
9月1日(火)読売新聞夕刊「たしなみ」連載 今回は「やわらかい身体知のマナー」です。
「岳」事務局長の堤保徳さまから、恩田侑布子の『俳句』連載、「偏愛俳人館第八回 橋閒石〈終焉のむつの花〉」にホットな励ましのお便りを戴きました。 堤様は、当HP「注目の句集」『姥百合の実』〈月光や男盛りのごと冬木〉の作者です。(堤様のページはこちらです) 堤保徳様、三つの観点からのご感想、今後の連載への何よりの励ましであり、心の滋養です。ありがとうございます。 恩田侑布子 『俳句』9月号の<偏愛俳人館「橋閒石」>を読ませて頂き、久々に快哉、驚愕、元気に包まれました。 私は和田悟朗ファン、橋閒石ファンです。 ・快哉=一般的の評論は、敬意を表する人には敬意を表し放し、褒め殺しで不自然極まりない。しかし、侑布子さんの筆は敬意は勿論ながら、メリハリある是々非々が、根拠と共に示されていて、鮮やか且つ新鮮。 ・驚愕=橋閒石にして、平凡な時代があったと知ったこと。初老期にして充実が始まったと知ったこと。 ・元気=「ゴールが見えてきたところで、ひとりの老人がそれまでの冴えない足取りを翻し」という閒石への描写の的確さと切れの良さ。 侑布子さんの文章からエネルギーをいっぱい貰いました。これから一層元気に俳句を作って行く元気が出てきました! ありがとう、侑布子さん。 堤 保徳
↑ クリックすると拡大します 『俳句』2020年新年号 恩田侑布子「神橋」 ──鑑賞 樸連衆 青空のいつも直面(ひためん)年用意 外へ出れば、透徹した冬青空が広がっている。直面(ひためん)とは仮面をつけず素顔をさらすことです。能の世界では大きな意味があるようです。青空はいつだって「ひためん」。まっさらな気持ちであらたまの年を迎えたい。この心持こそ本当の「年用意」なのですね。──山本正幸 いつも顔を隠さず、「直面」でいる青空。作者は自らもそうありたいと願いながら、新たな年を迎える準備をてきぱきとこなし、来し方を振り返ってもいる。上五、中七の巧みさを確と受け止める季語の気持ちの佳さ。──田村千春 そそり立つ北斎の波去年今年 本来流動的な「波」が、一瞬を切り取ることによって永遠性を獲得し、「そそり立つ」大いなるものに感じられます。北斎の『神奈川沖浪裏』の迫力と「去年今年」の響き合いが見事です。──古田秀 初凪に鯤(こん)の一搏(ひとうち)あれよかし 年の始めはせめてここから歩き出したいもの。──安国楠也 身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな 「しんたいはっぷ…」と舌頭に転がすと、すべての音が光を放っているのがわかります。「化粧」「ととのえること」が意味合いとしてある「初鏡」と異なり、これは、父母から与えられたそのままの姿と向き合う「鏡」。真っ向勝負で、こよなく清々しい。──田村千春 千萬(ちよろづ)の神の橋なり柳箸 さまざまな意味の「はし」が大和言葉の「はし」に掛合わされている。柳箸の先に神々の気配を感じて戴く食事は生命への寿ぎに満ちているのだと思います。──山田とも恵 よく枯れてかがやく空となりにけり 冷気に澄むブルー、冬空の崇高さが十七音で表現され、交響曲を聴くかのような荘厳な句です。よく枯れて、余分なものが削ぎ取られたからこそ美の極みへと達する。そういう讃え方があったのですね。新鮮に感じました。──田村千春木立が枯れていくのは空を輝かせるためだったのか!という新鮮な驚きを与えられました。──芹沢雄太郎 弓始大和島根を撓はせて 「大和島根」?辞書によると日本国の別称とある。なるほど弓はなんとなく日本の形に似ている。しかし、日本国をしなはせるとはなんて大胆な。的に当たる音が聞こえてきそう。 ──前島裕子弓を引く力強さと静寂。「我に支点を与えよ。さらば地球を動かさむ。」というアルキメデスの故事さながら、新年に相応しい雄大な気概を表している。「撓はせて」の措辞は折れることのない復元力を表して、困難な時代の年明けに相応しい。 ──島田淳日本全体がぎーっと撓るかのような厳粛な一瞬を捉えた独自な発想。日本を表す言葉はいくつもあれど、ここは「大和島根」でなくてはならないという、言葉に対する揺るぎない選択眼。──天野智美 思ひ羽の煌と着水峡の冬 鴨だろうか鴛鴦だろうか、長旅の末めざす水面に着水した。その時のきらりとした剣羽。目指したのは峡の一点か、つがいの相手か。「煌と着水」にその思いがみごとに表れている。 ──村松なつを 筋目まだ通して冬田谷の中 下五の「谷の中」で情景が大きく広がっていきながら、身に寒さが染み込んでくるという、外と内へ向かうベクトルが共存している不思議な感覚を受けました。──芹沢雄太郎 粥占の松風を聴くばかりなり 粥占の執り行われている神社の厳粛な空気が、「聴くばかりなり」と静かに余白を残して広がってくる。言葉を詰め込めばいいわけではないということに改めて気づかされた一句。 ──天野智美 ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ 人間にはもう尾の痕跡しかないけれど、たとえ尾があっても何の役にも立たないけれど、こうして縁側で日向ぼこをしていると、時間も空間も、体も弛んできて、なんとなく尻尾の欲しい気分になるなぁ。一つでいいんだよ。ふくよかなやつがいいな。それで何をするでもないけれどね。目的や機能を持たないものって実は人間にとって本当に大事なのではないのかな?──山本正幸慎ましくもあり、しかしこれ以上何を望めようか。 ──安国楠也日向ぼこで・・欲しいのは羽ではなくて尾・・ほっこりします!──海野二美
『俳句』に恩田連載中の「偏愛俳人館」8月号は芝不器男です。ご高覧ご叱正いただければ幸甚に存じます。 注目の俳人 芝不器男(1903・4・18〜1930・2・24享年26歳10ヶ月) 二十二歳から二十六歳までの代表二十九句 恩田侑布子抄出 ↑ クリックすると拡大します 筆始歌仙ひそめくけしきかな 芝不器男 山川の砂焦がしたるどんどかな 古草のそめきぞめきや雪間谷 下萌のいたく踏まれて御開帳 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 卒業の兄と来てゐる堤かな この奥に暮るる峡ある柳かな 永き日のにはとり柵を越えにけり ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 まながひに青空落つる茅花かな 人入つて門のこりたる暮春かな 白藤や揺りやみしかばうすみどり 産土神(うぶすな)に灯(ともし)あがれる若葉かな 花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ 南風の蟻吹きこぼす畳かな 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 風鈴の空は荒星ばかりかな 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし よべの雨閾(しきみ)ぬらしぬ靈祭 うちまもる母のまろ寝や法師蟬 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 新藁や永劫太き納屋の梁 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 銀杏にちりぢりの空暮れにけり 岨(そま)に向く片町古りぬ菊の秋 落葉すやこの頃灯す虚空蔵 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 以下、樸連衆の句評です。 古草のそめきぞめきや雪間谷 春、雪が解けてまずあらわになるのは新芽ではなく「古草」。その在りようを「そめきぞめき」(意味としては「ざわめき」に近いでしょうか)と表現することで、待ちきれない春の予感めいたものが伝わってきます。雪が徐々に解けていく最中の「雪間谷」なのだと思いますが、そこでは「古草」にさえもしっかりと春の意識があるように感じられました。 ──古田秀 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 春の雷と共に苔を纏って泳ぐのは太古から生きてきたかと見紛う鯉。神話を眼前にしたかのよう。 ──天野智美 卒業の兄と来てゐる堤かな 高校を卒業し故郷を離れる兄と三月の堤に佇み、昔話や今後の生活について語り合う景。穏やかで温もりを感じる兄弟愛がうらやましい。万だの桜や萌えいずる草木が彩る土手の情景が鮮明に浮かぶ句である。 ──金森三夢 この奥に暮るる峡ある柳かな 春の柳が緑に芽吹いている。川原だろう。川沿いに上れば山間が迫り暮れかかる頃。 眼前の柳のかがやく緑は命を見つめる作者の目には鮮やかだ。 ──村松なつを 永き日のにはとり柵を越えにけり 「永き日」「柵」には、気怠さと閉塞感が漂っている。そこから易々と脱け出す鶏。そんなユーモラスな光景が、名画の味わいをもつ句に昇華された。ぼってりとしたマチエールで、読む人の心に刻み込まれます。 ──田村千春 ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 ふるさとを実感させるものは、大河でも勇壮な山でもなく、普通なら見過ごされそうな月夜に揺れる石垣の歯朶。そのしみじみとした実感に胸を突かれる。なんという細やかな感覚。 ──天野智美 人入つて門のこりたる暮春かな 「暮春」の本意を掲句によってはじめて教えられた思いです。人が門に吸い込まれていったという動きがあり、その残像によって暮春の門の静けさがより深まっていきます。 ──山本正幸 白藤や揺りやみしかばうすみどり 香りの良い白い花房が揺らぐ様には、誰もが陶然とさせられるでしょう。風が止み、作者はその清冽な白に瑞々しい緑も溶けていることに気づいた。「揺れ」「色」に透徹した視線を注ぎ、藤の花の本質を捉えた繊細なスケッチ。 ──田村千春 南風の蟻吹きこぼす畳かな 真夏の暑さがよみがえった。スイカの種など見つけて蟻が畳に上がり込んでいる様子を「畳から湧いて出たような蟻」と見立てているのがおもしろい。見る角度を変えるだけで本質に近づくこともあるんだなぁ。 ──山田とも恵 南風の思わぬ強さに抵抗しつつも飛ばされていく蟻が健気で、後に残る「畳」も爽やかに匂い立つようです。 ──古田秀 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 激しい夕立の様子がうかびます。この様な夕立が以前はよくありました。 ──樋口千鶴子 いきなりの夕立が、それまで陽を浴びて乾ききっていた土の匂いを運んできた。湿気とともに煮魚や早めの入浴など、生活の匂いが流れてくる。やがて晴天が戻り、清冽さを増した蓬生の香りが立ちこめるだろう。 ──見原万智子 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし 夏を謳歌するように咲き誇った向日葵も枯れて・・海で楽しく過ごした夏を惜しむ気持ちでしょうか・・ ──海野二美 海が消えた代わりに見えるのは、突き抜けるような青い夏空。 ──見原万智子 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな 盆休暇が終わり帰京する日、ふと庭に目をやると、芙蓉の花が「元気でね。また来てね」と語りかける様に静かに咲き始めている美しい景。去ぬと来向ふの技法が効いている。 ──金森三夢 あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 白黒の艶を生かした絵のごとく美しい句。夜雨の葛にかさね、あなた(彼方)をみつめるうち、幸せを与えてくれた大切な人の面影も浮かんでくる。ア音の連なるリフレインから、「貴方」への切ない思いが汲み取れます。 ──田村千春 望郷に純愛が秘めてあるのかも。透明感のあるさびしさ。 *「かな」の句の多さが気になりました。 ──萩倉誠 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 柿の近景。落暉の遠景。橙色が重なって柿をもいでいながら落暉までつかんだみたい。 ──前島裕子 新藁や永劫太き納屋の梁 納屋とは言え、太い簗から旧家の様子がうかがえます。 ──樋口千鶴子 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 K音の響きが大好き。かすかに冬の予感や寂しさを感じさせる。――芹沢雄太郎 気に入りの木椅子なのか。みじろいだ時のきしむ音にいとおしさを、感じているような。秋日和がきいている。 ──前島裕子 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 物と影が一体なのは当たり前なのだがその当たり前の目を離れ、まるで幽体離脱していたものがさっと元に収まるような不思議な感覚に襲われる。ポーを引き合いに出すまでもなく、寒鴉という言葉の持つ不穏な気配、内なる獰猛さが詩情をかき立てる。 ──天野智美 作者の影と鴉が一体となってしまったようでこわくなるが忘れられない句。26歳で亡くなったと知るとますます忘れられない。 ──前島裕子 死神?早世を暗示する不気味な句。 ──萩倉誠