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2月19日 句会報告

20200219 犬ふぐり

令和2年2月19日 樸句会報【第86号】    如月2回目の句会です。句会場に近い駿府城公園の日差しはすでに春のもの。 兼題は「猫の子」と「椿」です。   入選2句、原石賞1句、△の中から1句を紹介します。 ○入選  泥残る洪水跡のいぬふぐり                松井誠司 茶色のおびただしい泥がまだあちこちに残っています。洪水で決壊した土手の泥。河川が上流から運んできた泥。その無残な堆積に近づくと、おや、もういちめんに犬ふぐりが咲いています。青空のしずくたちが天を見上げているのです。地面から生え出るいのちの鮮烈さが胸を打つ簡明な力のある句です。 (恩田侑布子)  合評では、 「“いぬふぐり”が災害から立ち直ろうという気持ちによく合っています」 「シンプルだけど心に残る句。昨秋洪水があったところに、春になって鮮やかなブルーの犬ふぐりが咲いている」 「“いぬふぐり”にも泥が残っていると、わたしは読んでしまいました」 「“泥残る”と“洪水跡”がくどいような気が…」 などの感想、意見がありました。    ○入選  女湯に桶音しきり椿の夜               村松なつを 「椿の夜」がなんとも匂いやか。壁を隔てた女湯から桶をつかう音が聞こえてきます。男はすでに湯から上がって所在なくくつろいでいます。桶の音だけが聞こえてくる山の湯の静けさ。もうもうと立ち込めているに違いない湯けむりのなかの女体。外には真紅の椿が垂れ込め、春の闇を一層深くしています。エロティシズムの匂う句です。 (恩田侑布子) 合評では、 「聴覚に訴える妖しい感じがいい。女湯の湯煙と“椿の夜”がリンクしている」 「あやしげな“隠れ宿”の感じ。女湯を出るとそこには男が待っていて」 「私の行っているトレーニングジムは温泉付きです。女にはそれぞれルーチンがあって、すごく賑やか。その様子を思い浮かべました」 「“しきり”でなければ特選になったかも」と恩田。 「しきりに耳を聳てているのでは?」 など連衆の妄想?も広がりました。 五感から詠んだ句はアタマではなく直に体に訴える力があります。 (山本正幸)    【原】ぽつくりの行き惑へるや落椿                田村千春   原句は「ぽつくり」の足元にだけ焦点をあてたところが素晴らしいです。ただ、「行き惑へるや」の切れ字は、いささか勇ましすぎるでしょう。幼女ではなく高下駄の年増女を連想してしまいます。「や」を、動作が反復される状態を表す「ては」に置き換えましょう。さらに中七まですべてひらがなにしてやわらかみを表しましょう。   【改】ぽつくりのゆきまどひては落椿 いかがでしょう。かわいい赤いぽっくりの童女が、地に散り敷いた椿の花の迷宮に戸惑い、着物のたもとまで揺れているようすが浮かびませんか。 (恩田侑布子) 合評では 「女の子のぽっくりですね。散歩の途中、椿の花が落ちていてそれを踏みそうになっている姿が浮かんできます」 「赤い鼻緒のぽっくりでしょう。落椿が沢山あって足の踏み場に困っている。椿の赤と鼻緒の赤の対比がいいです」 「 “ぽつくり”だけで女の子が表現されている。散文的な説明はいりませんね」 などの感想や意見がありました。      △ 名をもらひあくびをかへす仔猫かな                林 彰 本日の高点句のひとつ。 「俳味がありますね。名前を付けてもらったら欠伸を返したなんてたいした子猫です」 「子猫の愛らしさが出ている」 「人間の眼から猫を描写する句が多い中で、この句は猫の視点から詠んでいます」 「子は何でも可愛い。しぐさがいっそう可愛い。いい句です」 などの共感の声がありました   恩田は、「発想が素晴らしい。詩的発見のある句です。これは名古屋からの欠席投句で投句用紙は「あくびを」ですが、あとから見ると控え用紙には“あくびでかへす”と記されています。作者の表記ミスですね。  名をもらひあくびでかへす仔猫かな  なら口語の飾り気のなさが春日ののんびりしたくつろぎそのもの。猫の目線になった文人の余裕まで感じられ、特選◎でした。惜しい!わたしは「名を」「あくびを」という「を」重なりの瑕(きず)のために△にしたのです。一字の助詞の違いは句を決します」と評しました。   この句は筆者が「を」の緩みに気づかず、特選で頂いた句です。心のなごむ一瞬の情景が切り取られていると思いました。 (山本正幸)     合評の前に本日の兼題の例句が恩田により板書されました。    椿童子椿童女ら隠れんぼ             阿波野青畝    椿落ちてきのふの雨をこぼしけり             蕪村    口ぢうを金粉にして落椿             長谷川 櫂    わが影をいくつはみ出し落椿             恩田侑布子    黒猫の子のぞろぞろと月夜かな             飯田龍太    西もひがしもわからぬ猫の子なりけり             久保田万太郎     投句の合評・講評のあと、恩田が『俳句』2月号から連載を始めた「偏愛俳人館」の「第一回飯田蛇笏」に抄出された蛇笏の句を読みました。句会の時間が押したため、鑑賞を述べ合うことはできませんでした。 連衆の共感を集めたのは次の句です    雪山を匐ひまはりゐる谺かな                    『霊芝』  年暮るる野に忘られしもの満てり                  『家郷の霧』    春めきてものの果てなる空の色                  『家郷の霧』    炎天を槍のごとくに涼気すぐ                  『家郷の霧』       [後記] 本日の句会で恩田が力説したのは季語へのリスペクトです。有季定型で詠む以上、句における季語は「添えもの」であってはならない。詠むときの感動の初発から離れてしまうとどうしても季語に「付け足し感」が出てしまう。推敲を重ねることの大切さを改めて学んだ句会でした。 次回兼題は、「春の水(水温む)」と「石鹼玉」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△7句、ゝシルシ12句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    

10月30日 句会報告

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令和元年10月30日 樸句会報【第79号】   10月2回目の句会です。晴天の秋の午後、連衆が集いました。 兼題は「小鳥」と「釣瓶落し」。 入選句と原石賞4句を紹介します。    ○入選  秋麗や手にしつくりと志戸呂焼                前島裕子   志戸呂焼は遠州七窯の一つ。静岡県で最も歴史のふかい焼物である。この茶陶の魅力に取りつかれて私自身、二十代の数年間は毎日陶芸修行にいそしんだ。 遠州の「きれいさび」といわれるが、秋の野や、星の夜を思わせる釉景色と手取りのふわりとした温雅さを特徴とする。その志戸呂の持ち味が端的にやさしく表現された。 志戸呂の静かな鉄釉は秋の澄んだ午後にこそふさわしかろう。民芸のようなぼこぼこした厚手でもなければ、志野の艾土のような肉感でもない、「しつくりと」した手取りが、秋麗の青空と響く。 じつはこの句は草の戸「志戸呂・心齋窯」への贈答句。挨拶句なるものは、やや予定調和の気味があってこそ安らげる。よくはたらいている季語「秋麗」は最高の贈答である。(恩田侑布子)       【原】被災地の釣瓶落しや泥の床                松井誠司 【改】被災地は釣瓶落しや泥の床   なまなましい現場感がある。とてもテレビでみて作ったとは思えない。案の定、作者の実家が長野市穂保で、救援に駆けつけた実体験の作であった。原句のままでも、充分とまどいと悲しさが感じられる。ただ、「の」を「は」へ一字変えるだけで、いっそう天災の無情さと天地の運行の非情さ、対する人間の非力が際立ち、句柄が大きくなると思うが、いかが。(恩田侑布子) 合評では、「ここのところ水害が続いています。泥を落としても落としても家の掃除や片づけが終わらない。“釣瓶落し”に被災者の気持ちまで出ている」と共感の声がありました。 (山本正幸)     【原】かさね塗る柿渋釣瓶落しかな                前島裕子   【改】羽目に塗る柿渋釣瓶落しかな   柿渋と釣瓶落しの配合のセンスに瞠目した。惜しいのは「かさね塗る」の上五。どこでなにを塗っているかさっぱりわからない。そこで、田舎家の古い板羽目を塗っているところとしてみた。歳月に洗われ木目の立った板張りの壁に、茶と弁柄のあいの子のような柿渋が重なり、釣瓶落としの闇が迫り来る。色彩の交響に日本の秋の美が感じられよう。(恩田侑布子) 合評では、 「この季語を知ったとき“柿渋”をすぐ連想しました」 「今まさに塗っているところですね。重ねて塗る度に色が味わい深くなっていく。季語と即き過ぎかとも思ったが、イメージはピッタリだ」 「時間を忘れて塗っている。夕日の最後の色とよく合っている」 「“釣瓶落し”は今の子どもたちには分からない。“柿渋”も知らないかもしれません。なんか趣味的な感じのする句です」 など感想、意見が飛び交いました。(山本正幸)     【原】草食むは祈りのかたち秋落日                天野智美   【改】草食むは祈りのかたち秋没日(いりひ) 放牧の牛でもいいし、草食性の昆虫でもいい。草を黙々と一心に食べている姿を、「祈りのかたち」とみたところに詩の発見がある。あとで作者に聞いたら、アイルランドに暮らしていた頃、バスの中から見た羊の放牧風景とのこと。なるほど彼の地はいっそう日暮れが早かろう。 惜しいのは下五「秋落日」の字余りによるリズムのもたつきである。素直に「秋没日」として定型の調べに乗せれば、いっそう祈りも清らかになろう。羊のまるいシルエットも淡い影絵のように見えてくる。(恩田侑布子)     【原】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返る               村松なつを   【改】釣瓶落し豆腐屋の笛うら返り   豆腐屋が金色のラッパを吹いて自転車でやって来たのは、記憶では三〇年も前のこと。いまはもっぱら箱バン形の軽トラックで、自動スピーカーになってしまった。 それはともかく、この句のよさは、釣瓶落しに豆腐屋の笛の音色がぴいーと半音裏返って聞える独特のもの哀しさにある。小品スケッチとして味のある俳句なので、ここは終止形にしないほうがいい。たった一字「うら返り」とするだけで、にわかに夕闇の余情がひろがり、澄んだ高いラッパの音が尾を引くのである。(恩田侑布子)  合評では、「近所に軽トラでテープを流しながら豆腐を売りに来る。笛の音が裏返るのだから、作者のところへはきっと自転車で来るのだろう。早く売り切って家に帰りたいという思いと“釣瓶落し”が響き合っています」との感想が聞かれました。(山本正幸)     注目の句集として、大石恒夫句集『石一つ 』(2019年9月  本阿弥書店刊) から恩田が抽出した十四句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。  老いと言う純情もあり冬の蝶    祝 大隅良典氏ノーベル医学賞受賞  細胞に死ぬプログラム秋うらら  春の夜の筆圧勁き女文字  自分史を書くなら冬木芽吹く頃  蕗の雨御意と頷くばかりなり (おおいし・つねお) 1928年静岡市生まれ。2009年 静岡駿府ライオンズクラブ俳句会入会。2013年 85歳にて外科医ほぼ引退。現代俳句協会通信添削講座入会。塩野谷仁氏に師事。「遊牧」会友。18年同人。2019年 現代俳句協会会員。  ※ 静岡市葵区鷹匠 大石外科胃腸科医院 元外科医 静岡高校61期。        [後記] 句会を終わって外に出ればまさに“釣瓶落し”でした。駿府城公園の周りや中心市街には11月1日から始まる「大道芸ワールドカップin静岡」を告知するポスターがあちらこちらに。 今回の句会で胸に落ちたのは、豆腐屋の句をめぐる「立句」と「平句」についての恩田の解説です。俳句の全てがいわゆる「立句」を目指す必要はない。内容と容れものが合っているかが問題で、「平句」での表現が相応しい事柄もあることを学びました。同列に論じることはできませんが、作曲においても「調性」の選択が作品を決定づけるようです。   次回兼題は、「立冬」と「ラグビー」です。  (山本正幸)   今回は、入選1句、原石賞4句、△4句、✓6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

「砂漠と俳句」

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          砂漠と俳句  8月下旬、中国の「内モンゴル自治区」という所へ行き「植林活動」を体験してきました。砂漠に1mの穴を掘り2メートルのポプラの苗木を植えるのです。炎天下での作業なので、汗まみれ・砂だらけ・・・。  この緑化活動は30年前に日本の一人の学者が取組み初めたのが最初ということでした。鳥取砂丘を農地に変えた経験をもとにして、この地の「緑化」に挑んだのです。葛を植えては羊に食べられ、苗木を植えては幹をかじられ、水の確保に奔走し、苦難の連続を乗り越えて、砂漠を緑の地に変えたのです。もちろん、その過程には多くの日本人の手がありました。  起伏にとんだ砂漠なので、丘の上に立つとさながら「天下人」であり、谷の中に立つと、まさにアリジゴクの様です。ほんの一時訪れる人には「自然の偉大さ」を感じさせますが、ひとたび風や雨になると、すべてを呑み込んでしまう恐ろしさを内包しているのです。砂漠は、そんなところでした。  360度砂に囲まれた地に立って、瑞々しい日本の自然を思いました。寒い冬を耐えた後にやってくる、あの春のうれしさ、沈む夕日を眺め、次第に回りがシルエットになってくもの悲しさ・・ でも、ここでは「みかんの花咲く丘」や「ふるさと」のような曲想は生まれてこないだろうし、俳句のような文化にも縁が無いように感じました。だから、句も「無季」になってしまうのではと思っていました。 〇ポプラ植ゑ流砂止めむと倭人の手   〇人影にジェットエンジンもつトカゲ   〇晩餐のモンゴルの唄白酒干す ・夕食時に、地元の顔役に促されて通訳の人がモンゴルの唄を歌ってくれたのです。 「素晴らしい歌声でした。なんのお礼も出来ませんが、日本の俳句は聞いたことがありますか」 「・・詩のことですか」 「ええ、最も短い詩です」 ・・・ノートに書いて彼に渡したもの・・  でも、ここには砂漠としての自然があるのではないか。少なくも、時候や天文あるいは地理の季語は成立するのではないか・・。   〇秋風や砂地を直に駱駝の背   〇モンゴルの唄に色なき風砂漠    置き去りにされて帰れなくなるのではと心配しながら眺めた星空は魅力的でした。   〇羊追ふ砂漠の民や天の川   〇モンゴルの唄は砂漠へ天の川    貴重な体験の中で思ったことの一端をしたためてみました。             令和元年9月 松井誠司    

6月2日 句会報告と特選句

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令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。   特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。                  ◎特選                        メーデーや白髪禿頭鬨の声                  島田  淳    日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                   ◎特選                        さつき雨猿の掌光る屋久の森                  林  彰    季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                                           △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む               村松なつを   合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。        △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり               芹沢雄太郎   恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。        ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す                松井誠司    本日の最高点句でした。  恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。        ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士                萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。        ゝ 病む人にこの囀りを届けたし               樋口千鶴子    「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。                                  今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。    古寺に狐狸の噂や五月雨              江戸川乱歩  彼の岸も斯くの如きか五月闇              相生垣瓜人  やはらかきものはくちびる五月闇               日野草城  手花火に妹がかひなの照らさるる               山口誓子  手品師の指いきいきと地下の街               西東三鬼  手花火の柳が好きでそれつきり              恩田侑布子  生きて死ぬ素手素足なり雲の峰              恩田侑布子  歳月やここに捺されし守宮の手              恩田侑布子                              樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。  母のごとでんと座したり鏡餅  オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ  父の日や花もなければ風もなき  音沙汰の無き子に新茶送りけり  青田風新幹線の断ち切りぬ     久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。                                         [後記]  句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。  本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。  次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)   今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

1月25日 句会報告

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平成31年1月25日 樸句会報【第64号】 新年第二回目の句会です。 兼題は「水仙」と「“寒”のつく季語」。       ○入選  足先に闇すでにあり寒茜                松井誠司 合評では 「たしかに寒茜はすぐに暗くなってしまいます」 「闇が来ている、という作者の気づきがいい」 「夕刻の時間の経過とともにあたりの色の変化も感じさせます」 「“足元”ではなく“足先”にしたのがよいのでは」 などの感想が述べられました。   恩田侑布子は 「“すでにあり”という措辞を俳句に活かすのは難しいが、この句ではよく効いています。“足先”という語におのれの行方を重ねている。真っ暗になっていく情景に自分が進んでいく先のことを想っているのです。晩年や死のことも見据えた心象がよく描けており、実感のある句です。昔、連句をおそわった草間時彦先生の代表句のひとつに“足もとはもうまつくらや秋の暮”があります。でも季節も違いますし、足もとは佇む感じ、足先は行く末を暗示しますから類句とはいえないでしょう。いい句です」 と講評しました。         ○入選  わしわしと湯気もろともにもつ煮込み                萩倉 誠 合評では 「“わしわしと”がいい感じ。もつ煮込を食べている実感がある」 と共感の声。 恩田は 「オノマトペが素晴らしく効いていて、“もつ煮込み”を引き立てています。庶民の生活のエネルギーを感じます。ガッツある主婦が大家族のために厨房でもつを煮込んでいる姿でしょうか。煮ているのではなく、食べている情景ならば“み”は不要です。もつ煮込みそのもののリズム感で愛誦性もありますね」 と評しました。     【原】海風と香もかけのぼる野水仙                松井誠司   合評では 「斜面に群れて咲く水仙の光景が目に浮かぶ」 「“かけのぼる”という擬人化がどうでしょうか」 と感想や疑問がありました。 恩田は 「“海”と“野”がわずらわしい。海というからには野にある水仙に決まっています。“かけのぼる”はいいですね。青空が余白に広がっていきます。“と”も推敲したい」と述べ、次のように添削しました。   【改】海風に香もかけのぼり水仙花         【原】喪の帯をとくや水仙香をほどく               村松なつを   合評では 「女性の喪服には魅力があります。行事が一段落し、ふっと気持ちにゆとりが出たときに水仙の香に気付いた」 「色っぽさに負けて・・(思わず採りました)」(ここまで評者は男性) 「えーっ!色っぽさなんて感じませんよ。ひとつの儀式の緊張感が取れて、水仙のかおりに気がついた瞬間を詠んだのでしょう」(と、女性の評者) 「“香をほどく”という言い方があるのか」 「いや“ほどく”は新鮮ですよ」 「“とくや”と“ほどく”がいかがなものか。“匂ひたつ”くらいのほうがいいのでは」 と感想・意見が飛び交いました。   恩田は 「“香をほどく”は鮮度があっていいです。問題は“とくや”の勇ましいリズムに句の内容が合わないことです。杉田久女の代表句(花衣ぬぐや・・)にインスパイアーされたのでしょうか。もう少し力を抜いて、おだやかな表現にしたい。“香をほどく”に焦点を当てましょう」と評し、下記のように添削しました。                 【改】喪の帯をとけば水仙香をほどき                                        今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 「松本たかしの句については、直喩はこれくらい飛躍しないと働かない。“水仙”と“古鏡”に橋を架けることによって詩の世界が現出している。また昨年逝去された宇佐美魚目の句は、作者の高潔な精神の佇まいまで描き切っています」と、解説がありました。  水仙の花のうしろの蕾かな               星野立子  水仙や古鏡の如く花をかゝぐ              松本たかし  水仙を巖場づたひにはこぶ夢              宇佐美魚目  極寒の塵もとゞめず巌ふすま               飯田蛇笏  寒の月白炎曳いて山をいづ               飯田蛇笏  涸れ瀧へ人を誘ふ極寒裡               飯田蛇笏  大寒の一戸もかくれなき故郷               飯田蛇笏  寒月や貴女のにはとり静かなり               攝津幸彦 合評のあと、注目の句集として宇多喜代子第八句集『森へ 』が紹介されました。 恩田は次の七句を佳句として挙げました。  透明の傘の八十八夜かな    白足袋の白にこころを従えて    つらなりて石鹸玉にもこの重さ    恩師みな骨格で立つ花野かな    春寒や正岡子規の大頭    永き昼硯の川を渡りゆく    夏木立先生のこと一入に                           [後記] 投句の不調もなんのその、合評は侃侃諤諤、丁丁発止。バレ句に近いものもあったりして、爆笑することも度々。句会が了ったのは会場の借用時間ギリギリの午后5時でした。今年も熱く和やかな樸俳句会です。 恩田は「今日は理屈の通った、頭でつくったような句がちょっと目立ちました。理屈から出てくる擬人化は句を安っぽくしてしまいます。理屈で意味は通っても、そのとき“詩”は消えます。また、季語と合っていない句や予定調和的な句も散見されました」と少々苦言を呈しました。 この指摘はまさに今回の筆者の投句に当てはまり、自らの句作と選句を省みながら帰途につきました。 次回兼題は、「下萌」と「梅」です。(山本正幸)   今回は、○入選2句、原石賞2句、△2句、ゝシルシ10句とやや低調でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

11月4日 句会報告

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平成30年11月4日 樸句会報【第59号】 11月第1回。「大道芸ワールドカップin静岡」の喧噪を抜けると、句会場のアイセルに着きます。 兼題は「芋」「鹿」「猫」です。 入選◯1句、△6句、シルシ8句という結果でした。入選句を紹介します。 なお、10月19日の句会報は、特選、入選ともになかったためお休みしました。                     〇卓袱台の主役は芋茎雨の夜              松井誠司 恩田侑布子だけが採りました。 「芋茎、なんというレトロな食べ物。今日のメイン料理というわけではなさそうです。肴にして夜更けにひとりちびちび飲んでいる。外はしめやかな雨。静かなさびしさが句の底から湧きあがってきます。形容詞がなくても伝わってくるわびしい孤独感があります。座五の“雨の夜”がいいですね。 でも作者の自解によると、信州で育った幼いころの体験だったのですね。戦後間もない頃で、晩秋になると農家に米はあっても、彩りのあるおかずは買えなかったと。この句のいうに言えない冬隣の雨に包まれる気配は、農耕民族のわたしたちが二千年間聞いてきた雨音だと思います。DNAに深く染み込んだものを呼び醒ます俳句といったらいいでしょうか」 と講評しました。 本日投句された中の一句を例に、俳句における「直喩」について恩田から解説がありました。     大道芸ワールドカップin静岡  秋の日の幾何学のごとジャグリング  恩田は、「発想はいいが、“のごと”がもんだい。直喩にするなら思い切って斬新な比喩にしたい。“のごと”は取って“幾何学”で切り、替わりに“◯◯の”と作者の発見を入れたいです」と評しました。 ======= 去る10月21日に静岡市駿河区丸子で開催された「恩田侑布子俳句朗読&講演会」(詩人大使クローデルの『百扇帖』から)には連衆の何人かが参加し、欠席投句者からも挨拶句が寄せられました。 そのなかでも石原あゆみさんの俳句と自註は、恩田をして「誰のこと?穴があったら入りたい」と大いに照れさせました。  バレリーナ指先に呼ぶ秋の虹      朗読パフォーマンスの鈴の音で世界が変わりました。 また木々の借景も加わり、一人のバレリーナを見るようでした。 一つ一つの言葉と一つ一つの動きが相まって、更に世界が変わっていき吸い込まれていきました。指のさきから秋の虹が句とともに伸びているのです。(石原あゆみ)                                講演会の句は、ほかに二句あり、思い出に浸りつつひとしきり話題になりました。 「恩田侑布子俳句朗読&講演会」についてはこちら   [後記] 丸子待月楼の講演では、詩人ポール・クローデルの像がくっきりと立ちあがり、その短唱の「気息」まで伝わってきました。 恩田は「『百扇帖』にはありとあらゆるものがある。ないものといえば、ボードレールがその批評『笑いの本質について』のなかで述べた、グロテスクな笑い、絶対的滑稽といったものだけかもしれない」と、この二人のフランス詩人の資質の違いを端的に述べました。 また、俳句朗読パフォーマンスにおいては、恩田の句はすべからく声に出して読むべし、その音楽性を味わうべし、との意を強くした筆者です。 延期となりましたパリ日本文化会館でのシンポジウムの日程も決まり次第お知らせいたします。どうぞご高覧ください。 次回兼題は、「枯葉」と「鍋」です。(山本正幸)

8月5日 句会報告と特選句

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平成30年8月5日 樸句会報【第54号】 八月第1回の句会です。 特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・4句という結果。前回の不調から一気に好調に転じた樸俳句会です。 兼題は「鬼灯」と「海(を使った夏の句)」です。 特選1句と入選2句を紹介します。  (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)                         ◎海月踏む眠れぬ夜に二度も踏む             芹沢雄太郎 (下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)                                       〇大の字に寝て炎昼を睨みつけ              松井誠司 合評では、 「今年は猛暑。ホントこんな気持ちです。響いてくるものがあります」 「“睨みつけ”の視線の強さがいい」 「座五で炎昼を押し返すパワーを感じました」 「“大の字”と“睨みつけ”で炎昼のつらさを表現した」 「下五を連用形にしたのがよい」 など共感の一方で、 「“睨みつけ”でなければいいのに・・。よけい暑くなってしまうじゃないですか!」 「“睨みつけ”の理由と意味が分かりづらい」 などの感想も述べられました。 恩田侑布子は、 「まさに家の中で大の字になって寝ているところ。部屋の窓から燃え盛る炎昼がみえる。それを横目で睨んでいるのです。こんくらいの炎天に負けてたまるか!という気概ですね。寝ながら見栄を切っているような滑稽感もある。作者のいのちの勢いが感じられます。合評にもありましたが、連用形で終わったところがいい。ここに切れ字を使ったら型にはまってしまいますものね」 と講評しました。                              〇横たわるかなかなと明け暮れてゆく               林 彰 合評では、 「“横たわるかなかな”とは絶命間近の蝉のことですか?それとも“横たわる”で切れるのでしょうか?両方の読みができるような・・」 「夕闇が近づいてくる実感がありますね」 「夏バテ気味。がんばりたいけどがんばれない。さびしい蝉の声・・。今日も一日過ぎていくのだなぁという感慨がある」 「子規っぽい。病床にある感じがよく出ており、内実がこもっている」 との感想のほか、 「それでどうした?というような句じゃないですか。“と”って何ですか?」 との辛口評も。 恩田侑布子は、 「“横たわる”でしっかり切れています。山頭火のようですね。または、放哉に代表句がもう一つ加わったような感じさえします。破調感が強いが、句跨りの十七音です。実感がこもっています。リアルな息遣いのある口語調です。蜩には他の蝉にはない初秋のさびしさがあります。社会の片隅で生きる弱者の気持ちになり切って、作者はそれを肉体化している。まさかお医者さんの林さんの作とは思いませんでした。長足の進歩ですね!」 と講評しました。ちなみに、林さんは名古屋の職場には自転車通勤、句会には新幹線通勤?です。                                              ...

4月20日 句会報告と特選句

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平成30年4月20日 樸句会報【第47号】 四月第2回の句会です。 特選1句、入選1句、原石賞3句、シルシ7句、 ・1句という結果でした。 兼題は「藤」と「“水”を入れた一句」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎茎太き菜の花二本死者二万              松井誠司  (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)       〇妻の知らぬ恋長藤のけぶりたる             山本正幸  合評では、 「こういうの、許せません!」 「結婚前の昔の話じゃないんですか?」 「“恋”と“藤”はよく合いますね」 「昔の恋なら情緒があるし、今の恋とするなら危険な香りがある」 「“長藤のけぶりたる”が上手だと思う」 「上五の字余りが気になる」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「字余りでリズムがもたつきます。このままでは入選句ではありません。“妻知らぬ恋”で十分です。“長藤がけぶる”のだから淡い初恋や十代の恋ではないでしょう。ちょっと危険な恋。成就した恋かどうかは知りませんが、秘めやかな心情の交歓があるのでは。満たされなかった思い。今もまだ心に揺らめくものが“けぶりたる”という連体止めにあらわれて効果的です」 と講評しました。 今日はほかにも原石賞が三句も出て、恩田の添削で見違える佳句になりました。原石は詩の核心を持っていることを再認識しました。 今年度から金曜日の「樸俳句会」では、句会に併せて芭蕉の紀行文に取り組むことになりました。これは古今東西のあらゆる芸術文化から俳句の滋養を取り入れようという恩田の一貫した姿勢のあらわれでもあります。そこで、芭蕉の最初の紀行『野ざらし紀行』から始め、数年計画で『おくのほそ道』に到ろうという息の長い講読が幕を開けました。冒頭部が取り上げられ、恩田から詳細な解説がありました。 『野ざらし紀行』の巻頭は、『荘子』「逍遥遊篇」や広聞和尚など、古典からの“引用のアラベスク”ともいえるもので、文が入れ子構造になっている。芭蕉は変革者であり、それまでの和歌のレールの上で作ったわけではないが、漢文と日本古典の伝統を十二分に背負っている。「むかしの人の杖にすがりて」、このタームが重要。近代の個人の旅ではない。いにしえ人と一緒に旅立つのである。  野ざらしを心に風のしむ身かな 「身にしむ」は、いまの『歳時記』では皮膚感覚に迫る即物的な秋の冷たさが主であるが、古典では、心理の深みを背負った言葉です、と恩田は述べました。 芭蕉は、古典と現代との結節点になった人なのだということで、古典の具体例として藤原定家の二首が紹介されました。  白妙の袖のわかれに露おちて         身にしむ色の秋風ぞ吹く  移香の身にしむばかりちぎるとて        あふぎの風のゆくへ尋ねむ この二首は歌人の塚本邦雄も賞賛しています。(塚本邦雄『定家百首』)        [後記] 今回の恩田による『野ざらし紀行』の講義は、大学~大学院レベルだったのではと思います。芭蕉の紀行文をじっくりと読み解くことが初めての筆者としてはこれから楽しみです。 句会の後調べましたら、定家の歌は、和泉式部の<秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ>を意識しているはず、と塚本邦雄は書いています。「身にしむ」という季語のなかに詩のこころが脈々と息づいているのを感ずることができます。 次回兼題は「薄暑」「夏の飲料(ビール、ソーダ水等)」「香水」です。(山本正幸) 特選   茎太き菜の花二本死者二万                松井誠司  「茎太き菜の花」で、真っ先に菜の花のはつらつとした緑と黄色のビビッドな映像が立ち現れます。それが、座五で一挙に「死者二万」と衝撃をもって暗転します。東日本大震で亡くなった人の数です。俳句の数詞は使い方が難しい。ややもすると恣意的に流れやすいです。でも、この句の二本と二万には必然性があります。眼前のあどけない菜の花二本は、大切なかけがえのない父と母であり、二人の子どもであり、親友でもあるかもしれない。たしかにこの世に生きたその人にとって大好きな二人です。その二人の奥に、数としてカウントされてしまう二万の失われたいのちが重なってきます。二つの畳み掛けられた数詞の必然性はどこにあるか。悲しみを引き立たせる戦慄をもつことです。菜の花が無心にひかりを弾いて咲くほど、中断されたひとりひとりのいのちが実感される。「茎太き」が素晴らしい。死者二万を詠んだ震災詠はたくさんありますが、こんなにいのちの実感が吹き込まれた二万はめずらしい。  あとから作者に聞けば、ボランティアとして二度に渡り現地で活動したという。「母の手を引いて逃げる階段の途中で津波に襲われ、すがる母の手を放してしまった、その感触が今も体内に残る」とつぶやいた男性との出会い。そこでもらった菜の花の種が、なぜか今年、自庭にたくましく二本だけが並んで咲いたという。「一句のなかで生き切る」ことができ、普遍に到達した作者の進境に敬意を表したい。    (選句・鑑賞  恩田侑布子)