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2022 樸・珠玉作品集

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2022 樸・珠玉作品集 (五十音順)     2023・新しいステージへ  コロナ禍の長いトンネル3年目に、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、グローバルなサプライチェーンは震撼させられました。国内は円安による物価高、出産数のさらなる激減、地球温暖化による天災の激増に見舞われました。  そうした社会環境に抗う思いは、しんじつの俳句に結晶し、ここに「2022年樸珠玉作品集」が誕生しました。安閑とした暖衣飽食の中ではなく、さまざまな鬱屈の中でこそ、俳句は力を持つのかもしれません。  昨夏から新たに、毎日新聞前主筆の小松浩さんと、芝不器男新人賞を受賞した田中泥炭さんという素晴らしい仲間を迎え、一番の若手、古田秀さんは全国俳誌協会賞を射止め、樸は新しいステージへ進みつつあります。   一句一句には、それぞれの作者の生まれる前からの蓄積が込められています。その人となりを知らなくても、十七音を一息で読んで共感できるのは、切れにたたまれた入れ子という俳句の余白の素晴らしさです。  当HPをご覧いただいておられる方との温かなつながりにも感謝し、心からお礼を申し上げます。本年もご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 恩田侑布子        猪狩みき   白き布濃淡のあり冴えかへる   点滴をはずせぬ母の残暑かな   ぐるぐると幼な描くや黒ぶだう 《句の作り方》    題が出されていなくとも、日々まわりをよく見て句を作っていれば句会の前日頃に慌てることもないだろうに、なかなかそうはできていない。これからはそうしたいもの(と毎年思っている)。  しかし、題が示されることで、その季語から思わぬ連想がわいたり、ずいぶん昔にあった、日頃思い出しもしないようなできごとやあるシーンが浮かびだしてくることがあり驚くことがある。制約があることが、かえって連想をとばせたり深まらせることにつながっているのだろう。  ゆとりの句作も苦しまぎれの句作も味わえる今年にしたい。        活洲みな子   日向ぼこ付箋だらけの句集抱き   病中のことは語らずマスカット   秋の蝶母は娘に還りゆき 《出会いの妙》    4年前、とある書店のエッセイコーナーに紛れ込むように並んでいた句集。偶然にもこの1冊に手を伸ばしたことが、私と俳句との出会いとなりました。句集は少しずつ増え、とうとう俳句のために新たな書架を部屋に据えたところです。12月には師の新しい句集も加わり、嬉しく読ませていただいています。あの時に1冊の句集に手を伸ばしていなかったら、俳句に親しむ今の私はいなかったのかも。つくづく出会いの妙を感じています。        海野二美   ままごとの今日のお菜はいぬふぐり   清流浴鮎に私にプリズム光   小さき露となりても消えぬ母心 《樸のこれからは・・》    昨年は主要メンバーの退会、転じて有望な新人の加入、また古田さんの度重なる受賞、ZOOM句会の開催と、変化の大きな1年でした。しかし昨今のデジタル時代に即した新たな飛躍も期待できます。  樸の皆様の俳句はバリエーションに富み、また恩田先生は個性を尊重し、幅広く評価してくださるので、毎回楽しく勉強させていただいております。  会計と致しましては、会費の前納が皆様のご協力で徹底できております事、ありがたく思っております。    金森三夢   職辞せる妻の小皺のあたたかし   菜園の薬味を選りて冷奴   荻の声水面に銀の波紋寄せ 《谷あり、谷あり・・・》    樸句会に参加させて戴き3年が経過しました。谷有り谷あり、ちょっと丘有り、又、谷底という3年でした。愚生は恩田代表が何度もおっしゃる「点数よりも自分の最高句を超えよ」を目指しつつも、提出3句の全てに代表のシルシ以上の評価を揃えたいという煩悩が捨てきれない凡夫です。今年は古稀です。句に爽風を吹き込み新境地を開けるよう精進したいと念じております。皆様どうぞお手柔らかに。    小松浩   古書市の裸電球文化の日   露霜を掠めて速きジョガーかな   大根の熱き中まで透きとほる 《背中を押されて》    1年前は、自分が句会に入って俳句を作る姿など、想像もしていなかった。ふと手にした本が導き手となり、気がついたら著者を囲む人たちの輪に自分もいる。水泳を習おうか逡巡していた少年が、いきなりプールに突き落とされ、必死で手足をばたつかせているような気分だ。でも人生の新しい道はいつだって、こんな偶然の出会いと、モノのはずみから始まるのかもしれない。背中を押してくれた樸の皆さんに、心から感謝しています。    島田淳   割れ残る氷探しつ通学路   卒業式音痴の友は右隣   斎場へ友と白粉花の土手 《自分の友との旅》    コロナ禍の前後から「断捨離」が流行している。モノへの執着を捨て、「不要なモノ」を手放すことでストレスから解放されるのだと言う。今年は「年賀状じまい」という言葉もよく聞かれた。自分に纏わりついている過去を整理しようという欲求なのかも知れない。  掲句はいずれも小中学校の友人達を念頭に詠んだ句である。纏わりついた過去どころか、記憶の奥底に沈んでいた情景である。それが十七音という形式と季語の助けを借りて、自分の中に蘇った。一読して決して立派な友人関係でない事がわかる。にもかかわらず、友人の通夜に一緒に行く友がいることが、自分にとって有り難く、幸せな事だったと再確認できた。句作は自己の内面への旅である。友の姿を句に映しながらその旅を続けられるのは、やはり幸せな事なのだろう。         芹沢雄太郎   サリーごと子ごと浴びたる春の波   水を打つまづガネーシャの眼前に   睡蓮をよけ水牛の浸かりをり  《インドの匂い/日本の匂い》    昨年よりインドに赴任し、インドの匂いに馴染むにつれ、日本の匂いの記憶が薄らいでいる気がします。そんな中、樸の仲間の句を国境を越えて読む度に、日本の匂いを鮮明に蘇らせてくれます。    田中泥炭   吾も亦祈らぬ一人白葡萄   とぢあはせ瞼に熱や藤袴   大未来その目前の鶏頭花 《捨てずに自由》    昨年は色々なことが起きた。まず長年勤めた職場を退職した。その後予期せぬ芝不器男俳句新人賞の受賞。受賞後に生じた迷いの中、矢継早にやってくる各種依頼…全て喜びであり、同時に試練となった。自分自身の迷いを晴らす為、環境を変える必要性を感じて樸句会に入会。句会では振るわなかったが、自身の俳句を一度引いた距離から眺め、そして再び認めることができた。珠玉集の三作品はいずれも句会では無点に近い句群であるが、俳句作者としての自己への認識、その過程が滲む句群である。特に『大未来』の句は筆者にとって昨年一番の成果だと感じている。そして今年は、書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ…等とぼんやり思っている。    都築しづ子   白髪の頬に紅刷く初鏡   家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ   蕗の薹土もろともに渡しくれ         林 彰   からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる   戒名は不要と残し柚子ひとつ   ふぅふぅと大福茶こそめでたけれ   《嗅覚を巡って》    不勉強の筆者では僭越なのですが、歳時記を捲っていて、嗅覚がピクピクする句に、なかなか出会えません。そこで、「不許葷酒山門」ではないでしょうから、昨年最後の句会では、”ネギ臭さ”に絞り詠んでみました。体臭となれば、官能的にもなります。先生からは、「破礼句」、と御𠮟責を受けた句も思い出しましたが、嗅覚、さらに触覚を十七音に解放してみるのは如何なものでしょう?。我が国には、源氏物語の世界をオマージュした、香道、という室町時代から継承されてきた嗅覚芸術の伝統も存在します。    古田秀   おほぞらの隅を借りたる花見かな   花すゝき欠航に日の差し来たる   道聞けば暗きを指され烏瓜 《からさで》    足立美術館目当ての山陰旅行前日、そのとき樸の兼題が「神の旅」で歳時記をめくっていると隣の「神等去出の神事」の項が目に入った。読めば旅行初日の夜に松江の佐太神社で行われるという。その情報だけを頼りに現地へ行くと、提灯のあかりを頼りに冬の山を登ることとなり、沈黙の中儀式が行われた。    進むほかなし神等去出の灯をうしなへど  車を出してくれた友人に感謝。道中の放言を許してほしい。        前島裕子   掌にのる春筍のとどきたる   成田屋のにらみきまりし神の留守    戒名に父の来し方冬銀河 《今年は私の干支》   コロナ禍で始まったネット句会がなんとZOOM句会に。始まるにあたり、古田さんにはご迷惑をおかけしましたが、この齢でZOOM句会に参加できるなんて、あの緊張感、終わったあとの心地好い疲れ、いいですね。  昨年は、義弟と父を亡くし、淋しいかぎりです。今年は私の干支の卯年、とびはまねるまではいきませんが、勉強することはたくさんあります。頑張ります。    益田隆久   箒目のしら砂辿り神の旅   ロケットの打ち上がる空大根抜く   猫の目に落ちゆく眩暈星月夜 《私が俳句を始めたのは》    句をひとつ墓石の脇に刻みたい。世間へのアピールではなく、孫の涼玄が俳句に興味を持ち、おじいさんがどんな人だったか知って欲しいから。俳句をやっていると否応なく自己開示し、「はだかむし」の自分を見つける。「はだかむし」の中に好きな句がある。「茶の花のやうに語らひたき人よ」。私の墓の前で、孫に私の魂と語らひあって欲しい。    見原万智子   麻酔からとろり卯の花腐しかな   大南風屋号飛び交う浜通り   しやうがねぇ父の口真似十三夜 《誘惑》    命の扱い方(実際に起きたあること)が、五十年来の親友と全く相容れないという経験をした。親友は私が最も望まない方法を選び、私は打ちのめされた。心の井戸を覗くと、何やらマグマのようなものが昇ってきて十七の文字になった。詩が書けたかもしれないと初めて感じたが、それ以来、心の井戸から組み上げた水は煤の味がする。命の扱い方を文字にしたのだから仕方がない。ぐいと飲み干し、また掘り進んでいこう。    望月克郎   パリパリと氷砕いて最徐行   バレンタイン忘れて過ごす安けさや   炎天や駆け抜く子らの呵々大笑 《心を映す写真》    この1年の作句を振り返ると、(なんでこんな句を)と思う句は少なくない。自身が進歩した証としておこう。  それよりも戸惑うのは、(あの時あの状況でこう感じたのか?)と不思議に思える句に再会することだ。1年にも満たないほんの何カ月か前の句だ。その時の感性と、今のそれとは微妙に違うことに気づいた。  俳句は、その時その時の心を映し出した写真のような要素もあるかとも思えるこの頃である。    山田とも恵   たらればといふ砂を吐き冬の海   はらわたの波打つほどに息白し   茶の花とともに転がる今朝の夢 《駿府の街》  樸俳句会に参加してから、静岡市内の色々なところに連れて行ってもらった。歴史の深さゆえか、それとも富士に見守られ山と海に囲まれた地形のせいか、「安心」が土の下でごろ寝しているようで、世界が滅んでもあの街でなら変わらない日常を送ることができるような気がする。コロナ禍で句会がリモートになり、遠出を憚る日々が続き、静岡まで車で通うこともめっきりなくなった。時々無性にあの街に向けて車を走らせたくなるのは、何かから守ってもらいたいからなのかもしれない。       後記  2022年の樸会員珠玉作品集、いかがだったでしょうか。私が初めて句会に参加した昨年9月、恩田代表に言われたのが「自分不在の句はダメ」ということでした。俳句は人なり。たった十七文字にもかかわらず、余情を湛えたそれぞれの3句の背後に、いかに多様かつ豊潤な作者の心の世界が垣間見えることか。俳句とは驚くほど不思議な魅力に富んだ文学、詩であると思います。それを生み出す源泉が、あの自由闊達で民主的な句会の場。今年も楽しく、そして緊張感のある句会を一緒に盛り上げましょう。(小松浩)  

2021 樸・珠玉作品集

2021アンソロジー上の2

二〇二一年・樸・珠玉作品集 (五十音順)   iPhoneは禅に生まれし冬うらら  恩田侑布子 HAIKUPhoto   火と土の匂い 恩田侑布子  今年もリアルとリモート両用の樸(あらき)俳句会の珠玉かつ異色の作品が揃いました。2021年というコロナ禍にあっても、俳句を伴走者に日々新しい気づきに恵まれたことは幸せでした。地方都市に住む者の自粛期間は、海山川のいのちと語り合い、句作を楽しむゆたかな時間。日本の毛細血管の血流のすこやかさでした。  多様性(ダイバーシティ)がいま国内外で叫ばれています。当会ではそれをすでに実現出来ていることに胸を張れます。齢は80代から31歳まで、住まいはエチオピアから名古屋まで。生い立ち、教育、職業、家庭のまったく違う来歴の持ち主が、何のわだかまりもなく好きな俳句の解釈と批評に熱くなれます。それはかけがえのない時間。そうした中から立ち上がった俳句は、誰の真似でもない、ひとり一人の足元にある火の匂い土の匂いを持っています。それこそが樸俳句会の特色です。  以下の作品中には恩田の添削句も含まれますが、座の文芸である俳句において、改作は原作者にお返しします。  昨年の恩田は微恙続きでした。本年は温かい仲間とともに健康第一に、三月の第二文芸評論『渾沌の恋人(ラマン) 北斎の波、芭蕉の興』(春秋社刊)と、秋の第五句集開版に向かって全力投球いたします。  こじんまりした会のなか、次代を切り拓く若者が育っているのもうれしいことです。願わくは、志ある若手の層を厚くし、新たな俳句の潮流をともに生んでゆきたく存じます。  ご訪問いただいている皆さまにおかれましても、およろこび多い年になりますよう心からお祈りしております。ご高覧ありがとうございます。 福引をひく七色のひかりかな  恩田侑布子 HAIKUPhoto    猪狩みき   湖出づる川のさざめき柳の芽   遠雷や大陸を象大移動   雨に濡るる牛と見てゐる大花野 《ねむっているもの》    先日の句会での拙句“ほそ枝のふるへ 映せる白障子”を読んで、恩田先生が “冬の水一枝の影も欺かず(中村草田男)”を思い出したとおっしゃった。この句はとても好きな句なので、それが話題に出てきたことが嬉しかった。作るときに草田男の句はまったく頭に浮かんではいなかったけれど、自分の中のどこかにその見方や表現の仕方が残ってはいるのかもしれない。知らず知らずに自分の中に残っているもの、眠っているものが引き出されてしまう句作を怖いともおもしろいとも思っている。    海野二美   探梅や独り上手の万歩計   向日葵や強情は隔世遺伝   夏草を漕ぎ湿原の点となる 《樸の強み》    恩田先生が無事に回復なさり、コロナ禍に於いても我が樸は喧々諤々(?笑)忌憚のない楽しい句会を重ねることができました。今年最後の句会の折り、先生が皆様個性的な作句が出来るようになって来たと言われましたが、そもそもオールオッケーというか、先生が自由な作句をお許しくださっているからで、今回は花鳥諷詠、たまには時事俳句と会員は想像の翼を拡げて句作ができているからではないでしょうか・・・。  それが一番の樸の強みだと思っています。    金森三夢   職辞せる妻の小皺のあたたかし   下駄ひとつ九月の汀ただよへり   猪鍋や夫婦和合の合わせ味噌 《谷あり谷あり》    樸句会に入会し2年が過ぎた。谷あり谷ありで毎回冷や汗を流しつつの苦会(句会)だが、能力に秀でた連衆とビギナーズラックに支えられ何とか休むことなく励んでいる。恩田氏から「作風が変わった」と評して戴き、少しだけ小さな胸を撫で下ろしている。憧れの岩波文庫に執筆の依頼を受けた辣腕の師に受ける叱咤激励が心を満たし、今年は<自分にしか詠めない句を分かりやすく>をテーマに悪足掻きを続けたい。    塩谷ひろの   鉄板の足場ひびけり梅雨夕焼   椎茸を干すおとついの新聞紙   猫を撮る落葉に膝を湿らせて 《いたまきし》    俳句ブームの折、二年ほど前からネットなどで「いたまきし」という俳号で投句し始め、たまに選ばれると一喜一憂していました。そのネット上の常連の方が樸句会の方だと知り、勇気を出して地元静岡の俳句の会に入ることにしました。欲張りなもので今では句会だけでなく吟行をしてみたいと思っています。    島田 淳   一列に緋袴くぐる茅の輪かな   春の月財布も軽き家路かな   でで虫や己が身幅に道を食み 《俳句とパワハラ》    昔私がお世話になった上司は、今で言う「パワハラ」気味の人と恐れられていた。私とは気が合ったのは、仕事についての考え方が共通していたためであろう。そこで私は、上司の意図を相手に丁寧に説明して回った。おかげで私は「話の長い人」の異名を頂戴することになった。  俳句は、自分の感動を十七音で伝えなければならない。伝わらないのは表現が未熟だからである。いわゆるパワハラの中には、伝え方の問題に起因するものも少なくない。そして私の「話の長い人」からの脱却も未だしである。    鈴置昌裕   安倍川に異国に慰霊花火降る   踊場にひとり九月の登校日   塾の子のペダルふみこむ小夜時雨 《樸に入会して学んだこと》    7月から入会し、恩田侑布子先生と連衆の皆さんから多くのことを学んでいます。  先生からは、俳人として誠実でなければならないこと、人真似ではない、自分の全体重をかけた句がいい俳句であること、見るとは見られることなど、俳句に親しむ者の基本姿勢を教えられています。  そして、連衆の皆さんからは、人間としての優しさや柔軟性、自己の個性を大事にし、互いを尊重しながら、人生を楽しむ生き方を実感させていただいています。     芹沢雄太郎   胸いだく白きひざしや探梅行   春風の尻尾を掴む夜道かな   春の日や額の高さのよく香る  《海外で俳句に触れる》   2021年に私は海外での仕事を始めて、日本の四季の移ろいの豊かさが相対化される思いがしています。 しかし離れすぎれば実感は遠のくばかり。 そのバランスをいかに保って作句を続けていけるかが、私の本年のテーマとなりそうです。    田村千春   躙口片白草へ灯を零し   かへり路迷ひに迷ひ日雷   銀杏落葉ジンタの告げし未来あり 《きらめく河》    樸俳句会HP『久保田万太郎俳句集』コーナーから、書評にトライ。初めての体験である。「千 波留」なる筆名に変えてみて、やっぱり本名でいいか、と元に戻した。その四文字を見返すうち、「でも元の私とは違う…俳句を知らない頃の私とは」という思いが湧いた。美を見出すたびに、喜びに浸る毎日。俳句がもたらしてくれたものは計り知れない。十七音より生まれる光の河を隔てて、対岸に立つもう一人の自分に出会うことができた。    都築しづ子   媼より給ぶ大根の葉の威風   雪女郎来しか箱階段みしり   原つぱへ一人吟行小春かな 《喜びと痛みと》    昨年のクリスマス。 フラ・アンジェリコの受胎告知を見たくなって画集を開く。 数ある受胎告知の中で一番好きだ。フィレンチェのサンマルコ修道院でこの絵に会った時の喜びが甦る。暫く見入って棚に戻そうと重い画集を手に持った時、それは私の力ない指からズドンと落ちて足の親指をしたたか打った。数日後痛みが指先から膝に及び脚が曲がらない。喜びも痛みも呉れる永遠の名画である。   初日影はらわたに底なかりけり  恩田侑布子 HAIKUPhoto    萩倉 誠   レコードのざらつき微か霜の夜   ぷしゆるしゆるプルトップ開く街薄暑   小三治の落とし噺や草紅葉 《退化論》   奈良公園の鹿のごとくタレントの識別ができず、 散歩なのか徘徊なのかの戸惑。常にとりあえずのトイレ。 アイセルとアイフル、同じページを読み返す、誤認と忘却。 などなど、70有余年経て細胞が入れ替わり、「ジジイ」という亜種に退化。 いかんいかん。 介護士のいじめに耐える体力、独力で三途の川を渡る泳力だけは・・・ ということで、週2,3回ジムでお魚になっています。 まてよ、体力が付くということは徘徊が遠方まで・・・    林 彰   明けやすし夢の続きを探しをり   葉脈は骨格となり朴落ち葉   摩天楼崩れし九月青い空    古田秀   ししむらを水の貫く淑気かな   言はざるの見ひらくまなこ日雷   彫るやうに名を秋霖の投票所 《家族会議》    新型コロナウイルスの蔓延以来久しく帰省しておらず、ついに大晦日に家族でzoomミーティングをすることになった。染めるのをやめて白髪になった親と、背景に映る懐かしい実家の部屋。子ども部屋はもう親の仕事場になってしまったらしい。終わったあとの除夜の静けさの中、今年最後の新幹線が窓の外を過ぎていった。    前島裕子   八橋にかかるしらなみ半夏生   腕白が薫風となる滑り台    めくるめく十七文字新樹光 《来年こそ》   今年も残すところ数日となりました。 一年前の自分のエッセイを読み返してみて、フムフム、 今も同じことを思っている。 コロナ禍の中リアル句会にも参加させてもらっているのに、いい副教材もいただいているのに、自分は・・・。 一歩踏み出したい。 「継続は力なり」という。めげることなく自分らしい俳句をめざしやり続ける。来年も。    益田隆久   朝にけに茶の花けぶる水見色   内づらの吾しかしらぬ障子かな   しづけさを午後の障子にしまひをり 《影あってこその形》    吾64歳。若い時を振り返ると、寅さんの口上ではないが恥ずかしきことの数々。坂を上る時には自分の影は見えない。下る時になって初めて、上っている過去の自分の影が見える。当時見えなかった周りの風景も見える。過去と現在はすれ違う。自分の影を直視することは魂の救済になるのかもしれない。久保田万太郎俳句集を読んでいると当時の彼と私とが俳句を通して出会い互いの魂が共鳴する。    見原万智子   目刺焼くうからやからを遠ざかり   瓜揉や食卓に小ぶりの遺影   ひと皿は椎茸の軸慰労の夜 《入れる、抜く》    見原家は舅の代までずっと漁師。魚中心の食生活は味覚が鋭くなるようで、家族に美味しいと言ってもらえるまで何年もかかり、その後も調理に力を入れてきた。だから兼題が食べもののときはつい張り切ってしまう。  ところが恩田先生や連衆に採っていただいたのは、ひとりの気楽な昼餉、実母の簡素な献立、居酒屋の脇役的な一品。どれも力が入っていない。入れたら抜いて、呼吸するように。と俳句の神様が言っているかのようだ。    望月克郎   いつからか夏野となりし田しづか   声高く子らの走るや落葉踏み   おでん煮る一人住まいの暖かさ 《俳句を始めて半年》    6月に入会して以来、毎回出される兼題に振り回されるかのような半年でした。燕を観察し、甘酒を作り、里芋を煮転がし、あちこちから空を見上げ、風を感じる。日常の中に新しい発見をいくつも経験しました。    山田とも恵   冬灯落つ階段の会釈かな   急坂や肺いつぱいの夏至ゆふべ   輪廻してまた佇みぬ大花野 《輪廻》  「言葉」とかくれんぼをしている。「言葉」は隠れるのがうますぎる。私は見つけるのに疲れ、つい目をそらして探すのを休もうとしてしまう。しかし、疲れ果てた仕事終わりに見る冬の星や、ふくらみ始めた梅のつぼみの影に「言葉」の気配を感じると、またかくれんぼをはじめる。2022年はもっと多くの「言葉」を見つけ出したいと思う。    山本正幸   短夜や文庫の『サロメ』★ひとつ   雷遠く接種の針の光りけり   人妻の幼馴染と踊るなり 《紙の本》    自選句に挙げたワイルド作・福田恆存訳『サロメ』(岩波文庫)は★ひとつで定価50円。ビアズレーの妖しい挿画に惹かれた。半世紀前、青版の岩波新書もなべて150円だった。学生の懐にやさしかったが、今は昔。先般購入した文庫本は266ページしかないのに何と税込1870円!年金生活者の懐にはきつい。安い古本をネットで渉猟することも屡々。電子書籍版なら手軽で廉価なのか?でも、紙の手ざわりと匂いを愛でつつ、ボクは読み続ける。          

2020 樸・珠玉作品集

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二〇二〇年・樸・珠玉作品集    (五十音順)       ゆくえのしれぬ旅の魅惑 恩田侑布子     二〇二〇年はコロナ・パンデミックにより樸の句会も変更を余儀なくされました。他県から参加して下さる方々のために、春から投句はすべてリモートに切り替えました。そこから一室につどって全句稿を手にナマで談論風発の句評を展開する地元組と、オンラインで選評し合い、メールで全句講評をお返しする遠方組と二手に別れることになりました。こうしてコロナ困難を逆手に、遠近全体で一つの場を構成する「リアル・オンライン融合句会」を築けたのは本年の成果でもあります。いま一つの成果は高齢俳人社会のなか、アットホームな樸に、三十代前半の意欲ある若者が三人に増えたことです。  愛知、神奈川、東京、埼玉と遠方の仲間も、地元静岡の仲間も、老いも若きも同じ日に投句し、俳句を選び遠慮なく批評し合う緊張感とよろこびは斉しく一緒。いつもときめきます。世界を襲うウィルスへの不安に加え、それぞれが職場の変動や家族の介護や自身の病気という鬱屈を抱えながらも、俳句という表現のよろこびをあかあかと灯してまいりました。たとえ風雨が強くて火がかき消えそうになっても、俳句の榾は次なる大いなる火を育てようとします。  上手い俳句ではなく、足元から自分の俳句をつくってゆくことが樸の誇りです。連衆一人ひとりの新鮮で多彩な俳句に、私自身どんなに眼を丸くし、感動をもらって来たことでしょう。それぞれの船頭によるゆくえのしれぬ旅ほど面白いものはありません。  樸十八人衆の熱い精選句。これこそが本年最大の成果です。とくとご高覧いただき、「わたしも仲間になろう」、と思ってくださる方がお一人でもあれば幸甚に存じます。      天野智美      多磨全生園      寒林を隔て車道のさんざめき     ひどろしと目細む海や蜜柑山     なまくらな出刃で指切る日永かな                       猪狩みき     木下闇結界のごと香りけり     秋扇やゆづれぬものを持ちつづけ     鰯雲小屋へ荷揚げのヘリコプタ     予想していたよりも早く、そして急に、母と暮らすことになった。好き放題出かけられた生活は一変。遠くまで出かけることは減り、生活範囲がかなり狭くなった。俳句を作るには少し困る事態かな、と思ったりもした。でも、日々の生活の中から俳句の種は見つけることができることを知った。それに、実際の生活の場は狭くても、言葉を使えばどこまでも遠く広い世界を表現できることも知っている。知っているのと実際に作れるとの間はかなり隔たっているけれど。        伊藤重之   マスクの眼改札口を溢れ出る     這ひ廻る人工知能日短か     未遂なる愛の幾つか冬鷗        海野二美   七種や普段に帰す塩加減     海老蔵の睨み寿ぐ四方の春     鳩追ふ児金木犀の香をくぐり     俳句を詠むことも句会も、段々に私の血となり肉となってまいりました。最近秀句を作れずにおりますが、一向にめげておりません。そこがだめな所だとは思いますが、風物に出会う度、感動を言葉に置き換える時間がとても好きです。これからも、凡人の主婦らしく、日々の心情を詠んで行きたいと思っています。        金森三夢   赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る     早苗舟登呂の残照負うてゆく     天の川みなもと辿る野営かな    昨年の霜月、樸の門を叩き早一年。恩田侑布子という優れた師と素晴らしい連衆に囲まれ、月二回の句会を大いに楽しませていただいております。恩田代表の歯に衣着せぬ一刀両断のコメントに打ちのめされ、少しだけ成長できたと実感しております。句会は修行の道場。二年目は措辞を磨くことを目標にして精進致します。何卒お手柔らかに。        島田 淳   早苗投ぐ水面の空の揺るるほど     年上の少女と追へり夏の蝶     土工らの肩冷やしをり天の川     還暦の友人と「これからは創造的な趣味を持とう」という話になった。消費的な享楽は、いずれ「おもしろうてやがてかなしき」気分になる。「俺は客だ」という驕りがでるかも知れない。創造的な趣味、例えば俳句は、自分の内面と来し方を見つめ、表現する技術と独創性が求められる。点盛りで無点でも折れない心が育まれる。それから…「俺は陶芸をやるわ」と彼は言った。私は、今の気持ちを句にできないか折れない心で考えている。          芹沢雄太郎   冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ     短日の切株に腰おろしけり     鉛筆のみるみる尖り日短か  単身赴任生活が始まって八ヶ月が過ぎた。  家族と会えず、自己と向き合わざるを得なくなった今、ありがたいことに俳句が私のそばに寄り添い、いつも励ましてくれている。  この気持ちを大切に育てて、少しずつ周りの人へ届けられるようになりたい、そんな事を考えながら、今日も句を詠んでいる。        田村千春  早苗田は空に宛てたる手紙かな    ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて    よこがほは初めての貌青すすき    樸の会は私にとって発見の場で、俳句以外の話題にも毎回興味津々――例えば本には帯というものがあり、これがあってこそ本といえるのだとか。句集ではたいてい自選句が載っている。  恩田先生の処女句集『イワンの馬鹿の恋』はめったに手に入らない。図書館に予約し、漸くまみえることが叶った時、踊り出しそうだった。ところが、なんと帯がないではないか。喜びと悲しみを行き来する感情を持て余し、一句。  秋寒し帯の散りぬる稀覯本        萩倉 誠   鰤大根妻には言はぬ小料理屋     鬼平の笑ひと涙あさり飯     怪獣図鑑ひろげて眠る小春空     =575はパズルだ= 筆記なしのパソコンでの打ち込文書作成に馴れ、 思考力の低さが加わり、言葉の喪失は増すばかり。 言葉探しと思考力低下の防止も兼ね俳句の手習いを・・・ 俳句道の厳しいこと、(陳腐な貴乃花の相撲道なんかペッ) 待てども待てども言霊は降りず、三駄句の連続。 我が存在は“句会にこびりついた、三等米のご飯粒”。 容赦なく恩田師範の“駄句滅の刃”が一閃、二閃、三閃! ああせめてなりたや“二等米のご飯粒”・・・      林 彰   名をもらひあくびをかへす仔猫かな     桃源に辿り着きしや水温む     ペンを置きカルテを閉じる鰯雲        樋口千鶴子   如何に照るアフガンの地や冬の月     ボランティア震える両手暖めて     お隣は実家へ八十八夜かな        古田秀   マネキンの顔に穴なしそぞろ寒     洋梨の傷かぐはしきワンルーム     それきりのをんな輪切りの檸檬かな    三十歳になった記念というわけではないが、三十歳までしか応募できない石田波郷新人賞に応募した。審査員の一人である村上鞆彦さんの秀逸十句選に一句(「君ずっとしゃべってパセリ皿の上」)を採っていただいたので何となくほっとした。新人賞を取った筏井遙さん『うしろから』からの一句に「全焼ののちの涅槃図見にゆきぬ」。涅槃図と言えば恩田侑布子の「擁きあふ我ら涅槃図よりこぼれ」が印象深い。来年は涅槃図を見に行きたいと思う。        前島裕子   千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり     裸子の羽あるやうに逃げまはる     「おもかげ」は羊羹の銘漱石忌  今年の夏、両親の引っ越しで実家をかたづけたおり、本棚に「陰翳礼讚」を発見。学生のころ読んだのか、色褪せて、小さい文字だ。句会で先生が時々おっしゃる一冊、家に持ち帰り読んだ。何か大事なものがある。  樸に入会してもうすぐ二年になろうとしている。 句会は楽しく、いい刺激を与えてくれるが、句作となると迷い悩む日々である。自分らしい句が詠めるようにと思っている。  「陰翳礼讚」を再度読んでみよう。        益田隆久   つぶらじい月夜の古墳護りたり     寒昴ふるさと発し此処に老ゆ     六十路こそ初投句なれ帰り花    「うしろ手に閉めし障子の内と外・中村苑子」「ピーマン切って中を明るくしてあげた・池田澄子」「酢牡蠣吸ふ天(あま)の沼矛(ぬぼこ)のひとしづく・恩田侑布子」。絶対自分では作れそうもない句ばかり好きになる。好きな服や好きな女ほど自分に似合わないのと同じか。昔茶道を習った。連続した所作が漫然と連続しているので無く、所作の切れを意識しつつも切らさない呼吸が俳句と似ているような気もする。        見原万智子   鰤さばく迷ひなき手に漁の傷     老教授式典に来ず山眠る     春の水洗ふや堰の杉丸太  四切れで九十円のパン不味い  コーヒーを二秒で淹れるな  孵らぬ子それ無精卵朝ご飯  友人から時おり句めいたものが送られてくる。拙句を踏まえたものもある。どれも面白くやがて哀しいと思うのは、私が友人の暮らしを熟知しているから。俳句は個を超えた普遍性が求められる。ではどうすれば面白く哀しい普遍性のある句を詠めるのだろうか。  コーヒーの香りの中で「多作多捨でご健吟くださいね」と微笑む恩田先生の姿が揺れている。        村松なつを   熱気球ゆさり野菊へ着地せり     女湯に桶音しきり椿の夜     手枕のこめかみに聞くちちろ虫    新幹線の中でアナウンスが流れる際に短い曲が流れる。同じ音楽でも壮大な交響曲やソナタなどに比べるこの車内チャイムはなんという小作品だろうか。それでいて聴く人の心へ浸み込むように響いてくる。  旅する人にはその無事の祈りに、新生活の若者へはエールに、傷心の青年には慰めに、疲れたビジネスマンには栄養ドリンクに、寝ていた人にはアラームに・・・。  読み手の心の襞に届いて初めて完成する俳句のようだと思う。        山田とも恵   黒南風や日常に前輪が嵌まる     立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ     湯船ごと銀河の底網に揺るる    世阿弥の『風姿花伝』には次のような記述がある。  トキノマニモ、ヲドキ・メドキトテアルベシ。(中略)コレチカラナキイングワナリ。  ヲドキとは何をやってもうまくいく時期、メドキは何をやってもダメな時期。それは因果なのでどうしようもないらしい。私の句作はただいま超メドキである。しかしこの果てで生まれるのを待つ何かの胎動を感じている。その時を迎えるまで樸の面々の胸を借り、腐らず作り続けるしかない。        山本正幸   過激派たりし友より届く蜜柑かな     突堤のひかり憲法記念の日     短日や匂ひ持たざる電子辞書    一年ほど前、「マスクとり団交の矢面にたつ」を投句し、恩田先生に入選で採っていただきました。しかし、現下のコロナ禍にあっては句の意味が一変しました。マスクを外し口角泡を飛ばせば、経営側・組合側双方のリスクとなり、もはや団交どころではなくなってしまうのです。いのちこそ大事。今回の疫病は俳句を含む詩の世界をいかに変貌させるのでしょうか。