
川面忠男様がブログの転載をご了承くださいましたので、掲載させていただきます。川面様、いつもありがとうございます。 「俳壇」の恩田侑布子さん特別作品
俳人・文芸評論家で「樸」の代表、恩田侑布子さんから過日メールをいただき、月刊「俳壇」1月号に恩田さんの特別作品30句が載ることを知った。発売日の15日、最寄りの書店で「俳壇」を求めて読んでみた。恩田さんの言う余白がある句であり、どの句も味わい深いと思ったが、とりわけ以下の10句を選び私なりに鑑賞してみた。
琅玕の背戸や青女の来ます夜 一読して惹きつけられる句だ。琅玕は「ろうかん」と読み、ここでは「美しい竹」という意味になろう。青女は「せいじょ」で「霜・雪を降らすという女神。転じて、霜の別名」(広辞苑)だが、私は雪と思いたい。そうすると、青女という女神が雪女のイメージに重なり、「来ます夜」という措辞が幻想的な世界を伝える。青女は特別作品の題になっており、恩田さんも掲句を30句の代表と思っているのであろう。
霜ふらば降れ一休の忌なりけり 恩田さんは静岡高校の生徒であった頃、仏教書を読みふけったという。ウイキペディアによると、一休は「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えて一休の道号を授かったという。有漏路とは迷う「煩悩」の世界、無漏路は「悟り」を意味する。 絶壁の寒晴どんと来いと云ふ これは30句を締める句。〈どんと来いと云ふ〉という措辞は〈霜ふらば降れ〉という恩田さんの心境と同じなのではないか。雪や霜が降ろうが、晴れようが、絶壁という煩悩は常に立ちふさがっている。それに立ち向かおうという心の鼓舞が伝わってくるような句である。 宝船手ぶらで来いと云はれけり 土産を持たずに行って宝を貰って帰る、ということではなかろう。手ぶらは心に何も持たずに来い、つまり心を無にして来いということではないか。そうすれば悩みはなくなり煩悩から解脱できよう。作者が恩田さんだと、私にはそのように感じられる。 群峯は羅漢ならずや冬茜 阿羅漢は仏教修行の最高段階に達した聖者。それらの表情はさまざまだ。冬の夕焼けに黒い影を見せる西の峰々に託して羅漢の修行を思うのであろうか。恩田さんも仏の境地に近づきたいと願っているのではないか。 淡交をあの世この世に年暮るる 君子の交わりは淡きこと水のごとく、の淡交である。この世の人との淡交は誰にもありうるが、相手があの世の人となると、どうであろうか。しかし、恩田さんが相手のあの世の人は芭蕉であったり、故人になった俳句仲間であったり、詩を介して自在に交流できるのであろう。
直近の俳人では金子兜太が思い浮かぶ。恩田さんは今年2月26日付け朝日新聞の「俳句時評」で「土の人」と題して兜太の〈よく眠る夢の枯野が青むまで〉を挙げ、次のように書いている。「芭蕉の〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉への唱和であろう。芭蕉の夢はどこまで行っても藁色と金の条」と。藁色は草鞋を履いての行脚をイメージできるが、金の条(すじ)は金科玉条の条であろうか。 よく枯れて小判の色になりゐたり 枯葉は夕陽をあびて小判の色、つまり金色に光る。西方浄土の金色に通じる感じがする。冬の枯木はそんな世界に変わる。飛躍して言えば、人間も枯れれば仏に近づき金色の世界が見えてくるであろう。 まばたきに混じる金粉三ヶ日 正月には金粉入りの酒を飲む。それを〈まばたきに混じる〉と詩的に表現したのであろうか。恩田さんの俳句は、趣味の域を出ない拙句などと違ってなかなか答えが出ない。それだけ読者としては想像を楽しむことができる。 初富士を仰ぐ一生の光源を 〈一生〉は「ひとよ」と読ませる。静岡に暮らす恩田さんにとって富士山はしばしば眺める山であろう。喜怒哀楽それぞれの日に。人生は富士とともにあったと言っても過言ではないだろう。
私的なことだが、思い出すことがある。私が5歳の時、静岡の空襲で焼け出され、静岡育ちの母と二人で父の故郷である志摩半島の小さな町(現・三重県志摩市大王町波切)に疎開した。母は朝早く起きて伊勢湾の彼方にある富士山を見ようとした。そうして故郷を懐かしんだ。「見えた」と喜んだ母の声を憶えている。富士山は小さな紫の影だったが、母には生きる力の光源であった。 たまゆらは永遠に似て日向ぼこ 〈たまゆら〉は一瞬のことだ。それが〈永遠に似て〉と詠う。そういう心境と〈日向ぼこ〉という季語が合う。
ここで思い出すのは、曹洞宗開祖の道元の時間観だ。「時は飛去するとの解会すべからず、飛去は時の能力とのみ学すべからず」(正法眼蔵)、つまり時間は過去から現在、未来へと流れるだけではないと言う。恩田さんが芭蕉を思う一瞬、芭蕉は恩田さんの心の中で生き返る。過去が現在になる。それが永遠に似るということであろう。
以上10句について勝手な鑑賞をして楽しんだ。
川面忠男(2018・12・21)

◎『俳壇』一月号:特別作品「青女」三十句。 ◎『俳句あるふぁ』冬号:ポール・クローデル『百扇帖』18頁の大特集
・「仏詩人大使の生涯」恩田侑布子講演より
・『百扇帖』俳句・短歌・詩(恩田侑布子訳)
・芳賀徹先生と恩田侑布子の対談

等類がない俳句。それが石牟礼道子の俳句の最大の特徴である。現代俳人の句はどこか似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前のことばは空恐ろしい。恐ろしいはずである。なぜなら、その自前は、個性などというものにもとづくのではなく、何万年とも「齢のわからない」精霊と風土を背負いこんだものであるのだから 。 「ふみはずす近代」 恩田侑布子
(『藍生』2019年2月号「石牟礼道子追悼特集」より) ↓ クリックすると拡大します

俳誌『藍生』(黒田杏子主宰)2018年11月号に恩田侑布子が「黒田杏子俳句作品論」を寄稿しています。
主宰のご承諾をいただきここに転載させていただきます。
黒田先生ありがとうございます。
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認定NPO法人丸子まちづくり協議会主催の俳句朗読&講演会に恩田侑布子が登壇します。 根っからの静岡人なので、地元での講演の機会に感謝しております。
東海道五三次で一番小さなまりこの宿。その大きな魅力を、ポール・クローデルの表現した日本の美から見つめ直してみませんか。とろろ汁の「待月楼」でお待ちいたします。
恩田侑布子 ↑
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ひたちなか市の登坂雅志様からご寄稿いただきましたので掲載させていただきます。登坂様、ありがとうございます。 空谷に何を燃やしぬ火焚鳥
恩田侑布子
冬のうた
空谷に何を燃やしぬ火焚鳥 登坂雅志 晩秋から冬にかけて、北関東の平野部にある田園と疎林の間を時々歩いている。家から近いこともあるし、陽あたりもよいからである。時折、カチッ カチッと火打石を打つような音がし、小鳥が枝木を撥ねるようにして伝っている。黒い翼に白斑があり、腹部が黄褐色の「じょうびたき」だ。師走も暮れに近づくころになると、わが家の小さな庭にも、カチカチと火の用心ならぬ火焚きの音が時たま訪れてくる。 空谷に何を燃やしぬ火焚鳥 恩田 侑布子 恩田氏は1956年生まれの、第一線で活躍されている俳人である。恩田氏の句集『夢洗ひ』所収の掲句は秋の句なのだろうが、句柄の大きいこの句をわたしは秋から冬への拡がりの中に置いてみたい。作者は<火焚鳥>(何と美しい漢字!)に<空谷>という語を組み合わせたことで大きな景を得ることになった。渓谷には人気もなく、寂れた景色が広がっている。<空谷>という字面や「か」行の音(く・う・こ・く)がいかにも乾き、茫漠とし、からんとした印象を与える。標高千メートル以上の信州の渓流沿いを四季を通じわたしは歩くことがあるが、晩秋から初冬の荒涼とした渓も好きである。<空谷>とは言い得て妙な言葉だ。
<火焚鳥>の燃やした火は、巡る命を言祝(ことほ)いでいたのか、冬枯れた谷に創造の火種を播いていたのか、あるいは宇宙の運行の脈動なのだろうか。はたまた掲句は静と動、終わりと始まり、物質と精神、死と生、無と有、の循環しているひとつの世界を表しているのであろうか。
わたしは句作もしておらず、俳句の知識も乏しいのだが、掲出句などをみて、字数の多い詩や短歌よりも五・七・五という制約を受けることによって、俳句というのはかえって大きな器となり得るのだなと思う。そして、哲学者のハイデガーの好きな句という芭蕉の<よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな>のような微細な句も詠みこめる。 晩秋から初冬へ向かって、もうひとつの「火焚」が始まる。薪ストーブに火を焚きつけ、揺らぐ炎をみつめ、爆ぜる音に耳翼を傾ける季節である。冬から春先にかけて集めておいた白樺や岳樺の樹皮を取り出し、白樺の赤紫の小枝を拾い、骨のような榾木を日に晒す作業もたまには一興である。両樺の木皮は蝋分に富んでおり、よく燃えるのだ。恩田氏の同じ句集に <春浅く白樺の皮火口(ほくち)とす>という句がある。
そして、足を少し不自由にしているが、少年のようになって焚火にはげむ八十歳のKさんと、またザックを背負い、信州か会津の森へ行きたいものだ。焚火に顔を火照らせながら、互いのとりとめのない話しにケミストリー(chemistry-化学反応)が起きれば楽しいし、沈黙と闇と焔からは原初の匂いが立ってくるかもしれない。

長城に白シャツを上げ授乳せり
恩田侑布子
長城に白シャツを上げ授乳せり
(『夢洗ひ』所収、2016年8月出版) 一読、万里の長城の壁にもたれ、大胆にも白シャツを上げて赤子に授乳している逞しい母親の姿が目に浮かぶ。私は観光客を相手に土産を売っている地元の女であると想像した。まだ若く、乳がすぐに張ってしまうのかもしれない。暑さと疲れに、少しでも風を感じたくて登ってきたのだろう。この母親にとって万里の長城は歴史的建造物でもユネスコ世界遺産でもなく、単に生活の糧を得て子を育てるための場でしかないのだ。そのしたたかさこそが女であると思えば、人前での授乳など恥じるべきことではない。母親と赤子が一体となって生きることに没頭する姿は崇高ですらある。非常にリアルで写実的でありながら、どこかなつかしい。はるか昔から中国に限らず女性たちが累累と命を繋いできた歴史、強さを感じさせる雄大でエネルギーに満ち溢れた句である。
掲句は句集『夢洗ひ』の中の一句。言葉のその奥にあるものを掴み取ろうとする気迫に圧倒される。
(鑑賞・黒澤麻生子) 黒澤麻生子さん(「未来図」、「秋麗」同人。第一句集『金魚玉』で第41回俳人協会新人賞を受賞)が俳誌「小熊座」(2018年7月号)に「感銘句」として書かれたものを許可の上、転載させていただきました。記してお礼申し上げます。
「掲句を授かった日。万里の長城にて2012年 恩田侑布子」

「今に生きる前衛としての古典― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」
・日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演
・会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール
・コーディネーター 芳賀徹
・パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子
川面忠男様のご寄稿の(下)を掲載します。 シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (4) 日常の風景と深読みの詩句 恩田侑布子さん、夏石番矢さんに続き金子美都子さん(聖心女子大名誉教授)がパネラーとなり「クローデルは物真似をしなかった。そこがいいところだ」と話し出した。「生命力が豊か」と感じさせる詩がクローデルの特徴という。金子さんは欧州の短詩を研究してきた学者だ。
金子さんは『百扇帖』をめくっていると、ふと金魚と猫を題材にした以下の詩句が目に入ったという。仏文学者の山内義雄先生の訳だ。 鉢のそばにうづくまった猫どの
薄目をあけて日(のたま)はく「私は金魚がきらひです」 金子さん(写真)は「一風変わった詩篇だが、日常的でわかりやすい光景を詠んでいる」と言ったうえフランス語で読み、以下のように解説した。
「夏の昼間、金魚鉢の中で金魚が泳いでいる。傍らでうずくまった猫が薄目で見るともなく『金魚など嫌い』と言っているようだ。しかし、実は幼い頃よく目にした光景だ。クローデルは『百扇帖』に生き物を詠んだこんなコミカルな鑑賞もあるということを示したかったのだ。
フランス近代詩で猫を謳ったのはボードレール。猫に託した恋人の詩などがある。クローデルの詩とは違う。ボードレールの詩では猫と詩人の関係が猫は恋人、女性への微妙な愛情のシンボルになっている。
クローデルの詩の中では人と猫とが接近している。クローデルが俳句を理解しようと思っていたことの表れだ。日本の俳句は発生の根底に諧謔がある。万葉集や古今集は身体表現の豊かな、また滑稽な動作を詠んだ笑いの歌が認められ、そこには動植物を擬人化した動作が詠み込まれている。
クローデルは、明治後半に東大法学部の外国人教師として教えていたミシェル・ルボンの日本文学詩歌集を参照している。その中に芭蕉の〈麦飯にやつるる恋か猫の妻〉という句が載っている。それについてルボンが麦飯は白米より栄養が少ないとか、猫の恋は俳諧として好まれた題材であると注を付けている。古典詩歌の気品や威厳に全く反するものではないとも。クローデルは動物も人間と同列に扱われる題材だと思ったのではないか。」
次に金子さんは同じようにクローデルが身近なことを詠んだ句として「紙鳶」を紹介した。芳賀徹さん訳だ。 小柄なお母さん 小走りで
凧を舞いあがらせる
いや、それは子ども
母さんの背で口を ぽ
かんとあけて
凧あげしてる 金子さんは「微笑ましい短抄。〈ぽ〉で切るのはクローデルの手法であって『意味の出血』と言っている」と述べた。「意味があふれて出てしまう」のだ。
続いて金子さんは「影月」と「陰墨」というクローデルの二つの詩句をフランス語と日本訳で紹介した。どちらも有名だという。
まず山内義雄先生訳の「影月」。 今宵床上にあって 手 壁面にものの影をゑがく 月出でぬ また「陰墨」(栗村道夫訳)も似たような秋の詩句だ。 月のわれに与ふる此の陰
此の世のものならぬ 墨の如し これらの詩句について以下のように解説した。
「秋のひんやりした空気、十五夜を過ぎた月が上っている。〈名月や畳の上に松の影〉という其角の句があるが、影をつくっているのは〈手〉、そこで切っている。クローデルが得意な表現だ。手から出た息吹がとどける無言の言葉を君も心の耳に受けよ、という文言があるが、手から自分の持っている思想、考えが最終的には手という身体から相手の心に伝わるという大事なものになるわけだ。それを出せる空間を十分にとっている。
壁の上に陰をつくる手は、存在するすべてが至るところで自分がそれなしには存在しえなかったものを指示している。そこで月が隠れた意味を示している。陰は月が与えた墨にもなっている。ここで見えない世界というか、現実の世界にないものを表している。」
クローデルも実と虚の間を行き来する詩人だと思う。
(川面忠男 2018・6・28) シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (5) 芭蕉を超える?句もあり 恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんという3人のパネラーの発言の後、司会の芳賀徹さん自身がパネラーになってポール・クローデルの詩を鑑賞、解説した。それらの詩句は「日本――神話的ヴィジョン」、「牡丹と月――自然のエロス」、「魂のうるほひ」と芳賀さんの言葉で分類している。
まず「神話的ヴィジョンの句」。 日本 長き琴のごと
出づる日の一指のもとに いまをののく まずこの詩句について芳賀さん(写真)は「クローデルは日本史を知っている。古代の神話にも興味を持っている。太平洋のいちばん東に上ったばかりの朝日、その光を浴びて日本列島は琴のように張っている。クローデルが作り上げた神話的日本のヴィジョンだ」とコメントした。
続いて以下の詩句。 夜明け 男体(なんたい)は白根に放つ
大いなる金の矢 芳賀さんは「男体山の山頂の日の光がさらに下にある白根山に。これもダイナミックな日本神話の世界。クローデルの中には神話的ヴィジョンがあり、それが百扇帖の骨格をなしている」と言った。
また同じような詩句の紹介。 緑の森の 動かぬ闇のなかから
緋いろのどよめき 芳賀さんはこう解説した。
「男体山の上から山麓の緑の広がりを見ると、その一個所に朝日が当たり明るくなっている。芭蕉の〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を受けているが、芭蕉よりいいかもしれない。神話的ヴィジョンを凝縮し自分の詩として俳句の中に詠んだ。」
次は「牡丹と月――自然のエロスの詩句」。 白牡丹の 芯にあるのは
色ならぬ 色の思ひ出
香りならぬ 香りの思ひ出 さらにもう1篇。 牡丹 思ひに先立って わがうちに萌(きざ)す
この紅(くれなゐ) 芳賀さんは「〈白牡丹といふといへども紅ほのか〉、という高浜虚子の句よりはいい。牡丹が好きな蕪村は〈牡丹切て気のおとろひし夕かな〉と牡丹と一体になっている素晴らしい句を作ったが、これに匹敵する」と評した。
そして「魂のうるほひ」の句。「何と言っても『百扇帖』の中で最もいいのは」と以下の詩句に言及した。「山内先生の訳もいい」と訳は山内義雄先生のものだ。
水の上(へ)に 水のひびき
葉のうへに
さらに葉のかげ 「これは百扇帖の最高峰。これには芭蕉も及ばないのではないか。〈水のひびき〉と〈葉のかげ〉だけで成り立っている詩。ひっそりとしてまさに幽玄の世界。これ以上ない静寂、水の響きがあるからいっそう静寂が深まる。
芭蕉の〈閑さや岩にしみいる入る蝉の声〉も蝉の声があるから閑さが増すが、具象的過ぎる。クローデルの詩は音や色のない世界に入っている。
葉は竹の葉、かすかに揺れている。水は京都の寺の庭の池の隅でちょろっ、と落ちている。葉のかげは太陽ではなく月の陰だろう。フランス人の詩がここまで行ったのは驚嘆すべきだと思う。」
芳賀さんが言うようにクローデルの詩が芭蕉よりいいかどうかはわからないが、日本の美の真髄をつかんでいたことは確かだと感じた。
(川面忠男 2018・6・29)
シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (6)
「余白」に気づいた西洋人 シンポジウムの司会者、芳賀徹さんは恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんの3人のパネラーに追加の発言を求めた。それぞれの発言について芳賀さんはコメントしたが、ここではパネラーの発言のみ以下の通り要約する。
まず恩田さんは「ポール・クローデルは西洋人として初めて東洋の余白ということに気づいて実験した詩人だった」と以下の通り述べた。
「ジャポニスム(日本趣味)の影響を受けたのは二十歳の頃だ。ジャポニスムの影響を受けた画家としてモネがいる。移ろう光と雲と水の色、ジャポニスムを自家薬籠中のものにしたと言ってみることができると思う。しかし、描きつくしたいという西洋的感性による巨大な絵が自分の胸の中でどんどん縮んでいく。一方、雪舟の『秋冬山水図』は、見ている時よりも離れている時に絵がどんどん大きくなる。なぜかと言えば、余白があるからだ。
モネは余白を理解できなかった。ロートレック、ゴッホもジャポニスムは取り入れていたが、余白については理解していなかった。小石を一つ投げてそこに広がりができるようなものが余白だ。目に見えるすべてを表現することではなく、写実主義ではなく、余分なものは省いて、肝心なものだけを描く。写実主義では本当の美の秘密は描けない。
クローデルは省略して凝縮することに気がついた初めての人ではないかと思う。まさに俳句の精神、深いもの、無への接近ができた。クローデルの脳裏には北斎があった。『百扇帖はクローデルが描いた北斎漫画』ではなかったか、と言いたい。」 続いて司会の芳賀さんに声をかけられて金子さんが以下の通り発言した。
「〈水の上に 水のひびき〉の句のように日本人が感じることができるような詩句をつくることがクローデルの素晴らしいところだが、クローデルの全体を見ると、日本にだけ入り込もうとはしていない。
筆を使っているのは大きい。中国や日本にいたことから全てが始まっているように思える。墨を使うと自分が書きながら画家と同じようになる。作者であるだけでなく作品の鑑賞者、批評家にもなれる。墨を使って書いたことが実験的であり、前衛的なことであった。
クローデルは1980年代以降、日本の詩とか東洋の詩を考えている。その余白は前衛的なことであった。
シュールレアリスト(超現実主義者)のアンドレ・ブルドンが初期の作品の『黒い森』という詩篇に何秒かの空白を入れた。その何秒かの空白が信じがたいほどの効果を出した。語と言うものの周りに置かれた空白のゆえに、またその後に書かなかった他の無数の語と接触するゆえに、とシュールレアリスム宣言に書いている。書かれること書かれないこと、無言の言葉、短縮ということがフランスでは前衛的なことと思う。
その余白の使い方はクローデルとは全然違う。クローデルの場合は象徴詩であると思う。ブルトンの場合は象徴であったならばシュールレアリズムにならないわけだ。その余白のくくり方が違う。クローデルは(〈かあさんの背で口を〉の後、空白をつくり〈ぽ〉と置き、改行して〈かんとあけて〉と続く、といった)『意味の出血』もだいぶ前から『百扇帖』に練り込んでいる。
句読点の廃止は、アポリネールが1913年の作品「アルコール」で初めて試みた。その中でマリーランサー(画家)との恋で有名なミラボー橋を詠んでいるが、そこで初めて句読点を廃止した。句読点は『百扇帖』にも全く入っていない。」 夏石さんが司会の芳賀さんに発言を促がされ、以下の通り述べた。
「(クローデルは)リズムも、書き方も、まっさらなところから書いている。パターンから書かない。日本に迫るとき、詩的な部分とナイーブな感性がうまくからまっている。
日本の中でいろんなものに着目するが、最後は水滴に集約していく。水、太陽、植物とかなりテーマがあるが、水滴に集約していくところがおもしろい。
山頭火も最終的には水を様々な角度から詠んでいる。クローデルも(山頭火と)接触はなかったが、日本は水というものに注目せざるを得ない環境にある。」 再び金子さんが発言、クローデルの『日本文学散歩』(芳賀訳)の以下の文言を紹介した。
「いいハイカイというものは、本質的に、一つの中心となる映像と、その映像
が心の中によびおこす反響、つまりはっきりと言いあらわされたものであれ、言外のものであれ、その映像をとりかこんで生じる一種の霊的精神的な暈(かさ)とからなっている、といえましょう。」
そして金子さんは「クローデルは大胆にいろいろなことをやろうする意思が強
くて、自分が吐く息のリズムに合うような詩づくりを貫き通していた。文体を省略し、自分の詩を作っていた。」とも述べた。 最後に芳賀さんが「クローデルは、もののあわれがわかっており、これからも日本人が読んで面白がり、さらに解釈してゆきたい詩人だ」と締めくくった。
(川面忠男 2018・6・30)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。