松の緑をくぐった後、「俳句てふてふ」代表の今井竜さんのご厚意で天然図画亭の庭園を散策し、茶室にて句会を。どこの何の木かわからなくても、仲間同士、次の場所へとはやる心に、まさに「春愁の雨たたきけり」。黒々とした走り根が見えてきます。
 

○ 入選
 花冷や芭蕉に男色のうはさ
               古田秀

【恩田侑布子評】

芭蕉は名古屋の若い米穀商だった杜国を終生愛し、その夭折を惜しみました。晩年の『嵯峨日記』でも、夢に見て「涕泣して覚ム」といい、みずからそれを性的妄想の「念夢」と名づけています。拙著『渾沌の恋人 北斎の波 芭蕉の興』冒頭にあるので、膳所駅近くのイタリアンでも、芭蕉のホモセクシャルが皆の話題になりました。合評では「噂に止まらないでしょ」という声が聞こえました。一理ありますが、俳句では「花冷や」が一句全体に響くため、「うはさ」くらいに措辞を抑えるほうが美しいのです。
 

【後記】
 今回、帰りの新幹線の中ですぐにでもまた旅に出たいと思っている自分に気づきました。出不精だった筆者にもようやく「道祖神の招き」が届いたようです。
 恩田代表から、筆者の句は吟行の場を離れるとやや映像を喚起しないかも、という指導を受けました。対照的に、今日の吟行で我々が見たものとしてはこの表現しかない、と評価された、他の連衆の句もありました。その吟行を離れても普遍的な説得力を持つと評されたのが特選句「亀鳴く」です。
 家からどのくらい離れたら旅と言い得るのでしょうか? 旅に出れば作句の骨法その一「グリップ力」が強化され、いつか普遍性を持つ句を詠めるでしょうか? あぁ、そう言えば……窓外の夜景が明るさを増し、ずいぶん武蔵国へ戻ってきたと感じながら、筆者は『星を見る人』の一節を思い出していました。

 人生は歩行だ。舞踊でも飛翔でもない。ましてや湯につかることでもない。駅へいつもの道を歩く。川のほとりを散歩する。見知らぬ遠い町を旅して歩く。そのとき、現実の風景と同時に感情の風景のなかもいっしょに歩いている。わたしたちの人生の同伴者はつねに感情である。(恩田侑布子著『星を見る人 日本語、どん底からの反転』p8、2023年 春秋社)

 (見原万智子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

ふところは天上大風やまざくら    恩田侑布子(写俳)
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4月27日 樸俳句会
兼題は凧、藤。
入選1句、原石賞3句を紹介します。

○ 入選
 国境無き空へ帰らむいかのぼり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

「国境無き」の措辞からは「国境なき医師団」が連想されると同時に、世界各地の戦乱が思われてきます。前者は、一九七一年にフランスの医師やジャーナリストが設立し、一九九九年にノーベル平和賞を受賞した国際的な医療団体です。後者の戦火はやむどころか激しさを増しています。ロシアはウクライナの首都キーウまで爆撃し、イスラエルはガザで、罪もない子どもを17400人以上も殺しています。この句は、なぜ人は国境線を引き、領土のために人を殺すのかと問いかけます。「国境無き空へ帰」ろうとする凧は、純真な童心をもつ生身の作者の顔を想像させます。
 

【原石賞】畳みたる帆を花過の枕とす
              古田秀

【恩田侑布子評・添削】

帆を畳んで枕にできるのは、きっとヨットを持っているおしゃれな作者でしょう。それを「花過の枕とす」るとは、ますますロマンチックです。ただ、七五五の頭でっかちなリズムが気になります。五七五の定型のうつくしい調べこそ、一句の内容に相応しいはずです。次のように語順を変えれば、花時に乗ったヨットの残像が、今なお胸の底の海か湖を、水脈を引いてすうっと滑っていくようではありませんか。

【添削例】花過のたたみたる帆を枕とす
 

【原石賞】天の凧追う子のわれも風となる
              馬場先智明

【恩田侑布子評・添削】

子どもの凧が大空高く舞い上がりました、風に乗ってぐいぐい引っ張る「天の凧」をおさな子が一心に追いかけてゆくのを、父であるわれも追ってゆきます。その時、ああ私は「風」だと思う瞬間のなんたる気持ちの良さ。気宇の大きな俳句です。惜しいのは「追う子のわれも」の中七のまだるっこさです。この句は真っ二つにスパッと真ん中に切れを入れた方が良くなります。切ることで、親子の関係がイキイキした秀句になります。

【添削例】天の凧追ふ吾子われも風となる
 

【原石賞】薄茶汲むゆがむ玻璃ごし花吹雪
              前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

「薄茶」といっているので、「濃茶」と対になった、茶の湯の場面を思います。しかし「湯を汲む」といい「薄茶点つ」はいっても、「薄茶汲む」とは耳なれません。「ゆがむ玻璃ごし花吹雪」の十二音のフレーズは、あたかも谷崎潤一郎の『細雪』のように美しいシーンです。いまの工場生産ではない、明治か大正の板硝子は、わずかに景色の歪むところに味わいがあります。そのレトロな硝子を透かしてみる「花吹雪」だからたまりません。広間で茶筅を静かに振る気張らないシーンにすれば、いっそう優美さが匂います。

【添削例】お薄点てゆがむ玻璃ごし花吹雪
 

天心のふかさなりけり松の芯     恩田侑布子(写俳)

2月23日 句会報告

2025年2月23日 樸句会報 【第149号】

 2月2回目の句会23日は、最長の寒波が日本列島を覆い、日本海側、北日本の屋根の雪おろし、めったに雪の降らない九州でも雪掻きをしている様子が、テレビに映し出されている。普段暖かい静岡でも北風が吹き寒い。
  しかし私たちは、zoomというありがたいシステムがあるおかげで、北風の吹く中暖かい部屋で句会を開くことができるのです。
  兼題は「春光」「辛夷」です。特選1句、入選2句、原石賞3句を紹介します。

 

雪解野や胸板は風鳴るところ    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
暮れてなほ弾む句会や花こぶし
             益田隆久

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「辛夷」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 見はるかす白馬三山花こぶし
               岸裕之

【恩田侑布子評】

名峰白馬岳は・杓子岳・白馬槍ヶ岳へと尾根を縦走する登山者も多く、白馬三山と総称されます。三〇〇〇メーロルに迫る北アルプスの高峰で高山植物の宝庫です。途中には大雪渓があったり、山頂からは日本海が見えたり、白馬槍には徒歩のみで行ける温泉があったり、登山家の聖地です。作者はかつて白馬三山を踏破したことがあったかもしれません。あるいは私のように、永遠の憧れの高嶺なのかも。とまれ、清らかなこぶしの花越しに望む、その名もうるわしい白馬三山の雄峰は早春の絶景です。「見はるかす」の措辞が盤石。
 

○ 入選
 青空に挑むじやんけん花こぶし
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

肌寒い早春の青空に向かって、真っ白いこぶしの花がじやんけんを挑んでいるよ。グーもパーもチョキもあるよ。こぶしの花に向かう童心が躍っています。いや、ほとんど花こぶしの気持ちになりきっているといっていいでしょう。作者の周りはこれからきっと、明るい気持ちの良い日々になるに違いありません。
 

【原石賞】こぶし咲く「れ」の字空へと散りばめて
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

写生眼が素晴らしいです。そういわれてみればたしかにこぶしの花が「れ」の字に見えてきます。句の弱点は中七にある「へと」。ここで急に説明臭くなってしまいます。一字を入れ替えるだけで、にわかに句の景色が明るくなりませんか。余談ですが、子どもに白木蓮とこぶしの花の見分け方を聞かれたら「れの字に見えるほうがこぶしの花で、見えないのが白木蓮だよ」と、自信を」もって教えてあげられそうです。

【添削例】こぶし咲く「れ」の字を空へ散りばめて
 

【原石賞】踏まれるも下萌の香の高くあり
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

春先に萌え出たばかりの下草を踏んでゆきます。そのとき、目には留まらないが、独特の香りをもつものがあるなあと、素直に思ったのです。目のつけどころが素晴らしい俳句です。これは、発想の契機とも、俳句のグリップ力ともいう、一句の根をなす作者の心位であり、教えて教えられるものではありません。各人が精神を涵養しなければ把握できないものです。あとは、句作の最終段階である表現の問題になります。たった二字を変えるだけで格調の高い素晴らしい俳句として完成します。

【添削例】踏まれたる下萌の香の高くあり
 

【原石賞】春光を睨み返さむ天井絵
              岸裕之

【恩田侑布子評・添削】

面白い句ですが、肝心の主体が抜けています。作者自身には「龍」が睨んでいることが自明なのでしょうが、読者はそうはいきません。八方睨みの龍の絵は京都の天龍寺や妙心寺や、枚挙にいとまないですが、変わったところでは北斎晩年の、小布施の祭屋台天井絵もあります。しっかりと「龍」の主体を打ち出し、「睨むや」と切字で余白を大きくしましょう。春光に今にも龍が躍り出しそうになりませんか。

【添削例】春光を睨むや龍の天井絵
 

【後記】
 今回もいろいろな意見、疑問、質問がとびかい白熱した句会となりました。
  その中で、兼題の「辛夷」の句に、「辛夷は咲いていない。実物を見ていない。それは机上の句ではないか。それでもいいのか。」というような質問が出された。確かに私もあちこち辛夷を探したのですが、咲いていなかった。
それに対して先生は「過去もふくんだ今を一句の中にとけあわせる」とおっしゃった。ふむ。ふむ。
  森澄雄の句に、「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」がある。牡丹はあらかた散っていたという。
「(略)見てないから、牡丹がみえて、そのふくらみまで見えてくるんでしようね」と澄雄は言っている。( 『新版現代俳句下』山本健吉著、1990年 角川)
  この句を句会の最中に思い出しました。
  句会は句作のヒントがたくさん。まだまだヒントがあったように思いますが、まずは今回の先生の講評を読み句会を振り返ってみようと思います。
 (前島裕子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

死にかはり逢ふ白梅の日と翳と    恩田侑布子(写俳)
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2月9日 樸俳句会
兼題は猫の恋、ヒヤシンスでした。
入選3句、原石賞1句を紹介します。

○ 入選
 吾の術日母には告げず風信子
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

手術を控えた身はなにかと不安なもの。子ども時代ならば両親がすべて心配してくれ甘えられたのに、いまは立場が逆。老いた母をこちらが心配する番です。といっても、母親に五体満足で産み育ててもらった身体に、初めてメスが入ることを本当は打ち明けたいのです。昔のように母からひとことでいいから慰め励まされたい。とまどい疼く思いが風信子のうすむらさきの春光に揺らいでいます。
 

○ 入選
 ヒヤシンス手付かずの明日ありし窓
                益田隆久

【恩田侑布子評】

小学校三年生でしたか。「水耕栽培」を習った驚きはいまも新鮮です。げんげもチューリップもマーガレットも、花はみな土の上に咲くと信じていましたから。教室の大きな窓際にクラスメイトの名札をつけたヒヤシンスのガラス瓶がずらあっと並んだ日。ほんとに咲くかしら、どんな色かしらと友だちと想像し合ったよろこび。そこにはみんなに平等な「手付かずの明日」がたしかにありました。「明日ありし窓」と過去の記憶なのに、「ヒヤシンス手付かずの」という上半句によって、触れ得ぬみずみずしい未来が、水中を透過する光の感触とともに伝わってきます。
 

○ 入選
 立春や逆さ葵の菓子を買ふ
               長倉尚世

【恩田侑布子評】

徳川家康の御紋章は三つ葉葵ですが、東照宮の拝殿垂木には逆さ葵がわざわざ金泥で描かれています。ネット上では「建物をわざと未完成にするため」で、仏教思想由来と説明されますが、本来は老荘思想でしょう。先日、イチローが殿堂入りした折に、満票でなく一票欠けたことを、「さらに努力し続けるのが好きだから嬉しい」とコメントした立派な人柄も思い合わされます。『老子第四十一章』には「上徳は谷の如く、大白は辱(はじ)の如く、廣徳は足らざるが如し」があり、「大器晩成」という四字熟語につながってゆきます。『荘子』斉物論にも「其の成るや毀(こわ)るるなり」の言葉があります。家康は幼少期に臨済寺で漢籍の素養を深く積んだ人でした。
 

【原石賞】ヒヤシンス登校しない子の鉢も
              見原万智子

【恩田侑布子評・添削】

クラス全員に一株ずつヒヤシンスの球根が与えられ、育てています。「不登校」でなく「登校しない子」とやさしくいったことで、どうしてだろう、病気で入院しているのかしら、不登校なのかしらと、いろんな想像がふくらみます。「鉢も」だと土植えですが、「瓶も」とすれば、音韻に春の寒さが加わり、ヒヤシンスの繊い根がガラスの水底へ伸びてゆく姿も浮かび、顔の見えない子を思いやる淋しさが余韻となって残ります。

【添削例】ヒヤシンス登校しない子の瓶も
 

夜の梅さかさ睫毛を抜かれつつ    恩田侑布子(写俳)

2024 樸・珠玉作品集

2024 樸・珠玉作品集 (入会日順)

ひらかれてあり初富士のまそかがみ 恩田侑布子(写俳)
- 巻頭言 -
 昭和百年の年頭に、樸の一年間の成果をお披露目できる幸せを思います。作品を発表してくださるのは、月二回の歯に衣きせない拙評に耐えて作品を磨いてこられたかけがえのない俳句の同士です。今回初めて、お一人お一人の熱意にお応えすべく、個人評をお書きしました。俳句の百態の持ち味をお楽しみいただければ幸いです。樸は三十三観音の会を目指しています。俳句と鑑賞に共感してくださる方がいらしたら、どうぞいつでもお仲間になってください。初心者を歓迎いたします。
樸代表 恩田侑布子
海野⼆美

  遠足の上級生の手の湿り

  異常気象をエネルギーにか百日紅

  釈迦守るごと沙羅の実のとんがりぬ

地球で逢えました!
 私が触れた恩⽥先⽣の最初の俳句は
   柳絮とぶ地球でお逢ひしましたね
でした。何と句柄の⼤きなおおらかな俳句かと感動したことを覚えています。しかし恩⽥侑布⼦という俳⼈の奥深さは、知れば知るほど深淵で幅広く、よくも素晴らしい⽂学者を師に持ったものと我が⾝の幸運を思わずにはいられません。などと思っているとは思えないほど、普段はずけずけとため⼝をきいてはいますが・・(笑)
 私は句集を出すことも、投稿して腕試しをする気も全くありせんが、俳句は⼤好きです。今回の被災での⾟い⽇々も、どれだけ俳句に⽀えられたか分かりません。これからも⾃分なりの⾃分らしい俳句を詠み続けて⾏こうと思っています。

吟行の女王
 海野二美さんは吟行になると水を得た魚のようにイキイキした俳句を詠まれる。素直さと伸びやかさが大空の下で解放されるらしい。静岡市の古刹洞慶院の秋の会で「沙羅の実」の姿を〈釈迦守るごと〉と即吟されたのには驚いた。そのしなやかな俳句眼は、隣家からの類焼という災難に見舞われても、心折れず着実に乗り越える力を彼女に与えた。
 拙句「柳絮とぶ地球でお逢ひしましたね」を愛誦していてくれたことを初めて知った。まさに心友である。
恩田侑布子
芹沢雄太郎

  ソーダ水越しに種馬あらはるる

  サンダルを履かずサンダル売り歩く

  鍋に塩振つてガンジー誕生日

時間がかかる俳句/時間をかける俳句
私にとっての俳句は、自己の心の中も含めた、「今・ここ」で起こっていることを掬い取る行為だと考えています。
たしかに掬い取る行為そのものは一瞬で出来るはずなのですが、私が掬い取る行為へと至るまでには、随分と時間がかかります。
来年からは「時間がかかる俳句」の魅力も忘れることなく、「時間をかける俳句」へとシフトし、俳句によって耕せる時間をより豊かにしていきたいです。

インドで拓く俳句の新天地
 学生時代から多様な民族の建築に魅せられ、世界を放浪し視野を拡げてきた芹沢雄太郎さんの膂力に瞠目し続けている。彼がご家族五人で御殿場を出郷し、三十代半ばで東京を本社にもつ建設大手に再就職し、インドの大都市で巨大プロジェクトの現場監督を任されるまでを樸代表として身近に見聞きしてこられた幸せを思う。盆暮れもない責任重大な仕事をこなしながら投句を欠かさない胆力にも脱帽している。昨夏久々に帰国した北海道で得た、〈ソーダ水越しに種馬あらはるる〉の一句には驚倒させられた。インドの大地のあざやかな色彩と力動感がはやくも俳人雄太郎の骨肉と化している。句柄の勁さ大きさは、この世代で一頭地を抜く。本邦初のインド句集の誕生を首を長くして待っている。
恩田侑布子
猪狩みき

  姉妹してイソギンチャクをつぼまする

  高原の蜻蛉われらの在らぬごと

  わからなさ抱へ続けて春夜かな

抱えつづけるものは?
 本を読むのは⼩さいときから好きだったが、いつからか⽂芸は⾃分に向かないものと感じるようになっていた。恩⽥先⽣の『余⽩の祭』を読んで、なぜか俳句をやってみようと思い⽴って今⽇に⾄る。詩⼼とは? 季語の持つ⼒は? ⾃分の作りたい俳句とは?・・・いろいろなことが⾃分の中でだんだん曖昧になり,その曖昧さが今までになく増した今年だった。その曖昧さを解消することに向かうエネルギーを来年はもちたいと思う。簡単にわかったと思うことは避けながら。

大きな視座を持つ
 福島浜通りにふるさとを持つ猪狩みきさんは、教育畑で世界を股にかけて青少年を育成された大変な読書家でもある。したがって投句作品は、予想をいい意味で裏切ってくれる。ええっ、この句の作者なの、とよく驚かされるのである。〈イソギンチャクをつぼまする〉姉妹の句には少女時代の豊饒な自然体験が噴き出し、生のエロスの領域にも新たに踏み出そうとしていて、今後が頼もしい。
恩田侑布子
林 彰

  狼の交はす遠吠え共和国

  空中停止(ホバリング)八丁蜻蛉千里眼

  フェラーリと競ふdB(デシベル)セミの声

奇想の俳⼈を⽬指して
今年の作品で、敢えて、評価されなかった3句です。
「狼」は、かつて4年を過ごした、北⽶の合衆国の昨今を詠んだもの、南⻄部では、よくコヨーテをみかけました。
他の2句は、対象の⼤⼩のギャップを詠んだものです。

名古屋の羅漢さん
 どんな俳句を作られるかも予想がつかないし、林さんからどんな反応が来るかも予想がつかない。短パンにTシャツで新幹線に乗って来られる飄々とした方。私としては行雲流水の白雲を見上げるここちだ。精神科医であるだけに、人のこころの諸相に対して柔軟なのだろう。それはご自身のこころに対しても。だから、句幅が広い。そのユニークな句境を一冊の本にまとめられるまで伴走させて頂くのが楽しみである。
恩田侑布子
見原万智子

  節くれた祖父の手に入る夕螢

  ソーダ水いつか会へると思ふ嘘

  穭田の真中の墓やははの里

さびしいのがお好き
 汚家(おうち)になる前にと始めた書類整理が、かなりキツい。封印していた過去は実績とは言い難いものばかり。何ひとつ成し遂げないで歳をとった……そもそも何をするために生まれてきたんだっけ?
 投句の締切りが迫ってきた。いまの気分を文字にしても、誰が読みたい? ん? 始めに読み手ありきは、おかしいな。いや、俳句は読んでもらって完成する。せめて「あかるさびしく」作れないか…そう、作る。
 あ!「何をするために生まれてきたのか?」じゃなくて、「いまどう生きたいのか?」なのか!

心優しく、頼り甲斐大の妹
 見原万智子さんは、樸編集委員の屋台骨をずっと担ってきてくださった。その前には拙著『渾沌の恋人』と『星を見る人』のおうち校正の、三人寄れば文殊の知恵でいらした(坂井さんと島田さんも)。高校の後輩ということもあり、ついついご厚意に甘えてしまう。あまりにも正直でうそがないから安心していい気になる。私は悪い先輩だ。心の清らかな人の常で、自慢我慢の煩悩がない。でも、自分の俳句に自信を持つのは善法欲の一つと思う。本年の収穫三句も万人の胸に響く普遍性がある。〈夕螢〉が〈節くれた祖父の手に入る〉のを静かに見届ける眼差しはしみじみと優しい。どの句にも万智子さんの人間性の証明がある。文は人なり。俳句もまた。卑下されず、自信さえお持ちになれば本格俳人として大成する資質を備えている。
恩田侑布子
 
島田 淳

少年時代との対話
 昨年は句会参加どころか後半は投句もままならなかった。平日は朝から夜まで仕事。日曜日は家人と一緒にイベントに出店。毎日チャンバラに明け暮れているようなものである。これでは季節を感じるどころの話ではない。ところで、過去に恩田先生に取っていただいた愚句を思い返すと、少年時代の経験に想を得たものが少なくない。これは、その当時が多感な年齢だったという理由だけではないように思っている。それに加えて、時間の経過と人生経験の蓄積により、自分の当時の喜怒哀楽が他者のそれと響き合うように熟成されたからではないだろうか。恩田先生の著書の言葉を借りれば「全人的な『垂鉛』の深みからゆらぎ出ることばは、意味以前の共通の地下水脈で万人につながろうとする」(『星を見る人』四十頁)。故郷・静岡に向かう新幹線の車窓は目まぐるしく景色を変える。しかし、遠く見る富士山はその姿を変えず、人々に様々な感興を呼び起こす。自分の少年時代と対話し、自分の心の奥底に測深器を真っすぐ垂らす事は、自分の中の富士山を見つめる事なのかも知れない。目の前の現象の散文的な「意味」に拘泥せず、俳句を通じて「共通の地下水脈」を探り当てられるよう精進したい。

 
前島裕子

  雪解しづく青邨句集繙けり

         澤瀉屋   
  千回の宙乗りの果て春夕焼

  帰りぎは「またきて」と母白木槿

吟行句会
 zoom 中心の句会になって久しい樸句会、年四回リアル句会が行われる。その内の二回は吟行句会で、今春は東京に出かけ浅草から隅田川を下り浜離宮へ、そして新橋で親睦会。
秋は静岡の洞慶院と杓子庵で行われました。
 画面での仲間とリアルにおしゃべりしながらの、吟行句会は楽しく新鮮でした。次回の吟行句会はどこなのか。外へでるのも楽しいのですが、みなさんにお会いできるのがいいのです。

仁の俳句は孝行から
 岩手県の長寿のご両親のもとに毎月新幹線で通われ、何くれと孝養を尽くしてこられた。その姿と俳句に接し、人倫の基本は親孝行にあることを教えていただいた。百歳近い円かなご両親との長い縁は、わが境遇とは反対だが、前島裕子さんの俳句によって心温まる擬似体験をさせてもらい不思議に癒されている。いい俳句は羨望という低い感情を引き起こさず、成り代わりあう安らぎを与えてくれる。雪国で長じた方の感性の清らかさは〈雪解しづく〉にも凛と応える。歌舞伎にも詳しく、季語の斡旋が盤石。これは地に足がついた俳人格である。
恩田侑布子
金森三夢

  獅子舞に灘の菰樽嚙ませけり

  立葵スカイツリーと背比べ

  うぐいすもち都々逸唸り頬ばりぬ

世界地図⼀筆書きし雪の富⼠
 昨年の夏に癌の⼿術をしました。術後の経過は順調です。そんなこともあり、⾏けるうちにと、三か⽉半で⾚道を四回巡るという冥途の⼟産クルーズに出かけ、何とか無事帰還しました。
 出発前は海外詠にチャレンジと⼤⾵呂敷を広げておりましたが、短期間で季節が夏、春、夏、春、夏、秋、冬、秋、夏そして冬と⽬まぐるしく不規則変化したため、季節感覚が⾒事にぶっ壊れました。今年も半年しか句会に参加しておりません。連衆各位の珠⽟作品集の⽟に傷のような句で⼤変恐縮ですが、末席を汚します。

情に厚くて料理上手
 静岡高校四年先輩の⾦森三夢さんはとにかく面倒見のいい親切な方。昭和生まれの静岡市民なら知らぬ人のない「美濃屋」本店のご子息。若い頃から文学を愛好され、はやばやと生前葬で散文集も配られた。この分でいくと、お元気に第二の生前葬では第一句集を配られるはず。〈スカイツリーと背⽐べ〉する立葵のけなげさは三夢さんの目に掬いとられたもの。「男はつらいよ」に何十回何百回も親しまれ、俳句にもどこか寅さんの温もりが感じられる。
恩田侑布子
古田秀

  街棄つるやうに遠足出発す

  ぼうたんや達磨大師の上睨み

  ギターの音川面に溶けて爆心地

美術館
 俳句を始めて美術館に行くことが多くなった。今年のベストは東京都現代美術館で開催された「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」。作品を通して感じられる思想の熱量や創作にかけた時間において、質・量ともに圧倒された。転職して生活はよりハードになりそうだが、来年も展覧会や旅行にでかけたい。他者の精神と出会うことの感動をもっと掘り下げていきたい。

ドラマチックな充実の年
 古田秀さんが樸に入ってこられた初対面の情景はいまもまぶたにくっきりと刻まれている。スマートな切れ味鋭い秀才の面持ちに、なにか尋常ならざるものを感じた。それが、まだ四年足らずで現実のものとなり、驚くほかない。わずか一年半目に、文學の森の「北斗賞」准賞をものしたと思ったら、翌年は全国俳誌協会第4回新人賞を射止め、昨冬には「俳壇賞」候補作で、すごいと喜んでいたら、年末にはなんと、「北斗賞」正賞の吉報に接した。打てばひびく感能力の上に大変な努力家でもある。創薬研究職の多忙にありながら、樸句会は皆勤賞といっていい。知的でソリッドな句が得意だったが、ここへ来て〈ぼうたんや達磨大師の上睨み〉のような大人の風格のある句もできるようになった。長足の進歩に、益々将来の俳壇を担う期待大である。
恩田侑布子
益田隆久

  滴りや月は地球のひとりつこ

  鬼の子へ背中どちらと風の問ふ

  マリンバの着信音や水澄めり

毎日の定点観測
 12 月 20 日午前 6 時 48 分。
石廊崎の先端から日の出。新島と神津島がくっきり。海上に雲一つ無い朝は 365 日、1 日あるか無いか。
365 日欠かさずこの場所、時間にいるからこそ出会える瞬間。
蓮華寺池公園古墳 28 基の丘。標高 110 メートル。
暁を見ながらのラジオ体操。一緒に平日は 7 人。土日は 14 人。
名前は知らなくとも皆友達のような感覚がある。
毎日同じ人に同じ時刻に坂道ですれ違う。挨拶を交わしつつ。
山だからだろうか。この連帯感。人だけで無く、木々、鳥、虫にも。
 草々の呼びかはしつつ枯れてゆく  相生垣瓜人
 頂上や殊に野菊の吹かれ居り      原 石鼎
 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして  飯島晴子

不思議な持ち味の俳句
 温和な人柄に鋭い感受性を潜め、半分とはいわないが、四ぶんの一くらいは仙人である。岩や草の〈滴り〉の小さな雫から、一足飛びに〈地球のひとりつこ〉としての〈月〉を思うとは常人ではない。時々、この人には自然に幻視の瞬間も訪れるのであろう。蓑虫が 本当に小さな〈鬼の子〉に思われてくる。益田隆久さんの句の不思議な持ち味は、朝なさな若王子古墳群の地霊を吸収するところにもたらされていることを知った。長い時間のスパンを視野に俳句鑑賞や評論にも、今年は挑戦を始めていただきたい。
恩田侑布子
 

のし餅やしなり据ゑたる柾の板 恩田侑布子(写俳)
活洲みな⼦

  千百段昇りきりたる淑気かな

  獅子舞に噛まれしと児のよく喋る

  もういいかい風船一つ残されて

季語の世界
 私は季語が好きなのかも…しれない。暖かな部屋で、カフェオレなんか飲みながら⼤歳時記をひもとく時間は⾄福だ。辞書のような解説や古典の説明が多い中、読み物のように季語の世界が広がる⽂章の解説者もいる。だから、[飯⽥⿓太][⼭⽥みづえ]などの名前に出合うと、そこから句を作りたいなあと思う。
 令和6年も樸で素敵な季語の世界を楽しませてもらった。その中で最新のお気に⼊りは、
師の「月光のうらがへしても⿊き髪」。 ⾊っぽいもの。

あらきの姉
 活洲みな子さんは誰からも信望の篤い方。そのゆたかな人間性にわたしも人一倍信を置いている。長年、教育者として培われてこられた慈愛が、定年後の今、地域での弛みない福祉活動とともに、俳句にも向いておられることは誠に頼もしい。昨年『俳壇』に、樸を代表して七句を発表された。〈獅⼦舞に噛まれ〉て興奮している童心の清らかさはそのままみな子さんの笑顔を思わせ楽しくなる。静岡の人らしい謙遜家でおいでだが、対外的にもどしどしご活躍いただきたい。
恩田侑布子
小松 浩

  鯛焼のしつぽの温みほどの恋

  象徴といふ五体あり建国日

  帰国便釣瓶落しの祖国かな

キョンキョン
 キョンキョンこと小泉今日子さんが、演出家の久世光彦さんから「芝居も文章も、うまさの先には、あまり広い世界はありません」と言われたことを今も大事にしている、と話す記事を読んだ。俳句も一緒かな、と思った。上手に詠みたいと表現に工夫を凝らし、とりあえず型通りの句ができたとしても、そこで終わり。作者の内側から溢れる詩の感動の力が欠けていたら、誰の心にも残らない。古本屋で手にした饗庭孝男さんの本には「思いつきで俳句は詠めない」とあった。人生に対する自分の態度と詠む対象が、いかに深く共鳴しあうか。新年は、作句の前に自分の生き方を見つめ直したい。

都会のミステリアス
 二〇二二年八月六日の毎日新聞で拙著『渾沌の恋人 北斎の波、芭蕉の興』は、渡辺保氏の「斬新な日本文化論」という身に余る書評に浴した。小松浩さんはそれで初めて恩田を知り、翌月はやばやと樸の仲間になってくれた。何と、当年三月まで毎日新聞主筆をお務めだったという。組織ととんと無縁の私は、入会この方の二年四ヶ月、静かな驚きを与えられてきた。三大新聞の現場トップといえば、デスクの上の上。デスク風だっておっかないだろうに、なんともソフトで生真面目。「チッチとサリー」のサリーみたいだ。私はステータスに遠慮のない人間で、ずけずけ批評する。高校生みたいにZoomの向こうで必死にノートを取られる。「三年はがまんしてください」とほざいたのが今は恥ずかしい。みるみる俳句の骨法を習得され〈鯛焼きの〉ペーソスあふれる恋の句から、天皇の〈五体〉を通して日本文化に迫り、定型の韻律に没落する〈祖国〉まで憂えるようになられた。樸編集長を二年務めていただいたのは出来過ぎで、某大学の理事で多忙を極めるいまや、精力的に投句を欠かさないことにも脱帽。よくできるなあと、もはやミステリアス。
恩田侑布子
 
中山湖望子

  鮎天や上司の語りほろ苦く

  獅子舞の鈴の音届け能登の海

  玄月や薬師の湖(うみ)の水澄まむ
 

岸裕之

  家中の蛇口磨きて春うらら

  火矢浴びて手筒花火の仁王立ち

  ラ・フランス初体験の裸婦写生

《今思ふこと》の続き
昨年のこの欄に、⾃分は代々の漆塗り職⼈を継がなかった負い⽬で、せめて俳句は職⼈の美学である「粋」な俳句でも作ろうと書いてしまった。結果今年は⼀句もそれを果たしてない。なぜ、⾊々考えた。で、「粋」な俳句を作ろうなんてことが野暮なはなしだと気がついた。「粋」は結果であり、⼈様が判断するものである。作ろうとしてつくるものでなく、できちゃった位が良いところだ。⾼点句もそうじゃないのかな。だから、宝くじに当たりたけりゃ、当たるとお⾦が貯まっちゃって困るという⼼境になったら、買いなさいと進めている。

慈眼と炯眼
 傘寿にして俳句の門を叩かれた。初心とおっしゃる。暦年齢よりずっとお若いお姿。いち早く存在感を示されたのは合評である。豊富な人生経験が熟成され、言葉の端々まで香ばしい。どうしたらそんな洒脱な心境に至れるのかといつも思う。あせらずあわてず、粋がらずか。飛んだ句も作られ、驚かされることもあるが、ちかごろは実直で独自の味わいが出てきた。慈眼に見守られながら、私は彼の目を畏れている。
恩田侑布子
坂井則之

  孝足らず過ぎていま悔ゆ敬老日

  二度わらしの母を誘ひて庭花火

  令和とやコンビニおでん楽しみて

初心者の苦闘続く
樸に加えて戴いて2年目でしたが、相変わらず苦闘しています。
先生から再三ご指摘いただいたこと[頭の中が散文支配である]が、どうにも直りません。見たもの・聞いたことからの想像が膨らまず、日常や追憶を不出来に語る域を出られていません。
もっと大きな柄の句が詠めるように。先生の句を見習って、と思いますが、道遠しの感が大であること変わりません…

脱皮する妙境
 散文思考から抜けられないとはご謙遜。たしかに最初の一年半はどうなるかと興味津々だった。国会図書館や朝日新聞本社の校閲という超お堅い職業人としての論理的思考から、恩田のどこへも飛んでゆくいい加減さを教唆して果たしてよかったのか、悪道に引き込んだのか。唆されて今回、二年目後半の三句にはすでに、坂井則之という俳人の刻印が捺されるようになった。これはすごいこと。小器用な人間が逆立ちしたってできないことだ。どの句にも実直さ、心のしんじつがあふれ、胸を打たれる。御母堂の看取りのために東京本社を早期退職され故郷に帰られたのに〈孝足らず過ぎていま悔ゆ〉とは。〈二度わらしの母を誘ひて〉された庭花火のひかりと闇は、俳句という詩そのものの地べたの懐かしさに満ちる。
恩田侑布子
成松聡美

  浅利吐く砂粒ほどのみそかごと

  はうれん草湯掻く間に決める明日のこと

  問診票レ点と秋思にて埋める

枕上
 良いアイデアが出る場所は「三上」だと言うが、皆様はどうだろう。私の場合、季語に出会うのは犬の散歩で、十七音が浮かぶのは庭仕事の最中と決まっている。ただ、枕の上は確かにある。明け方、不意に目が覚める。慌てて言葉が逃げて行かぬよう、何度も反芻し、指を折って音を数える。
 早朝の目覚めは、現役の頃にもよくあった。大抵は役所の監査や重要なプレゼンの前だが、句作で飛び起きるのは仕事に追いつめられる感覚とは異なる。もっと伸びやかで、楽しい驚きだ。暁のひらめきの大半は夢の切れ端に過ぎず、句として成り立つことは殆どないが、生業でもないことで布団を蹴って起き上がるのは、存外悪くない。

発想の飛躍と現代性
 成松聡美さんはとても個性的な方。奇抜な発想と、強い感受力でインパクトのある俳句をつくる。まだ入会して一年だが、みるみる腕を上げて、入選句や高点句が集中する回まである。天性の閃きを大切に、独りよがりにならない句をつくれば、どこまでも伸びてゆかれるだろう。〈はうれん草湯掻く間に決める明日〉は、細見綾子の「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」のいかにも日本の理想的な女性らしさの身振りを吹っ飛ばして爽快。
恩田侑布子
長倉尚世

  テトラポッド一つに一羽冬鷗

  愛想なきパン屋の主春の雲

  投げ銭の帽子の歪み秋の暮

俳句を始めた理由
 コロナ禍に鬱鬱としていた頃、追い打ちをかけるように声が出なくなった。
そんなある日、バス停でバスを待っていると、突然俳句が降ってきた。
   バスを待つ等間隔や秋の暮
すぐに書店で俳句入門の本を買い求め、独学で二年ほど俳句を作っていたが、当たり前に行き詰まって
恩田先生の門をたたいた。樸に入れていただいて、ちょうど1年になる。
あれ以来、俳句は降って来ない。一句作るのにあきれるほど時間がかかる。
それでも、これからも俳句を続けていきたいと思う。

俳句眼と語感の鋭さ
 二十年務めたSBS学苑「楽しい俳句」講座の最終年に入会された三羽烏のお一人。それぞれに頼もしいが、長倉尚世さんはものと対峙する観察眼が半端ではない。聞くと、「小半日見ていました」という答えが返ってくることもある。独学期間を含め、まだ三年なのに、一字一句を揺るがせにしない句を作られる。〈投げ銭の帽子の歪み秋の暮〉は静岡市の一大イベント大道芸を素材にするが、よくもあの騒々しさの中で、この詞藻のしじまに届いたものよと感心する。じっくり腹を据えて取り組まれるのは大器の証拠。
恩田侑布子
星野光慶

  ビル風の奥底に聴く笹鳴よ

  うつくしき数式の果て原爆忌

  生も死も満ちし本棚秋の蝉

芽吹きの瞬間
 生涯一編集者の松岡正剛は、三浦梅園の「一即一一」の考えを重視していた。「一」には “そのもの”(one)とそれに触発された“もうひとつの一”(another)が潜在しているのであり、その another から one に眼差しを向けることが重要なのだという。この眼差しから新たな世界像が立ち上がってくる。
私の本棚には生者と死者の生がうごめいている。松岡さんの訃報に接し、彼そのものである著作の数々を another になった眼差しを感じながら読んでいる。

 近江ARSが機縁となり、今年の初めから俳句を始めてみた。
駄句しか読めない私にとって、選句とは、するのもされるのも恐ろしいものだが、一句にはたくさんの another があることに気付くことはできた。まずは作者の目があり、そこに選者たちの様々な世界観や視線が投げかけられ、重なり、その一句は新たな装いを見せる。そんな芽吹きの瞬間に立ち会うのは面白い。

読書の果実を結晶させる刻
 星野光慶さんとは冬の長浜、近江ARSのあったかい湯気の立つお汁粉会場で出会った。城下町の夜道を駅まで歩いて、息子世代の今時めずらしい好青年と思った。素直でやさしい。そのデリケートで透明な感性は〈ビル風の奥底に〉笹鳴を聴き澄ます。松岡正剛さんの元で「守破花伝」まで学び卒えた勉強家でもある。私は彼のしなやかな俳句の将来性も高く買うが、俳句評論にも大いに期待する。選句時のリアルを上記のように、作者の目と、選者たちの「様々な世界観や視線が投げかけられ」ることで生まれる「新たな装いを見せる芽吹きの瞬間」と捉えられる人は稀少だ。すでに詩人のたましいが震えている。
恩田侑布子
山本綾子

  君くれしボタンを吊りて星月夜

  剥く音のよこで噛む音長十郎

  水澄むやさんさ太鼓の天に舞ふ

日々
 当たり前のようにある日常をいかに大切に過ごすか。人生の指針と決めている。
昨年始めた俳句。誰に語るでもなく温めた思いが十七音となって自分を離れる。
「恩田侑布子の弟子である」。いつか胸を張って言えることを新たな目標に加え、これからも日々を愛でていこう。

蒼穹の歌が聞こえる
 山本綾子さんはSBS学苑「楽しい俳句」講座を閉じる直前に巡り会った三羽烏の最年少。作品にも表情にもまだ少女の煌めきが残っている。その詩性のまぶしさは春先の青空を思 わせる。初恋の君がくれた〈ボタンを吊りて星月夜〉のボタンは、聖樹の星よりも清らか。句会での合評も、綾子さんの評は言葉にツヤとひかりがある。水の綺麗な長泉町のお生まれだからだろうか。一生俳句を続ける覚悟を表明してくれた。綾子さんの俳句の達成を見守れるよう健康でいたいという励みをもらった。
恩田侑布子
馬場先智明

  秋深き一夜一生の夢を見し

  帰り花生きるに遠慮がいるものか

  冬の虹階をゆく御魂かな

ジャーナリストは俳句が苦手?
 もちろん例外はいる。けれどジャーナリストが俳句に向かないというご指摘には深く頷く。仕事柄、彼らは絶えず世の中の動向や変化を見逃さないように高感度アンテナを張っていないと飯の種にありつけない。古今集序にある「人の心を種として」ではなく、「世間の出来事を種」として言葉を捜す悲しき売文業なのだ。つまり“他人事”で生きている。それが身についてしまえば、自分の内側から湧き上がってくる声も聞こえなくなってしまう。わかってはいるけれど、ジャーナリストになり損ねたという残心はなかなか消えてくれない。

短歌の滋養を俳句に止揚せよ
 馬場先智明さんは早稲田オープンカレッジの「初めての楽しい俳句」講座夏学期で初めてお会いした。 拙著『星を見る人』を高田馬場の芳林堂で立ち読みし、止められず買って帰り、都内で仲間と読書会をしていたと恩田を泣かせることを言ってくださり、講座生の自己紹介できわめて印象鮮やかだった。ワンクール卒えるやさっそく樸に入られた。早稲田文学部の同学年とあって、気兼ねがない。ただ短歌と並行で Zoom句会は半分だけ出席。そこをなんとか全出席されたい。短歌は青春の文学。俳句は「東海道のひと筋を知った」老成の文学。〈冬の虹階をゆく御魂かな〉の虚実混淆のやや短歌的まなこのとらえたリリシズムを俳句の燻銀に変えられたら大成の可能性は広がるだろう。
恩田侑布子
 
都築しづ子

  痛む身の杖の先にも菫かな

  喪帰りやなんじゃもんじゃの白に座し

  身ごもりて強き眼差し聖五月
 
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※ 提出期限に間に合わなかった作品には恩田代表の個人評はありません。

ひとりぼち日向ぼこりの味がする 恩田侑布子(写俳)