
エロスの幻想を深々とたたえる
向井 敏
真鍋呉夫といえば、安部公房や島尾敏雄らとともに文学集団「現在の会」に拠った戦後派作家の一人。幻想的で何かしら不気味な、「奇妙な味の小説」の先駆ともいうべき作風の持ち主だったと記憶するが、この人はまた句作にも堪能で、長い句歴を持つ人でもあったとは知らずにいた。平成四年、その句集『雪女』(初版冥草舎、普及版沖積舎)が第三十回「歴程賞」に選ばれるということがなければ、ずっと気づかずにきたかもしれない。
「歴程賞」は元来、現代詩の分野での業績を対象とする賞で、句集に対する授賞はきわめて異例。興をひかれて一読し、その詠法のあざやかさに一驚した。とりわけ、女人の性の蠱惑(こわく)を、なまなましさを失うことなく幻想的に描きだす独得の句才に。たとえば、こんなふうな。
口紅のあるかなきかに雪女
雪女溶けて光の蜜となり
花よりもくれなゐうすき乳暈(ちがさ)かな
花冷(はなびえ)のちがふ乳房に逢ひにゆく
雪 桜 蛍 白桃 汝(な)が乳房
性的幻想を詠んで余人には模しがたい出来だったが、世間は広い、さきごろ、右の諸作にまさるとも劣らぬ句を詠む女人の俳人が登場した。 俳人の名は恩田侑布子、句集の題は『イワンの馬鹿の恋』。三十余年の句歴から佳什(かじゅう)を選んだもので、題材もさまざまなら、句法も「書くたびに鬱の字をひく春時雨」の機智、「雲の峰かつぐイワンの馬鹿の恋」の諧謔、「会釈して腰かける死者夕桜」の幻想と、まことに多彩。
しかし、この人の本領は恋の句であろう。左にその秀逸を三句ばかり。
吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜
蝮草知らぬわが身の抱き心地
告げざれば火のまま凍る曼珠沙華
その恋の句を追ううちに、やがてエロスの幻想をふかぶかとたたえた、絶品二句に出逢うことになる。こういうのである。
あしゆびをそよがせ涅槃したまへり
死に真似をさせられてゐる春の夢
前者は一見したところ、釈迦の涅槃像を写したかのごとくだが、そうではあるまい。 すくなくとも、それだけではない。この涅槃は仏語でいう解脱の境地と、俗語でいう性の陶酔境とを兼ねているのだ。深読みすれば、「あしゆびをそよがせ」る歌麿の春画の一景のようにさえ見えてくる。 後者の句の「死に真似」も、性の陶酔のさまを寓した言葉であることはいうまでもない。
この二句と、『雪女』における「乳房」の句とを読みくらべてみると、一口に性的幻想といってもずいぶん様子が違うことに気がつく。恩田侑布子の句では全身全霊でエロスの世界に没入しているのに対して、真鍋呉夫の句の場合はどこか醒めて、あるいはゆとりをもって観照しているといったふうがある。この違いは男と女の性感覚の差と通い合っているのかもしれない。
ことわっておかなくてはならないが、『イワンの馬鹿の恋』のことをいうのに『雪女』を持ち出したのは、ほかでもない、恩田侑布子も『雪女』の作風に心を奪われ、私淑すること七年、昨年ようやくその「心の師」と相会することができたとあとがきにあったせいである。類は友を呼ぶということであろうか。
《出典》
本と出会うー批評と紹介
初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)九月三日(日曜日)
初出紙:毎日新聞
『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

隠喩(いんゆ)――――――恩田(おんだ)侑布子(ゆうこ)
勝目 梓
単なる俳句ファンに過ぎない私のような者にまで、自作句集を贈ってくださる方々がときにいらして、恐縮しています。
恩田侑布子句集『イワンの馬鹿の恋』(平成十二年 ふらんす堂)もそうした中の一冊です。著者の初句集とのことですが、十八歳で飯田龍太選の「毎日俳壇」で特選を重ねた後に、十年近い中断をはさんで句作を再開、という句歴の紹介が巻末にあります。
死にかはり逢ふ白梅の日と翳と
死に真似をさせられてゐる春の夢
会釈して腰かける死者夕桜
亡き人と摺足で逢ふ日の盛
深い思索と豊かな身体的な感性とを入念に練り上げた末の、見事な結実と言うべき作と思います。一つの情景を捉(とら)えて、それを現実世界と夢幻の領域の間(あわい)に漂わせた上で再度見直す、という手法がこの俳人のきわ立った特性であり、また大きな魅力と思えます。
従って恩田侑布子の句は、写実的に見える作にもどこか現実の地平を越えていくことばのひびきが感じ取れるし、夢幻の中の情景と思える作には逆に一種の現実的なリアリティが生じるのだろうと思うのです。
そうした二重の構造を備えた詩心と手法があればこそ、掲句のような、死者があたかも形あるものの如(ごと)くに生者と混在している句想が自在に生れるのではないでしょうか。
そのように考えると私は、〈死に真似を――〉の句に触れて、死者そのものにも春の夢の訪れがあるのかもしれない、などといった不思議な思いに導かれたり、〈死にかはり――〉という聞き馴(な)れないことばが、「生まれかわり」とほとんど同義語のように使われていることに、目から鱗(うろこ)が落ちるような思いを味わったりするのです。
蹴り初めは母のおなかや夕桜
砂いつか巌にかへらむ夕河鹿
寒紅を引きなつかしやわが死顔
生は即ち死であり、死は新たな生であると捉えれば、時間というものにもまた、現在から未来へ進む一方に、過去に向っていく流れのあることが視(み)えてくる道理です。
生れて初めて蹴(け)ったものの記憶を辿(たど)って胎児期まで遡(さかのぼ)り、河原の砂がかつての巌(いわお)の姿を取り戻すまでの厖大(ぼうだい)な時の経過を軽やかな夢想の裡(うち)に捉え、かと思うと鏡に映る紅を引いた自身の顔をデスマスクに見立てて、それを懐かしいと詠(よ)む作者の、時間というものに対する姿勢、思索が、不思議に心地よい自在な感じの場所に私を立たせてくれる気がします。
手をひかれ冥府地つづき花の山
春嵐千里にべつの吾おりぬ
彼岸より此岸がとほし花の闇
身をよせて日焼子死後を問ひにけり
これらの作も、あの世とこの世を自在に行き来しながら、たゆたうような時の流れの中に軽やかに身と心をあそばせているかのような、この作者ならではの佳句です。
擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ
接吻(くちづけ)はわたつみの黙(もだ)夕牡丹
骨壺の隙間おそろし夕桜
翡翠(かはせみ)や水のみ知れる水の創(きず)
この句集には、印象が明るくて、ことばのひびきも軽快な作が数多く収められています。それでいながらそれらの句にはいずれも、人間の生にまつわるさまざまな切ない真実の相が、あるときは官能的な、またあるときは思念的な巧みな隠喩が用いられていて、それが句に奥行きと底の深さを与えています。恩田侑布子は隠喩の俳人と呼びたいほどです。
《出典》
『俳句の森を散歩する』
(株式会社小学館 二〇〇四年一月一日発行) 『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

『断絶を見つめる目』 古田 秀
生と死、明と暗、人工と自然、主体と客体。近代化とは人間を自然から切り離し、あらゆるものに線を引き分類し続ける営みであった。結果として世界の解像度は飛躍的に上がったが、個人と世界、個人と個人の間にさえ、深い断絶が横たわることとなる。俳人・恩田侑布子の作品は、美しくしなやかな言葉の魔法でその断絶のむこう側を描き出す。しかしそれは読者に断絶を再認識させることであり、彼女もまたままならない世界との隔たりを見つめている。恩田侑布子第一句集『イワンの馬鹿の恋』は、その断絶を見つめる視線と緊張感が魅力的である。
擁きあふ我ら涅槃図よりこぼれ
後ろより抱くいつぽんの瀧なるを
蝮草知らぬわが身の抱き心地
擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ
「擁」「抱」の字が印象的な四句。他者や自然と一体化する行為でありながら、自らの肌が知覚する接触面がそのまま隔たりとして現れるもどかしさ。しかし半端な慰めを求めず、その隔たりを見つめる凛としたまなざしがある。
手を引かれ冥府地つづき花の山
死に真似をさせられてゐる春の夢
会釈して腰かける死者夕桜
卯の花の谷幾すぢや死者と逢ひ
寒紅を引きなつかしやわが死顔
「死」は生者と常に伴走する。「死」を遠ざけんとしてきた現代社会の在り様とは異なり、恩田は当然のように「死」と対話する。近代化が作り出した生と死の断絶を、彼女は言葉で乗り越える。
わが庭のゆかぬ一隅夏夕べ
かたすみの影に惹かるる祭笛
わが影や冬河の石無尽蔵
寒灯の定まる闇に帰らなむ
くるぶしは無辺の闇の恋螢
「影」「闇」の存在が印象的な五句。全貌が知れない、未知のものを怖ろしいと思うのは、近代的啓蒙主義の副産物。自らも作り出す影、光に寄り添うようにそこにある闇をひとたび受け入れれば、曖昧なままを許す底の知れない懐の深さに魅入られ、目をそらせない。
粥腹の底の点りぬ梅の花
翡翠や水のみ知れる水の創
髪洗ふいま宙返りする途中
冬川の痩せつつ天に近づけり
世界と対峙するとき、自らの肉体の変化と眼前の自然の変化は呼応する。それまで知覚できなかったものが、言葉となって現前のものとなる。これまであった世界との隔たりが消えたかのように、感性の翼が自在に空を駆ける。
みつめあふそのまなかひの青嵐
寒茜光背にして逢ひにくる
吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜
再会の頬雪渓の匂ひして
恩田曰く、恋は感情の華。表現せずにはいられない衝動にも似た心の震えは、断絶を乗り越えるための大きな原動力となる。互いの存在を確かめ合うのと同時に、最適な距離をさぐる緊張と撓み。恋慕の相手への、まっすぐで凛々しい視線がある。
生涯を菫の光(か)ゲへ捧げたり
仮の世に溜まる月日や花馬酔木
来し方やいま万緑の風の水脈
龍淵に潜み一生(ひとよ)のまたたく間
光陰に港のありし冬菫
長かりし一生(ひとよ)の落花重ねあふ
宇宙の壮大な時間に比べれば、人間の一生は短く儚い。だからこそ今この瞬間の生命のきらめきがあると言えよう。野の草花が、風が、川の流れが、虫や鳥の声が、いま私たちの一瞬と交錯する。恩田侑布子の詩の翼は断絶を悠悠と越え、今この瞬間のきらめきを普遍の境地へ導くのである。 (了)
(ふるたしゅう・樸俳句会員)
『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

11月10日(火)の読売新聞夕刊「たしなみ」は「撒けば芽の出るものを食すマナー」です。
恩田が28歳でかかった難病を救ってくれた恩人の話。

11月25日発売予定の角川『俳句』12月号の第11回「偏愛俳人館」は国民的作家、夏目漱石。「不可能の恋、その成就」にせまります。

『角川俳句』 恩田侑布子「偏愛俳人館」をすすめる。 佐々木敏光 二月号『角川俳句』の新連載、恩田侑布子「偏愛俳人館」は、個性的な俳人による「偏愛」の俳人コレクションということで、興味をもってのぞんだ。はたして二月号は飯田蛇笏で、ぼくにとっても五指に入る、特別の思いがある俳人であり、第一回目にしてなるほどと思わされた。 タイトルというか、副題というか「エロスとタナトスの魔境」には堂々と論を張る著者の立ち姿がみてとれた。それから、竹久夢二、阿波野青畝、久保田万太郎、林田紀音夫、芝不器男と堂々たる論の連続である。(ちなみに、竹久夢二、林田紀音夫は今まであまりなじみがなかったと正直にのべておこう) 特に九月号は橋閒石で、この七,八年特に気になっている俳人で、老年にいたっての作品の質の急上昇の秘密を知りたく思っていたこともあって、(ぼくはぼくなりにある種の断念(思いっきりよさ)が閒石をして、老齢の自由闊達な境地を開いたと思ってはいたが、文学部に入ってそうそうに荘子の毒気をあびたが、その後齢経ての老子再発見と、四十代後半までの小説や詩、日本文学、西洋文学、フランス文学は専攻までし、中世フランス語まで読んだりしたなど呑気な格闘をへてのやがて長いものへの断念から、俳句への傾斜となった)深い興味を持って読んだ。重要な点をおさえた予想を裏切らない立派な論であった。 細かいことは書かないが、『和栲 』は、やわらかな見事な句集であった。これが蛇笏賞をもらう前段階で、閒石は飯田龍太などの間では、それまでは名も知らなかったが、実に興味深い俳人であるとのうわさがたったようだ。ぼくもその後、沖積社『橋閒石俳句選集』を入手したが、読んでいて平凡な句の羅列にうんざりした。『荒栲』『卯』からおやおやと思った。 『和栲 』にいたってあらためてその独自な世界を納得した。その後、沖積社『橋閒石全句集』を手にいれた。『荒栲』以前の句は読む気力を失せるものであった。 ただ、ぼくのホームページの「現代俳句抄」には、それなりに努力して『荒栲』以前も若干掲載した。 いわく、 秋の湖真白き壺を沈めけり (『雪』) 雪降れり沼底よりも雪降れり 柩出るとき風景に橋かかる (『風景』) 七十の恋の扇面雪降れり (『荒栲』) 渡り鳥なりしと思う水枕 である。なんとなく与太ごとをかきかねないので、これ以上はかかない。 ただ、恩田さんの論での橋の引用文、芭蕉の根本精神は「中世芸道をつらぬく、『余情』『幽玄』の哲理」とともに、「具象が象徴の力を帯びて幻影となるまでに単純清澄となる」は適切で、論を引き締めている。 さて、われらは齢をとってまで、誰かのエピゴーネンになることもないであろう。閒石の句 閒石ひとりであっていい。それはそれでそれなりに狭い世界でもある。壺中之天かもしれない。 われらはわれらの老年をいきるほかない。2020.9.1. 恩田侑布子が角川『俳句』に連載中の「偏愛俳人館」を佐々木敏光様(富士宮市在住)がHPに取り上げてくださり、転載をご快諾いただきました。 ここに厚くお礼申し上げます。 佐々木様のホームページはこちらです

角川『俳句』10月号「偏愛俳人館」第9回は高野素十の「写生と醗酵」です。純粋無雑な写生の真髄は新しく温かい!
10月号は9月25日発売です。

岩波『図書』9月号(93円+税)に「けはいの文学」久保田万太郎の俳句について、拙文を草しました。こんな時こそクボマンの心のうるおいをお楽しみいただけますよう!
恩田侑布子 ☆ あわせて角川『俳句』6月号の「偏愛俳人館 久保田万太郎 《ミニマル・アート・ジャパン》」もお読みいただければ幸いです。
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。