「句会報」タグアーカイブ

12月8日 句会報告

20191208 句会報1

令和元年12月8日 樸句会報【第82号】 12月最初の句会。兼題は「冬の月」と「鰤」です。 入選4句と原石賞2句を紹介します。 ○入選  鰤さばく迷ひなき手に漁の傷               見原万智子 大きな鰤をなんのためらいもなく手馴れた手順で三枚に下ろしてゆく漁師。包丁さばきの手を追っていて、ハッとした。肉の盛り上がった大きなキズ痕があるのだ。胸を衝かれた瞬間のこころの動きがそのまま五七五の措辞の運びになった。調べも潔い。逃げ隠れできない一つ甲板の上で来る日も来る日も大海原と対峙する漁業。荒々しい労働の過酷さが、句末の一字「傷」に刻印され、雄々しい海の男が堂々と立ち上がって来る。(恩田侑布子) 今回の最高点句でした。 合評では、「漁師の姿が浮かんでくる」「屋外で露骨に作業している光景。潔く、小気味よく包丁が動いている」「“傷”より“疵”にしたほうが良いのでは?」「いや、“疵”だと文学趣味的になってしまう」 などの感想・意見がありました。(芹沢雄太郎)     ○入選  短日の切株に腰おろしけり               芹沢雄太郎   やれやれと切株に腰を下ろして息をつくと、ふっと冷たい気配を背中に感じた。この前まで木が広げていた葉叢はあとかたもなく、頭上はすーすーの冬空である。日はすでに西に傾き、夕刻まで幾ばくもない。いのちを断たれた木に座って疲れを癒やしている自分はいったい誰れなのか。切株になるのは木ばかりではないぞと、そぞろに思われてきたのである。  (恩田侑布子)     ○入選     多磨全生園  寒林を隔て車道のさんざめき                天野智美   東京都東村山市にあるハンセン病患者を収容する施設の奥はだだっ広い寒林であった。冬木の林を隔てて、車がひっきりなしにゆきかう車道と色とりどりの町並みがある。かつて病人を「らい病」と呼んで虐げ差別した長い歳月があった。痛恨の歴史をうち忘れたような消費社会の世俗の賑わいを「さんざめき」と捉えた感性がいい。〈望郷の丘てふ盛土冬の月〉も対の句。言葉をうばわれた人々のかけがえない歳月に思いを寄せる智美さんの共感能力に敬服する。 (恩田侑布子)   恩田だけが採った句でした。     ○入選  立読める安吾の文庫開戦日                山本正幸   坂口安吾は終戦直後の『堕落論』で一躍有名になった無頼派作家。これはエッセー「人間喜劇」にある世界単一国家の夢かもしれない。七十八年前の今日、大東亜戦争という名のもとに狂気の戦争を自らおっぱじめた日本。作者は書店の文庫コーナーでささっと斜め読みして間もなく立ち去る。開戦日であることの痛恨をこの店内のだれが思っているだろうか。 (恩田侑布子) 合評では、「安吾が好きなので採りました。文学的に反戦を表している」「本屋での光景が浮かびました」「“立読める”という気楽な表現が良い」など様々な感想、意見が飛び交いました。  (芹沢雄太郎)       【原】アフガンの地に冬の月如何に照る               樋口千鶴子 中村哲さん(一九四六年〜二〇一九年十二月四日)の非業の死は、遠い巨大な地震の報のように内心を震撼させた。だれも真似の出来ない四〇年の菩薩行は銃弾をもって贖われた。純粋な善行が凶刃に嘲笑われる二一世紀になってゆくのだろうか。千鶴子さんのまっすぐな気持ちが下五の「如何に照る」にこめられた。切なくなる。有季の俳句は季語に感情が託せるといい。 【改】如何に照るアフガンの地や冬の月 こうすると、白い寒月が荒漠の地にかかる。冬の月が語りだすのである。 (恩田侑布子) 合評では、「中村哲さんの時事句、追悼句として、怒りや悲しみが伝わってくる」などの意見があがりました。 (芹沢雄太郎)     【原】もう逢へぬ寒月射せる白き額                山本正幸 当「樸」は恋句を詠む人が多くてうれしい。百になっても臆することなくつくってほしい。恋は感情の華だから。ところでこの句は、寒月の下での忘れ得ぬ別れ。原句のままだと中七のリズムがもたつきやや説明的。 【改】もう逢へぬなり寒月の白き額 こうすると、いとしいひとの白い額が寒月光に浮かぶ。いま、わたしのてのひらを待つかのように。  (恩田侑布子)     今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。  同じ湯にしづみて寒の月明り                飯田龍太  石山の石のみ高し冬の月                巌谷小波  酔へば酔語いよいよ尖る冬の月                楠本憲吉  蒼天に立山のぞく鰤起し                加藤春彦  鰤裂きし刃もて吹雪の沖を指す                木内彰志  寒鰤は虹一筋を身にかざる                山口青邨     注目の句集として、堤保徳『姥百合の実 』(2019年9月 現代俳句協会) から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  燈台はいつも青年月見草  胸の火に窯の火応ふ冬北斗  月光や男盛りのごと冬木  吾に息合はす土偶や桜の夜  死してより遊ぶ琥珀の中の蟻 堤保徳『姥百合の実 』からの抽出句については こちら [後記] 今回は11名の連衆が集まりました。その中に注目の句集の堤さんとの知り合いがおり、お話を聞くことで句の背景が鮮やかになった気がしました。句の鑑賞では、作者のバックグラウンドをどこまで想像できるかも重要だと感じました。また、今回の入選句で多磨全生園を訪れた際の句がありましたが、その句の作者は自身の社会的関心に基づいて実際の地を訪れ、句にするということをよく行っており、作者の行動力と、それによって生まれる句の力強さに驚かされます。人間が社会的・歴史的存在である以上、日常詠だけでなく、そういった句も積極的に詠んで行きたいと考えさせられました。 (芹沢雄太郎) 次回兼題は、「山眠る」と「枯野」です。 今回は、○入選4句、原石賞2句、△8句、ゝシルシ6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

11月27日 句会報告

20191127 句会報用1

令和元年11月27日 樸句会報【第81号】   街の木々も紅葉し始めた、11月2回目の句会でした。 兼題は「マスク」と「冬の蝶」です。 入選句と高点だった△一句を紹介します。   ○入選  マスクとり団交の矢面にたつ                山本正幸   労使交渉の緊迫した場面である。マスクを外し、いよいよ本気で勤労者側の要求に立ち向かう。その瞬間の群像のどよめき、一挙にあつまる視線の熱さが、空間の迫力として迫って来る。「マスク」「団交」「矢面」の名詞を、「とり」「たつ」のひらがな表記の動詞がスピーディにつないで即物性を際立たせている。 (恩田侑布子) 今回の最高点句でした。 合評では、「ざらざらした場面、マスクをとって語らなければならない場面をうまく表現している」「香港のことを思い出した」「きりっとした表情が“マスクをとる”で見えてくる」「動詞‟たつ“での止めがいい」「分かりすぎて余白がない」などの感想、意見がありました。 (猪狩みき)      △ クロッキー冬蝶の影のみ拾ひ                田村千春   入選句に次ぐ高点句でした。 合評では、 「冬蝶のありようの本質を拾った句」「描いている瞬間の白黒の様子を拾ったのがよい」などの感想、意見がありました。 「調べも美しく上手い。“拾ひ”がいい。句の大きさや広がりはないが、繊細な良さがある」と恩田は評しました。 (猪狩みき)     投句の合評に入る前に、芭蕉の『野ざらし紀行』を読み進めました。 今回取り上げたのは次の二句。    梅白し昨日や鶴をぬすまれし    樫の木の花にかまはぬすがたかな   「京都の富豪で談林系の俳人であった三井秋風への挨拶句である。一句目は当時出たばかりの漢詩の和刻本の内容を踏まえたタイムリーな句であり、二句目は三井秋風の高潔さを称えた句。当時“主におもねった句である”という非難もあったが、そうではない。阿諛追従とはいえない。芭蕉は時流を読んだり、主を喜ばせる才能もあった。蒸留水のように純粋というわけではないが、俗の中にもまれたりしながらも本質を失わないのが芭蕉である。」と恩田が解説しました。     [後記] 久しぶりの句会参加でした。句を採らなかった理由を聞かれてしどろもどろに。何となく何かが引っかかる、その何かを言葉にしないと伝わらないのですが言葉にできないままでした。このあたりを言語化することが作句にも直接つながることなのだろうと思っています。(猪狩みき) 次回兼題は、「冬の月」と「鰤」です。   今回は、○入選1句、△4句、ゝシルシ5句、・9句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

11月10日 句会報告

20191110 句会報用1

令和元年11月10日 樸句会報【第80号】 11月初回の句会です。この時間、東京では碧天のもと、即位を祝うパレードが催されていました。 兼題は「立冬」と「ラグビー」です。 入選句と原石賞2句を紹介します。 ○入選  補聴器を厭ふ母なり冬日向                山本正幸   母は長寿を賜った。代わりに耳は遠くなり、家族が会話に困るほど。「お母さん補聴器つけようよ」他のことには従順なのに、なぜか補聴器には耳を貸さない。いままでずっと自然体で生きて来たように、これからも齢相応でいいと思っているよう。日だまりにくつろぐ母を見やる作者の清雅なまなざし。慈しみの感情には、誇り高き母への尊敬の念すら混じっている。冬日向の浄福である。(恩田侑布子) 合評では 「補聴器はどうしてかみんな嫌がるようです。このお母さんもそうなんでしょう」 「“なり”が気になった。ちょっと強い感じ。“なり”を使わずに詠ったほうがいいのでは?」 などの感想、意見が出されました。(山本正幸)       【原】早朝の短き電話冬に入る                天野智美   早朝に鳴る電話は「不吉な電話」か「よくない報せ」にちがいないと、句座でこの句を採られた方は電話内容をマイナスイメージに受け取りました。そのような思わせぶりな意味内容にしてしまうと句柄が小さくなりがちです。単純に、朝早く電話があり、すぐ切れ、寒さにぶるっと来た瞬間の感覚の良さを活かしたいと思います。そこで、 【改】あつけなき朝の電話や冬に入る   こうすると情緒がもつれません。スッキリ乾いた初冬の朝が端的に現れます。(恩田侑布子) 連衆から 「早朝の電話とは、あまりいい知らせではないことを想像させます。私も両親が田舎にいて、朝方に電話が鳴るとドキッとします」 「“短き”とは会話が短いだけでなく、呼出し音の短さかもしれない。いい電話ではなく、出ても用件だけ。いろいろ思いをめぐらせる句ですね」 などの感想がありました。(山本正幸)     【原】寒晴れや荒ぶるトライ大地待つ                萩倉 誠 兼題の「ラグビー」は、テレビ観戦が多いだけにゲームの一コマに終始しがちでした。この句は真っ青な冬空をいきなり打ち出し、中七の「荒ぶるトライ」へとラグビーの王道の展開を見せる力があります。ただし「大地待つ」は窮屈なので、「地が待てり」としてみましょう。   【改】寒晴や荒ぶるトライ地が待てり   下五のイ音の上下にリズムが引き締まり、中七までのア音が一層華やかになります。さらに全体五音のラリルレロ行までが、歯切れ良い音楽を奏で出します。(恩田侑布子)     今回の兼題の例句が恩田によって板書され、それぞれ短評がありました。  冬来たる平八郎の鯉の図に             久保田万太郎  冬となる風音夜の子にきかす               古沢太穂  ラグビーボールぶるぶる青空をまはる              正木ゆう子  ラガーらのそのかち歌のみぢかけれ               横山白虹  ラグビーの音なき画面雨しぶく               行方克巳   [後記] ラグビーのワールドカップ日本大会が盛り上がりを見せ、その余韻が列島に残っているようです。今回の兼題でもあり、句会の議論にも熱が入ります。「楕円球を高く蹴り上げる」内容の投句に対して、「これは完璧に成功したキックですね」との評がありました。ラグビーの見巧者にはそこまでわかるのだと感じ入った筆者です。これも十七音に凝縮された俳句の力かもしれません。 次回兼題は、「冬の蝶・凍蝶」と「マスク」です。(山本正幸) 今回は、入選1句、原石賞2句、△4句、✓シルシ6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

10月30日 句会報告

20191030 句会報用3

令和元年10月30日 樸句会報【第79号】   10月2回目の句会です。晴天の秋の午後、連衆が集いました。 兼題は「小鳥」と「釣瓶落し」。 入選句と原石賞4句を紹介します。    ○入選  秋麗や手にしつくりと志戸呂焼                前島裕子   志戸呂焼は遠州七窯の一つ。静岡県で最も歴史のふかい焼物である。この茶陶の魅力に取りつかれて私自身、二十代の数年間は毎日陶芸修行にいそしんだ。 遠州の「きれいさび」といわれるが、秋の野や、星の夜を思わせる釉景色と手取りのふわりとした温雅さを特徴とする。その志戸呂の持ち味が端的にやさしく表現された。 志戸呂の静かな鉄釉は秋の澄んだ午後にこそふさわしかろう。民芸のようなぼこぼこした厚手でもなければ、志野の艾土のような肉感でもない、「しつくりと」した手取りが、秋麗の青空と響く。 じつはこの句は草の戸「志戸呂・心齋窯」への贈答句。挨拶句なるものは、やや予定調和の気味があってこそ安らげる。よくはたらいている季語「秋麗」は最高の贈答である。(恩田侑布子)       【原】被災地の釣瓶落しや泥の床                松井誠司 【改】被災地は釣瓶落しや泥の床   なまなましい現場感がある。とてもテレビでみて作ったとは思えない。案の定、作者の実家が長野市穂保で、救援に駆けつけた実体験の作であった。原句のままでも、充分とまどいと悲しさが感じられる。ただ、「の」を「は」へ一字変えるだけで、いっそう天災の無情さと天地の運行の非情さ、対する人間の非力が際立ち、句柄が大きくなると思うが、いかが。(恩田侑布子) 合評では、「ここのところ水害が続いています。泥を落としても落としても家の掃除や片づけが終わらない。“釣瓶落し”に被災者の気持ちまで出ている」と共感の声がありました。 (山本正幸)     【原】かさね塗る柿渋釣瓶落しかな                前島裕子   【改】羽目に塗る柿渋釣瓶落しかな   柿渋と釣瓶落しの配合のセンスに瞠目した。惜しいのは「かさね塗る」の上五。どこでなにを塗っているかさっぱりわからない。そこで、田舎家の古い板羽目を塗っているところとしてみた。歳月に洗われ木目の立った板張りの壁に、茶と弁柄のあいの子のような柿渋が重なり、釣瓶落としの闇が迫り来る。色彩の交響に日本の秋の美が感じられよう。(恩田侑布子) 合評では、 「この季語を知ったとき“柿渋”をすぐ連想しました」 「今まさに塗っているところですね。重ねて塗る度に色が味わい深くなっていく。季語と即き過ぎかとも思ったが、イメージはピッタリだ」 「時間を忘れて塗っている。夕日の最後の色とよく合っている」 「“釣瓶落し”は今の子どもたちには分からない。“柿渋”も知らないかもしれません。なんか趣味的な感じのする句です」 など感想、意見が飛び交いました。(山本正幸)     【原】草食むは祈りのかたち秋落日                天野智美   【改】草食むは祈りのかたち秋没日(いりひ) 放牧の牛でもいいし、草食性の昆虫でもいい。草を黙々と一心に食べている姿を、「祈りのかたち」とみたところに詩の発見がある。あとで作者に聞いたら、アイルランドに暮らしていた頃、バスの中から見た羊の放牧風景とのこと。なるほど彼の地はいっそう日暮れが早かろう。 惜しいのは下五「秋落日」の字余りによるリズムのもたつきである。素直に「秋没日」として定型の調べに乗せれば、いっそう祈りも清らかになろう。羊のまるいシルエットも淡い影絵のように見えてくる。(恩田侑布子)     【原】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返る               村松なつを   【改】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返り   豆腐屋が金色のラッパを吹いて自転車でやって来たのは、記憶では三〇年も前のこと。いまはもっぱら箱バン形の軽トラックで、自動スピーカーになってしまった。 それはともかく、この句のよさは、釣瓶落しに豆腐屋の笛の音色がぴいーと半音裏返って聞える独特のもの哀しさにある。小品スケッチとして味のある俳句なので、ここは終止形にしないほうがいい。たった一字「うら返り」とするだけで、にわかに夕闇の余情がひろがり、澄んだ高いラッパの音が尾を引くのである。(恩田侑布子)  合評では、「近所に軽トラでテープを流しながら豆腐を売りに来る。笛の音が裏返るのだから、作者のところへはきっと自転車で来るのだろう。早く売り切って家に帰りたいという思いと“釣瓶落し”が響き合っています」との感想が聞かれました。(山本正幸)     注目の句集として、大石恒夫句集『石一つ 』(2019年9月  本阿弥書店刊) から恩田が抽出した十四句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  老いと言う純情もあり冬の蝶    祝 大隅良典氏ノーベル医学賞受賞  細胞に死ぬプログラム秋うらら  春の夜の筆圧勁き女文字  自分史を書くなら冬木芽吹く頃  蕗の雨御意と頷くばかりなり (おおいし・つねお) 1928年静岡市生まれ。2009年 静岡駿府ライオンズクラブ俳句会入会。2013年 85歳にて外科医ほぼ引退。現代俳句協会通信添削講座入会。塩野谷仁氏に師事。「遊牧」会友。18年同人。2019年 現代俳句協会会員。  ※ 静岡市葵区鷹匠 大石外科胃腸科医院 元外科医 静岡高校61期。        [後記] 句会を終わって外に出ればまさに“釣瓶落し”でした。駿府城公園の周りや中心市街には11月1日から始まる「大道芸ワールドカップin静岡」を告知するポスターがあちらこちらに。 今回の句会で胸に落ちたのは、豆腐屋の句をめぐる「立句」と「平句」についての恩田の解説です。俳句の全てがいわゆる「立句」を目指す必要はない。内容と容れものが合っているかが問題で、「平句」での表現が相応しい事柄もあることを学びました。同列に論じることはできませんが、作曲においても「調性」の選択が作品を決定づけるようです。   次回兼題は、「立冬」と「ラグビー」です。  (山本正幸)   今回は、入選1句、原石賞4句、△4句、✓6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

10月13日 句会報告

20191013 句会報1

令和元年10月13日 樸句会報【第78号】 10月最初の句会は、台風19号が伊豆半島に上陸した翌日の開催となりました。恩田も避難所生活明けで、名古屋や埼玉の連衆は交通機関の不通などから参加できず空席が目立ち、ちょっと淋しい句会に。台風一過の秋晴れとはいえ、他県の河川の氾濫被害に胸が痛みます。 兼題は「水澄む」と「葡萄」です。 原石賞の4句を紹介します。   【原】黒葡萄ホモサピエンス昏々と                伊藤重之 黒葡萄はたわわに輝いているが地球上の動物の一種、ホモサピエンスだけは「昏々と」している、という句意。作者は「昏々と」で、人類のおろかさを表現したかったのだろう。しかし「昏々と眠る」というように深く眠るさまとみわけがたくなってしまうのが惜しい。そこで、 【改】黒葡萄ホモサピエンス昏みゆく とすれば「黒葡萄」ではっきりと切れる。中七以下との対比が際立つ。黒葡萄はつややかに豊穣の薫りと甘さを持ち、人類はますます昏冥をふかめ闇に呑み込まれてゆくのである。(恩田侑布子) 合評では、 「“昏々と”の次にどんな言葉が隠されているか気になります。“眠る”じゃないですよね?」 「“黒葡萄”と“昏々と”は合っている。ここに詩として醸し出されているものがあるのかもしれないが、私には世界が立ちあがって来ない」 「意味がうまくつかめませんでした」 などの感想がありました。  (山本正幸)       【原】六百句写し終へたり水澄める                前島裕子 作者はある句集に感動して尊敬のあまり、まるごと六百句をノートに筆写し終えたという。ただ原句の「水澄める」に付け足し感がある。俳句は語順を換えるだけで雰囲気が一変する。 【改】水澄むや写し終へたる六百句 こうすれば、水のみならず作者の周りの大気までもが澄み渡り、秋の昼の静けさに実感がこもる。こころをこめて六百句を写し取った達成感は、作者の心境をいつしらず高めてくれていたのである。 (恩田侑布子) 合評では、 「達成感と“水澄めり”がとてもよく合っていると思いました」 「六百句写す行為って何? 写経ほどのインパクトがない」 「季節感が感じられませんでした。季語が動くのでは?」 などやや辛口意見も聞かれました。(山本正幸)       【原】水澄みて木霊の国となりにけり               芹沢雄太郎 このままでも十代の少年俳句ならば悪くない。ファンタジックで童話的な俳句として初々しい。ただ作者は三〇代半ばの三人の子のお父さん。となると、どうか。やはり等身大の大人の句であってほしい。次のように一字を換えてみよう。秋の深い渓谷が出現するのではないか。(恩田侑布子) 【改】水澄みて木霊の谷となりにけり 本日の最高点句でした。 合評では、 「俳句のかたちとして“~~の国となりにけり”はありがちです」 「“水澄む”と“木霊の国”は共通するイメージがあり、即き過ぎかもしれない」 「“国”とは国家ではなく、山国とかの触感や空気感のある“国”だと思う」 「“木霊”とは、声と精霊のふたつのイメージがある。透きとおった木の精霊とすれば、透明感、木々の緑、水の青、という色が見えてきますね」 「ここには人のいない感じがして少し怖い」 「俳句初学の頃、“とにかく見たものを詠め”と言われた。この句からは何も見えてこない。観念的な句だと思います」 など様々な感想、意見が飛び交いました。 (山本正幸)       【原】しどろなる思考を放棄葡萄むく               萩倉 誠  「しどろなる思考」まではいいが、つぎの「放棄」という熟語は固くて気になる。また葡萄の皮をむくで終わるのは、いささか中途半端。句意を変えずに添削すれば、 【改】しどろなる思考やめなん葡萄食ぶ となる。「もういいかげん筋目なくあれこれ考えるのはやめよう」そう自分に言い聞かせて頬張る大粒の葡萄の甘さ。思考から味覚の酔いへ耽溺するおもしろさ。 (恩田侑布子) 合評では、 「こういうことよくある。深く共感した。漢語が固いが葡萄がそれを和らげている」 「葡萄をむいているけど、まだ思考にこだわっているのでしょう」 「“思考”と“放棄”というふたつの言葉が強くて気になります」 「どうでもいいことを考えているのなら“放棄”なんてしなくてもいいでしょ? 内容に共感しなかった」 と議論が広がっていきました。 (山本正幸)     今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。  黒きまでに紫深き葡萄かな                正岡子規  葡萄食ふ一語一語の如くにて               中村草田男  水澄みて四方に関ある甲斐の国                飯田龍太  澄む水のほか遺したきもののなし               恩田侑布子     注目の句集として、  井越芳子『雪降る音 』(2019年9月 ふらんす堂)  から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。   連衆の共感を集めたのは次の句です。  やはらかにとがりてとほる蝸牛    寒の雨夜が来てゐるとも知らず    天辺のしいんと晴れてゐる冬木    ふうりんは亡き人の音秋日向    森はなれゆく春月をベッドより    冷やかに空に埋もれてゐたりけり    あをぞらや眼冷たきまま閉づる     井越芳子『雪降る音』のページへ     [後記] 台風の影響で句会に参加できない連衆が相次ぎ、こじんまりと、それゆえに濃密な句会となりました。 今回、恩田の「等身大の大人の句であってほしい」(上記“木霊の国”の評にあります)との言葉を、精神的にいつまでも青春していたい筆者は「その年代の自分にしか詠めない句」を追求すべしとの鞭撻と受け止めました。確かに歳を重ねるにつれて、知らないことや新しい発見が逆に増えることを実感します。俳句の眼をもって見ればなお。 次回兼題は、「小鳥」と「釣瓶落し」です。 (山本正幸) 今回は、原石賞4句、△1句、ゝシルシ3句、・6句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

9月25日 句会報告

20190925 句会報用-1

令和元年9月25日 樸句会報【第77号】 9月の最終週だというのに、「暑い」という声があちこちから聞こえた日の句会でした。 兼題は「秋刀魚」と「“音楽”に関する句」。 入選句と原石賞2句、△1句を紹介します。 〇入選  免許証返納せむか秋刀魚焼く                山本正幸 運転も、秋刀魚を焼いて食べるのも作者の何十年の日常生活であった。この秋、秋刀魚を焼きながらふと思う。高齢者が幼子の命を奪う痛ましい事故がよく報じられる。おれも免許証、そろそろ返納するほうがいいのかな。免許証も秋刀魚もふだんの暮らしの象徴である。その一方を手放すことになる未知の日々が近づく。この戸惑いは古希を迎えた作者の健やかな良心を証明していよう。秋刀魚を焼く煙が秋思もろとも燻して腸までほろ苦く美味しそう。(恩田侑布子) 「“免許証の返納”という社会的なことと“秋刀魚焼く”という生活のこととの取り合わせが非常にうまい」「秋刀魚の本質をとらえている」「時事的すぎませんか? 川柳のよう・・」などの評が聞かれました。 作者は、「この句を家人に見せたら、アナタは焼いたことないでしょ、と言われたので、‟秋刀魚食ふ‟にしてみた。でも句としては“焼く”のほうが良いと思い、もとに戻しました」と語りました。(猪狩みき)       原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】 太陽の塔の背中や穴惑              芹沢雄太郎  改1 太陽の塔を背(そびら)に穴惑  改2 太陽の塔の後(しりへ)や穴惑 ユニークな俳句。ただ、原句は「背中や」がもんだいです。太陽の塔の背中に蛇が張り付いているように読めてしまう。穴惑は冬眠のため地中に潜る寸前ですから距離感がほしいところ。いろいろな変え方がある。[改1]はひとまず距離感が出る。[改2]にすると、蛇は、岡本太郎の造形した太陽の顔をみることなく冬眠に入る。穴惑が不思議な実存感をもって太陽の塔と拮抗を始めよう。 (恩田侑布子)       【原】 無職なり瓢にサティ聴かせをり                山本正幸  改1 無職なり瓢にサティ聞かせつつ  改2 職引いて瓢にサティ聞かせをり 原句は「なり」「をり」が障る。上五をそのまま残すならば[改1]のように下五は「聞かせつつ」と柔らかに終わりたい。下五を残すならば[改2]のように上五は「職引いて」とし、サティの曲の軽やかさを生かしたいところ。 (恩田侑布子) 今回の最高点句でした。「“無職”“瓢”“サティ”の3つのつながりがおもしろい」「瓢を見ながらひとりの時間を楽しんでいる感じが良く出ている」「上五の大胆さがいいのか、それとも乱暴なのか?」「定年退職ではなく“職なし”と読んだ。若い人なのかも」という連衆からの評でした。 (猪狩みき)    △ いわし雲ブリキの笛を旅の友              見原万智子 作者の弁を聞くまでアイルランドの笛とはわからなかったが、安価で親しみ深い銀色の笛が愛らしく感じられた。一人旅で帆布の旅鞄などにしのばせたそれを、さりげない山鼻や岬の尖などで吹く健康な作者像が彷彿とする。爽やかなロマンのある俳句。 (恩田侑布子) 合評では、「どんな旅? ひとり旅? いろいろ想像させる。情感があります」「細い雲と旅の長さがオーバーラップする」などの感想がきかれました。(猪狩みき)       今回の題の名句ということで恩田からいくつかの句の紹介がありました。連衆に人気だったのは  暗室の男のために秋刀魚焼く                黒田杏子  江戸の空東京の空秋刀魚買ふ                攝津幸彦  火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり              秋元不死男   などでした。 [後記] 今回の題は、私には難しく感じられる題でした。何が「難しさ」をもたらすのかはっきりしないのですが、自分にとって作りやすい題とそうではない題があることがわかり、そのことを興味深く思っています。 ‟内容と表現が合っているか”のレベルまで考えられるようになりたいものだと思います。まだまだ道は遠そうですが。 次回兼題は、「水澄む」と「葡萄」です。 (猪狩みき) 今回の結果は ◯1句 【原】2句 △2句  ゝ9句。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

9月8日 句会報告と特選句

20190908 句会報用-1

令和元年 9月8日 樸句会報【第76号】 9月1回目。台風15号が静岡に上陸する気配を感じながらの句会となりました。 句会冒頭に、2020年版「戸田書店カレンダーノート」に樸の連衆の句が掲載されることが恩田より発表され、掲載一句一句に対する恩田からの熱い選評と、戸田書店先代社長夫人・戸田聰子さんの思い出が語られました。 兼題は、「月」と「爽やか」です。   特選句、入選句及び△1句を紹介します。   ◎特選                         人類へ月の兎に近よるな                 林  彰   生まれて初めて聞いた神話は、アマテラスでも海幸山幸でもなかった。 「お月さまにはうさぎがいて、おもちをついているんだよ」  幼いころはよく酒屋へお醤油を買いに行くお使いをさせられた。往きはカラの一升瓶が帰りはずっしり重い。赤ちゃんを胸に抱くようにして帰ったものだ。その時、幼ごころに長い道のりのおともはお月さまであった。夜道の心細さに「出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい、ぼーんのような月が」と歌えば、うさぎがはねた。もううさぎさん、後ろに行っちゃったかな。見上げるたびに、月から白い長い耳がこぼれそう。いつまでたってもついてくるのが不思議でならなかった。  二〇一九年の年頭に中国は月の裏側に人工衛星を着陸させた。九月にはインドの探査機が月の南極に着陸寸前。すでに五〇年前、アメリカ人が月を踏んだ。テレビ画面に写る月はまるで砂漠のように見えた。  中国神話では月には蟾蜍に化した嫦娥が住んでいる。神話は古代人の迷妄のしるしだとする考えもある。しかし、月の満ち欠けに再生を祈り不老不死を願った心性は、人間が死から免れない以上、現代人にもよくわかる。  掲句は月にではなく、「月の兎に近よるな」という。この差は大きい。  「わたしたちのなかに住む清らかなものを、知識と技術で滅ぼしてくれるな」  仰がれる時、月の兎はかがやかしい白をもってはね遊ぶ。          (選 ・鑑賞   恩田侑布子)     ○入選  月白やマジシャンは先づカード切る                田村千春    「月白」という美しい季語を、まだ俳句を始めてまもない作者は歳時記に発見し、たちどころに過去のある記憶がよみがえったという。手品を始める白い長い指が一束のカードを繚乱と歯切れよく切り始める。これから始まる魔法の空間の先触れのように。月はいま、銀の湖のように山窪の空を明るませている。まもなく中秋の名月が上がる。その前のときめくような、どこかものさびしいようなたまゆらの時間に、あやかしの十指が澄み切った時間の開幕を告げる面白さ。     (恩田侑布子)       ○入選  袖まくり路上ピアノの爽やかに                田村千春    最近のテレビに、世界の各都市の駅のコンコースにピアノを置いて、自然発生的に繰り広げられる市民の演奏を紹介する番組がある。この句は「袖まくり」がいい。この初句で、ふだんから弾いている音楽家でも音大生でもないことがはっきり想像される。純粋に楽しみでピアノを弾くひとである。長袖になったばかりの秋服の袖をまくる。ちょっと久しぶり。「さあ」という心はやり。素朴な生活者の顔がそこに表れ、まさに爽やか。袖をまくる仕草はどこかカワイイ。    (恩田侑布子)        今回、特選と入選が奇しくも、名古屋市在住の精神科医と藤枝市在住の内科医という医師ふたりに占められた。俳句は文科系だけのものでないという良い証拠。もっとも文化系・理科系という旧概念から脱して、自由に往還し反響し合っていくところに日本と俳句の未来が開けるように思う。(恩田侑布子)        △ 爽やかやトレモロこぼす名無し指              村松なつを    合評では、プロではなく、アマチュアギター奏者が屋外で楽しく演奏している感じがする。薬指ではなく名無し指としたところにアマチュアの名もなき演奏家のイメージを重ねたのではないか。などという意見が挙がりました。  作者によると、「爽やか」という季語を「爽やかに」と使いたくなかったそうです。また、この句で演奏している楽器はギターではなくフルートであり、フルートではトレモロのことをトリルとも表現するとのこと。それを聞いた恩田は  フルートのトリルさはやか名無し指 と添削し、映像がさらに鮮やかに浮かび上がりました。 (芹沢雄太郎)        今回、恩田より兼題「月」「爽やか」の例句の紹介がありました。その中で恩田は、俳句における「月」という季語の重要性と、「爽やか」という季語の作句の難しさを語りました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  やはらかき身を月光の中に容れ               桂 信子  道なりに来なさい月の川なりに              恩田侑布子  過ちは過ちとして爽やかに               高浜虚子  爽やかに第一石をうちおろす               山口青邨       [後記]  今回は恩田と連衆の選がほとんど重なりませんでした。限られた選句の時間の中で、どれだけ相手の句を読み込めるのかが問われます。 「俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場であり、表現の喜びと共感の喜びがある」と恩田は言います。(※) 選句も作句と同等に修練を積んでいかねばと改めて思わされました。 次回の兼題は「音楽に関係した句」「秋刀魚」です。(芹沢雄太郎)   (※)恩田は5月10日開催の静岡高校教育講演会でも同様のことを述べています。  講演会のページへ      今回は、特選1句、入選2句、△2句、ゝシルシ5句、・11句でした。  (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)

8月28日 句会報告と特選句

20190828 句会報用1

令和元年 8月28日 樸句会報【第75号】   8月2回目の句会。夏の終わりの豪雨をついて連衆が集いました。なかには神奈川県から1年半ぶりに馳せ参じた方も。 兼題は、「夜食」と「盆」です。   特選句、入選句及び原石賞のうち2句を紹介します。   ◎特選    みな死んでをはる戯曲や夜食喰ふ                 山本正幸  登場人物がことごとく死んで終わる戯曲は、ギリシャ悲劇やシェークスピアなど、純文学に多い。人類最古の文学ギルガメシュ叙事詩も、英雄の不死への希求は叶わず、死を以て終る。作者は秋の夜長、重厚な戯曲に引きずり込まれ、こころを騒がせ共感する。はるかまで旅した劇のおわり、主人公のみならず全員が死んでしまった。なぜかいつもは食べない夜食を食べたくなるのである。  するどい感性の句である。理屈上の関係はない「みな死んでをはる戯曲」と「夜食」に、詩のゆたかな橋が架かった。みな死ぬのは戯曲ばかりじゃない。ここにいるものは一人残らず死ぬのだ。死の入れ子ともいうべきマトリョーシカが夜の闇に広がりだす。おれは元気だ。寝腹を肥やそう。熱 々のカップ麺をすすったにちがいない。「喰ふ」という身体性に着地したそこはかとない滑稽がいい。         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)      ○入選  夜食とるまだ読点の心地して                猪狩みき    やりかけの仕事がまだまだ残っている。でもひとまずここで小休憩をかねた夜食としよう。サンドイッチなどの軽食をつまみながら、こころは落ち着かない。それを「読点の心地」と表現した巧みさ。壮年期のしなやかな働きぶりが伺われる。      (恩田侑布子)  合評では 「作者の自分の仕事への誠実さを感じます」 「勉強なのか仕事なのか、やり残しがある。その中途半端な気持ち悪さが“読点の心地”という措辞に出ている」 「“読点の心地”が素晴らしいと思います。まだまだ仕事が終わらず気がかりだったとき、上司がピザを取ってくれて、軽くササっと食べたことを思い出しました」 「“読点”をどう評価するか。クサいような気も・・・」 「何かが中断されたことのメタファーじゃないんですか?」  など様々な感想・意見が飛び交いました。  (山本正幸)        【原】晩夏光機影ひとつを残しをり                田村千春 【改】晩夏光機影一つを地に残し  原句では、飛行機の機体が晩夏の空中にとどまっているようで、心に浮かんだ幻想にすぎなくなる。ひとつを「一つ」と漢字表記にし、「地」という措辞一字を新たに入れるだけで、機体の影はくっきりと黒く、大地のみならず胸にも刻印される。   (恩田侑布子)    合評では 「夏の終わりのものさびしさがよく出ています」 「ロシアかどこかの軍用機が領空侵犯して飛び去ったとか…」 などの感想が述べられました。    (山本正幸)     【原】荷台より足垂らしてやいざ夜食                島田 淳 【改】荷台より足を垂らしていざ夜食   原句では、中七の「や」の切字と、下五の「いざ」というさそいかけの感動詞とが混線している。トラックの荷台に足を垂らして夜食を摂る働く仲間同士の労働歌なので、「いざ」だけにしてすっきりさせれば、やっと夜食と休憩にありつけたつつましやかな安堵とよろこびがにじむ自然ないい句になる。(恩田侑布子)       投句の合評に入る前に芭蕉の『野ざらし紀行』を少し読みすすめました。 取りあげられた三句と恩田の解説の要点は次のとおりです。      市人(いちびと)よこの笠うらう雪の傘    客気(かっき)の句。昂揚感があらわれている。風狂精神あり。      馬をさへながむる雪の旦(あした)かな    古典の中でうまれたのではなく、眼前の句。茶色の馬体と雪の朝とが釣りあっている。省略がよく効いており、暗誦性に富む。      海くれて鴨の聲ほのかに白し    余白に富んだ名句。波間から鴨の声が聞こえてくる。「ほのかに白し」にいのちのほの白さが宿る。芭蕉の中の「白」のイメージには清浄たるものへの憧れがある。「淡いかなしみの安堵感」と捉えた高橋庄次説も紹介して、連衆それぞれの感受を問うた。聴覚(声)が視覚(白)として捉えられているところに時代を超えた新しみがある。(「共感覚」に関するテキストとして中村雄二郎『共通感覚論』(岩波現代文庫)が恩田から紹介されました)        合評・講評の後は、最近出版された  行方克巳句集『晩緑』(2019年8月) から恩田が抽出した句を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。    冬空のその一碧を嵌め殺す  地下モールにも木枯の出入口  尋ね当てたれば障子を貼つてをる  雪螢しんそこ好きになればいい      行方克巳『晩緑』のページへ   [後記]  本日の特選句について、「西鶴の女みな死ぬ夜の秋」(長谷川かな女)の等類ではないかとの指摘がありました。恩田は、「かな女の句は浮世草子のなかの女の人生に終始しますが、正幸さんの句は、最後に自身の身体性に引きつけて終るのがいいです。詠まれている世界が異なるので、類句とは言えないでしょう」とこれを退けましたが、講師の評価に対しても疑義を呈し、闊達に議論できる樸俳句会の自由さ、風通しの良さをあらためて実感した次第です。 筆者としてはかな女の句をそもそも知らなかったおのれの不勉強が身に沁みましたが・・。   次回の兼題は「月」「爽やか」です。     (山本正幸) 今回は、特選1句、入選1句、原石3句、△2句、 ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)