
2021年12月5日 樸句会報 【第111号】 2年にわたるコロナ禍、熱海での土石流、さらに地球環境の急激な変化が、私たちの身近に迫っていることを感じさせられて来た2021年も、いよいよ師走を迎えました。冬日和のこの日、12月1回目の句会が開かれました。
今回の兼題は、「冬晴」「冬菜」「狐火」。なかでも「狐火」は難しい兼題だと思います。
原石賞3句を紹介します。 芭蕉の句碑「狐石」を訪ねて
【原】狐火に句碑の上五の失せにけり
海野二美 【恩田侑布子評】 静岡市葵区足久保には、郷土のほまれ聖一国師が宋からお茶を伝えたことを記念して、芭蕉の「駿河路やはなたちばなも茶のにほひ」を大岩に刻んだ碑があります。茶商が茶畑のまん中に建てた大きな句碑です。岩の下に狐が棲んでいるという村の伝説があります。
この句の第一のよさは、「狐火」の兼題で、「狐石」の句碑を思い出し、中山間地の足久保まで足を運んだ作者の熱意です。第二のよさは、文字のかすれて読みにくくなった句碑を「狐火に上五が失せた」と感受したことです。これはすばらしい発見です。
句の弱点は、せっかくの詩の発見を、正直な前書きで理に落としてしまったことです。読者は「なあんだ、狐石だから狐火か」とがっかりします。前書きは要りません。芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」に唱和する気概をもって、一句独立させましょう。ご存知のように俳句で「翁」といえば芭蕉のことです。 【改】狐火に上五失せをり翁の碑 【原】媼よりの大根の葉の威風かな
都築しづ子
【恩田侑布子評】 ひとまず、上五の字余りを「をうなより」と定形の調べにし、〈媼より大根の葉の威風かな〉とするだけでも佳い句になります。さらに、年配の婦人から、丹精した大根、それも青々と葉のたわわな抜きたてを頂いたことをはっきりさせます。それには「もらう」より「給ぶ」が引き締まるでしょう。宝のような措辞「葉の威風」を存分に生かして座五に据えましょう。切れ字は使わなくても、かえって堂々とリアルな俳句になります。 【改】媼より給ぶ大根の葉の威風
【原】内づらの吾を見ている障子かな
益田隆久 【恩田侑布子評】 我が家の障子は「内づらの」私しかしらない。ところが、外づらの私はまったくの別人なんだよ。「障子」の兼題から、詩の発見のある面白い句が出来ました。ただ、障子が「内づらの吾を見ている」という擬人化は、かえってまだるっこしくありませんか。素直に叙しましょう。
【改】内づらの吾しかしらぬ障子かな 白く沈黙する障子にむかう問わず語りに、どこか人間という生きものの空恐ろしさが感じられる句になります。 サブテキストとして、今回と次回の季語の名句が配付され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。 冬晴 山国や夢のやうなる冬日和 阿波野青畝 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ 大野林火 冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子 冬菜 しみじみと日のさしぬける冬菜かな 久保田万太郎 坐忘とは冬菜あかりに在る如し 宇佐美魚目 狐火 狐火をみて東京にかへりけり 久保田万太郎 狐火を伝へ北越雪譜かな 阿波野青畝 余呉湖畔狐火ほどとおもひけり 阿波野青畝 狐火を詠む卒翁でございかな 阿波野青畝 狐火や真昼といふに人の息 宇佐美魚目 障子 障子あけて置く海も暮れ切る 尾崎放哉 障子あけて空の真洞や冬座敷 飯田蛇笏 日の障子太鼓のごとし福寿草 松本たかし 築地八百善にて
障子あけて飛石みゆる三つほど 久保田万太郎 おでん 飲めるだけのめたるころのおでんかな 久保田万太郎 ─語る。
人情のほろびしおでん煮えにけり 久保田万太郎 老残のおでんの酒にかく溺れ 久保田万太郎 冬の富士 ある夜月に富士大形の寒さかな 飯田蛇笏 小春富士夕かたまけて遠きかな 久保田万太郎 このなかで連衆の圧倒的な人気を集めたのは、恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』にも収録されている次の句でした。 しみじみと日のさしぬける冬菜かな 難しい言葉は一つも使わずに、「日のさしぬける」という措辞が冬菜の雰囲気をよく表しています。
今回は、原石賞3句、△2句、ゝ6句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ================================================
12月22日 樸俳句会 原石賞 【原】談笑に懺悔のまじるおでんかな
古田秀 【恩田侑布子評】
おでん鍋を囲んで、心安く打ち解けて笑い声をあげて話し合っていたら、そこに「いやあ、俺、そん時、こんなことしちゃったんだよ」と、過去の過ちを打ち明け出した友がいました。「懺悔のまじる」は推敲したいです。おでんと酒と人情の熱気で、ぐたぐたに酔ってゆく一夜を描くとさらに面白い人間味が出そうです。 【改】談笑のいつか懺悔になるおでん
【後記】
12月22日の樸アイセル忘年句会は、ひさしぶりに、関東から2名の俳友が参加してくださり、暖かく賑やかな嬉しい会になりました。
樸に入会してこの半年、俳句は句会に入り師と友を得て、そのなかで学び楽しむものであることを実感しています。同じことは、様々な活動やスポーツ、習い事、学問、芸術、さらには人生そのものにも当てはまるのではないかと思います。来たる年も、恩田先生と俳友の皆さんのなかで切磋琢磨しながら、「座の文芸」俳句の奥深さを味わっていきたいと思います。
(鈴置 昌裕)

2021年8月25日 樸句会報 【第107号】
8月20日から静岡にも緊急事態宣言が出され、急遽リモート句会となりました。COVID-19が世界中に広がってから1年半が過ぎ、実社会においてもリモートワークやオンライン授業などが当たり前に導入されています。技術革新に感謝したい一方、皆が一堂に会する場の空気や手触りが恋しくなるのはないものねだりでしょうか。
兼題は、「墓参」「花火」「芙蓉」です。
◎ 特選
安倍川に異国に慰霊花火降る
鈴置昌裕
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花火」をご覧ください。
↑
クリックしてください
○入選
からだぢゆう孔ひらきだす虫の闇
古田秀
【恩田侑布子評】 「孔ひらきだす」になまなましさがあります。季語と相俟って、ねとつくような蒸し暑さが残る深い闇を感じさせます。生きているからこそ人間には孔があり、虫には翅音があるのに、地中深く黄泉の国へ引きずり込まれてゆくかの不安感は、生と死が溶け合うようです。やや不気味な読後感は、生きていること自体得体が知れない、という思いへ人を誘います。
【合評】 縁側に坐し、真っ暗な庭から響く虫の声に秋の到来を感じ、聴覚、視覚に加え全身の孔が研ぎ澄まされるように全開する肌の感覚を巧みに表現した秀句。
「全身を耳にして」とはよく聞きますが、「体中の孔が開く」という表現に驚きました。眼、耳、口、鼻、肛門…。汗腺まで入れれば本当に人間の身体は孔だらけ。孔は外界と交信する器官です。虫のすだく闇に呼応するように、全身の孔という孔が一斉に開いていくという感覚はとてもシュールで面白い。漢字は孔、虫、闇のみで、あとはひらがなという表記も効果的と思います。
○入選
眼鏡つともち上げもどす夕芙蓉
見原万智子 【恩田侑布子評】 近視用ではなく老眼鏡ではよくこんなことをします。年配者が焦点距離を少し合わせるための仕草です。古希前後の余裕のある日常の感じと夕芙蓉との取り合わせが絶妙です。それといった意味もないのに、たゆたいの情が匂う感覚の優れた句です。
【合評】 読書に余念のない作者が、涼しい風と辺りが薄暗くなってきたことを感じ、眼鏡を持ち上げ庭に視線を移すと、酔芙蓉は白からピンクに色を変えています。花の色に目を休めた作者は、眼鏡の位置を戻し、再び本に視線を落とします。晩夏から初秋にかけての季節感を静かに感じさせ、今の先行きの見えない閉塞感を一瞬忘れさせてくれるとてもよい句だと感じました。
○入選
墓参てきぱきと骨になりたし
見原万智子 【恩田侑布子評】 「てきぱきと」仕事をこなす作者が、「てきぱきと骨になりたし」と思っておられたとは。ただ、全国にぽっくり寺があるくらいなので、老耄の身を晒して長々と子や孫に下の世話にまでなりたくないという思いは、珍しいわけではありません。手柄は「てきぱきと骨になりたし墓参」をひっくり返した五五七の破調の工夫にあります。宙吊りの余白が斬新です。しかし、作者コメントによると、「自分の焼骨はあまりお待たせしたくない」という火葬場での即物的希望を詠んだものと発覚。バラさないで欲しかったと思うのは私一人ではないでしょう。
【合評】 まさに近頃の己が思いを代弁してくれているように思いました。
普段からてきぱきと物事を進める方なのでしょう。他人に迷惑をかけず。自分の最期の時にまでそうありたいという切実な思い。そして墓参の際にもそう考えてしまう「性分」の可笑しみ。「てきぱき」の音が、骨の音に聞こえてきます。
墓に参ると諦念に襲われます。もう存分に生きたから、いや、そんなに生きていないけど、そろそろオサラバしてもいいかな。「ホラホラ、これが僕の骨」(by中也)
【原】亡き人よ見えわたるやと問ふ花火
見原万智子 【恩田侑布子評】 「姑が最後に見た焼津海上花火大会のひとコマ。車椅子に座り亡き舅の写真をしっかり抱いていました。「お父さぁん、見えるかね〜?」という呼びかけが、空へ向けて何度も放たれるのでした。」
以上が作者の弁。体験の刻まれた胸を打つ光景です。なるほど、思いが余って「亡き人よ」と呼びかけ、さらに「見えわたるや」とせずにはいられなかった気持ちはわかります。でも俳句表現としてみるとどうでしょうか。お姑さんの行動を横から見ている描写にとどまり、作者との一体感がイマイチです。ここはお姑さんの気持ちになりかわりましょう。 【改】亡き人に見えわたるやと問ふ花火 一字の違いで、中七の「見えわたる」という措辞がいっそう生きて来ましょう。
【合評】 花火を観ることが好きだった故人を偲ぶ思いがよく伝わります。「見えわたる 」に、空に広がる花火の壮大さがよく表現されています。
【後記】
兼題のこともありますが、近しい人の死、自己の死を想う句が多く、リモートゆえ孤独な選句であってもどこか会員同士輪になってともに句を読み進めていくような感覚がありました。ともすれば分断を煽られがちな異なる社会属性や世代が、対等に何かについて話し、評することができる場は本当に貴重です。ワクチン接種が進み、COVID-19の早期収束を望む一方、次々と出現する変異型に社会はまだ振り回されています。疫禍がもたらした予期せぬ“ニューノーマル”な暮らしの中で、奔流に抗う一本の自己の根を下ろすことが、俳句、ひいては文学の役割かもしれません。
(古田秀) 今回は、特選1句、入選3句、原石賞2句、△2句、ゝ14句、・12句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
============================= 2021年8月8日句会 入選句 ○入選
瓜揉や食卓に小ぶりの遺影
見原万智子 【恩田侑布子評】 暑い盛り。瓜揉が主役の簡素な昼餉でしょう。テーブルには遺影が置かれています。豪華な写真立ではなく、小ぶりのつつましい写真立に入っているいとしいひとの笑顔。「小ぶり」の措辞が素晴らしく働いています。生前もいつもここで一緒に食べていたが、亡くなっても一緒に食事をしているのです。仏壇のなかの位牌を拝むだけでは足りない親しさなつかしさ。瓜揉の翡翠色が、ひときわ涼しく哀しい。きっとひとり住いなのでしょう。清らかな故人への思いが、その亡き人のお人柄まで想像させる心打たれる俳句です。
○入選
夏草を漕ぎ湿原の点となる
海野二美 【恩田侑布子評】 高地の湿原をゆくここちよさ。茅や蒲や、かやつり草、わたすげなどの群生する青々とした天上の草原で、いま私は、どこの誰でもない、男でも女でもない。もはや人間であることも忘れて、天地の間のただ一点になります。大自然に抱かれる夏の歓喜です。やぶこぎの「漕ぎ」と、座五の「点となる」によって、景が鮮やかに浮かぶ句になりました。

2021年7月4日 樸句会報 【第106号】
ここ何年も記憶に無い七月上旬の大雨。
被害に遭われた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。
雨もようやく小降りになった七月四日。リアル参加とリモート併せて16名の連衆が句座を囲みました。 兼題は「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」です。
特選3句、入選4句を紹介します。 ◎ 特選
八橋にかかるしらなみ半夏生
前島裕子
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「半夏生」をご覧ください。
↑
クリックしてください
◎ 特選
一列に緋袴くぐる茅の輪かな
島田 淳
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅の輪」をご覧ください。
↑
クリックしてください
◎ 特選
言はざるの見ひらくまなこ日雷
古田秀
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「日雷」をご覧ください。
↑
クリックしてください
○入選
雷遠く接種の針の光りけり
山本正幸 【恩田侑布子評】
貴重な時事俳句。コロナワクチンの接種をする。明日、痛みや副反応は軽くすむだろうか。本当に効くか。遠雷のひびきとあいまって不安がよぎる。日本は、世界は、今後収束局面に入っていけるだろうか。このゆくえは誰にもわからない。針先のにぶいひかりと遠雷の聴覚のとりあわせが、さまざまな感情を呼び起こします。
○入選
かへり路迷ひに迷ひ日雷
田村千春 【恩田侑布子評】
帰りたくない気持ち。どうしたらいいかだんだん自分でもわからなくなる切迫感。日雷が効いています。絵にも描けないおもしろさ。
○入選
白き葉のゆかしく揺れて半夏生
猪狩みき 【恩田侑布子評】
平凡という批判もきこえますが、むずかしい一句一章の俳句が、いたって素直。「ゆかしく揺れて」が半夏生のしずかさを表して、しかも清涼感がある。句に清潔なかがやきがあります。
○入選
躙口片白草へ灯を零し
田村千春 【恩田侑布子評】
草庵の茶室での夏の朝茶。そんなに本格的でなくても、夕涼みの趣向のお茶かもしれません。躙口のあたりの小窓から漏れる灯が、露地の脇に生えている半夏生の白い葉にかがよう繊細な光景。いかにも涼し気な日本の情緒。半夏生でも三白草でもなく「片白草」の選択が秀逸です。
本日の兼題の「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」の例句が恩田によって板書されました。 半夏生
今回の兼題の一つ「半夏生(植物)」について、恩田から補足説明がありました。ドクダミ科の多年草。半夏生(七月二日)の頃、てっぺんに反面だけ粉を吹いたような真っ白な葉を生ずる。半化粧の意味もある。片白草。三白(みつしろ)草ともいいます。ハンゲと呼ばれるのはカラスビシャクというサトイモ科の別の植物。これとは別に時候としての「半夏生」もあり、句作にも読解にも注意するようにと、それぞれの例句を挙げて恩田は説明しました。 同じこと母に問はるる半夏生 日下部宵三 亡き人の夫人に会ひぬ半夏生 岩田元子 いつまでも明るき野山半夏生 草間時彦
からすびしやくよ天帝に耳澄まし 大畑善昭
茅の輪 ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな 川崎展宏 空青き方へとくぐる茅の輪かな 能村研三 雷 昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼
遠雷や舞踏会場馬車集ふ 三島由紀夫
【後記】
今回の連衆の投句には、意図せず時候の半夏生になってしまっていた句が多かったと恩田は講評しました。そのうえで特選句と入選句について、「半夏生(植物)」を素直に丁寧に描写することで、それを見つめる自分の心のあり様を読者に伝えることが出来ていると評しました。
筆者の個人的見解ですが、恩田の出す「兼題」には、初学者が句作に頭を悩ますものが必ずと言っていいほど一つ含まれています。筆者にとっては今回であれば「半夏生(植物)」であり、次回では「甘酒」がそれに当たりました。それらはこの半世紀ほどで急速に身の回りから消えつつある環境であったり生活文化であったりするものです。筆者は東京近県の郊外に住んでいますが、こうした自然環境や文化的蓄積の残る静岡に羨望を禁じ得ません。
今回、連衆の投句から筆者が学んだのは、自分の感情や意識を殊更書こうとしなくても、対象をしっかりと描写することで読む者の共感を呼び起こすことができるということです。筆者の場合、「われ」と「季物」のうち「われ」が前に出過ぎているため、感覚的に描写しやすい「半夏生(時候)」の句になってしまっていたようです。
以前の樸俳句会で、芭蕉の言葉についてテキストを用いて恩田が解説するシリーズがありました。
「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」
「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(いずれも「三冊子」)
初学者にとって、兼題に真正面から取り組むことが俳句の面白さを知る王道なのだと痛感した句会でした。筆者はずっとリモート投句が続いていますが、実際に句会に出られればさらに多くの薫陶と刺激を恩田と連衆から得られるのにと思う日々です。
(島田 淳) 今回は、特選3句、入選4句、△7句、ゝ11句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
============================ 7月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。
○入選
向日葵や強情は隔世遺伝
海野二美
【恩田侑布子評】
向日葵のように明るく美しく、すっくりとお日様に向かって立っている作者。でも強情っぱりなの。この一本気は大好きだったおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)譲りよ。へなへななんかしないわ。「隔世遺伝」という難しい四字熟語が盤石の安定感で結句に座っています。十七音詩があざやかな自画像になった勁さ。
【原】ドロシーの銀の靴音聞く夏野
山田とも恵 【恩田侑布子評】
「夏野」の兼題から「オズの魔法使い」を思った作者の想像力に感服します! 主人公の少女ドロシーは、カンザスから竜巻で愛犬のトトと飛ばされます。私も幼少時、大好きな童話でした。ブリキのきこりに藁の案山子、臆病なライオンとのちょっと知恵不足のあたたかい善意の支え合い。エメラルドの都へのあこがれと、故郷カンザスへの郷愁。それら一切合財を「銀の靴」に象徴させた作者の詩魂は非凡です。ただし、表現上は「靴音聞く」が惜しい。「靴音」といった時点で、俳句に音は聞こえています。 【改】ドロシーの銀の靴音大夏野 または 【改】ドロシーの銀の靴ゆく夏野かな など、「聞く」を消した案はいろいろと考えられましょう。
【原】いつからか夏野となりし田は静か
望月克郎
【恩田侑布子評】
地方都市の郊外のあちこちでみられる憂うべき光景です。無駄のない措辞に、本質だけを剔抉してくる素直な眼力が窺えます。それをいっそう際立たせるには、 【改】いつからか夏野となりし田しづか 字足らずが効果を上げることもあります。

2021年6月6日 樸句会報【第105号】
今朝は梅雨が戻ったような空模様。
でも句会が始まるころには小降りとなる。
そんな中うれしいことに、御二人の見学者がおみえになる。五月にお仲間になった御二人と、樸に新しい風を吹き込んでくれそう。
本日は新人の方が多いので、副教材はお休みし、投句の選評、それも高得点からではなく、無点句から始まりました。 兼題は「雪の下」「蝸牛(でで虫)」「青嵐」です。
入選1句、原石賞1句、△4句を紹介します。
○入選
おんぶ紐要らなさうだね雪の下
田村千春 【恩田侑布子評】 「雪の下」の兼題からおんぶ紐を発想した詩的飛躍が非凡です。梅雨時の雪の下という植物の、日影っぽい静かさ。我が家の背戸にも竹山との境の低い石垣に雪の下が生えています。春先は天ぷらにしておいしい繊毛の密生した葉は、梅雨時になると赤紫の茎を伸ばし、鴨の足のようなちぐはぐな細い白い花びらを傾きがちに咲かせます。おんぶ紐は赤ん坊には必需品だが、使う時期は短いもの。捨てるに惜しく、そうかといって取っておいても使い道はありません。わずか一年ほどの母子密着の乳児期のやるせなさと懐かしさ、そして瞬く間に大きくなってゆく幼年時代との別れがしみじみとした抒情を醸します。目の前の子や孫を育てる日常生活を超えて、人の世に昔から繰り返されてきた子育てという懐かしくもはかないいとなみの感触が存分に描かれています。山の端に滲む薄墨がかった梅雨夕焼を見るような、不思議な味があります。
ただ、口語の面白さの半面、「だね」は雪の下の仄かさを打ち消さないでしょうか。
「おんぶ紐もう要らなさう雪の下」なら◎特選と考えてそう言うと、作者がまさにこの通りの句を考えて、その後「だね」に推敲してしまったとおっしゃいました。
【原】擂粉木に胡麻うめきたる暑さかな
古田秀 【恩田侑布子評】 日常の中から詩をみつけた良さ。ごまをするときの実感があります。ただ「うめきたる」は「呻きたる」で、声が聞こえて、しつこすぎませんか。即物的に、たくさんあるという意味の「擂粉木に胡麻うごめける暑さかな」なら◯です。 【改】擂粉木に胡麻うごめける暑さかな
【合評】 感覚的な句。暑さを伝えるのに「胡麻のうめき」ととらえたのがなかなかいい。
△ 繰り返し傷舐める犬夏の闇
萩倉 誠 【恩田侑布子評】 犬は傷を舐めてなおす。静かだと思ったらまた舐めている。犬にしかわからない傷の痛みがあるのだろう。内容はいい。弱点は、犬小屋なのか、座敷犬が電気を消した部屋の隅で舐めているのか、場所が特定できず、映像が浮かびにくいのが惜しい。
【合評】 読んだ瞬間、怖いと思った。野良犬が路地裏で傷を舐めている。そこを作者が通りかかった。
飼犬が釘かなにかでけがをし、それを舐めている。
△ でで虫や己が身幅に道を食み
島田 淳 【恩田侑布子評】 「身幅に道をはむ」に素晴らしい詩の発見があります。頭の作ではなく、現場にいて蝸牛と会っている人の作品です。さらに調べをととのえて、
「かたつむり身幅に道を食みゆくも」
なら◯です。
【合評】 「身の丈にあった」はよくきくが、「身の幅に食んでいく」といっているのがおもしろい。
△ 月食のかげにさざめく雪の下
前島裕子 【恩田侑布子評】 感性のすばらしい作品です。リズムを考慮し、
「ささめける月蝕のかげ雪の下」なら、さらに◯入選です。
【合評】 月蝕(5月26日)はみていた。雪の下は知らなかったが調べてみて、葉の緑が「さざめく」と合っているよう。
△ 坪庭の暮れて仄かに雪の下
海野二美 【恩田侑布子評】 正攻法の「雪の下」の句。映像がはっきりと浮かぶ。陰翳ゆたかな品の良い坪庭が眼前する。「仄かに」はいかにも雪の下らしい。 本日の兼題の「青嵐」「かたつむり」「雪の下」の例句が恩田によって板書されました。
雪の下 歳月やはびこるものに鴨足草 安住敦
低く咲く雪の下にも風ある日 星野椿 蝸牛 かたつむり甲斐も信濃も雨のなか 飯田龍太
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣 かたつぶり角ふりわけよ須磨明石 芭蕉
でゞむしにをり/\松の雫かな 久保田万太郎 青嵐 猫ありく八ツ手の下も青あらし 前田普羅
面・籠手の中に少年青嵐 中尾寿美子
選句に入るまえに恩田より、特に初心者の方へ選句の仕方について次のようなコメントがありました。
・俳句は水準で選ぶのが大事
・好ききらいで選ばないこと
・そうした選句を重ねてゆくと句作も良くなってゆく
つぎに、選評。いつもと違い無点句からで、
・どこを直せばよくなるか
・どうすればいい句になるか
・本題季語で詠んだほうが句が広がる
・擬人化は詩的飛躍がないと卑俗になりがち
・奇をてらうよりは平凡の方がいい
・俳句という詩を詠む
・<平明で深い句>…高浜虚子のことば
と、一句一句丁寧に指導いただきました。
【恩田より総論の感想として】 ・季語には本題がありますが、滅多に使われない珍しい傍題季語を使う句がこのごろよく目立ちます。絶対に悪いわけではありませんが、本題季語のほうが共感しやすく、連想もひろがるものです。
・突飛なことばや思いつき、鬼面人を驚かす語を使ってカッコつけたくなるのは初心者の弊です。気をつけましょう。
・上に関連しますが、田舎歌舞伎で大見得を切っているような、そこだけ悪目立ちするような力みかえったことばの使い方には気をつけましょう。
【後記】
本日は、新しい仲間も加わり、いつもに増して熱の入った句会でした。
無点句から始まった選評も一句一句、かみしめ聞き入りました。
そして本題季語で詠むことの大切さを知り改めて、季語と向きあってみようと思いました。
選句についても、「好みではなく俳句の水準で選ぶ」ことを肝に銘じたいと思いました。 コロナのワクチン接種が始まりました。
これで収束に向かい、みんながリアル句会に参加できますように。
(前島裕子)
今回は、入選1句、原石賞1句、△4句、ゝシルシ14句、・2句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
============================
6月23日 樸俳句会 入選句を紹介します。 ○入選
鉄板の足場ひびけり梅雨夕焼
塩谷ひろの 【恩田侑布子評】 建設現場の鉄骨に渡した鉄板の足場でしょう。しかもこれは二階や三階ではなく、かなりの高層建築を思わせます。そこに梅雨夕焼を鉄板と同時に踏んでいるかの空中感覚と、黒ずんだ夕焼けが響き返してくる臨場感があります。油断すれば転落する厳しい建設現場の仕事です。緊張感と、まだ仕事の終わらない一抹の淋しさ、孤独感。都会のブルーワーカー同士、声を掛け合ういたわりも想像されます。視覚や聴覚にダイレクトに迫る訴求力が素晴らしい。労働俳句のソリッドさが梅雨夕焼に合っています。作者が初投句の塩谷ひろのさんと知って、びっくり仰天いたしました。
○入選
照りかへす一円玉や夏燕
古田秀 【恩田侑布子評】 道路にきらっと白くひかるのは一円玉。誰も拾わない一円玉。夏つばめが急降下して地面すれすれに腹を擦り付けたかと思うや、あっという間に青空に吸い込まれる。その早さ、切れ味のよさ。なにもいわず、ただ一円玉と夏燕の詩が展開する空間の気持ちよさ。

2021年4月4日 樸句会報【第103号】 2021年卯月の句会は、久しぶりのリアル句会でした。本日は「静岡まつり」の最終日。祭りの終わりを告げる花火の音が開け放した窓から入ってきて、最初は春雷かと思いました。 兼題は「あたたか」「柳の芽」「物種蒔く」です。 入選3句、原石賞3句を紹介します。 ○入選
湖出づる川のさざめき柳の芽
猪狩みき 【恩田侑布子評】 湖のひとところから水が流れ出し、川になって流れるところです。たっぷりした湖から狭い川幅に入り込み、流速がまし、水音も高まるようすを「湖出づる川のさざめき」と端的に捉え、そこに柳の芽がしだれて、水につくかつかないかというところ。映像的センスが抜群です。みずほとりに生まれ出る春の清らかな勢いがまさにさざめいて。
あとから聞くと、琵琶湖を訪ねられたとのこと。吟行句がこんなに生き生きとまとめられるのは素晴らしい!
【合評】 湖から川になろうとしている。柳の芽と川のさざめきが響きます。
諏訪湖から天竜川に出るところを見たことがあります。よく見る風景かもしれない。
「湖」では大きすぎませんか?
一読、「きれいだね」で終わってしまいました。
○入選
あたたかし肩揉む爪の短さよ
海野二美 【恩田侑布子評】 爪を伸ばしてあざやかなマニキュアを塗った指は女性ならではの美しさです。でも、そんな手で肩を揉んでほしいとは思いません。むしろ深爪なくらいの十指が肩揉みやマッサージにはふさわしい。指先のまるさと、指の腹から伝わる力に、あたたかな春光があふれます。座五の「短さよ」に、揉んでくれる人の日頃の家事の甲斐甲斐しさも偲ばれます。「俳句は旦暮の詩」といった岡本眸さんの名言を思い出しました。二段切れですが、もしも「あたたかに」とつなげたらこの句の実直さはこわれてしまいます。まさか、長年のマニキュアが美しく印象的だった二美さんの句とは思いませんでした。ご母堂の介護のために爪を短くされたそうです。心身も部屋の空気もみな暖か。
○入選
職辞せる妻の小皺のあたたかし
金森三夢 【恩田侑布子評】 今月で、長らく働いてきたお勤めを辞める妻。世の中に出て働くのはなにかと摩擦が多く、心身ともに疲れるもの。お疲れ様。ご苦労さんでしたという、夫からの感謝と労いのやさしさがあふれています。大ジワや深い皺でなくてよかった。「小皺」が愛らしく素晴らしい。愛情がここに通っています。人生の記念になる一句です。
【合評】 「職辞せる妻」に爽やかさを感じました。二人で家計を支えてきた。妻の小皺が頼もしく宝物のように思っている作者がいます。
長年暮らした歳月が感じられる。妻に対するねぎらいの情があらわれています。
「職辞せる」で切れるのではないか?自分が仕事を辞めたと取れる。妻の小皺を羨ましく感じているのでは?
自分のことなら「職辞して」になると思います。
【原】物種撒く終の棲家と決めし日に
益田隆久 【恩田侑布子評】
「物種蒔く」と歳時記の本題にあり、私もそれに倣って出題しましたが、ふつう俳句にするときは、具体的な植物の名前を据えて「あさがほ蒔く」とか、「鶏頭蒔く」とか、「牛蒡蒔く」「花種を蒔く」とかするほうがいいです。また、「撒く」は「水を撒く」のマクです。十七音しかない俳句なので誤字脱字には十分注意しましょう。 【改】あさがほ蒔く終の棲家と決めし日に なら、「終わりの始まり」が印象的な奥行きのある入選句になります。
【合評】 「種」が持っているのは「終わり」と「始まり」。ここが自分の終わりの家だという感慨がある一方、何かの始まりでもあるということを「種」に託しているのだと思います。
【原】春陰のブロック塀で消す煙草
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】
急速にマイナーな存在になりつつある愛煙家が、人の家を訪問する直前にタバコの火をブロック塀で消すとは、ありそうでなかなか気付かない面白い光景です。「春陰」の季語に、春の薄暗い物陰と心理的な陰翳がかさなって奥行きがあります。惜しいのは「で」です。
【改】春陰のブロック塀に消す煙草 こうすると一字の違いとはいえ、春陰の季語が生きて来ます。句格が上がり入選句になります。
【合評】 この方は紳士で、普段はこういうことはしないのですが、春で自律神経が乱れ、イライラが募ってついやってしまったのでしょう。
ドラマ性が感じられる怪しげな句。ブロック塀の陰で何かアクションをおこすタイミングをはかっているのではないか。
「春陰」「ブロック塀」「煙草」でアンモラルな感じが出ている。
【原】柳の芽くぐりくぐりて車椅子
山本正幸 【恩田侑布子評】
さみどりの柳の芽を空からのやさしいすだれのように思って、車椅子を押す人と乗る人が、ともに頰を輝かせている情景が目に浮かびます。このままでもなかなかの俳句ですが、「芽」と「て」で調べが小休止するのが惜しまれます。
【改】芽柳をくぐりくぐるや車椅子 こうされると一層リズミカルになって、かろやかな春のよろこびがにじみ出ませんか。
【合評】 外に出たかった気持ちがよくあらわれています。一人で乗っているのでしょうか。車椅子は案外安全な乗り物なんです。
いろいろな事を「くぐりくぐりて」ワタシは爺さんになっちゃいました。
句会冒頭、本日の兼題の例句が恩田によって板書されました。
物種蒔く あさがほを蒔く日神より賜ひし日 久保田万太郎 子に蒔かせたる花種の名を忘れ 安住 敦 死なば入る大地に罌粟を蒔きにけり 野見山朱鳥
暖か 暖かや飴の中から桃太郎 川端茅舎 あたたかな二人の吾子を分け通る 中村草田男 あたたかに灰をふるへる手もとかな 久保田万太郎
柳の芽 退屈なガソリンガール柳の芽 富安風生 柳の芽雨また白きものまじへ 久保田万太郎
合評と講評の後、角川『俳句』4月号に掲載された恩田侑布子特別作品21句「天心」を読みました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。下部に連衆の評の一部を掲載しました。
身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹 虚無僧の網目のなかも花あかり ふらここの無垢板やせて春の月
やすらげる紙にのる文字春しぐれ
花の雲あの世の人ともやひつゝ 作者の今の心境や生き方を反映している句が多いように感じました。(全体)
私には何のことか分からず情景の浮かばない句もいくつかありましたが、全体的に調べやリズムがよく気持ちよく読めました。(全体)
感覚をはっきり的確に言葉に出している。寒牡丹のあざやかな色をフィルターから外へ取り出す手際のあざやかさ。(寒牡丹の句)
虚無僧すら幻惑されてしまう花なんですね。(虚無僧の句)
ふらここに長い歳月を感じます。おおぜいの子どもたちが乗って遊んだのでしょう。静止している一枚の木の板をいま春の月が静かに照らしています。(ふらここの句)
地上にあるものと空の月。季語がふたつですが、逆にそれによって情景がよく見えます。季重なりに必然性があると思いました。(ふらここの句) [後記]
本日の句会で、投句のひとつに顕われた「マイナス感情」をめぐって、句作のありかたについての議論になり、恩田は「あらゆる感情に付き合っていくのが文学です」と述べました。
たしかに、句を読んでいて今まで味わったことのないような感情に驚くことがあります。いや、本当は未知なのではなく、自分の中で忘れたり隠されたりしていたものが俳句の力によって呼び起こされたのでしょう。たった十七音でそれができるとは! (山本正幸)
今回は、○入選3句、原石賞3句、△5句、ゝシルシ10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ●樸俳句会ではリモート会員(若干名)を募集しています。ネット(夏雲システム)を利用して全国どこからでも、投句・選句・選評ができます。投句に対して恩田侑布子が講評・添削をいたします。 リモート会員として入会ご希望の方はこちら
============================ 4月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。
○入選
円陣解く野球少年春疾風
山本正幸 【恩田侑布子評】 五七五の展開の小気味好さ。とくに上五の「円陣解く」と下五の「春疾風」がよく響き合い、一句は大きな時空に開放されます。小学生の男の子たちでしょう。地域の名監督(・・・)が率いる野球団に入って休日の朝から練習に励んでいます。ときどき、よその学区の野球団と他流試合もあります。これはその草野球の開始前。グラウンド中央に全員集合!お揃いのユニフォームで不揃いの背丈が仲良くスクラムを組み、「行くぞ!」の一声で、かけ足でポジションへ散ってゆきます。場外には、下の子を遊ばせながら見守っている父や母や祖母がいます。誰もが青空にヒットの快音を期待しながら、そこは、なかなか。三振やファールが続いたり、たまに川原のやぶ草に飛込む場外ホームランが出たり。以後は春疾風。少年はたちまち青年になり、父になり、疾風怒濤の生涯が待ち構えています。〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉の万太郎は、ひらがなのやさしさ。正幸さんの作品は、漢字のいさぎよさと言えそうです。

2021年2月24日 樸句会報【第101号】 2021年如月の句会は、コロナウイルス第3波を考慮しリモート句会となりました。 兼題は当季雑詠、または「探梅」「寒肥」(前回、急遽休会となったぶん)です。 入選4句を紹介します。
○入選
探梅や独り上手の万歩計
海野二美 【恩田侑布子評】 ひとり歩きは探梅にこそふさわしい。冬の梅はおもいがけない山かげに真っ白な空間をつくり清香をただよわせています。そのつつしみ深さは独歩のひとの胸にかようもので、複数でおしゃべりしていたら雲散します。この句のよさは、「探梅や」と上五で冬の梅の空間を響かせ、ひとり歩きの人の万歩計に焦点がさだまることです。万歩計にカウントされる歩数を頼りとし、楽しみともして健康を気遣いながらそぞろ歩きする年配者の思いに、冬の梅を探る空気が感じられます。孤独が社会問題の現代にあって、「独り上手」という措辞も気が利いています。
○入選
風上は南アルプス寒肥す
村松なつを 【恩田侑布子評】 大井川のほとりに山荘をもつ作者は、茶畑や菜園に寒肥をほどこしています。川風もさることながら、吹き下ろす北風はなにより南アルプスの神々の座からやってきます。雪の降らない静岡県中部は冬青空が美しいところです。「南アルプス」の措辞によって、青天の高さはるけさと足元の寒肥との対比が、いちやく勇壮の気を帯びました。 【合評】 大景と手元の作業の対比があざやか。
気持ちのいい句です。吹き来る風は南アルプスから。広い空、遠い山脈を背景にして寒肥作業に精を出す人の姿が見えてきます。
黒い地を耕す小さな人間が白いアルプスを背にした広大な景。
○入選
探梅や杖に拾ひし棒を振り
村松なつを 【恩田侑布子評】 山坂がちの探梅行です。もっと足元が悪くなると困るから、予備にこの棒でも拾っておこうか。そう思って杖にしたはずの細い木の棒でしたが、気がつけばいつのまにか調子良く振り回して歩いていました。一人の気楽でしずかな梅を探る時間が活写されています。どちらかというと〈風上は南アルプス寒肥す〉の優等生的俳句より、こちらの野趣あふれる無欲な俳句に惹かれます。また、こうしたところにこそ、作者の本来の個性が今後ますますひかり出るのではないかと期待しております。
○入選
紅梅や晶子の歌碑は海へ向き
山本正幸 【恩田侑布子評】 同じ梅でも白梅とはちがって、紅梅は春浅い空にくっきりと濃厚な輪郭をきざみます。そのあでやかさはまさに近代短歌の女王、与謝野晶子のもの。しかも、大海原にむかう歌碑は晶子という歌人の肺腑の大きさを象徴するようです。「清水へ祗園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき」の『乱れ髪』から、晩年の「初めより命と云へる悩ましきものをもたざる霧の消え行く」の『白桜集』まで、旺盛な作歌と評論活動を展開した表現者は終生自己更新をしつづけました。清見寺にある歌碑「龍臥して法の教へを聞くほどに梅花の開く身となりにけり」に触発されたという掲句は、K音の点綴も歯切れよく、高らかな晶子賛歌、紅梅賛歌になっています。
【合評】 輝く才能と、意志を貫く強さの持ち主である与謝野晶子には、狭くて暗い場所は似合わない。今も、広々した美しい世界へ眸を向けている気がします。まだ寒い春先に紅色をほこる梅を思わせるような、凛とした香気を放ちながら。
学びの庭 表現の苦しみとよろこび
恩田侑布子 今回はリモート句会が続いたせいか、表面的にいいすぎてしまっている句が目立ちました。すべて言ってしまうと大事な詩の余白がうまれません。日常生活はりくつと因果関係からなり立っています。俳句という詩は日常や事実をふまえつつも、そこから自由にはばたいてふたたび着地する文芸です。日常べったりでも、絵空ごとでもない「虚実皮膜(ひにく)」を目指しましょう。
芭蕉の名言、「心の作はよし。詞(ことば)の作は好むべからず」はどんな場合にも肝要です。ことばの上の作意をよしとすれば、器用さでいくらでも七、八〇点の句をならべられるようになるでしょう。となると、将来の俳句宗匠の座はAIが占めることになりかねません。
ソツのないよく出来た句より、破綻をおそれず切実な足元から破行句を!と申し上げて次回を期します。俳句を表現する苦しみこそ、よろこびであり楽しみだと、だんだん思うようになってきます。これは何ものにもおかされないこころの財産になります。
[後記]
今回もリモート句会の後、恩田先生より全句講評と「学びの庭」を送付して頂きました。
連衆の句それぞれに、全人格を持って向き合った先生の講評を読むことは、筆者にとってかけがえのない時間となっています。
講評に散りばめられた箴言を反芻しながら、次回の句会に向けて句作していくことは、独りでは決して設定することの出来ないハードルを、先生や連衆の力を借りて、一つ一つ越えていくような充実感があります。
そして今日もまた、句作をしながら「表現の苦しみとよろこび(恩田)」について思いをめぐらせています。
(芹沢雄太郎) 今回は、〇入選4句、△5句、ゝシルシ8句、・4句という結果でした
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和2年5月3日 樸句会報【第90号】 青葉が美しく生命力にあふれた季節ですが、今回もネット句会です。本日は憲法記念日。恩田から出された兼題はまさに「憲法記念日」「八十八夜」でした。形のないものを詠むのに苦労しつつも独自の視点に立った面白い作品が多く寄せられました。 入選1句、原石賞1句及び△6句を紹介します。
○入選
突堤のひかり憲法記念の日
山本正幸 第九条をとくに念頭にした志の高い俳句と思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という理想主義、平和主義を諸国に先んずる「突堤のひかり」と捉え、人類の平和のためにこの理想を失いたくない。胸を張って守って行きたい、という清らかな矜持が滲んでいます。共感を覚えます。
(恩田侑布子)
【合評】 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。
【原】化石こふ故郷八十八夜かな
前島裕子 作者のふる里は、なんとかの化石の出土地として有名なところで、きっと作者ご自身もそれが誇りであり自慢なのでしょう。その化石と故郷が結びついたユニークさが取り柄の句です。
「望郷の目覚む八十八夜かな」という村越化石の代表句を思い出したりもしますが、と、ここまで書いて、そうか、これは村越化石を題材にした句であり、地質時代の遺骸の石化なぞではないんだとあわてて気づいた次第です。だとしたら、他人事に終わるのではなく、 【改】化石恋ふ故郷に八十八夜かな とご自分の位置をはっきり示されたほうがより力のある句になるのではないでしょうか。
(恩田侑布子)
△ お隣は実家へ八十八夜かな
樋口千鶴子 お隣さんはこぞって里帰りでがら空き、すこしさみしい、でも隣家のみんなのにぎやかな笑い声を想像してなんとなくほのぼのともしてしまう。そういう八十八夜のゆたかさがよく表れた俳句です。言外にふくよかさがあります。
(恩田侑布子)
△ 補助輪を外す憲法記念の日
芹沢雄太郎 憲法成立時のいさくさを思い、いい加減にアメリカというつっかえ棒をなくして、私たち国民の正真正銘の憲法として独立自尊させよう。という健全な民主主義への思いを感じます。
子供の自転車の補助輪を持ってきたところなかなかですが、寓喩性がやや露わなのが惜しまれます。
(恩田侑布子)
【合評】お孫さんかな、補助輪がはずれ颯爽と自転車をこぐ、自慢げな顔がうかぶ。「憲法記念の日」がきいていると思う。現行憲法が施行され70年が経過した。この日はそろそろGHQの補助輪を外し、良きものは残し、是々非々の自主憲法の制定を考える日でありたい。補助輪と憲法が響く。
△ 体幹を伸ばす八十八夜かな
芹沢雄太郎 気持ちのよい俳句です。背筋を伸ばすならふつうですが、「体幹」は身体の中心なので、こころまで、精神まで正し伸びやかにする大きさがあります。実際どのようにするのかイメージが湧けば更に素晴らしい句になることでしょう。
(恩田侑布子)
【合評】 初夏で本来なら心が浮き立つ時期・・しかしステイホームで運動不足。外出できる日に備えてストレッチ・・健全な心掛けですね。
△ 秒針の音よりわづかあやめ揺る
山田とも恵 真っ直ぐで清潔な茎と、濃紫の印象的なあやめの花の本意をよく捉えています。初夏の夜の繊細なしじまが伝わってきます。今後の課題としては、読後に景がひろがってくれるように作れるとなおいいですね。
(恩田侑布子)
【合評】あやめのピンと張りつめたような葉を、秒針の音よりわずかに揺れると表現したのが上手いと感じました。五風十雨のこの地。風も時もゆったりと流れる。心もまた静か。
△ 風呂入れ憲法記念日のけんか
山田とも恵 風呂嫌いの子がけっこういるものです。ささいもない家族の中のけんかを、大きな国家のきまりと溶け込ませて捉えたところにおもしろい勢いが感じられます。
(恩田侑布子)
【合評】 父親と息子のけんかだろうか。
改憲議論からの口論だろうか。いやいやそんな高尚な話ではない。
最後には「とっとと風呂入れ!」の親の一言で結んだケンカ。
憲法記念日という固い季語と「風呂入れ」のギャップが読み手を引き付ける。
国の行く末より家族のあしたの方が問題であり身につまされる。
堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。
△ レース編む一目の窓に来る未来
海野二美 夏に向かってレースを編み始めた作者。「一目の窓に」が初々しくていいです。しかも「未来」と大きく出た処、まさに青空が透けて見えて来るようです。
(恩田侑布子)
【合評】 お子さんかお孫さんのために何か編まれているのでしょうか。レースの網目に未来が生まれてくるという発想が素晴らしい。ただ「窓に来る」という表現が若干説明しすぎのような気もしないではないですが、どうでしょう。
今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の『息の根』7句、『よろ鼓舞』7句、計14句を読みました。
連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています。
『息の根』7句 『よろ鼓舞』7句
↑ ↑
クリックしてください
[後記]
筆者にとって「憲法記念日」は自分の信条を物や景色に託してどこまで出していいか非常に迷う難しい兼題でしたが、逃げずに向き合う良い機会となりました。恩田が総評として次の言葉を寄せています。「憲法記念日の季語は、ふだん感性主体で作っている俳句の土台に、ほんとうは現代の市民としての社会性や、世界認識が必要であることを気づかせてくれたのではないでしょうか。また、八十八夜は、目に見えているのにとらえどころがないおもしろい季語で、こちらは認識というより、いっそう全人的な感性それ自体が問われ、焦点を絞ることの大切さを学ばれたと思います」(天野智美) 次回の兼題は「青葉木菟」「浦島草」です。 今回は、○入選1句、原石賞1句、△6句、ゝシルシ3句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

令和2年2月2日 樸句会報【第85号】
2月最初の句会。
戸田書店の鍋倉伸子さんが美味しいお菓子を持って飛び入り参加して下さり、いつにも増して賑やかな句会となりました。
兼題は「寒燈」と「春隣」です。 原石賞4句と高点句1句を紹介します。なお今回は特選・入選ともにありませんでした。
【原】すっぴんの青空のほし葛湯ふく
前島裕子 「すっぴんの青空」は、『俳句』一月号の恩田の〈青空はいつも直面(ひためん)年用意〉から触発された措辞といいますが、なかなか面白いです。岩手県の老親の介護に帰られ、雪催いの空の下での実感とのこと。ほしを「星」と解釈した方もいましたので、切れ字を入れて「青空が欲しいことだよ」と、はっきり打ちだしましょう。「欲しや」にすればわかりやすくはなりますが、青空と葛湯の対比の美しさが消えてしまうので、あとは原句のまま、ひらがながいいですね。
(恩田侑布子)
【改】すつぴんの青空ほしや葛湯ふく
合評でこの句を採った筆者は、恩田の鑑賞にあるように「青空のほし」を「星」と捉えてしまいました。それでは全く空の景色が違ってしまいます。全く違う景色を想像して特選に採ることは決して悪いことではないでしょうが、このような誤読は句の本質を見失っていることになります。そのような流れで恩田は阿波野青畝を引き合いに「平明」と「平凡」の違いを連衆に問い掛けました。
(芹沢雄太郎)
【原】寒燈下この石を神とし握る
天野智美
なんの石ともいっていませんが作者の思いのこもった石です。人の一生は百年、石は何千万年です。ただリズムが良くないので散文のように感じられます。語順をひっくり返して定型にすれば石にも寒燈にも存在感が生まれます。山崎方代の名歌〈しののめの下界に降りてゆくりなく石の笑いを耳にはさみぬ〉をちょっと思い出しました。
(恩田侑布子)
【改】この石を神とし握る寒燈下
恩田のみが採った句です。作者はこの句に関して色々なバリエーションを検討したが、上五で場面の設定をしたいという思いに凝り固まり、「寒燈下」の位置を下五に動かすという発想が全くできなかったそうです。助詞・切れ字・語順などは作句の際に「これは動くことはない」と思っていることでも、一度解体再構築してみる必要があると考えさせられました。
(芹沢雄太郎)
【原】恋愛に寒木といふ時間あり
田村千春
詩的発見のある俳句です。ただ「恋愛には寒木という時間があります」という散文構造のママなのが惜しまれます。次のようにすると、情念に耐えている孤独な作者の横顔が寒木にオーバーラップされてきます。ストイックな深みのある恋の句になります。
(恩田侑布子)
【改】寒木の刻恋愛にありにけり
恩田のみが採った句です。恩田は句会中の添削で、「時間」という語句を「刻」と変える際、「とき」「時」「刻」のどれが句に似合うか考えていました。上述の「寒燈下」の句でもあったように、「舌頭に千転せよ」を垣間見ました。
(芹沢雄太郎)
【原】春隣大きな字を書く子どもの手
鍋倉伸子
作者は本日初めて見学参加されました。しかし、「春隣」という季語の胸ぐらをぐいっと掴んだグリップ力は素晴らしい。天性の伸びやかさを思わせる句柄の大きさがあります。ただせっかくの単純化の良さが句末の「の手」で損なわれています。余分なことを言わず定型におさめると、小さな子がノートのマスをはみ出しそうに大きく太く書く鉛筆の2Bの線が迫ってきます。
(恩田侑布子)
【改】春隣大きな文字を書く子ども
こちらも恩田のみが採った句です。この句は俳句の省略する美しさを持っています。これを試しに「冬近し」「夏兆す」などに変えてみると、「春隣」という季語が動かないのがわかるのではないでしょうか。
(芹沢雄太郎)
ゝ 五島列島オラショ忘れじ藪椿
海野二美
今回の高点句でした。合評では、上五と中七のどちらで切れるべきか。藪椿ではなく別種の椿と取り合わせたほうが良いのではないかなどの意見がでました。さらに鍋倉さんから「オラショ」という言葉の持つ重みを伺い、多くの議論を呼びました。 (芹沢雄太郎)
また今回はサブテキストとして、三十代で第65回角川俳句賞を受賞されたお二人のうちの一人、西村麒麟さんの受賞50句「玉虫」を読みました。
今回は句会の時間が押してしまい西村さんの句評が出来ませんでした。五、六十代の受賞者が多い角川俳句賞において、三十代の作者が二人受賞されたことの意義とともに、今後の句会で合評していきたいです。
(芹沢雄太郎) 連衆の共感を集めたのは次の句です。 平成は静かに貧し涅槃雪
後列の頑張つてゐる燕の子
星涼し眠らぬ魚を釣り上げて
月光を浴びて膨らむ金魚かな
青白き水舐めてゐる冬の鹿
いつまでも蝶の切手や冬ごもり
[後記]
今回は16名の連衆が集まりました。特選・入選が出ず、恩田からは「もう一歩踏み込んで、句に自分の手触りを出せるようになりましょう」とアドバイスがありました。季語を説明しないこと、書ききれていないゆえの「謎」の句は宜しくない、など多くの学びのある句会となりました。
(芹沢雄太郎)
次回兼題は、「猫の子」と「椿」です。
今回は、原石賞4句、△3句、✓シルシ13句、・2句でした
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。