
photo by 侑布子 2024年8月18日 樸句会特選句 見上げねば忘れゐし人星月夜 見原万智子 夏の間は夜になっても温気がムウッと立ち込めていたのに、今夜は肌もサラサラ。爽やかな風が吹いています。見上げれば、月のない星あかり。こうして星の粒立ちをふり仰がなければ、忙しさにかまけて、すっかり貴方のことを忘れていました。そこに浮かぶ面影が、ガンジーや中村哲のような歴史上の偉人なら文句なく決まります。でも、作者が人生でめぐり逢った身近な人が、潔癖な横顔を見せて去っていったかけがえのない思い出だとしたら、いっそう深く気高い「星月夜」が立ち上がります。心の彫りの深い俳句です。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 8月4日 樸句会特選句 サンダルを履かずサンダル売り歩く 芹沢雄太郎 「履かず」「売り歩く」と動詞を畳み掛け、「サンダル」のリフレインまでありながら冗漫に陥りません。それどころか切れ味のあるスピード感が迫ります。それはインドの女性の生きる力です。彼女は今日の糧を得るために色とりどりのサンダルの束を抱え、路上でサンダルを売り歩きます。みずからは裸足で。その足元にはインドの泥の大地が広がります。松本健一は『泥の文明』(新潮選書)で、多くの生命を育むアジアの泥の風土は共生の理念を生むといっています。この句を支えるもう一つの力は女性に寄せる作者の共感力でしょう。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 8月4日 樸句会特選句 ギターの音川面に溶けて爆心地 古田秀 なだらかで平易な十二音のあとに、「原爆忌」という規定の季語を使わず、「爆心地」を据えたことで一挙に衝撃が生まれました。原爆で殺された市民を慰霊するささやかな手作りのコンサートでしょうか。かつて「水を」「水をください」と死んでいった火傷の被災者の弊れ臥した川面に、やさしいギターの音色が溶け込みます。そこはまさに「爆心地」。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 8月4日 樸句会特選句 昨日原爆忌明後日原爆忌 小松浩 なるほど、八月七日の感慨はこの通り。漢字だけで表記された印象の強い句です。「今日もコロッケ明日もコロッケ」という歌が昔流行りましたが、コロッケどころか原爆を続けて落とされたのですからたまったものではありません。そこまで酷い目に遭わない限り、自ら仕掛けた無謀極まりない戦争の幕を引くことすらできなかった大日本帝国への大いなる疑義。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 5月5日 樸句会特選句 春眠や彼の地は鉄の雨ならむ 小松浩 ああ、ぐっすり眠ったなあと甘い眠りから覚めた春の朝。戦地のことが心をよぎる。パレスチナの子が逃げ惑うガザか、三年目も終戦の手立てのないウクライナか。天井のない牢獄に閉じ込められてきた罪もないガザ市民は、昨秋からさらに水も満足に飲めない飢餓にさらされ、学校も病院も砲弾で破壊され、子どもたちまで一三〇〇〇人以上も殺された。原爆の「黒い雨」は井伏鱒二の専売特許だが、「鉄の雨」は戦争のミサイルや砲弾。胸を突き刺す措辞だ。いま「春眠」の許されている日本も、防衛費を突出させる予算に政権が舵を切った。新たな戦前が日本でも始まっている。読み下した瞬時、胸を衝かれる。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 5月5日 樸句会特選句 ぼうたんや達磨大師の上睨み 古田秀 禅宗の開祖、菩提達磨といえば、一葉の蘆に乗ってインドから中国まで渡ってきた「蘆葉達磨」の画題が有名。日本では雪舟の「慧可断臂図」が国宝。でも、どちらも牡丹の花との取り合わせは見られない。それがこの句の新しみとなっている。「ぼうたんや」と上五で打ち出したことで、大輪の牡丹色が目一杯広がり、そこに一枚の糞掃衣をまとった墨絵の達磨がどっと現れる。しかも強烈な目玉でこちらを睨みかえしてくる。「上睨み」の措辞は鋭い。華やかな牡丹は中国の国花。大陸の風土性をもつ印象鮮やかで力のある俳句だ。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 4月21日 樸句会特選句 街棄つるやうに遠足出発す 古田秀 街なかの幼稚園か保育園の年長さん、あるいは小学校低学年の遠足でしょう。さあ、待ちに待った遠足、出発だ!というときめきが溢れます。ところがそれを見ている作者は、まるで街がこのまま子どもたちに棄てられてしまうように感じるのです。意気揚々とした子どもたちと、大人の不穏な感慨の落差の大きさ。海山のへんぴな土地が限界集落と呼ばれ、姨捨山状態になりつつある現代、今度は子どもたちに都市を棄てられたらどうなるのか。大胆な発想ゆえに、読むたびに怖くなる独自性のある俳句です。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

photo by 侑布子 2024年 4月21日 樸句会特選句 姉妹してイソギンチャクをつぼまする 猪狩みき 干潮になった磯に忘れ潮の岩場があり、磯巾着が張り付いています。仲良しの姉妹が見つけて、興味津々、棒切れで突いてキャーキャー笑っているところ。「姉妹して」と「つぼまする」が呼応して、イソギンチャクの派手な色彩が浮かび、どこか変にエロティックな感じ。まだ性を知らない十歳前後の女の子の嬌声が聞こえ、陽春の海景が鮮やかに切り取られています。 (選・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。