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1月19日 句会報告  

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平成30年1月19日 樸句会報【第41号】 新年2回目の句会です。入選4句、△1句、シルシ3句、・3句という結果でした。 兼題は「新年の季語を使って」です。 なお、1月7日分は特選、入選いずれもなかったため句会報はお休みさせていただきました。 今回の入選句を紹介します。(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)       〇初詣卯杖確たる師の歩み              杉山雅子 合評では、 「難しい言葉を使った、格調のある句」 「共感します。元気な師匠と一緒に初詣に来た。おめでたい情景」 「先生の人となりまで想像される。頑固な怖い先生だったのかな?でもそういう先生こそ慕われる」 「書道や技藝の先生でしょうか?」 「俳優の笠智衆を思いました」 などの共感の声がありました。 恩田侑布子は、 「うづゑは、卯の杖、初卯杖ともいう新年の季語。元は、正月初卯の日に地面をたたいて悪鬼をはらう呪術的なもので、大舎人寮から天皇へ献上した杖というが、今は初卯に魔除として用いる杖で、柊・棗・梅・桃などで作る。大阪の住吉大社、伊勢神宮、賀茂神社、太宰府天満宮の祭儀が有名です。静岡ではあまり馴染みがない難しい季語を使って、格調のある新年詠になった。正月の挨拶句として素晴らしい。こんな一句を弟子からもらえたら、先生はさぞかし嬉しいでしょう。確たるというところ、地面を叩く呪術的な祈りがリアルに感じられる。畳み掛けた季語も讃仰の気持ちと取ればいいのでは」 と講評しました。             〇初茜山呼応して立ち上がる              杉山雅子 この句は恩田侑布子のみ採りました。 恩田侑布子は、 「作者は元朝の幽暗に身を置いているのでしょう。初日の出を今かいまかと待っている。東の空がうす茜に染まり始めたと思うと、背後の山々がまるで呼び合うようにして、闇の中から初茜に立体感をもって浮き上がってくる。元朝の厳かな時間が捉えられている。二句とも杉山雅子さんの俳句で気迫がある。昭和四年生まれでいらっしゃるのに素晴らしい気力の充実です。今年も益々お健やかにいい俳句が生まれますね」 と評しました。 作者のお住まいは山に囲まれていて、そこから竜爪山(りゅうそうざん)(静岡市葵区にある標高1000m程の山)に登る人や下ってくる人をよく見かけるそうです。               〇光ごと口に含みし初手水             石原あゆみ 本日の最高点句でした。 合評では、 「上五から中七への措辞がうまい」 「情景がよく分かる。初日が射してきた。輝く水を口に含んだ。すらりと詠んで嫌味がない」 「新年のおめでたい感じがよく出ている」 「光ごと杓子で汲んだところを捉え、快感さえ感じます」 「素直にできているが、類句がないだろうか」 「うまいがゆえに既視感がある」 との感想が聞かれました。 恩田侑布子は、 「元旦に神社へ初詣したのだろう。御手洗で手をゆすいだあと、口に含む清らかな水が、ひかりと一体に感じられた。その一瞬を捉えて淑気あふれる句。過不足なく上手い。あまり巧みなので、類句類想がないかちょっと心配。なければいいですね」 と講評しました。 〇婿殿と赤子をあてに年酒酌む              萩倉 誠 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。 合評では、 「あまりにも幸せな光景。うらやましさが先に立ってしまって・・・(採れませんでした)」 「おめでたすぎるのでは?“孫俳句”の亜流のような気がする」 などの感想がありました。 恩田侑布子は、 「“あてに”が巧み。酒の肴、 つま(・・)にという意味。まことにめでたい光景。この世の春。“婿殿”の措辞にすこし照れがにじみかわいい。似た素材の句に、皆川盤水に〈年酒酌む赤子のつむり撫でながら〉がある。でも、こちらは婿殿と三者の関係なので違いますね。ちょっとごたついているので、“酌む”の動詞は省略したらどうでしょう。 →“婿殿と赤子をあてに年酒かな”でいいじゃないですか」 と評しました。 [後記] 本日配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。 「新年詠は、ふだんなかなか出来ない大らかな命や大地の讃歌を」 大方の連衆が納得する中で、「新年をおめでたく感じない人もいる。自分も強制されたくない」と異議が呈されました。このような“異論”が遠慮なく提出され、議論に発展していくのも樸句会の良いところではないでしょうか。 恩田は「『“新年詠”のない句集は物足りない』とある書店の社長さんがおっしゃっていました。人生は、悲しいこと、苦しいことのあることが常態ですが、“新年詠”が一句あると句集が豊かになり、拡がりを持ちます」と述べました。  次回兼題は、「息白し」「スケート」「新年雑詠」です。 ※ 今回の句会報から通し番号を記すことといたします。(山本正幸)

1月6日 句会報告

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謹賀新年。静岡は上天気の正月となりました。句会の行われる「アイセル」からほど近い静岡浅間神社には三が日で50万人の人出があったようです。 今回の兼題は「師走」と「暖房」です。 高点句や話題句などを紹介していきましょう。 恩田侑布子特選句はありませんでした。     宅配の路地をすり抜け十二月            久保田利昭 恩田侑布子入選句 「なにげない風景だが、届ける先の人がどんな人か想像させる。路地という言葉から、そんなに裕福ではない暮らしなのだろう。高齢者かもしれないが、たくましく生きている」 「“すり抜け”のスピード感がいい」 「季語の本意、本情を買った」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「季感が横溢している。働く人の実感が中七にこもり、届けられて喜ぶ人の顔が見える。“すり抜けて”でなく“すり抜け”でスピード感が出た。“路地を”の‟を”が効いていて弛みがない」と講評しました。     嘘ばれるように暖房消えにけり             佐藤宣雄 「エアコンのことだと思った。消すと室外機が変な音を立てて止まるような」 「石油ストーブと思う。比喩が面白い。暖房が消えた寒さと心の寒さが重なる」 「ストーブが消えたことにふと気づく。ウソがばれた冷たさ」 と感想、意見が出ました。 恩田は、 「レトロなストーブを連想した。可愛い嘘、悪質ではなく愛らしい嘘なのだろう」と講評しました。     呆けたる身を素通りす師走かな             佐藤宣雄   恩田侑布子原石賞 「最近このようなことを身をもって感じる。歳月を経てきた気持ちを代弁している」 「師走で忙しい他人の雑事とは関係なくボケている。自虐的な句で皮肉と滑稽さがある」 「自身の加齢を客観的にみている」 など感想、意見。 恩田は、 「‟呆ける”をほうけると訓ませるのはどうか。‟惚ける”か‟耄ける”であろう。また、句形に誤りがある。‟かな”で終わるときは、上五~中七で圧力を高めていって、一挙に‟かな”でひびかせる。「また、この句は‟素通りす”と、終止形で切れてしまっている」と述べ、次のように添削しました。  ぼけし身を素通りしゆく師走かな   「立句になり、自己客観化による自嘲の句になりませんか」と解説しました。     米を研ぐ指の透き間に十二月             松井誠司 恩田侑布子原石賞 「指の透き間から時間が通り過ぎていってしまう。中七がいい」 「十二月にこのような中七を持ってきた。白魚のような女性の指を思う」 「きれいな指と水の冷たさを想像できるきれいな句」 と感想、意見。 恩田は、 「行間に寂しさが感じられる。365日、誰にも評価されずに指の透き間を流れていった日々。こうやって研いできて、今、十二月にたどり着いた感慨がある」と講評しました。     [後記] 今年の初句会。年賀の挨拶もそこそこに、皆それぞれ早速選句に没頭します。沈黙に支配され、張り詰めたこの時間が筆者は好きです。今回も句の合評からさまざまな話題に飛びました。言葉の持つ喚起力を感じます。 次回の兼題は「当季雑詠(冬、新年)」です。(山本正幸)

恩田侑布子詞花集 新年

fujiukase 20150913

恩田侑布子代表の作品を、季節にあわせて鑑賞していく「恩田侑布子詞花集」。 今回は共に句座を囲む山本正幸による、新年の句の鑑賞文をお届けいたします。 後半にはこの句との出会った講演会でのお話も。 句と出会い、それを咀嚼し、消化し、また新たな言葉に紡ぐ楽しさ。 これもまた俳句の楽しみ方ですね!       新年の詞花集   富士浮かせ草木虫魚初茜              恩田侑布子   富士浮かせ草木虫魚初茜 ...