
囲われるエロスの秘儀、息づく起源 平出 隆 恩田侑(ゆ)布(う)子(こ)の句集『イワンの馬鹿(ばか)の恋』(ふらんす堂)を読んでいたら、大きな時の広がりを感じた。それは「恋」という距離の変幻にかかわっている。ひろがり、というのはひとまずは、他者すなわち「漢(おとこ)の遠さ」である。 みつめあふそのまなかひの青嵐 目のまへの漢のとほさ春の雷 恋人と逢(あ)っているときの充溢(じゅういつ)し、また虚(うつ)ろにもなる感覚として、これらは一般的である。そうした感覚が、しかし別の句では、「自分の遠さ」ともなり変わって、襲い返してくる。 人体は隙間ばかりや春の雨 蝮草知らぬわが身の抱き心地 春嵐千里にべつの吾をりぬ これらの句は、六章に分かれた最初の「恋 一」の章にある。自分を遠くに投げやる意志が、通俗を遠ざけ、大きな時空を生み出す。この作者の美質だろう。最後の章「恋 二」にはさらにひろがりのある句がある。 吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜 千年やうなじさみしき春の浪 秋光の白樺として逢ひゐたり 先のと同様の「自分の遠さ」が、ここではより深く、自然や事物の中に溶かされている。けれども、集中もっとも目を引くのは、別の章にある次の一句だろう。 死に真似をさせられてゐる春の夢 「自分の遠さ」が、ここでは構造化されている。「夢」の中の「死に真似」とは、序文で眞鍋呉夫がいうとおり、「夢魔的な入れ子構造」だろう。恋、夢、死は同心円状に詩の光源を定める。エロスの秘儀を囲うようなその入れ子構造の中には、なにかが破られるまでの息づきが満ちるようだ。 私たちの詩歌がどんな大きな「恋」の時間の中にあるか、示す一例かもしれない。 《出典》 「文芸21 詩歌」 初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)八月三日 初出紙:朝日新聞夕刊 『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)