令和2年11月1日 樸句会報【第98号】 “ニューノーマル”な暮らしを余儀なくされつつも、徐々に市民の文化活動がもとに戻りつつあります。本日のみ、会場をアイセル21から静岡市民文化会館に変更しての句会でした。冬が近づく澄んだ風通しのいい部屋で、新しいメンバーも加わり一同新鮮な気持ちで句会に臨みました。 兼題は「刈田」「そぞろ寒」です。 入選2句を紹介します。 ○入選 そぞろ寒有休残し職を退く 見原万智子 理屈がなく、実感のある句です。パンデミックの二〇二〇年は、途方も無い失業者を世界中で激増させています。作者もなんらかの理由で退社することになりました。「職を退く」の措辞に志半ばのさびしさがにじみます。どうせ辞めるなら有給休暇を目一杯取ればよかったと思うものの、現実は甘くなく、言い出せる雰囲気ではなかったのです。男性は二割強、女性は六割近くが非正規が、現在のわが国の労働環境の実態です。早期退職に応ずれば数千万もの退職金が出る会社もありますが、とてもとても。その薄ら寒い心象と、冬に向かう気持ちが季語に自然に籠もっています。この句の良さは一身上の事情がすなわち、現代社会の写し絵になっている重層性にあります。 (恩田侑布子) 【合評】 今はむしろ会社から有休を取らされるものではないか。 若干説明的かもしれないが、現代の雇用状況の厳しさと「そぞろ寒」の実感の取り合わせが良い。 ○入選 マネキンの顔に穴なしそぞろ寒 古田秀 人間は穴の空いた管です。『荘子』でいえば七竅(しちきょう)(両目、両耳、両鼻孔、口)が、ものを見聞きし、匂いを嗅ぎ、食べ、喋っているのです。マネキンにはうらやましいほど大きな瞳があり、すっきりと高い鼻があります。ところが、よく見るとどうでしょう。穴がありません。ふさがっています。当たり前のことに改めてゾッとした瞬間です。一句はわたしたちが穴の空いた管であることを振り返らせ、同時に、いつもきれいと思っているものの非人間的なそぞろ寒さを突きつけて来ます。同じ秋季でも、やや寒・冷ややか・肌寒はより体性感覚に、そぞろ寒はより心象にふれる季語です。感覚の鋭い「そぞろ寒」の句です。ただし、最近のマネキンはのっぺらぼうや、頭部がそもそもないものが多いようです。都会詠、人事句の古びやすさはその辺にあるのかもしれません。 (恩田侑布子) 【合評】 些事に追われ何かに違和感をおぼえても深く考えないようにしている、そんな私の毎日に釘を刺されたように思った。 思い浮かぶマネキンの様子によって大分印象の変わる句。 披講・選評に入る前に今回の兼題の例句が板書されました。 刈田昏れ角力放送持ちあるく 秋元不死男 鶏むしる男に見られ刈田ゆく 大野林火 ぴつたりと居る蛾の白しそぞろ寒 角田竹冷 口笛を吹くや唇そぞろ寒 寺田寅彦 [後記] 私自身も樸に入会してまだ半年ほどですが、新しい方が加わって句会が活性化するのはいつでも良いことのように思います。一方で、俳句を始めよう、学んでみようと思った人に対して俳人・結社側の姿勢は十分に応えられていると言えるでしょうか。俳壇の高齢化が言われ続けて久しい昨今ですが、当然ながら若年層を多く取り込んでいく組織ほど“寿命が伸びる”でしょう。科学の世界では、研究者は自身の専門分野に関して、世間への啓蒙活動に研究の10%程度の時間を割くべきだと言われています。SNS・インターネットや出版物での適切な情報発信はこれからも重要な仕事だと思います。私も30歳になったばかりです。2,30代の若者よ、ぜひ樸に来たれ! (古田秀) 今回は、○入選2句、△3句、ゝシルシ7句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 11月25日 樸俳句会 兼題「短日」「帰り花」 入選句を紹介します。 ○入選 短日や匂ひ持たざる電子辞書 山本正幸 金属の辞書はモノとして古くはなっても、紙の辞書のような色つや匂いはありません。ましてや長年の手擦れによる角のまるみや紙のヤケなど、味のあるやつれた表情など望むべくもありません。金属の電子辞書のいつまで経っても怜悧な佇まいに、使い古したつもりでいた自分が、逆にほころぶように老いてゆくことに気づき愕然としたのです。「短日や」の季語に自身の老いが重なり、「匂ひ持たざる電子辞書」が再び「短日や」に返ってゆきます。芭蕉の名言、「発句の事は行きて帰るこころの味はひなり」(「三冊子」)を思い出させる優れた俳句です。 (恩田侑布子) 次回の兼題は「木の葉」「紅葉散る」です。
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10月21日 句会報告
令和2年10月21日 樸句会報【第97号】 秋晴の午後、十月2回目の句会がもたれました。久しぶりに神奈川県から参加した連衆もありおおいに盛り上がりました。 兼題は「鵙」「野菊」です。 入選2句、原石賞1句を紹介します。 ○入選 熱気球ゆさり野菊へ着地せり 村松なつを 地上から見上げて居た秋天の熱気球は点のようだったのに、高度を下げはじめるや、みるみる大きくなり、「ゆさり」と野菊の咲く原っぱに着地した。熱気球の篭の大きさとそこに乗っている人の重みの実感が「ゆさり」というオノマトペに見事に籠もっています。野菊の白さと、細やかな花弁のうつくしさ、気球の渡ってきた秋空の美しさが充分に想像でき、映像として迫ってくる空気感ある秋の俳句です。 (恩田侑布子) 【合評】 秋の空の美しさと地面に咲く野菊の様子が気持ちよく浮かんでくる。 私なら野菊を花野で詠んでしまいそうですが、野菊としたことで、秋の野原の中の、野菊が咲いている一点をクローズアップ出来ています。「熱気球ゆさり」という措辞も面白い。 熱気球は、風を読む力とバーナーの熱の調節だけで操縦するため、思い通りの場所に着地するのはとても難しい。この気球のパイロットも、意図せずに野菊の上に着陸してしまったのかも知れない。「ゆさり」というオノマトペが、熱気球の巨大さと、偶然かつ静かな着地を表現している。 野菊を詠った句の中で、新しい切り口だと思います。 気球と野菊、空と地、大と小の対比を「ゆさり」のオノマトペでつないだ良い句。 野菊でなくてもいいのでは? 秋の澄んだ空が見えてきます。 「野菊に(•)」としたらどうなのでしょう? ← この質問に対して恩田は「ここは<野菊へ(•)>でなくてはいけません。方向と動きが出るのです。<へ>という助詞は使い方が難しいけれど、この句は成功しています」と解説しました。 ○入選 クレジツト払ひの火葬もず日和 村松なつを 「クレジット払ひの火葬鵙日和」の表記のほうがカチッとします。なんでも電子決済になってゆく世の中。とうとう葬儀費用どころか火葬場の支払いまでクレジットカードになった。清潔この上ないつるつるの床の火葬場。無臭で、どこにも人間の体温の気配すらしません。谷崎の陰翳礼讃の日本はどこにかき消えたのでしょう。死者を送る斎場からも一切の陰影が拭われてしまいました。現代の葬儀と、死者をとむらう意味を現代人に問いかけてくる怖ろしい俳句です。 (恩田侑布子) 【合評】 葬儀だけではなく、体と気持ちを寄せ合う機会が急速に減っていることの意味を問う俳句です。 句の現代性がまず良いと思いました。日々の生活の中での新しい視点。クレジットにするとポイントがつきます。人の死に対してポイント? ギャップがあり、恐れ多いことかもしれませんが、そこを繋げる面白さがあります。季語が落ち着かない秋の空気感を表していると思います。 現代を象徴していて、俳味が感じられます。 「もず日和」のイメージと合わないのでは? 火葬料は役所に払うわけですからたぶんクレジット払いはできない。ここは葬儀代ではないのですか?(作者によれば、掲句はじつは飼犬の火葬場を詠んだもので、クレジットカード払いができたとのことです) 【原】ラ・フランス友の名字がまた変はり 田村千春 再婚し、こんどまた三度目の結婚をした友達でしょうか。 おしゃれな味ながらどこか腐臭の美味しさを楽しむラ・フランスに、その女性の人物像が髣髴としてくる面白い俳句です。一字のちがいですが、 【改】ラ・フランス友の名字はまた変はり こうすると調べが軽快になるとともに果物と友のノンシャランな雰囲気も出てきます。 (恩田侑布子) 【合評】 ラ・フランスは、季節にならないと意識に上らない果物。この友人との関係も、引っ越しの挨拶や年賀状のやり取りが中心の距離感なのかも知れません。座五には、経緯のわからない軽い驚きと、ラ・フランスのように人生を追熟して幸せを掴んでほしいという祈りが込められているようです。 取り合わせの意外さに思わず採ってしまいました!また名字が変わるということは結婚と離婚をしたということなのでしょうが、ラ・フランスの効果なのか、私には再婚して名字が変わったように読めました。そして作者はそれを聞いて、あまりネガティブな感情を持っていないような気がしました。 離婚・再婚を繰り返している友なのでしょうか。ラ・フランスとの取り合わせのセンスがとてもいいと思いました。 本日の兼題の「鵙」「野菊」の例句が恩田によって板書されました。 野菊 頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原 石鼎 秋天の下に野菊の花辨欠く 高浜虚子 夢みて老いて色塗れば野菊である 永田耕衣 けふといふはるかな一日野紺菊 恩田侑布子 鵙 たばしるや鵙叫喚す胸形変 石田波郷 百舌に顔切られて今日が始まるか 西東三鬼 はらわたのそのいくぶんは鵙の贄 恩田侑布子 (冬季) 冬鵙を引き摺るまでに澄む情事 攝津幸彦 合評に入る前に、芭蕉『鹿島詣』を読み進めました。本日は美文調の擬古文のくだりです。 芭蕉一行は、「句なくばすぐべからず」(句を詠まなければとても通りすぎられない)ほど畏敬する筑波山を見たあと、鹿島への渡船場のあるふさ(布佐)に着く。その地の漁家にて休み、月が隈なく晴れるなかを夜舟で鹿島に至った。 芭蕉は鹿島に「月見」に行ったというのが通説だが、単に月見に行こうしたのではないのではないか。芭蕉の故郷の伊賀から見れば常陸の国はまさに「日出づる処」である。月が昇る三笠山を光背としている春日大社。春日曼荼羅には神鹿(鹿島からはるばるやってきた鹿)が描かれていて、鹿島神宮と春日大社は深い関係にある。芭蕉には、日本人の文化の古層に迫りたいという気持ちがあったのではないかと思う。芭蕉は近世の人だが、ここの文章は中世・平安に近い感じがします。以上、恩田からユニークな解説がありました。 今回の句会のサブテキストとして、「WEP俳句通信」118最新号の「珠玉の七句」欄の井上弘美さんと恩田侑布子の秋の俳句を読みました。 次の句が連衆の共感を集めました。 汽水湖をうしなふ釣瓶落しかな 井上弘美 歳月は褶曲なせり夕ひぐらし 恩田侑布子 [後記] 本日の句評の中で恩田から「<故郷の>は感傷的になりやすい措辞なのでみだりに使わないほうがいいです。叙情・情趣と、感傷との違いを峻別しましょう」との指摘がありました。 これを「lyrical」と「sentimental」と(勝手に)言い換えてみて実に納得できた筆者です。なるほど「センチメンタルジャーニー」はあっても「リリカルジャーニー」はあまり聞かないよなあ、と独りごちました。 句会が果て、投句をめぐる熱い議論をアタマの中で反芻しつつJR静岡駅へ向いました。駿府城公園の金木犀の香にうたれながら。 (山本正幸) 次回の兼題は「そぞろ寒」「刈田」です。 今回は、〇入選2句、原石賞1句、△9句、✓シルシ9句、・4句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
9月23日 句会報告
令和2年9月23日 樸句会報【第96号】 颱風12号が近づいているということで曇り空と強風の中での句会でした。いつもより出席者の数は少なめでしたが、自由闊達な意見が飛び交いました。連衆の人生観、死生観、恋愛観などが垣間見え、俳句作りの面白さを再確認できました。 兼題は「颱風」「野分」「蟋蟀」です。 原石賞1句を紹介します。 【原】手枕のこめかみで聞くちちろ虫 村松なつを 「手枕(たまくら)」はふつうは異性の腕枕をいいますから、もしかするとこの二人の愛情には別れがしのびよっているのかもしれません。「こめかみ」という措辞にも神経が冴えて眠れなくなるような淋しさがあります。手枕という愛のしぐさから、意外にも満足感とは反対の方向へ落ちてゆき、そこに鳴いている「ちちろ虫」の声もか細い絶え絶えのものに思われてきます。甘さが闇に着地する五七五の展開に静かな意外性があります。そこが面白い俳句です。よりいっそう男女のあいだのデリケートな心理の陰影を感じさせるには「で」ではなく「に」にすべきでしょう。こうすると愛の名句になりませんか。 (恩田侑布子) 【改】手枕のこめかみに聞くちちろ虫 【合評】 小さくちちろ虫の声が聞こえてくる 「こめかみで聞く」というのが素晴らしい発見 「手枕」は自分のだろうか?それとも相手の? 選句に入る前に、『現代秀句 新・増補版』(正木ゆう子)に掲載された恩田の句と鑑賞の紹介がありました。 天網は鵲の巣に丸めあり 恩田侑布子 また、今回の兼題の例句が板書されました。 こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨 こうろげの飛ぶや木魚の声の下 夏目漱石 通夜僧の経の絶間やきりぎりす 夏目漱石 颱風はいそぎんちやくの踊る闇 三橋鷹女 象徴の詩人を曲げて野分かな 攝津幸彦 台風の目白押しなり誕生日 恩田侑布子 合評に入る前に、芭蕉『鹿島詣』を読み進めました。 行徳から徒歩で行き、八幡を過ぎて「かまがいの原」(現在の鎌ヶ谷周辺)という広い野に出た芭蕉一行は、関東平野の東にそびえる筑波山をはるかに望み、これを称賛します。「つくば山むかふに高く、二峯ならびたてり」と書いた男体山・女体山の双耳峰に対して、「かのもろこしに双劔のみねありときこえしは、廬山の一隅也」と比較するように引用しています。芭蕉の内側に結晶化した古典の教養が筆先から染み出してくるようです。 そして芭蕉の門人である嵐雪が筑波山を詠んだ句が引用されます。 ゆきは不申(まうさず)先(まづ)むらさきのつくばかな テキストの解説には「雪景色のよいことは申すまでもないが、まず春先の紫に霞む筑波の眺めは素晴らしいの意」とありますが、秋の月見を目的とした紀行文に春の句を引用するのはやや奇妙です。ここでは、筑波山の尊称を「紫峰」と言うことから春の句をおしたてるというよりは筑波山を称賛する意図が勝っているのでは、という解説が恩田からありました。 その後、古事記の「にひばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」「かがなべて夜には九夜日には十日を」の唱和を起源とすることから連歌を筑波の道とも言うことに触れ、詩歌にゆかりのある筑波山に対し、歌や句を詠まずに通り過ぎることはできない、「まことに愛すべき山のすがたなりけらし」と述べて段落が終わりました。本日読んだ部分は、芭蕉が筑波山への思い入れや愛を存分に語った勢いにあふれる文章でした。 [後記] 欠席者・欠詠者が普段より多く、寂しい印象は拭えない会でしたが、次回から県外の方も参加できるようになるとのことで、楽しみにしております。今回は「ラピュタ」や「ケアマネ」などのカタカナ語を使った句の講評の中で、恩田から「なるべく時間の経過に耐える言葉で「今この瞬間」の感動を詠むのがよい」というアドバイスがありました。「現在性」というのは今この瞬間に生きている人間だけが持つ特質であり、私たちには世界を古びさせないための責任があります。決して古びない言葉で、「今この瞬間」の感動を形にすること。そのようにして「今この瞬間」の世界は世界としての輪郭を持つようになるのかもしれません。 (古田秀) 次回の兼題は「月」「鰯雲」です。 今回は、原石賞1句、△2句、ゝシルシ5句、・18句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
8月2日 句会報告
令和2年8月2日 樸句会報【第95号】 Withコロナの時代、リアル句会が復活して4回目です。県外の連衆は来館制限されているため少人数でしたが熱い議論となりました。 兼題は、「髪洗ふ」と「裸」です。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選 ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください ○入選 立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ 山田とも恵 自転車で出発。思わず立ち漕ぎをして急ぎます。心が逸り、炎昼も汗も眼中にはありません。私はそこに行く。まっしぐらに行くのです。もう、心は向こうにあるから。そのとき、です。炎天を踏み抜いた、底が抜けた!と思ったのです。映像を即物的に「立ち漕ぎの踵」に絞ったことが奏効しました。座五の「踏み抜きぬ」で、踵がリアルに異界に突き抜けた感じが出ています。 (恩田侑布子) 【合評】 暑さの激しさと立ち漕ぎで踏み抜くという動きの強さとがマッチしている。 ○入選 裸子の羽あるやうに逃げまはる 前島裕子 ひとは赤ん坊から幼児期に移行するほんのひととき、肩甲骨のあたりに透明な羽をつけます。まだいちども強い日光にさらされていないやわらかな肌。ふくふくした手足のくびれ。その子をバスタオルを拡げて捕獲しようとする母の、なんというしあわせな一瞬。 (恩田侑布子) 【合評】 逃げまわっている子どもの動きが見えるよう。裸であることで楽しさが増すような。 子どもの貝殻骨はよく動く。その光景がよく見えます。 「羽あるやうに」がいいですね。幼児の肩甲骨は天使の羽に擬せられますから。 【原】裸子や目に羊水の波頭 見原万智子 おかあさんの胎内の羊水にただよう胎児を裸子とみた着眼にインパクトがあります。ただ「波頭」はどうでしょうか。強すぎませんか。推敲はいろいろ考えられますが、たとえば一例として次のようにすると、羊水と母なる海とがダブルイメージとなり、内容にふくらみがうまれそうです。 【改】はだか嬰よ目に羊水のしじら波 (恩田侑布子) 【合評】 羊水を海に喩えたのですね。精神分析の世界のようにも思えます。 「生まれたての赤ちゃんの目を覗き込んだら、羊水の波頭が見えた」という風に読みました。なんだか本当の波の音も近くで聞こえているような気もします。とても詩的な光景だと思います。羊水の波頭っていいなぁ…。 披講・合評に入る前に、恩田から本日の兼題の例句が板書されました。 裸 伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸 中村草田男 はだかではだかの子にたたかれてゐる 山頭火 海の闇はねかへしゐる裸かな 大木あまり 髪洗ふ 洗ひ髪身におぼえなき光ばかり 八田木枯 洗い髪裏の松山濃くなりぬ 鳴戸奈菜 髪洗ふいま宙返りする途中 恩田侑布子 風切羽放つごとくに髪洗ふ 恩田侑布子 サブテキストとして、恩田がSBS学苑で指導している「楽しい俳句」の会員の句(2020年5月1日静岡新聞掲載)を読みました。 連衆の共感を集めたのは以下の句でした。 春の雨知らぬ男の傘がある 美州萌春 歌がるた公達の恋宙を跳び 都築しづ子 春の雨窓に小さき鼻の跡 活洲みな子 鉄瓶の湯気やはらかし女正月 石原あゆみ [後記] やっぱりリアル句会に勝るものはないようです。合評における言葉のやりとり(ときに応酬)が次々に化学反応を起こし新しい世界が現出していく様は、まさに「句座を囲んでいる」ことを実感させるものでした。特に今回は身体に即した兼題でしたので、連衆の生活の一端が垣間見え、大いに盛り上がったのです。恩田も全体の講評の中で「選評にはおのずと異性観や恋愛観があらわれ、愉快な句会でした」と述べています。そうか、おのれの異性観・恋愛観を振り返る契機としての句会でもあったのだな…いやまだこれから異性観などを変えることができるのかもしれないなぁ…などと独りごちた筆者でした。 (山本正幸) 次回の兼題は「天の川」「門火(迎火、送火)」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ3句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 8月26日句会 入選句 兼題「天の川」・「門火(迎火、送火)」 ○入選 天の川みなもと辿る野営かな 金森三夢 それきりのをんな輪切りの檸檬かな 古田 秀
7月22日 句会報告
令和2年7月22日 樸句会報【第94号】 梅雨明けの好天にいよいよ夏らしさが増してきました。コロナ対策のため窓を開け放ち、大暑の熱気に包まれた句会でした。 兼題は「緑蔭」「木下闇」「瀧」です。 原石賞6句を紹介します。 【原】瀧どどど手話のくちびる濡らしをり 村松なつを 「瀧」の季語に「手話のくちびる濡らしをり」は素晴らしいフレーズ。でも、擬音語の「どどど」は内容にふさわしいオノマトペでしょうか。しかもたいへん目立っています。オノマトペは、詩なら中原中也の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」、萩原朔太郎の「とをてくう、とをるもう、とをるもう」、俳句なら松本たかしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」のように、鮮度とオリジナリティがもとめられます。逆にいうと、オノマトペは斬新な手応えがあったときのみ使えるもので、安易に使うものではありません。そこで一例として、こんな添削案もあります。 【改】朝の瀧手話のくちびる濡らしをり (恩田侑布子) 【合評】 爆音と無音のコントラスト 【原】泡と消ゆ瀧くゞれども潜れども 見原万智子 瀧行というわけではありませんが、瀧遊びをした体験をお持ちの作者でしょう。中七以下に実感があってリズムも夏の太陽にふさわしい健康感です。ただしこのままではせっかくの実感が「泡と消」えてしまいそう。もったいないです。素直に次のようにすると、もっともっと潜っていたくなりませんか。 【改】泡真白瀧くゞれども潜れども (恩田侑布子) 【合評】 「くゞれども潜れども」のリズムが、瀧の中でもみくちゃにされている身体感覚を表現してとても面白い。ただ「泡と消ゆ」という外側からの視点とのつながりがよくわからなかった。 【原】果てなむ渇きくちなしの花崩る 山田とも恵 くちなしの花は散る前に黄変して錆びたようになります。そこに心象が重なってくる大変面白い句です。いい得ない女の情念が匂い立ちます。ただ表現上の「なむ」と「崩る」がもんだいです。「崩る」は散るを意味し、地に落ちたら渇きは終わります。そこでまだ終わらない果てしない渇きを出すために次の添削例を考えてみました。でもお若い作者です。じっくり推敲を重ね、ご自身でさらに句を磨きあげていってください。 【改】果てなき渇きくちなしの花尽(すが)れ (恩田侑布子) 【合評】 七七五のリズムと下五の「崩る」が合っていると感じました。 【原】木下闇的外したる天使の矢 金森三夢 キューピッドの番えた恋の矢が的を外れてしまったようです。うっそうとした木下闇に墜ちた矢はそのまま拾う人もいません。原句は中七の「外したる」がもんだいです。的を故意に外した主体が失恋した作者とは別にいるようです。恋の矢が木下闇に墜落したことだけをいいましょう。印象が鮮明になりますよ。 【改】木下闇的はづれたる天使の矢 (恩田侑布子) 【合評】 外れた矢は闇に吸い込まれて見つかりそうもないし、恋の顛末も気になるし、とってもファンタスティックです! キューピッドを思わせる天使が的を外すというコミカルな感じが良い。 【原】木下闇結界のごと香り満ち 猪狩みき ものの感受に詩人の感性があります。野山に木下闇が出現したばかりの五月下旬は、たしかに何の花の香ともしれず芳しい匂いが立ち込めています。それを「結界」と捉える感性に脱帽しました。ただ一つ惜しいのは句末の「満ち」です。これこそ蛇足。俳句は説明過多になると弱くなり、省略が効くと勁くなります。把握が非凡なのです。自信をもっていい切りましょう。 【改】結界のごとくに薫り木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 「木下闇」が香るという発想に惹かれました。足を踏み入れることを拒む「結界」のようだと。その香りには甘美にして危険なものが潜んでいるのかもしれません。 【原】口紅の一入紅し木下闇 田村千春 日を暗むまで枝々の茂る木陰で、口紅の色彩がひとしお強く感じられたという把握に感覚の冴えがあります。ただ耳で聞けば気になりませんが、視覚的には「口紅」「紅し」の文字の重なりが気になります。次のようにされると「ひとしお」の措辞が生きて、不気味な情念まで感じられませんか。 【改】口紅の色の一入木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 木下闇を舞台装置とした愛欲を感じさせる措辞が良い。 「木下闇」によって紅さに不気味ささえ感じる。 披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を最後まで読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。 ゆく駒の麥に慰むやどりかな なつ衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず 一句目は甲州を経由して江戸に帰る道中、宿のもてなしに対する感謝を馬のよろこびに託した句。馬が麦畑の穂麦を食む情景を詠いつつ、宿にありつけた自らの姿も重ねている。二句目は「野ざらし紀行」最後の句。長い旅路を終えて深川の芭蕉庵に帰ってはきたものの、旅の余韻に浸りただぼんやりと日々を過ごしているさまを詠っている。旅の衣さえいまだに洗わず放っておいているような、快い虚脱感。 巻末には挨拶句の名手であった芭蕉の、様々な人との交流で生まれた応酬句や、芭蕉を風雅の友として称揚した山口素堂の跋文も寄せられているが、本文中では省略。「野ざらし紀行」は芭蕉が芭蕉になっていく成長段階が濃縮された紀行文であり、「風雅と俳諧の一体化」という芭蕉の文学史上の功績をつぶさに見ることができる。 [後記] アイセルが使えるようになってから3回目の句会でしたが、県外の方はまだ参加できず人数は少なめでした。会場も句会の議論も風通しがよく、自由闊達な意見が飛び交います。今回は複数の句について恩田から「修飾が多いほど句は弱くなる」と指摘がありました。言葉の修飾によって格調や巧さを演出するのではなく、季語との体験を通して身の内に湧き上がる詩情をいかに掬いとるかが大切なのだと痛感しました。小説さえも自動生成できるAI時代にあって問われるものは表現技法ではなく動機です。私たちの心を動かし句を詠ましむるものは何か、今一度振り返るべきだと思いました。(古田秀) 次回の兼題は「裸」「髪洗ふ」です。 今回は、原石賞7句、△1句、ゝシルシ7句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
6月24日 句会報告
令和2年6月24日 樸句会報【第93号】 句会場のアイセルがようやく開館。万全のコロナ対策をして、三か月ぶりのリアル句会となりました。 兼題は、「青芒」と「夏の蝶」です。 入選1句、原石賞2句、△4句の中から3句を紹介します。 ○入選 よこがほは初めての貌青すすき 田村千春 女性の恋情がひそんでいます。思う人の横顔をまともに見た初めての瞬間でしょう。青芒のひかりとの配合が初々しく青春性も豊かです。「貌」は相貌のことで人格、風格をあらわすので横顔と抵触するという批評はあたりません。 (恩田侑布子) 【合評】 素敵な恋の句。無駄な言葉が一切なく、「青すすき」で精悍さや作者の視線まで浮かびあがります。 単純な恋の感情を直接言っていない。ありがちでない表現です。 【原】壺の闇へ挿す一握の青芒 村松なつを 上五の字余りで、リズムがだれます。「の」をとれば素晴らしく格調が高い句になります。 【改】壺闇へ挿す一握の青芒 (恩田侑布子) 【合評】 よく分かる情景です。壺の闇は心の闇かもしれない。そこへ青芒を挿しこんで明るくしたのでは…。 「一握の」が効いています。詩があると思います。 【原】黒揚羽朝よりまふ立ち日かな 前島裕子 既視感があるという評もありましたが、実感があります。大切な人の命日に、朝から黒揚羽が庭に来て、打座即刻に口をついて出た句でしょう。原句はやや読みにくく感じられます。アシタよりでなく、「朝より舞へる立日」とはっきりしたほうが、亡き人の気配が返って濃く感じられそうです。 【改】黒揚羽朝より舞へる立日かな (恩田侑布子) 【合評】 立日に黒揚羽。夏の特別な日を感じます。 人の死を「黒」に託すのはストレートで、よくある気がします。 △ 年上の少女と追へり夏の蝶 島田 淳 小説的な結構をもつ句です。頑是ない少年にとって、少しだけ年上の少女は大人びた世界の入り口を垣間見せてくれる眩しい存在でしょう。「夏の蝶」という措辞によって、少女の美貌も匂い立つようです。親戚か、近所の少女か、どちらであっても、容姿の水際立った少女とあでやかな蝶を追った夏の真昼。大型の蝶はたちまち高空に駈け去り、夏天だけがいまも残っています。 (恩田侑布子) 【合評】 少年の白昼夢のようです。 甘い郷愁を誘います。夏休みに東京から綺麗ないとこが来て一緒に遊んだことを想い出しました。 △ 黒南風や日常に前輪が嵌まる 山田とも恵 「日常」という概念のことばを持って来たため、やや図式的ですが、そうした弱点はさておき、この句はたいへんユニークです。浮き上がった後輪に黒南風が吹き付けているブラックユーモア的情景に鮮度があります。「前輪が嵌まる」、端的で俳諧精神躍如。いいですね。 (恩田侑布子) △ 裸婦像の背より揚羽のおびただし 山本正幸 映像のしっかり浮かぶ上手い句。技巧でつくっているので、ウブな感動に欠けるうらみがあります。 (恩田侑布子) 【合評】 映像の作り方がうまく、「より」「おびただし」の措辞に迫力があります。ただ「裸婦像」は好みの分かれるところではないでしょうか。 「おびただし」が新鮮です。蝶がワッと出た景色ですね。 上手いとは思いますが、なんとなくそれっぽい。手練れになっているのではないか。 披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。 白(しら)げしにはねもぐ蝶のかたみかな 牡丹蘂(ぼたんしべ)ふかく分ケ出(いづ)る蜂の名残(なごり)かな 一句目は杜國に宛てた句。杜國は富裕の米穀商で蕉風の門弟。ただならぬ感性の持ち主だったようだ。文才あり、容姿端麗。この句では白げしを杜國に比している。芥子の白がハレーションを起こし、幻想的である。別離に際して、男への恋心のこもった切ない句であるが、あまりに感情が昂り、かえって分かりにくくなっているきらいもある。 二句目は、芭蕉を厚遇した熱田の旅館主との別れを惜しんだ句である。牡丹は富貴のメタファー。 どちらも贈答句であるが、二句目は「挨拶句」にとどまっている。 芭蕉は感激屋。感情の濃密な人であった。 [後記] いつものようなお互いの顔の見えるロの字型の句会ではありませんでしたが、コロナ禍の自粛生活の欲求不満をぶつけるような談論風発の会になりました。丁々発止。このライヴ感がこたえられません。 本日のひとつの句について、恩田から「決まり切った措辞で構成されていて、パターン化の極み!」との厳しい指摘がありました。句作に際して陥りやすいところだなと自戒しました。特選・入選で褒められるのは嬉しいけれど、なぜ選に入らないのか、句の弱点や難点を教示されたほうが勉強になります。それはそのまま選句眼に直結することを痛感しました。 (山本正幸) 次回の兼題は「虹」「白玉」です。 今回は、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ7句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
6月7日 句会報告と特選句
令和2年6月7日 樸句会報【第92号】 コロナによる自粛生活から徐々に活動も戻り始めていますが、会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「早苗」と「五月闇」です。陽と陰、対極にある季語でしたが、どちらも独自の視点に立つ感性豊かな句が多く寄せられました。 特選1句、入選2句、そして△6句の中から1句を紹介します。 ◎ 特選 早苗田は空に宛てたる手紙かな 田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています ↑ クリックしてください 【合評】 根付きのびはじめた早苗が風にそよいでいるさまはまるで仮名文字、田をうめている。それは、田の神様が空に宛てた手紙のよう。なんて素敵な着眼。 なるほど、早苗が列をなしている田圃は空へ宛てた手紙なのか。とても納得させられる句です。その手紙を読んだ空は、「よしわかった。しっかりお日さまのひかりを浴びてもらうよ、たっぷり雨を降らせるぞ」と決意したに違いありません。天も地も秋の稔りを待ち望んでいます。 ○入選 早苗投ぐ水面の空の揺るるほど 島田 淳 うつくしい早苗田のうすみどりと、水色の空と白雲。そこに今どきの田植機ではなく、手ずから苗を植える早乙女の姿態まで、しなやかな光景が眼前します。丁寧に一株ずつ植えていくので、これは最後の仕上げでしょうか。全体を見渡して、植え残したところを補充するため、早苗を畦から放ったところでしょうか。「空の揺るるほど」が出色で、初夏の野山の青々としたいきおいまで感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 梅雨晴れの朝、黄緑色の早苗が熟練の手で水田に投げ入れられる。一見無造作に見える所作だが、そこに秋の実りへの期待感が伝わって来る。水面に映える青空の輝きと苗の緑の色彩感覚も見事。 懐かしい田植え作業の一コマを素直に切り取る。邪心のない句。 ○入選 早苗舟登呂の残照負うてゆく 金森三夢 登呂遺跡の古代米の早苗を詠まれ、静岡の誇る地貌俳句になっています。「早苗舟」という傍題の選び方も的確です。「残照」が夕焼けの残んのひかりであるとともに、歴史の残照でもあり、千数百年の民族の旅路をはるばると感じさせてくれます。 (恩田侑布子) 【合評】 弥生時代にタイムスリップしたかのようです。登呂の緩やかな地形を感じます。水平方向の視線の先に早苗舟と夕陽が重なり、胸があつくなりました。 夕刻の光と早苗の青々とした色の対比がいいですね。登呂は弥生時代の農耕生活を伝える地。原初の夕映えのなかを早苗舟がすすんでいく光景はまさに一幅の絵です。 △ 来年のおととい君と苺月 見原万智子 六月の満月を「苺月」というのですね。今回初めて知りました。まだ国語辞書には載っていないようです。「来年のおととい」はけっして来ない夜でしょう。好きな相手、たぶん女性を思いながら報われない思いに小さくヤケになっている男心がいじらしいです。ストロベリー・ラブというのでしょうか?この句の作者がおっさんならいいのですが、もしも作者が女性だと、急にナルシシズムの匂いがしてきます。ふしぎですね。 (恩田侑布子) 【合評】 とるか迷いましたが、攻めてる姿勢に一票。「苺月」は先日のストロベリームーンことでしょうか。「来年のおととい君と」という表現が好きです。言語的には正しくないのかもしれませんが、こんな使い方をしたくなる時がある気がします。「来年の今日だと君と過ごしたい日は過ぎてしまっている」という切実さがあります。ただ苺月だと甘く見えすぎてしまうかなと思います。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の「神橋」12句(『俳句』2020年新年号)を読みました。 『神橋』12句および連衆の句評は恩田侑布子詞花集(←ここをクリック)に掲載しています。 [後記] 「今回はいつもにも増して、しなやかな感性の匂う素晴らしい作品が多かった」との総評を恩田からいただきましたが、筆者も締め切り時間ぎりぎりまで選句に迷いました。自分にはない発想、感性の句は大きな刺激になります。また、今回も恩田の全句講評および電話での懇切丁寧な個人指導もいただき、なんとも贅沢なネット句会でした。(天野智美) 次回の兼題は「青芒」「夏の蝶」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、△6句、ゝシルシ6句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
5月27日 句会報告
令和2年5月27日 樸句会報【第91号】 新型コロナウイルス禍で“自粛”の毎日です。会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「浦島草」と「青葉木菟」です。 △5句を紹介します。 △ 青葉木菟結婚記念日の手紙 芹沢雄太郎 結婚記念日に、夫から妻に、妻から夫に、感謝の手紙をかわされる仲の良いご夫妻でしょう。これがもしも「時鳥」や、季節の違う「梟」だったら、人の世の縁のふしぎさを思わせるこんなファンタジックな味わいは生まれませんでした。山の緑、森の深さが感じられ、趣深く安定感のある作品です。 (恩田侑布子) △ 草深く眠るボールや青葉木菟 天野智美 ちょっとした郊外の学校や幼稚園のそばの杜には青葉木菟が棲んでいます。私にもそんな思い出があります。野球のボールを山裾に飛ばして見つからなくなってしまったのでしょうか。探しても探しても出てこなかったボールを「草深く眠る」としたところに、作者のこころのあたたかさがにじんでいます。 (恩田侑布子) 【合評】 地上のボール=樹上の鳥。昼の子のざわめき=夜の鳥の声。→初夏の夜の静寂は透明。 春夏の甲子園が消えた今年。ボールは伸び切った雑草の中で眠っている。耳の尖っていないボールのような顔かたちの青葉木菟が涙にくれる球児にやさしく寄り添うような愛おしい景が伝わる。 △ うつし世に糸を流して浦島草 村松なつを 浦島さんは龍宮城のある海底にまで糸を垂らしたいのに、というこころが余白にあります。この雑駁とした現世に糸を流さなければならないあわれがそこはかとなく感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 浦島太郎と一緒に未来へタイムスリップしてしまった草でしょうか・・どおりで珍妙な姿です。うつし世では身を持て余し、釣れないと分かっている糸を流しているのですね。 △ 浦島草おとこひとりの喫茶店 萩倉 誠 意外性があります。一人で行った喫茶店の入り口、あるいはあまり日の当たらない窓辺などに浦島草の鉢植えが置かれていたのでしょう。「おとこひとりの」が出色です。浦島太郎が現代に蘇ったら、だれも連れず一人でふらっと喫茶店に行きそうです。そこできっと海よりも深い懐旧に沈むのですね。ブラックコーヒーを喫みながら。 (恩田侑布子) △ 浦島草早引けの子の眺めゐる 田村千春 「へー、これって、あの浦島太郎さんの花なの」という小学生の声が聞こえてきそうです。何と言っても「早引け」がくすっと笑わせる俳味があります。浦島さんは乙姫様の色香、そして食欲、つまり五欲に溺れてついつい長居してしまったのですから。 (恩田侑布子) 【合評】 学校を早引けしちゃったんだね。帰り道、浦島草を見つけた。釣糸のように長く細い花軸の先には何があるのだろう。先生も知らない不思議な世界が拡がっているのかもしれない…。そこにいつまでもしゃがみこんでいる子のやさしい眼差しに共感しました。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が抄出した「芝不器男 代表二十九句」を読みました。 抄出句及び連衆の句評は 注目の俳人 芝不器男 代表二十九句(恩田侑布子抄出)に掲載しています。 ↑ クリックしてください [後記] 今回の兼題(浦島草・青葉木菟)。筆者にはほとんど馴染みがなく、どうしたら実感をともなった句が詠めるのか難儀しました。実際にそのモノに接しないとダメなのか?でも、そもそも「実感」って何?「実感」しているワタシって誰?「体験」するとはどういうこと?などと頭の中はもうループ状態。 連衆は兼題に果敢に挑みバラエティに富んだ句が並びましたが、季語の説明に終ったり、即き過ぎだったり…。しかし、恩田の丁寧な全句講評・添削により、無点だった句もどこが弱点かわかり、△以上の句も焦点が定まり、新たな世界が広がりました。 今回で4回目のネット句会。侃侃諤諤のリアル句会が恋しい筆者です。(山本正幸) 次回の兼題は「早苗」「五月闇」です。 今回は、△5句、ゝシルシ8句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)