
恩田侑布子詞花集 『よろ鼓舞』七句
『俳壇』2020年1月号掲載の恩田侑布子作品7句と、連衆の選評です。 海山を股にかけたり初烏 家族一列初凪のまぶしさに 凧糸を引く張りつめし空を引く 甲板に狼乗れよ宝船 翠巒の照りまさりけり恵方道 皇后はキャリアウーマン女正月 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら
家族一列初凪のまぶしさに この家族風景はいいですね。穏やかな海からの光にみんな目を細めています。遠くを見るまなざしで。円くなっているのではなく一列に並んだ家族。新たな年を迎え、家族という集団の持つひとつの「意志」を感じさせます。下五の「まぶしさに」に余情があります。(山本正幸)
家族揃って迎える新年。家族一列がいいです。(樋口千鶴子)
一列、意図せざるも絵ができる。(安国楠也)
凧糸を引く張りつめし空を引く 手元にピンと張りきった凧糸の軋みがよみがえった。地上にあった頃はあんなに軽かった凧が上空に舞い上がった途端重くなるのを漫然と面白がっていた幼い頃。「そうか、初春の空と引っ張りあっていたのだ」とあの楽しさの理由に今さら出会えてうれしい。「引く」がリフレインすることで、糸が切れないよう慎重に操る様子が伝わる。(山田とも恵)
大宇宙とつながる。引きつ引かれつ宇宙と一体となる心持。(萩倉誠) 甲板に狼乗れよ宝船 世情に流されず孤独を恐れない狼の心を持つ者が歓迎される宝船。金銀珊瑚も七福神も見当たらないし、漕ぎ出す海は大時化、というイメージが浮かび、ここでの宝船は地球の比喩ではないかと思いました。果たして自分は地球号の乗船資格があるのか、問われている気がしました。(見原万智子)
夢始末。(林彰)
翠巒の照りまさりけり恵方道 新年、その年の神が来臨する方角にある寺社を参拝する道すがら、背後にある緑の連山に照りかえる光の束が、善男善女の行く手を祝福する鮮やかな景が目に浮かぶ。(金森三夢)
梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら 井戸茶碗の高台に施された梅花皮。井戸茶碗の見所の一つとされている。その糸底を、穏やかな冬の日に撫でているのである。人目につかず茶碗を支える糸底を慈しむかのように撫でる作者の目は、冬の日差しのように穏やかで優しい。(島田淳)
「梅花皮」の感触はざらざらとしていかにも「冬」ですが、土の温かみと素朴な感じ、そして文字面の美しさから「冬うらら」がとても合うなと思いました。触覚と視覚の楽しさと文字面の全体のバランスが非常に調和していて素晴らしい句だと思いました。(古田秀)
発想の意外さと静けさがこころ穏やかにさせ他を圧倒する。冬うららとはこのことだった。(安国楠也)

恩田侑布子詞花集 『息の根』七句
『俳句α』2020年冬号掲載の恩田侑布子作品7句と、連衆の選評です。 山川の風のすさびを神楽歌 恩田侑布子 太刀の舞農鳥岳の北風(きた)つよし 振る太刀に颪(おろし)迫れる神楽かな 神楽太鼓撥一拍は天のもの 雨垂れの珠と囃せる神楽かな 山一つ眠らんとして眠られず 深山の息の根神楽太鼓なる
山川の風のすさびを神楽歌 神を崇め神にささげる神楽はまた自然への畏敬の表現でもある。
「すさび」は「遊び」とも「進び」とも。「山川の風」は神そのもの。
「神楽歌」を歌う男たちは神のすさびを恐れ崇め遊び一体となっている。(村松なつを) 太刀の舞農鳥岳の北風(きた)つよし 山稜に残る雪形が農事の始まりを告げるとされる農鳥岳。あくまでも山の名前であるが、この措辞があるからこそ、春の到来を喜ぶ剣舞の激しさと、その太刀が切り裂く北風の冷たさが読む者の心に立ち上がってくる。(島田淳)農鳥岳に惹かれました。南アルプスは北アルプスに比べて人も少なくアプローチも長く山登りらしい山に思います。(樋口千鶴子)
振る太刀に颪(おろし)迫れる神楽かな 奉納する太刀の舞に北風が吹きおろし、自然そのものが憑依したような荒ぶる力が辺りを包み込んでいる。読み手もその人知を超えた力に震える。「振る」「迫れる」の畳みかけが見事。(天野智美)
神楽太鼓撥一拍は天のもの 静岡の山奥、清沢神楽の一句。「天のもの」が眼目と思います。その一拍は人間のものではない。神々のもの。神々の住む宇宙に響き渡ります。その宇宙の中の微小な存在として、われら人間もその音に体を貫かれています。
作者はそのときの様子(人も獣も草木も集う)を読売新聞夕刊のエッセイ「たしなみ」に書き留めておられます。 (山本正幸)気迫一魂。覚醒の一撃。神気が満ちる。(萩倉誠) 雨垂れの珠と囃せる神楽かな 「雨垂れの珠」の音さえも神楽の一要素としてしまう「神楽」というものの把握に凄味があると思いました。雨粒を「珠」という言い方にも神性が込められていて美しいです。(古田秀)
深山の息の根神楽太鼓なる 奥深い山と神楽の太鼓がまさに一体となり、その地の息遣いや生そのものの大きなうねりがこの十七音から生み出されることに感嘆。原始の神事とはこうであったのだろう。読み手までトランス状態に誘う一句。(天野智美)

むき向きに三千世界柳の芽 恩田侑布子
毛氈の緋の底無しやひゝなの夜
何んの色ならん春愁うらがへす
星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな
汽水湖や尻から春の風抜けて
恩田侑布子詞花集 「何んの色」
『俳句界』2020年4月号掲載の恩田侑布子特別作品21句から、連衆の高点句とその選評です。
むき向きに三千世界柳の芽 芽吹くときだけあちこちを向く柳の新芽。その先々に三千世界が広がっているという発想に惹かれました。芽のひとつひとつから三千世界に繋がる糸が垂れ下がり風に揺られているのを想像すると、柳の持つ幽玄さの理由を垣間見る気がします。成長すると柳の葉は「一世界」を向いていくように思います。無垢な姿のときにだけ見える景色への羨望のようにも感じました。(山田とも恵)
それぞれにそれぞれの命。柳に芽吹いた無数の命。それぞれがそれぞれの生き様をさらしていく。(萩倉誠)
毛氈の緋の底無しやひ ゝなの夜 緋色が闇に閃いている。生命力に溢れ、魔除けとして使われる色。実は底知れぬ暗さをも孕んでいるのだと、この句に知らされました。そんな時空を超えた世界、濃密な「ひゝなの夜」へと、ひとり迷い込んだ心地に。(田村千春)
人形とはどこか暗さを秘めているもの。雛もまたそうだ。毛氈の緋色はその底に黒を秘めている。その色を「底無し」と表現する作者の感性に共鳴する。「ひゝなの夜」が一層この句に深さを与えている。(村松なつを)
「底無し」という把握が恐ろしくも惹かれるところです。子の健やかな成長を祈る雛人形は、形代として災厄を引き受ける役目もあるのでしょう。「底無し」の緋毛氈に沈んでいくような夜の感覚が鋭く、採らせていただきました。(古田秀)
何んの色ならん春愁うらがへす 齢重ねても答えられない複雑な問い。表現力の問題だけではない。(安国楠也)
「歓楽極まりて哀情多し」華やかに心浮き立つ春、ふと悲しみに襲われる時その哀愁の裏にある色は?心象風景を色彩感覚になぞらえる美に酔う。(金森三夢)
この句を読むまで無感情に仕事をこなしていたのに、「うらがへす」まで読んだら、地平線から水平線まで、私の世界はすっかり物憂いヴェールで覆われてしまいました。一つひとつの感情に、まずはどっぷり浸からなくては、と思いました。(見原万智子)
春はすべてが眩しいけれど、愁いの影も落ちている。涙のフェイスペイントを施したピエロの笑顔にも似て。纏いつく生地の、本当の色を見極めたい。「うらがへす」という鮮やかな表現により、少女のような思いが伝わってきます。(田村千春) 星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな 「星霜」という言葉によって、単なる桜の美しさだけでなく、作者を含むこの木を見てきた人たちの(そして桜の木が見おろしてきたであろう)長い年月の様々な思いや苦難まで想像させ読み手を共振させる一句。S音の繰り返しが密やかな息遣いまで感じさせる。(天野智美)
しだれ桜には星霜(歳月・光陰)がひそかに充ちているという句意です。この句を読んでしだれ桜の見え方が一変しました。「ものを見る」というのはこういうことなのですね。口ずさんでみると、サ行音の連なりが実に心地よく響きます。(山本正幸)
汽水湖や尻から春の風抜けて 春の浜名湖(林彰)
浜名湖でしょうか。上五で広々した湖が浮かび、中七で作者のお尻にクローズアップして、その後また春の風が湖に広がっていきます。作者は湖に正対して、心がのびやかになる句です。(芹沢雄太郎)

恩田侑布子が下記俳句総合誌に寄稿しております。
『俳壇年鑑2020年版』巻頭言「星を見る人」
『俳句』4月号 「偏愛俳人館 阿波野青畝」
『俳句界』4月号 21句「何の色」
ご高覧いただければ幸甚です。

恩田侑布子が連載しております角川『俳句』の「偏愛俳人館」にうれしいお便りをいただきました。
偏愛俳人館「竹久夢二」何度も読ませて頂きました。文章には詩のように凝縮され正鵠を射た言葉が散りばめられており正に感嘆と感動でした。
そして、俳句の鑑賞では、自分には思いもよらない着想、分析の深さ、優しさ、説得力にぐんぐん引き込まれました。俳句は鑑賞によって輝くということが、面白いように解り、楽しくなりました。有り難うございました。
堤 保徳
堤 保徳様 拙文への身に余るご感想をありがとうございます。
すぐれた実作者でいらっしゃる堤さまにこころのおもむくままの自由な鑑賞を認めていただきうれしくありがたく存じます。
これからも偏愛、求愛の旅にはげみます。ご同行をよろしくお願いいたします。
恩田侑布子

恩田侑布子の角川『俳句』「偏愛俳人館2」は竹久夢二「淡雪の肌あい」です。
3月号は2月25日発売!

恩田侑布子の連載『俳句』3月号「偏愛俳人館」の第二回竹久夢二に心のこもったお便りをいただきました。
月刊『俳句』3月号の、「淡雪の肌合い――竹久夢二」、拝読致しました。
今回も、新たな啓示を頂き、ありがとうございました。竹久夢二が俳句とかくも深い関わりがあったこと、驚きました。
特に最期の二句、
木枯や隣の室の鍵の音
魚になりて眠りさめには雪明り
に胸を打たれます。恩田様の評論、
《輪廻転生をこれほど清らかに表象した例を知りません。その原初のたましいは男でも女でもなく水中の流体でした。だれも傷つけないやさしい一匹のいろくずだったのです》
一句から、人間存在の輪廻転生に及ぶここまでの深さと広がりのある鑑賞にしみじみと浸りました。私も魚になったようにしばしまどろんでいたい思いになりました。本当に名鑑賞です。また、次号の偏愛俳人館も楽しみにしています。
濱田さだこ 濱田さだこさま それこそ深いご感想をありがとうございます。
夢二の絵は少女時代から大好きで、雪のなかで手袋を外すロマンチックなハンカチなど、色褪せるまで使い古しました。
私自身、夢二がこんなに素晴らしい俳句を作っていたことは平成6年、夢二句集が出るまで何も存じませんでした。
濱田さだこさまのように、俳句でも夢二の理解者が増えてくだされば、著者冥利に尽きます。
夢二のこころのプリミティブな優しさを共感し合えて幸せです。ありがとうございます。
恩田侑布子
濱田様からは、『俳句』2月号「偏愛俳人館」の第一回飯田蛇笏にもこんな嬉しいお便りをいただいております。
『俳句』二月号の、偏愛俳人館を拝読しました。
蛇笏の俳句の凄さを再認識するとともに、生の円環運動、という言葉に集約する恩田氏の感性の深淵な広がりに感銘を受けました。
月刊俳句において、近来に無い面白い連載です。次号もとても期待し楽しみにしています。
濱田さだこ
濵田様ありがとうございました。
今後とも「偏愛俳人館」をご愛読いただき、ご批評等賜りたくよろしくお願い申し上げます。
恩田侑布子

白い便箋ふちは螢にまかせやる
恩田侑布子
かれいどすこっぷ 見原万智子 樸俳句会への入会当初こそ、hitch hikeのように軽やかに駿府の細道を行こうなどと、今思えば大それたことをのほほんと考えていたが、知るほどに作るほどに、心の枯れ井戸をスコップで掘れども掘れども「筆遅俳苦」な毎日。そこへ師の作品の鑑賞とは、無謀にもほどがある。しかしながら、昨年夏に発表され、冬を越そうという今になっても頭を離れない句について、書いてみた。
白い便箋ふちは螢にまかせやる
恩田侑布子
(『現代俳句』2019年6月号)
便箋を選ぶ際、紙質や罫線の幅と同じくらい重要なのがふちの装飾だろう。罫線が直線で囲まれていたら、あぁこの人は洋服もトラディショナルなデザインが好きだったわ。花があしらってあれば、彼女は相変わらずガーデニングに精を出しているに違いない。行間のそのまた外側で、意外と雄弁に差出人の人となりを語っているのが、ふち。
ところが掲句ではそのふちを螢にまかせやる、とある。螢に、まかせ、やる。
螢は比較的捕獲しやすい昆虫だ。何匹かそおっと素手で捕まえて虫かごに入れ、この世のものとも思われぬ淡い光を楽しんだ記憶がある。しかし次の日、虫かごの中の螢はもう、光るどころか全く動かなかった。
そのように儚い生き物である螢に、本来は本文を補う装飾、動くはずのない便箋のふちをまかせる、いや、まかせやる。やる、が気になる。パッと見は、えぇい、このどうしようもない恋心、どうせ結ばれない定め、という気だるい投げやりな気持ちのようでありながら…
え、これが恋文とは限らないですって?恋文です。
このご時世、「初めてメールを差し上げます」と電子メールからビジネスをスタートさせても何ら失礼には当たらない。友人ならば、LINE、電子メール、あるいは電話で事足りる。
今や手紙は、相手が確実に開封するまで他の誰にも見られたくない場合に限り使用される通信手段といえよう。ましてや生き物の螢にふちをまかせてしまう手紙なんて、恋文以外にあり得ない。
もう一つ、どのような恋心が綴られているのかが、気になる。だがこの句を何度暗誦しても、開け放たれた障子、白い指先でつまみ上げた何も書かれていない便箋を透かして光る螢を眺める女、それしか思い浮かばない。
こんな妄想に抗うすべなく引き込んでゆく掲句は、超絶としか言いようがない。しかし文字は見えて来ない。
まかせやる。恋心の行方を螢にまかせやり、手紙が男の元へ届くことがあったとして、首尾よくいくつかの関門をくぐり抜け開封されたとして、果たして文字は必要であろうか。
この便箋は和紙でなければならぬ。光が透けるほど薄いのは土佐の和紙。きちんと折りたたんである。が、差出人は達筆で知られるのに、どうやら何も書かれていないのはどうしたことだ。訝しく思いながら折り目を開いた途端に、昆虫としての螢ではなく、薄黄色い螢の光だけが、便箋のふちにぽおっと浮かんでは剥がれ、後から後からゆらゆらと夏の夜のしじまを漂う。
これほど攻撃的なまでに情熱的な恋文を、私は他に知らない。
男は、早く朝になってこの光が消えるとよいのに、と思うだろうか。
それとも淡い光を捕まえようとするだろうか。一つ残らず。 待ってください。あの恩田侑布子さんが、君が考えるような狂恋の句を詠むでしょうか?
あなた、さっきから何ですか。あらやだ。よく見れば私の妄想の中の男。どうしてここに。
僕は恋の相手ではありませんよ。そんなことより僕が君に言いたいのは、恩田さんの句には品があるということです。あれでは蛍が多過ぎる。螢の数はそう、一、二匹。
やはり、あなただわ。
男はそれ以上、否定も肯定もしなかった。
2020年2月 みはらまちこ(樸会員)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。