2022年11月6日 樸句会報 【第122号】 ZOOM句会も3回目。参加者もこの形にだいぶ慣れてスムーズに句会が進むようになりました。兼題は「露霜」「文化の日」「唐辛子」。合評を交わすうちに、晩秋の空気をより感じられるようになった時間でした。 入選2句(2句とも同作者!)、原石賞5句を紹介します。 ○入選 露霜を掠めて速きジョガーかな 小松浩 【恩田侑布子評】 ゆっくりと朝の散歩道を歩いていると、背後からザッザッザッとジョギングの人に追い抜かれた。道端の草に置いた露霜など、意に介さない軽快なフットワーク。なんという速さ。たちまち取り残される。夜毎の露霜に磨かれた蓼の葉は色づき、芒はそそけてわら色だ。走る人には見えないものを、これからはじっくりと味わっていこうと思う作者である。 ○入選 古書市の裸電球文化の日 小松浩 【恩田侑布子評】 神保町では文化の日を挟む旬日、古書市が開かれる。毎年楽しみにしている作者は、収まらぬコロナ禍をついて出かけた。永年馴染んだ書肆から書肆を回っていると、あっという間に日が暮れた。店前からあふれた露店に裸電球が点りはじめる。まだまだ見たいものがある。 調べものもニュースも、あらゆる情報を電子画面から得る時代にあって、昭和の紙の文化への哀惜は深い。仮設の電線に宙吊りになった裸電球が、失われてゆくアナログ文化を象徴し、2022年の文化の日を確かに17音に定着させた。地味だが手堅い句である。 【原石賞】天を突く小さな大志鷹の爪 活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 畑の鷹の爪をよく見て、そこから掴んだ詩の弾丸は素晴らしい。表現上の瑕疵は「小さな大志」という中七にある。また「天」を目にみえる晩秋の高空にできれば、さらに句柄が大きくなる。 【添削例】蒼天を突くこころざし鷹の爪 【原石賞】露霜を摘まんで今朝は始まれり 望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 露霜といえば、見るものであったり、踏んだり、歩くものであったりと相場が決まっている。この句がユニークなのは、かがみ込んで摘まんで、しかもそこから今日を始めたこと。「今朝は始まれり」ではやや他人事っぽいので、さらに主体的にしてみたい。 【添削例】露霜を摘まんで今日を始めたり 【原石賞】小さき露となりても消えぬ母心 海野二美 【恩田侑布子評・添削】 目の前の露となって、母の心が語りかけてくるとする感受が素晴らしい。でも、露といえば小さいものだし、「なりても」少しくどい。そこで、それらを省略し、「消えぬ」という否定形を「います」と顕在化してみたい。 【添削例】露となりそこに坐すや母ごゝろ 【原石賞】爪先で大地を掴み秋の雨 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 一読、インドの大地に降る秋の雨を想像した。そこに裸足同然に立つ人の姿も。「爪先」は女性的なので「足指」と力強くしたい。「大地を掴み」はひっくり返すと切れがはっきりする。 【添削例】足指で掴む大地や秋の雨 【原石賞】秋風や掌の色みな同じ 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 白、黄色、黒という皮膚の色の差はてのひらにはないという発見が出色。そこに斡旋した「秋風」をさらに一句全体に響かせるためには季語以外をひらがなにしたい。そうすると、地球上に隈なく秋風が吹き渡り、人類の手のひらや身体がひとしなみに草のようにそよぎ出すのでは。 【添削例】秋風やてのひらのいろみなおなじ 【後記】 「文化の日」という兼題は、とても難しい題でした。「文化」という語の抽象性のせいでしょうか。合評中に「文化、福祉、愛というような言葉には”はりぼて感“を感じてしまう」という発言があったのがとても印象に残っています。その語に”はりぼて感”を感じさせないような、実のある、実感のある使い方を見つけることが必要なのですね。抽象語を好み、使いたがる私には大きな宿題です。 (猪狩みき) ...
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あらき歳時記 神の留守
恩田侑布子代表講演「『渾沌の恋人 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き (10/29)」を聴いて
樸会員 前島裕子、島田淳の聴講記 北斎の画中の人になりかわって 十月二十九日。延期になっていた現代俳句講座−『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』より、名句そぞろ歩き−に出かけた。 久しぶりの東京、新幹線、山手線、地下鉄、都電と乗りつぎ、ゆいの森あらかわへ。 そしてそこに足を踏み入れたとたん、驚きです。大きな図書館、こういう所はテレビでは見ていましたが実際に入るのは初めて。一階にホール、二階には吉村昭の文学館、エレベーターで三階につくと目の前に現代俳句センターが。天井までの書架に句集がびっしり、俳誌もたくさんある。あわただしく館内を一まわりして会場へ。 「ゆいの森ホール」が会場です。正面の大スクリーンに今日のタイトルが写し出されていた。いよいよ先生の講演が始まり、進行して北斎の話になると、スクリーンに「富嶽三十六景」より、「青山圓座松」「神奈川沖浪裏」「五百らかん寺さざゐどう」が次々大写しになった。おいおい本物はB4サイズよ、両手に持てて、じっくりながめるのがいいのよ。こんなに大きくして持てないよ。 いや待て、これだけ大きければ舟にも乗れる笠をかぶった坊やの後からついていける、欄干にも立てる。これが入れ子、なりかわり、なのか。一人スクリーンの中に入りこんだような不思議な気持ちになりました。 今でもあの三枚の浮世絵の大写しが、目にうかんできます。 また質疑応答のコーナーでは思わず「是非樸に見学にいらして下さい」とさそいたくなる場面もありました。 講演が終わり、聴講できた興奮と充足感。 そこもだけど、ここをもっと聴きたかったというところもありましたが、講演できいたことをふまえ、再度読み、深めていこうと、思いながら帰路につきました。 ありがとうございました。 (前島裕子) 「第46回現代俳句講座」(主催:現代俳句協会)に参加して 今年8月6日の毎日新聞書評欄で、演劇評論家の渡辺保氏は恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』の書評を、「斬新な日本文化論が現れた」の一文から書き起こしました。そして、著者による名句鑑賞を引いて、「近代の合理的な思考から、日本文化を解放して」「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」と述べています。 今回の講演は、日本人の美意識の源流を辿る壮大な物語のエッセンスでした。 主体と客体が「なりかわる」描写、単一の意味でなく多面的な「入れ子構造」、『華厳経』の蓮華蔵世界さながらのフラクタルな世界観。こうした日本人の美意識を、俳句にとどまらず葛飾北斎の浮世絵、近代詩、万葉集から古代中国の「興」へと自由に往還しながら説き明かしていきます。 「興」に淵源を持つ「季語」によって詠み手と受け手の間に共通のイメージが広がり、「切れ」によってそのイメージを自分の現在ある地点に結び付ける。こうした構造がある事によって、俳句はたった十七音で詩として成立するのだと得心できました。 『渾沌の恋人』は、自宅そばの猪の描写から古代中国の『詩経』へなど、現代から一気に過去の時代に跳んだりする場面が多くあります。最初は戸惑いましたが、こうしたタイムワープが可能なのは、おそらく現代は古代と切り離されたものではないからなのでしょう。古代人の感情が現代のわれわれのそれと大きく隔たってはいないからこそ理解可能なのであり、それを仲立ちするのが「興」にルーツを持つ「季語」なのでしょう。言い換えれば、風土に根ざした共同体の共通認識だからこそ、時代を超えて受け継がれていくのだと。 また、古今の名句を声に出して詠むことの素晴らしさ、大切さも再認識しました。「五七五(七七)定型は、日本語の生理に根ざした快美な音数律」とレジュメにありましたが、実際に古今の名句を耳から聴くことでそれを実感することができました。 階段状のホール最上段でも聴きやすい明瞭な発声、落ち着いた抑揚、「切れ」をきちんと意識し微細な緩急のある速度。五音七音の調べに身を委ねる心地よさは、定型の俳句が紛れもなく十七音の詩であることを身体感覚として理解させてくれました。 講演終了後、冒頭に引用した渡辺保氏の「目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞く思想を養う」という文章を思い出しながら、夕暮れの町屋駅前に向かったのでした。 (島田 淳)
9月4日 句会報告
2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。 兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選 花すゝき欠航に日の差し来たる 古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 病中のことは語らずマスカット 活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。 【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと 小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄 【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう 【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒 猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう 【原】 深刻なことはさらりと花薄 活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき また、今回の例句が恩田によって紹介されました。 秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ 星野立子 白川西入ル秋灯の暖簾かな 恩田侑布子 たよるとはたよらるゝとは芒かな 久保田万太郎 新宮の町を貫く芒かな 杉浦圭祐 わが恋は芒のほかに告げざりし 恩田侑布子 葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男 【後記】 夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。 (古田秀) ...
8月24日 句会報告
2022年8月24日 樸句会報 【第119号】 今回の兼題は「残暑」「流星」「白粉花」――今回は念願のリアル句会で、さらに恩田より今回1名、次回1名、計2名の新入会員のお知らせがありました。新しい息吹のちからで、ますます句会が熱を帯びてくる気配がします。そのおかげもあってか、特選・入選・原石賞が生まれる豊作の句会となりました。 特選2句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選 初戀のホルマリン漬あり残暑 見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「残暑」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 斎場へ友と白粉花の土手 島田 淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「白粉花」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 点滴をはづせぬ母の残暑かな 猪狩みき 【恩田侑布子評】 入院して日が浅いわけではないことを季語が語っている。長い夏のあいだじゅうじっと入院生活を耐えてきたのに、秋になっても、法師蝉が鳴いても、まだ刺さっている点滴の管。母の痩せた身体に食い入っている針を今すぐはずし、手足をゆったり伸ばしてお風呂に入れてあげたい。しかし、食が細っているのか、「はづせぬ母の残暑」。共感を禁じ得ない句である。 【合評】 もどかしさ、鬱陶しさが季語と響き合います。 【原】逢坂はゆくもかえるも星流る 益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸」の本歌取りの句。惜しいことに「は」でいっぺんに理屈の句になってしまった。しかも句末の動詞で句が流れる。流さず、一句を立ち上がらせたい。 【改】逢坂やゆくもかへるも流れ星 【原】残暑をゆく壊れし天秤のやうに 古田秀 【恩田侑布子評・添削】 上五の字余りと句跨りは疲れた心身の表現だろうか。気持ちはわかるが、このままでは破調の句頭だけが目立ち、中七以下せっかくの詩性が押さえつけられてしまう。「残暑」の中をえっちらおっちら「壊れし天秤のやうに」ゆく、よるべない思いと肉体感覚は素直なリズムに乗せ、臍下丹田に重心をおきたい。残暑が逝くのと、残暑の中を自分が行くのと、ダブルイメージになればさらに面白い。 【改】残暑ゆく壊れし天秤のやうに 【合評】 うだるような残暑の中を辛そうに歩いている自分(もしくは他人)の姿を「壊れし天秤」と表現したのが新鮮です。 【原】同じこと聞き返す父いわし雲 前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 晩年の笠智衆を思い出す。少しほどけて来ていても、どことなく憎めないいい感じの父である。「聞き返す」は「同じこと」なので、少しつよめた措辞にすると調べも良くなり、すっきりと「いわし雲」が目に浮かんでくる。 【改】一つこと聞き返す父いわし雲 【合評】 人生の終盤を迎えた父親。同じことを何度も聞き、何度も話しているように見える。それは父がその都度大事だと思った事を新たに問い、噛みしめているのかも知れない。 また、今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。 残暑 秋暑し癒えなんとして胃の病 夏目漱石 口紅の玉虫いろに残暑かな 飯田蛇笏 佐渡にて 膳殘暑皿かずばかり竝びけり 久保田万太郎 流星 星のとぶもの音もなし芋の上 阿波野青畝 流星や扉と思ふ男の背 恩田侑布子『イワンの馬鹿の恋』 白粉花・おしろい おしろいや屑屋が戻る行きどまり 佐藤和村 おしろいのはなにかくれてははをまつ 恩田侑布子『振り返る馬』 【後記】 筆者は現在インドに在住しており長らくリアル句会には参加できていません。ですがこうやって月に2度、会員の俳句をじっくりと読むことで、ある意味家族以上に近い存在に思えてくるから不思議です。インドで生活しながら、そんな俳句の力をしみじみと感じています。 (芹沢雄太郎) ...
4月3日 句会報告
2022年4月3日 樸句会報 【第115号】 三月末、ソメイヨシノが満開になったと静岡地方気象台の発表があり、四月一日から三日間行われる静岡まつりにおいては、大御所花見行列も三年ぶりに復活しました。これは徳川家康が家臣とともに花見を楽しんだ故事にちなみ、装束姿で市民らが市街を練り歩くものです。あいにく本日は荒れた天気となりましたが、句会の始まる頃には風もおさまり、駿府城公園より遠からぬ会場に祭りの賑わいが伝わってきました。 入選3句、原石賞1句を紹介します。 ○入選 おほぞらの隅を借りたる花見かな 古田秀 【恩田侑布子評】 花見に行くと花筵をどこに敷こうか迷います。コロナ前の都会では、夜桜見物も午前中からブルーシートの陣地取りが行われたものでした。この句はそうした常識を一変させます。地面ではなく、「おほぞら」を、しかもその「隅を借りる」というのです。「大空」と漢字にしなかったのも神経細やかです。やわらかな春の空気と水色の空、溶けるような花の枝々が目に浮かびます。ほんのひととき、空と花から安らぎを得て、また花なき空に向かうわたしたち。人間は旅人なんだよと、やさしくささやかれる気がします。 【合評】 私などが花見をする時は、ついつい自分たちのグループが世界の中心にでもいるような気分になりがちなので、作者の謙虚な姿勢には目を開かれました。 視点を空に、というところ、俳味もあり、大きな景が心地好い。 ○入選 花月夜影といふ影めくれさう 田村千春 【恩田侑布子評】 「花月夜」は、五箇の景物にかぞえられる花と月を合わせもつ豪奢な季語です。松本たかしに「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」がありますが、むしろ花月夜の影といって思い出すのは、原石鼎の名句「花影婆娑(ばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月」でしょう。たぶん作者の想念の中にある本歌もこの「花影婆娑(ばさ)と」ではないでしょうか。そこに加えた「影といふ影めくれさう」という初々しい発見が出色です。石鼎の漢文調の雄渾さに比して、この句は女性的な口調のやさしさを持ち味とし、溶けてなくなりそうな幻想美がモダンです。たかしと石鼎を踏まえながら、新しい春の感触をかもし出すことに成功しています。 【合評】 「めくれさう」という表現の妙。次に桜の花びらが散る姿を見ると、きっとこの句を思い出してしまいそうです。 感性が先行している。「めくれさう」でなく、もっと言い切ってほしい。 ○入選 掌にのる春筍のとどきたる 前島裕子 【恩田侑布子評】 今年は寒さが長引き雨も少なかったため、筍の表年とは名ばかりです。わが茅屋の竹藪もひっそり閑として、歩いてもまだ気配すらありません。店頭には皮付き筍が眼の玉の飛び出る値段で申し訳程度に並んでいます。そんな折しも、親戚あるいは友人から掘り立ての土つき筍が届きました。茹でて皮を剥くと掌に包めるほどの小ささ。姫皮の肌の柔らかさと可憐さに、料峭の竹林を踏みながら探し当ててくれた筍掘りの名人の姿が浮かびます。 【合評】 嬉しいお裾分けですよね、羨ましい。小さいのがまた美味しいのです。まさしく春のよろこび。 手で大切に包み込みたくなる。「ル、ル」の響きも楽しい。温もりの感じられる作品。 【原】春星を食べ尽くさむとやもりかな 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 面白い、そして新しい句です。家の窓に張り付いている蛾を狙っている守宮が、実は満天の春星を食べ尽くそうとしている。これこそ詩の発見です。しかし、守宮は夏の季語で、日本では春には出ないので、実態に合いません。常夏の国、南インド在住の芹沢さんの作品とわかれば、現地の空に見える星の名前にするのも一法でしょう。あるいは夏の守宮に焦点を絞るほうが、句がイキイキしそうです。 【添削例】星くづを食べ尽くさむとやもりかな 今回の兼題、それぞれの名句が、恩田によってホワイトボードに書き出されました。 雲雀・春の星・花 青空の暗きところが雲雀の血 高野ムツオ 火に水をかぶせてふやす春の星 今瀬剛一 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 虚子 またせうぞ午後の花降る陣地取 攝津幸彦 このうち最初の作品が連衆の話題に上りました。雲雀は垂直に上がり、急降下する、縦方向の動きが顕著な鳥、見ている側もどちらが天とも地ともつかなくなり、切なさを覚えます。恩田は「繰り広げられる詩的現実の緊密さ、これこそが現代俳句」と評しました。 【後記】 原石賞句はインドに赴任した会員の作品ですが、日本とかけ離れた環境に身を置きながら、「水が合った」というにふさわしく、秀句を立て続けに披露しています。考えてみれば、インド洋上を大移動するアジアモンスーンにより梅雨をもたらされる我が国、彼の国とのつながりは深いのでした。「皆さんの花の句を読み、日本に春が来ていることを実感しています。二年前に日本でコロナ禍のため家に籠っていた頃、飽きるほど眺めていたはずの桜ですが、こうやって離れてみると、すぐに恋しくなってしまうものなんですね。また俳句や季語に親しむことで、日本の季節の移り変わりに敏感となるだけでなく、海外の季節にも敏感になれている気がします。これほど自然に目を向け、身体感覚に訴えかけてくる文芸が他にあるでしょうか」とのコメントに、肯くことしきりです。 (田村千春) 今回は、入選3句、原石賞1句、△5句、ゝ6句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 4月27日 樸俳句会 入選句・原石賞紹介 ○入選 サリーごと子ごと浴びたる春の波 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 匿名の数多い作品の中にこの句があれば、国内でサリーを着たインド人とその子を見て詠んだ句かと思い、意味がよくわかりません。しかし四月からインドに赴任した芹沢さんの作とわかればピンときます。「インド着任」の前書きさえあれば、どこに出しても恥ずかしくない特選句になりました。インドの大地が句に大きな息を吹き込みます。サリーの赤や緑の原色を纏う赤銅色の肌と、その胸に抱かれる幼子がともにベンガル湾の春の波を浴びています。たぶん作者もご家族と一緒でしょう。この「春の波」の季語は、従来日本で詠まれたものと違って、大陸の陽光を宿しています。よろこびと生命力に溢れる力強い俳句です。 【原】もづもづと這ふ虫をりて春落葉 益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 春落葉をよくみています。「もづもづと」のオノマトペが出色です。この句は「もづもづと這ふ虫」と「春落葉」ですでに出来上がっています。「をりて」が言葉数を埋めるつなぎめいていて気になります。 【改】もづもづと腹這ふ虫や春落葉 這う虫も春落葉も、春の地面までやわらかに生動しはじめます。 【原】春暑し彼方(をち)に研屋の拡声器 前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 「春暑し」は晩春の季語ですが、地球温暖化のせいでしょうか、近年の日本の春は仲春からこの通り、いきなり夏になるようです。包丁の研屋さんは昔は店を構えていましたが、今は軽自動車からスピーカーを流しっぱなしにして住宅街を回ります。せっかく面白い発見を、無機的な「拡声器」で締めるのは感心しませんし、もったいないです。 【改】春暑し「とぎやァい研屋」近づき来
3月23日 句会報告
2022年3月23日 樸句会報 【第114号】 今回の兼題は「彼岸」「卒業」「青饅」――まさに彼岸のさなかの句会となりました。春分を迎える頃に冷え込むのが常とはいえ三月中旬の寒さは例年以上に厳しく、北日本は豪雪に覆われました。さらに十六日には福島沖を震源とする烈震が発生し、亡くなられた方もいらっしゃいます。被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。 特選句1句、入選句2句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選 富士山の臍まで白き彼岸かな 塩谷ひろの 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「彼岸」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 卒業式音痴の友は右隣 島田 淳 【恩田侑布子評】 清新な希望をうたったり、厳かであったりする「卒業」の俳句としてはかなりの異色作です。卒業式で隣にいる親友が、最後の歌声を張り上げます。またしてもいつもの音痴ぶり、自分もついつられそう。オッと、こいつはもう明日からは隣にはいないんだ。そう気付いた時に、おかしさの中に込み上げる、今日を限りに会えなくなる別れの神妙さ。さびしさと笑いがないまぜになった感情の微妙さ。この「音痴の友」の盤石の存在感はどうでしょう。なんとも人間味あふれる俳句です。 【合評】 調子っ外れの歌も、もう聞けなくなると思うと価値を再認識する。誰よりも仲の良い友人なのだろう。 ただ感傷的なだけではない、こんな切り口で卒業をとらえるとは、面白い。 ○入選 ふるさとをとほざける地震雪の果 前島裕子 【恩田侑布子評】 ふるさとの山河を子どものころのように伸びのびと歩き回りたい、老親と春炬燵を囲んでゆっくりくつろぎたい。いつも胸の底にある願いは、またもや東北を襲った震度六強の地震に打ち砕かれました。三・一一以来、岩手に生まれ育った作者の望郷の念は強まるばかりです。座五に置かれた「雪の果」は、暖国に生まれ育った私には想像を絶します。垂れ込める雪空の長い冬が終わったと思いきや、また冴え返りふりしきる雪。春の終わりを告げる「雪の果」のなんと切ないこと。 【原】卒業歌止み数秒のしじま在り 猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 数多い学校行事のなかで、最もゆったりと進行するのが卒業式。全員起立して歌う卒業歌では、いつものお茶目はどこへやら、感極まって泣く子も少なくありません。その荘重な歌が止んだ後の静寂に思いを寄せる句です。惜しむらくは「止み」「在り」で説明臭が出てしまいました。万人の胸に畳まれた卒業式の講堂の空気感は、まさに「しじま」に任せたいものです。 【改】卒業歌止みたる数秒のしじま 【合評】 そういう雰囲気でした。音が止み、間をおいて次の音が、保護者席からパラパラ拍手が起きたりする。見守る側の優しい視線も感じられる。 その一瞬に何を思う。 【原】失敗せむ卒業からの迷ひ道 海野二美 【恩田侑布子評・添削】 原句ではなんのことかわかりませんでした。句会で「小さい時から優等生の子は小さくまとまって口うるさいが、出来の良くなかった子は卒業後面白いように伸びる」という作者の弁を聞き、同じ脱線組の私には腑に落ちるものがありました。一字変え、命令形にすれば、ユニークで裕か、おかしみあふれる人生讃歌になります。 【改】失敗せよ卒業からの迷ひ道 【合評】 現状は学生時代の志や理想とかけ離れているのだから失敗してもかまわないという気づき、積極的に足掻き抜いた果てにあの日の理想に近づけるかもしれないという希望、を感じます。 高校を卒業以降、自分の辿った道には悔いもある。でも「迷ひ道」との言葉に、「あれはあれでよかったのだ」と許された気持ちになった。あたたかく背中を押してくれる作品。 【原】四方山に飛ぶ燕をくぐりけり 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 二〇二二年三月、作者は建築の仕事でインドに着任、南アジア大陸での獲れたて俳句です。作者の弁には「インドで大量の燕が低く乱れ飛ぶ様を見て、世間という意味も含まれる『四方山』という言葉を引っ張ってきましたが、適切なのか不安になっています」と正直に書かれています。実は、単独で掲句に向き合ったときは〈八方へとぶつばくらをくぐりけり〉と日本の河空を高く飛び交う燕の情景に添削してしまいました。しかしインド大陸詠であれば、「大量の燕が低く乱れ飛ぶ」エキゾチックな状況を生かすべきでしょう。 【改】ここかしこ飛ぶ燕をくゞりけり 【後記】 本日は、国会において、ゼレンスキー大統領のオンライン形式での演説が行われました。振り返ると、先月の二十四日からロシアによるウクライナ侵攻が始まり、翌日には北東部でクラスター弾攻撃を受け、幼稚園に避難していた子供が犠牲となっています。その報道に、たしか禁止された武器であるはず、と思い、足元がゆらぐのを覚えました。何が現実で何が虚なのか? かけがえのない命に多くの人が手を差し伸べようとする、身近にある社会もいつまた覆されるか知れないのか? 前回の句会を前に、すっかり子供に関係した句しか詠めなくなってしまいました。そんな自分と引きかえ、他の会員はものを見極める目を捨てず、戦車を題材にした四作品も投句されていたことを、ここに記しておきたいと思います。それを読み、私たちの目、耳、手足、心は、気持ちを文字にする自由を守るためにある――そう気づかされました。 (田村千春) ...
2月6日 句会報告
2022年2月6日 樸句会報 【第113号】 オミクロン株の急速な感染拡大にともない、2月の樸俳句会は夏雲システムを利用したリモートでの開催となりました。コロナ禍の中、家に籠っていると鬱々としてしまいますが、外に出れば梅が咲き、目白がみどりの礫となって目の前をよぎります。季節は確実に春になっているのに、いまだ人類の精神は真冬のただなかにあるような日々です。 兼題は「氷」「追儺」「室咲」です。 特選句1句、入選句4句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選 首元の皺震はする追儺かな 芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「追儺」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 雪掻きの苦なきマンション父と母 前島裕子 【恩田侑布子評】 何十年間も冬は雪掻きの労苦と共にあった両親が、今は老いてマンション住まいに。ようやく雪掻きの苦役から解放されました。安堵感とともに、昔の一軒家での家族の暮らしぶりや、雪の朝、若かりし父母が元気に立ち働いていた声など、こもごもが望郷の思いに呼び起されます。北国の暖かなマンションの一室に、皺深くなった父母が夫婦雛のように福々しく鎮座しているのが目に見えるようです。「苦なきマンション」に雪国の実感があふれます。 ○入選 パリパリと氷砕いて最徐行 望月克郎 【恩田侑布子評】 スノータイヤを履いた車が厳冬の朝、凍結した道路や薄く氷の張った山道を進んでゆくところ。中七の「パリパリと氷砕いて」までの歯切れの良さ、フレッシュな若々しさから下五が一転する面白さ。「最徐行」の慎重さが一句に実直な生命感を注入しています。地味な句柄ですが、臨場感いっぱいでユニークな俳句。 ○入選 室の花会へばいつもの口答へ 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 温室栽培の「室の花」に暗示されているのは、両親・祖父母に大事にされて大きくなったお嬢さん、お坊ちゃんでしょう。中国の一人っ子政策で長じた青年もこんな感じでしょうか。親元にたまに帰って来れば、すぐさま口答え。一人で大きくなったと勘違いしているようです。てっきり子や孫を詠んだ句と思ったら、なんと作者は三十代の若者。自分を客観視して「室の花」と自嘲しているのでした。そこにこの句のシャープな切れ味があります。 【合評】 ぬくぬくした環境は人の甘えを誘いますね。甘えもあって、つい大切な人に口答えしてしまう光景が思い浮かびました。そのあとに少し後悔してしまうところも。 ○入選 割れ残る氷探しつ通学路 島田 淳 【恩田侑布子評】 暖国の小学生の冬の登校路が活写されました。静岡は氷の張ること自体が珍しいので、子どもたちはもし、氷が通学路に張っていようものなら、われ先に乗ったり、砕いたりして快哉を叫んだものでした。欠片でもいいからと、キョロキョロ氷を探す小学生のまなざしが、中七の「探しつ」に込められ、イキイキした子ども時代の実感があります。 【合評】 小学生の登校時を思い出します。60年近く前は、人が乗っても割れない氷がありました。「割れ残る氷」を探したということは、ずっと後の世代の方なのですね。 水たまりに氷が張っていれば踏んで遊ぶのが小学生というもの。わざわざ「探し」てまで氷を割りたがるのが可愛らしく、面白いです。 【原】打ち砕く氷や告白を終へて 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 若者ならではのやり場のない思いと力の鬱屈を同時に感じます。「終へて」で終えない方がいいでしょう(笑)。語順を替えて、 【改】告白を終へて氷を打ち砕く こうするとやり場のなさが力強い余韻となって残ります。しかも打ち砕かれた氷の鋭いバラバラの光までもが見えてきそうです。 【後記】 3月9日に本年度の芸術選奨が発表され、堀田季何さんの第四詩歌集『人類の午後』が文部科学大臣新人賞を受賞しました。受賞作の中の一句<戦争と戦争の間の朧かな>は、戦争を人類史に永続するものと捉え、平和はその狭間に仄かに点在するものだという、人類世界の本質を深く抉るような句。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが連日取りざたされている中、平和を希求する言葉を持ち続けることの大切さを思い知らされます。(古田秀) 今回は、◎特選1句、○入選4句、原石賞1句、△5句、✓シルシ8句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 2月23日 樸俳句会 兼題は「バレンタインデー」「白魚」「蕗の薹」です。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選 からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる 林 彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 蕗の薹姉の天婦羅母の味 金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 バレンタイン忘れて過ぎる安けさよ 望月克郎 【恩田侑布子評】 少年時代からバレンタインは、ドキドキしたり、うれしかったり、淋しかったり、めんどうだったり。まあ、今となっては、ドタバタ劇のようなもの。そんなことにはもう煩わされない。「忘れて過ぎる安けさよ」に、いい歳を重ねたものだ、という自足の思いが滲みます。言えそうでいえないセリフは大人の俳味。さらにいえば、文人の余裕が仄見えます。 ○入選 鶏を煮る火加減バレンタインデー 古田秀 【恩田侑布子評】 チョコレートを異性に贈る「バレンタインデー」に、「火加減」を気遣って「鶏を煮」ていることに、まず意外性があります。チョコレートの他に、こってりした骨付き肉のワイン煮やトマトソース煮をいそいそと作って、やがて仲睦まじい晩餐が始まるのでしょう。勤めを終えた恋人が今にもマンションのドアを叩きそう。俳句の重層性を持つ大人の句です。作者はきっと恋愛の達人でしょう。 【原】飯場にて女湯は無し蕗の薹 見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 「飯場」は鉱山やダムや橋などの長期工事現場に設けられた合宿所。そうした人里離れた労働現場に咲く蕗の薹の情景には手垢がついていません。しかもそこには「女湯」がない、という内容も、蕗の薹を引き立てて清らかです。素材の選定で群を抜いた句です。惜しいたった一つの弱点は「にて」。のっけから説明臭が出てしまいました。この句の内容である早春の山間の男だけの空間の清しさを出すには、助詞一字変えるだけでOKです。 【改】飯場には女湯は無し蕗の薹 【原】飲むやうに食ふ白魚の一頭身 塩谷ひろの 【恩田侑布子評・添削】 「白魚の一頭身」は素晴らしい発見。そのとおり、白魚の胴体にはくびれも節もありません。「一頭身」によって、言外に黒い二つの眼も印象されます。惜しむらくは、五七六の字余りがリズムをもたつかせて終わることです。ここは定型の調べに乗せて、すっきりとうたい、勢いをつけましょう。喉を通ってゆくのが感じられる特選句になります。 【改】しらうをの一頭身を呑み下す