令和2年5月3日 樸句会報【第90号】 青葉が美しく生命力にあふれた季節ですが、今回もネット句会です。本日は憲法記念日。恩田から出された兼題はまさに「憲法記念日」「八十八夜」でした。形のないものを詠むのに苦労しつつも独自の視点に立った面白い作品が多く寄せられました。 入選1句、原石賞1句及び△6句を紹介します。 ○入選 突堤のひかり憲法記念の日 山本正幸 第九条をとくに念頭にした志の高い俳句と思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という理想主義、平和主義を諸国に先んずる「突堤のひかり」と捉え、人類の平和のためにこの理想を失いたくない。胸を張って守って行きたい、という清らかな矜持が滲んでいます。共感を覚えます。 (恩田侑布子) 【合評】 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。 【原】化石こふ故郷八十八夜かな 前島裕子 作者のふる里は、なんとかの化石の出土地として有名なところで、きっと作者ご自身もそれが誇りであり自慢なのでしょう。その化石と故郷が結びついたユニークさが取り柄の句です。 「望郷の目覚む八十八夜かな」という村越化石の代表句を思い出したりもしますが、と、ここまで書いて、そうか、これは村越化石を題材にした句であり、地質時代の遺骸の石化なぞではないんだとあわてて気づいた次第です。だとしたら、他人事に終わるのではなく、 【改】化石恋ふ故郷に八十八夜かな とご自分の位置をはっきり示されたほうがより力のある句になるのではないでしょうか。 (恩田侑布子) △ お隣は実家へ八十八夜かな 樋口千鶴子 お隣さんはこぞって里帰りでがら空き、すこしさみしい、でも隣家のみんなのにぎやかな笑い声を想像してなんとなくほのぼのともしてしまう。そういう八十八夜のゆたかさがよく表れた俳句です。言外にふくよかさがあります。 (恩田侑布子) △ 補助輪を外す憲法記念の日 芹沢雄太郎 憲法成立時のいさくさを思い、いい加減にアメリカというつっかえ棒をなくして、私たち国民の正真正銘の憲法として独立自尊させよう。という健全な民主主義への思いを感じます。 子供の自転車の補助輪を持ってきたところなかなかですが、寓喩性がやや露わなのが惜しまれます。 (恩田侑布子) 【合評】お孫さんかな、補助輪がはずれ颯爽と自転車をこぐ、自慢げな顔がうかぶ。「憲法記念の日」がきいていると思う。現行憲法が施行され70年が経過した。この日はそろそろGHQの補助輪を外し、良きものは残し、是々非々の自主憲法の制定を考える日でありたい。補助輪と憲法が響く。 △ 体幹を伸ばす八十八夜かな 芹沢雄太郎 気持ちのよい俳句です。背筋を伸ばすならふつうですが、「体幹」は身体の中心なので、こころまで、精神まで正し伸びやかにする大きさがあります。実際どのようにするのかイメージが湧けば更に素晴らしい句になることでしょう。 (恩田侑布子) 【合評】 初夏で本来なら心が浮き立つ時期・・しかしステイホームで運動不足。外出できる日に備えてストレッチ・・健全な心掛けですね。 △ 秒針の音よりわづかあやめ揺る 山田とも恵 真っ直ぐで清潔な茎と、濃紫の印象的なあやめの花の本意をよく捉えています。初夏の夜の繊細なしじまが伝わってきます。今後の課題としては、読後に景がひろがってくれるように作れるとなおいいですね。 (恩田侑布子) 【合評】あやめのピンと張りつめたような葉を、秒針の音よりわずかに揺れると表現したのが上手いと感じました。五風十雨のこの地。風も時もゆったりと流れる。心もまた静か。 △ 風呂入れ憲法記念日のけんか 山田とも恵 風呂嫌いの子がけっこういるものです。ささいもない家族の中のけんかを、大きな国家のきまりと溶け込ませて捉えたところにおもしろい勢いが感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 父親と息子のけんかだろうか。 改憲議論からの口論だろうか。いやいやそんな高尚な話ではない。 最後には「とっとと風呂入れ!」の親の一言で結んだケンカ。 憲法記念日という固い季語と「風呂入れ」のギャップが読み手を引き付ける。 国の行く末より家族のあしたの方が問題であり身につまされる。 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。 △ レース編む一目の窓に来る未来 海野二美 夏に向かってレースを編み始めた作者。「一目の窓に」が初々しくていいです。しかも「未来」と大きく出た処、まさに青空が透けて見えて来るようです。 (恩田侑布子) 【合評】 お子さんかお孫さんのために何か編まれているのでしょうか。レースの網目に未来が生まれてくるという発想が素晴らしい。ただ「窓に来る」という表現が若干説明しすぎのような気もしないではないですが、どうでしょう。 今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の『息の根』7句、『よろ鼓舞』7句、計14句を読みました。 連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています。 『息の根』7句 『よろ鼓舞』7句 ↑ ↑ クリックしてください [後記] 筆者にとって「憲法記念日」は自分の信条を物や景色に託してどこまで出していいか非常に迷う難しい兼題でしたが、逃げずに向き合う良い機会となりました。恩田が総評として次の言葉を寄せています。「憲法記念日の季語は、ふだん感性主体で作っている俳句の土台に、ほんとうは現代の市民としての社会性や、世界認識が必要であることを気づかせてくれたのではないでしょうか。また、八十八夜は、目に見えているのにとらえどころがないおもしろい季語で、こちらは認識というより、いっそう全人的な感性それ自体が問われ、焦点を絞ることの大切さを学ばれたと思います」(天野智美) 次回の兼題は「青葉木菟」「浦島草」です。 今回は、○入選1句、原石賞1句、△6句、ゝシルシ3句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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12月8日 句会報告
令和元年12月8日 樸句会報【第82号】 12月最初の句会。兼題は「冬の月」と「鰤」です。 入選4句と原石賞2句を紹介します。 ○入選 鰤さばく迷ひなき手に漁の傷 見原万智子 大きな鰤をなんのためらいもなく手馴れた手順で三枚に下ろしてゆく漁師。包丁さばきの手を追っていて、ハッとした。肉の盛り上がった大きなキズ痕があるのだ。胸を衝かれた瞬間のこころの動きがそのまま五七五の措辞の運びになった。調べも潔い。逃げ隠れできない一つ甲板の上で来る日も来る日も大海原と対峙する漁業。荒々しい労働の過酷さが、句末の一字「傷」に刻印され、雄々しい海の男が堂々と立ち上がって来る。(恩田侑布子) 今回の最高点句でした。 合評では、「漁師の姿が浮かんでくる」「屋外で露骨に作業している光景。潔く、小気味よく包丁が動いている」「“傷”より“疵”にしたほうが良いのでは?」「いや、“疵”だと文学趣味的になってしまう」 などの感想・意見がありました。(芹沢雄太郎) ○入選 短日の切株に腰おろしけり 芹沢雄太郎 やれやれと切株に腰を下ろして息をつくと、ふっと冷たい気配を背中に感じた。この前まで木が広げていた葉叢はあとかたもなく、頭上はすーすーの冬空である。日はすでに西に傾き、夕刻まで幾ばくもない。いのちを断たれた木に座って疲れを癒やしている自分はいったい誰れなのか。切株になるのは木ばかりではないぞと、そぞろに思われてきたのである。 (恩田侑布子) ○入選 多磨全生園 寒林を隔て車道のさんざめき 天野智美 東京都東村山市にあるハンセン病患者を収容する施設の奥はだだっ広い寒林であった。冬木の林を隔てて、車がひっきりなしにゆきかう車道と色とりどりの町並みがある。かつて病人を「らい病」と呼んで虐げ差別した長い歳月があった。痛恨の歴史をうち忘れたような消費社会の世俗の賑わいを「さんざめき」と捉えた感性がいい。〈望郷の丘てふ盛土冬の月〉も対の句。言葉をうばわれた人々のかけがえない歳月に思いを寄せる智美さんの共感能力に敬服する。 (恩田侑布子) 恩田だけが採った句でした。 ○入選 立読める安吾の文庫開戦日 山本正幸 坂口安吾は終戦直後の『堕落論』で一躍有名になった無頼派作家。これはエッセー「人間喜劇」にある世界単一国家の夢かもしれない。七十八年前の今日、大東亜戦争という名のもとに狂気の戦争を自らおっぱじめた日本。作者は書店の文庫コーナーでささっと斜め読みして間もなく立ち去る。開戦日であることの痛恨をこの店内のだれが思っているだろうか。 (恩田侑布子) 合評では、「安吾が好きなので採りました。文学的に反戦を表している」「本屋での光景が浮かびました」「“立読める”という気楽な表現が良い」など様々な感想、意見が飛び交いました。 (芹沢雄太郎) 【原】アフガンの地に冬の月如何に照る 樋口千鶴子 中村哲さん(一九四六年〜二〇一九年十二月四日)の非業の死は、遠い巨大な地震の報のように内心を震撼させた。だれも真似の出来ない四〇年の菩薩行は銃弾をもって贖われた。純粋な善行が凶刃に嘲笑われる二一世紀になってゆくのだろうか。千鶴子さんのまっすぐな気持ちが下五の「如何に照る」にこめられた。切なくなる。有季の俳句は季語に感情が託せるといい。 【改】如何に照るアフガンの地や冬の月 こうすると、白い寒月が荒漠の地にかかる。冬の月が語りだすのである。 (恩田侑布子) 合評では、「中村哲さんの時事句、追悼句として、怒りや悲しみが伝わってくる」などの意見があがりました。 (芹沢雄太郎) 【原】もう逢へぬ寒月射せる白き額 山本正幸 当「樸」は恋句を詠む人が多くてうれしい。百になっても臆することなくつくってほしい。恋は感情の華だから。ところでこの句は、寒月の下での忘れ得ぬ別れ。原句のままだと中七のリズムがもたつきやや説明的。 【改】もう逢へぬなり寒月の白き額 こうすると、いとしいひとの白い額が寒月光に浮かぶ。いま、わたしのてのひらを待つかのように。 (恩田侑布子) 今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。 同じ湯にしづみて寒の月明り 飯田龍太 石山の石のみ高し冬の月 巌谷小波 酔へば酔語いよいよ尖る冬の月 楠本憲吉 蒼天に立山のぞく鰤起し 加藤春彦 鰤裂きし刃もて吹雪の沖を指す 木内彰志 寒鰤は虹一筋を身にかざる 山口青邨 注目の句集として、堤保徳『姥百合の実 』(2019年9月 現代俳句協会) から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 燈台はいつも青年月見草 胸の火に窯の火応ふ冬北斗 月光や男盛りのごと冬木 吾に息合はす土偶や桜の夜 死してより遊ぶ琥珀の中の蟻 堤保徳『姥百合の実 』からの抽出句については こちら [後記] 今回は11名の連衆が集まりました。その中に注目の句集の堤さんとの知り合いがおり、お話を聞くことで句の背景が鮮やかになった気がしました。句の鑑賞では、作者のバックグラウンドをどこまで想像できるかも重要だと感じました。また、今回の入選句で多磨全生園を訪れた際の句がありましたが、その句の作者は自身の社会的関心に基づいて実際の地を訪れ、句にするということをよく行っており、作者の行動力と、それによって生まれる句の力強さに驚かされます。人間が社会的・歴史的存在である以上、日常詠だけでなく、そういった句も積極的に詠んで行きたいと考えさせられました。 (芹沢雄太郎) 次回兼題は、「山眠る」と「枯野」です。 今回は、○入選4句、原石賞2句、△8句、ゝシルシ6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
6月2日 句会報告と特選句
令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。 特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。 ◎特選 メーデーや白髪禿頭鬨の声 島田 淳 日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ◎特選 さつき雨猿の掌光る屋久の森 林 彰 季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む 村松なつを 合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。 △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり 芹沢雄太郎 恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。 ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す 松井誠司 本日の最高点句でした。 恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。 ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士 萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。 ゝ 病む人にこの囀りを届けたし 樋口千鶴子 「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。 今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩 彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人 やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城 手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子 手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼 手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子 生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子 歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子 樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ 久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。 [後記] 句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。 本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。 次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸) 今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
4月24日 句会報告
平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。 兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。 ○入選 口紅で書き置くメモや花くぬぎ 村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子) 合評では 「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」 「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」 「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」 「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」 「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」 「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」 「歌謡曲的ではある」 など盛り上がりました。 (山本正幸) ○入選 暗闇に若冲の雉うごきたる 前島裕子 「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。 この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では 「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」 「季語が効いていないのでは?」 「暗闇でものが見えるんでしょうか」 「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」 「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」 と辛口気味の感想、意見が聞かれました。 (山本正幸) 故宮博物院にて 【原】春深し水より青き青磁かな 海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。 △ 君にキス立入禁止芝青む 見原万智子 三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。 △ 渇愛や草の海ゆく雉の頸 伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。 △ ぬうと出て櫟の花を食む草魚 芹沢雄太郎 ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢 樋口千鶴子 4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。 (以上講評は恩田侑布子) 今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。 多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨 東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ [後記] 本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。 「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。 句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。 次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間 ゝシルシ ・シルシと無印の中間)
1月6日 句会報告
平成31年1月6日 樸句会報【第63号】 新年第一回目の句会は、まだ松の内の6日に行われました。埼玉からも名古屋からも、遠距離をものともせず集う仲間がいてホットで楽しい初句会になりました。 兼題は「初景色」と「宝船」。 ○入選1句、原石賞2句を紹介します。 ○入選 宝船帆の遠のくなとほのくな 石原あゆみ 「夢の世界に入る様子、意識が遠のいていく感じが表現されていてよい」 「明恵上人の“夢日記”を想いました」 「遠のくなとほのくな、のリフレインが快い。ひらがなの眠気を誘うような言葉もいい」という感想がありました。 「夜の夢の中で宝船が遠くに行ってしまうのを惜しんで遠のかないで欲しい、と言っている句。人間の欲を相対化している俳味があります。客観化したことで句柄が大きくなりました。夢の中の宝船を実感で書いているところもおもしろい。また、リズムがとても良い。駘蕩たるリズムですね。しかも、座五のリフレインをひらがなに開いたことで、意識が眠りに吸い込まれてゆくリアルな感じがします。景色も初凪のさざ波まで見えてくるようです」と恩田侑布子が評しました。 今回の原石賞の二句は、季語や語順を変えるだけで格段に変わると恩田が評し添削しました。 【原】初化粧とは名ばかりの薄化粧 樋口千鶴子 ↓ 【改】初鏡とは名ばかりの薄化粧 「“化粧”を二つ重ねずに“初鏡”に変えると、楚々とした薄化粧の様子が表されて、ハッとするようなみずみずしい句になります。清潔な色気、美しさが出てくると思いませんか。散文的でなくなって、俳句という詩になります。千鶴子さんの飾らない本質が出たいい句ですね」とのことでした。 【原】大漁旗の群れ抜けて富士初景色 見原万智子 ↓ 【改】初富士や大漁旗の群れを抜け 「“富士”と“初景色”が重なっているのを解消すると見違えるような佳い句になります。カラフルな旗の奥に白雪の富士が見えてきます。情景が鮮やかになると思いませんか」と問いかけました。 合評の後は、『俳壇』2019年1月号に掲載された恩田の「青女」30句(季 新年)を鑑賞しました。 絶壁の寒晴どんと来いと云ふ よく枯れて小判の色になりゐたり 淡交をあの世この世に年暮るる が多くの連衆に好まれました。 [後記] 新年の句会。「いのちを喜び合うのが新年の句である」と聞きました。その時々の季を十分に受けとめ味わい日々を喜びの深いものにすることを俳句を通して実現できたら、と思った時間でした。 次回兼題は、「水仙」と“寒”の付く季語です。(猪狩みき) 今回は、○入選1句、原石賞2句、△5句、ゝシルシ10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
7月27日 句会報告
平成30年7月27日 樸句会報【第53号】 七月第2回の句会です。記録的な酷暑(埼玉熊谷で41.1℃)のためか今回はやや低調。 特選・入選ともになし。原石賞2句、△1句、シルシ4句、・5句という結果でした。 兼題は「山開き」と「夏越」です。 原石賞と△の句からそれぞれ1句紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 【原】人類のつけ噴き出して炎暑かな 樋口千鶴子 合評では、 「これはすごい句と思った。こういうことを俳句にすることは大切ではないでしょうか。“つけ噴き出して”に温暖化の進んでいることへの人間の反省が込められている」 「CO2の問題。理屈を感じました」 「“つけ”としたことで川柳ぽくなったのでは?」 「“炎暑”は人間の罪なのですか?」 「こういった重目のものは好みではありません」 などさまざまな感想、意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「わたしたち現代社会が直面している題材を俳句に詠うことは大切なこと。現代社会の困難・矛盾に対する姿勢がないと地獄の裏づけのない「屋上庭園の花鳥諷詠」になってしまいます。きれいな句にまとめようとしていないところが良い。ただし、“つけ”にまだ理屈がのこっている。損得勘定の次元を引きずっているのが惜しいです」 と講評し、次のように添削しました。 人類の業噴き出せる炎暑かな 「人間の罪業の深さへの内省を誘います。文学的になり、心の深さが出ませんか」 と恩田は問いかけました。 △形代を納めてバーの小くらがり 伊藤重之 本日の最高点句でした。 「ハードボイルド小説風の孤独感があり、いい雰囲気」 「“形代”と“バー”の落差が面白い」 など連衆の感想がありました。 ===== 投句の合評と講評の後は、金曜日の句会の定番となった「野ざらし紀行」講義の四回目です。以下、筆者のまとめと感想です。 伊勢の外宮に詣でると峯の松風が芭蕉の身にしみます。 みそか月なし千(ち)とせの杉を抱()あらし この句は「峯の松風」をうたった西行の歌を踏まえている。また、この句のあらしは、『荘子』の斉物論篇で名高い地籟としての風をふくんでいるという説があるとのことでした。 本日の恩田の講義から、芭蕉における荘子や西行の影響の大きさが分かりました。また、神仏習合の思想(本地垂迹説が人々の心にある)についての説明も恩田からあり、日本文化に対する芭蕉の幅広く深い教養に感じ入った連衆でした。 [後記] いつもより少人数での本日の句会は、外の猛暑にも負けない?熱い論議。特に原石賞の「炎暑」の句については様々な意見が出されました。人類の将来に関する悲観論、CO2削減に応じない大国のエゴ、逆に地球は氷河期に向っているとの学者の意見等々‥。 社会問題を題材にした俳句についての議論は、発言者の思想や社会認識の一端に触れることができて、筆者としては興味深いものがあります。 次回兼題は「鬼灯」と「海(を使った夏の句)」です。(山本正幸)
11月17日 句会報告
11月2回目の句会が行われました。静岡市街は温暖な気候のせいか、ゆっくりと紅葉が進んでいるようです。 今回の兼題は「猪・鹿・柘榴」。人によっては食欲をそそる季語ですね。今回は色調豊かな入選句が4句出揃いました 〇秋夕焼文庫百冊売つて来し 山本正幸 合評では、 「サッパリした爽やかさと、淋しさが出ている。複雑な心理状況」 「百冊とは結構な量なので終活をイメージした。人生の過ぎゆく早さと秋の暮の早さを詠んでいるのでは」 「寺山修司の“売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき”の短歌を思い出した。百冊が効いている」 という意見の一方、「“秋夕焼”と“売って来し”が即きすぎではないか」という指摘も出ました。 恩田侑布子は 「百冊の文庫本に親しんだ思い出と未練が秋夕焼をさらに赤くする。スッキリしたようで切ない夕焼け。すこし墨色を帯びたさびしさ。はかなく色あせてゆく秋の夕日に、文庫本を一冊づつ買って読んだ長い歳月が反照される。青春性の火照りが残っていて、終活というよりも人生を更新したいという前向きさを感じる。古書との別れの季語として秋夕焼は動かないでしょう」 と講評しました。 〇仁王門潜れば老いし柘榴の木 佐藤宣雄 合評では、 「自分の原風景に老いた柘榴の木があるので、柘榴にホッとする気持ちがよみがえった」 「景がよく、中七の調べがよい」 「ただの写生句で、スナップ写真のよう」 「老いた柘榴の木じゃなくても成立する」というように、意見が二手に分かれました。 恩田は、 「一瞬に景が立ち上がる重厚な句。朱塗りと赤、茶と緑の色彩も美しい。仁王門を見つめてきた柘榴の長い歳月が感じられます。「老いし」の措辞に、実はつけていても、木のやつれが浮かび、悟り済ませぬ人間の歳月が裏に重なるよう。二重構造の俳句といっていいでしょう」 と講評しました。 〇敬老席どんと座つて運動会 西垣 譲 「なんでもないけど、なるほどなと思うこういう句が好き」 「俳句じゃなくて川柳じゃないか」 「いや、これは川柳じゃなくて一流の句」 と、軽妙に意見が交わされました。 恩田は、 「連合町内会の運動会の敬老席はたいてい見晴らしのいい場所にある。“どんと”がのさばっている感じで滑稽。が、その裏に、もう花形の徒競走など、イキのいい競技に参加できない一抹の淋しさもあります。俳味ゆたかな句です」 と講評しました。 〇兄の如し月命日に台風来 樋口千鶴子 合評では、 「はじめに“兄の如し”と言い切った。スピード感があり、どんなお兄さんだったかイメージできる」 「追慕の心情が出ている」 と感想がでました。 恩田は、 「上五字余りの重量感のある切れが出色です。お兄さんの死に切れぬ情念が台風になって吹きすさぶように感じた。『嵐が丘』のヒースクリフを思い出します。巧まざる倒置法も効果的です。作者は上手い俳句を作ろうとしたわけではなく、亡き兄の気持ちを慰めたい一心なのだと思います。それが図らずもこういう表現をとった。そこに俳句の懐の広さがあります」 と講評しました。 [後記] 句会が始まる前、その日に鑑賞する句が並ぶプリントが配布されます。その冒頭にいつの頃からか、恩田侑布子の叱咤激励文が掲載されています。今回は「ただごと俳句や報告句からいかに抜け出すかに配慮し、感動のある一句を!」と書かれていました。毎回この一文を読むと、座禅中に背後から鋭く警策を食らうような痛みとともに、心地よい緊張感が身を貫きます。いかにダラリと座っていたか気づく瞬間です。次回の兼題は「霜・霜除け・落葉」です。(山田とも恵)
3月3日 句会報告と特選句
桃の節句の句会。兼題は「紅梅、和布」です。 句会会場近くの駿府城公園に紅葉山庭園があります。ちょうどいま、飛び石伝いに梅林を散策して香りにうたれることができます。 高点句を紹介していきましょう。 朝日入る一膳飯屋わかめ汁 佐藤宣雄 恩田侑布子の入選句で、合評では、 「生活感のある句だ。夜勤を終えてくつろぐ肉体労働者の姿が浮かぶ」 「“朝日入る”という上五がいい。作者の感性に共感した」 「学生街の一膳飯屋を想像した。都会の一隅の光景」 「独り者だろう。“朝日入る”が効いている。小さな開放的な店の景がくっきりしている。月並みでない面白さがある」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「みなさんの鑑賞がいい。シッカリ書けていて、曲解されることのない句でしょう。安サラリーマンや学生が気軽に寄る店。あたたかい元気なおじちゃんおばちゃんが迎えてくれる。上五が清々しく、飾り気がない。和布の兼題で、浜辺ではなく店をもってきて成功している。平易な言葉が使われており、いろいろな人の想像力を掻き立てることができた」 と講評しました。 紅梅や進む病状月毎に 樋口千鶴子 恩田侑布子の入選で、合評は 「深刻な病気の状況であろう。現代社会では、安楽死など死をめぐる議論がいろいろある。人工呼吸器を着けたらもとに戻れない。大変な気持ちを抑えて句にしている。それを紅梅と対比させている」 との共感の声がありました。 恩田は、 「“紅梅”が効いている。紅梅はうつくしいが、むごさや残酷さも併せ持つ。他の植物では中七以下を受け止めきれないだろう。あえて感情を押し殺して事実のみを述べた。そぎ落とされた表現が共感を呼ぶ」 と講評しました。 色褪せてなを紅梅の香を残し 樋口千鶴子 「近くの公園に白梅と紅梅が咲いている。紅梅は白梅に比べて少し重い。しつこさもある。この句は、まだまだどっこい生きているぞという心意気がベースにあると感じた」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「千鶴子さんはいつもものをよく見ている。誠実な眼差しが感じられる。白梅の潔い散り際に比べて、紅梅は白っぽく色が抜けたり、逆にくろずんだりして縮れて落ちる。ここでは香りに注目したのが良い。昔の人は香りの高い植物を愛好し、自分の生きる鑑とした。この句は散文のようだが、内容が良く、下五に実がある。紅梅のありように自分を重ねた。一生を見つめて一瞬を詠むのが俳句」 と講評しました。 紅梅の髪にかざして自撮りして 久保田利昭 「~して~して、という軽快感がよい」 「髪に花をかざす習慣は昔からあったが、“自撮り”で新しさが出た」 などの感想。 恩田は、 「軽いタッチの句。紅梅とこの女性の自己愛(ナルシシズム)がつり合っている。白梅ではこうはいかない。季語が効いている」 と講評しました。 風に老い飛沫に老いぬ和布採 伊藤重之 「“老い”のリフレインが効いている。和布採りの一情景と一老人の生き方が重なる」 との感想。 恩田は、 「対句をいいと思うか、鼻につくかで評価が分かれる。ちょっとカッコつけすぎているところのある句だ」 と講評しました。 [後記] 今回の句会で恩田が強調したのは「よく見る」ということでした。 よく見る(視る)とは、ただ網膜という器官に像を写すのではなく、意識と五感を総動員しなければいけないことを痛感。 次回の兼題は「古草」「春障子」です。(山本正幸) 特選 紅梅を仰げるあぎと娶りけり 山本正幸 濃艶である。紅梅を仰ぐ女性の透けるような白い肌の顎から喉もと、首筋がみえてくる。こんな美しい女を我妻にしたのだという男の満足感と、ある種の征服感まで感じられる。白い喉のなめらかさに負けず、紅梅はいっそう黒々と濃く中天にこずむ。性愛の烈しさが匂う。「あぎと」に焦点を絞って、紅梅の紅と対比させた技法が巧みである。講座では、「娶りけり」はジェンダーギャップのことばで不快、という意見も出た。たしかにそう。しかしそれがわたしたちの蓄えてきた「言語阿頼耶識」であることも事実。時に、性愛の場は平等をよろこばない。さくらよりも肉感的なエロスを匂わせる紅梅がふさわしい由縁。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)