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『俳句』2020年新年号 恩田侑布子「神橋」
──鑑賞 樸連衆
青空のいつも直面(ひためん)年用意
外へ出れば、透徹した冬青空が広がっている。直面(ひためん)とは仮面をつけず素顔をさらすことです。能の世界では大きな意味があるようです。青空はいつだって「ひためん」。まっさらな気持ちであらたまの年を迎えたい。この心持こそ本当の「年用意」なのですね。──山本正幸 いつも顔を隠さず、「直面」でいる青空。作者は自らもそうありたいと願いながら、新たな年を迎える準備をてきぱきとこなし、来し方を振り返ってもいる。上五、中七の巧みさを確と受け止める季語の気持ちの佳さ。──田村千春
そそり立つ北斎の波去年今年
本来流動的な「波」が、一瞬を切り取ることによって永遠性を獲得し、「そそり立つ」大いなるものに感じられます。北斎の『神奈川沖浪裏』の迫力と「去年今年」の響き合いが見事です。──古田秀
初凪に鯤(こん)の一搏(ひとうち)あれよかし
年の始めはせめてここから歩き出したいもの。──安国楠也
身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな
「しんたいはっぷ…」と舌頭に転がすと、すべての音が光を放っているのがわかります。「化粧」「ととのえること」が意味合いとしてある「初鏡」と異なり、これは、父母から与えられたそのままの姿と向き合う「鏡」。真っ向勝負で、こよなく清々しい。──田村千春
千萬(ちよろづ)の神の橋なり柳箸
さまざまな意味の「はし」が大和言葉の「はし」に掛合わされている。柳箸の先に神々の気配を感じて戴く食事は生命への寿ぎに満ちているのだと思います。──山田とも恵
よく枯れてかがやく空となりにけり
冷気に澄むブルー、冬空の崇高さが十七音で表現され、交響曲を聴くかのような荘厳な句です。よく枯れて、余分なものが削ぎ取られたからこそ美の極みへと達する。そういう讃え方があったのですね。新鮮に感じました。──田村千春木立が枯れていくのは空を輝かせるためだったのか!という新鮮な驚きを与えられました。──芹沢雄太郎
弓始大和島根を撓はせて
「大和島根」?辞書によると日本国の別称とある。なるほど弓はなんとなく日本の形に似ている。しかし、日本国をしなはせるとはなんて大胆な。的に当たる音が聞こえてきそう。
──前島裕子弓を引く力強さと静寂。「我に支点を与えよ。さらば地球を動かさむ。」というアルキメデスの故事さながら、新年に相応しい雄大な気概を表している。「撓はせて」の措辞は折れることのない復元力を表して、困難な時代の年明けに相応しい。
──島田淳日本全体がぎーっと撓るかのような厳粛な一瞬を捉えた独自な発想。日本を表す言葉はいくつもあれど、ここは「大和島根」でなくてはならないという、言葉に対する揺るぎない選択眼。──天野智美
思ひ羽の煌と着水峡の冬
鴨だろうか鴛鴦だろうか、長旅の末めざす水面に着水した。その時のきらりとした剣羽。目指したのは峡の一点か、つがいの相手か。「煌と着水」にその思いがみごとに表れている。
──村松なつを
筋目まだ通して冬田谷の中
下五の「谷の中」で情景が大きく広がっていきながら、身に寒さが染み込んでくるという、外と内へ向かうベクトルが共存している不思議な感覚を受けました。──芹沢雄太郎
粥占の松風を聴くばかりなり
粥占の執り行われている神社の厳粛な空気が、「聴くばかりなり」と静かに余白を残して広がってくる。言葉を詰め込めばいいわけではないということに改めて気づかされた一句。
──天野智美
ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ
人間にはもう尾の痕跡しかないけれど、たとえ尾があっても何の役にも立たないけれど、こうして縁側で日向ぼこをしていると、時間も空間も、体も弛んできて、なんとなく尻尾の欲しい気分になるなぁ。一つでいいんだよ。ふくよかなやつがいいな。それで何をするでもないけれどね。目的や機能を持たないものって実は人間にとって本当に大事なのではないのかな?──山本正幸慎ましくもあり、しかしこれ以上何を望めようか。
──安国楠也日向ぼこで・・欲しいのは羽ではなくて尾・・ほっこりします!──海野二美

角川『俳句』6月号「偏愛俳人館」第5回は「ミニマル・アート・ジャパン」です。久保田万太郎のいなしとやわらかみをご堪能ください。

6月9日(火)読売夕刊「たしなみ」連載、今回はこのコロナ下 人に会えなくても「くすくす元気になるマナー」です。

『俳句』に恩田連載中の「偏愛俳人館」8月号は芝不器男です。ご高覧ご叱正いただければ幸甚に存じます。
注目の俳人 芝不器男(1903・4・18〜1930・2・24享年26歳10ヶ月)
二十二歳から二十六歳までの代表二十九句 恩田侑布子抄出 ↑ クリックすると拡大します
筆始歌仙ひそめくけしきかな 芝不器男 山川の砂焦がしたるどんどかな 古草のそめきぞめきや雪間谷 下萌のいたく踏まれて御開帳 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 卒業の兄と来てゐる堤かな この奥に暮るる峡ある柳かな 永き日のにはとり柵を越えにけり ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 まながひに青空落つる茅花かな 人入つて門のこりたる暮春かな 白藤や揺りやみしかばうすみどり 産土神(うぶすな)に灯(ともし)あがれる若葉かな 花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ 南風の蟻吹きこぼす畳かな 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 風鈴の空は荒星ばかりかな 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし よべの雨閾(しきみ)ぬらしぬ靈祭 うちまもる母のまろ寝や法師蟬 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 新藁や永劫太き納屋の梁 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 銀杏にちりぢりの空暮れにけり 岨(そま)に向く片町古りぬ菊の秋 落葉すやこの頃灯す虚空蔵 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ
以下、樸連衆の句評です。
古草のそめきぞめきや雪間谷 春、雪が解けてまずあらわになるのは新芽ではなく「古草」。その在りようを「そめきぞめき」(意味としては「ざわめき」に近いでしょうか)と表現することで、待ちきれない春の予感めいたものが伝わってきます。雪が徐々に解けていく最中の「雪間谷」なのだと思いますが、そこでは「古草」にさえもしっかりと春の意識があるように感じられました。 ──古田秀
春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり
春の雷と共に苔を纏って泳ぐのは太古から生きてきたかと見紛う鯉。神話を眼前にしたかのよう。 ──天野智美
卒業の兄と来てゐる堤かな
高校を卒業し故郷を離れる兄と三月の堤に佇み、昔話や今後の生活について語り合う景。穏やかで温もりを感じる兄弟愛がうらやましい。万だの桜や萌えいずる草木が彩る土手の情景が鮮明に浮かぶ句である。 ──金森三夢
この奥に暮るる峡ある柳かな 春の柳が緑に芽吹いている。川原だろう。川沿いに上れば山間が迫り暮れかかる頃。
眼前の柳のかがやく緑は命を見つめる作者の目には鮮やかだ。 ──村松なつを
永き日のにはとり柵を越えにけり
「永き日」「柵」には、気怠さと閉塞感が漂っている。そこから易々と脱け出す鶏。そんなユーモラスな光景が、名画の味わいをもつ句に昇華された。ぼってりとしたマチエールで、読む人の心に刻み込まれます。 ──田村千春
ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月
ふるさとを実感させるものは、大河でも勇壮な山でもなく、普通なら見過ごされそうな月夜に揺れる石垣の歯朶。そのしみじみとした実感に胸を突かれる。なんという細やかな感覚。 ──天野智美
人入つて門のこりたる暮春かな
「暮春」の本意を掲句によってはじめて教えられた思いです。人が門に吸い込まれていったという動きがあり、その残像によって暮春の門の静けさがより深まっていきます。 ──山本正幸
白藤や揺りやみしかばうすみどり
香りの良い白い花房が揺らぐ様には、誰もが陶然とさせられるでしょう。風が止み、作者はその清冽な白に瑞々しい緑も溶けていることに気づいた。「揺れ」「色」に透徹した視線を注ぎ、藤の花の本質を捉えた繊細なスケッチ。 ──田村千春
南風の蟻吹きこぼす畳かな
真夏の暑さがよみがえった。スイカの種など見つけて蟻が畳に上がり込んでいる様子を「畳から湧いて出たような蟻」と見立てているのがおもしろい。見る角度を変えるだけで本質に近づくこともあるんだなぁ。 ──山田とも恵
南風の思わぬ強さに抵抗しつつも飛ばされていく蟻が健気で、後に残る「畳」も爽やかに匂い立つようです。 ──古田秀
蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな
激しい夕立の様子がうかびます。この様な夕立が以前はよくありました。 ──樋口千鶴子
いきなりの夕立が、それまで陽を浴びて乾ききっていた土の匂いを運んできた。湿気とともに煮魚や早めの入浴など、生活の匂いが流れてくる。やがて晴天が戻り、清冽さを増した蓬生の香りが立ちこめるだろう。 ──見原万智子
向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし
夏を謳歌するように咲き誇った向日葵も枯れて・・海で楽しく過ごした夏を惜しむ気持ちでしょうか・・ ──海野二美
海が消えた代わりに見えるのは、突き抜けるような青い夏空。 ──見原万智子
ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな
盆休暇が終わり帰京する日、ふと庭に目をやると、芙蓉の花が「元気でね。また来てね」と語りかける様に静かに咲き始めている美しい景。去ぬと来向ふの技法が効いている。
──金森三夢
あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな
白黒の艶を生かした絵のごとく美しい句。夜雨の葛にかさね、あなた(彼方)をみつめるうち、幸せを与えてくれた大切な人の面影も浮かんでくる。ア音の連なるリフレインから、「貴方」への切ない思いが汲み取れます。 ──田村千春
望郷に純愛が秘めてあるのかも。透明感のあるさびしさ。
*「かな」の句の多さが気になりました。 ──萩倉誠
柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき)
柿の近景。落暉の遠景。橙色が重なって柿をもいでいながら落暉までつかんだみたい。 ──前島裕子
新藁や永劫太き納屋の梁
納屋とは言え、太い簗から旧家の様子がうかがえます。
──樋口千鶴子
みじろぎにきしむ木椅子や秋日和
K音の響きが大好き。かすかに冬の予感や寂しさを感じさせる。――芹沢雄太郎
気に入りの木椅子なのか。みじろいだ時のきしむ音にいとおしさを、感じているような。秋日和がきいている。 ──前島裕子
寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ
物と影が一体なのは当たり前なのだがその当たり前の目を離れ、まるで幽体離脱していたものがさっと元に収まるような不思議な感覚に襲われる。ポーを引き合いに出すまでもなく、寒鴉という言葉の持つ不穏な気配、内なる獰猛さが詩情をかき立てる。 ──天野智美
作者の影と鴉が一体となってしまったようでこわくなるが忘れられない句。26歳で亡くなったと知るとますます忘れられない。 ──前島裕子
死神?早世を暗示する不気味な句。 ──萩倉誠

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。
『夢洗ひ』の4句 俳句結社「汀」の主宰、井上弘美さんの『読む力』(角川書店)は60人近い俳人の俳句について鑑賞している。第2章の「表現の力を読む」の「予定調和を超える」という文の後、「表記」の広げる世界、という見出しで恩田侑布子さんの句集『夢洗ひ』の中から以下の4句を挙げている。
まず あきつしま祓へるさくらふぶきかな という句について井上さんはこう述べている。
「あきつしま」を「祓」うことのできる花は「桜」以外には考えられない。それも咲き満ちた爛漫の桜ではなく「さくらふぶき」であることも、日本という国が隈なく浄められるイメージをもたらす。桜前線の北上には一ケ月以上の時を要するから、その長い時間をも捉えることに成功している。
また、掲出句が成功したのは、平仮名表記の効果に負うところが大きい。「秋津洲祓へる桜吹雪かな」と比較すれば明らかだ。これでは日本列島も風に舞う桜吹雪も見えては来ない。 恩田さんは一年前、母校の静岡高校の生徒が聴き手の教育講演会の講師になったが、その中で「物を見る時は大きな視線、微細な視線という二つの視線が必要ではないか」と述べた。恩田さんは桜が好きなようだ。教育講演会は自作の俳句を朗読して締めたが、その中で〈吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜〉も読んだ。こちらは、どちらかと言えば微細な視線で詠んだ句と言えるだろうが、〈あきつしま祓へるさくらふぶきかな〉は大きな視線が捉えた句だ。
井上さんは『夢洗ひ』から
小さき臍濡らしやるなり花御堂 という句については以下のように評している。
「臍」は釈迦と摩耶夫人が臍の緒で繋がれていたことの証。「右脇から産まれた」と伝説は伝えるが、「臍」は釈迦が人の子として母の胎内で育ったことを語っている。人々を救済するために苦難の道を歩むことになる釈迦が、「臍」を持っているということで、釈迦の人間性がより近しいものに思える。
誕生仏を甘茶で濡らす場面は様々に詠まれているが、この句は「臍」を捉えたことで写生を超えたのである。 私は掲句を写生句だと思っていたが、井上さんは写生を超えたと言う。俳句には余白があり、掲句の余白は広いだけでなく深い。恩田さんは釈迦、ひいては仏教に通じている俳人だということを思い出した。
恩田さんは病気になった時、仏教に出会って救われた。そして、静岡高校の教育講演会で例えばこんな話をした。
仏法の核心は縁起である。土に種を蒔くだけでは育たない。雨がふりそそいで太陽の光も浴びるという縁があって植物は成長し実を結ぶ。すべての現象は複数の原因や縁が相互に関連し支え合っている。
掲句の〈臍〉は諸々の縁を象徴していると言ってよいだろう。
井上さんは『夢洗ひ』から
羊水の雨が降るなり涅槃寺 も挙げて「釈迦が死して母の胎内に還ってゆくかのような一句。釈迦の誕生も入滅も、母なるものの存在を通して描かれていることがわかる」と鑑賞している。
恩田さんが静岡高校の生徒であった頃、両親は不仲であり、恩田さんは心を痛めた。母への想いには格別なものがあろう。その後、恩田さんは病気になり、生きて45歳までだろうと思ったそうだ。〈羊水の雨〉は母の涙を見て再び生きる力を持とうという気持ちから詠んだ措辞であるような気がする。
『夢洗ひ』から井上さんが4番目に選んだのは この亀裂白息をもて飛べといふ で鑑賞は以下の通りだ。
ここに描かれている「亀裂」が現実のものではなく、人生における決断の時を象徴していることは明らかである。しかし「亀裂」というような、平凡とも思える言葉を用いながら、教訓的で平板な句に陥らないのは、句に緊張感が漲っているからである。
第一に、「飛べ」と命じている「声」の主が明かされないことで、句にミステリアスな味わいが生まれた。第二に、「白息」に一途さや真摯な思いが感じられる。そして、上五に「この亀裂」と置いたことで、情景が映像化されて臨場感が生まれた。「亀裂」と「白息」だけで、これほどの切迫感を描いてみせたのである。 恩田さんは志戸呂焼の修行を積んで陶芸家になろうとしたが、28歳の時に慢性腎炎が見つかり医師から陶芸を断念するように言われた。そこで高校生の頃に出会った俳句の可能性にかけたという経歴がある。他にも人生に何度か亀裂が生じ、それを乗り越える場面があったのだろう。その時の気合を白息と表現したように思われる。
私が2年半前、句集『夢洗ひ』を求めた時、恩田さんが表紙裏にサインのサービスをした。その際、〈ころがりし桃の中から東歌〉と書いてくれた。井上さんの鑑賞には遥かに及ばないものの掲句について私なりに味わってみよう。
〈桃〉は古代から邪気を払うと信じられた植物だ。桃から産まれた桃太郎は鬼退治をしたという物語もある。万葉集の東歌は、東国の庶民が親を慕ったり恋人を想ったりして作ったものが多い。桃の霊力と庶民の生活力が結びつき〈ころがりし〉という措辞で音が出て響き合っている。
川面忠男(2020・5・6)

恩田侑布子詞花集 『よろ鼓舞』七句
『俳壇』2020年1月号掲載の恩田侑布子作品7句と、連衆の選評です。 海山を股にかけたり初烏 家族一列初凪のまぶしさに 凧糸を引く張りつめし空を引く 甲板に狼乗れよ宝船 翠巒の照りまさりけり恵方道 皇后はキャリアウーマン女正月 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら
家族一列初凪のまぶしさに この家族風景はいいですね。穏やかな海からの光にみんな目を細めています。遠くを見るまなざしで。円くなっているのではなく一列に並んだ家族。新たな年を迎え、家族という集団の持つひとつの「意志」を感じさせます。下五の「まぶしさに」に余情があります。(山本正幸)
家族揃って迎える新年。家族一列がいいです。(樋口千鶴子)
一列、意図せざるも絵ができる。(安国楠也)
凧糸を引く張りつめし空を引く 手元にピンと張りきった凧糸の軋みがよみがえった。地上にあった頃はあんなに軽かった凧が上空に舞い上がった途端重くなるのを漫然と面白がっていた幼い頃。「そうか、初春の空と引っ張りあっていたのだ」とあの楽しさの理由に今さら出会えてうれしい。「引く」がリフレインすることで、糸が切れないよう慎重に操る様子が伝わる。(山田とも恵)
大宇宙とつながる。引きつ引かれつ宇宙と一体となる心持。(萩倉誠) 甲板に狼乗れよ宝船 世情に流されず孤独を恐れない狼の心を持つ者が歓迎される宝船。金銀珊瑚も七福神も見当たらないし、漕ぎ出す海は大時化、というイメージが浮かび、ここでの宝船は地球の比喩ではないかと思いました。果たして自分は地球号の乗船資格があるのか、問われている気がしました。(見原万智子)
夢始末。(林彰)
翠巒の照りまさりけり恵方道 新年、その年の神が来臨する方角にある寺社を参拝する道すがら、背後にある緑の連山に照りかえる光の束が、善男善女の行く手を祝福する鮮やかな景が目に浮かぶ。(金森三夢)
梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら 井戸茶碗の高台に施された梅花皮。井戸茶碗の見所の一つとされている。その糸底を、穏やかな冬の日に撫でているのである。人目につかず茶碗を支える糸底を慈しむかのように撫でる作者の目は、冬の日差しのように穏やかで優しい。(島田淳)
「梅花皮」の感触はざらざらとしていかにも「冬」ですが、土の温かみと素朴な感じ、そして文字面の美しさから「冬うらら」がとても合うなと思いました。触覚と視覚の楽しさと文字面の全体のバランスが非常に調和していて素晴らしい句だと思いました。(古田秀)
発想の意外さと静けさがこころ穏やかにさせ他を圧倒する。冬うららとはこのことだった。(安国楠也)

恩田侑布子詞花集 『息の根』七句
『俳句α』2020年冬号掲載の恩田侑布子作品7句と、連衆の選評です。 山川の風のすさびを神楽歌 恩田侑布子 太刀の舞農鳥岳の北風(きた)つよし 振る太刀に颪(おろし)迫れる神楽かな 神楽太鼓撥一拍は天のもの 雨垂れの珠と囃せる神楽かな 山一つ眠らんとして眠られず 深山の息の根神楽太鼓なる
山川の風のすさびを神楽歌 神を崇め神にささげる神楽はまた自然への畏敬の表現でもある。
「すさび」は「遊び」とも「進び」とも。「山川の風」は神そのもの。
「神楽歌」を歌う男たちは神のすさびを恐れ崇め遊び一体となっている。(村松なつを) 太刀の舞農鳥岳の北風(きた)つよし 山稜に残る雪形が農事の始まりを告げるとされる農鳥岳。あくまでも山の名前であるが、この措辞があるからこそ、春の到来を喜ぶ剣舞の激しさと、その太刀が切り裂く北風の冷たさが読む者の心に立ち上がってくる。(島田淳)農鳥岳に惹かれました。南アルプスは北アルプスに比べて人も少なくアプローチも長く山登りらしい山に思います。(樋口千鶴子)
振る太刀に颪(おろし)迫れる神楽かな 奉納する太刀の舞に北風が吹きおろし、自然そのものが憑依したような荒ぶる力が辺りを包み込んでいる。読み手もその人知を超えた力に震える。「振る」「迫れる」の畳みかけが見事。(天野智美)
神楽太鼓撥一拍は天のもの 静岡の山奥、清沢神楽の一句。「天のもの」が眼目と思います。その一拍は人間のものではない。神々のもの。神々の住む宇宙に響き渡ります。その宇宙の中の微小な存在として、われら人間もその音に体を貫かれています。
作者はそのときの様子(人も獣も草木も集う)を読売新聞夕刊のエッセイ「たしなみ」に書き留めておられます。 (山本正幸)気迫一魂。覚醒の一撃。神気が満ちる。(萩倉誠) 雨垂れの珠と囃せる神楽かな 「雨垂れの珠」の音さえも神楽の一要素としてしまう「神楽」というものの把握に凄味があると思いました。雨粒を「珠」という言い方にも神性が込められていて美しいです。(古田秀)
深山の息の根神楽太鼓なる 奥深い山と神楽の太鼓がまさに一体となり、その地の息遣いや生そのものの大きなうねりがこの十七音から生み出されることに感嘆。原始の神事とはこうであったのだろう。読み手までトランス状態に誘う一句。(天野智美)

むき向きに三千世界柳の芽 恩田侑布子
毛氈の緋の底無しやひゝなの夜
何んの色ならん春愁うらがへす
星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな
汽水湖や尻から春の風抜けて
恩田侑布子詞花集 「何んの色」
『俳句界』2020年4月号掲載の恩田侑布子特別作品21句から、連衆の高点句とその選評です。
むき向きに三千世界柳の芽 芽吹くときだけあちこちを向く柳の新芽。その先々に三千世界が広がっているという発想に惹かれました。芽のひとつひとつから三千世界に繋がる糸が垂れ下がり風に揺られているのを想像すると、柳の持つ幽玄さの理由を垣間見る気がします。成長すると柳の葉は「一世界」を向いていくように思います。無垢な姿のときにだけ見える景色への羨望のようにも感じました。(山田とも恵)
それぞれにそれぞれの命。柳に芽吹いた無数の命。それぞれがそれぞれの生き様をさらしていく。(萩倉誠)
毛氈の緋の底無しやひ ゝなの夜 緋色が闇に閃いている。生命力に溢れ、魔除けとして使われる色。実は底知れぬ暗さをも孕んでいるのだと、この句に知らされました。そんな時空を超えた世界、濃密な「ひゝなの夜」へと、ひとり迷い込んだ心地に。(田村千春)
人形とはどこか暗さを秘めているもの。雛もまたそうだ。毛氈の緋色はその底に黒を秘めている。その色を「底無し」と表現する作者の感性に共鳴する。「ひゝなの夜」が一層この句に深さを与えている。(村松なつを)
「底無し」という把握が恐ろしくも惹かれるところです。子の健やかな成長を祈る雛人形は、形代として災厄を引き受ける役目もあるのでしょう。「底無し」の緋毛氈に沈んでいくような夜の感覚が鋭く、採らせていただきました。(古田秀)
何んの色ならん春愁うらがへす 齢重ねても答えられない複雑な問い。表現力の問題だけではない。(安国楠也)
「歓楽極まりて哀情多し」華やかに心浮き立つ春、ふと悲しみに襲われる時その哀愁の裏にある色は?心象風景を色彩感覚になぞらえる美に酔う。(金森三夢)
この句を読むまで無感情に仕事をこなしていたのに、「うらがへす」まで読んだら、地平線から水平線まで、私の世界はすっかり物憂いヴェールで覆われてしまいました。一つひとつの感情に、まずはどっぷり浸からなくては、と思いました。(見原万智子)
春はすべてが眩しいけれど、愁いの影も落ちている。涙のフェイスペイントを施したピエロの笑顔にも似て。纏いつく生地の、本当の色を見極めたい。「うらがへす」という鮮やかな表現により、少女のような思いが伝わってきます。(田村千春) 星霜の密(しじ)なるしだれざくらかな 「星霜」という言葉によって、単なる桜の美しさだけでなく、作者を含むこの木を見てきた人たちの(そして桜の木が見おろしてきたであろう)長い年月の様々な思いや苦難まで想像させ読み手を共振させる一句。S音の繰り返しが密やかな息遣いまで感じさせる。(天野智美)
しだれ桜には星霜(歳月・光陰)がひそかに充ちているという句意です。この句を読んでしだれ桜の見え方が一変しました。「ものを見る」というのはこういうことなのですね。口ずさんでみると、サ行音の連なりが実に心地よく響きます。(山本正幸)
汽水湖や尻から春の風抜けて 春の浜名湖(林彰)
浜名湖でしょうか。上五で広々した湖が浮かび、中七で作者のお尻にクローズアップして、その後また春の風が湖に広がっていきます。作者は湖に正対して、心がのびやかになる句です。(芹沢雄太郎)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。