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2023 樸・珠玉作品集

誰も隠しもつ冬麗のふくらはぎ

2023 樸・珠玉作品集 (五十音順)     いつぽんの草木  俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。  「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。  樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日)        天野智美   花朧坂の上なる目の薬師   べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな   秋の苔弱き光をこはさぬやう 《二年ぶりに樸に復帰して》    好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。     猪狩みき   しめ縄の低き鳥居に春の風   卯波立つ廃炉作業の発電所   楡新樹望みを抱くといふ勇気 《興味のありか》    植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。        活洲みな子   父母は茅花流しの向かう岸   読み耽る昭和日本史虫の闇   枇杷の花いつか一人となる家族 《旅と私》    私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。  それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。        海野二美   在の春すする十割そば固め   お薬師様見下ろす村に花吹雪   長旅の蝶の夢かや藤袴 《強さとは・・》    皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。      金森三夢   鑑真の翳む眼や冬の海   枯れ尾花わたしのことといふ佳人   ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる 《出戻り致します》    「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。  八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。     岸裕之   五月雨の垂直に落つ摩天楼   碌山の≪女≫漆黒新樹光   病葉の猩々みだれ舞ふ水面 《今思ふこと》    私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。    小松 浩   酢もづくの小鉢に海の遠さかな   銀漢や調律終へし小ホール   警笛に長き尾ひれや熊渡る 《大リーグボール養成ギブス》    入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。  心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。      坂井則之   家継げり障子洗ひも知らぬまま   二親の去りし我が家に帰省せり   あし鍛ふいま一度富士登らんと 《初心者の苦弁》    2023年春から参加させていただきました。  その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。 (私は先生の高校の4年後輩に当たります)  今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。  いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり)    佐藤錦子   蜜月も悲嘆も誰も往く銀河   秋うらら桂花の菓子を頬張れば   疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 《旅の途中》    歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。  句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。  歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。  樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。    島田 淳   花南天兄にないしょの素甘かな   引越の最後に包む布団かな   菜の花の果てを見つけて人心地 《鑑賞という名の対話》    恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。 愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。  それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。 最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。  「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。  二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。  最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。  これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。  私が定年を迎えるのは、来年の夏である。         芹沢雄太郎   春の鳥五体投地の背に肩に   磔の案山子の頭ココナッツ   道迷ふたびあらはるるうさぎかな  《インドのひかり/日本のひかり》    インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。      田中泥炭   人類に忘却の銅羅水海月   耳鳴のいつでも聴けて稲の花   隠沼にあすを誘ふ栗の花 《実戦の年に》    普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい      都築しづ子   切り貼りは手鞠のかたち障子貼る   初夏やタンクトップにビーズ植う   牡蠣フライ妻と一男一女居て   《師の事 樸句会の事》    いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。  そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。  この文を記しているうちになんだか元気になってきた!    中山湖望子   鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す   夏の月うさぎも湖上走りけり   仏壇に手合わす子らや柏餅 《俳句〜日本という方法の神髄》    俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。  観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。       成松聡美   柚子青し手帳今日より新しく   きれぎれに防災無線山眠る   鍋焼吹く映画の話そつちのけ   《初心者を楽しむ》    句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。    林彰      最高裁「諫早湾開門せず」      海苔炙る有明海を解き放て   沢登り桃源郷あり幣辛夷   深く吸ひゆっくりと吐く去年今年      古田秀   シャンデリア真下の席の余寒かな   うぐひすや渦を幾重に木魚の目   テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬 《融》    冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。        前島裕子   菜の花や家々ささふ野面積   スマホすべる付爪のゆび薄暑光           岡部町、大龍勢        先駆けの子らの口上天高し 《外にとびだそう》    私の干支、卯年も残すところわずか。  少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。  Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。  コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。    益田隆久   露の玉点字の句碑に目をとづる   空蝉はゆびきり拳万の記憶   冬ごもり硯にとかす鐘のおと 《村越化石さんの原稿用紙》    藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。  既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。    見原万智子   フライパン買はむ極暑の誕生日   形見分くすつからかんの菊日和   星なき夜熊よりも身を寄せ合はす 《穴があったら入りたい》    涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。  しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔?   穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。      上村正明   もづく酢や昭和を生きて老い未だ   紙兜脱ぎて休戦柏餅        手術宣告        長々と俎上にのせん生身魂      上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。  これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。       (樸代表 恩田侑布子)         後記  樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。  俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。                           (小松)  

12月23日 句会報告

あらあらと色のぬけゆく冬の暮

2023年12月23日 樸句会報 【第135号】  暖かな日が続いていた後にやってきた寒波で、空気がピンと張った冬晴れの日。今年最後の句会がありました。  兼題は「数へ日」「鍋焼」「熊」。  特選2句、入選4句、△4句、レ4句、・8句。高点句と高評価の句があまり重ならなかったことから、それぞれの読みをめぐって活発に意見が交わされました。「鍋焼」の食べ方談義も楽しい時間でした。          ◎ 特選  斎場のチラシかしまし冬の朝            林彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬の朝」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  警笛に長き尾ひれや熊渡る            小松浩 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「熊」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  数へ日やかき抱きたき犬のなし                天野智美 【恩田侑布子評】  「かき抱きたき人」ではなく「かき抱きたき犬」で、とたんに俳諧になった。いつも一緒にいた小柄なお座敷犬が想像される。その愛らしかった瞳やら毛並みやら。もう一緒に迎えるお正月は来ない。「数へ日」が切実である。   ○入選  星なき夜熊よりも身を寄せ合はす                見原万智子 【恩田侑布子評】  「星なき夜」でなければならない。一粒でも星が瞬けば童話になってしまうから。月もない真っ暗な夜。希望もない。声もない。が、「身を寄せ合はす」人がいる。飢えかけているときに一番食べものが美味しいように、絶望しかけている時ほど、愛する人がいる幸せを感じる。居ないはずの熊を感じるのは、作者が熊になりかわっているから。    ○入選  数へ日の日毎重たくなりにけり                海野二美 【恩田侑布子評】  毎日は二十四時間で変化がないはずなのに、年が詰まり、あとわずかになると、言われるように一日が沈殿するように「重たくなる」。あれもしていない。こっちの片付けもまだ何もやっていない。どうしよう。日数が足りない。途方に暮れても、時間の流れは容赦ない。省略が効いていて、覚えやすい良さもある句。    ○入選  鍋焼吹く映画の話そっちのけ                成松聡美 【恩田侑布子評】  映画の帰りに店に寄ったのだろう。今まで夢中で主人公や脇役の話をしていたのに、「鍋焼」が湯気を立てて運ばれてきた途端、もう映画なぞ「そっちのけ」。ふーふー。ずるずる。アッチッチと言ったかどうか知らないが、美味しく楽しく夜はふけてゆく。         【後記】  年末のあわただしい気分がありながら、句会の間は別の時間が流れているような気持ちにもなりました。  「“発見”が大事といつも言っているけれども、それは“知”“頭だけ”での発見ではなくて“知・情・意”があるものでなければ」との恩田先生の言葉に、詩的な発見のための構えについてあらためて感じるところがありました。また、「情、気持ちの切実さは十分に持ちつつそれに耽溺せず表現するのが俳句」との言葉も。難しい、ですが、その難しさを楽しむ気持ちで新年に向かえたらと思っています。 (猪狩みき) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 12月12日 樸俳句会 兼題は「冬ざれ」「山眠る」「枇杷の花」です。 特選2句、入選3句を紹介します。       ◎ 特選  テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  枇杷の花サクソフォーンの貝ボタン            益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「枇杷の花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください    ○入選  枇杷の花いつか一人となる家族                活洲みな子 【恩田侑布子評】  枇杷はしめやかな花。半日陰を好むようで、遠目にはそれと知れない。トーンの低い冬の日差しに似合う。大きな濃緑の葉影に静まって地味に群れ咲く。「いつか一人となる家族」。この感慨にこれほどピッタリと収まる花は他にはないだろうと思わせる。             ○入選  磔の案山子の頭ココナッツ                芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】  案山子は秋の季語。ココナッツの頭はエキゾチック。作者は南インド在住の芹沢さんと想定して入選に。 まず案山子を「磔」とみたことに驚かされる。今まで衣紋掛けは連想しても、キリストの磔刑など、夢にも想わなかった。言われてみれば、案山子が痩せこけた磔刑像のキッチュなポップアートのように思えてくる。そこら辺のココナッツで無造作に頭を代用しているとなればなおさら。インドの原色の服装も見えてくる。名詞をつないで勢いのある面白い俳句だ。        ○入選  きれぎれに防災無線山眠る                成松聡美 【恩田侑布子評】  よくある山村が目に浮かぶ。限界集落ともいわれる山間地の寒村だろう。「きれぎれに」の措辞がリアル。谷住まいの評者も日々経験しているが、山や木や風に遮られて明瞭には聞こえてこないもの。ばかばかしいほどゆっくりとした広報の声が風に乗って、だいたい何を伝えたいかだけはわかる、あいまいの国、日本。「空気が乾燥しているので火の元に気をつけましょう」とか。大したことは言っていなそう。山は安堵して眠りについている。      

句会報告 8月6日

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2023年8月6日 樸句会報 【第131号】  口をついて出てくる言葉は、「暑い、暑い」。先回のリアル句会、日傘に帽子、アームカバーといういでたちで出かけた。久々にみなさんに会えたのは嬉しかったのですが、熱中症警戒アラートが出されているこの時期、クーラーの効いた部屋でのZoom 句会はありがたい。今回も高成績。 ◎2句 ○3句 △3句 ✓14句 •8句でした。  兼題は「極暑」「帰省」「病葉」です。             ◎ 特選  病葉の猩々みだれ舞ふ水面            岸裕之 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「病葉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選     竹生島  夏の月うさぎも湖上走りけり            中山湖望子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「夏の月」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな                天野智美 【恩田侑布子評】  江戸時代は怪談や「百物語」が流行り、そうした浮世絵の名作も生まれた。この句はお化け屋敷のお化けのみならず現代の「妖怪」を背負っている。そこに新しみがある。二十一世紀の妖怪は、侵略戦争、核兵器、地球温暖化、AIシンギュラリティ、格差分断社会、特に日本の少子社会と男女不平等。それらの袋小路めいた重圧が「べつたりと」背中に張り付き「酷暑」を益々息苦しくしている。批評精神が詩と結婚した俳句である。       ○入選  フライパン買はむ極暑の誕生日                見原万智子 【恩田侑布子評】  おかしい、思わず笑ってほっこりしてしまう。作者は極暑の日に生まれた。毎年誕生日が来るたび、それを痛感する。昔は、なぜ気持ちの良い春や秋じゃなかったんだろうと思ったこともあった。が、今は違う。私は「極暑」の人間なのだ。そうだ、いっそ、新しいフライパンを自分のために奮発しちゃおう。そしてこの気狂いじみた暑さも汗も、何もかも豪快に炒めまくってやれ。       ○入選  地球ごと水に浸けたき極暑かな                小松浩 【恩田侑布子評】  地球に網をかけ、西瓜のように捕縛して冷水にざぶんと漬けてやりたい。「地球ごと」が愉快で大胆な発想。異常気象の常態化は、局地的なゲリラ豪雨をもたらしても、一般に潤う雨は少なく、今夏は静岡も旱川が多い。ただならぬ連日の暑熱に命の危機を感じ、南欧では山火事が頻発している。極暑の「極」に実感がある。         【後記】  私はタブレットでZoom句会に参加しています。お話されている方一人一人が画面いっぱい大写しされ、目を見てお話を聞いているようでリアルです。  今回もいい句がたくさん。特に新入生の方々の目ざましい進歩に圧倒され身の引き締まる思いでしたし、先生の特選句の講評を聞いていて、読み手によっていい句がますますよくなるということを、つくづく感じました。又、中村草田男についての話もあり、聞いているうちに草田男の句を読んでみたくなり、スルーしていた「俳句」八月号の特集を読んでみました。  そして再度肝に銘じたことがあります。忌日の句を作るにあたり、先生のことばをお借りしますが「故人への敬虔な気持ちと深い理解(学び)」の大切さ。私も心している、「継続は力なり」の大切さです。  今回はいつも以上に熱の入った、充実した句会でした。 (前島裕子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 8月20日 樸俳句会 兼題は「終戦記念日」「盂蘭盆」「西瓜」です。 原石賞3句を紹介します。       【原石賞】俎板に身を長々と生身魂               上村正明 【恩田侑布子評・添削】  なんとなく手術のことかとは思いますが、原句のままでは今ひとつスッキリしません。原因は「俎板」という措辞にあります。「俎の上の鯉」という慣用句を思い出させ、手術台の上で運命は医者任せ、という受動的な意味あいになってしまいます。こういう時こそ、俳諧精神の振るいどころ。この句の良さは自分自身を「生身魂」といったことにあるので、あくまで思い切り良く手術台に上る方が、一句の背筋が通りましょう。同じ慣用句でも、「俎の上の鯉」より理知的に乾いた「俎上に載せる」を選ぶべきです。長身を手術台に横たえる即物描写がそのまま、一身にさまざまの体験をたたみ込んだ星霜のダブルミーニングと化し、より奥行きの深い俳味をかもします。一生にそうそうあることではないので、簡潔な前書きがあればさらに堂々とした俳句になります。   【添削例】    手術宣告 長々と俎上に載せん生身霊       【原石賞】    類焼により自宅全焼に二句 焼け出され眠れぬ油汗の首               海野二美   【恩田侑布子評・添削】    家族に何の落ち度もなく、一方的に隣家からの火で丸焼けになって焼け出されてしまいました。人生でこれほど理不尽極まることはありません。「焼け出され」た直後からの過酷な肉体的過労の上に、これからのことを思って「眠れない」夜が続きます。精神的疲労は募るばかり。中七を「眠れぬ油汗」と一塊にしないで、切れを作ると、句跨りの「油汗の首」が凄まじいほど引き立ちます。 【添削例】焼け出され眠れず油汗の首       【原石賞】水茎のそのれんめんや水馬               益田隆久   【恩田侑布子評・添削】  発想が非常に面白いぶん、表現が未だしです。まず、中七の「その」は余分です。さらに「れんめん」だけでは物事が長く絶え間なく続いている様子にとどまります。あめんぼうの水上の動きを、ひらがなの連綿体とはっきりと言い切ることで、能筆によってしたためられた古歌や、歌切れまでもが水面に彷彿と浮かび上がります。 【添削例】水茎のれんめん体を水馬      

句会報告 7月16日

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2023年7月16日 樸句会報 【第130号】  連日のように熱中症警戒アラートが発表され、以前の7月の風景を忘れそうな日々が続いています。季語は、季節の変化を繊細に捉えて長い期間をかけて生み出されてきたのだと聞きますが、最近の気候変動によって今後も変化していくのでしょうか。そんな目で俳人の句を鑑賞するのも面白そうです。  今回の兼題は「涼し」「日傘」「ビール」、入選2句、原石賞2句を紹介します。             ○入選  指ながき男の選ぶ日傘かな                小松浩 【恩田侑布子評】  先頃まで日傘は女性のものだった。紫外線の害がいわれ、猛暑日が増えた現在では、若い層を中心に男性でも日傘を差して歩く人が珍しくない。作者はまだ、やや抵抗のある世代らしい。店頭のメンズ日傘のコーナーにさっきから男性がいる。見るともなく見ていると、ほっそりと長い指が選びあぐねている。力仕事や農作業などとは、一度たりとも縁がなさそう。選んだ日傘もユニセックスの軽さ。現代の都会生活の一コマをさらりと描いて涼味がある。       ○入選  父母の馴れ初め聞きし缶ビール                活洲みな子 【恩田侑布子評】  「父母の馴れ初め」に「缶ビール」が効いている。お見合いなどのかしこまった席ではなく、日常の場でひょんなことから出会ったという縁の不思議さ。プルトップ缶を両親と自分の三人で次々開ける軽快な響きと泡のさざめきは、仲の良い両親から生まれ育った満足感を存分に伝える。父と母の若かりし日へ楽しい想像が広がる句。       【原石賞】蝙蝠にベクトルの始点は何処?               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】  「ベクトルの始点は何処」が出色。確かに蝙蝠はどこから来たのか、そして、どこへ向かうのか、永遠の謎のよう。ただし、原句の「?」は、読み下した時のリズムの悪さを補うためのものに思える。調べの不安定さを解消するには、順序をひっくり返し、下五に五音の季語を据えるとよい。   【添削例】ベクトルの始点はいづこ蚊食鳥       【原石賞】日傘して区割の墓苑の果てもなし               天野智美 【恩田侑布子評・添削】  大都会の郊外に広がる広大な霊園だろう。住宅の何丁目何番地ではないが、墓地の住所もブロック割りされ、さらに縦横に伸びる通路には符牒が振ってある。のっぺりとした平面に茫漠と広がる墓石の群が見えてくる。まず、中七の字余りを解消し、次に、炎天を墓参に訪れて途方に暮れる思いと、うろうろと墓苑をさまよう姿の小ささを座五の「白日傘」に象徴させたい。   【添削例】果てもなき区割の墓苑白日傘       【後記】  今回は、樸俳句会にとって3ヶ月に一度の対面の句会でした。前後左右から声が飛び交い、心なしか会話も弾み、以前に行われていた対面句会の楽しさが蘇ってきました。  一方で、樸のZoom句会は10ヶ月目に入りました。静岡県外や海外に居る仲間が増え、これまで以上に多様な句に触れる楽しさを感じています。同じ兼題からこんなに自由な発想ができるのかと驚いたり、知らない言葉を目にして日本語の豊かさに触れたり…。まだまだ自分の感じている世界は小さいなぁと、反省することしきりです。  これからも多くの方に御参加いただき、樸俳句会の裾野を広くして豊かな句の世界に触れていくことと、たまにリアルにお会いして親交を深めていけることを楽しみにしています。 (活洲みな子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 7月2日 樸俳句会 兼題は「夏至」「登山」「凌霄の花」です。 入選3句、原石賞1句を紹介します。       ○入選  門柱と凌霄残る駐車場                天野智美 【恩田侑布子評】  「門柱と凌霄」だけが「残る駐車場」で、「だけが」が省かれている。すでに既存の家屋は解体され、更地になって駐車場として利用されている。しかし、まだ門柱だけは残り、凌霄花が取りついている。家族が住んでいたのか、旅館もしくは店があったのか、往時の夏と同じように咲き誇っているのである。真夏の凄まじさが感じられる。       ○入選  緑蔭にボタンダウンは小紋柄                益田隆久 【恩田侑布子評】  おしゃれな作者は他人の服装にも敏感。江戸小紋のような和風の繊細な木綿柄を、アイビールックのボタンダウンに仕立てた気の利いた和洋折衷の夏シャツで、緑陰におやっと目を止める涼しさ。軽快な小品である。       ○入選    禊祭  夏至の朝綱ゆったりと夫婦岩                上村正明 【恩田侑布子評】  伊勢の二見浦まで出かけて、暁闇から禊祭を修された作者。実地の海風に身をまかせたがゆえに「綱ゆったりと」の措辞が自然に口をついて出た。男岩と女岩は、猿田彦大神を祀る興玉大神おきたまのおおかみを拝する鳥居でもあり、日の出の遥拝所でもある。綱が海面上に弧を描いて、その果てから夏の朝日が登ってくる。太陽を崇拝し、根の国に憧れた古代人と、時を超えて一体化した夏至の朝ならではの満足感。品格ある吟行句。       【原石賞】浜通り蜥蜴の色に時止まり               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】  前書きがないと、福島県の海岸地域である「浜通り」を連想する。作者は、小泉八雲が避暑地とした焼津の浜通りが「蜥蜴の色」という。ならば、全国の読者に誤解を与えないために「焼津」の前書きが必要になる。さらに地元の人が、毎年滞在してくれた八雲を偲んで「八雲通り」とも呼んでいるなら、その別称の方がより陰影があって面白い。句末は連用形で流してはもったいない。碧い時を止めよう。   【添削例】    焼津 八雲通り蜥蜴の色に時止まる      

4月2日 句会報告

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2023年4月2日 樸句会報 【第127号】  新型コロナウイルスの流行以来、夏雲システムやZoomを駆使してリモートで会の継続を図ってきた樸ですが、4月1回目の句会はついにみんなで吟行することが叶いました。静岡駅に集合し藁科川をさかのぼること45分ほど、山峡の大川エリアでの吟行です。坂ノ上の薬師堂や、茶畑の上をそよぐ栃沢のしだれ桜、さらに山奥へ行き春椎茸の榾場や山葵園を見学しました。その土地と直に心を交わすような季語体験はもちろん、こだわりの十割蕎麦や「深澤清馥」というお茶の奥深い味わい、夕食の山菜御膳や焼き椎茸など食事も素敵で、目も耳も舌も大満足の会となりました。  特選5句、入選3句を紹介します。         ◎ 特選  在の春啜る十割蕎麦固め            海野二美 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  お薬師様見下ろす村に花吹雪            海野二美 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花吹雪」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  しめ縄の低き鳥居に春の風            猪狩みき 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の風」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  うぐひすや渦を幾重に木魚の目            古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「鶯」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  花朧坂の上なる目の薬師            天野智美 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花朧」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  菜の花や家々ささふ野面積                前島裕子 【恩田侑布子評】  飯田龍太は、「傾斜がきついのか、石垣を積んで平地を確保しなければ家が建たない」小黒坂に住み、「俳句は野面積の石垣に似ている」と看破した。野面積みは国土の七割が山間地のわが国になくてはならない擁壁と地固めの伝統技法である。作者は「菜の花や」と、まどかなひかりの黄色を画面いちめんに散りばめて、石工の力量だけで自然石を積み上げる工法こそ「家々」を支えているのだという。発想、表現ともに手堅い俳句だ。       ○入選  御仏のかひなのうちや花万朶                益田隆久 【恩田侑布子評】  花が咲き満ちると誰れしもそぞろに花の木に惹かれてゆく。大枝垂れ桜が天を覆えば、ことのほかの光景。栃沢吟行会での作者は、ほかの人が山葵沢や春椎茸のホダ場へ散策に行く間も、じっと大枝垂れ桜の下に腰を据えて、時を忘れたように句帳を広げていた。きっと「御仏のかひなのうち」に抱かれていたのだろう。法悦に近い陶酔美がある。       ○入選  なけなしの春子守りて犬吠ゆる                岸裕之 【恩田侑布子評】  一週間前にはびっしりと春椎茸がホダ木についていたのに、吟行当日は収穫後の原木が虚脱したように林立するばかり。目をさらにして探すと、ホダ場の隅に小さな春子がかろうじて幾つか見つかった。それを「なけなしの春子」といったのが愉快。がっかりしたわたしたちは、番犬にまで吠えられた。飼い主に忠実に躾られた犬は一見さんをドロボー扱いしたのだった。作者は「小唄」の名取りでもある乙な趣味人。滑稽味が躍如としている。       【後記】  今回は特選が5句も出るという豊穣な句会でした。何よりも、日ごろは画面越しの皆さんと同じ場所を歩き、それぞれに自然と出会い句作する体験は非常に楽しいものでした。また、吟行はその場で上手く作れなくても、後から思い返してふいに良い句ができることもあります。今回で言えば山里の清浄な空気の中で感じたものが、言語化される前の層として無意識の中に堆積していくのでしょうか。早くも次回が楽しみです。 (古田秀) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 4月16日 樸俳句会 兼題は「蜃気楼」「海雲」「竹の秋」です。 入選2句、原石賞4句を紹介します。       ○入選  燕来るシャッター開かぬ時計店                益田隆久 【恩田侑布子評】  どこもかしこも、日本の地方の駅周辺はシャッター街になりました。まさに衰退国家の現代詠です。昔は店内のたくさんの時計と燕が同時に時を刻んでいたのに、もう、時計店はシャッターさえ開きません。       ○入選  酢もづくの小鉢に海の遠さかな                小松浩 【恩田侑布子評】  目の前の「もづく酢」を「小鉢」まで焦点を絞って、手のひらに乗るかわいいサイズにしておいて、一挙に「海」の大きさと「遠さ」、遥かな感じがくるところ、対比の効いた巧みな空間構成です。しかも、うそいつわりのない実感に打たれます。長らく海辺で遊びくつろいだことのない、日々の労働に疲れた肉体の影を感じます。       【原石賞】天金に乱の付箋や夕桜                田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】  天金の書に、付箋を何枚も斜めに貼ったところを「乱の付箋」としたところ、黒澤明監督の「乱」ではありませんが戦を連想してしまい、「夕桜」のもったりとした本意とずれます。「乱」ではなく「乱るゝ」と和語にし、季語もひらがなで柔らかくしたほうが、この句の元々もっていた唯美空間が生き生きと呼吸を始めます。   【添削例】天金に乱るゝ付箋夕ざくら       【原石賞】回覧板一軒飛ばす竹の秋                島田淳 【恩田侑布子評・添削】  実感はあります。でも、なぜという疑問が残りませんか。人は住んでいるけれど何か理由があって飛ばしたのか。それとも住んでいた方が、老人施設に入られたか、亡くなられたからか。とにかく「一軒」では曖昧すぎます。すっきり「空家」にすると、元の句のスピード感がよりイキイキして、竹の秋のへんに明るい空虚感が引き立ちます。   【添削例】回覧板空家を飛ばす竹の秋        【原石賞】もずく酢や昭和を生きし老ひ未いまだ                上村正明 【恩田侑布子評・添削】  誰にも読める漢字にルビを振るのはご法度です。「老ひ」は間違い。「老い」です。でも、内容は面白い角度から攻めています。ただ助詞一字で句を殺してしまいました。「し」の過去形だとヨボヨボなのに強がっているようにみえます。「て」にすれば、途端に季語の「もずく酢」が生きてくるから不思議です。   【添削例】もづく酢や昭和を生きて老い未だ       【原石賞】沢登り桃源郷あり幣辛夷しでこぶし                林彰 【恩田侑布子評・添削】  桃源郷を恋う句は世に多くありますが、蕪村の「桃源の路次の細さよ冬籠り」のように消極的な姿勢の句がほとんどです。これは「幣辛夷」の可憐でいながら清烈な春先の空気感をよく受けとめています。そこに今まで見たこともないアクティブな桃源郷への恋歌が生まれました。新味があります。   【添削例】しでこぶし桃源郷へ沢登り      

あらき歳時記 花朧

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2023年4月2日 樸句会特選句  花朧坂の上なる目の薬師                    天野智美  花がぼうっと朧にかすむ夕べ、石段を一つ一つお堂まで上ってゆく。坂を上れば、目の病に霊験あらたかなお薬師様が薬壺を掲げて待っていてくださる。嘱目の吟行句とは思えない完成度である。ひとえに「花朧」の季語の斡旋が手柄。これがもし、実際に訪れた「花の昼」であったら、とたんに一句はぼやけた。「花朧」だからこそ、眼病がこれ以上進まないようにと祈る切実さが伝わる。季語が作者の詩的真実になっている。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 日永

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     令和2年3月1日 樸俳句会特選句        なまくらな出刃で指切る日永かな                  天野智美  「なまくらな出刃」が出色。俳味がある。切れ味が鈍っているのに面倒で研いでもいない出刃包丁は、同時に自虐に重なってくる。「私はなまくらものだわ」というつぶやきが聞こえてきそう。じっさい切れ味の鈍くなった包丁ほど指を切りやすいものはない。変に力が入るからだろう。「イタッ」。左手の中指の甲に血が滲んで、突如包丁が不器用な自分の生き方に重なって感じられたのである。中七の「指切る」にわずかな切れがある。なまくらな出刃で指を切ってしまうような、そういう日永なんだよ〜と詠嘆している。「にぶい包丁でだらしのない指切っちゃあ世話あねーよ」、という話なのだが、座五の「日永かな」の付け味がいい。人生の日永に作者はいる。さて、春日遅々とはいえ、ゆっくりと日は傾いてきている。これからどうしようかな、と思う。季語で俳句がにわかに大きくなった句である。         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)             

5月27日 句会報告

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令和2年5月27日 樸句会報【第91号】 新型コロナウイルス禍で“自粛”の毎日です。会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。 兼題は、「浦島草」と「青葉木菟」です。 △5句を紹介します。         △ 青葉木菟結婚記念日の手紙               芹沢雄太郎 結婚記念日に、夫から妻に、妻から夫に、感謝の手紙をかわされる仲の良いご夫妻でしょう。これがもしも「時鳥」や、季節の違う「梟」だったら、人の世の縁のふしぎさを思わせるこんなファンタジックな味わいは生まれませんでした。山の緑、森の深さが感じられ、趣深く安定感のある作品です。 (恩田侑布子)        △ 草深く眠るボールや青葉木菟               天野智美 ちょっとした郊外の学校や幼稚園のそばの杜には青葉木菟が棲んでいます。私にもそんな思い出があります。野球のボールを山裾に飛ばして見つからなくなってしまったのでしょうか。探しても探しても出てこなかったボールを「草深く眠る」としたところに、作者のこころのあたたかさがにじんでいます。 (恩田侑布子) 【合評】 地上のボール=樹上の鳥。昼の子のざわめき=夜の鳥の声。→初夏の夜の静寂は透明。 春夏の甲子園が消えた今年。ボールは伸び切った雑草の中で眠っている。耳の尖っていないボールのような顔かたちの青葉木菟が涙にくれる球児にやさしく寄り添うような愛おしい景が伝わる。        △ うつし世に糸を流して浦島草               村松なつを 浦島さんは龍宮城のある海底にまで糸を垂らしたいのに、というこころが余白にあります。この雑駁とした現世に糸を流さなければならないあわれがそこはかとなく感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 浦島太郎と一緒に未来へタイムスリップしてしまった草でしょうか・・どおりで珍妙な姿です。うつし世では身を持て余し、釣れないと分かっている糸を流しているのですね。        △ 浦島草おとこひとりの喫茶店                萩倉 誠   意外性があります。一人で行った喫茶店の入り口、あるいはあまり日の当たらない窓辺などに浦島草の鉢植えが置かれていたのでしょう。「おとこひとりの」が出色です。浦島太郎が現代に蘇ったら、だれも連れず一人でふらっと喫茶店に行きそうです。そこできっと海よりも深い懐旧に沈むのですね。ブラックコーヒーを喫みながら。 (恩田侑布子)        △ 浦島草早引けの子の眺めゐる                田村千春   「へー、これって、あの浦島太郎さんの花なの」という小学生の声が聞こえてきそうです。何と言っても「早引け」がくすっと笑わせる俳味があります。浦島さんは乙姫様の色香、そして食欲、つまり五欲に溺れてついつい長居してしまったのですから。 (恩田侑布子) 【合評】 学校を早引けしちゃったんだね。帰り道、浦島草を見つけた。釣糸のように長く細い花軸の先には何があるのだろう。先生も知らない不思議な世界が拡がっているのかもしれない…。そこにいつまでもしゃがみこんでいる子のやさしい眼差しに共感しました。        今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子が抄出した「芝不器男 代表二十九句」を読みました。 抄出句及び連衆の句評は 注目の俳人 芝不器男 代表二十九句(恩田侑布子抄出)に掲載しています。   ↑ クリックしてください        [後記] 今回の兼題(浦島草・青葉木菟)。筆者にはほとんど馴染みがなく、どうしたら実感をともなった句が詠めるのか難儀しました。実際にそのモノに接しないとダメなのか?でも、そもそも「実感」って何?「実感」しているワタシって誰?「体験」するとはどういうこと?などと頭の中はもうループ状態。 連衆は兼題に果敢に挑みバラエティに富んだ句が並びましたが、季語の説明に終ったり、即き過ぎだったり…。しかし、恩田の丁寧な全句講評・添削により、無点だった句もどこが弱点かわかり、△以上の句も焦点が定まり、新たな世界が広がりました。 今回で4回目のネット句会。侃侃諤諤のリアル句会が恋しい筆者です。(山本正幸) 次回の兼題は「早苗」「五月闇」です。   今回は、△5句、ゝシルシ8句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)