
令和2年2月19日 樸句会報【第86号】
如月2回目の句会です。句会場に近い駿府城公園の日差しはすでに春のもの。
兼題は「猫の子」と「椿」です。
入選2句、原石賞1句、△の中から1句を紹介します。 ○入選
泥残る洪水跡のいぬふぐり
松井誠司 茶色のおびただしい泥がまだあちこちに残っています。洪水で決壊した土手の泥。河川が上流から運んできた泥。その無残な堆積に近づくと、おや、もういちめんに犬ふぐりが咲いています。青空のしずくたちが天を見上げているのです。地面から生え出るいのちの鮮烈さが胸を打つ簡明な力のある句です。
(恩田侑布子)
合評では、
「“いぬふぐり”が災害から立ち直ろうという気持ちによく合っています」
「シンプルだけど心に残る句。昨秋洪水があったところに、春になって鮮やかなブルーの犬ふぐりが咲いている」
「“いぬふぐり”にも泥が残っていると、わたしは読んでしまいました」
「“泥残る”と“洪水跡”がくどいような気が…」
などの感想、意見がありました。
○入選
女湯に桶音しきり椿の夜
村松なつを 「椿の夜」がなんとも匂いやか。壁を隔てた女湯から桶をつかう音が聞こえてきます。男はすでに湯から上がって所在なくくつろいでいます。桶の音だけが聞こえてくる山の湯の静けさ。もうもうと立ち込めているに違いない湯けむりのなかの女体。外には真紅の椿が垂れ込め、春の闇を一層深くしています。エロティシズムの匂う句です。
(恩田侑布子)
合評では、
「聴覚に訴える妖しい感じがいい。女湯の湯煙と“椿の夜”がリンクしている」
「あやしげな“隠れ宿”の感じ。女湯を出るとそこには男が待っていて」
「私の行っているトレーニングジムは温泉付きです。女にはそれぞれルーチンがあって、すごく賑やか。その様子を思い浮かべました」
「“しきり”でなければ特選になったかも」と恩田。
「しきりに耳を聳てているのでは?」
など連衆の妄想?も広がりました。
五感から詠んだ句はアタマではなく直に体に訴える力があります。
(山本正幸)
【原】ぽつくりの行き惑へるや落椿
田村千春
原句は「ぽつくり」の足元にだけ焦点をあてたところが素晴らしいです。ただ、「行き惑へるや」の切れ字は、いささか勇ましすぎるでしょう。幼女ではなく高下駄の年増女を連想してしまいます。「や」を、動作が反復される状態を表す「ては」に置き換えましょう。さらに中七まですべてひらがなにしてやわらかみを表しましょう。
【改】ぽつくりのゆきまどひては落椿 いかがでしょう。かわいい赤いぽっくりの童女が、地に散り敷いた椿の花の迷宮に戸惑い、着物のたもとまで揺れているようすが浮かびませんか。
(恩田侑布子)
合評では
「女の子のぽっくりですね。散歩の途中、椿の花が落ちていてそれを踏みそうになっている姿が浮かんできます」
「赤い鼻緒のぽっくりでしょう。落椿が沢山あって足の踏み場に困っている。椿の赤と鼻緒の赤の対比がいいです」
「 “ぽつくり”だけで女の子が表現されている。散文的な説明はいりませんね」
などの感想や意見がありました。
△ 名をもらひあくびをかへす仔猫かな
林 彰 本日の高点句のひとつ。
「俳味がありますね。名前を付けてもらったら欠伸を返したなんてたいした子猫です」
「子猫の愛らしさが出ている」
「人間の眼から猫を描写する句が多い中で、この句は猫の視点から詠んでいます」
「子は何でも可愛い。しぐさがいっそう可愛い。いい句です」
などの共感の声がありました
恩田は、「発想が素晴らしい。詩的発見のある句です。これは名古屋からの欠席投句で投句用紙は「あくびを」ですが、あとから見ると控え用紙には“あくびでかへす”と記されています。作者の表記ミスですね。
名をもらひあくびでかへす仔猫かな
なら口語の飾り気のなさが春日ののんびりしたくつろぎそのもの。猫の目線になった文人の余裕まで感じられ、特選◎でした。惜しい!わたしは「名を」「あくびを」という「を」重なりの瑕(きず)のために△にしたのです。一字の助詞の違いは句を決します」と評しました。
この句は筆者が「を」の緩みに気づかず、特選で頂いた句です。心のなごむ一瞬の情景が切り取られていると思いました。
(山本正幸)
合評の前に本日の兼題の例句が恩田により板書されました。
椿童子椿童女ら隠れんぼ 阿波野青畝
椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 蕪村
口ぢうを金粉にして落椿 長谷川 櫂
わが影をいくつはみ出し落椿 恩田侑布子
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 飯田龍太
西もひがしもわからぬ猫の子なりけり 久保田万太郎
投句の合評・講評のあと、恩田が『俳句』2月号から連載を始めた「偏愛俳人館」の「第一回飯田蛇笏」に抄出された蛇笏の句を読みました。句会の時間が押したため、鑑賞を述べ合うことはできませんでした。 連衆の共感を集めたのは次の句です
雪山を匐ひまはりゐる谺かな
『霊芝』 年暮るる野に忘られしもの満てり
『家郷の霧』 春めきてものの果てなる空の色
『家郷の霧』 炎天を槍のごとくに涼気すぐ
『家郷の霧』
[後記]
本日の句会で恩田が力説したのは季語へのリスペクトです。有季定型で詠む以上、句における季語は「添えもの」であってはならない。詠むときの感動の初発から離れてしまうとどうしても季語に「付け足し感」が出てしまう。推敲を重ねることの大切さを改めて学んだ句会でした。 次回兼題は、「春の水(水温む)」と「石鹼玉」です。
(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△7句、ゝシルシ12句、・3句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年10月30日 樸句会報【第79号】
10月2回目の句会です。晴天の秋の午後、連衆が集いました。
兼題は「小鳥」と「釣瓶落し」。 入選句と原石賞4句を紹介します。
○入選
秋麗や手にしつくりと志戸呂焼
前島裕子
志戸呂焼は遠州七窯の一つ。静岡県で最も歴史のふかい焼物である。この茶陶の魅力に取りつかれて私自身、二十代の数年間は毎日陶芸修行にいそしんだ。
遠州の「きれいさび」といわれるが、秋の野や、星の夜を思わせる釉景色と手取りのふわりとした温雅さを特徴とする。その志戸呂の持ち味が端的にやさしく表現された。
志戸呂の静かな鉄釉は秋の澄んだ午後にこそふさわしかろう。民芸のようなぼこぼこした厚手でもなければ、志野の艾土のような肉感でもない、「しつくりと」した手取りが、秋麗の青空と響く。
じつはこの句は草の戸「志戸呂・心齋窯」への贈答句。挨拶句なるものは、やや予定調和の気味があってこそ安らげる。よくはたらいている季語「秋麗」は最高の贈答である。(恩田侑布子)
【原】被災地の釣瓶落しや泥の床
松井誠司
【改】被災地は釣瓶落しや泥の床
なまなましい現場感がある。とてもテレビでみて作ったとは思えない。案の定、作者の実家が長野市穂保で、救援に駆けつけた実体験の作であった。原句のままでも、充分とまどいと悲しさが感じられる。ただ、「の」を「は」へ一字変えるだけで、いっそう天災の無情さと天地の運行の非情さ、対する人間の非力が際立ち、句柄が大きくなると思うが、いかが。(恩田侑布子) 合評では、「ここのところ水害が続いています。泥を落としても落としても家の掃除や片づけが終わらない。“釣瓶落し”に被災者の気持ちまで出ている」と共感の声がありました。
(山本正幸)
【原】かさね塗る柿渋釣瓶落しかな
前島裕子
【改】羽目に塗る柿渋釣瓶落しかな
柿渋と釣瓶落しの配合のセンスに瞠目した。惜しいのは「かさね塗る」の上五。どこでなにを塗っているかさっぱりわからない。そこで、田舎家の古い板羽目を塗っているところとしてみた。歳月に洗われ木目の立った板張りの壁に、茶と弁柄のあいの子のような柿渋が重なり、釣瓶落としの闇が迫り来る。色彩の交響に日本の秋の美が感じられよう。(恩田侑布子) 合評では、
「この季語を知ったとき“柿渋”をすぐ連想しました」
「今まさに塗っているところですね。重ねて塗る度に色が味わい深くなっていく。季語と即き過ぎかとも思ったが、イメージはピッタリだ」
「時間を忘れて塗っている。夕日の最後の色とよく合っている」
「“釣瓶落し”は今の子どもたちには分からない。“柿渋”も知らないかもしれません。なんか趣味的な感じのする句です」
など感想、意見が飛び交いました。(山本正幸)
【原】草食むは祈りのかたち秋落日
天野智美
【改】草食むは祈りのかたち秋没日(いりひ) 放牧の牛でもいいし、草食性の昆虫でもいい。草を黙々と一心に食べている姿を、「祈りのかたち」とみたところに詩の発見がある。あとで作者に聞いたら、アイルランドに暮らしていた頃、バスの中から見た羊の放牧風景とのこと。なるほど彼の地はいっそう日暮れが早かろう。
惜しいのは下五「秋落日」の字余りによるリズムのもたつきである。素直に「秋没日」として定型の調べに乗せれば、いっそう祈りも清らかになろう。羊のまるいシルエットも淡い影絵のように見えてくる。(恩田侑布子)
【原】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返る
村松なつを
【改】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返り
豆腐屋が金色のラッパを吹いて自転車でやって来たのは、記憶では三〇年も前のこと。いまはもっぱら箱バン形の軽トラックで、自動スピーカーになってしまった。
それはともかく、この句のよさは、釣瓶落しに豆腐屋の笛の音色がぴいーと半音裏返って聞える独特のもの哀しさにある。小品スケッチとして味のある俳句なので、ここは終止形にしないほうがいい。たった一字「うら返り」とするだけで、にわかに夕闇の余情がひろがり、澄んだ高いラッパの音が尾を引くのである。(恩田侑布子) 合評では、「近所に軽トラでテープを流しながら豆腐を売りに来る。笛の音が裏返るのだから、作者のところへはきっと自転車で来るのだろう。早く売り切って家に帰りたいという思いと“釣瓶落し”が響き合っています」との感想が聞かれました。(山本正幸)
注目の句集として、大石恒夫句集『石一つ 』(2019年9月 本阿弥書店刊) から恩田が抽出した十四句が紹介されました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。 老いと言う純情もあり冬の蝶 祝 大隅良典氏ノーベル医学賞受賞
細胞に死ぬプログラム秋うらら 春の夜の筆圧勁き女文字 自分史を書くなら冬木芽吹く頃 蕗の雨御意と頷くばかりなり (おおいし・つねお)
1928年静岡市生まれ。2009年 静岡駿府ライオンズクラブ俳句会入会。2013年 85歳にて外科医ほぼ引退。現代俳句協会通信添削講座入会。塩野谷仁氏に師事。「遊牧」会友。18年同人。2019年 現代俳句協会会員。
※ 静岡市葵区鷹匠 大石外科胃腸科医院 元外科医 静岡高校61期。
[後記]
句会を終わって外に出ればまさに“釣瓶落し”でした。駿府城公園の周りや中心市街には11月1日から始まる「大道芸ワールドカップin静岡」を告知するポスターがあちらこちらに。
今回の句会で胸に落ちたのは、豆腐屋の句をめぐる「立句」と「平句」についての恩田の解説です。俳句の全てがいわゆる「立句」を目指す必要はない。内容と容れものが合っているかが問題で、「平句」での表現が相応しい事柄もあることを学びました。同列に論じることはできませんが、作曲においても「調性」の選択が作品を決定づけるようです。
次回兼題は、「立冬」と「ラグビー」です。 (山本正幸)
今回は、入選1句、原石賞4句、△4句、✓6句、・3句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年 9月8日 樸句会報【第76号】 9月1回目。台風15号が静岡に上陸する気配を感じながらの句会となりました。
句会冒頭に、2020年版「戸田書店カレンダーノート」に樸の連衆の句が掲載されることが恩田より発表され、掲載一句一句に対する恩田からの熱い選評と、戸田書店先代社長夫人・戸田聰子さんの思い出が語られました。
兼題は、「月」と「爽やか」です。
特選句、入選句及び△1句を紹介します。 ◎特選
人類へ月の兎に近よるな
林 彰
生まれて初めて聞いた神話は、アマテラスでも海幸山幸でもなかった。
「お月さまにはうさぎがいて、おもちをついているんだよ」
幼いころはよく酒屋へお醤油を買いに行くお使いをさせられた。往きはカラの一升瓶が帰りはずっしり重い。赤ちゃんを胸に抱くようにして帰ったものだ。その時、幼ごころに長い道のりのおともはお月さまであった。夜道の心細さに「出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい、ぼーんのような月が」と歌えば、うさぎがはねた。もううさぎさん、後ろに行っちゃったかな。見上げるたびに、月から白い長い耳がこぼれそう。いつまでたってもついてくるのが不思議でならなかった。
二〇一九年の年頭に中国は月の裏側に人工衛星を着陸させた。九月にはインドの探査機が月の南極に着陸寸前。すでに五〇年前、アメリカ人が月を踏んだ。テレビ画面に写る月はまるで砂漠のように見えた。
中国神話では月には蟾蜍に化した嫦娥が住んでいる。神話は古代人の迷妄のしるしだとする考えもある。しかし、月の満ち欠けに再生を祈り不老不死を願った心性は、人間が死から免れない以上、現代人にもよくわかる。
掲句は月にではなく、「月の兎に近よるな」という。この差は大きい。
「わたしたちのなかに住む清らかなものを、知識と技術で滅ぼしてくれるな」
仰がれる時、月の兎はかがやかしい白をもってはね遊ぶ。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
月白やマジシャンは先づカード切る
田村千春
「月白」という美しい季語を、まだ俳句を始めてまもない作者は歳時記に発見し、たちどころに過去のある記憶がよみがえったという。手品を始める白い長い指が一束のカードを繚乱と歯切れよく切り始める。これから始まる魔法の空間の先触れのように。月はいま、銀の湖のように山窪の空を明るませている。まもなく中秋の名月が上がる。その前のときめくような、どこかものさびしいようなたまゆらの時間に、あやかしの十指が澄み切った時間の開幕を告げる面白さ。 (恩田侑布子)
○入選
袖まくり路上ピアノの爽やかに
田村千春
最近のテレビに、世界の各都市の駅のコンコースにピアノを置いて、自然発生的に繰り広げられる市民の演奏を紹介する番組がある。この句は「袖まくり」がいい。この初句で、ふだんから弾いている音楽家でも音大生でもないことがはっきり想像される。純粋に楽しみでピアノを弾くひとである。長袖になったばかりの秋服の袖をまくる。ちょっと久しぶり。「さあ」という心はやり。素朴な生活者の顔がそこに表れ、まさに爽やか。袖をまくる仕草はどこかカワイイ。 (恩田侑布子)
今回、特選と入選が奇しくも、名古屋市在住の精神科医と藤枝市在住の内科医という医師ふたりに占められた。俳句は文科系だけのものでないという良い証拠。もっとも文化系・理科系という旧概念から脱して、自由に往還し反響し合っていくところに日本と俳句の未来が開けるように思う。(恩田侑布子)
△ 爽やかやトレモロこぼす名無し指
村松なつを
合評では、プロではなく、アマチュアギター奏者が屋外で楽しく演奏している感じがする。薬指ではなく名無し指としたところにアマチュアの名もなき演奏家のイメージを重ねたのではないか。などという意見が挙がりました。
作者によると、「爽やか」という季語を「爽やかに」と使いたくなかったそうです。また、この句で演奏している楽器はギターではなくフルートであり、フルートではトレモロのことをトリルとも表現するとのこと。それを聞いた恩田は フルートのトリルさはやか名無し指 と添削し、映像がさらに鮮やかに浮かび上がりました。
(芹沢雄太郎)
今回、恩田より兼題「月」「爽やか」の例句の紹介がありました。その中で恩田は、俳句における「月」という季語の重要性と、「爽やか」という季語の作句の難しさを語りました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。 やはらかき身を月光の中に容れ 桂 信子
道なりに来なさい月の川なりに 恩田侑布子
過ちは過ちとして爽やかに 高浜虚子
爽やかに第一石をうちおろす 山口青邨
[後記]
今回は恩田と連衆の選がほとんど重なりませんでした。限られた選句の時間の中で、どれだけ相手の句を読み込めるのかが問われます。
「俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場であり、表現の喜びと共感の喜びがある」と恩田は言います。(※)
選句も作句と同等に修練を積んでいかねばと改めて思わされました。
次回の兼題は「音楽に関係した句」「秋刀魚」です。(芹沢雄太郎)
(※)恩田は5月10日開催の静岡高校教育講演会でも同様のことを述べています。 講演会のページへ
今回は、特選1句、入選2句、△2句、ゝシルシ5句、・11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)

令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。
兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。
特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。
◎特選
メーデーや白髪禿頭鬨の声
島田 淳
日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◎特選
さつき雨猿の掌光る屋久の森
林 彰
季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。
〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
△ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む
村松なつを
合評では
「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」
「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。
「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。
△ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり
芹沢雄太郎
恩田だけが採り、
「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。
ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す
松井誠司
本日の最高点句でした。
恩田は、
「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。
ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士
萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。
「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。
ゝ 病む人にこの囀りを届けたし
樋口千鶴子
「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。
恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩
彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人
やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城
手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子
手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼
手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子
生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子
歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子
樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。
そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ
久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。
[後記]
句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。
本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。
次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)
今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。
兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。
○入選
口紅で書き置くメモや花くぬぎ
村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子)
合評では
「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」
「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」
「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」
「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」
「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」
「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」
「歌謡曲的ではある」
など盛り上がりました。 (山本正幸)
○入選
暗闇に若冲の雉うごきたる
前島裕子
「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。
この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では
「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」
「季語が効いていないのでは?」
「暗闇でものが見えるんでしょうか」
「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」
「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」
と辛口気味の感想、意見が聞かれました。
(山本正幸)
故宮博物院にて
【原】春深し水より青き青磁かな
海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。
△ 君にキス立入禁止芝青む
見原万智子
三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。
△ 渇愛や草の海ゆく雉の頸
伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。
△ ぬうと出て櫟の花を食む草魚
芹沢雄太郎
ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢
樋口千鶴子
4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。
(以上講評は恩田侑布子)
今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。
多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ
[後記]
本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。
「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。
句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。
次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間
ゝシルシ ・シルシと無印の中間)

平成31年3月31日 樸句会報【第67号】 駿府城址公園の花が四分咲きの弥生尽。静岡にはめずらしい春疾風に「自転車を漕いで来るのたーいへん」といいながら集まったら、ちょっとドラマチックな句会になりました。 兼題は「花」と‟色名‟を入れた句でした。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。
◎特選 花の世へ公衆電話が鳴つてゐる 村松なつを
一読、凶々しい句です。「花の世へ」という大胆で巨視的な掴みにインパクトがあります。対比的に「公衆電話が鳴つてゐる」という小さな個人的な緊急事態の逼迫感は切実です。「悲鳴が上がつてゐる」と書かれるよりずっとナマナマしい存在感です。警察からの電話でしょうか。それとも消防署からの折返しなのか。いずれにしろ直面したくない非日常の事態が、血を噴くように、花の世と対置されています。事実だけを投げ出している口語調が効果的です。無表情の恐ろしさといっていいでしょう。わたしたちが安閑と過ごしているこの俗世間の日常の危うさ、脆さをけたたましくあぶり出しています。心ここに切なるものがあり、表現技法上も間然するところのない一句です。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
色抜きのジーンズ洗ふ花の昼
萩倉 誠
合評では、「‟色抜きのジーンズ‟と‟花の昼‟がとてもよく合っている」「色の組み合わせにさわやかさを感じる」「若さを感じる気持ちのいい句」などの感想がありました。
恩田侑布子は
「ブリーチアウトジーンズを、“色抜きのジーンズ”と言い換えただけで、見違えるような含蓄と含羞が生まれたことに驚かされます。いろはうたに始まって、色どり、色好み、色気、色欲などなど、“色”の一文字がひろげる連想はかぎりないものがあります。日本語に熏習されたそれこそいろつや(❜ ❜ ❜ ❜)でしょう。灰味がかったうすい水色のジーンズの向こうに、かがやかしい薄桃色の花の枝が見えて来ます」
と評しました。
○入選
花予報線量数値一画面
猪狩みき
恩田だけが採った句でした。
「桜の開花情報と地域別の放射線量の数値が、同じ画面に並んでいます。福島県のテレビは、今も天気予報の時に放射線量の数値を知らせるのでしょう。極めて現代的な日常風景を情緒のつけ入る隙なく、すべて漢字で表現しています。除染水も汚染袋も累々と遺跡を築きつつある重苦しく、行き詰まった状況のそばで生活をしていかなければならない現実の重みがあります」
と評しました。
【原】茶色の斑浮きて安堵も白木蓮
天野智美
恩田は
「無傷のはくれんの清らかさ、美しさを謳う俳句はたくさんありますが、茶色の斑に安堵するはくれんの句は初めて見ました。着眼に詩があります。ただ、このままではリズムが悪いですし、“も”がネバリます。せっかくの作者の独自な感受性を活かしてみましょう」
と評し、次のように添削しました。
【改】安堵せりはくれんに斑の浮き立ちて
今回の兼題の例句として、恩田が以下の句を紹介しました。
<花>
火を仕舞ひ水を仕舞ひし夜の桜 山尾玉藻
古稀といふ発心のとき花あらし 野沢節子
さくらさくらわが不知火はひかり凪 石牟礼道子
西行忌花と死の文字相似たり 中嶋鬼谷
紙の桜黒人悲歌は地に沈む 西東三鬼
老眼や埃のごとく桜ちる 西東三鬼 <色を使った句>
赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼
元日を白く寒しと昼寝たり 西東三鬼
合評の後は、現代詩で色をテーマとした作品として、石牟礼道子の『紅葉 』を読みました。さらに、石牟礼道子の研究家でもある岩岡中正氏(「阿蘇」主宰)の「心の種をのこすことの葉」という題のエッセイと近詠句を皆で味わいました。
次回は、駿府城公園や浅間神社、谷津山など、市内中心地の緑ゆたかな場所で自由に俳句をつくる吟行句会です。静岡駅から徒歩十分の「もくせい会館」(静岡県職員会館)が句会場です。
(恩田侑布子・猪狩みき) [後記]
「花」と「色」という大きなお題の今回。それぞれの視点のおもしろさを感じることができた句会でした。「色」からイメージできることの大きさ、広さ、深みを表現に活かしていくようなことを意識して句を作りたいと思わされました。(猪狩みき) 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ9句、でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月8日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。

平成31年2月24日 樸句会報【第66号】 如月第二回目の句会です。 兼題は「春雷」と「蕗の薹」。 ○入選2句、原石賞1句を紹介します。 ○入選
春雷や午後の微熱をもてあまし
猪狩みき
合評では
「ありそうな句。流行のインフルエンザからの快復期の人でしょうか。ことしの時事俳句?」
「春の物憂い感じが出ている」
「微熱くらいなら、ワタシはもて余しません!」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は
「入選でいただきました。治りそうなのにまた午後になって上がってきた熱。“また今日も”という気だるさが春の午後の物憂い感じとよくつり合っています。第二義的には、心象を詠んだ恋の句とみることもできます。相手にぶつけられない内心の懊悩が“午後の微熱”という措辞にこめられていて、そこに春雷がかすかに轟きます。やや技巧的ですが詩のある俳句ですし、愛誦性もありますね」
と講評しました。
○入選
天地の睦むにほひや春の雷
村松なつを
合評では
「萌え出す春の色っぽさを感じる。春の雷を聴くとギリシャ神話のゼウスを思います」
「“睦む”と“にほひ”の結びつきがよく分からないけど、何かが生まれるような感じがある」
「激しく成長をうながす夏の雷と春雷は違いますね」
「雷が鳴って、雨が降って、それで匂いがするというだけの句ではないですか?」
など感想や辛口意見も。
恩田は
「秋の雷光は稲を孕ませるものとされ、稲妻ともいなつるびとも言われてきました。ですから季節はちがっても、春雷に天地の睦み合いを感じるのは自然です。冬の間は、天も地もカキーンと凍りついて、地平線や水平線に画然と対峙していたのに、“春の雷”が轟くと、まるで天の男神、地の女神が睦み合うようにつややかに交歓を始めます。“にほひ”は嗅覚つまりsmellではなく、色合いや情趣、余情であり、ゆたかで生き生きした美しさです。源氏物語の“匂宮”を想起しますね。天地有情ともいうべき句柄の大きな句です」
と評しました。
【原】蕗の薹逢へぬ時間の知らぬ顔
海野二美
合評では
「“逢へぬ時間”に切なさを感じます。ただ“知らぬ顔”って何? 恋の相手が知らぬ顔をしているのか、知らぬ顔をしているのは蕗の薹? いろいろ考えられて面白い」
「作者である自分の知らない顔を相手が持っているということなのでは?」
などの感想がありました。
恩田は
「推敲すれば特選クラスです。“知らぬ顔”の主体が三つにブレるのです。つまり、蕗の薹、相手、自分です。また、“逢へぬ時間”は“逢へぬ日”にしたほうがより切なさが増します。“時間”は短いので切実感がなくなってしまいます。上下を変えると品のいい切ない恋の句になるのでは」
と評し、次のように添削しました。 【改】逢へぬ日の知らん顔なり蕗の薹
「蕗の薹は震えるような葉っぱ、恥じらっているようなちぢれ方をしています。こうすると透明感のある萌黄色の姿が際立つ清冽な恋の句になりませんか」
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
特に中村汀女の句については、「万人受けのする句です。この句を嫌いな人はいないのでは?失われた日々への愛惜、清らかな淡々とした抒情があります」との解説がありました。 蕗の薹おもひおもひの夕汽笛 中村汀女
蕗の薹古ハモニカのうすぐもり 恩田侑布子
(『イワンの馬鹿の恋』)
春の雷鯉は苔被て老いにけり 芝不器男
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
投句の合評・講評のあと、去る2月5日にパリで開催されたポール・クローデルをめぐる俳句討論会(恩田もシンポジストとして登壇)のレジュメが配布され、恩田から解説がありました。 クローデルは、
「日本人の詩や美術は(中略)もっとも大切な部分は、つねに空白のままにしておく」
「俳句は中心イメージを取り囲む精神的な暈(かさ)によって本質が作られる」
と述べています。 想像力の反響作用によって本質が作られるという俳句論は、恩田の「俳句拝殿説」に重なります。恩田は「俳人が造れるのは拝殿まで。作者は読者に拝殿の前に一緒に立ってくださいと誘う。短歌は本殿を造りそこに読者を招じて座らせることができる。しかし、俳句は本殿は造れない。拝殿の向う、時空が畳みこまれた余白に、読者は自己を開いて他者と交感する」と『余白の祭』に書いています。 俳句討論会についてはこちら
[後記]
今回の句会で筆者が触発されたのは、「類句」「類想」についての恩田の指摘です。
「類句」「類想」の問題とは他人の俳句と似ていることではなく、自分の昔の句に似ているのがダメということ。すなわち、戦う相手はおのれの中にある。自分の固定観念を打ち破ることが必要。クローデルと姉のカミーユが師と仰いだ北斎も、死ぬまで脱皮していったことを恩田は強調しました。筆者も「自己模倣」に陥らぬよう句作に取り組みたいと思います。 次回兼題は、「朧」と「雛」です。(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ5句、・1句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成31年1月25日 樸句会報【第64号】 新年第二回目の句会です。
兼題は「水仙」と「“寒”のつく季語」。
○入選
足先に闇すでにあり寒茜
松井誠司 合評では
「たしかに寒茜はすぐに暗くなってしまいます」
「闇が来ている、という作者の気づきがいい」
「夕刻の時間の経過とともにあたりの色の変化も感じさせます」
「“足元”ではなく“足先”にしたのがよいのでは」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は
「“すでにあり”という措辞を俳句に活かすのは難しいが、この句ではよく効いています。“足先”という語におのれの行方を重ねている。真っ暗になっていく情景に自分が進んでいく先のことを想っているのです。晩年や死のことも見据えた心象がよく描けており、実感のある句です。昔、連句をおそわった草間時彦先生の代表句のひとつに“足もとはもうまつくらや秋の暮”があります。でも季節も違いますし、足もとは佇む感じ、足先は行く末を暗示しますから類句とはいえないでしょう。いい句です」
と講評しました。
○入選
わしわしと湯気もろともにもつ煮込み
萩倉 誠 合評では
「“わしわしと”がいい感じ。もつ煮込を食べている実感がある」
と共感の声。
恩田は
「オノマトペが素晴らしく効いていて、“もつ煮込み”を引き立てています。庶民の生活のエネルギーを感じます。ガッツある主婦が大家族のために厨房でもつを煮込んでいる姿でしょうか。煮ているのではなく、食べている情景ならば“み”は不要です。もつ煮込みそのもののリズム感で愛誦性もありますね」
と評しました。
【原】海風と香もかけのぼる野水仙
松井誠司
合評では
「斜面に群れて咲く水仙の光景が目に浮かぶ」
「“かけのぼる”という擬人化がどうでしょうか」
と感想や疑問がありました。
恩田は
「“海”と“野”がわずらわしい。海というからには野にある水仙に決まっています。“かけのぼる”はいいですね。青空が余白に広がっていきます。“と”も推敲したい」と述べ、次のように添削しました。
【改】海風に香もかけのぼり水仙花
【原】喪の帯をとくや水仙香をほどく
村松なつを
合評では
「女性の喪服には魅力があります。行事が一段落し、ふっと気持ちにゆとりが出たときに水仙の香に気付いた」
「色っぽさに負けて・・(思わず採りました)」(ここまで評者は男性)
「えーっ!色っぽさなんて感じませんよ。ひとつの儀式の緊張感が取れて、水仙のかおりに気がついた瞬間を詠んだのでしょう」(と、女性の評者)
「“香をほどく”という言い方があるのか」
「いや“ほどく”は新鮮ですよ」
「“とくや”と“ほどく”がいかがなものか。“匂ひたつ”くらいのほうがいいのでは」
と感想・意見が飛び交いました。
恩田は
「“香をほどく”は鮮度があっていいです。問題は“とくや”の勇ましいリズムに句の内容が合わないことです。杉田久女の代表句(花衣ぬぐや・・)にインスパイアーされたのでしょうか。もう少し力を抜いて、おだやかな表現にしたい。“香をほどく”に焦点を当てましょう」と評し、下記のように添削しました。
【改】喪の帯をとけば水仙香をほどき
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
「松本たかしの句については、直喩はこれくらい飛躍しないと働かない。“水仙”と“古鏡”に橋を架けることによって詩の世界が現出している。また昨年逝去された宇佐美魚目の句は、作者の高潔な精神の佇まいまで描き切っています」と、解説がありました。 水仙の花のうしろの蕾かな 星野立子
水仙や古鏡の如く花をかゝぐ 松本たかし
水仙を巖場づたひにはこぶ夢 宇佐美魚目
極寒の塵もとゞめず巌ふすま 飯田蛇笏
寒の月白炎曳いて山をいづ 飯田蛇笏
涸れ瀧へ人を誘ふ極寒裡 飯田蛇笏
大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田蛇笏
寒月や貴女のにはとり静かなり 攝津幸彦 合評のあと、注目の句集として宇多喜代子第八句集『森へ 』が紹介されました。
恩田は次の七句を佳句として挙げました。 透明の傘の八十八夜かな
白足袋の白にこころを従えて
つらなりて石鹸玉にもこの重さ
恩師みな骨格で立つ花野かな
春寒や正岡子規の大頭
永き昼硯の川を渡りゆく
夏木立先生のこと一入に
[後記]
投句の不調もなんのその、合評は侃侃諤諤、丁丁発止。バレ句に近いものもあったりして、爆笑することも度々。句会が了ったのは会場の借用時間ギリギリの午后5時でした。今年も熱く和やかな樸俳句会です。
恩田は「今日は理屈の通った、頭でつくったような句がちょっと目立ちました。理屈から出てくる擬人化は句を安っぽくしてしまいます。理屈で意味は通っても、そのとき“詩”は消えます。また、季語と合っていない句や予定調和的な句も散見されました」と少々苦言を呈しました。
この指摘はまさに今回の筆者の投句に当てはまり、自らの句作と選句を省みながら帰途につきました。
次回兼題は、「下萌」と「梅」です。(山本正幸)
今回は、○入選2句、原石賞2句、△2句、ゝシルシ10句とやや低調でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。