
恩田侑布子が下記俳句総合誌に寄稿しております。 『俳壇年鑑2020年版』巻頭言「星を見る人」 『俳句』4月号 「偏愛俳人館 阿波野青畝」 『俳句界』4月号 21句「何の色」 ご高覧いただければ幸甚です。
恩田侑布子が連載しております角川『俳句』の「偏愛俳人館」にうれしいお便りをいただきました。 偏愛俳人館「竹久夢二」何度も読ませて頂きました。文章には詩のように凝縮され正鵠を射た言葉が散りばめられており正に感嘆と感動でした。 そして、俳句の鑑賞では、自分には思いもよらない着想、分析の深さ、優しさ、説得力にぐんぐん引き込まれました。俳句は鑑賞によって輝くということが、面白いように解り、楽しくなりました。有り難うございました。 堤 保徳 堤 保徳様 拙文への身に余るご感想をありがとうございます。 すぐれた実作者でいらっしゃる堤さまにこころのおもむくままの自由な鑑賞を認めていただきうれしくありがたく存じます。 これからも偏愛、求愛の旅にはげみます。ご同行をよろしくお願いいたします。 恩田侑布子
恩田侑布子の連載『俳句』3月号「偏愛俳人館」の第二回竹久夢二に心のこもったお便りをいただきました。 月刊『俳句』3月号の、「淡雪の肌合い――竹久夢二」、拝読致しました。 今回も、新たな啓示を頂き、ありがとうございました。竹久夢二が俳句とかくも深い関わりがあったこと、驚きました。 特に最期の二句、 木枯や隣の室の鍵の音 魚になりて眠りさめには雪明り に胸を打たれます。恩田様の評論、 《輪廻転生をこれほど清らかに表象した例を知りません。その原初のたましいは男でも女でもなく水中の流体でした。だれも傷つけないやさしい一匹のいろくずだったのです》 一句から、人間存在の輪廻転生に及ぶここまでの深さと広がりのある鑑賞にしみじみと浸りました。私も魚になったようにしばしまどろんでいたい思いになりました。本当に名鑑賞です。また、次号の偏愛俳人館も楽しみにしています。 濱田さだこ 濱田さだこさま それこそ深いご感想をありがとうございます。 夢二の絵は少女時代から大好きで、雪のなかで手袋を外すロマンチックなハンカチなど、色褪せるまで使い古しました。 私自身、夢二がこんなに素晴らしい俳句を作っていたことは平成6年、夢二句集が出るまで何も存じませんでした。 濱田さだこさまのように、俳句でも夢二の理解者が増えてくだされば、著者冥利に尽きます。 夢二のこころのプリミティブな優しさを共感し合えて幸せです。ありがとうございます。 恩田侑布子 濱田様からは、『俳句』2月号「偏愛俳人館」の第一回飯田蛇笏にもこんな嬉しいお便りをいただいております。 『俳句』二月号の、偏愛俳人館を拝読しました。 蛇笏の俳句の凄さを再認識するとともに、生の円環運動、という言葉に集約する恩田氏の感性の深淵な広がりに感銘を受けました。 月刊俳句において、近来に無い面白い連載です。次号もとても期待し楽しみにしています。 濱田さだこ 濵田様ありがとうございました。 今後とも「偏愛俳人館」をご愛読いただき、ご批評等賜りたくよろしくお願い申し上げます。 恩田侑布子
白い便箋ふちは螢にまかせやる 恩田侑布子 かれいどすこっぷ 見原万智子 樸俳句会への入会当初こそ、hitch hikeのように軽やかに駿府の細道を行こうなどと、今思えば大それたことをのほほんと考えていたが、知るほどに作るほどに、心の枯れ井戸をスコップで掘れども掘れども「筆遅俳苦」な毎日。そこへ師の作品の鑑賞とは、無謀にもほどがある。しかしながら、昨年夏に発表され、冬を越そうという今になっても頭を離れない句について、書いてみた。 白い便箋ふちは螢にまかせやる 恩田侑布子 (『現代俳句』2019年6月号) 便箋を選ぶ際、紙質や罫線の幅と同じくらい重要なのがふちの装飾だろう。罫線が直線で囲まれていたら、あぁこの人は洋服もトラディショナルなデザインが好きだったわ。花があしらってあれば、彼女は相変わらずガーデニングに精を出しているに違いない。行間のそのまた外側で、意外と雄弁に差出人の人となりを語っているのが、ふち。 ところが掲句ではそのふちを螢にまかせやる、とある。螢に、まかせ、やる。 螢は比較的捕獲しやすい昆虫だ。何匹かそおっと素手で捕まえて虫かごに入れ、この世のものとも思われぬ淡い光を楽しんだ記憶がある。しかし次の日、虫かごの中の螢はもう、光るどころか全く動かなかった。 そのように儚い生き物である螢に、本来は本文を補う装飾、動くはずのない便箋のふちをまかせる、いや、まかせやる。やる、が気になる。パッと見は、えぇい、このどうしようもない恋心、どうせ結ばれない定め、という気だるい投げやりな気持ちのようでありながら… え、これが恋文とは限らないですって?恋文です。 このご時世、「初めてメールを差し上げます」と電子メールからビジネスをスタートさせても何ら失礼には当たらない。友人ならば、LINE、電子メール、あるいは電話で事足りる。 今や手紙は、相手が確実に開封するまで他の誰にも見られたくない場合に限り使用される通信手段といえよう。ましてや生き物の螢にふちをまかせてしまう手紙なんて、恋文以外にあり得ない。 もう一つ、どのような恋心が綴られているのかが、気になる。だがこの句を何度暗誦しても、開け放たれた障子、白い指先でつまみ上げた何も書かれていない便箋を透かして光る螢を眺める女、それしか思い浮かばない。 こんな妄想に抗うすべなく引き込んでゆく掲句は、超絶としか言いようがない。しかし文字は見えて来ない。 まかせやる。恋心の行方を螢にまかせやり、手紙が男の元へ届くことがあったとして、首尾よくいくつかの関門をくぐり抜け開封されたとして、果たして文字は必要であろうか。 この便箋は和紙でなければならぬ。光が透けるほど薄いのは土佐の和紙。きちんと折りたたんである。が、差出人は達筆で知られるのに、どうやら何も書かれていないのはどうしたことだ。訝しく思いながら折り目を開いた途端に、昆虫としての螢ではなく、薄黄色い螢の光だけが、便箋のふちにぽおっと浮かんでは剥がれ、後から後からゆらゆらと夏の夜のしじまを漂う。 これほど攻撃的なまでに情熱的な恋文を、私は他に知らない。 男は、早く朝になってこの光が消えるとよいのに、と思うだろうか。 それとも淡い光を捕まえようとするだろうか。一つ残らず。 待ってください。あの恩田侑布子さんが、君が考えるような狂恋の句を詠むでしょうか? あなた、さっきから何ですか。あらやだ。よく見れば私の妄想の中の男。どうしてここに。 僕は恋の相手ではありませんよ。そんなことより僕が君に言いたいのは、恩田さんの句には品があるということです。あれでは蛍が多過ぎる。螢の数はそう、一、二匹。 やはり、あなただわ。 男はそれ以上、否定も肯定もしなかった。 2020年2月 みはらまちこ(樸会員)
藤田まゆみさん追悼特集 二〇二〇年 旧七草の日に 樸の原初会員、藤田まゆみさんは二〇一九年二月一六日、満六十五歳十ヶ月で胆管がんのため逝去されました。一周忌にあたりささやかながら遺句集を編み、樸有志一同心から追悼の句文を捧げます。 最後の入院の十日前まで気丈にも句会に出られて座をはずませてくださり、ふつつかな指導者の恩田侑布子を温かく激励してくださったまゆみさん、本当にありがとうございます。あなたに会えたこと、過ごせた十五年間に心から感謝いたします。これからも胸の中のあなたと会話しながら、あなたが俳句を終生愛したように、わたしたちも俳句とともに生きていきます。天国から見守っていてください。 樸代表 恩田侑布子 藤田まゆみ遺句集『ひつじ雲』四十五句 二〇〇四年四月入会 恩田侑布子選 藤田まゆみさんは「具はお花々昆布梅干し木瓜の花」の愉快な句であざやかに登場されました。黒いカシミヤのセーターが似合う、うりざね顔に中高、大きな瞳の典型的美人でした。前の席に座って話にうなずいてくれる笑顔がいまも美しく甦ります。聞けば藤田米店の奥さんで掛川から通って来てくれるということ。翌年には「ああこれが坂東太郎風光る」をはじめ、伸びやかな俳句で「樸」になくてはならないひとになりました。でも、楽しかった日々は束の間。最愛の伴侶が五〇代で末期がんの宣告をうけます。看病から看取りへ。ふるさと静岡に一人住まいになってからの夫恋の句も胸をうちます。そして今度は気づかぬうちに自身が病魔に侵されていました。末期がんであることをこっそり私にだけ教えてくれた時も、こちらが絶句するほど平静でした。句会では、抗がん剤治療中など露ほども仲間に気取られることなく、お茶目ですっとんきょうな応答で爆笑を振りまいてくれました。 こうして代表句をまとめてみると、生来の天衣無縫さと感覚の良さが相まって、生き生きしたインパクトのある俳句ばかりです。そこに彼女がいるようです。 ひとりでも多くの方にまゆみさんの俳句をお読みいただければ幸いです。 恩田侑布子 『ひつじ雲』 藤田まゆみ 具はお花々昆布梅干し木瓜の花 (二〇〇四年) ああこれが坂東太郎風光る (二〇〇五年) 夜濯やをとこのことば消えもせず 緑陰や見上げしあごのそりのあと いさかひは生命ある事曼珠沙華 病院の隅に陣取り秋行くや 両足をひとにからめて秋暮るる 青色発光ダイオード聖夜来る (二〇〇六年) 寒茜カーラジオのみしやべりけり 諸共と思ふ時あり日の盛り 病院の長き廊下や遠花火 廃業の届けを出して炬燵かな (二〇〇七年) 旧家とは墓守る事椿落つ 逝くひとや病棟の果て凌宵花 雲の峰登山者のごと君や逝く 泡立草由緒正しき無人寺 冬山家裏も表も風の音 (二〇〇八年) 元日の住所寝床と決めにけり 春暮れるおぬしと呼びし夫の亡き 玉の汗拭ひて吾の眼前に 満月や風水火力原子力 (二〇一〇年) 立冬の広き背中に会ひにゆく 夏草や又会ふといふ刻はなし 御守は開けてはならず蝉時雨 (二〇一一年) 昼の虫ジャムバタサンドほヽばりて 祖先より甲高番広春野行く 寒月や夫の背中に追ひつけず (二〇一二年) 深々とヒール吸はるる春の雨 春泥の開かずのお蔵開けず来ぬ クレーン車ランプの赤き無月かな 梅花講鈴振る腕の薄暑かな (二〇一三年) 迎火やあの世に多き家族かな 蜜柑食ふ目の前の席永遠にから 空青く末吉結ぶ初詣 (二〇一四年) 手にぎりしむ湿り気ひたと児のすみれ 夏河原父のズボンの小石落ち 梅雨曇バスケシューズの軋む音 (二〇一五年) ちやんちやんこあだ名で呼ばるしあはせや 二階家の軋む廊下や君子蘭 御便所に起きる子供に夜長かな しあはせか問ふてみたしや月の秋 通されし仏間の脇のからすうり 落葉踏む堤の端にひとりかな (二〇一七年) ひつじ雲治療はこれで終わります。(二〇一八年) (この句の恩田の鑑賞文は こちら) もう少し太れといはれ焼き芋よ 追悼小文 「ふだらく渡海」 恩田侑布子 数回お見舞いさせてもらった年末の病院で、貴女はもう水だけしか口にできなくなっていました。なのにいつものようにわたしを笑わせようと、 「ねえ、見てえ、わたし妊婦さんになっちゃったわ。ほら」 止めるまもなく、仰臥したまま布団とねまきをめくって、腹水でぱんぱんになったお腹へわたしの手をみちびきました。透き通る青白い肌に、出べそになるほど膨れ上がったお腹が現れました。へんな喩えですが、それは梅のつるつるした琅玕のすわえのように清らかでふたり笑ったのです。「遅れてきた妊婦さん」って。まゆみさんは子どもが欲しくて九州や関東まで一〇年も不妊治療に通った話をしてくれました。産み月のようなお腹にかわいい赤ちゃんがいて「お母さん、お待たせー」って出てきてくれればいいのに、わたしたちは本当にその時思ったのです。 年が明けて病室にゆくと、もう冗談をいう体力は残っていませんでした。石原あゆみさんが手作りしてくださったエメラルドグリーンの『藤田まゆみ句集』が枕もとにありました。「夜は長いわ」と、大きなきれいな瞳でいいました。 「いま、なにかんがえてる」 と訊くと、 「なんにもかんがえないわねえ」 しずかな答え。 「夫の十一周忌もすませたし」 ご主人のがんの闘病の一部始終を見てきたまゆみさんは覚悟が出来ていたのでしょう。何が起こってもうろたえませんでした。腕を枕にしようともたげた二の腕が、鶴の趾のように痩せ細っていても隠しませんでした。二人で淡々となごやかなひとときを過ごしたのです。そのむかし、補陀落浄土への往生を願った上人が食絶ちをして、紀州の南端から蒼海へひとり舟で旅立ったことがありました。 こまかい春雨の降るお通夜でした。最後までがんばったのね。おもわず棺の彼女に声をかけていました。家族のないたったひとりの彼女は白い病床から鶴のように虚空へ翔びたったのでした。 床上の渡海上人梅真白 侑布子 紅椿なきがらかくも冷えゐたる 〃 樸 連衆追悼句集 十五年朧となりぬ棺の紅 佐藤宣雄 料峭に細き眉上げ消えにしか 西垣 譲 白梅や夫のむすびの具はおかか 伊藤重之 春の雷淡き句を詠む友は逝き 林 彰 待ち合わせ場所にベレーや春時雨 森田 薫 いつまでも褪せぬ向日葵胸に挿し 芹沢雄太郎 日傘ゆく常世の果ての待ちあはせ 山田とも恵 陽の君たまゆら愁眉冬の夕 久保田利昭 「赤毛のアン」の舞台プリンスエドワード島行きを夢みていた人に アンのこともつと聞きたし冬の星 天野智美 読み止しの句集に挟む冬菫 村松なつを 隣る世へひらりベージュの冬帽子 山本正幸 中学生のデートみたいに公園で待ち合わせ。彼女は私を引っ張ってベンチに座り目を瞑る、私も慌てて同じように。隣りの彼女がいるだけでなぜか違った空気を吸っているようだった。その日は大道芸を観に来ていたのだ。運よく目の前で大道芸が始まり、彼女の笑顔はとびきりだった。徐々に混みだし彼女は少し前に進んだみたいだ、見失ってはいけないと彼女を追って私も。私は芸人よりも彼女ばかり見ていた、不思議な魅力。子供のように可愛くて心配で目が離せない。すれ違うピエロに笑顔で両手を振り、あまりにピュアな彼女に恋でもしそうだった。 冬夕焼道化師の背睡り落つ 石原あゆみ 冴ゆる夜カラリンロンと響ききて 猪狩みき 白息の集ひて行くはひつじ雲 見原万智子 焼き芋を羊も喰むや雲の夢 島田 淳 亡き人は何してをらむ年暮るる 佐藤宣雄 「ああこれが坂東太郎風光る 藤田まゆみ」 まゆみさんが御主人とドライブに出掛けて利根川のほとりで詠まれた句と記憶しています。なぜか、お幸せなお二人が浮びました。お二人で楽しく笑ってくださいネ。 原木裕子 鑑賞 「藤田まゆみさんの辞世」 島田 淳 ひつじ雲治療はこれで終わります。 まゆみ 半年ほど前、友人の外科医にこの句と恩田先生の鑑賞文を読んでもらった。 彼は、がんの患者さんを治療することがよくある。 句と鑑賞文をじっくりと読み、自分に何か言い聞かせるように頷き、彼はゆっくりと口を開いた。 「僕は俳句は全くわからないけれども、この句の言わんとすることはとてもよくわかる。」 「患者さんの残りの人生を苦しい治療で終えてしまっていいのかと考えると、医者が『どこかのタイミングでこう言った方がいいのだろうか』と迷う場面は間違いなくある。」 「ただ、それを患者さんが受け容れられるかどうか、絶望することなく残りの人生と向き合っていけるかどうかは、時間をかけて信頼関係を築いていくしかないと思う。」 そして、まるで患者と医師が晴れた丘の上でひつじ雲を見ながら会話しているようだと彼が感想を述べた。 少し考えて、私は次のように応じた。 「これだけ簡潔な表現で、静かにそのことを受け容れられたというのは、患者さん自身に自分の『いま』を見つめる力が備わっているからかも知れない。うまく言えないが、『諦める』ことと『受け容れる』ことはたぶん違う。その違いをうまく説明することは今はできないが、恩田さんが鑑賞文で述べていることは、そういう事のように思える。」 我々は、そこまで話すと再び黙って酒を飲んだ。 落葉踏む堤の端にひとりかな まゆみさんが頭書の句の十ヶ月ほど前に詠んだ句である。「落葉」は、自分及び人生で関わりのあった人々の記憶の総体なのだろうか。それらをゆっくりと踏みしめて人生を歩み、今ひとりで突堤の先に立っている。過去も、未来も、総てのものを見渡す事ができる場所。さびしさと同時に、ひとりそこに立つ決然たる気持ちも汲み取れる。今となっては想像するしかないが、この時すでに病魔と向き合っていたのかも知れない。そう思うと、その心根の勁さに静かに感服するほかはない。 もう少し太れといはれ焼き芋よ 「ひつじ雲」の句の約一ヵ月後にまゆみさんが詠んだ句である。抵抗力をつけるために栄養を摂って少し太りましょう、とでも言われたのだろうか。「太るイコール焼き芋」という昭和のティーンエイジャーのような連想をしてしまい、しかもそんな自分を笑ってしまっているような下五である。この句を詠んだちょうど三か月後の同じ日に、まゆみさんは旅立たれた。 私は、この文章を書いていてようやくこの句の持つ意味に気づいた。闘病する人は必ずしも「可哀相な人」なのではない。病床にあるときにも、笑いやおかしみは存在する。まゆみさんの句を読んで、私はそう思った。ただ、そのように『生』を全うするためには必要となる『力』がある。人生の後半というものは、そのような『力』を身につけ養っていく時間なのかも知れない。私はまゆみさんの句から、そうした事を教えられたような気がする。 追悼詩と俳句 「今 この別れ」 松井誠司 棺に眠る 紅の女 戸外の雨に 今はもう 応える言葉 口を出ず 片手に日々の 常識を もう片方に 不思議さを ひとつの体に 持ち合わせ 時によりての 句を紡ぐ ある日は 真顔で言い放つ えっ この句が特選句 またある時は 他の人の 心に浸みる 言霊を 今この別れ 雨の夜 最後の最期に 輝ける あの辞世の句に 秘められた 思いの奥が 胸を打つ それぞれに残せし言葉冬の雨 誠司
令和2年1月19日 樸句会報【第84号】 大寒前日の句会。穏やかに晴れた静岡です。本日は高校生が一人、清新な風を連れて参加されました。 兼題は「手袋」と「蜜柑」です。 入選5句を紹介します。 ○入選 蜜柑むきつつ相関図語りをり 田村千春 この「蜜柑」はめずらしく淫靡な感じがします。誰とだれとが本当は男女関係にあるんだとか、あの人とあの会社の利害がこれこれ絡まっているんだとか。スキャンダラスな内容が「相関図」にこめられています。三字熟語は週刊誌的なエゲツナサをなまなましく臭わせます。皮から剥かれたばかりのやわらかなオレンジ色の実が俗世のどろどろした滑稽感を出している面白い句です。 (恩田侑布子) 合評では 「日だまりでオバさんたちがしゃべっている。きっと大勢で、近所の下世話な話を」 「XとYの相関についての問題を解いている学生かと思いました。蜜柑を剥きながら少し力を抜いて…」 「辞書を引くと“相関図”は一義的には、縦軸と横軸のグラフのようです」 「学問のことだったら“語りをり”ではなく“論じをり”でしょう」 など見方は様々でした。 ○入選 ひどろしと目細む海や蜜柑山 天野智美 「ひどろしい(※眩しい)」という静岡の方言を一句の中に見事に活かした俳句です。作者は蜜柑山に立っています。まぶしいほどねと眼を細め眺めているのは、真冬でもおだやかに凪ぎ渡った駿河湾のパステルブルーでしょう。暖国静岡の冬のあたたかさ、風土の恵みのすがたが活写された地貌俳句といっていいでしょう。蜜柑山もきらきらたわわに海の青と映発しています。 (恩田侑布子) 選句したのは恩田のみでした。 合評では 「俳句における方言の是非ですね。いいのかな?」 「“ひどろしい”という言葉は最近知りました」 「私は子どもの頃からまぶしいことを“ひどろしい”と言ってましたのでよく分かる句です」 など方言を使うことをめぐる発言が続きました。 (山本正幸) ○入選 蜜柑剥く訣れを口にせしことも 山本正幸 若き日、「もうこれっきり訣れよう」と喧嘩した男女が、いまは暖かな部屋で静かに蜜柑をむいてくつろいでいます。あのまま別々の道を歩き出していたら、いまごろどうなっていたことか。いや、「別れちゃえばよかった」と、ほんの少し思わせるところに大人の味があります。「口にせしことも」という句またがりのもったりしたリズムと、いいさしで終わるところ、なかなかの俳句巧者です。 (恩田侑布子) 恩田のみ採った句。 合評では 「よくありそうなこと。新鮮さを感じない」 と厳しい意見も。 (山本正幸) ○入選 過激派たりし友より届く蜜柑かな 山本正幸 ドラマのある俳句です。昔、ゲバ学生で有名だった学友が、いまは故郷の山で蜜柑農家になっています。上五の「過激派」から下五の「蜜柑」にいたるひねりが出色です。温暖で陽光あふれる地を象徴する果実である蜜柑と、風土に根付いた友の変わり方をよかったなと思いつつ、内心の苦衷を友だからこそ思いやる作者がいます。 (恩田侑布子) この句も恩田のみ選句。 合評では 「“蜜柑”である必然性は? 林檎じゃダメですか?」 「蜜柑には安っぽさがあって、そこがいいと思う」 「ひょっとして“みかん” は“未完成”ということを言いたいのでしょうか…?」 などの感想が飛び交いました。 (山本正幸) ○入選 冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ 芹沢雄太郎 二十世紀現代美術の問題作であったオブジェ「泉」は男性小便器でした。この句の弱さは現実の光景としてはありえないことです。一言でいって頭の作です。ただし、作者は確信犯なのでしょう。美点は、現代アートのメルクマールに百年後のいま、果敢に挑戦したところ。レディメードのオブジェの冷たさが幻想の冬の蟻によって際立ちます。冬眠しているはずの蟻が、小便の代りに便器を次々に黒い雫のしたたりとなってこぼれ落ち続ける。これは今世紀の新たな悪夢です。分断され孤独になった分衆の時代の象徴でしょうか。 (恩田侑布子) 合評では議論百出。 「黒い蟻がうじゃうじゃ湧いてくる。それを便器が耐えている。白黒の画面が目に浮かぶ」 「これは本当に冬のイメージでしょうか。また、蟻の生態との関係はどうなんでしょう?」 「幻の蟻かもしれない」 「センスはとてもいい句だと思います」 「“泉”は夏の季語ですけれど、ここは“デュシャンの泉”イコール“便器”だから問題ないのですね」 「デュシャンの作品は室内に展示されているはず。そこに蟻がいるのかな?」 (山本正幸) 投句の合評・講評のあと、恩田が俳句総合誌(『俳句』『俳壇』『俳句α』)に発表した近作を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です 凧糸を引く張りつめし空を引く 『俳壇』1月号 身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな 『俳句』1月号 神楽太鼓撥一拍は天のもの 『俳句α』冬号 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら 『俳壇』1月号 ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ 『俳句』1月号 「凧糸」の句が一番多く連衆の点を集め、「新春の清新な空気と抜けるような青空が伝わってきます。“引く”が繰り返されることで、上空の風の強さも伝わってきます。“張りつめ”ているのも、凧糸だけではないのでしょう」との鑑賞が寄せられました。 [後記] 兼題「蜜柑」は産地で身近にある題材のため、句にし易かったようです。日々の暮らしや蜜柑にまつわる様々な思いが詠まれました。かたや「手袋」に恋心を忍ばせたいくつかの句には点が入らず苦戦しました。でも、高点句に名句なし。季語の持つ多面性を感じることのできた楽しい句会でした。 次回兼題は、「寒燈」と「春隣」です。 (山本正幸) 今回は、○入選5句、△4句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、1月8日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。