
令和2年2月19日 樸句会報【第86号】
如月2回目の句会です。句会場に近い駿府城公園の日差しはすでに春のもの。
兼題は「猫の子」と「椿」です。
入選2句、原石賞1句、△の中から1句を紹介します。 ○入選
泥残る洪水跡のいぬふぐり
松井誠司 茶色のおびただしい泥がまだあちこちに残っています。洪水で決壊した土手の泥。河川が上流から運んできた泥。その無残な堆積に近づくと、おや、もういちめんに犬ふぐりが咲いています。青空のしずくたちが天を見上げているのです。地面から生え出るいのちの鮮烈さが胸を打つ簡明な力のある句です。
(恩田侑布子)
合評では、
「“いぬふぐり”が災害から立ち直ろうという気持ちによく合っています」
「シンプルだけど心に残る句。昨秋洪水があったところに、春になって鮮やかなブルーの犬ふぐりが咲いている」
「“いぬふぐり”にも泥が残っていると、わたしは読んでしまいました」
「“泥残る”と“洪水跡”がくどいような気が…」
などの感想、意見がありました。
○入選
女湯に桶音しきり椿の夜
村松なつを 「椿の夜」がなんとも匂いやか。壁を隔てた女湯から桶をつかう音が聞こえてきます。男はすでに湯から上がって所在なくくつろいでいます。桶の音だけが聞こえてくる山の湯の静けさ。もうもうと立ち込めているに違いない湯けむりのなかの女体。外には真紅の椿が垂れ込め、春の闇を一層深くしています。エロティシズムの匂う句です。
(恩田侑布子)
合評では、
「聴覚に訴える妖しい感じがいい。女湯の湯煙と“椿の夜”がリンクしている」
「あやしげな“隠れ宿”の感じ。女湯を出るとそこには男が待っていて」
「私の行っているトレーニングジムは温泉付きです。女にはそれぞれルーチンがあって、すごく賑やか。その様子を思い浮かべました」
「“しきり”でなければ特選になったかも」と恩田。
「しきりに耳を聳てているのでは?」
など連衆の妄想?も広がりました。
五感から詠んだ句はアタマではなく直に体に訴える力があります。
(山本正幸)
【原】ぽつくりの行き惑へるや落椿
田村千春
原句は「ぽつくり」の足元にだけ焦点をあてたところが素晴らしいです。ただ、「行き惑へるや」の切れ字は、いささか勇ましすぎるでしょう。幼女ではなく高下駄の年増女を連想してしまいます。「や」を、動作が反復される状態を表す「ては」に置き換えましょう。さらに中七まですべてひらがなにしてやわらかみを表しましょう。
【改】ぽつくりのゆきまどひては落椿 いかがでしょう。かわいい赤いぽっくりの童女が、地に散り敷いた椿の花の迷宮に戸惑い、着物のたもとまで揺れているようすが浮かびませんか。
(恩田侑布子)
合評では
「女の子のぽっくりですね。散歩の途中、椿の花が落ちていてそれを踏みそうになっている姿が浮かんできます」
「赤い鼻緒のぽっくりでしょう。落椿が沢山あって足の踏み場に困っている。椿の赤と鼻緒の赤の対比がいいです」
「 “ぽつくり”だけで女の子が表現されている。散文的な説明はいりませんね」
などの感想や意見がありました。
△ 名をもらひあくびをかへす仔猫かな
林 彰 本日の高点句のひとつ。
「俳味がありますね。名前を付けてもらったら欠伸を返したなんてたいした子猫です」
「子猫の愛らしさが出ている」
「人間の眼から猫を描写する句が多い中で、この句は猫の視点から詠んでいます」
「子は何でも可愛い。しぐさがいっそう可愛い。いい句です」
などの共感の声がありました
恩田は、「発想が素晴らしい。詩的発見のある句です。これは名古屋からの欠席投句で投句用紙は「あくびを」ですが、あとから見ると控え用紙には“あくびでかへす”と記されています。作者の表記ミスですね。
名をもらひあくびでかへす仔猫かな
なら口語の飾り気のなさが春日ののんびりしたくつろぎそのもの。猫の目線になった文人の余裕まで感じられ、特選◎でした。惜しい!わたしは「名を」「あくびを」という「を」重なりの瑕(きず)のために△にしたのです。一字の助詞の違いは句を決します」と評しました。
この句は筆者が「を」の緩みに気づかず、特選で頂いた句です。心のなごむ一瞬の情景が切り取られていると思いました。
(山本正幸)
合評の前に本日の兼題の例句が恩田により板書されました。
椿童子椿童女ら隠れんぼ 阿波野青畝
椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 蕪村
口ぢうを金粉にして落椿 長谷川 櫂
わが影をいくつはみ出し落椿 恩田侑布子
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 飯田龍太
西もひがしもわからぬ猫の子なりけり 久保田万太郎
投句の合評・講評のあと、恩田が『俳句』2月号から連載を始めた「偏愛俳人館」の「第一回飯田蛇笏」に抄出された蛇笏の句を読みました。句会の時間が押したため、鑑賞を述べ合うことはできませんでした。 連衆の共感を集めたのは次の句です
雪山を匐ひまはりゐる谺かな
『霊芝』 年暮るる野に忘られしもの満てり
『家郷の霧』 春めきてものの果てなる空の色
『家郷の霧』 炎天を槍のごとくに涼気すぐ
『家郷の霧』
[後記]
本日の句会で恩田が力説したのは季語へのリスペクトです。有季定型で詠む以上、句における季語は「添えもの」であってはならない。詠むときの感動の初発から離れてしまうとどうしても季語に「付け足し感」が出てしまう。推敲を重ねることの大切さを改めて学んだ句会でした。 次回兼題は、「春の水(水温む)」と「石鹼玉」です。
(山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞1句、△7句、ゝシルシ12句、・3句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年 9月8日 樸句会報【第76号】 9月1回目。台風15号が静岡に上陸する気配を感じながらの句会となりました。
句会冒頭に、2020年版「戸田書店カレンダーノート」に樸の連衆の句が掲載されることが恩田より発表され、掲載一句一句に対する恩田からの熱い選評と、戸田書店先代社長夫人・戸田聰子さんの思い出が語られました。
兼題は、「月」と「爽やか」です。
特選句、入選句及び△1句を紹介します。 ◎特選
人類へ月の兎に近よるな
林 彰
生まれて初めて聞いた神話は、アマテラスでも海幸山幸でもなかった。
「お月さまにはうさぎがいて、おもちをついているんだよ」
幼いころはよく酒屋へお醤油を買いに行くお使いをさせられた。往きはカラの一升瓶が帰りはずっしり重い。赤ちゃんを胸に抱くようにして帰ったものだ。その時、幼ごころに長い道のりのおともはお月さまであった。夜道の心細さに「出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい、ぼーんのような月が」と歌えば、うさぎがはねた。もううさぎさん、後ろに行っちゃったかな。見上げるたびに、月から白い長い耳がこぼれそう。いつまでたってもついてくるのが不思議でならなかった。
二〇一九年の年頭に中国は月の裏側に人工衛星を着陸させた。九月にはインドの探査機が月の南極に着陸寸前。すでに五〇年前、アメリカ人が月を踏んだ。テレビ画面に写る月はまるで砂漠のように見えた。
中国神話では月には蟾蜍に化した嫦娥が住んでいる。神話は古代人の迷妄のしるしだとする考えもある。しかし、月の満ち欠けに再生を祈り不老不死を願った心性は、人間が死から免れない以上、現代人にもよくわかる。
掲句は月にではなく、「月の兎に近よるな」という。この差は大きい。
「わたしたちのなかに住む清らかなものを、知識と技術で滅ぼしてくれるな」
仰がれる時、月の兎はかがやかしい白をもってはね遊ぶ。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
月白やマジシャンは先づカード切る
田村千春
「月白」という美しい季語を、まだ俳句を始めてまもない作者は歳時記に発見し、たちどころに過去のある記憶がよみがえったという。手品を始める白い長い指が一束のカードを繚乱と歯切れよく切り始める。これから始まる魔法の空間の先触れのように。月はいま、銀の湖のように山窪の空を明るませている。まもなく中秋の名月が上がる。その前のときめくような、どこかものさびしいようなたまゆらの時間に、あやかしの十指が澄み切った時間の開幕を告げる面白さ。 (恩田侑布子)
○入選
袖まくり路上ピアノの爽やかに
田村千春
最近のテレビに、世界の各都市の駅のコンコースにピアノを置いて、自然発生的に繰り広げられる市民の演奏を紹介する番組がある。この句は「袖まくり」がいい。この初句で、ふだんから弾いている音楽家でも音大生でもないことがはっきり想像される。純粋に楽しみでピアノを弾くひとである。長袖になったばかりの秋服の袖をまくる。ちょっと久しぶり。「さあ」という心はやり。素朴な生活者の顔がそこに表れ、まさに爽やか。袖をまくる仕草はどこかカワイイ。 (恩田侑布子)
今回、特選と入選が奇しくも、名古屋市在住の精神科医と藤枝市在住の内科医という医師ふたりに占められた。俳句は文科系だけのものでないという良い証拠。もっとも文化系・理科系という旧概念から脱して、自由に往還し反響し合っていくところに日本と俳句の未来が開けるように思う。(恩田侑布子)
△ 爽やかやトレモロこぼす名無し指
村松なつを
合評では、プロではなく、アマチュアギター奏者が屋外で楽しく演奏している感じがする。薬指ではなく名無し指としたところにアマチュアの名もなき演奏家のイメージを重ねたのではないか。などという意見が挙がりました。
作者によると、「爽やか」という季語を「爽やかに」と使いたくなかったそうです。また、この句で演奏している楽器はギターではなくフルートであり、フルートではトレモロのことをトリルとも表現するとのこと。それを聞いた恩田は フルートのトリルさはやか名無し指 と添削し、映像がさらに鮮やかに浮かび上がりました。
(芹沢雄太郎)
今回、恩田より兼題「月」「爽やか」の例句の紹介がありました。その中で恩田は、俳句における「月」という季語の重要性と、「爽やか」という季語の作句の難しさを語りました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。 やはらかき身を月光の中に容れ 桂 信子
道なりに来なさい月の川なりに 恩田侑布子
過ちは過ちとして爽やかに 高浜虚子
爽やかに第一石をうちおろす 山口青邨
[後記]
今回は恩田と連衆の選がほとんど重なりませんでした。限られた選句の時間の中で、どれだけ相手の句を読み込めるのかが問われます。
「俳句は、作者と読者の一人二役を楽しめる興奮の場であり、表現の喜びと共感の喜びがある」と恩田は言います。(※)
選句も作句と同等に修練を積んでいかねばと改めて思わされました。
次回の兼題は「音楽に関係した句」「秋刀魚」です。(芹沢雄太郎)
(※)恩田は5月10日開催の静岡高校教育講演会でも同様のことを述べています。 講演会のページへ
今回は、特選1句、入選2句、△2句、ゝシルシ5句、・11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)

令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。
兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。
特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。
◎特選
メーデーや白髪禿頭鬨の声
島田 淳
日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◎特選
さつき雨猿の掌光る屋久の森
林 彰
季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。
〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
△ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む
村松なつを
合評では
「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」
「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。
「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。
△ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり
芹沢雄太郎
恩田だけが採り、
「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。
ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す
松井誠司
本日の最高点句でした。
恩田は、
「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。
ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士
萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。
「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。
ゝ 病む人にこの囀りを届けたし
樋口千鶴子
「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。
恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。
今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。
古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩
彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人
やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城
手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子
手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼
手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子
生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子
歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子
樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。
そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ
久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。
[後記]
句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。
本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。
次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)
今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和元年 6月26日 樸句会報【第73号】 いかにも梅雨の季節という日に句会がありました。 兼題は「青蛙、雨蛙」と「薔薇」。
◎特選2句、○入選1句を紹介します。
◎特選
薔薇園の眼下海抜ゼロの町
天野智美
近景の薔薇園と、眼下に広がる海抜ゼロメートルの町並みの対比が衝撃的である。
赤やピンクの薔薇の中を歩けば王侯貴族の気分を味わえる。ましてや花園は空中庭園と言ってもいいほど、遮るもののない海に突き出た山鼻にある。真っ青な空と海と、あでやかに感覚を蕩かす薔薇の色と匂いと。しかし、遠い海ではない中景の足下には、マッチ箱のような屋根が陽光を反射し無数にひしめいている。防潮堤一枚に囲われ、海と同じ平面に張り付いた町並み。ひとたび、地震による津波が起これば阿鼻叫喚の地獄になる。妖しい美しさと恐怖の危険とが隣り合っている。それは、この薔薇園に限らない。わたしたち二十一世紀日本の普遍的な現実の姿なのだ。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◎特選
金山やつるはし跡の青蛙
海野二美
静岡県では梅ヶ島と土肥が、全国では佐渡金山が有名である。どこも金山といえば、金堀人夫たちが命がけで坑道に取り組んでいた。その昔のつるはしの跡に乗っかって、青蛙が可愛い顔をしてこっちを見ている。四〇〇年前の採掘当時も青蛙が同じようにケロリとやってきたことだろう。無宿人の地獄のような一生の一方で、ゴールドラッシュに沸き返るお大尽もいたに違いない。人間の欲と苦労の営 々たる歴史を何も知らない青蛙のかわいさが印象的だ。洗い立てたような青蛙の眼が、逆に人間の営みを浮かび上がらせる射程距離は大きい。平易な措辞によるさりげない俳句の裏には、作者の長年にわたる修練の裏付けがある。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
◯入選
引きこもる窓に一匹青蛙
林 彰
引きこもるそのひとの窓に一匹の青蛙が貼り付いている。
「大丈夫かい。ぼくのいるところまで出ておいでよ」というように。梅雨時の雨が、ときどき降って、窓に雨滴が溜まっている。
物音もしない。なかに人がいるとは思えない静けさ。でもぼくは知っている。そのひとはそのなかに暮らしている。
80-50問題がマスコミでさわがれる。ひきこもりはいまや少青年のみならず全世代の問題だ。時事俳句といえなくはないが、そういいたくない静謐さは、作者のやさしさがそのまま青蛙に乗り移っているから。(恩田侑布子) 今回の最高点句のひとつでした。(もう一句は特選の“薔薇園の”句)
合評では、青蛙のやさしさ、かわいらしさに言及した評が多くありました。また、この句が、部屋の内側から見て書いている句か部屋の外から見ての句かの議論がありました。「内側から詠んだ句と読むと短歌的叙情句となり、つらさが出過ぎる。外から見た方が世界が広がる。俳句的には、‟距離‟がある方が良いので、外から見ている句と読みたい」と恩田が評しました。(猪狩みき)
合評の後は、『文芸春秋』(7月号)、『現代俳句』(6月号)に載った俳句を鑑賞しました。
息継ぎのなき狂鶯となりゆくも 恩田侑布子 教会の鐘に目覚めて風五月 片山由美子 水無月の底なる父の手を摑む 水野真由美
などが連衆に人気。 「写生、即物具象での作句が絶対と考える作家もいれば、象徴詩として俳句をとらえ、隠喩を大事にしている作家もいる。‟どの考え、方法でなければいけない‟とは私は考えていない。それぞれが自分の足場から水準の高い俳句を作ってくれればよい」と恩田が述べました。
[後記]
鑑賞の中で、「詠んでいるものとの距離」が話題になりました。短歌との違い、俳句らしさはその距離にあるということだったと思います。また、ある句について「平易だけれど射程が深い句」と恩田先生が表現していたのが印象的でした。「俳句」の表現についていつも以上に考えさせられた回でした。
次回兼題は、「夏の朝」と「雷」です。(猪狩みき)
今回は、特選2句、入選1句、△3句、ゝシルシ4句、・シルシ 7句でした。欠席投句者の入選が多かった会になりました。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成30年3月4日 樸句会報【第44号】 彌生三月第1回。少し窓を開け、春風を呼び込んでの句会です。
特選2句、入選2句、△3句、シルシ8句という実りゆたかな会でした。
兼題は「踏青」と「蒲公英」です。
特選句と入選句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎合格や不合格あり春一番
久保田利昭 ◎「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく
萩倉 誠
(下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)
〇蒲公英を跨ぎ花一匁かな
芹沢雄太郎
合評では、
「かわいらしい句。思い出かな?こういう句は大好きです」
「かわいい。“花一匁”にノスタルジアが感じられる」
「うまくまとまってはいる。“跨ぎ”がもっと能動的であれば採りましたが」
「あちこちに咲いているたんぽぽは“跨ぐ”には小さすぎませんか?子どもの歩幅と一致しないような気がして・・」
などの感想が述べられました。
恩田侑布子は、
「一読して、たんぽぽと花いちもんめは即きすぎかとも思った。でも花いちもんめの歌を思い出すと、“あの子がほしいあの子じゃわからん”と、浪のように手をつないで歌いながら、鮮やかな黄の蒲公英をひょいとまたぎ越す子どもの無邪気さが感じられた。子ども時代の余燼がまだ身のうちに残っていなければつくれない俳句。若草と蒲公英。その上にゆれる赤いスカートや半ズボンの戯れは春日の幸福感そのもの」
と講評しました。
〇犬矢来こえて行くべし猫の恋
林 彰 合評では、
「“犬矢来”ってなんですか」
「市内では見かけないですね。よく言葉を知っている作者ですね」
との質問や感想。
恩田侑布子は、
「“矢来”は遺らいであり、追い払う囲い。竹や丸たんぼを荒く縦横に組んでつくるもので“駒寄せ”と同義。犬のションベンよけ、埃よけともされ、最近は和風建築の装飾化している。この“犬矢来”という死語になりかけた措辞を活かした手柄。しかも犬なんかに負けるんじゃないぜ、猫の恋よ、の思いも入ったところに俳諧がある」
と講評しました。 投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 来し方に悔いなき青を踏みにけり
安住 敦
たんぽぽや長江濁るとこしなへ
山口青邨
蒲公英のかたさや海の日も一輪
中村草田男
[後記]
本日は「静岡マラソン」の日。走り終えたランナーたちとすれ違いましたが、みな爽やかな感じ。達成感・充実感があるのでしょう。句会のあとの連衆も同じような表情をしているのかもしれません。
次回兼題は「菜飯」と「“風”を入れた一句」です。
(山本正幸)
特選 合格や不合格あり春一番 久保田利昭 大方のひとにとって人生の始めの頃の喜び哀しみは受験にまつわることが多い。同じクラスでいつも軽口を叩きあっては笑いこけていた友人が、高校受験や大学受験で一朝にして合格者と不合格者の烙印を押されてしまう。それを春一番の吹き荒れる様に重ねた。この春一番はまさにこれから二番三番とかぎりなく展開する嵐の道のりを暗示する。それが合格やの「や」であり不合格「あり」である。が、いずれにせよまばゆさを増す春のきらめきのなかのこと。泣いても笑っても船出してゆく。さあこれからが本番だよと作者は懐深くエールを送る。
特選 「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく
萩倉 誠 独白をうまく取り入れた冒険句。句跨りだが十七音に収めた。ほろ酔いの掌は思わずどこに触れたのか。手と手かしら?もしかしたら胸元にタッチ?「ヤバイ」。よこしまな関係になりそう。一瞬のたじろぎ、期待、春情。交錯する感情が生き生きと伝わってきて面白い。なんといっても座五の「春ぞめく」が出色。①群がり浮かれて騒ぐ。②遊郭をひやかして浮かれ歩く。の辞書にある語義に身体感覚が吹き込まれ、それこそザワザワ身内からうごめくよう。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。