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5月3日 句会報告

20200503 句会報用上3

令和2年5月3日 樸句会報【第90号】 青葉が美しく生命力にあふれた季節ですが、今回もネット句会です。本日は憲法記念日。恩田から出された兼題はまさに「憲法記念日」「八十八夜」でした。形のないものを詠むのに苦労しつつも独自の視点に立った面白い作品が多く寄せられました。 入選1句、原石賞1句及び△6句を紹介します。    ○入選  突堤のひかり憲法記念の日                山本正幸 第九条をとくに念頭にした志の高い俳句と思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という理想主義、平和主義を諸国に先んずる「突堤のひかり」と捉え、人類の平和のためにこの理想を失いたくない。胸を張って守って行きたい、という清らかな矜持が滲んでいます。共感を覚えます。 (恩田侑布子) 【合評】  堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。     【原】化石こふ故郷八十八夜かな                前島裕子 作者のふる里は、なんとかの化石の出土地として有名なところで、きっと作者ご自身もそれが誇りであり自慢なのでしょう。その化石と故郷が結びついたユニークさが取り柄の句です。 「望郷の目覚む八十八夜かな」という村越化石の代表句を思い出したりもしますが、と、ここまで書いて、そうか、これは村越化石を題材にした句であり、地質時代の遺骸の石化なぞではないんだとあわてて気づいた次第です。だとしたら、他人事に終わるのではなく、 【改】化石恋ふ故郷に八十八夜かな とご自分の位置をはっきり示されたほうがより力のある句になるのではないでしょうか。 (恩田侑布子)      △ お隣は実家へ八十八夜かな               樋口千鶴子 お隣さんはこぞって里帰りでがら空き、すこしさみしい、でも隣家のみんなのにぎやかな笑い声を想像してなんとなくほのぼのともしてしまう。そういう八十八夜のゆたかさがよく表れた俳句です。言外にふくよかさがあります。 (恩田侑布子)      △ 補助輪を外す憲法記念の日               芹沢雄太郎 憲法成立時のいさくさを思い、いい加減にアメリカというつっかえ棒をなくして、私たち国民の正真正銘の憲法として独立自尊させよう。という健全な民主主義への思いを感じます。 子供の自転車の補助輪を持ってきたところなかなかですが、寓喩性がやや露わなのが惜しまれます。 (恩田侑布子) 【合評】お孫さんかな、補助輪がはずれ颯爽と自転車をこぐ、自慢げな顔がうかぶ。「憲法記念の日」がきいていると思う。現行憲法が施行され70年が経過した。この日はそろそろGHQの補助輪を外し、良きものは残し、是々非々の自主憲法の制定を考える日でありたい。補助輪と憲法が響く。        △ 体幹を伸ばす八十八夜かな               芹沢雄太郎 気持ちのよい俳句です。背筋を伸ばすならふつうですが、「体幹」は身体の中心なので、こころまで、精神まで正し伸びやかにする大きさがあります。実際どのようにするのかイメージが湧けば更に素晴らしい句になることでしょう。 (恩田侑布子) 【合評】 初夏で本来なら心が浮き立つ時期・・しかしステイホームで運動不足。外出できる日に備えてストレッチ・・健全な心掛けですね。        △ 秒針の音よりわづかあやめ揺る               山田とも恵 真っ直ぐで清潔な茎と、濃紫の印象的なあやめの花の本意をよく捉えています。初夏の夜の繊細なしじまが伝わってきます。今後の課題としては、読後に景がひろがってくれるように作れるとなおいいですね。 (恩田侑布子) 【合評】あやめのピンと張りつめたような葉を、秒針の音よりわずかに揺れると表現したのが上手いと感じました。五風十雨のこの地。風も時もゆったりと流れる。心もまた静か。        △ 風呂入れ憲法記念日のけんか               山田とも恵 風呂嫌いの子がけっこういるものです。ささいもない家族の中のけんかを、大きな国家のきまりと溶け込ませて捉えたところにおもしろい勢いが感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 父親と息子のけんかだろうか。 改憲議論からの口論だろうか。いやいやそんな高尚な話ではない。 最後には「とっとと風呂入れ!」の親の一言で結んだケンカ。 憲法記念日という固い季語と「風呂入れ」のギャップが読み手を引き付ける。 国の行く末より家族のあしたの方が問題であり身につまされる。 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。        △ レース編む一目の窓に来る未来               海野二美 夏に向かってレースを編み始めた作者。「一目の窓に」が初々しくていいです。しかも「未来」と大きく出た処、まさに青空が透けて見えて来るようです。 (恩田侑布子) 【合評】 お子さんかお孫さんのために何か編まれているのでしょうか。レースの網目に未来が生まれてくるという発想が素晴らしい。ただ「窓に来る」という表現が若干説明しすぎのような気もしないではないですが、どうでしょう。       今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の『息の根』7句、『よろ鼓舞』7句、計14句を読みました。 連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています。       『息の根』7句 『よろ鼓舞』7句         ‎ ↑       ↑        クリックしてください       [後記] 筆者にとって「憲法記念日」は自分の信条を物や景色に託してどこまで出していいか非常に迷う難しい兼題でしたが、逃げずに向き合う良い機会となりました。恩田が総評として次の言葉を寄せています。「憲法記念日の季語は、ふだん感性主体で作っている俳句の土台に、ほんとうは現代の市民としての社会性や、世界認識が必要であることを気づかせてくれたのではないでしょうか。また、八十八夜は、目に見えているのにとらえどころがないおもしろい季語で、こちらは認識というより、いっそう全人的な感性それ自体が問われ、焦点を絞ることの大切さを学ばれたと思います」(天野智美) 次回の兼題は「青葉木菟」「浦島草」です。 今回は、○入選1句、原石賞1句、△6句、ゝシルシ3句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     

4月22日 句会報告

20200422 句会報上

令和2年4月22日 樸句会報【第89号】     前回に引き続き今回もネット句会です。連衆の自宅での生活が増えたせいか、それぞれ自分の生活をしっかりと見つめた句が多く出されました。 今回の兼題は「筍」「浅蜊」です。 入選2句、原石賞3句及び△の高点句を紹介します。     ○入選  鬼平の笑ひと涙あさり飯                萩倉 誠 池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」は、テレビドラマ・劇・アニメと大衆的人気を獲得し続けているようです。浅蜊もまさに庶民の味です。「笑ひと涙あさり飯」と名詞を三つぽんぽんぽんと置いた処、あさり飯のほんのり甘じょっぱい美味しさが、江戸の非道と戦う鬼平の人情とふところのふかさにぴったり。「汁」でなく「飯」であるのもいいです。この一字で締まりました。 (恩田侑布子) 【合評】深川飯か・・江戸っ子俳句は粋だねぇ。      ○入選  リハビリの足先へ降る桜蘂                山本正幸 季語の斡旋が味わい深い句です。もしこれが「落花かな」でしたら一句は甘く流れてしまったことでしょう。「桜蘂」の紅い針のような、見ようによっては音符のような蕊が、傷めたつま先へ降ってくることで、この春じゅうの切なさ淋しさが体感として伝わってきます。リハビリに励む春愁のなかのけなげさ。 (恩田侑布子)       【原】観覧車一望の富士霞をる                前島裕子 内容は雄大な景でこころ惹かれます。観覧車と一望がやや即きすぎかも知れません。いろいろな推敲の仕方がありますが、一案として、   【改】富士霞へと上りつつ観覧車 とされると、雄大な春の空中散歩の気分がかもしだされましょう。 (恩田侑布子)       【原】食卓のキュビスムならむ蒸し浅蜊                山本正幸 発想が斬新。詩の発見があります。「キュビスム」はよく出ました!でも「食卓の」という上五の限定はどうでしょうか。料理名が下五にくるので、やや説明的でくどい感じになってしまい、キュビスムの意外性がそがれませんか。一例に過ぎませんが、   【改】浅蜊の酒蒸し夜半のキュビスムか と、あえて破調の字足らずにするテもあります。リズムもキュビスムにしちゃうのです。 (恩田侑布子)       【原】肩ほそきひと遥けしや飛花落花                山本正幸 恋の句です。夢二の繪のようなはかなげにうつくしい女性と、若き日に花見をしたことがあったのでしょう。もう逢えないひとであればなおさら楚々としてうつくしく飛花落花のはなびらに幻が浮かびます。ただしリズムがややつっかえます。内容の繊細さを生かして、   【改】肩ほそきひとのはるけし飛花落花 と、ひらがな主体にやさしくいいなしたいところです。 (恩田侑布子) 【合評】 夢二?       △ 敗戦の兵筍を提げ帰る               村松なつを 顔の煤けやつれた帰還兵が、筍だけを提げて帰ってきたとは感動の瞬間です。むかし小説か映画でこのシーンをたしかに観たような気がします。気のせいならいいのですが。面白いけれど、デジャビュー感が気になり三角にいたしました。 (恩田侑布子) 【合評】 実際にこういう復員兵がいたのかどうかわからないが、ボロボロになっても不屈の生命力で筍を手に帰ってきた場面を想像すると市井の人の歴史の一コマを見るような感慨を覚える。「提げ帰る」という複合動詞が立ち姿、風貌まで浮かび上がらせてとても効果的。 感傷より食欲か・・人間は逞しい!コロナにもきっと勝利するでしょう。 「提げ帰る」の言い切りに説得力があり、敗戦の光景を知らずともこういう場面があったのかもしれないと感じさせます。「敗戦」と「筍」の取り合わせも、生きることへの希望や強かさを感じさせて良いなと思いました。 疲れ果てた命からがらの復員なのに、せめて家族に何か土産をと探し回った。そういう精一杯の心情を感じました。       今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が『俳句界』2020年4月号に掲載した特別作品21句「何んの色」を読みました。   連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています            ↑       クリックしてください        [後記] 二回目のネット句会でした。連衆の顔を思い浮かべながらの選句・選評は、自宅での生活が続く中で心の清涼剤となりますが、やはり生身の体を持ち寄って行う句会が恋しくなるばかりです。 またサブテキストの恩田の句群を集中して読むことで、残り少ない春の気配が再び息を吹き返してきました。夏が近づくのを感じつつ、春を惜しむ心を持って、それぞれの生活に勤しんでいきたいものです。(芹沢雄太郎) 次回の兼題は「八十八夜」「憲法記念日」です。 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

4月5日 句会報告

20200405 句会報上

令和2年4月5日 樸句会報【第88号】  令和2年度最初の句会は、新型コロナの影響を受けて、樸はじまって以来のネット句会でした。 今回は若手大型俳人の生駒大祐さんが参加して新風を吹き込んでくださいました。 兼題は「鶯」と「風光る」です。   入選2句、原石賞3句および最高点句を紹介します。    ○入選  千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり                前島裕子 桜の花に雪が降りこめてゆく美しさを、千鳥ヶ淵という固有名詞がいっそう引き立てています。 ら行の回転音四音も効果的です。完成度の高い俳句です。 (恩田侑布子)  【合評】 類想はあるように思うが、「桜かくし」という表現がよく効いている。「花」ではなく「桜」という言葉を用いることで、ベタベタの情緒ではなく現実に顔を出す異界の乾いた不気味さを詠み込むことに成功している。     ○入選  赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る                金森三夢 風光るの兼題に、会津の郷土玩具の赤べこをもってきた技量に脱帽です。しかもいたって自然の作行。「赤べこ」は紅白のボディに黒い首輪のシンプルな造型のあたたかみのあるおもちゃです。 素朴で可愛い赤い牛の頭が上下に揺れるたびに春風が光ります。ここは「あたま」でなく「かうべ」としたことで、K音の五音が軽やかなリズムを刻み、牛のかれんさを実感させます。 福島の原発禍からの再生の祈りも力強く感じさせ、さっそく歳時記の例句にしたい俳句。 (恩田侑布子) 【合評】 お土産にもらった赤べこは多分どの家にもあったと思うが、その赤べこの頭の動きが「風光る」と組み合わさることで春らしいささやかな幸せを感じさせる句になっている。東北のふるさとのことを思っているのかとも想像される。       【原】青葉風鍾馗様似の子の泣けり                天野智美 たいへん面白い句になるダイヤモンド原石です。 句の下半身「の子の泣けり」が、上句十二音を受け止めきれず、よろめいてしまうのが惜しまれます。   【改】青葉風鍾馗様似のややこ泣く のほうが青葉風が生きてきませんか。 (恩田侑布子)         【原】鱗粉をつけて春昼夢を覚める               村松なつを            内容に詩があります。半ば蝶の気分で春昼の夢から覚めるとはゴージャスです。アンニュイとエロスも匂います。 残念なことに表現技法が内容を活かしきれていません。なにがなにしてどうなった、というまさに因果関係の叙述形態になってしまっています。 また、「つけて」という措辞はやや雑な感じ。 そこで添削例です。 華麗にしたければ、   【改1】鱗粉をまとひて覚むる春昼夢 抑えたければ、   【改2】鱗粉をまとひて覚めし春昼夢 など、いかがでしょうか。 (恩田侑布子)  【合評】 現実に体のどこかに鱗粉がついているのか、鱗粉がついてしまう夢を見ていたのか判然としない。「鱗粉をつけて」「覚める」と言い切ることによって、昼の夢から覚める瞬間のぼんやり感へ読み手を連れて行く。そうか、春のきらめきを鱗粉に例えたのだな、と考えるとますます散文に翻訳不能になり紛れもなく「詩」なので、特選で採らせていただきました。 「胡蝶の夢」の故事を踏まえた句だろうが、つきすぎや嫌みではないと感じた。それは「春昼夢」という造語めいた言葉が句の重心になっているからで、機知よりも虚構の構築に向けて言葉が機能している。 夢の中で蝶と戯れていた。いや自らが蝶になって自在に遊んでいたのでしょう。まさしく「胡蝶の夢」。春昼の夢から目覚めたら、おのれの体だけでなく心も鱗粉にまみれていたという驚き。官能性も感じられる句です。現実に還ればそこはコロナウイルスがじわりと侵攻している世界でした。       【原】花の雨火傷の痕のまた疼き               芹沢雄太郎 詩があり、情感がよく伝わってきます。 ただこのままですと表現がくどいです。 添削案として一例を示します。 【改】花の雨およびの火傷また疼き  (恩田侑布子)       ※ 本日の最高点句 【・】風光るバイク降り立つ調律師               見原万智子 風光る と、調律師 の取り合わせは面白いですが、「降り立つ」でいいのでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】  「バイクを降り立つ」のが「調律師」であるという展開に、意外性が良いと思いつつ納得もしました。確かに家々を回る調律師の仕事にバイクはよく似合います。季語「風光る」が、バイクのエンジン音までリズミカルに、楽しげに聞こえさせているとともに、これから調律されるピアノの期待感を増幅しているように思います。 調律師がバイクで現れる意外性、その調律師の様子が「風光る」に表されている。 繊細な職業の方が颯爽とバイクから降り立つとは・・正に風が光りました。 言葉の選び方が素敵、「風光る」にふさわしい! 宮下奈都さんの『羊と鋼の森』を読んで、涙が出るほどの感動を覚えたのを、鮮やかに思い出しました。「ピアノを食べて生きていく」と決めた人を支える、調律師という仕事を選んだ若者の成長を描いた小説です。 風を切って疾走し、コンサートホールの前で停まるナナハン。調律するピアノの調べが春のイメージを乗せて聞こえてくるような句。ヘルメットを外すベテラン調律師のしゃんとした背筋が光る。 繊細な神経と技術を持つ調律師がバイクから降り立つ様が「風光る」によっていっそうきりっと浮かび上がる。しいて言うと、かっこよすぎて戯画調になっているきらいも。     [後記] ネット句会をはじめて体験しました。このワクワクドキドキ感はなかなか味わえません。恩田代表や連衆の講評・感想、作者の自句自解が一覧でき、何度でもじっくり読み返すことができる大きなメリットがあります。とはいうものの、フェイス・トゥ・フェイスで口角泡を飛ばしての白熱した議論(今は泡をとばすとコロナ感染の恐れがありますが)こそが句会の醍醐味ではないでしょうか。新型コロナウイルスの収束を只管祈ります。   次回兼題は、「筍」と「浅蜊」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ9句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   なお、3月25日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。   https://www.youtube.com/watch?v=NIwxvNW6MzE

3月1日 句会報告

20200301 句会報用特選句用

令和2年3月1日 樸句会報【第87号】          3月最初の句会です。新たに入会希望の方も見学に来られ、句会に新たな息吹が感じられました。 兼題は「水温む(春の水)」と「石鹸玉」です。   特選1句、入選1句、原石賞2句を紹介します。       ◎ 特選  なまくらな出刃で指切る日永かな             天野智美      特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています                  ↑             クリックしてください   合評では、「日永との取り合わせが面白い」「“な”が4回出てきて、調べが日永に合っている」「心もなまくらでボーッとしていて・・自戒をこめた句」などの意見が出ました。また日永という季語の本意が掴みにくいという声もあった。ちなみに山本健吉著「基本季語500選(講談社学術文庫)」では日永について次のように書かれている。 「俳諧の季題では、日永が春、短夜が夏、夜長が秋、短日が冬である。日永と短夜、夜長と短日は、算術的に計算すると、一致すべきはずだが、和歌、連歌以来そう感じて来ている。季感は人間が感じ取るものだから、理屈で割り切っても仕方がない。待ちこがれていた春が来た歓びと、日中がのんびりと長くなったことへのひとびとの実感が、日永の季語を春と決めたのであって、長閑が春の季語であることも相通ずる」 (芹沢雄太郎)         ○入選  春の水洗ふや堰の杉丸太               見原万智子 春になって水量がゆたかになり、土砂の崩れた岸や山際に、杉皮のついたままの丸太が土止めとして使われている光景を、いきおいと力のある措辞でいい切った句。景色に鮮度と野性味がある。「春の水洗ふや」という一息九拍のスピード感が「堰の杉丸太」にぶつかる様がリアルだ。春の力とういういしさを同時に感じさせる。 (恩田侑布子)  合評では、「景が良く詠めている」「今は堰に杉丸太を使う所は少ないだろうが、どこを詠んだ句なのか気になる」などの意見がでました。  (芹沢雄太郎)      【原】水温む駆け寄る吾子の頬に砂               活洲みな子 芳草が萌出し春らしくなった川ほとり。石川原のあいだの砂場で一心に砂掘りしていた子が、なにか見せようとするのか、「おかあさん」と駆け寄って来る。上気したまるい頬は汗ばんで、こまかい砂をつけている。情景がよく見える。ひとつ惜しいのは「吾子」の措辞。まさに、吾が子可愛やの「吾子俳句」そのものになってしまった。子にも孫にも「吾」は要らない。余分なものをとれば、俳句が普遍性を獲得する。 【改】かけ寄れる子の頬に砂水温む (恩田侑布子)  本日の高得点句でした。合評では、「春の喜びが句から伝わってくる」「孫は寒い時期は動きが鈍い。それが暖かくなってくると、外で夢中に遊び始めるのを思い出した」「実にほほえましい光景ですね」「動詞が多いのが少し気になる」等の意見が出ました。  (芹沢雄太郎)      【原】黒猫に漱石吹くや石鹸玉                安国和美 「吾輩は猫である」の猫は黒猫だった。「黒猫に漱石」では即きすぎかと思うが、後半で予想は小気味よく裏切られる。文豪の漱石が、幼児の好むしゃぼん玉を、愛する猫に向かって吹く面白さ。胃潰瘍の漱石の人生にもこんな長閑なひとときがあったらよかった。ただ、「切れ」は大切だが、何でも切ればいいわけでもない。切字は内容と相談しよう。この句に勇ましい切字は要らない。やさしく夢のようなしゃぼん玉を飛ばせてあげよう。 【改】黒猫へ漱石の吹く石鹸玉 (恩田侑布子)       合評の前に本日の兼題の例句が恩田により配布されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  春の水山なき国を流れけり               与謝蕪村  春の水岸へ/\と夕べかな               原 石鼎  春水をたゝけばいたく窪むなり               高浜虚子  野に出づるひとりの昼や水温む               桂 信子    向う家にかがやき入りぬ石鹸玉               芝不器男  ふり仰ぐ黒き瞳やしやぼん玉               日野草城     句会の終り近く恩田から、2月26日に東京青山葬儀場で行われた芳賀徹先生の告別式の様子が報告されました。 「無宗教の花葬の立派なご葬儀でした。小学校から中学・高校・大学まで、八〇年間も肝胆相照らす親友で、東大教養学部一期生の揃って大学者になられた平川祐弘先生と、高階秀爾先生の弔辞が、お二人で一時間近く。中身が濃く細やかで情がこもって圧巻でした。 ご子息のご挨拶も、見事なご尊父の生涯を「みなさまがいてくださったからこそ」と感謝し褒め称えるもので、半分は三保の松原の天人の世界のできごとのようでした。  また中村草田男の愛嬢・中村弓子先生と、昨冬パリでご一緒させていただいた金子美都子先生と歓談でき、芳賀先生が私のことを「野性味がいいんですよ」と認めてくださっていたことを弓子さんからお聞きし、芳賀山脈の居並ぶ秀才をさし置いて、シンポジウムのメンバーにこんな駿河の山猿を抜擢してくださったことをあらためて感謝した次第です」     [後記] 本日の句会中に、恩田から芳賀徹さんの葬儀に参列された際のエピソードが語られました。筆者は話を聞きながら「俳句あるふぁ2019年冬号」にて、芳賀さんと恩田がポール・クローデルの百扇帖をめぐって意見をぶつけ合うのを読み、興奮したのをひとり思い出していました。対談での互いに譲らないすさまじい熱量を目の当たりにし、自分に芯をしっかりと持つことの大切さを学んだ気がします。 次回兼題は、「ヒヤシンス」と「囀」です。 (芹沢雄太郎)   今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ10句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

2月19日 句会報告

20200219 犬ふぐり

令和2年2月19日 樸句会報【第86号】    如月2回目の句会です。句会場に近い駿府城公園の日差しはすでに春のもの。 兼題は「猫の子」と「椿」です。   入選2句、原石賞1句、△の中から1句を紹介します。 ○入選  泥残る洪水跡のいぬふぐり                松井誠司 茶色のおびただしい泥がまだあちこちに残っています。洪水で決壊した土手の泥。河川が上流から運んできた泥。その無残な堆積に近づくと、おや、もういちめんに犬ふぐりが咲いています。青空のしずくたちが天を見上げているのです。地面から生え出るいのちの鮮烈さが胸を打つ簡明な力のある句です。 (恩田侑布子)  合評では、 「“いぬふぐり”が災害から立ち直ろうという気持ちによく合っています」 「シンプルだけど心に残る句。昨秋洪水があったところに、春になって鮮やかなブルーの犬ふぐりが咲いている」 「“いぬふぐり”にも泥が残っていると、わたしは読んでしまいました」 「“泥残る”と“洪水跡”がくどいような気が…」 などの感想、意見がありました。    ○入選  女湯に桶音しきり椿の夜               村松なつを 「椿の夜」がなんとも匂いやか。壁を隔てた女湯から桶をつかう音が聞こえてきます。男はすでに湯から上がって所在なくくつろいでいます。桶の音だけが聞こえてくる山の湯の静けさ。もうもうと立ち込めているに違いない湯けむりのなかの女体。外には真紅の椿が垂れ込め、春の闇を一層深くしています。エロティシズムの匂う句です。 (恩田侑布子) 合評では、 「聴覚に訴える妖しい感じがいい。女湯の湯煙と“椿の夜”がリンクしている」 「あやしげな“隠れ宿”の感じ。女湯を出るとそこには男が待っていて」 「私の行っているトレーニングジムは温泉付きです。女にはそれぞれルーチンがあって、すごく賑やか。その様子を思い浮かべました」 「“しきり”でなければ特選になったかも」と恩田。 「しきりに耳を聳てているのでは?」 など連衆の妄想?も広がりました。 五感から詠んだ句はアタマではなく直に体に訴える力があります。 (山本正幸)    【原】ぽつくりの行き惑へるや落椿                田村千春   原句は「ぽつくり」の足元にだけ焦点をあてたところが素晴らしいです。ただ、「行き惑へるや」の切れ字は、いささか勇ましすぎるでしょう。幼女ではなく高下駄の年増女を連想してしまいます。「や」を、動作が反復される状態を表す「ては」に置き換えましょう。さらに中七まですべてひらがなにしてやわらかみを表しましょう。   【改】ぽつくりのゆきまどひては落椿 いかがでしょう。かわいい赤いぽっくりの童女が、地に散り敷いた椿の花の迷宮に戸惑い、着物のたもとまで揺れているようすが浮かびませんか。 (恩田侑布子) 合評では 「女の子のぽっくりですね。散歩の途中、椿の花が落ちていてそれを踏みそうになっている姿が浮かんできます」 「赤い鼻緒のぽっくりでしょう。落椿が沢山あって足の踏み場に困っている。椿の赤と鼻緒の赤の対比がいいです」 「 “ぽつくり”だけで女の子が表現されている。散文的な説明はいりませんね」 などの感想や意見がありました。      △ 名をもらひあくびをかへす仔猫かな                林 彰 本日の高点句のひとつ。 「俳味がありますね。名前を付けてもらったら欠伸を返したなんてたいした子猫です」 「子猫の愛らしさが出ている」 「人間の眼から猫を描写する句が多い中で、この句は猫の視点から詠んでいます」 「子は何でも可愛い。しぐさがいっそう可愛い。いい句です」 などの共感の声がありました   恩田は、「発想が素晴らしい。詩的発見のある句です。これは名古屋からの欠席投句で投句用紙は「あくびを」ですが、あとから見ると控え用紙には“あくびでかへす”と記されています。作者の表記ミスですね。  名をもらひあくびでかへす仔猫かな  なら口語の飾り気のなさが春日ののんびりしたくつろぎそのもの。猫の目線になった文人の余裕まで感じられ、特選◎でした。惜しい!わたしは「名を」「あくびを」という「を」重なりの瑕(きず)のために△にしたのです。一字の助詞の違いは句を決します」と評しました。   この句は筆者が「を」の緩みに気づかず、特選で頂いた句です。心のなごむ一瞬の情景が切り取られていると思いました。 (山本正幸)     合評の前に本日の兼題の例句が恩田により板書されました。    椿童子椿童女ら隠れんぼ             阿波野青畝    椿落ちてきのふの雨をこぼしけり             蕪村    口ぢうを金粉にして落椿             長谷川 櫂    わが影をいくつはみ出し落椿             恩田侑布子    黒猫の子のぞろぞろと月夜かな             飯田龍太    西もひがしもわからぬ猫の子なりけり             久保田万太郎     投句の合評・講評のあと、恩田が『俳句』2月号から連載を始めた「偏愛俳人館」の「第一回飯田蛇笏」に抄出された蛇笏の句を読みました。句会の時間が押したため、鑑賞を述べ合うことはできませんでした。 連衆の共感を集めたのは次の句です    雪山を匐ひまはりゐる谺かな                    『霊芝』  年暮るる野に忘られしもの満てり                  『家郷の霧』    春めきてものの果てなる空の色                  『家郷の霧』    炎天を槍のごとくに涼気すぐ                  『家郷の霧』       [後記] 本日の句会で恩田が力説したのは季語へのリスペクトです。有季定型で詠む以上、句における季語は「添えもの」であってはならない。詠むときの感動の初発から離れてしまうとどうしても季語に「付け足し感」が出てしまう。推敲を重ねることの大切さを改めて学んだ句会でした。 次回兼題は、「春の水(水温む)」と「石鹼玉」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△7句、ゝシルシ12句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

2月2日 句会報告

20200202 句会報2

令和2年2月2日 樸句会報【第85号】    2月最初の句会。 戸田書店の鍋倉伸子さんが美味しいお菓子を持って飛び入り参加して下さり、いつにも増して賑やかな句会となりました。 兼題は「寒燈」と「春隣」です。 原石賞4句と高点句1句を紹介します。なお今回は特選・入選ともにありませんでした。      【原】すっぴんの青空のほし葛湯ふく                前島裕子 「すっぴんの青空」は、『俳句』一月号の恩田の〈青空はいつも直面(ひためん)年用意〉から触発された措辞といいますが、なかなか面白いです。岩手県の老親の介護に帰られ、雪催いの空の下での実感とのこと。ほしを「星」と解釈した方もいましたので、切れ字を入れて「青空が欲しいことだよ」と、はっきり打ちだしましょう。「欲しや」にすればわかりやすくはなりますが、青空と葛湯の対比の美しさが消えてしまうので、あとは原句のまま、ひらがながいいですね。 (恩田侑布子) 【改】すつぴんの青空ほしや葛湯ふく     合評でこの句を採った筆者は、恩田の鑑賞にあるように「青空のほし」を「星」と捉えてしまいました。それでは全く空の景色が違ってしまいます。全く違う景色を想像して特選に採ることは決して悪いことではないでしょうが、このような誤読は句の本質を見失っていることになります。そのような流れで恩田は阿波野青畝を引き合いに「平明」と「平凡」の違いを連衆に問い掛けました。 (芹沢雄太郎)       【原】寒燈下この石を神とし握る                天野智美   なんの石ともいっていませんが作者の思いのこもった石です。人の一生は百年、石は何千万年です。ただリズムが良くないので散文のように感じられます。語順をひっくり返して定型にすれば石にも寒燈にも存在感が生まれます。山崎方代の名歌〈しののめの下界に降りてゆくりなく石の笑いを耳にはさみぬ〉をちょっと思い出しました。 (恩田侑布子) 【改】この石を神とし握る寒燈下     恩田のみが採った句です。作者はこの句に関して色々なバリエーションを検討したが、上五で場面の設定をしたいという思いに凝り固まり、「寒燈下」の位置を下五に動かすという発想が全くできなかったそうです。助詞・切れ字・語順などは作句の際に「これは動くことはない」と思っていることでも、一度解体再構築してみる必要があると考えさせられました。  (芹沢雄太郎)       【原】恋愛に寒木といふ時間あり                田村千春   詩的発見のある俳句です。ただ「恋愛には寒木という時間があります」という散文構造のママなのが惜しまれます。次のようにすると、情念に耐えている孤独な作者の横顔が寒木にオーバーラップされてきます。ストイックな深みのある恋の句になります。  (恩田侑布子) 【改】寒木の刻恋愛にありにけり     恩田のみが採った句です。恩田は句会中の添削で、「時間」という語句を「刻」と変える際、「とき」「時」「刻」のどれが句に似合うか考えていました。上述の「寒燈下」の句でもあったように、「舌頭に千転せよ」を垣間見ました。  (芹沢雄太郎)       【原】春隣大きな字を書く子どもの手                鍋倉伸子    作者は本日初めて見学参加されました。しかし、「春隣」という季語の胸ぐらをぐいっと掴んだグリップ力は素晴らしい。天性の伸びやかさを思わせる句柄の大きさがあります。ただせっかくの単純化の良さが句末の「の手」で損なわれています。余分なことを言わず定型におさめると、小さな子がノートのマスをはみ出しそうに大きく太く書く鉛筆の2Bの線が迫ってきます。 (恩田侑布子) 【改】春隣大きな文字を書く子ども     こちらも恩田のみが採った句です。この句は俳句の省略する美しさを持っています。これを試しに「冬近し」「夏兆す」などに変えてみると、「春隣」という季語が動かないのがわかるのではないでしょうか。 (芹沢雄太郎)          ゝ 五島列島オラショ忘れじ藪椿                海野二美   今回の高点句でした。合評では、上五と中七のどちらで切れるべきか。藪椿ではなく別種の椿と取り合わせたほうが良いのではないかなどの意見がでました。さらに鍋倉さんから「オラショ」という言葉の持つ重みを伺い、多くの議論を呼びました。 (芹沢雄太郎)        また今回はサブテキストとして、三十代で第65回角川俳句賞を受賞されたお二人のうちの一人、西村麒麟さんの受賞50句「玉虫」を読みました。 今回は句会の時間が押してしまい西村さんの句評が出来ませんでした。五、六十代の受賞者が多い角川俳句賞において、三十代の作者が二人受賞されたことの意義とともに、今後の句会で合評していきたいです。 (芹沢雄太郎) 連衆の共感を集めたのは次の句です。  平成は静かに貧し涅槃雪    後列の頑張つてゐる燕の子    星涼し眠らぬ魚を釣り上げて    月光を浴びて膨らむ金魚かな    青白き水舐めてゐる冬の鹿    いつまでも蝶の切手や冬ごもり       [後記] 今回は16名の連衆が集まりました。特選・入選が出ず、恩田からは「もう一歩踏み込んで、句に自分の手触りを出せるようになりましょう」とアドバイスがありました。季語を説明しないこと、書ききれていないゆえの「謎」の句は宜しくない、など多くの学びのある句会となりました。 (芹沢雄太郎)   次回兼題は、「猫の子」と「椿」です。   今回は、原石賞4句、△3句、✓シルシ13句、・2句でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

1月19日 句会報告

20200119 句会報 上

令和2年1月19日 樸句会報【第84号】 大寒前日の句会。穏やかに晴れた静岡です。本日は高校生が一人、清新な風を連れて参加されました。 兼題は「手袋」と「蜜柑」です。 入選5句を紹介します。 ○入選  蜜柑むきつつ相関図語りをり                田村千春   この「蜜柑」はめずらしく淫靡な感じがします。誰とだれとが本当は男女関係にあるんだとか、あの人とあの会社の利害がこれこれ絡まっているんだとか。スキャンダラスな内容が「相関図」にこめられています。三字熟語は週刊誌的なエゲツナサをなまなましく臭わせます。皮から剥かれたばかりのやわらかなオレンジ色の実が俗世のどろどろした滑稽感を出している面白い句です。 (恩田侑布子)  合評では 「日だまりでオバさんたちがしゃべっている。きっと大勢で、近所の下世話な話を」 「XとYの相関についての問題を解いている学生かと思いました。蜜柑を剥きながら少し力を抜いて…」 「辞書を引くと“相関図”は一義的には、縦軸と横軸のグラフのようです」 「学問のことだったら“語りをり”ではなく“論じをり”でしょう」 など見方は様々でした。     ○入選  ひどろしと目細む海や蜜柑山                天野智美 「ひどろしい(※眩しい)」という静岡の方言を一句の中に見事に活かした俳句です。作者は蜜柑山に立っています。まぶしいほどねと眼を細め眺めているのは、真冬でもおだやかに凪ぎ渡った駿河湾のパステルブルーでしょう。暖国静岡の冬のあたたかさ、風土の恵みのすがたが活写された地貌俳句といっていいでしょう。蜜柑山もきらきらたわわに海の青と映発しています。 (恩田侑布子)  選句したのは恩田のみでした。 合評では 「俳句における方言の是非ですね。いいのかな?」 「“ひどろしい”という言葉は最近知りました」 「私は子どもの頃からまぶしいことを“ひどろしい”と言ってましたのでよく分かる句です」 など方言を使うことをめぐる発言が続きました。 (山本正幸)      ○入選  蜜柑剥く訣れを口にせしことも                山本正幸 若き日、「もうこれっきり訣れよう」と喧嘩した男女が、いまは暖かな部屋で静かに蜜柑をむいてくつろいでいます。あのまま別々の道を歩き出していたら、いまごろどうなっていたことか。いや、「別れちゃえばよかった」と、ほんの少し思わせるところに大人の味があります。「口にせしことも」という句またがりのもったりしたリズムと、いいさしで終わるところ、なかなかの俳句巧者です。 (恩田侑布子)  恩田のみ採った句。 合評では 「よくありそうなこと。新鮮さを感じない」 と厳しい意見も。 (山本正幸)      ○入選  過激派たりし友より届く蜜柑かな                山本正幸   ドラマのある俳句です。昔、ゲバ学生で有名だった学友が、いまは故郷の山で蜜柑農家になっています。上五の「過激派」から下五の「蜜柑」にいたるひねりが出色です。温暖で陽光あふれる地を象徴する果実である蜜柑と、風土に根付いた友の変わり方をよかったなと思いつつ、内心の苦衷を友だからこそ思いやる作者がいます。 (恩田侑布子)  この句も恩田のみ選句。 合評では 「“蜜柑”である必然性は? 林檎じゃダメですか?」 「蜜柑には安っぽさがあって、そこがいいと思う」 「ひょっとして“みかん” は“未完成”ということを言いたいのでしょうか…?」 などの感想が飛び交いました。 (山本正幸)      ○入選  冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ               芹沢雄太郎 二十世紀現代美術の問題作であったオブジェ「泉」は男性小便器でした。この句の弱さは現実の光景としてはありえないことです。一言でいって頭の作です。ただし、作者は確信犯なのでしょう。美点は、現代アートのメルクマールに百年後のいま、果敢に挑戦したところ。レディメードのオブジェの冷たさが幻想の冬の蟻によって際立ちます。冬眠しているはずの蟻が、小便の代りに便器を次々に黒い雫のしたたりとなってこぼれ落ち続ける。これは今世紀の新たな悪夢です。分断され孤独になった分衆の時代の象徴でしょうか。 (恩田侑布子)   合評では議論百出。 「黒い蟻がうじゃうじゃ湧いてくる。それを便器が耐えている。白黒の画面が目に浮かぶ」 「これは本当に冬のイメージでしょうか。また、蟻の生態との関係はどうなんでしょう?」 「幻の蟻かもしれない」 「センスはとてもいい句だと思います」 「“泉”は夏の季語ですけれど、ここは“デュシャンの泉”イコール“便器”だから問題ないのですね」 「デュシャンの作品は室内に展示されているはず。そこに蟻がいるのかな?」 (山本正幸)        投句の合評・講評のあと、恩田が俳句総合誌(『俳句』『俳壇』『俳句α』)に発表した近作を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です  凧糸を引く張りつめし空を引く                    『俳壇』1月号    身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな                    『俳句』1月号    神楽太鼓撥一拍は天のもの                    『俳句α』冬号    梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら                    『俳壇』1月号    ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ                    『俳句』1月号 「凧糸」の句が一番多く連衆の点を集め、「新春の清新な空気と抜けるような青空が伝わってきます。“引く”が繰り返されることで、上空の風の強さも伝わってきます。“張りつめ”ているのも、凧糸だけではないのでしょう」との鑑賞が寄せられました。        [後記] 兼題「蜜柑」は産地で身近にある題材のため、句にし易かったようです。日々の暮らしや蜜柑にまつわる様々な思いが詠まれました。かたや「手袋」に恋心を忍ばせたいくつかの句には点が入らず苦戦しました。でも、高点句に名句なし。季語の持つ多面性を感じることのできた楽しい句会でした。 次回兼題は、「寒燈」と「春隣」です。    (山本正幸)   今回は、○入選5句、△4句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   なお、1月8日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。   

12月25日 句会報告

20191225 句会報用上-2

令和元年12月25日 樸句会報【第83号】 本年最後の句会はクリスマスの日。 兼題は「枯野」と「山眠る」です。 入選句と△の句のうち高点2句を紹介します。     ○入選  老教授式典に来ず山眠る               見原万智子 老教授個人を表彰する式ではないにしても、その業績によるところ大の顕彰式典と思われる。ところが、いちばんの功績者が出席されない。体調がいま一歩というのは表向きで、最初から式典など晴れがましいところには出たくないのかもしれない。しかし、教授が一生をかけてきた仕事の成果は冬山のように静かに大きくそこに存在している。「山眠る」という季語が底光りしてわたしたちを見守る。渋い句である。 (恩田侑布子)  合評では 「着想が面白いですね。それだけで頂きました」 「なぜ来られなかったのか考えさせられます。体調が悪かったのか、それとも反骨心から出席を拒否したのか」 「“式典に来ず”と“山眠る”が響き合っています」 「教授の信条と冬の山の雰囲気がよく合っています」 「分かりにくい。老教授が来ないとなぜ“山眠る”なのか?」 「山が見えるところで式典が行われているとすれば、“来ず”でなく“来る”もアリか?」 など共感の言葉や疑問、意見が飛び交いました。 (山本正幸)         △ 山眠る緞帳おもき大広間                田村千春 合評では 「いかにも深い山の静けさが伝わってきます」 「温泉ホテルの舞台の緞帳かな」 「そう、さびれた温泉宿でしょう」 「“おもき”と“山眠る”がとても合っている」 「いや、逆に“緞帳おもき”と“山眠る”はツキ過ぎじゃないですか」 「大広間ではなくもっと広いところ、歌舞伎座のようなところを想像しました」 「場所は田舎で、町内か何かが持っている〇〇会館のホールの緞帳かもしれません」 「緞帳の柄が山ってことですか? この句、どうやって読めばいいのでしょう?」 などの感想、疑問が出されました。 恩田は 「大きなガラス窓から山々が見えている温泉旅館の舞台を思いました。歌舞伎座などの都会ではなく、古い懐かしい光景。新し味はないが、表現が手堅く、しっかり描きとっています」 と講評しました。 (山本正幸)       △ 晦日蕎麦兄の齢をいくつ越し                萩倉 誠 合評では 「年越しそばですね。亡くなったお兄さんを偲んで食べているところ」 「しみじみと兄のことを想っている。仲の良い兄弟を連想しました」 「誰かの歳を越えるというのはよくある表現ではないか。母の歳を越す、父の歳を越す…。陳腐な形だと思う」 「父母ならそうかもしれませんが、ここはお兄さんのことだから親とは違った感慨があるのでは?」 などの感想、少し辛口の意見も述べられました。 恩田は 「年越しの夜にお兄さんの享年を考えている実感が胸に迫ります。でも、Nさんのおっしゃるように、類想は多いですね」 と講評しました。 (山本正幸)           投句の合評・講評の前に、芭蕉の『野ざらし紀行』を読み進めました。   伏見西岸寺任口上人(さいがんじにんこうしやうにん)にあふ((う))て  我(わが)衣(きぬ)にふしみの桃の雫(しづく)せよ     大津に出(いづ)る道、山路(やまぢ)を越(こえ)て  やま路(ぢ)來てなにやらゆかしすみれ草 恩田から 「『野ざらし紀行』には芭蕉のエッセンスが入っています。伏見の句は調べが美しく、挨拶句として鮮度が高い。“すみれ草”の句はひとつの冒険句です。それまでの和歌では“野のすみれ”を詠む伝統がありましたが、芭蕉は山道のすみれを詠んだ。“歌の道を知らない奴だ” との批判もありましたが、芭蕉は手垢のついた野のすみれではなく、ひとの振り向かない山路のすみれにこころを惹かれたのです。蕉風確立寸前の句ですね。平易、平明な措辞は“道のべの木槿は馬に食はれけり”と並んで『野ざらし紀行』中の秀逸と評する人もいます」との解説がありました。       注目の句集として、小林貴子『黄金分割』(2019年10月 朔出版)。 このなかから、帯より十句と恩田が抄出した十句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です  学僧の音なき歩み春障子  花びらを掬ひこぼしてまた迷ふ  大阪の夜のコテコテの氷菓かな  岩塩は骨色冬は厳しきか  月今宵土偶は子供生みたさう       [後記] 平成から令和にかわった年の暮の句会は議論沸騰、散会は午後5時となりました。 今年も和気藹藹、盛り上がった一年でした。風通し良く、自由に発言できるのは樸俳句会の真骨頂と思います。 筆者にとっては、実体験に基づいた俳句には力があるということを再認識した年となりました。アタマで作った俳句はことごとく恩田代表の選から落ちたのです。たとえ実体験を伴わなくとも「詩的真実」があれば選に入るのでしょうが・・・。まだまだ道遠しです。 次回兼題は、「初」と「新年の季語」です。 樸ホームページをご高覧いただいた皆様、本年もありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 (山本正幸)  今回は、○入選1句、△6句、ゝシルシ6句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)