
2023年5月7日 樸句会特選句
父母は茅花流しの向かう岸 活洲みな子 土手や河川敷のそこここに茅花が群生し吹き靡いている。そんな大空の下を歩くと、胸の中の思いも広がってゆく。湿気っぽい南風に空も薄曇り、いつか亡き父母のことを思っている。幼かった日、茅花も卯の花も、名前など何も知らないみどりの野山に親に連れられて遊び呆けたっけ。茅花はほほけて銀色のひかりをすでに白く濁らせている。彼岸に行ってしまった両親との間に水量を増した川が流れている。座五の「向かう岸」を発見したことで、詩的真実が生き物のようにやどった。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2023年3月5日 樸句会報 【第126号】 1年の区切りはいつ?と考えると、お正月より3月、4月が相応しい気がします。卒業、入学、転勤、退職、新社会人。たくさんの別れと出会いが、冬から春への季節替わりとともに、再出発にふさわしい雰囲気を生み出してくれるからでしょうか。樸にもさらに新しい会員の方々が加わり、春爛漫。4月吟行会をステップに、完成した規約の下で、恩田代表と樸の仲間が理想とする俳句の会へといっそう邁進していきたいものです。
兼題は「山笑ふ」「春の鳥」「菜の花」。特選1句、原石賞5句を紹介します。
◎ 特選
春の鳥五体投地の背に肩に
芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の鳥」をご覧ください。
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【原石賞】菜の花の果てを見つけて人心地
島田淳 【恩田侑布子評・添削】 いちめんのなのはな いちめんのなのはな が七行続き、かすかなるむぎぶえ いちめんのなのはな で、詩の一聯が終わる山村暮鳥の詩を思い出します。
たしかに一見明るい「菜の花」ですが、あぶら臭い匂いと、黄と緑葉の対比に、繊細な作者はふっとひかりの牢獄めくものを感じたのかもしれません。「菜の花の果て」に「人心地」を見つけたのは詩の発見です。ただ、中七で「見つけ」たよと手の内を明かしてしまったことは惜しまれます。 【添削例】菜の花の果てに来りぬ人心地
【原石賞】もふ泣くなもふ菜の花を摘みにゆけ
見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 歴史的仮名遣いを選んだ方は、投句する前に、面倒くさがらず辞書に当たって、自分の表記が正しいか、いちいち確かめてみましょう。「もふ」は古文では「思ふ」になります。正しい表記にすると、春のひかりに肉親の情が溶けあう素晴らしい俳句になります。
【添削例】もう泣くなもう菜の花を摘みにゆけ
【原石賞】ヤングケアラア菜の花の群れ見つめをり
金森三夢 【恩田侑布子評・添削】 菜の花は通常は一本では咲かないので「群れ」は言わでもがなの措辞です。代わりに場所を入れると句が締まります。「畦」でも放心のさまは表せますが、「土手」とすることで、健気なヤングケアラーの家庭内に立ち塞がる鬱屈と、堤防の向こうの緩やかな川の流れまでが想像されてきます。
【添削例】ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる
【原石賞】潮風ビル風菜の花に揉みあへり
古田秀 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところは面白いです。ただなんとかしたいのは、字面と調べのごちゃつき感です。たった漢字一字を変えるだけで、都会の海浜部の春風を活写でき、水上都市、東京が浮かび上がります。
【添削例】海風ビル風菜の花に揉みあへり
【原石賞】仕送りのこれが終わりと花菜道
活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 学生時代の終わりでしょう。親からしたら長い仕送りの日々が、子としてはあっけなく終わるもの。子の立場から詠んだ句として、放り出されることの不安と解放感を口語の「これつきり」に託してみましょう。しばらく倹約しないとやっていけないけど、まあなんとかなるさ、という朗らかな現実肯定のにじむ俳句になります。 【添削例】仕送りのこれつきりよと花菜道
【後記】
春は兼題の季語も、どこかのんびり穏やかなものが多いように感じました。この季語というもの、そこに包まれる様々なイメージをたった一語で語ることができるものなのですね。俳句の専門用語で言えば「本意」「本情」。いくら調べやリズムが整っていても、季語が1句のなかで孤立して見えるような俳句は良い俳句ではない———。それが少しわかりかけてきただけでも、この半年の悪戦苦闘は無駄ではなかったかな、と思っています。前途遼遠ではありますが…。
(小松浩) 今回は、◎特選1句、○入選0句、原石賞5句、△4句、✓シルシ5句、・9句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 3月19日 樸俳句会
兼題は「霞」「海苔」「雉」です。
入選1句、原石賞2句を紹介します。
○入選
選挙カーにはか鎮まり雉走る
山田とも恵 【恩田侑布子評】 山村にやってきた市議か町議の選挙カーでしょう。まばらな人家に向かって名前を連呼していた大声が突然途切れます。オヤッ。鍬の手を止めると、トトトトツ。赤い頭に深緑の羽をかがやかせ、大きな雉が道をよぎってゆきます。「桃太郎」に出てくる国鳥は不変でも、日本は少子社会で衰退の一途。十年もせずに、この谷も廃村になりかねません。日本固有種の雉の羽が春を鮮やかに印象させ、思わず見惚れた放心の春昼。面白くて、やがてそのあとが怖くなります。
【原石賞】海苔炙る有明海を解き放て
林彰 【恩田侑布子評・添削】 諫早湾の開門問題は地元漁業者のみならず、全国民の長年の関心事でした。このたび、最高裁の「開けない」判決を知った作者は義憤を覚えています。ただ、原句は勇ましすぎます。俳句はプロパガンダでもスローガンでもありません。作者のせっかくの切実な思いを生かすには、語調は逆に静める方がいいのです。鎮めて祈りのかたちにしましょう。 【添削例】有明海解き放てよと海苔炙る
【原石賞】板海苔や波わかつよにはさみ入れ
山田とも恵 【恩田侑布子評・添削】 照り、コク、香りの揃った上等の海苔でしょう。手にとってつぶさに見ると、細かい繊維はたしかに夜の海原を思わせ、下半分のひらかな表記もさざなみのようです。そこに料理鋏を入れる。それだけのことですが、「波わかつよに」に詩の発見があります。上五を「や」の切字で切っているので、終止形にするとさらに句が引き緊まります。 【添削例】板海苔や波わかつよにはさみ入る

2023年2月5日 樸句会報 【第125号】 新暦3月にあたる如月という和風月名の由来は「衣更着」厳しい寒さに備え重ね着をする季節という説、陽気が更に来る月だからという「気更来」説、春に向け草木が生え始めるからという「生更木」説などがある様です。俳句に親しみ歳時記と睨めっこしていると色々、面白い発見があります。2月1回目の句会の兼題は「牡蠣」「早梅」「蒲団」です。全国各地から豪雪の便りが届く中、今回も丁々発止の熱いZOOM句会となりました。
入選2句、原石賞3句を紹介します。
○入選
ぽつてりと月を宿せる真牡蠣かな
古田秀 【恩田侑布子評】 大粒の生牡蠣。その透明感のある乳白色の腹に「月」をみたのは素晴らしい発見です。一物仕立ての俳句ならではの印象の鮮明さも魅力です。ただ私ならば、やわらかな生牡蠣の量感がより伝わるように、「ぽつてりと月やどしたる真牡蠣かな」としそうです。
○入選
牡蠣フライ妻と一男一女居て
都築しづ子 【恩田侑布子評】 一見「ただごと俳句」ですが、案外そうでもありません。「牡蠣フライ」に「妻と一男一女」を取り合わせた境涯俳句です。これは自祝の俳句。幸福感の吐露です。あとほんの少しでスノビズムに陥りそうな土俵際にかろうじて踏みとどまったのは、季語の「牡蠣フライ」が衣の中にふくよかなエロティシズムを湛えているからです。そこがじつにユニーク。男性の俳句とばかり思っていましたので、作者を知って驚きました。天晴れです、都築しづ子さん。
【原石賞】転居の日蒲団最後に包みけり
島田淳 【恩田侑布子評・添削】 引越しの荷物をトラックに積みこむとき、最後に「蒲団」を包んだことだよ、というところに実直な詩情があります。今まで何年か過ごしてきた家で、馴染んできたもろもろの日常の肌合いがまるごと季語の「蒲団」に託されると素晴らしい俳句になります。座五を季語+切字の「かな」で詠嘆し、「転居の日」という状況説明を端的に「引越」にしてみましょう。 【添削例】引越の最後に包む布団かな
【原石賞】相応しく冷え早梅に触染めぬ
田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】 しっかりと早梅を見て、そのいのちを感受している作者の真摯な努力に感心しました。そこから「相応しく冷え」という物我一如の感に至ったのは見事というほかありません。自分自身が早梅と同じように冷えて似つかわしい存在になったとは、非凡な感性です。ただ「染めぬ」はしつこくないですか。上五をひらき、下五を「初めぬ」とし、早梅の精と息を交わすようにしたいです。
【添削例】ふさはしく冷え早梅にふれ初めり
【原石賞】一望の君住む街や冬の梅
活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 小高い丘の上から初恋の人の住む町並みを眺めているのでしょうか。言葉の順序を逆にするだけで、自然で奥ゆかしい恋の思いがひそむいい俳句になります。近景の「冬の梅」が切なく香ります。 【添削例】冬の梅君住む街を一望に
【後記】
今回の句会では俳句は「凝縮」の美、「抑制の詩」という事が再確認できました。一番大切なものは言わぬが花です。愚生は毎回、季題に振り回されておりますが、4月に予定されている吟行句会では、何とか自分だけの春を見つけたいと念じております。
(金森三夢) 今回は、◎特選0句、○入選2句、原石賞3句、△4句、✓シルシ4句、・9句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 2月22日 樸俳句会
兼題は「余寒」「春雷」「椿」です。
入選1句、原石賞2句を紹介します。
○入選
シャンデリア真下の席の余寒かな
古田秀 【恩田侑布子評】 洋館でしょうか。ホテルでしょうか。何かの集まりで大きな部屋の中央とおぼしきシャンデリアの真下へ案内されました。瓔珞のように垂れ下がるガラスの一片一片がキラキラと頭上にかがやいています。瞬時、身に刺さるような寒さ。初春の「余寒」は、「冴え返る」や「春寒」に近い季語ですが、微妙に違います。わけもなく瞬時に身に迫る寒さです。「席」まで焦点を絞ったことで、白い卓布までありありと見え、余寒の身体感覚が緊張感をもって伝わります。きっと会話も建前だけがゆき交ったことでしょう。
【原石賞】大津波あとに一山椿あり
小松浩 【恩田侑布子評・添削】 三・一一の凄まじい津波です。原句は「大津波あとに一山/椿あり」と、中七に切れがあります。一山と椿が寸断され、目の前には一輪の紅椿しかないように感じられます。助詞一字を入れ替えるだけで情景は一変します。 【添削例】大津波あと一山の椿かな
「津波がくるぞー」「津波だー」無我夢中でかけ上り、眼下を押し揺るがした大津波が退いてふと我にかえると、山肌に無数の椿が咲き揺らいでいます。藪椿は照葉樹林文化帯を象徴する花木で日本原産。父祖たちが縄文時代から親しんできた椿が、命からがらここまで上った人を見守っていました。静もりのあとの椿の慟哭。
【原石賞】春寒やモノクロームへ終列車
益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 作者は大切な人を見送った情景を描きたかったそうです。それで「モノクロームへ終列車」とし、闇「へ」の方向性を持たせたとのこと。物語を五七五に込めすぎると、季語のはたらきが弱まります。助詞一字を変え、色彩感のない終電車がホームにすっと入ってきた刹那の「春寒」にすれば、余韻が深まります。 【添削例】春寒やモノクロームの終列車

2022年12月4日 樸句会報 【第123号】 近くの市立図書館に子どもたちの選んだ今年の漢字が掲示されていました。第1位は「楽」、第2位は「友」。様々な規制が少し緩んだだけなのに…コロナ禍が子どもたちにどれだけ多くの我慢を強いていたかを痛感しました。
今年4回目のZoom句会、兼題は「鴨」「冬紅葉」「大根」です。入選4句、原石賞6句を紹介します。 ○入選
戒名は父の来し方冬銀河
前島裕子 【恩田侑布子評】 戒名に刻まれているのはわずか数文字です。でもそこには父の一生が凝縮されています。戦中、戦後の筆舌に尽くしがたい災禍を生き抜いて、母と力を合わせて作者兄弟を育ててくれたなんとも慈愛深い父親像が浮かびます。荘厳な冬銀河の中に刻まれるのがふさわしい威厳のあるそして誰よりも愛しい戒名です。
○入選
日向ぼこ付箋だらけの句集抱き
活洲みな子 【恩田侑布子評】 日向ぼっこしているとのんびりうつらうつらしかかるものですが、なんと作者は「付箋」をいっぱいつけた「句集」を抱いています。俳句に日々向き合う真摯さが香ります。よく味わってみると、「日向ぼこ付箋だらけの文庫抱き」では到底味わえない広やかさがじわじわ染み出してきませんか。付箋を貼られた俳句一つ一つ、が、それぞれの空間と時間を持って待っていて、眠りからこの世へ呼び覚ましてくれる人を待っているよう。なんと豊かな作者と読者との交歓の姿、温かな俳句人生でしょうか。
○入選
大根の熱き中まで透きとほる
小松浩 【恩田侑布子評】 ふろふき大根、またはあっさりと白味魚などと炊き合わせた旨味の濃い白い大根を思います。面取りされたまんまるな輪切りのなつかしさ。三センチはあろうかという厚さは中心まで熱々で透きとほっています。ごく卑近な食べ物である大根の炊いたんに玲瓏の感を抱いたところ、句姿が美しい。一物仕立ての俳句は至難なのに、素直な実感がじわりときて美味しそうです。これ見よがしでない俳句を初心で作れるとは大したものです。
○入選
抜糸後の痺れまじまじ冬紅葉
見原万智子 【恩田侑布子評】 「まじまじ」は 日本国語大辞典によると第一義は眠れないさまですが、第三に、「ひるまないではっきりと言ったり見つめたり見きわめようとしたりする様を表す語」があります。術後の麻酔が覚め、しばらく続いた痛みが引くと、今度は皮膚のひきつれたような「痺れ」が気になり出します。作者は気にならなくなる日まで、まずはこの痺れを前向きに受け止めていこうと決意します。冬紅葉の木立を歩きながら、わが人生が冬へ向かってゆくこれも一つの序章、華やかな紅葉の日々なのだと自分に「まじまじと」脳神経の覚醒を言い聞かせているのです。季語の冬紅葉がよく響く凛とした俳句です。さらに、これが「術後の痺れまじまじと冬紅葉」と書かれていたら文句ない特選句でした。
【原石賞】冬花火大往生の父たたふ
前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 俳句の表現を云々する前に、立派なお父様の一生とご家族の愛情に脱帽します。日記なら「たたふ」でいいです。素晴らしい子の親への愛情です。俳句表現として練り上げるならば、 【添削例】遠き冬花火大往生の父 句跨りの音律に敬愛と悲しみを込めましょう。
【原石賞】温もりのきえてゆく父冬紅葉
前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 終焉を迎えた父と冬紅葉の配合の句です。取り合わせではなく、終焉の姿を冬紅葉そのもの結晶化して差し上げたらいかがでしょうか。
【添削例】温もりのきえゆける父冬紅葉
【原石賞】葉も皮も大根づくし素浪人
見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 内容に共感します。なかなかいいです。ただ「も」「も」の畳み掛けと「づくし」はくどすぎませんか。 【添削例】葉と皮の大根づくし素浪人 こうすると「素浪人」の措辞が効いて、脱俗の風流が感じられる素晴らしい俳句になります。
【原石賞】ロケット打ち上がる空よ大根抜く
益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 内容には大いに共感しますが、リズムが悪いです。「打ち上がる空/大根抜く」と中七は名詞句で切れを作ると調子がよくなるばかりか、景もはっきり見えるようになり、冬の壮快感が出ませんか。 【添削例】ロケットの打ち上がる空大根抜く
【原石賞】国引や波は冬日をたゝみ込み
古田秀 【恩田侑布子評・添削】 島根に「国来、国来」と新羅の国の一端を大山を杭にして綱で引っぱった『出雲国風土記』に記された神話があり、国引きの伝説が残っています。弓ヶ浜から眺めた海でしょうか。その神のおおらかな国引き神話は掻き消え、近頃は隣国と冷ややかな感情が行き来しています。その現状を憂えるクリティシズム躍如たる句でもあります。「たゝみ込み」という複合動詞がやや説明的なので、畳みたりの連体形にして余白を残しましょう。 【添削例】国引や波は冬日をたゝんだる
【原石賞】影に添ふ冬の灯や紅鶴フラミンゴ
田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】 ユニークな把握において今回随一の句です。作者は面白い感性を持っています。調べをととのえると幻想性が増しそうです。 【添削例】紅鶴ふらみんご冬ともしびに添ふる影
でも、これがもしも私の俳句なら「は」行の音韻を生かして、さらに幻想的にしてみたいです。
ひとかげに添ふる冬灯やふらみんご
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2022年11月6日 樸句会報 【第122号】 ZOOM句会も3回目。参加者もこの形にだいぶ慣れてスムーズに句会が進むようになりました。兼題は「露霜」「文化の日」「唐辛子」。合評を交わすうちに、晩秋の空気をより感じられるようになった時間でした。
入選2句(2句とも同作者!)、原石賞5句を紹介します。 ○入選
露霜を掠めて速きジョガーかな
小松浩 【恩田侑布子評】 ゆっくりと朝の散歩道を歩いていると、背後からザッザッザッとジョギングの人に追い抜かれた。道端の草に置いた露霜など、意に介さない軽快なフットワーク。なんという速さ。たちまち取り残される。夜毎の露霜に磨かれた蓼の葉は色づき、芒はそそけてわら色だ。走る人には見えないものを、これからはじっくりと味わっていこうと思う作者である。
○入選
古書市の裸電球文化の日
小松浩 【恩田侑布子評】 神保町では文化の日を挟む旬日、古書市が開かれる。毎年楽しみにしている作者は、収まらぬコロナ禍をついて出かけた。永年馴染んだ書肆から書肆を回っていると、あっという間に日が暮れた。店前からあふれた露店に裸電球が点りはじめる。まだまだ見たいものがある。
調べものもニュースも、あらゆる情報を電子画面から得る時代にあって、昭和の紙の文化への哀惜は深い。仮設の電線に宙吊りになった裸電球が、失われてゆくアナログ文化を象徴し、2022年の文化の日を確かに17音に定着させた。地味だが手堅い句である。
【原石賞】天を突く小さな大志鷹の爪
活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 畑の鷹の爪をよく見て、そこから掴んだ詩の弾丸は素晴らしい。表現上の瑕疵は「小さな大志」という中七にある。また「天」を目にみえる晩秋の高空にできれば、さらに句柄が大きくなる。 【添削例】蒼天を突くこころざし鷹の爪
【原石賞】露霜を摘まんで今朝は始まれり
望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 露霜といえば、見るものであったり、踏んだり、歩くものであったりと相場が決まっている。この句がユニークなのは、かがみ込んで摘まんで、しかもそこから今日を始めたこと。「今朝は始まれり」ではやや他人事っぽいので、さらに主体的にしてみたい。 【添削例】露霜を摘まんで今日を始めたり
【原石賞】小さき露となりても消えぬ母心
海野二美 【恩田侑布子評・添削】 目の前の露となって、母の心が語りかけてくるとする感受が素晴らしい。でも、露といえば小さいものだし、「なりても」少しくどい。そこで、それらを省略し、「消えぬ」という否定形を「います」と顕在化してみたい。 【添削例】露となりそこに坐すや母ごゝろ
【原石賞】爪先で大地を掴み秋の雨
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 一読、インドの大地に降る秋の雨を想像した。そこに裸足同然に立つ人の姿も。「爪先」は女性的なので「足指」と力強くしたい。「大地を掴み」はひっくり返すと切れがはっきりする。 【添削例】足指で掴む大地や秋の雨
【原石賞】秋風や掌の色みな同じ
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 白、黄色、黒という皮膚の色の差はてのひらにはないという発見が出色。そこに斡旋した「秋風」をさらに一句全体に響かせるためには季語以外をひらがなにしたい。そうすると、地球上に隈なく秋風が吹き渡り、人類の手のひらや身体がひとしなみに草のようにそよぎ出すのでは。 【添削例】秋風やてのひらのいろみなおなじ
【後記】
「文化の日」という兼題は、とても難しい題でした。「文化」という語の抽象性のせいでしょうか。合評中に「文化、福祉、愛というような言葉には”はりぼて感“を感じてしまう」という発言があったのがとても印象に残っています。その語に”はりぼて感”を感じさせないような、実のある、実感のある使い方を見つけることが必要なのですね。抽象語を好み、使いたがる私には大きな宿題です。
(猪狩みき)
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2022年10月9日 樸句会報 【第121号】 今回は樸俳句会にとって2度目のzoom句会でした。初めてzoom句会に挑戦した前回(9月4日)より滑らかに進めることができました。静岡県外や外国の参加者も出入り自由のグローバルなzoom句会、じかに顔を合わせて場の空気感を味わいながら楽しむリアル句会、どちらにも良さがありますね。コロナ禍の思わぬ副産物ではありますが、こうしたハイブリッド型が新しい時代の句会のかたちになっていく中、樸はその先頭に立っているのかもしれません。なんとなく浮き立つそんな気分を反映してか、今回は入選句はない代わりに特選句が3つも出るという、華やぐ会になりました。
兼題は「後の月(十三夜)」「烏瓜」「荻(荻の声・荻の風・荻原)」です。 特選3句を紹介します。 ◎ 特選
しやうがねぇ父の口真似十三夜
見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「十三夜」をご覧ください。
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◎ 特選
道聞けば暗きを指され烏瓜
古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「烏瓜」をご覧ください。
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◎ 特選
荻の声水面に銀の波紋寄せ
金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「荻」をご覧ください。
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今回の例句が恩田によって紹介されました。
遠ざかりゆく下駄の音十三夜 久保田万太郎
目つむれば蔵王権現後の月 阿波野青畝
麻薬うてば十三夜月遁走す 石田波郷
掌の温み移れば捨てて烏瓜 岡本眸『冬』
虹の根や暮行くまゝの荻の声 士朗(江戸中期、名古屋の医者)
空山へ板一枚を荻の橋 原石鼎
【後記】
9月から樸に加えてもらった新参者ですが、千葉県在住にもかかわらずzoomのおかげで既に2度も句会に参加できて、とてもありがたいと思っています。
ずいぶん前のこと、ある雑誌で英国在住のピアニスト内田光子さんが、自分にとっての日本語は『おくのほそ道』が読めさえすれば十分、という趣旨のことをおっしゃっていました。それを読んだ時は、ドイツ語や英語が生活言語となった世界的音楽家が母国語である日本語の調べを芭蕉に聴くなんて、すてきな話だなと思っただけでした。それが、自分も恐る恐る俳句を作り始め、樸の句会に参加することで、内田さんのあの時の言葉がよみがえってきたのです。俳句という韻文が持つ象徴性と、洗練されたピアノの響きには、共通するものがあるということでしょうか。自分の感動を他者に伝えようとする時、それを韻律に乗せる最もふさわしい器、すなわち言葉や音を、俳人も音楽家も命をかけて模索しているのでしょう。俳句を作る人にはあたりまえのことかもしれませんが、たったひとつの文字が句の印象やリズムをがらりと変えてしまうということを、今回の句会で強く感じました。
句会とは、素晴らしいコミュニケーションの場ですね。互いに尊重しあいながら、自分の心の中の思いを率直に吐き出せる貴重な空間を、これからも大事にしていきたいと思います。句会の白熱する討議に夢中で、合評を記す余裕がありませんでした。ここまでお読み頂いた貴方様も、次はぜひ、樸のZoom句会をご体験ください。(小松浩)
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2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。
兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選
花すゝき欠航に日の差し来たる
古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。
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病中のことは語らずマスカット
活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。
【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと
小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄
【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう
【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒
猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう
【原】 深刻なことはさらりと花薄
活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき
また、今回の例句が恩田によって紹介されました。
秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ 星野立子
白川西入ル秋灯の暖簾かな 恩田侑布子
たよるとはたよらるゝとは芒かな 久保田万太郎
新宮の町を貫く芒かな 杉浦圭祐
わが恋は芒のほかに告げざりし 恩田侑布子
葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男 【後記】
夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。
(古田秀)
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2022年7月27日 樸句会報 【第118号】 今回の兼題は「炎天」「冷奴」「噴水」――残念ながら、リモート句会となりました。依然としてCOVIDー19という重荷を負わされており、ついシジフォスの神話を思い起こします。ゼウス神をも欺いた狡猾な彼は、大石を山頂へ押し上げる刑罰を永遠に繰り返させられました。人類もさらに長期にわたってこの辛苦に耐えねばならないのでしょうか。そんな中、リモートではあっても、俳句の紡ぎ出す無限の世界に浸れることは、この上もない幸せです。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選
炎天や糞転がしの糞いびつ
芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「炎天」をご覧ください。
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◎ 特選
寄港地の噴水へ手をかざしけり
田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「噴水」をご覧ください。
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菜園の薬味を選りて冷奴
金森三夢 【恩田侑布子評】 家庭菜園に精を出している。冷奴の時こそ、まかしとき!本領発揮だ。葱にしようか、青紫蘇もいいな。裏庭にまわれば、そろそろ茗荷も出ているかも。読者にいろいろ想像させてくれる楽しさがある。想像しているうちにひとりでに読み手は作者の暮らしの涼味を味わう。冷奴が食卓をはみ出し清廉な生活まで感じさせる。季語の見事な働きである。 【合評】 丹精の暮らし方がしのばれる。
「選りて」の措辞に菜園の豊かさと料理への心遣いが表現されています。
○入選
湿布貼る肩のあらはや冷奴
古田秀 【恩田侑布子評】 肉体労働者の夕餉だ。父は木綿のランニングシャツ一枚になってあぐらをかいている。背中から見ると、サロンパス(トクホンという商品もあった)を、何枚もベタベタ痛い方の肩に貼っている。その肩は子どもの目からは、赤銅色に日に焼けてガッチリとたくましい。「でも、やっぱり痛いのかな」。ちょっと心配しながらも、たのしい遅めの夕飯が始まる。冷奴には生姜や細葱や鰹の削り節がたっぷり盛られていよう。晩酌も一本つくのだろう。昭和のなつかしい茶の間、電球と畳の匂いまでしてくる。 【合評】 口当たりの良い冷奴の涼し気な白さにほっと一息つく、肉体労働者の汗と笑顔が見えて来る。
【原】炎天下駆けぬく子らの呵々大笑
望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 老いは感じないという人でも、炎天に立たされると参ってしまう。その点、子どもらは別の人種のよう。楽しみさえあれば水を得た魚のように笑いながら平気で走ってゆく。この句は「呵々大笑」という禅的な措辞をあどけない子らの笑い声に援用したのが出色。「炎天」と「呵々大笑」は相性がいい。が、画竜点睛を欠く一点がある。それが為に、途端に「呵々大笑」が空々しく浮いてしまった一字は、「下」である。「炎天下」でもね、という粘りが急に出てしまうのだ。粘りから離れ、カラリと「呵々大笑」しよう。切字一字で世界が変わる。 【改】炎天や駆けぬく子らの呵々大笑
【原】営業車まで噴水のひかり来る
古田秀 【恩田侑布子評・添削】 営業車と噴水の取り合わせは新味がある。ただしこのままでは、「まで」「来る」が説明っぽい。こんな時こそ切字の出番。「来る」を削り、噴水の白いひかりと涼しさが一挙に感じられるようにする。もう一つのやり方はもう少しカメラアイを絞って「まで」「来る」を両方消してしまう。 【改】営業車まで噴水のひかりかな
営業の車窓へ噴水のひかり 【合評】 少し離れた駐車場まで、噴水に揺れる光が届いている。炎天下の仕事で一休みしている人に噴水の涼が届いている様を上手く表現しています。
【後記】
入選句の「菜園の薬味」とは何の植物かと、会員が推理をはたらかせていました。また、前回の入選句「どの向きの風も捉へて三尺寝」には、昼寝に纏わるあれやこれやに座が盛り上がりました。暑中に涼を求める、小さな幸せこそが大きな幸せ。日本人は順応力に長けており、様々な工夫をもって、灼熱の時期も何とか笑顔で乗り切ってきました。分冊の歳時記のうち「夏」が最も厚いのも、わかる気がします。
(田村千春)
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代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。