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2025 樸・珠玉作品集

2025 樸・珠玉作品集 (入会日の新しい順) たたまるる初富士の縞君がほほ 恩田侑布子(写俳) - 巻頭言 -  21世紀のクォーターを迎えた樸は一国主義の風潮の逆をゆけました。  日本とインド二拠点の従来のズーム句会に、ニューヨークとパリから新人が参加してくれたのです。二、三十代の若者たちの頼もしい笑顔も弾けています。私は仲間との出会いに感謝し、掌のなかのすべてをお伝えしたいと願っています。  樸ズーム句会は自宅の暮らしの場から即座に四カ国の句友と繋がれます。匿名で選句し、句会で作者がわかれば、特性に添ったアドバイスを差し上げます。句会あとの第二部は、芭蕉の紀行文を学んだり、俳句時評をしたりする文化サロンです。目標の三十三観音の会はいまだしですが、熱意と質の高さは揺るぎません。こぢんまりした文藝コミュニティーは純粋で自由闊達な俳句談義ができる場です。言葉のふたときの晩餐会のよろこびは国境を超えます。  一方で、国際秩序や人権理念は崩壊に拍車がかかっています。進歩は兵器テクノロジーにのみあざやか。武器大国は目の前の人参を追って、地球の未来を食い潰し、ジェノサイドを恥じません。ホモサピエンスは凶暴化しています。  現実から目を逸らさず、自分にできることは何か。人間とは何なのか。三百六十度開かれた微塵の俳句から大きな世界に向き合いましょう。今年も新たな出会いを求めて、一息の詩に共感し合いましょう。 樸代表 恩田侑布子   小南善彦   旅先で我がふる里のお湯自慢   冬晴れの歩道にはずむランドセル   嵐去り川滔々と花筏 時空を超えて五感に迫る俳句の世界  写真と俳句の違いは、想像の余白の広さではないでしょうか。 写真から受けとる感動は、瞬間を捉えた感動です。それに対して俳句は、場所や時間を自由に行き来し、光や音、匂いや温度、さらには目に見えない気配までも、読み手一人一人に感じさせてくれます。17文字の楽しさと苦しさ(笑)を、これからたっぷり味わってゆきたいと思います。   川崎拓音   精霊飛蝗追ひかけた父も母も   人はひとわすれてあゆむ芒原   冬夕焼旅びと還す比叡山 文學の地、文藝の空 入会してまだ間もないころの句会。どうしても都合があわず遅れての参加になった。それでおずおずと申しでて、句会の終わりに先生に<補習>をしていただいた。個別指導できもちがおおきくなっていたのか、なりゆきで先生と文學談義をした。 「最終的には自分の文學を極めたいです!」とわたし。 「いいじゃん!」と先生。 言い尽くせないよろこびがあった。きもちがおおきくなりながら、実は、文學という言葉を口にすることにすこし緊張していたからだ。 読む者の心を動かす何らかのしくみを具えた記述——そのしくみを解き明かそうとする営みが「文學」であると大学時代にならった。文學の地から見あげる文藝の空は、あまりにも自由でおおきかった。かたや、文學者たらんとする自分自身の心を動かす記述を、自分自身で残してもみたかった。文學と文藝の果てしない往還は、空気がやけに薄く感じる。寒さに羽を震わせどうしたものかと立ち往生していた矢先、恩田侑布子という師に出会えた。こころからうれしくおもう。   橋本辰美   雲の峰貴方の居所捜し当つ   稲妻のつながり落つる河口かな   南蛮や未知より無知の懐かしき 清見潟  23年3月に「楽しい俳句」を、また戻ってくるつもりで退室して以来、3年ぶりの出戻り新人として、晴れてzoom句会主体の樸に入会できたことが小さくない体験でした。一回一回の句会を大切にしながら、師匠と連衆に認めてもらえるように句作に励み、批評性と情趣の間を揺れながらも自句を追求していけるように努めていきたいと思います。   佐藤麻里子   白ビール迷はぬ女同志なり   淵碧き砦裸のピカソかな   揚花火鉄の貴婦人張り合ひし 自己の更新としての俳句 2014年、ドゥマゴ文学賞受賞作『余白の祭』が著者・恩田侑布子をフランスに送り出したことが、私の俳人との出会いだった。全くの門外漢の私は会食の拙い通訳でご一緒し、著書にノックアウトされ、その後パリや静岡で再会し親しくさせていただいた。ただそれ以外俳句とは無縁のまま、11年を経た今年、ようやく機が熟したのだ。 句会の合間の先生のおしゃべりはヒントに満ちている。先日独り言のように、「俳句は難しいので油断するとちょっと前の自分に戻ってしまう」。先生でさえも!?「日々新しい自分にしていかなければ」と。 自己の更新。それが私も七転八倒してもやり続けたいこと。 「ささやかでも、おのれの殻や、時代の旧態を破ろうとする、日々更新の自由なこころこそ、本来の俳句のはず」(『余白の祭』p.115)。 それはきっと俳句だけでなく、芸術とは本来そういうこと。 さて、来年は時間不足を言い訳にせず、いかに自由な心で作句に励み、自己を更新し再生しつづけられるか。   小住英之   地ビールを二本空港泊の窓   満塁や灼くるシンバル灼くれど撲つ   病室の鎖骨に月のありあまり 癖 なにか大事なことを決めるとき、「あまり検討しない」癖が私にはあります。しかし私は不思議とこの癖に助けられてきました。 例えば、大学生のとき座学だけで「皮膚科医になろう」と決めた私は、その研究室にすぐに通い始めました。九年後、私はその研究でなんとか博士号を取得し、今の職を得ました。あのとき実習・研修開始を待たずに皮膚科に決めてよかったと思います。 俳句を始めて半年で古田秀さんの「大学」を読み、樸俳句会を知りました。ホームページを見て、ある種直感的に樸で勉強したいと思い、仲間に迎えていただきました。あのとき樸に飛び込まなければ、ここまで俳句に熱中することもなかったように思います。 これからも一歩ずつ、俳句の道を学んでいきたいと思います。今後もご指導お願いいたします。   馬場先智明   ⼩春⽇や部屋にやすらふ⺟の⾻   ⼋⼗年焼⿃の串抜くやうに   仮名千年語り万年寒昴 「似て非なるもの」に魅せられて 「俳句と編集とは、似て⾮なるものです」と、恩⽥先⽣はキッパリ。編集の世界に半世紀近く棲息してきた⾝には沁み⼊るような⾔葉でした。句歴⼀年で感じたのは、俳句には「達⼈」や「極意」という⾔い⽅がよく似合うなぁ…ということ。芸や美の道を極めることに魂を注いで倦むことのない⼈たちの世界。武芸、茶道、将棋…のような型や厳格なルールに則った世界。極めてこそ⾒えてくるものを追い求める少数者が泰然と⾝を寄せ合う世界。芭蕉から恩⽥先⽣はもちろん近現代俳⼈までの句を渉猟しては嘆息する⽇々でした。⽚や私のかかずらってきた編集の世界。⾔葉(⽇本語)を道具⽴てとする点は同じですが、あくまでも⾔葉は「情報」。編集者の仕事は、外から掻き集めた情報の順列組合せを専らとして新奇を創出する知的作業。⾔葉はいつでも外からやってくるものでした。⾔葉を道具として扱ってしまうのは、編集者の宿痾みたいなものです。対して⽂学(俳句)の⾔葉は、⾝体の内側から時間をかけてゆっくり滲み出てくるもの。この⼀年の成果は、その宿痾を⾃覚できたことかもしれません。来年はその⾃覚から出発して「⾮なる」俳句の奥深さに少しでも近づいていきたいと願っています。樸連衆の皆様には、編集(+短歌)という「似て⾮なる」お隣から珍獣が⼀匹迷い込んできたと、広い⼼で⾒守っていただければ幸いです。   山本綾子   餅つきの空つく音あり郷の庭   羊水のたしかな鼓動しゅろの花   短夜や眸句集とミントティー 俳句のある暮らし  恩田先生に師事して三年目の今年。そろそろ「初心者だから」の常套句は通用しなくなってきた。  そんな中、俳句に触れる時間を少しでも増やせればと、樸句会投句の他に先生が選者を務める静岡新聞読者文芸への投句を自分に課した。  毎月最終火曜日。家まで待てずコンビニの駐車場で、購入した新聞を広げる。そんな自分を、少し離れたところからもう一人の自分が面白がって眺めている。  日々の忙しさ、日常の平坦さ、過去に負った傷さえも、俳句をつくることで、より豊かなものとなっていく。自分を支える「俳句」という柱は年々太く育っている。   星野光慶   聖五月ぐさりとキャパのレンズかな   「源氏供養」闇に佇む冬の星   まろき背にとどめし秋や無著像 浮かび上がる時間  ロバート・キャパという人物はいない。アンドレ・フリードマンとゲルダ・タローが撮影したそれぞれの作品をこの架空の写真家に託したにすぎない。  作品を見る側は、アンドレとゲルダのどちらが撮影したものか見分けることは難しいだろう。しかし、もし撮影者が明かされたら、両者の世界の見かたの違いがぼんやりと浮かび上がってくるのではないか。  ひとつの作品には匿名と個がせめぎあっている。  俳句もこれに似ている。無名の句が私の前に並び、作者が種明かしされると「人柄が出ている」と妙に納得してしまう。そのひとが見た景色が、ことばというレンズ越しに立ち上がる。  無名性と有名性が反転する有機的な時間が句会だとしたら。そのあとには、寂しく賑やかな無名の作品が残される。   長倉尚世   ほそき手の床より賀状たのまるる   枇杷たわわ廃車置き場の水たまり   柊の花や卒寿の退院す 伝えたいこと  今年五年も迷っていた声帯の手術をした。  きっかけは母の耳である。話しかけてもスッと前を素通りして行くのに驚いた。聞こえていないんだ……そう云えば、孫との会話にも、あまり入って来なくなっている。 元々私は話すのが苦手。自分の思っていることを伝えるのが下手くそで、母ともそんなにおしゃべりをしてこなかったが、このまま話ができなくなるのは寂しいと思ったから。  手術後一週間は声を出すことを禁じられた。その間筆談をしていたが、そのもどかしさの中で、ふと手話を覚えようと思った。そして退院後、早速手話サークルに入会。 日常のささやかな場面で、誰かの役に立てたらいいと思う。   成松聡美   春の暮真子の煮つけは反り返る   木香薔薇あふれんばかり死者の庭   猟銃等講習会場泥長靴 神主のいないお社  この拙文を書いているのは年の暮、新年拝賀式準備の最中だ。榊や神饌、振舞い用の酒や汁物の手配で忙しい。私の住む村の小さなお社には神官がいない。拝賀式の一切は氏子総代と当番組の組長たる我が家が差配する。この一年、負担の重さに怒りが治まらない夜もあったし、地域を盛り上げるとは何か議論になる場面もあった。だがご近所と協力して御神燈を張替えたり、紙垂や御飾りを手作りしたりと楽しい経験も少なくなかった。当然これらは俳句の種となり、習作帳には神事や神の字が入る季語が多くなった。神社のお世話は来年も続く。神主のいないお社の句は、もう少し増えそうだ。   坂井則之   龍天に昇る昼夜を真つ二つ   白菜を割る音絶えて十余年   庖丁の切れ味試しトマト切る        初の句は3月に先生の添削を頂戴した後のものです。句の勢いがこんなに改善されるかと、つくづく思いました。 あと二つは[シルシ]程度。2句目は当人の含意と先生の鑑賞とが異なりました。叙述の拙さの表れです。 新聞記事が本拠だった私は、意図を明瞭に伝えるという意識が先に立ちます。そこに、理に落ちてはいけないという何度も頂戴したご教示を思い出し。散文人間は苦戦しています。 今の私は、たとえFBへの投稿でも幾らでも推敲を考えます。新聞紙面を読んで気になることがあれば校閲の後輩に指摘して、検討を依頼しています。ですが、自分の五七五では突き詰めるまで考えることができない己。韻文としての良否の判断ができないのです。 そもそもこの道に入って良かったのかと思いつつ、ウロウロの日がずっと続いています。   生きてゐるたれも初乗り地球船 恩田侑布子(写俳)   岸裕之   寒声や師匠口ぐせ「間は魔なり」   春光を睨むや龍の天井絵   見はるかす白馬三山花こぶし 来年の目標  今年を振り返ると、正月の句会でいきなり特選をいただき、続いて春先は、なんとか入選を何句かいただきました。そこで、気をよくして、今年から始まった町内の年寄り90代一人、80代二人、70代一人メンバーによる麻雀に力を注ごうと思い立ちました。というのは、麻雀は50年やそこら、やって無かったので、すっかりやり方を忘れていたせいか、勝てません。麻雀には実力の他、運という要素もありますが、勝てません。やはり負けるのは悔しい。で、PC麻雀ゲームなどを使って訓練しました。そのせいか、なんとか勝てるようになってきました。ところが、夏から秋にかけて俳句においては、無点句のオンパレードでした。だから今年の三句は前半のものだけです。私は句集を作ろうとか、賞を貰おうなど思いません。気のおけない仲間と俳句談義したり、そこに酒が入ればなお良い程度のスタンスです。従って来年の目標は年間バランス良く選をいただくにとどめます。   小松浩   夏蝶の影轢くサイクリングロード   日盛りの影もたれあふ交差点   人類に聖なる夜と聖戦と むずかしいことをやさしく 樸のメンバーも20人を超えて賑やかになった。句会というのはやはり素晴らしい場だ。投句作品からは、歩んできた道のりや、どんなことに喜びや悲しみを感じる人なのかが、くっきり浮かんでくる。共通しているのは、一人一人の他者への目線の優しさ、誠実な暮らしぶりである。 俳句は、それぞれの人生観や価値観を、理屈ではなくモノを通して、17音に乗せることに魅力があると思う。できれば、今の時代や社会に対して感じていることを、五七五に託して表現してみたい。それも、日常生活で使っている普通の言葉で、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」と言っていた井上ひさしさんのように。   活洲みな子   吾の歌に母の輪唱桜の実   天上の母はすこやか樟若葉   青空に挑むじやんけん花こぶし 日向ぼこ付箋だらけの句集抱き  ミニマリストではないけれど、ホテルのようにシンプルな生活空間に憧れる。退職後、仕事がらみの大量の本をまずは処分し、好きだった小説や全集も手放した。ホテルライクな生活にあと一歩(?)というところで、句集を手にする愉しみと出会ってしまった。おかげで棚はまた本で溢れ始めている。  好きな句集は付箋だらけだ。世界観がわからず付箋のつかない句集もある。けれども一句一句に俳人の心が宿っているので、大切に扱っている。年末に加わった三冊の句集。陽だまりでのんびり愉しむ時間が…あるといいなあ。   益田隆久   暮れてなほ弾む句会や花こぶし   パレットへ囀りの色溶きにけり   踏まれたる下萌の香の高くあり 句友の秀句への共感  樸の仲間の俳句の中で、自分の一部にすらなっていて瞬間的に言える特別な俳句が三つある。   (1)八橋にかかるしらなみ半夏生     前島裕子   (2)父母は芽花流しの向かう岸      活洲みな子   (3)花すゝき欠航に日の差し来たる     古田秀 (1)前島さんの俳句は、恩田先生と自分の特選が初めて一致した句で非常に嬉しかった。「目で見て美しく声に出して美しい俳句。」と感想を書いた覚えがある。今でも自分の理想とする俳句だ。 (2)活洲さんの俳句は、年月が経つとともにじわじわとその良さが増していく燻銀のような俳句だと思う。そこには、時間というものへの愛おしささへ感じることができる。 (3)古田さんの俳句。この透明感はどこから来るのだろう?余計な修飾を付けたしたくなりがちだが、この句にはそのような自我が無い。雑味が無く透明感と清々しさが気持ちよい。  このような俳句に出会い誦する時、この句会を選んで良かったと思う。   古田秀   スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行   露の世の薬局あかりジムあかり   クリスマスツリーの蔭や守衛室 グーグルマップはすごい  昔から地図を見るのが好きで、油断しているといつまでも眺めてしまう。実験の合間の待ち時間など、他にやることはたくさんあるがついついグーグルマップをひらいて仮想旅行をしてしまう。最近はグーグルマップの精度があがり、ユーザーの興味のありそうな施設を優先して表示するようになった。地点間の所要時間の計算も正確で、渋滞の起きやすい時間帯なども表示してくれる。2025年は日帰りドライブ吟行や二泊三日のドライブ旅行を何回か計画し友人を巻きこんだが、そのときのスケジュールもほとんどグーグルマップのみで作成した。もはや仕事中にグーグルマップを眺めていれば、頭の中で旅程が勝手に組み上がるレベルになっている。まだまだ行きたいところがたくさんあるので、2026年もグーグルマップを眺めて過ごしたい。   金森三夢   亀鳴くや巴御前の吐息のせ   滴りや手拭浸し首に巻く   肌寒や鉄錆びあまた歩道橋 ケガの功名  年男の今年。まさか一年の三分の一を病院のベッド上で過ごすとは……  「滴り」と云う季語を求め山道を彷徨っての不首尾。古稀を迎え三年で二度の全身麻酔のオペはきつかった。腎臓癌、世界一周クルーズ、そして圧迫骨折。一年おきの天国と地獄。死を見つめ、異郷での悦楽、痺れと激痛との格闘、いつも人生の良き伴侶である俳句と愚妻が寄り添ってくれた。  たび重なる入院と病院食のおかげで体重は学生時代に戻り、血糖値は正常値。糖尿の担当医に「ケガの功名」と大笑いされた。  さて来年はどんな年になるのだろう?!人生は甘渋苦。来年こそ休会なしで呆け防止の句会に励みたいものである。   前島裕子   床の間に祖母てづくりの手毬かな   お薄点てゆがむ玻璃ごし花吹雪   黙しゐて母のかたはら緑さす 年には勝てぬ  今年も残すところわずか、振り返らざるをえない年でした。 身体には自信があったのですが、後期高齢者を前にして、帯状疱疹、歯の根元の炎症から唇がはれあがってしまった。どちらも大事にはいたらず、春の吟行会には参加できたのですが医者通いを余儀なくされた。  寝込むことはなかったのですが、身体がすっきりせず完治まで半年ぐらいかかった。年には勝てぬことを痛感。  来年は身体に充分留意し、自分に納得できる句が一句でもできるよう学んでいきたい。   見原万智子   ヒヤシンス登校しない子の瓶も   どうだんの衣広げり巴塚   クリスマス会話ロボット待たせをり おあいにく  おさとはたいそうな器量よしで、小学校もろくに行っていないが夫の古い教科書で漢字を覚え、両手足の指を使って鶴亀算ができたという。  昔のこととて婚家側の一方的な理由で離縁され、二年。島田の帯祭りの時分でもあったろうか、大井川の橋の真ん中でばったり元の夫に再会してしまった。  ひとこと「…どうだ、元気か?…」と男は聞いてきた。  ややあって「ふんっ、これから佳い人に会いにいくところだよっ」と言うが早いか、おさとはその場を走り去った。決して振り返るまい。  それからほどなく、おさとは再婚した。  後年、私は何度となくこの話を母から聞かされた。そのたびに「ひいおばあちゃんはデートの約束なんか無くて、会いたかったのは目の前にいた元のご亭主だよね?」と私が言い、母は満足げに頷くのだった。おさとに顔立ちも性格もそっくりだった母は、「いい女はツンで通さなければ。デレるなどもっての外」と信じ込んでいたふしがある。  あいにく私はすべてにおいて父親似。ツンデレすら気恥ずかしい。いつもデレデレで、しのいできた。   猪狩みき   雪華積むフロントグラス小さき首都   縦横に鳥の動線冬木立   地形図の尾根と谷なり白菜買ふ ことば  新聞でみかけた本のタイトル『群れから逸れて生きるための自学自習法』に惹かれ、向坂くじらという人を知った。詩人で小説家で自身で国語塾もしている人だという。「ことば」の捉え方、感覚がおもしろく、その作品を追っているところ。といって、彼女の「詩」はよくわからず、エッセイと小説を楽しんでいる。私はたいてい「詩」がわからない。「詩がある(ない)」ということが句会で話題になるたびにびくっとしている。   海野二美   船渡の山火事鎮圧   待ちわびし山林消火龍天に   飛機乱気流掌中の林檎の香 樸の未来  樸の構成員もずいぶん変わってまいりました。若き才能、またパリにニューヨークとワールドワイドに……。少数精鋭ではありますが、樸のこれからは楽しみですね。また私の大好きな文学講座も始まり、学生気分で勉強させていただけるのでありがたいです。編集や会計、また幹事等に惜しみなく励んでくださる皆様、本当にありがとうございます。樸の会員の方々のことは盟友と思っております。  俳句文学における絆は強し!  恩田侑布子万歳!   AIの無性生殖去年今年 恩田侑布子(写俳)

慶祝 

第16回一茶・山頭火俳句大会(11月8日 本行寺)
 
鳥居真里子入選
 はればれと無才のまゝをゆく枯野 見原万智子
 
恩田侑布子入選
 返り花佳い人に逢ひに行くのさ 見原万智子
 

熊倉功夫・恩田侑布子対談「茶の湯と俳諧」俳句大会
(11月9日 静岡県立ふじのくに茶の郷ミュージアム)
 
「富士」 恩田侑布子特選
 風止まるどの植田にも逆さ富士 成松聡美
 
「茶の花」 恩田侑布子入選
 あのころの母に吾似てお茶の花 山本綾子
 

 

慶祝 樸会員 静岡新聞文芸欄 特選・入選・秀逸

恩田侑布子は2024年9月から、静岡新聞文芸欄「俳句」(月1回最終火曜日の朝刊に掲載)の選者を務めています。 その中から、特選、入選、秀逸に選ばれた樸会員の句を紹介します。    恩田侑布子 写真   2024年 10月 入選  ぱぱあつちいけ西日さすはうにいけ 芹沢雄太郎   11月 特選一席  秋澄むや母に五分粥喰む力 活洲みな子 [評] 病み衰えてゆく母の介護はつらいもの。ことに天高い日は。若かった頃の思い出が蘇ります。野や川で一緒に笑いころげたこと。大人になって楽しんだ旅。ベッドの母はまだ流動食ではありません。五分粥を食べられます。一日でも長生きして。秋真澄の祈りが句末の「力」に込められています。   秀逸  お使ひの袋引き摺り秋夕焼 芹沢雄太郎   12月 入選  レジ閉ぢて急ぐ背中や寒北斗 益田隆久  ルービックキューブ冷たし揃ふても 芹沢雄太郎   2025年1月 入選  枯木立感光液の水たまり 益田隆久   2月 入選  短日のバスを待ちつつにきび触れ 芹沢雄太郎  ラヂオ体操に初鴉来てゐたりけり 益田隆久   3月 秀逸  早春の怪獣膝を抱へをり 芹沢雄太郎   4月 特選三席  ひこばえや皆貧しくて皆笑ひ 益田隆久 [評] ひこばえは孫生(ひこばえ)の意で、刈られた木が春になって芽吹く命の再生です。傷めつけられても蘇る植物のいきおいと、失われた30年で貧しくなった庶民が笑いで温め合う日常を、「や」の切れ字で対比し、とりはやしています。句の底には思いやりがあります。こういわれるとトランプのスター気取りの顔が浮かんでくるから不思議です。   秀逸  蒼空や砂紋をのこし大河涸る 前島裕子   入選  三月の遅き回転木馬かな 芹沢雄太郎   5月 入選  図書館の本の汚れや霾れり 前島裕子   6月 入選  白藤の香り天降りて夜の重さ 益田隆久   7月 入選  麦の秋焼きたてホームベーカリー 前島裕子  重力の無きが如しやあめんばう 益田隆久  子と吾の汗合はさりて昼のバス 山本綾子   8月 入選  庭先にサンダル「キュッキュ」小さき客 前島裕子  トマト噛み忘れ去られし歌「友よ」 益田隆久   9月 入選  墓洗ふとなりもかども墓じまひ 前島裕子   10月 秀逸  開けし戸に客人のごと今朝の秋 山本綾子  人情に倦んで猫抱く秋夕焼 益田隆久   入選  戦場の瓦礫に番地虫の闇 活洲みな子   11月 入選  姉妹して父抱きかかへ十三夜 山本綾子    恩田侑布子 写真

2026年1月号から1年間、角川『俳句』の合評鼎談に恩田侑布子が登場します

樸代表の恩田侑布子が、角川『俳句』の好評連載「合評鼎談」の新メンバーに決まりました。
2026年1月号から1年間、能村研三さん、小野あらたさん、恩田の3人で、主な掲載句についてたっぷりと語り尽くします。
1月号は12月25日(木)発売です。どうぞご期待ください。

『俳句』2026年1月号のご購入はこちらから

ふじのくに茶の都ミュージアム対談「茶の湯と俳諧」レポート

山本綾子  樸会員
牧之原の茶畑を雨粒がしっとりと濡らす令和7年11月9日。ふじのくに茶の都ミュージアムにて熊倉功夫館長と恩田侑布子先生による対談「茶の湯と俳諧」が開かれた。

  
「静岡が誇る俳人であり文芸評論家である——」。熊倉館長による恩田先生の紹介から会は始まった。

続いて、事前公募で投句された75名265句の中から選ばれた特選3句、入選12句が1句ずつスクリーンに映し出された。兼題の「茶」「茶の花」「富士」の斡旋により風土が滲む句が並ぶ。
ご自身の鑑賞をまとめたメモが行方不明になるという小さなハプニング。静岡弁で慌て者を意味する「あわっくい」という言葉も飛び出し、恩田先生の飾らないお人柄に会場の空気が和んだのち、1句ずつ選の理由が披露された。
深い共感性、郷土愛、人間愛による鑑賞が瑞々しい言葉で紡がれる。私自身日頃感じている静岡への敬慕をますます募らせる時間となった。
また、句の中にある、切れによる余白、時空を超えた句柄の大きさ、言葉選びの盤石さなど、俳句文芸特有の表現法にも触れた。学んでいる人にもそうでない人にも、その奥深さや面白さが伝わるお話だった。
 

  
熊倉館長と恩田先生の対談では「茶の湯と俳諧」の関係性が語られた。
・茶の湯に精通した伊賀の藤堂家に仕えたことによる芭蕉の作句への影響
・茶の湯におけるにじり口、扇など「結界」を意味する様式と俳句の「切れ」の共通性
・茶の湯の「一座建立」、俳句の「座の文芸」に象徴される日本人特有の「衆の文化」
etc.
お二人の知識と考察力により内容は広がりと深みを増し、大変聞き応えのある時間となった。

終了後は恩田先生との記念撮影を希望する参加者の列ができた。
豊かな日本文化の歴史と機微に触れる実り多き会となった。

個人的には樸句会で2年半培った知識により、どうにかお二人のお話についていけた自分に少しの満足感を得た。書き留めた調べるべきことの多さに、底なし沼であがいているような気持ちにもなり、己の無知を知った。勉学心を刺激し続けるだろう俳句と恩田先生に改めて感謝の念が湧いた。
 

  

「第16回一茶・山頭火俳句大会」報告

川崎拓音  樸会員
「第16回一茶・山頭火俳句大会」が11月8日(土)、東京都荒川区本行寺(月見寺)にて行われ、恩田侑布子先生が当日投句の選者の一人を務めました。大会の様子や、恩田先生の披講の結果について報告します。樸からは見原万智子さんと川崎拓音が当日参加しました。

金子兜太の提唱により始まったという本イベント。JR日暮里駅から徒歩数分にある本行寺は、小林一茶と種田山頭火の句碑があることで有名で、特に山頭火の句碑は都内で唯一本行寺にのみあるそうです。
 

冒頭、大会会長を務める月見寺住職の加茂一行氏が「こんなに明るく楽しげな俳句大会を催すことができました」とご挨拶されたように、本イベントは披講に加え、俳句にお囃子を合わせたパフォーマンスが披露されるなど、エンターテインメント要素も満載。「サロンタイム」では、邦楽囃子の演奏家・島村聖歌氏による鼓の紹介、芭蕉・虚子・山頭火・三鬼の句をイメージした和楽器の演奏、大会オリジナルテーマソング「一茶・山頭火讃歌」の合唱などが行われ、披講前にもかかわらず会場は大いに盛り上がっていました。
 

休憩を挟んでいよいよ披講に移ります。選者は以下の8名で、入選7句、特選1句をそれぞれ講評されました。

【選者(五十音順/敬称略)】
恩田侑布子(「樸」代表)
鳥居真里子(「門」主宰)
土肥あき子(「絵空」同人)
ながさく清江(「春野」顧問)
行方克巳(「知音」代表)
能村研三(「沖」主宰)
麻里伊(「や」同人)
水内慶太(「月の匣」主宰)

披講は前半が事前投句、後半が当日投句で、恩田先生は当日投句の選を担当されました。以下、恩田先生の選と評です。
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特選
 寒満月海馬取りだし洗ひたき 石川一猫

私たちの人生は、過去の記憶の蔵と共にある。人は過去の積み重ねの中に生き、記憶を脳の中に溜め込んでいます。この作者は、自分の脳の中の小さな海馬をつまんで、真水で綺麗に洗いたいと言っているのです。さらに、その水に洗われた海馬は、寒満月の下、見事なサラブレッドに変身します。一頭の馬が寒満月の煌々と照る大海原のムーンロードを駆け抜けていくのです。心情の形象化、そしてシュールレアリスティックな幻想。そのダブルイメージの美しさに、しびれました。

入選
 返り花佳い人に逢ひに行くのさ 見原万智子

初冬の青空に咲く返り花は、しかし決して実を結ぶことはありません。作者はその返り花に共感しています。「逢ひに行くのさ」という口語表現が、心情を照れ隠しするようで効いています。作者は返り花のようなある種の不器用さを抱えながら、もうこの世にはいない、俗世の汚れに染まらない心の綺麗な人に会いに行こうとしているのでしょう。

 待つと言ふほのめく日あり冬樹に芽 若山千恵子

一字ちがえばさらに素晴らしい句です。『ほのめく日あり』が『ほめく日のあり』ならば。「ほめく」はほてること。熱をうちに持つことです。そうして、心の中のひそかな懊悩が表現されていれば、立ちどころに切ない恋の句になりました。特選に選んでいたかもしれません。

 ジャムの蓋どうにも開かぬ漱石忌 長尾かおり

漱石の文学に親しんだ方の句だと思います。ご存じのように漱石は自身の兄嫁にプラトニックな恋をしました。その純粋な生涯の恋ゆえに、私は漱石の中にはいつも満たされない思いがあったと思っています。この句は、香り高い薔薇のジャムの蓋が開かない句です。

 冬帽のうしろ姿もわかる仲 松居舞

この中で一番明るい句だと思います。愛情があれば、冬帽をかぶっていても、どんな姿であってもその愛する人を気配で見つけられるのです。

 茶の花の背中合はせに睦むかな 小泉良子

べたべたしていない、愛の句、いいですね。空気のようにただ居るだけの仲、茶の花のひっそりとした静かな佇まいに、心を通わせる愛を言祝いでいるのだと思います。

 北窓を塞ぐ人形老いにけり 日山典子

この人形はきっと目の大きな可愛い妻、もしくは優しい姉。しかし、老いを免れることはできません。この作者はきっと長い間、家族の心に吹きすさぶ北風のついたてのような役割をされてきたのだと思います。

 波郷忌や舌頭呪文の霜柱 大熊峰子

ユニークで面白い句です。波郷という人は切れを大切にしました。この作者も霜柱に事寄せて、俳句の切れをとても大事にしている作者だと思います。最高の句というのは、結局呪文の域にまでなるものです。

 
簡潔でありながら、司会者の方も仰っていたように「熱のこもった鑑賞」。今回は「海馬」の句の鑑賞に特に感じましたが、恩田先生の評を聞いているといつも、そこに書かれている(もしくはひっそりと連なっている)句の言葉一文字一文字を手のひらに載せて目を凝らしている先生の姿を想像してしまいます。「このように書かれているのだからこうも読めるはず」という読むことの無限の愉しさを、身振り手振りも含めて体現しているのが、恩田侑布子の披講なのではないか、とそんなことを思いました。
また、恩田先生の選では、樸から見原万智子さんの句が選ばれていました。見原さんはもう一句、鳥居真里子先生の入選にも選ばれました。以下、見原さんの句と鳥居先生の評です。

 はればれと無才のまゝをゆく枯野 見原万智子

共感いたしました。私もほんとうにそうなので。——でも、枯野でもね、はればれとゆく気持ち。その気持ちが素敵だなと思いました。
 

イベントで披講された句のうち、筆者が印象に残ったのも本句。当日投句した2句とも選ばれず残念な気持ちでいましたが、見原さんの句に「はればれと」したまま、人生初となる俳句大会を楽しむことができました。
樸入会後、Zoom句会に参加して1か月と少し。画面越しにずっとお話ししてきた恩田先生、そして樸の句友に、ようやく生でお会いすることができた記念すべき日となりました。

第62回現代俳句全国大会・報告

令和7年11月3日(祝) 於:東京上野・東天紅

 
現代俳句協会大会
第八〇回協会賞受賞者への祝詞  恩田侑布子

◎ 現代俳句協会賞 大井恒行様 『水月伝』祝詞
 みなさまこんにちは。静岡の山の中から参りました恩田侑布子と申します。過分なことに本賞の選考を八年間務めさせて頂きました。
 本年は昭和百年、戦後八〇年。同じく協会賞も第八〇回です。この伝統の節目に選考委員長を拝命しましたことを深く感謝いたします。そして記念すべき年を目覚ましい句集で飾って頂いたご受賞のお三方に、心からお祝いの詞(ことば)を申し上げます。
 本年は水準の高い心を打つ句集が目白押しのまさに豊年満作でした。逆にいうと選考委員としては優れた句集にも涙をのまなければなりませんでした。並み居る競豪を押しのけ、満票を獲得し、堂々たる受賞を射止められたのが、大井恒行さんの『水月伝』です。
 大井さんは、世の中に発することの叶わない声なき声、死者たちへの共感能力が並外れておいでの方です。そのやさしさをそのまま柔和なかたちにしないところに、すごみがあります。
 私事で恐縮ですが、運動神経は3Bのくせに山歩きが大好きです。3Bはニビーなんてもんじゃない。ま、それはともかく、山登りは、緑豊かな樹林帯を抜けて、森林限界も越えて、ガレ場になりますね。大井さんの俳句は、その亜高山帯に立ち上がる、まるで五丈岩やオベリスクのような重量感を持っています。ゴツゴツした巌のような句です。例えば、
 
 凍てぬため足ふみ足ふむ朕の軍隊
 除染また移染にしかず冬の旅
 
 ずしーんと来ます。『水月伝』は酸素の薄いところに咲く巌の花です。このやさしいお顔の作者の本質です。「花も紅葉もなかりけり」の岩場の花といえば、無季俳句です。無季は本協会の歴代の猛者たちが、志し、ゆき倒れになった俳句文芸の一つの気高い牙城です。その高みへの登攀の歳月が『水月伝』なんです。
 さらに、本句集の奥深さは、亡き俳句の先達に捧げる追悼句に一章が設けられていることです。一昨年東北で客死された澤好摩さんを悼む句は、
 
 極彩のみちのくあれば幸せしあわせ
 
 澤好摩さんの肉声が聞こえてくるようです。俳句表現史という険難な道を歩き、行き倒れになった行者たちへの、この畏敬に満ちた鎮魂の章は胸に迫ります。巌の重量に深い共感が溶け込んでいます。山上の巌と地上の情(こころ)との融和に大井さんの男気を感じます。畏敬する兄と呼ばせてください。恒行アニい!、ご受賞おめでとうございます。
 
◎ 現代俳句協会賞特別賞 武藤紀子様 『雨畑硯』祝詞
 武藤紀子さんの俳人としての大成はひとえに師の宇佐美魚目と出逢われた運命にあったと拝察します。大きな俳句の遺産を私たちに与えてくれた魚目は、生前は俳壇的にも現代俳句協会員としても不遇でした。
 しかし、そのいくつかの名句はすでに古典の風格をもっています。死後ますます声価の高い俳人です。武藤さんの俳句は魚目の心眼を継承しておられます。平易で無駄のない措辞はまるで武家屋敷の式台のように清らかです。言葉の空気感を手垢のつかないかたちで表現できる数少ない俳人の一人です。『雨畑硯』には近年にはめずらしいおおどかな心地よい時間が流れています。
 
 春の雨舌一枚をしまひけり
 棺の中に白桃のやうなひと
 
 老成が枯れる方へはゆかず、自我を天地に解放する広やかな方向へ歩き出しています。近作を篩にかけた百句の厳選も潔いです。句集は見開きの右に俳句一句、左に短文という余白たっぷりの構成です。句集の新しいかたちといっていいでしょう。短文には俳文の香りがあります。俳文は子規たちの山会ですね。。句の説明に終わらず、自分にベタでもありません。はつらつとしています。無欲な文体から作者の愛すべき人柄が立ち上がってきます。
 泉下の宇佐美魚目先生もさぞかしおよろこびでしょう。武藤紀子さん、良いご供養をなさいましたね。誠におめでとうございます。
 
◎ 現代俳句協会賞特別賞 董振華様 『静涵』祝詞
 北京のお生まれ、五三才という若さの董振華さんは越境文学のパイオニアです。散文にも長じられ、いま現在も『語りたい俳人』(コールサック社)という敬愛する物故俳人を俳人が語る聞き書きにも取り組んでおられます。
 句集『静涵』は、俳句と漢俳を並列していて、それだけでも驚かされます。しかも日本語の俳句と漢俳は、どちらかを直訳したものではありません。日本語と中国語の二つの言語の根っこから、地べたから、二本の樹木のように立ち上がり、詩歌文学のゆたかな緑の葉を茂らせ合っています。これはまさに特別賞に相応しい新たなフォルムの句集の出現です。
 
 路地裏に父の激励梅雨の月
 北京の路地に梅雨時の満月がにじんでお父さんの励ましてくれる声。その空間に擬似的に潜り込んでしまいます。
 
 人間錆びて真冬のまこと崩れそう
 屈原を憶(おも)えば夏の月満ちて
 
 繊細でいながら、悠然とした大河のような呼吸が流れています。大陸で涵養された気宇の大きさでしょう。壮観です。前途洋々、これからの俳壇の牽引者となられる大才の登場を心から喜びたいと思います。董振華さん。世界広しといえども貴方にしか書けない句集です。ご受賞、ほんとうにおめでとうございます。
 最後に一言。お三方には共通点があります。ふふ。なんだかおわかりですか。俳句で煮染めた顔じゃない。煮染めたお顔をされていらっしゃらない。俳諧自由!です。誠におめでとうございます。拙い祝詞をお聞き頂き、ありがとうございます。
 

 
式典会場の末席から            編集委員 馬場先智明
 
 報告というよりも、気ままな印象記という態で、当日、私の記憶に残ったお話や大会風景をいくつか、書き残しておきたいと思います。
 まずは高野ムツオ会長、佐怒賀正美副会長らによる開会の辞に続き、現代俳句大賞を受賞された中村和弘さん(現代俳句協会・前会長)のご挨拶がありました。そのお話の枕だったと思いますが、「今日、大会が始まる前、会場の東天紅の前の不忍池を一回りしました。池を一面に覆う敗荷(やれはす)の風情もいいもんだなぁ…と思いました」と、さりげなく季語を入れて話を始められたのです。俳人の挨拶とはかくあるべきものかと、思わず心に留め置きました。
 このあと恩田侑布子が〈現代俳句協会賞〉選考委員長として登壇。受賞者3人に熱いエールを贈ります。お話の内容は、いただいたスピーチ原稿を上に掲載しましたので、お読みください。

 私たち樸の連衆にはすでにお馴染みですが、虚を衝くような意外性を孕みつつ決して的を外さない比喩表現は健在。そして受賞者とその作品への共感力に満ちた言祝ぎは、ユーモアを交え、跳ねるように楽しげに、若々しい。その口調は、会の重鎮の方々の俳的 “渋み” の良さとはまた対照的で、目が覚めるようでした。
 しっかり覚えておこうと心したのも束の間、スピーチの最後、会場を埋める人々に放った謎かけ「このお三方に共通するものはなんだかお分かりになりますか?」に、頭のメモも吹き飛んでしまいました(前掲のスピーチ原稿があって助かりました)。
 「俳句で煮染めた顔じゃない。俳諧自由! です」という、私の想像力をはみ出した回答。これには正直驚きました。旧体制に叛旗を翻さんとする革命家の宣言…ではもちろんありませんが、そんなインパクトを感じたのは私だけでしょうか。明るく楽しげに言われたので、これって恩田侑布子独特のちょっと刺激強い系のユーモア文体か、と会場の皆さんも受け取られたとは思いますが……。
 それにしても「俳句で煮染めた顔」という卓抜な比喩。ひと昔前の文学青年は、「生きるとは何か…文学には何ができるのか…」と眉間に深い皺を寄せて、まさに(文学で)煮染めた顔をしていましたね。それはともかく、この会場にそのような顔をした方がいはしないだろうかと、ほんの少しヒヤッとしたのでした。

 このあとに、評論賞、作品賞、新人賞など各賞の受賞者表彰が続きます。
 特に新人賞では、俳句甲子園に出場された若手もいて、ある意味、俳句の世界にもエリートコースができているのかな、とおもしろく思いました。
 受賞者のスピーチでは、何人か、似たコメントをされていて、そのいずれも心に残るものでした。曰く「日常のささやかな瞬間を捉えたい、移ろいゆく日々に対する愛しい気持ちを俳句にしたい」。彼らの清新な志は、わが老体の胸にもジーンと沁み入りました。

 式典の最後は、高野ムツオ・現代俳句協会会長による記念講演「わたしの昭和俳句」。
 昭和22年生まれの高野ムツオが、師との出会いを求めて彷徨した若き日のお話、とても印象的でした。
 どの俳人に師事しようか、と考えた時、高柳重信、飯田龍太、金子兜太の3人が候補に上がったそうです。
 まずは高柳重信。「カッコよかったなぁ…」と昔日を思い返してか、壇上で何度も繰り返されました。短歌の世界では、塚本邦雄を、まさに同じ言葉で回顧していた歌人(永田和宏さん)がいましたが、旧来の型を破壊する革新的な詠み方は、「カッコいい」という少年言葉でしか言いようがないほど素敵で衝撃的なものだったのでしょう。高野さんは直接、高柳重信に会いに行ったそうです。そんな会見の中で、忘れられないエピソードについても話されました。当時、『富澤赤黄男全句集』が欲しくてたまらず相談したら、「そんなに欲しいなら、自分で作ればいい」と突き放されたと。赤黄男の句を全部収集して、自分の手で一冊の句集を作ればいいじゃないかと言われたそうです。
 次に飯田龍太。龍太の句には、そこに住んでいる人の息吹を感じて強く惹かれたが、敬するあまり、逆に近づくことができなかった、と。
 そして金子兜太。友人から「金子兜太は、自宅ではいつも裸らしいぞ」というので、まさかと思いながら訪ねると、本当に褌一丁で出てきたのでびっくりしたと言います。結局、のちに師事することになったのが金子兜太ですが、何が決め手になったのかといえば、兜太の中に「俳句の原点を見たから」ということでした。それは、ひと言で言えば “知的野性” だと。この相反する概念の結合、私は初めて聞いたような気がしますが、それが金子兜太なのですね。

 あれこれ楽しいエピソードをご披露くださいましたが、演題にもなっている「私の昭和俳句」についての最後のお話は、とりわけ記憶に残るものでした。
「昭和の俳句で一句を選べと言われたら…」と切り出されたので、グイッと身を乗り出しました。
 
 戦争が廊下の奥に立つてゐた
 
 という渡辺白泉の一句でした。
 昭和の一句に “無季” の句を選んだわけです。どれを選ぼうかと悩み抜いた挙句、選んでしまうのは、どうしても無季の句なんですね……と、やや苦渋を浮かべた表情で言われたのは、とても印象的でした。ほかにも、
 
 切り株はじいんじいんと ひびくなり  富澤赤黄男
 
 を挙げて、やっぱり無季を選んでしまうご自分の中の揺らぎを扱いかねているふうにも見えました。私には非常に興味深いお話でした。
 うろ覚えの記憶に頼って書いたので、きっとスキマだらけですが、いずれどこかの俳誌に掲載されるかもしれません。ご興味があれば、そこで改めて正式版をお読みいただければと思います。
 2025.11.10 記

誰に向かって書くか――2025年版「俳壇年鑑」恩田侑布子巻頭言を読む

島田 淳  樸会員
秋風や伏せて売らるる飯茶碗   恩田侑布子(写俳)
「文化の厳冬期である。俳句も例外ではない。」
2025年版「俳壇年鑑」の「巻頭言」の冒頭、恩田は簡潔で明確な言葉で、文化全般と俳句の危機を指摘する。人類の平和と日本の経済社会の現況は危機的である。にもかかわらず、文化全般が六〇年代後半から続くポップカルチャーの花盛り。俳句においても、TVの娯楽番組が人気となるなど「軽み」に傾斜した「軽チャー」俳句が流行し、「俳句のポップ化」と「数の権力化」が生じた、と恩田は述べる。恩田が危機感を覚えるのは、こうした「軽チャー」俳句こそ、情報の海を編むAIの得意技だからである。真の創造力は、「愛し、死ぬ、有限の生の葛藤からしか生まれようがない」とする恩田の立場から見れば、「不死の生成AI俳句は人間の影を追うだけ」という事になる。
個々のキーワードに重量感があるため、筆者(島田)なりに解釈してみると下記のようになる。
多くの人に承認してもらう(=数の権力化)ためには、口当たりの良さとわかりやすさ(=ポップな、軽チャー)が何よりも優先される。これは、生成AIの中でテキスト処理に特化したLLM(Large Language Model、大規模言語モデル)が得意とするところである。「AI俳句」が急速に広がりつつあるのはこうした背景があるからと思われる。

しかし、ここにこそAI俳句と人間による俳句の差異がある。万人が理解できるものであるためには、言葉の意味を既存の論理でつながざるを得ない(=人間の影を追うだけ)。そのため、AIによる五七五には、飛躍も無ければ詩も存在しない。AIが作る俳句は、何処の誰とも知れぬ誰かが書いた言葉を、何処の誰とも知れぬ誰かに承認してもらうためのものになってしまう。恩田の「誰に向かって書くか」という問いは、AIには為し得ない、人間にしか作れない俳句のためにある、最も根源的な問いなのである。

それでは、具体的に人間にしか作れない俳句とはどのようなものなのか。恩田は、三人の外国人による俳句を掲げている。そのうちの一句について、愚見を述べる。

 路地裏に父の激励梅雨の月
董 振華 『静涵』
上五・中七・座五それぞれに、論理的な関連は無い。実生活で父親に激励されるのは路地裏に限らないし、梅雨時の夜ばかりではない。しかし、掲句から立ち上がる情景や空気感は、これ以外には無いと思えるほど圧倒的である。路地裏の湿った空気の中での親子の会話。場所的に、それほど裕福な家庭ではないだろう。しかし、経済的成功者とは言い難い父親の激励を受けて、人生の岐路に立っているであろう子には、強く深い感情が湧き上がっている。父は、今の自分よりももっと困難な時代を生きてきた。その時も、今と同じように梅雨のわずかな晴れ間に月が一見頼りなげに昇っていたであろう。子は、「梅雨の月」の中に、目の前で自分を励ましてくれている父の姿と、その父が歩んできたであろう困難の多い人生そのものとを見て強い感情に打たれているのである。

恩田は、この句について「『梅雨の月』の重量」を評価している。季節を問わず「月」には時代を超えた不変(普遍)の存在としての意味がある。人はしばしば不変の「月」を見上げて、悠久の時に思いを巡らせ、過去の自分自身や故人との対話を行う。
 雲の峯幾つ崩(くづれ)て月の山 芭蕉
 書き込みに若き日のわれ朧月   小松浩 樸会員
 しやうがねぇ父の口真似十三夜  見原万智子 〃 

芭蕉の掲句について、恩田は「月の山」に五つの意味を見出し、それを十七音の詩に込めた「ピカソの試みたキュビスムに勝るとも劣らない見事な多面体」と評している(恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン)』p.75)。「雲の峰」の動・変化は「月」の静・不変によって対比されがっしりと受け止められている。

そして、董の掲句における「梅雨の月」のイメージは、湿った空気感や雲多い空と相俟って、 句作者を取り巻く環境が決して楽観的なものではない事を読者に想起させる。季語は「身体と環境をつなぐことば」(恩田、前掲書、p.143) であり、同時に「記憶の宝庫であり、共同幻想の母胎」(同、 p.141)なのである。

「巻頭言」において恩田が掲出した句のうち、一句しか取り上げられなかった。しかし、この一句を鑑賞するだけでも、十七音の詩が持つ力を垣間見ることができる。ロジカルに意味を伝えるのではなく、季語の力を借りて読み手の心に情景と句作者の感情を瞬時に立ち上げる。理解と言うよりは共鳴。そして、これは恐らくAIには難しい事と思われる。何故なら、繰り返しになるが「愛し、死ぬ、有限の生の葛藤」が無ければ、そこに生まれた感情を読み手の心に共鳴させることはできないからである。
「誰に向かって書くか」という恩田の問いに対して、簡単に答は出ないのかも知れない。しかし、自分の心に湧き起こった感情こそが句作のベースにならなければいけない。それは、自分が人間として生きている証明だからである。

<参考文献>
〇恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社、2022年)
第三章「季語と興」は、我が国の分厚い漢詩研究の成果を踏まえて、季語の淵源を興に求める労作。

〇恩田侑布子『余白の祭』(深夜叢書社、2013年)
恩田は、第二章「身(み)と環(わ)の文学」で、記号化・コード化され、断片化・道具化されつつある季語に警鐘を鳴らし、季語本来の姿に立ち戻ることを提唱している。