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2025 樸・珠玉作品集

2025 樸・珠玉作品集 (入会日の新しい順) たたまるる初富士の縞君がほほ 恩田侑布子(写俳) - 巻頭言 -  21世紀のクォーターを迎えた樸は一国主義の風潮の逆をゆけました。  日本とインド二拠点の従来のズーム句会に、ニューヨークとパリから新人が参加してくれたのです。二、三十代の若者たちの頼もしい笑顔も弾けています。私は仲間との出会いに感謝し、掌のなかのすべてをお伝えしたいと願っています。  樸ズーム句会は自宅の暮らしの場から即座に四カ国の句友と繋がれます。匿名で選句し、句会で作者がわかれば、特性に添ったアドバイスを差し上げます。句会あとの第二部は、芭蕉の紀行文を学んだり、俳句時評をしたりする文化サロンです。目標の三十三観音の会はいまだしですが、熱意と質の高さは揺るぎません。こぢんまりした文藝コミュニティーは純粋で自由闊達な俳句談義ができる場です。言葉のふたときの晩餐会のよろこびは国境を超えます。  一方で、国際秩序や人権理念は崩壊に拍車がかかっています。進歩は兵器テクノロジーにのみあざやか。武器大国は目の前の人参を追って、地球の未来を食い潰し、ジェノサイドを恥じません。ホモサピエンスは凶暴化しています。  現実から目を逸らさず、自分にできることは何か。人間とは何なのか。三百六十度開かれた微塵の俳句から大きな世界に向き合いましょう。今年も新たな出会いを求めて、一息の詩に共感し合いましょう。 樸代表 恩田侑布子   小南善彦   旅先で我がふる里のお湯自慢   冬晴れの歩道にはずむランドセル   嵐去り川滔々と花筏 時空を超えて五感に迫る俳句の世界  写真と俳句の違いは、想像の余白の広さではないでしょうか。 写真から受けとる感動は、瞬間を捉えた感動です。それに対して俳句は、場所や時間を自由に行き来し、光や音、匂いや温度、さらには目に見えない気配までも、読み手一人一人に感じさせてくれます。17文字の楽しさと苦しさ(笑)を、これからたっぷり味わってゆきたいと思います。   川崎拓音   精霊飛蝗追ひかけた父も母も   人はひとわすれてあゆむ芒原   冬夕焼旅びと還す比叡山 文學の地、文藝の空 入会してまだ間もないころの句会。どうしても都合があわず遅れての参加になった。それでおずおずと申しでて、句会の終わりに先生に<補習>をしていただいた。個別指導できもちがおおきくなっていたのか、なりゆきで先生と文學談義をした。 「最終的には自分の文學を極めたいです!」とわたし。 「いいじゃん!」と先生。 言い尽くせないよろこびがあった。きもちがおおきくなりながら、実は、文學という言葉を口にすることにすこし緊張していたからだ。 読む者の心を動かす何らかのしくみを具えた記述——そのしくみを解き明かそうとする営みが「文學」であると大学時代にならった。文學の地から見あげる文藝の空は、あまりにも自由でおおきかった。かたや、文學者たらんとする自分自身の心を動かす記述を、自分自身で残してもみたかった。文學と文藝の果てしない往還は、空気がやけに薄く感じる。寒さに羽を震わせどうしたものかと立ち往生していた矢先、恩田侑布子という師に出会えた。こころからうれしくおもう。   橋本辰美   雲の峰貴方の居所捜し当つ   稲妻のつながり落つる河口かな   南蛮や未知より無知の懐かしき 清見潟  23年3月に「楽しい俳句」を、また戻ってくるつもりで退室して以来、3年ぶりの出戻り新人として、晴れてzoom句会主体の樸に入会できたことが小さくない体験でした。一回一回の句会を大切にしながら、師匠と連衆に認めてもらえるように句作に励み、批評性と情趣の間を揺れながらも自句を追求していけるように努めていきたいと思います。   佐藤麻里子   白ビール迷はぬ女同志なり   淵碧き砦裸のピカソかな   揚花火鉄の貴婦人張り合ひし 自己の更新としての俳句 2014年、ドゥマゴ文学賞受賞作『余白の祭』が著者・恩田侑布子をフランスに送り出したことが、私の俳人との出会いだった。全くの門外漢の私は会食の拙い通訳でご一緒し、著書にノックアウトされ、その後パリや静岡で再会し親しくさせていただいた。ただそれ以外俳句とは無縁のまま、11年を経た今年、ようやく機が熟したのだ。 句会の合間の先生のおしゃべりはヒントに満ちている。先日独り言のように、「俳句は難しいので油断するとちょっと前の自分に戻ってしまう」。先生でさえも!?「日々新しい自分にしていかなければ」と。 自己の更新。それが私も七転八倒してもやり続けたいこと。 「ささやかでも、おのれの殻や、時代の旧態を破ろうとする、日々更新の自由なこころこそ、本来の俳句のはず」(『余白の祭』p.115)。 それはきっと俳句だけでなく、芸術とは本来そういうこと。 さて、来年は時間不足を言い訳にせず、いかに自由な心で作句に励み、自己を更新し再生しつづけられるか。   小住英之   地ビールを二本空港泊の窓   満塁や灼くるシンバル灼くれど撲つ   病室の鎖骨に月のありあまり 癖 なにか大事なことを決めるとき、「あまり検討しない」癖が私にはあります。しかし私は不思議とこの癖に助けられてきました。 例えば、大学生のとき座学だけで「皮膚科医になろう」と決めた私は、その研究室にすぐに通い始めました。九年後、私はその研究でなんとか博士号を取得し、今の職を得ました。あのとき実習・研修開始を待たずに皮膚科に決めてよかったと思います。 俳句を始めて半年で古田秀さんの「大学」を読み、樸俳句会を知りました。ホームページを見て、ある種直感的に樸で勉強したいと思い、仲間に迎えていただきました。あのとき樸に飛び込まなければ、ここまで俳句に熱中することもなかったように思います。 これからも一歩ずつ、俳句の道を学んでいきたいと思います。今後もご指導お願いいたします。   馬場先智明   ⼩春⽇や部屋にやすらふ⺟の⾻   ⼋⼗年焼⿃の串抜くやうに   仮名千年語り万年寒昴 「似て非なるもの」に魅せられて 「俳句と編集とは、似て⾮なるものです」と、恩⽥先⽣はキッパリ。編集の世界に半世紀近く棲息してきた⾝には沁み⼊るような⾔葉でした。句歴⼀年で感じたのは、俳句には「達⼈」や「極意」という⾔い⽅がよく似合うなぁ…ということ。芸や美の道を極めることに魂を注いで倦むことのない⼈たちの世界。武芸、茶道、将棋…のような型や厳格なルールに則った世界。極めてこそ⾒えてくるものを追い求める少数者が泰然と⾝を寄せ合う世界。芭蕉から恩⽥先⽣はもちろん近現代俳⼈までの句を渉猟しては嘆息する⽇々でした。⽚や私のかかずらってきた編集の世界。⾔葉(⽇本語)を道具⽴てとする点は同じですが、あくまでも⾔葉は「情報」。編集者の仕事は、外から掻き集めた情報の順列組合せを専らとして新奇を創出する知的作業。⾔葉はいつでも外からやってくるものでした。⾔葉を道具として扱ってしまうのは、編集者の宿痾みたいなものです。対して⽂学(俳句)の⾔葉は、⾝体の内側から時間をかけてゆっくり滲み出てくるもの。この⼀年の成果は、その宿痾を⾃覚できたことかもしれません。来年はその⾃覚から出発して「⾮なる」俳句の奥深さに少しでも近づいていきたいと願っています。樸連衆の皆様には、編集(+短歌)という「似て⾮なる」お隣から珍獣が⼀匹迷い込んできたと、広い⼼で⾒守っていただければ幸いです。   山本綾子   餅つきの空つく音あり郷の庭   羊水のたしかな鼓動しゅろの花   短夜や眸句集とミントティー 俳句のある暮らし  恩田先生に師事して三年目の今年。そろそろ「初心者だから」の常套句は通用しなくなってきた。  そんな中、俳句に触れる時間を少しでも増やせればと、樸句会投句の他に先生が選者を務める静岡新聞読者文芸への投句を自分に課した。  毎月最終火曜日。家まで待てずコンビニの駐車場で、購入した新聞を広げる。そんな自分を、少し離れたところからもう一人の自分が面白がって眺めている。  日々の忙しさ、日常の平坦さ、過去に負った傷さえも、俳句をつくることで、より豊かなものとなっていく。自分を支える「俳句」という柱は年々太く育っている。   星野光慶   聖五月ぐさりとキャパのレンズかな   「源氏供養」闇に佇む冬の星   まろき背にとどめし秋や無著像 浮かび上がる時間  ロバート・キャパという人物はいない。アンドレ・フリードマンとゲルダ・タローが撮影したそれぞれの作品をこの架空の写真家に託したにすぎない。  作品を見る側は、アンドレとゲルダのどちらが撮影したものか見分けることは難しいだろう。しかし、もし撮影者が明かされたら、両者の世界の見かたの違いがぼんやりと浮かび上がってくるのではないか。  ひとつの作品には匿名と個がせめぎあっている。  俳句もこれに似ている。無名の句が私の前に並び、作者が種明かしされると「人柄が出ている」と妙に納得してしまう。そのひとが見た景色が、ことばというレンズ越しに立ち上がる。  無名性と有名性が反転する有機的な時間が句会だとしたら。そのあとには、寂しく賑やかな無名の作品が残される。   長倉尚世   ほそき手の床より賀状たのまるる   枇杷たわわ廃車置き場の水たまり   柊の花や卒寿の退院す 伝えたいこと  今年五年も迷っていた声帯の手術をした。  きっかけは母の耳である。話しかけてもスッと前を素通りして行くのに驚いた。聞こえていないんだ……そう云えば、孫との会話にも、あまり入って来なくなっている。 元々私は話すのが苦手。自分の思っていることを伝えるのが下手くそで、母ともそんなにおしゃべりをしてこなかったが、このまま話ができなくなるのは寂しいと思ったから。  手術後一週間は声を出すことを禁じられた。その間筆談をしていたが、そのもどかしさの中で、ふと手話を覚えようと思った。そして退院後、早速手話サークルに入会。 日常のささやかな場面で、誰かの役に立てたらいいと思う。   成松聡美   春の暮真子の煮つけは反り返る   木香薔薇あふれんばかり死者の庭   猟銃等講習会場泥長靴 神主のいないお社  この拙文を書いているのは年の暮、新年拝賀式準備の最中だ。榊や神饌、振舞い用の酒や汁物の手配で忙しい。私の住む村の小さなお社には神官がいない。拝賀式の一切は氏子総代と当番組の組長たる我が家が差配する。この一年、負担の重さに怒りが治まらない夜もあったし、地域を盛り上げるとは何か議論になる場面もあった。だがご近所と協力して御神燈を張替えたり、紙垂や御飾りを手作りしたりと楽しい経験も少なくなかった。当然これらは俳句の種となり、習作帳には神事や神の字が入る季語が多くなった。神社のお世話は来年も続く。神主のいないお社の句は、もう少し増えそうだ。   坂井則之   龍天に昇る昼夜を真つ二つ   白菜を割る音絶えて十余年   庖丁の切れ味試しトマト切る        初の句は3月に先生の添削を頂戴した後のものです。句の勢いがこんなに改善されるかと、つくづく思いました。 あと二つは[シルシ]程度。2句目は当人の含意と先生の鑑賞とが異なりました。叙述の拙さの表れです。 新聞記事が本拠だった私は、意図を明瞭に伝えるという意識が先に立ちます。そこに、理に落ちてはいけないという何度も頂戴したご教示を思い出し。散文人間は苦戦しています。 今の私は、たとえFBへの投稿でも幾らでも推敲を考えます。新聞紙面を読んで気になることがあれば校閲の後輩に指摘して、検討を依頼しています。ですが、自分の五七五では突き詰めるまで考えることができない己。韻文としての良否の判断ができないのです。 そもそもこの道に入って良かったのかと思いつつ、ウロウロの日がずっと続いています。   生きてゐるたれも初乗り地球船 恩田侑布子(写俳)   岸裕之   寒声や師匠口ぐせ「間は魔なり」   春光を睨むや龍の天井絵   見はるかす白馬三山花こぶし 来年の目標  今年を振り返ると、正月の句会でいきなり特選をいただき、続いて春先は、なんとか入選を何句かいただきました。そこで、気をよくして、今年から始まった町内の年寄り90代一人、80代二人、70代一人メンバーによる麻雀に力を注ごうと思い立ちました。というのは、麻雀は50年やそこら、やって無かったので、すっかりやり方を忘れていたせいか、勝てません。麻雀には実力の他、運という要素もありますが、勝てません。やはり負けるのは悔しい。で、PC麻雀ゲームなどを使って訓練しました。そのせいか、なんとか勝てるようになってきました。ところが、夏から秋にかけて俳句においては、無点句のオンパレードでした。だから今年の三句は前半のものだけです。私は句集を作ろうとか、賞を貰おうなど思いません。気のおけない仲間と俳句談義したり、そこに酒が入ればなお良い程度のスタンスです。従って来年の目標は年間バランス良く選をいただくにとどめます。   小松浩   夏蝶の影轢くサイクリングロード   日盛りの影もたれあふ交差点   人類に聖なる夜と聖戦と むずかしいことをやさしく 樸のメンバーも20人を超えて賑やかになった。句会というのはやはり素晴らしい場だ。投句作品からは、歩んできた道のりや、どんなことに喜びや悲しみを感じる人なのかが、くっきり浮かんでくる。共通しているのは、一人一人の他者への目線の優しさ、誠実な暮らしぶりである。 俳句は、それぞれの人生観や価値観を、理屈ではなくモノを通して、17音に乗せることに魅力があると思う。できれば、今の時代や社会に対して感じていることを、五七五に託して表現してみたい。それも、日常生活で使っている普通の言葉で、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」と言っていた井上ひさしさんのように。   活洲みな子   吾の歌に母の輪唱桜の実   天上の母はすこやか樟若葉   青空に挑むじやんけん花こぶし 日向ぼこ付箋だらけの句集抱き  ミニマリストではないけれど、ホテルのようにシンプルな生活空間に憧れる。退職後、仕事がらみの大量の本をまずは処分し、好きだった小説や全集も手放した。ホテルライクな生活にあと一歩(?)というところで、句集を手にする愉しみと出会ってしまった。おかげで棚はまた本で溢れ始めている。  好きな句集は付箋だらけだ。世界観がわからず付箋のつかない句集もある。けれども一句一句に俳人の心が宿っているので、大切に扱っている。年末に加わった三冊の句集。陽だまりでのんびり愉しむ時間が…あるといいなあ。   益田隆久   暮れてなほ弾む句会や花こぶし   パレットへ囀りの色溶きにけり   踏まれたる下萌の香の高くあり 句友の秀句への共感  樸の仲間の俳句の中で、自分の一部にすらなっていて瞬間的に言える特別な俳句が三つある。   (1)八橋にかかるしらなみ半夏生     前島裕子   (2)父母は芽花流しの向かう岸      活洲みな子   (3)花すゝき欠航に日の差し来たる     古田秀 (1)前島さんの俳句は、恩田先生と自分の特選が初めて一致した句で非常に嬉しかった。「目で見て美しく声に出して美しい俳句。」と感想を書いた覚えがある。今でも自分の理想とする俳句だ。 (2)活洲さんの俳句は、年月が経つとともにじわじわとその良さが増していく燻銀のような俳句だと思う。そこには、時間というものへの愛おしささへ感じることができる。 (3)古田さんの俳句。この透明感はどこから来るのだろう?余計な修飾を付けたしたくなりがちだが、この句にはそのような自我が無い。雑味が無く透明感と清々しさが気持ちよい。  このような俳句に出会い誦する時、この句会を選んで良かったと思う。   古田秀   スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行   露の世の薬局あかりジムあかり   クリスマスツリーの蔭や守衛室 グーグルマップはすごい  昔から地図を見るのが好きで、油断しているといつまでも眺めてしまう。実験の合間の待ち時間など、他にやることはたくさんあるがついついグーグルマップをひらいて仮想旅行をしてしまう。最近はグーグルマップの精度があがり、ユーザーの興味のありそうな施設を優先して表示するようになった。地点間の所要時間の計算も正確で、渋滞の起きやすい時間帯なども表示してくれる。2025年は日帰りドライブ吟行や二泊三日のドライブ旅行を何回か計画し友人を巻きこんだが、そのときのスケジュールもほとんどグーグルマップのみで作成した。もはや仕事中にグーグルマップを眺めていれば、頭の中で旅程が勝手に組み上がるレベルになっている。まだまだ行きたいところがたくさんあるので、2026年もグーグルマップを眺めて過ごしたい。   金森三夢   亀鳴くや巴御前の吐息のせ   滴りや手拭浸し首に巻く   肌寒や鉄錆びあまた歩道橋 ケガの功名  年男の今年。まさか一年の三分の一を病院のベッド上で過ごすとは……  「滴り」と云う季語を求め山道を彷徨っての不首尾。古稀を迎え三年で二度の全身麻酔のオペはきつかった。腎臓癌、世界一周クルーズ、そして圧迫骨折。一年おきの天国と地獄。死を見つめ、異郷での悦楽、痺れと激痛との格闘、いつも人生の良き伴侶である俳句と愚妻が寄り添ってくれた。  たび重なる入院と病院食のおかげで体重は学生時代に戻り、血糖値は正常値。糖尿の担当医に「ケガの功名」と大笑いされた。  さて来年はどんな年になるのだろう?!人生は甘渋苦。来年こそ休会なしで呆け防止の句会に励みたいものである。   前島裕子   床の間に祖母てづくりの手毬かな   お薄点てゆがむ玻璃ごし花吹雪   黙しゐて母のかたはら緑さす 年には勝てぬ  今年も残すところわずか、振り返らざるをえない年でした。 身体には自信があったのですが、後期高齢者を前にして、帯状疱疹、歯の根元の炎症から唇がはれあがってしまった。どちらも大事にはいたらず、春の吟行会には参加できたのですが医者通いを余儀なくされた。  寝込むことはなかったのですが、身体がすっきりせず完治まで半年ぐらいかかった。年には勝てぬことを痛感。  来年は身体に充分留意し、自分に納得できる句が一句でもできるよう学んでいきたい。   見原万智子   ヒヤシンス登校しない子の瓶も   どうだんの衣広げり巴塚   クリスマス会話ロボット待たせをり おあいにく  おさとはたいそうな器量よしで、小学校もろくに行っていないが夫の古い教科書で漢字を覚え、両手足の指を使って鶴亀算ができたという。  昔のこととて婚家側の一方的な理由で離縁され、二年。島田の帯祭りの時分でもあったろうか、大井川の橋の真ん中でばったり元の夫に再会してしまった。  ひとこと「…どうだ、元気か?…」と男は聞いてきた。  ややあって「ふんっ、これから佳い人に会いにいくところだよっ」と言うが早いか、おさとはその場を走り去った。決して振り返るまい。  それからほどなく、おさとは再婚した。  後年、私は何度となくこの話を母から聞かされた。そのたびに「ひいおばあちゃんはデートの約束なんか無くて、会いたかったのは目の前にいた元のご亭主だよね?」と私が言い、母は満足げに頷くのだった。おさとに顔立ちも性格もそっくりだった母は、「いい女はツンで通さなければ。デレるなどもっての外」と信じ込んでいたふしがある。  あいにく私はすべてにおいて父親似。ツンデレすら気恥ずかしい。いつもデレデレで、しのいできた。   猪狩みき   雪華積むフロントグラス小さき首都   縦横に鳥の動線冬木立   地形図の尾根と谷なり白菜買ふ ことば  新聞でみかけた本のタイトル『群れから逸れて生きるための自学自習法』に惹かれ、向坂くじらという人を知った。詩人で小説家で自身で国語塾もしている人だという。「ことば」の捉え方、感覚がおもしろく、その作品を追っているところ。といって、彼女の「詩」はよくわからず、エッセイと小説を楽しんでいる。私はたいてい「詩」がわからない。「詩がある(ない)」ということが句会で話題になるたびにびくっとしている。   海野二美   船渡の山火事鎮圧   待ちわびし山林消火龍天に   飛機乱気流掌中の林檎の香 樸の未来  樸の構成員もずいぶん変わってまいりました。若き才能、またパリにニューヨークとワールドワイドに……。少数精鋭ではありますが、樸のこれからは楽しみですね。また私の大好きな文学講座も始まり、学生気分で勉強させていただけるのでありがたいです。編集や会計、また幹事等に惜しみなく励んでくださる皆様、本当にありがとうございます。樸の会員の方々のことは盟友と思っております。  俳句文学における絆は強し!  恩田侑布子万歳!   AIの無性生殖去年今年 恩田侑布子(写俳)

12月21日 句会報告

2025年12月21日 樸句会報 【第158号】

 十二月は十四日と二十一日にZOOM句会。
両日とも前半は点盛りと講評。後半は角川『俳句年鑑2026年版』《今年の句集BEST》に掲載された師が選んだ十五句集の中から、句集ごとに紹介されている六句について、鑑賞や意見交換をおこないました。
 十四日の兼題は「冬夕焼」「柊の花」
六十六句の中から入選三句、原石賞二句が選ばれました。
 二十一日の兼題は「クリスマス」「雪(字の詠込)」
六十六句の中から特選一句、入選四句が選ばれました。
 

逢ひたくてまろまろと負ふ冬日かな    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
仮名千年語り万年寒昴
             馬場先智明

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「寒昴」をご覧ください。

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○ 入選
 人類に聖なる夜と聖戦と
               小松浩

【恩田侑布子評】

「人類に」と大きく出たあと、作者はキリスト降誕の夜と聖戦とを並べて沈黙します。ボールは読者の胸に投げられました。世界最大の人口を擁するキリスト教は、政治、経済、社会、文化的に、いまも最強の宗教です。教主の降誕祭に老若男女が湧き立ちながら、いわゆる一神教を背景にした「聖戦」は止みません。“正義”の戦いが、国家の名のもとに行われる大量虐殺に他ならないことに胸が痛みます。
 

○ 入選
 クリスマスツリーの蔭や守衛室
               古田秀

【恩田侑布子評】

守衛室は敷地や建物の入り口近くにありながら目立ちません。これはきっと、マンションか大病院のエントランスでしょう。評者も昨日、病院のロビーで聖樹をみました。入院患者さんの願いがあまたの絵馬のように吊られ、まるで冬の七夕竹。電球やトナカイの角が光る聖樹の「蔭」を強調した切れが利いています。赤いサンタの代わりに地味な「守衛」が見守ってくれています。やさしいこころもちから生まれた句です。
 

○ 入選
 猟銃等講習会場泥長靴
               成松聡美

【恩田侑布子評】

東北地方を中心に全国で人間が熊に襲われる惨事が多発しています。その熊の駆除を目的とする猟銃講習会でしょう。一句は、下五の「泥長靴」の止めがものを言っています。人間と熊、人間と自然との太古からの戦いが、恰好も何もあったものではない、「泥長靴」に象徴されました。全漢字表記句は往々にして息苦しく固まったものになりがちですが、「泥長靴」がなまなましくリアルです。
 

○ 入選
 雪華積むフロントグラス小さき首都
               猪狩みき

【恩田侑布子評】

上五の「雪華積む」の措辞から、湿潤な日本のベタ雪とはおよそちがう、パウダースノーを思います。さらさらと微細なガラスか貝殻の粒子のような、妖精めいた雪の結晶でしょう。「フロントガラス」と呼ぶ車の前面を、もとの英語に近い「グラス」としたU音6音の控えめなリズムの中に、異国の落ち着いた首都で過ごしたひとときの愛惜が込められています。句会でエストニアのタリンとわかりました。
 

【後記】
 今年最後のZOOM句会。最後を飾るにふさわしく、スケールの大きな特選句が選ばれ、入選四句もそれぞれに作者の鋭い眼と温かい人柄が感じられるものでした。眩しいなあ。
 自分を振り返ると、選句眼の無さに恥じ入り、類想・類句に凹む一年。
 来年は、買っただけで満足していた句集を、じっくりゆっくり読んで勉強をしようと思います。来年の今頃、少しは成長したと思えるように。

 恩田先生、樸の皆さま今年一年ありがとうございました。
 新しい年が皆様にとって佳い年でありますように。
 (長倉尚世)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

別るるとうつくしく剥き冬林檎    恩田侑布子(写俳)
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12月14日 樸俳句会
兼題は冬夕焼、柊の花。
入選3句、原石賞2句を紹介します。
 

○ 入選
 凍星や掌にあたたむる聴診器
               小住英之

【恩田侑布子評】

夜間、患者さんの具合が悪くなると、当直医は病室に呼ばれてゆきます。長い廊下の窓に「凍星」がきらめき、思わず胸に提げた聴診器の先をてのひらで温めます。病んでいる人の肌を冷たさで驚かさないよう、温もりが伝わりますように。患者さんの苦しみを一刻も早く和らげ救ってあげたいという医師の真心が溢れます。仏陀の異名が大医王であったことをちょっと思い出しました。
 

○ 入選
 冬夕焼旅びと還す比叡山
               川崎拓音

【恩田侑布子評】

昼間の比叡山は参詣人で大賑わい。観光客に混じってあまたの伽藍を回っていると、冬の日は早くも傾き、冬夕焼が杉木立を透かします。作者は一人の旅人としての下山時、あたりの堂塔伽藍がにわかに森厳な佇まいに鎮まってゆく姿にハッとしました。山岳宗教このかた、天台教学といわれる仏教の総合大学となった千数百年の厳しい参学の歴史が夕闇に沈んでいきます。代々の修行僧に思いを馳せた緊張感ある調べが重厚です。
 

○ 入選
 柊の花こぼれ母七回忌
               岸裕之

【恩田侑布子評】

九十五歳の天寿をまっとうした母を、八十路の息子がしのんでいます。「柊の花」のひそやかさ、かぐわしさ。その花が最も似合うきよらかな冬青空。音もなくこぼれ落ちるミニチュア細工のような白い花に亡き母の面影が通います。生前の肉体のぬくもりが透明になってゆく「七回忌」という年忌に説得力があります。
 

【原石賞】父母のゐる今日のひの冬夕焼
              山本綾子

【恩田侑布子評・添削】

内容は素晴らしい。残念なのは表記の不自然さです。中七は最後の「日」だけを漢字にしましょう。そうすれば、この穏やかな冬の日のかけがえのなさが伝わります。老い衰えてはいるけれど、こうして親子三人で冬夕焼の窓辺に一緒にいられる幸せが胸に迫ります。

【添削例】父母のゐるけふの日の冬夕焼
 

【原石賞】老い母の愛おとろへず冬夕焼
              山本綾子

【恩田侑布子評・添削】

体が衰え記憶力が低下しても、自分を気遣ってくれる母の愛情は冬夕焼のようにしみじみとゆたか。内容がいいだけに、「老い母」という不自然な言葉が違和感を残します。正しくは、「老いし母」か「老母」、あるいは「母老いて」です。ただ、俳句は語法の正しさがすべてではありません。母娘の体じゅうから湧き上がる温もりを削ぐことがないよう、調べに熱い思いをこめ、「おいてはは」にしましょう。

【添削例】老いて母愛おとろへず冬夕焼
 

しゆぽつと起つ卵白の角冬籠  恩田侑布子(写俳)

9月7日 句会報告

2025年9月7日 樸句会報 【第155号】

 歴史的猛暑の8月いっぱいをお休みして再開された句会、出席者も休養十分(?)のせいか普段より多めで、Zoomながら対面と変わらぬ賑やかな句会となった。前半を点盛りと講評、後半は毎回題材を変えて勉強会という二部方式もすっかり定着し、今回は「俳壇」誌9月号掲載の師の鈴木真砂女評と現代俳句協会賞受賞作をめぐる意見交換、、、のはずが後半は脱線して師も弟子もない俳句論議に。この自由闊達さこそ樸の魅力と満足してのお開きとなった。

 兼題は「月」「顔の一部」。特選1句、入選2句、原石賞2句を紹介します。
 

澄む水の削りし大地なりにけり    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
戦後史の最終ページ蚯蚓鳴く
             小松浩

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蚯蚓鳴く」をご覧ください。

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○ 入選
 署名みな眼とおもふ終戦日
               古田秀

【恩田侑布子評】

「終戦日」ですから平和を希求する署名でしょうか。一人一票の投票と同じで、一人に一つしかない名前と住所です。それを黒い「眼」と思った発想の飛躍が素晴らしい。たちどころに署名用紙に並んだ個性ある記名文字が、生きた魚群のように泳ぎ出す幻想に誘われます。庶民一人ひとりの意思表示がうろくずの眼の切実さを帯び、なまなましく浮かび上がってきます。
 

○ 入選
 をり鶴に帰る空無し原爆忌
               益田隆久

【恩田侑布子評】

平和を祈って千羽、万羽の鶴を折っても原爆で焼け焦げた人の命は帰りません。嗟嘆が空に虚しく反響します。「戦争はイヤ」「しちゃだめ」とどれほどつぶやいても、庶民が巻き込まれるときは時局に抗えないという絶望感が感じられます。死者の安寧と平和への祈りだけでは平和は築けないという諦念が腹の底まで染み渡ることで、かえって、いまわたしたちが何をするべきかを問いかけてくる句です。
 

【原石賞】八月や球児は土と凱旋す
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

甲子園の球児に「凱旋」という古風な言葉を斡旋した言語感覚が素晴らしい。さらに「土と」の措辞が効果抜群です。ユニホームについた泥土を眼前し、試合終了後に球場の土を掬って袋に詰める姿がありありと瞼に浮かびます。甲子園の土とともにふるさとに帰ってきた勇者達です。ただ「八月や」では、暑さだらけでつきすぎでしょう。夏の始まりとともに、幾多の地方予選を勝ち抜き、遠い兵庫県の炎天下で死闘を繰り広げた夏百日の記憶があります。きっと、なつかしい郷土の群衆に迎えられる空ほど清々しいものはないでしょう。長い戦いを勝ち抜いて辿りついた爽涼の思いを共有したいです。

【添削例】爽涼や球児は土と凱旋す

 
【原石賞】銀盤の海や月影さらさら来
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

月かげが「さらさら来」という出色のオノマトペを生かすためには上五の措辞は瑕になります。なぜなら「銀盤」は古来、月の異称として様々な文学作品に表現されてきたからです。最近は「銀盤の女王」という決まり文句から、スケート場のことと短絡されがちですが、俳句をやるものは本来の美しい意味を踏まえていたいものです。そこで上五は抑えて静かな海面を描写すれば、「月影さらさら来」というフレーズの佳さがいっそう生きてくるでしょう。

【添削例】凪わたる海や月影さらさら来く

 
【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 くちびるは手花火の煙の匂ひ
              見原万智子
 弁慶の衣裳の裾のすれ涼し
              前島裕子
 湯灌終へ髯なき兄のさやかなり
              馬場先智明
 月見酒子ども代わりの老犬と
              活洲みな子
 ピンヒール刻む色なき風の街
              益田隆久

 
【後記】
 私の樸入会は2022年9月。ちょうど「石の上にも3年」の節目なのだが、石から立ち上がれる兆しはない。初めから自分の世界を限定せず、いろんな型の句に挑戦してみようとしてきたものの、それだけでいいのかなと、最近は疑問に思うことがある。樸の皆さんの句はそれぞれに鋭く温かい個性があって、作者の存在が匂い立ってくるのに比べ、自分の場合は「お前は一体どこにいるのか?」と冷たく問われているような気がするのだ。そんな中、この日の句会で紹介された現代俳句協会賞受賞の大井恒行さんの句からは、なぜ俳句を作るのか、俳句で何を表現していきたいのか、改めて考え直す機会をいただいたように思う。世の中を斜めにばかり見てきた自分にとって、社会性と詩性が融合して文学に昇華する大井さんの作品群は、大きな魅力であった。

 (小松浩)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

口紅をさして迎火焚きにゆく    恩田侑布子(写俳)
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9月21日 樸俳句会
兼題は稲妻、啄木鳥。
入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

○ 入選
 稲妻のつながり落つる河口かな
               橋本辰美

【恩田侑布子評】

天空に青白いいなびかりが二頭の龍のように絡み合ったかと思うや、音もなく河口の果ての大海原へ落ちていくことだよ。一瞬の視覚がとらえた稲妻の走りと大景です。シーンとした無音の映像が深遠で、それが、川の長いいのちが果てて海と交わる「河口」であることも象徴的です。「稲妻」は、古くから稲の結実と関係するとされてきた呪的な色彩をもつ季語です。いなびかりと稲田という天と地の陰陽の交わりを遠くひびかせたはかない映像のどこかに、果たせなかった作者の思いを感じるのは私だけでしょうか。
 

○ 入選
 父も子もダリの絵の中秋暑し
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

「も」の畳み掛けに、ダリの噎せるような絵に取り込まれている残暑感が濃厚です。ダリはシュールレアリズム。時計が暑さにぐにゃりと折れ曲がって垂れる絵を思います。あるいは、漆黒の髭を誇示する自画像でしょうか。その眼は、激しいけれど虚無的。父は子どもを前世紀に美術界の巨匠と称された人の展覧会に連れ出したのでしょう。この「秋暑し」は体感を超えて文明批評の色彩を帯びます。ダリの近代的自我の強烈さが資本主義と経済の発展に邁進した二十一世紀のアナロジーめくのです。それを「絵の中秋暑し」が雄弁に語っています。
 

【原石賞】秋の灯の堅田の路地に住まふひと
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

樸の春の吟行会でおもてなしいただいた「俳句てふてふ」代表の今井竜さんのお宅が思われます。句の内容はこのままでいいのですが、表現として、「の」の三連続は調べをたるませ、のんべんだらりになっていませんか。さりながら「秋灯や」では内容にそぐわないキツさになってしまいます。上五はやさしく切りましょう。ぬくもりに満ちていた主をなつかしむ思いを、遠いけれど同じ秋灯の下にいますねという共感の滲むかたちで表現できます。

【添削例】秋ともし堅田の路地に住まふひと

 

【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 天高しスタートは祈りのかたち
              長倉尚世
 再開の芭蕉紀行や秋高し
              前島裕子
 稲妻や時の薬のきくを待つ
              山本綾子
 ヘルメットの露ふつ飛ばす手榴弾
              小住英之
 まろき背にとどめし秋や無著像
              星野光慶
 
🌹祝 現代俳句協会賞受賞🌹
大井恒行「水月伝」🌹🌹🌹

底なしや一足ごとに天の川  恩田侑布子(写俳)

第15回北斗賞の授賞式が行われました

6月14日、東京新宿の京王プラザホテルで、第15回北斗賞(主催:(株)文學の森)の授賞式が行われました。受賞された古田秀さんは挨拶で喜びと感謝の言葉を述べるとともに、「現実に目を塞ぐことが賢く得であるとされる現代において、俳句は私たちに語るべき言葉を持たせてくれる」と、自らの俳句に対する深い思いを披露。会場の来賓席には、その堂々としたスピーチに温かい眼差しを向けて聞き入る恩田侑布子の姿がありました。
 

スケールの大きな挨拶で会場を沸かす古田秀さん
 
古田秀と恩田侑布子の晴れやかなツーショット
 

5月18日 句会報告

2025年5月18日 樸句会報 【第152号】

 「五月」というひびきのよい語感には、新鮮な生命力がある。物憂い晩春から一気にベールを脱ぎ棄てて、初夏へ。「新緑」「風薫る」「若葉風」…と季語にもあるように、大地が緑に染まるさわやかな季節だ。
 我が『樸』にも若葉風が吹く。アメリカから、フランスから、新しい会員が加わった。インド在住の会員も含め、日本以外の風土や文化を含んだ風が、『樸』に吹き込んでくることをとても楽しみにしている。
 今回の兼題は「薄暑」「蚕豆」。特選1句、入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

息継ぎのなき狂鶯となりゆくも    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行
             古田秀

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「薔薇」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 肩書のとれた名刺と空豆と
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

名刺に立派な肩書きがあればあるほど俗人はうれしく誇らしいかもしれません。しかし作者は「そんなもん、やっと取れた」と清々しく思っています。組織の人間でなくなった自由こそが、晴れて味わう五月の空豆の美味しさです。もちろんビールを片手にして。技法的には、「と」で名詞を並列した句は「たるみ」が出がちですが、この句は逆にその並列が効果を発揮してリアルです。
 

○ 入選
 新快速午睡絶滅皆スマホ
               林彰

【恩田侑布子評】

京阪神地域の主要都市を結ぶ快速の車輌風景。昔の夏は、戸外の暑さに疲れた人々が冷房の効いた車内に乗り込むや、ついうつらうつらして船を漕ぎ出したもの。しかし、今ではそんな人は一人もいません。みな小さなスマホの窓を覗き込んで指先で操作しています。名詞を五つ並べた句がビビッドなのは、句頭の「新」と中七の「絶滅」の効果。まず、新しい快速電車が走る午後に昼寝族は「絶滅」したという断定が面白いです。さらに、車両とスマホの相似形も見逃せません。肉体は車両にあり、脳はその縮小相似形のスマホに吸い込まれ、小さな画面から世界大の情報の海に溺れている夏の午後であることよ。「昼寝」の季語を、昼寝しない人らを素材に歌うのも新しい表現。
 

【原石賞】かたらねど母のかたはら緑さす
              前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

病床にあって言葉少なくなられたお母さんでしょうか。黙っていても温かく心は通じ合っています。「緑さす」の季語の斡旋が抜群です。この世で許された浄福という感じがします。惜しいのは「かたらねど」の措辞の粘りです。上五を「もだす」という動詞に変えれば、心の通じ合った安らぎが一層感じられるでしょう。

【添削例】黙しゐて母のかたはら緑さす
 

【後記】
 私ごとだが、事情があってこの4月までの半年間、句会を休ませていただいた。「句を作ることを続けないと、句はだめになる」。日ごろの師の教えを胸に、締め切り前にバタバタと投句だけは続けた。
 5月から句会に再び参加。久しぶりの句会は…これがなかなか面白いのだ。Zoomの窓が開き、親しい人と目が合って思わず目礼。新入会員の紹介や会員の授賞式のお知らせには、小さな拍手があちらこちらから起こる。画面の窓は小さいけれど、恩田先生は相変わらずエネルギッシュだ。
 仲間の句を推す会員相互の熱弁(?)も、師から質問されて一斉に下を向く姿も、画面を通して息遣いまで感じられる。以前の私は断然リアル句会派だったが、会員の幅が広がり、パソコン操作にも少しだけ慣れた今、Zoom句会ならではの面白さを楽しんでいる。
 とはいえ、句会に参加できなかった期間に投句だけは続けることができたのは、句会後のお疲れも厭わずに全句講評をお送りくださった師の励ましの言葉や、句会の様子をそっと知らせてくれた句友たちとの繋がりがあったからこそ。俳句は座の文学だと言われるが、心と血が通ってこその座であると、しみじみ感じている。
 (活洲みな子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

宙ゆらぐ前に帰らん夏の闇    恩田侑布子(写俳)
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5月4日 樸俳句会
兼題はゴールデンウィーク、若葉。
特選2句、入選3句、原石賞1句を紹介します。
 

◎ 特選
 吾の歌に母の輪唱桜の実
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「桜の実」をご覧ください。

クリックしてください
 

◎ 特選
天上の母はすこやか樟若葉
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「樟若葉」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 死にたまふゆびのささくれ夏みかん
               見原万智子

【恩田侑布子評】

「死にたまふ」と、胸底に敬語で呼びかける人はどなたでしょう。ささくれた指から肌の乾燥し痩せ細った高齢の母を思います。母とは幼い日から夏みかんの厚い皮をむきあって、数限りない睦まじい時間を過ごしてきました。自分を産み育て、年老い、弱っていった愛しいその指はもう、くすっとも動いてくれません。しぶきのように迸る黄金の果汁に、ともに指先を濡らすこともありません。ややぶっきらぼうに投げ出された三段切れは茫然たる悲しみです。陽の色をした夏みかんの丸々した重量に、死者の指先の蒼ざめた硬直が哀切です。
 

○ 入選
 母がりは永遠の緑陰なりにけり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

母はいつでも作者の憂悩を癒し、励ましてくれたやさしい方なのでしょう、まるで涼やかな緑陰のように。今も木陰を通り抜ける気持ちのいい風にくつろいでいると、ありありと母が甦ります。永遠に失われた肉体が、緑陰となって作者を待ってくれているようです。句末の「なりにけり」には文語のよさが発揮されています。ただ、「母がりは」はどうでしょう。上代は、母+接尾語「がり」で、母のもとへ、母のところへ、の意ですが、中古以降は助詞「の」を介し、「母がりの半日あまり桐の花  細川加賀」、「母許の廂の古りぬゑんど飯  永田耕衣」 などの先行句があります。「の」を介さない単独の名詞としての使用にはやや違和感があります。
 

○ 入選
 木香薔薇あふれんばかり死者の庭
               成松聡美

【恩田侑布子評】

一挙に咲き誇って、あたりを異様なまでの明るさにする木香薔薇の黄色のはんらんが、かえって死者の庭に合っています。「霊園」や「墓地」という言葉を使わなかったことで普遍性を獲得しました。その静寂に包まれて佇むことの不思議さ。初夏のひかりが迫ってきます。
 

【原石賞】夕若葉マーマレードの煮詰まるる
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

庭若葉にはまだ充分に日があるのに、時計の針はすでに夕刻をさしています。作者はたぶん夏みかんのマーマレードでも煮ているのでしょう。柑橘類の香りが厨いっぱいに広がります。日永は春の季語ですが、実際には夏至が最も日が長いので、夕方でも暗くならない若葉の和らいだ色と、ジャムの黄味とが響き合います。ただし句末の文法は誤りです。助動詞「る」は「詰まる」に接続しません。鍋の中に焦点を絞れば実感が出ます。

【添削例】夕若葉マーマレードの煮詰まり来(く)
 

卯の花の谷幾すぢや死者と逢ひ     恩田侑布子(写俳)

あらき歳時記 薔薇

photo by 侑布子 2025年5月18日 樸句会特選句  スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行  古田秀  スケートボードは二〇二一年の東京大会からオリンピック種目になり、いまやトレンド感あふれるストリート・カルチャーです。輪のついたカラフルな板がいま、「蔓薔薇」のアーチをすれすれに蛇行しながらくぐり抜けます。中七のスピード感ある把握に、「蛇行」の句末がさらに華やか。時間にすればほんの一、二秒のスケーターの動きが鮮やかに画面に定着されました。かがやくばかりの若い頬が五月の陽光に映えています。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

4月13日 句会報告

2025年4月13日 樸句会報 【第151号】

 2025年春の吟行は、恩田代表が「恩田侑布子の名句鑑賞」を連載し、会員の毎月の佳句が恩田の鑑賞付きで掲載されているご縁から、SNSアプリ「俳句てふてふ」代表兼編集長 今井竜様のご後援を得て、芭蕉がこよなく愛した近江(大津市)へ、泊まりがけで出かけました。
 琵琶湖線膳所駅に集合し、最初に参詣したのは木曾義仲の胴塚と芭蕉の墓所が並ぶ義仲寺。池から上がってきた石亀が駘蕩と歩む姿が、これから始まる旅の案内役のように見えました。
 近江野菜をふんだんに使ったランチを大急ぎで戴いてから堅田へ移動。出迎えてくださった今井様に、若き日の一休和尚が修養を積んだ祥瑞寺、琵琶湖に臨む満月寺浮御堂等をご案内頂きました。
 この日は次第に風雨が強まり肌寒いほどでしたが、湖畔のカフェで身も心も温まり、かつて水上交通の要衝として栄えた街並みの散策を続けました。そして国指定の名勝 居初氏庭園へ。滋賀県観光協会の特別なお取り計らいで、園内の書院 天然図画亭の茶室で句会が催されました。素早くメモを取る恩田代表や観察に集中する連衆の熱意に力をもらい、吟行2回目の筆者も何とか五句出句という課題をクリアしました。
 夕方からは比叡山の麓にある生源寺日吉大社・山王祭を拝観しました。大津在住の連衆が「今夜の神輿振りは見逃せませんよ」と教えてくれたとおり、豪壮な神事に魅了されました。
 興奮冷めやらぬまま下山した我々を、今井様がご自宅へ迎え入れてくださり、湖岸に打ち寄せる波音を聞きながら夕餉を囲むという贅沢この上ない一夜を過ごしました。
 打って変わって快晴の二日目。漁船に乗り込み、雁の群れ飛ぶ琵琶湖クルーズを満喫し、解散後は各自思い思いの名所旧跡へ足を伸ばしました。
 連衆の一人が「素材がありすぎてかえって急には俳句が読めない」と呟いた今回の旅。感動はしばし醸成され、27日のzoom句会でも近江を詠んだ句がたくさん出されました。
 旅程の企画、二日間のご案内役、さらに宴のご準備までもお世話になった今井様に、参加者一同厚く御礼申し上げます。
 
 特選1句、入選3句を紹介します。
 

花の雲あの世の人ともやひつゝ    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
亀鳴くや巴御前の吐息のせ
             金森三夢

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「亀鳴く」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 どうだんの衣広げり巴塚
               見原万智子

【恩田侑布子評】

満天星の花が咲けば春もたけなわです。義仲寺の木曾義仲の宝篋印塔の傍には小さな自然石の巴塚があり、その上に満天星が覆いかぶさるように枝を広げ、ほころびかけていました。まどやかに剪定された植栽を巴の「衣」と見立てたあでやかさ。小袖を涼やかに広げた巴の颯爽たる風姿が浮かび、最高点句でした。作者は、「満天星」の漢字は、勇猛な巴御前には艶やかすぎると思ったのでしょう。ただ、「どうだんの花」なら間違いなく季語ですが、「どうだん」では「同団の衣」と読まれる心配もあり曖昧です。吟行句の難しいところ。
 

○ 入選
 走り根へ春愁の雨たたきけり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

京都駅から膳所までは傘要らずでしたが、堅田は雨。町並みの落ち着いた水郷のたたずまいを傘越しに眺めて歩きます。満開の桜が雨に散りそめ、内湖にはちらほらと花筏。若き日の一休の修行寺を足早やに、浮御堂へ松の緑をくぐった後、「俳句てふてふ」代表の今井竜さんのご厚意で天然図画亭の庭園を散策し、茶室にて句会を。どこの何の木かわからなくても、仲間同士、次の場所へとはやる心に、まさに「春愁の雨たたきけり」。黒々とした走り根が見えてきます。
 

○ 入選
 花冷や芭蕉に男色のうはさ
               古田秀

【恩田侑布子評】

芭蕉は名古屋の若い米穀商だった杜国を終生愛し、その夭折を惜しみました。晩年の『嵯峨日記』でも、夢に見て「涕泣して覚ム」といい、みずからそれを性的妄想の「念夢」と名づけています。拙著『渾沌の恋人 北斎の波 芭蕉の興』冒頭にあるので、膳所駅近くのイタリアンでも、芭蕉のホモセクシャルが皆の話題になりました。合評では「噂に止まらないでしょ」という声が聞こえました。一理ありますが、俳句では「花冷や」が一句全体に響くため、「うはさ」くらいに措辞を抑えるほうが美しいのです。
 

【後記】
 今回、帰りの新幹線の中ですぐにでもまた旅に出たいと思っている自分に気づきました。出不精だった筆者にもようやく「道祖神の招き」が届いたようです。
 恩田代表から、筆者の句は吟行の場を離れるとやや映像を喚起しないかも、という指導を受けました。対照的に、今日の吟行で我々が見たものとしてはこの表現しかない、と評価された、他の連衆の句もありました。その吟行を離れても普遍的な説得力を持つと評されたのが特選句「亀鳴く」です。
 家からどのくらい離れたら旅と言い得るのでしょうか? 旅に出れば作句の骨法その一「グリップ力」が強化され、いつか普遍性を持つ句を詠めるでしょうか? あぁ、そう言えば……窓外の夜景が明るさを増し、ずいぶん武蔵国へ戻ってきたと感じながら、筆者は『星を見る人』の一節を思い出していました。

 人生は歩行だ。舞踊でも飛翔でもない。ましてや湯につかることでもない。駅へいつもの道を歩く。川のほとりを散歩する。見知らぬ遠い町を旅して歩く。そのとき、現実の風景と同時に感情の風景のなかもいっしょに歩いている。わたしたちの人生の同伴者はつねに感情である。(恩田侑布子著『星を見る人 日本語、どん底からの反転』p8、2023年 春秋社)

 (見原万智子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

ふところは天上大風やまざくら    恩田侑布子(写俳)
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4月27日 樸俳句会
兼題は凧、藤。
入選1句、原石賞3句を紹介します。

○ 入選
 国境無き空へ帰らむいかのぼり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

「国境無き」の措辞からは「国境なき医師団」が連想されると同時に、世界各地の戦乱が思われてきます。前者は、一九七一年にフランスの医師やジャーナリストが設立し、一九九九年にノーベル平和賞を受賞した国際的な医療団体です。後者の戦火はやむどころか激しさを増しています。ロシアはウクライナの首都キーウまで爆撃し、イスラエルはガザで、罪もない子どもを17400人以上も殺しています。この句は、なぜ人は国境線を引き、領土のために人を殺すのかと問いかけます。「国境無き空へ帰」ろうとする凧は、純真な童心をもつ生身の作者の顔を想像させます。
 

【原石賞】畳みたる帆を花過の枕とす
              古田秀

【恩田侑布子評・添削】

帆を畳んで枕にできるのは、きっとヨットを持っているおしゃれな作者でしょう。それを「花過の枕とす」るとは、ますますロマンチックです。ただ、七五五の頭でっかちなリズムが気になります。五七五の定型のうつくしい調べこそ、一句の内容に相応しいはずです。次のように語順を変えれば、花時に乗ったヨットの残像が、今なお胸の底の海か湖を、水脈を引いてすうっと滑っていくようではありませんか。

【添削例】花過のたたみたる帆を枕とす
 

【原石賞】天の凧追う子のわれも風となる
              馬場先智明

【恩田侑布子評・添削】

子どもの凧が大空高く舞い上がりました、風に乗ってぐいぐい引っ張る「天の凧」をおさな子が一心に追いかけてゆくのを、父であるわれも追ってゆきます。その時、ああ私は「風」だと思う瞬間のなんたる気持ちの良さ。気宇の大きな俳句です。惜しいのは「追う子のわれも」の中七のまだるっこさです。この句は真っ二つにスパッと真ん中に切れを入れた方が良くなります。切ることで、親子の関係がイキイキした秀句になります。

【添削例】天の凧追ふ吾子われも風となる
 

【原石賞】薄茶汲むゆがむ玻璃ごし花吹雪
              前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

「薄茶」といっているので、「濃茶」と対になった、茶の湯の場面を思います。しかし「湯を汲む」といい「薄茶点つ」はいっても、「薄茶汲む」とは耳なれません。「ゆがむ玻璃ごし花吹雪」の十二音のフレーズは、あたかも谷崎潤一郎の『細雪』のように美しいシーンです。いまの工場生産ではない、明治か大正の板硝子は、わずかに景色の歪むところに味わいがあります。そのレトロな硝子を透かしてみる「花吹雪」だからたまりません。広間で茶筅を静かに振る気張らないシーンにすれば、いっそう優美さが匂います。

【添削例】お薄点てゆがむ玻璃ごし花吹雪
 

天心のふかさなりけり松の芯     恩田侑布子(写俳)