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10月3日 句会報告

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2021年10月3日 樸句会報 【第109号】 樸句会のメンバーもワクチン接種をほぼ終えて、久しぶりにリアル句会が和気あいあいと行われました。句会で選句するときは、披講する人のために丁寧に句を書き写すことも大切なのだとわかりました。新型コロナウィルスの感染者数が減ってきたなかで、新しい日常に小さな楽しみを見つけながら俳句を作れるようになりたいものです。 兼題は、「秋風」「鶺鴒」「椎茸」です。「鶺鴒」と「椎茸」はともに名句が少ないので、挑戦し甲斐のある季語でもあります。 特選一句と入選二句を紹介します。   ◎ 特選  耳たぼにきて秋風とおぼえけり             山本正幸   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋風」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  ひと皿は椎茸の軸慰労の夜             見原万智子 【恩田侑布子評】 とびきり大きく肉厚の干し椎茸だと、軸もダシが出るだけでなく、箸休めの乙な一品になります。高級料理というわけではありませんが、心遣いがよくゆき届いた居心地のいい店。もしかしたら仲間の家かもしれません。「椎茸の軸」が互いによく働き、ほどよく疲れた「慰労」の会の夜の雰囲気に溶け合って、しみじみした句になっています。 【合評】 慰労の会といっても高級店で行うのではなく個人的な会を思わせます。味のしみた椎茸の軸を使った料理のひと皿にその日の疲れが癒されていくようです。   ○入選  椎茸を干すおとといの新聞紙            塩谷ひろの 【恩田侑布子評】 干椎茸は美味しいだけでなくビタミンⅮの宝庫。骨粗鬆症の心配がある年配者には欠かせない健康食材です。椎茸を干すのに「おとといの新聞紙」を下に敷くところ、生活実感が溢れます。おとといの新聞がすでに新聞でもニュースでもなく、ただの古紙になっているところ、面白い俳句です。「おとつい」にすれば、さらに素朴な味が出たでしょう。 【合評】 椎茸を干すのがザルではなく、読み終わって捨てるだけの新聞紙であり、昨日のものでなく「おととい」というのに実感があります。 干し物をするから古新聞を持ってくるように親に言われた時のエピソードから作りました。方言のような「おとつい」を使うのか迷いました。(作者の弁)   【後記】 私は樸俳句会に入って5か月目になります。コロナ禍でリアル句会がリモートになることもあるなか、自分の句を披露したり、お互いの句を鑑賞しあうことは大変勉強になりますし楽しみでもあります。恩田先生の教えである「いたずらに新奇な措辞に走らず、平明で深い句」を心がけ、独りよがりにならず省略をきかせた句が作れたらと思っています。ただ、先行句を知らないために類想句になってしまったり、自分の思っていることを伝える難しさを感じています。今回の句会で山本さんの「耳たぼ」の特選句は、恩田先生の評を聞いて、素晴らしく省略がきいている良い句だとわかりましたが、残念ながら選句時にはわかりませんでした。「耳たぶ」のことを「耳たぼ」ということも知りませんでした。俳句を始めてから知らない言葉や季語や漢字がたくさんあることに気づきました。これからも、自然や人とのふれあいのなかで新しい気づきに敏感になって、自分の個性を失わずに楽しく俳句を続けていきたいと思いました。   (塩谷ひろの) 今回は、◎特選1句、〇入選2句、△2句、ゝ2句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

あらき歳時記 秋霖

20211107 特選句

  2021年11月7日 樸句会特選句     彫るやうに名を秋霖の投票所                       古田秀    一句の真ん中の「名を」に一呼吸の切れがあります。選挙の投票所で、小さな一票の用紙に候補者名を釘彫するように、思いを込めて楷書で書く作者像が目に浮かびます。民主主義を担う一市民の実直ゆえの切なさ。「秋霖の」に、行く手を案じる誠実さと、難題山積みの衰退国家が底暗く感じられます。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 秋風

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  2021年10月3日 樸句会特選句     耳たぼにきて秋風とおぼえけり                        山本正幸    省略のすばらしく効いた俳句です。「耳」と「秋風」だけを漢字にして、あとはひらいたところ、一句から秋風が立つようです。耳朶はまっさきに冷やかさを感じやすいところ。髪が短く耳朶の出ている男性を想像します。「耳たぼ」「おぼえけり」の「ぼ」の二音が、深まりゆく秋の足音を感じさせ、句姿もうつくしい。小声でつぶやきたくなる句です。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

8月25日 句会報告

20210825

2021年8月25日 樸句会報 【第107号】   8月20日から静岡にも緊急事態宣言が出され、急遽リモート句会となりました。COVID-19が世界中に広がってから1年半が過ぎ、実社会においてもリモートワークやオンライン授業などが当たり前に導入されています。技術革新に感謝したい一方、皆が一堂に会する場の空気や手触りが恋しくなるのはないものねだりでしょうか。 兼題は、「墓参」「花火」「芙蓉」です。   ◎ 特選  安倍川に異国に慰霊花火降る             鈴置昌裕   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花火」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  からだぢゆう孔ひらきだす虫の闇               古田秀           【恩田侑布子評】 「孔ひらきだす」になまなましさがあります。季語と相俟って、ねとつくような蒸し暑さが残る深い闇を感じさせます。生きているからこそ人間には孔があり、虫には翅音があるのに、地中深く黄泉の国へ引きずり込まれてゆくかの不安感は、生と死が溶け合うようです。やや不気味な読後感は、生きていること自体得体が知れない、という思いへ人を誘います。 【合評】 縁側に坐し、真っ暗な庭から響く虫の声に秋の到来を感じ、聴覚、視覚に加え全身の孔が研ぎ澄まされるように全開する肌の感覚を巧みに表現した秀句。 「全身を耳にして」とはよく聞きますが、「体中の孔が開く」という表現に驚きました。眼、耳、口、鼻、肛門…。汗腺まで入れれば本当に人間の身体は孔だらけ。孔は外界と交信する器官です。虫のすだく闇に呼応するように、全身の孔という孔が一斉に開いていくという感覚はとてもシュールで面白い。漢字は孔、虫、闇のみで、あとはひらがなという表記も効果的と思います。       ○入選  眼鏡つともち上げもどす夕芙蓉               見原万智子      【恩田侑布子評】 近視用ではなく老眼鏡ではよくこんなことをします。年配者が焦点距離を少し合わせるための仕草です。古希前後の余裕のある日常の感じと夕芙蓉との取り合わせが絶妙です。それといった意味もないのに、たゆたいの情が匂う感覚の優れた句です。 【合評】 読書に余念のない作者が、涼しい風と辺りが薄暗くなってきたことを感じ、眼鏡を持ち上げ庭に視線を移すと、酔芙蓉は白からピンクに色を変えています。花の色に目を休めた作者は、眼鏡の位置を戻し、再び本に視線を落とします。晩夏から初秋にかけての季節感を静かに感じさせ、今の先行きの見えない閉塞感を一瞬忘れさせてくれるとてもよい句だと感じました。       ○入選  墓参てきぱきと骨になりたし               見原万智子 【恩田侑布子評】 「てきぱきと」仕事をこなす作者が、「てきぱきと骨になりたし」と思っておられたとは。ただ、全国にぽっくり寺があるくらいなので、老耄の身を晒して長々と子や孫に下の世話にまでなりたくないという思いは、珍しいわけではありません。手柄は「てきぱきと骨になりたし墓参」をひっくり返した五五七の破調の工夫にあります。宙吊りの余白が斬新です。しかし、作者コメントによると、「自分の焼骨はあまりお待たせしたくない」という火葬場での即物的希望を詠んだものと発覚。バラさないで欲しかったと思うのは私一人ではないでしょう。 【合評】 まさに近頃の己が思いを代弁してくれているように思いました。 普段からてきぱきと物事を進める方なのでしょう。他人に迷惑をかけず。自分の最期の時にまでそうありたいという切実な思い。そして墓参の際にもそう考えてしまう「性分」の可笑しみ。「てきぱき」の音が、骨の音に聞こえてきます。 墓に参ると諦念に襲われます。もう存分に生きたから、いや、そんなに生きていないけど、そろそろオサラバしてもいいかな。「ホラホラ、これが僕の骨」(by中也)       【原】亡き人よ見えわたるやと問ふ花火               見原万智子 【恩田侑布子評】 「姑が最後に見た焼津海上花火大会のひとコマ。車椅子に座り亡き舅の写真をしっかり抱いていました。「お父さぁん、見えるかね〜?」という呼びかけが、空へ向けて何度も放たれるのでした。」 以上が作者の弁。体験の刻まれた胸を打つ光景です。なるほど、思いが余って「亡き人よ」と呼びかけ、さらに「見えわたるや」とせずにはいられなかった気持ちはわかります。でも俳句表現としてみるとどうでしょうか。お姑さんの行動を横から見ている描写にとどまり、作者との一体感がイマイチです。ここはお姑さんの気持ちになりかわりましょう。 【改】亡き人に見えわたるやと問ふ花火 一字の違いで、中七の「見えわたる」という措辞がいっそう生きて来ましょう。 【合評】 花火を観ることが好きだった故人を偲ぶ思いがよく伝わります。「見えわたる 」に、空に広がる花火の壮大さがよく表現されています。       【後記】 兼題のこともありますが、近しい人の死、自己の死を想う句が多く、リモートゆえ孤独な選句であってもどこか会員同士輪になってともに句を読み進めていくような感覚がありました。ともすれば分断を煽られがちな異なる社会属性や世代が、対等に何かについて話し、評することができる場は本当に貴重です。ワクチン接種が進み、COVID-19の早期収束を望む一方、次々と出現する変異型に社会はまだ振り回されています。疫禍がもたらした予期せぬ“ニューノーマル”な暮らしの中で、奔流に抗う一本の自己の根を下ろすことが、俳句、ひいては文学の役割かもしれません。                      (古田秀) 今回は、特選1句、入選3句、原石賞2句、△2句、ゝ14句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     ============================= 2021年8月8日句会 入選句 ○入選  瓜揉や食卓に小ぶりの遺影               見原万智子 【恩田侑布子評】 暑い盛り。瓜揉が主役の簡素な昼餉でしょう。テーブルには遺影が置かれています。豪華な写真立ではなく、小ぶりのつつましい写真立に入っているいとしいひとの笑顔。「小ぶり」の措辞が素晴らしく働いています。生前もいつもここで一緒に食べていたが、亡くなっても一緒に食事をしているのです。仏壇のなかの位牌を拝むだけでは足りない親しさなつかしさ。瓜揉の翡翠色が、ひときわ涼しく哀しい。きっとひとり住いなのでしょう。清らかな故人への思いが、その亡き人のお人柄まで想像させる心打たれる俳句です。     ○入選  夏草を漕ぎ湿原の点となる               海野二美 【恩田侑布子評】 高地の湿原をゆくここちよさ。茅や蒲や、かやつり草、わたすげなどの群生する青々とした天上の草原で、いま私は、どこの誰でもない、男でも女でもない。もはや人間であることも忘れて、天地の間のただ一点になります。大自然に抱かれる夏の歓喜です。やぶこぎの「漕ぎ」と、座五の「点となる」によって、景が鮮やかに浮かぶ句になりました。

あらき歳時記 花火

鈴置上

2021年8月25日 樸句会特選句     安倍川に異国に慰霊花火降る                       鈴置昌裕    太平洋戦争の犠牲者への慰霊に、昭和二十二年から始まった安倍川花火大会。コロナ禍で今夏も中止でしたが、川原での慰霊祭が済んだあと、短い時間に慰霊花火がひっそりと揚げられました。偶然、私はスーパー買い出しの帰り、安倍川橋の上で揚花火に気づき、驚いて土手に車を停めました。町内の十人余りの方と、広河原の対岸に揚がる花火を風に吹かれて見つめていました。梅雨明けの細い水面に火の粉は映って音もなく消えてゆきました。この句のよさは「異国」にも「降る」と感じたことです。中国やシベリア、アッツ島やサイパン島など、大日本帝国が起こした戦争の無残さへ一気に思いを広げます。従軍した若者も、殺された現地人も、いまや狭くなった地球上の同胞です。「降る」の句末にいいえぬ余韻があります。静岡平野に住まう人々の風土の秀句にして普遍性をもつ句です。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

7月4日 句会報告

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2021年7月4日 樸句会報 【第106号】   ここ何年も記憶に無い七月上旬の大雨。 被害に遭われた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。 雨もようやく小降りになった七月四日。リアル参加とリモート併せて16名の連衆が句座を囲みました。 兼題は「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」です。 特選3句、入選4句を紹介します。  ◎ 特選  八橋にかかるしらなみ半夏生             前島裕子   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「半夏生」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  一列に緋袴くぐる茅の輪かな             島田 淳   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅の輪」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  言はざるの見ひらくまなこ日雷             古田秀    特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「日雷」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  雷遠く接種の針の光りけり               山本正幸 【恩田侑布子評】 貴重な時事俳句。コロナワクチンの接種をする。明日、痛みや副反応は軽くすむだろうか。本当に効くか。遠雷のひびきとあいまって不安がよぎる。日本は、世界は、今後収束局面に入っていけるだろうか。このゆくえは誰にもわからない。針先のにぶいひかりと遠雷の聴覚のとりあわせが、さまざまな感情を呼び起こします。     ○入選  かへり路迷ひに迷ひ日雷               田村千春 【恩田侑布子評】 帰りたくない気持ち。どうしたらいいかだんだん自分でもわからなくなる切迫感。日雷が効いています。絵にも描けないおもしろさ。     ○入選  白き葉のゆかしく揺れて半夏生               猪狩みき 【恩田侑布子評】 平凡という批判もきこえますが、むずかしい一句一章の俳句が、いたって素直。「ゆかしく揺れて」が半夏生のしずかさを表して、しかも清涼感がある。句に清潔なかがやきがあります。     ○入選  躙口片白草へ灯を零し               田村千春 【恩田侑布子評】 草庵の茶室での夏の朝茶。そんなに本格的でなくても、夕涼みの趣向のお茶かもしれません。躙口のあたりの小窓から漏れる灯が、露地の脇に生えている半夏生の白い葉にかがよう繊細な光景。いかにも涼し気な日本の情緒。半夏生でも三白草でもなく「片白草」の選択が秀逸です。       本日の兼題の「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」の例句が恩田によって板書されました。 半夏生 今回の兼題の一つ「半夏生(植物)」について、恩田から補足説明がありました。ドクダミ科の多年草。半夏生(七月二日)の頃、てっぺんに反面だけ粉を吹いたような真っ白な葉を生ずる。半化粧の意味もある。片白草。三白(みつしろ)草ともいいます。ハンゲと呼ばれるのはカラスビシャクというサトイモ科の別の植物。これとは別に時候としての「半夏生」もあり、句作にも読解にも注意するようにと、それぞれの例句を挙げて恩田は説明しました。  同じこと母に問はるる半夏生               日下部宵三  亡き人の夫人に会ひぬ半夏生               岩田元子  いつまでも明るき野山半夏生               草間時彦        からすびしやくよ天帝に耳澄まし               大畑善昭 茅の輪  ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな               川崎展宏  空青き方へとくぐる茅の輪かな               能村研三 雷  昇降機しづかに雷の夜を昇る               西東三鬼    遠雷や舞踏会場馬車集ふ              三島由紀夫       【後記】 今回の連衆の投句には、意図せず時候の半夏生になってしまっていた句が多かったと恩田は講評しました。そのうえで特選句と入選句について、「半夏生(植物)」を素直に丁寧に描写することで、それを見つめる自分の心のあり様を読者に伝えることが出来ていると評しました。 筆者の個人的見解ですが、恩田の出す「兼題」には、初学者が句作に頭を悩ますものが必ずと言っていいほど一つ含まれています。筆者にとっては今回であれば「半夏生(植物)」であり、次回では「甘酒」がそれに当たりました。それらはこの半世紀ほどで急速に身の回りから消えつつある環境であったり生活文化であったりするものです。筆者は東京近県の郊外に住んでいますが、こうした自然環境や文化的蓄積の残る静岡に羨望を禁じ得ません。 今回、連衆の投句から筆者が学んだのは、自分の感情や意識を殊更書こうとしなくても、対象をしっかりと描写することで読む者の共感を呼び起こすことができるということです。筆者の場合、「われ」と「季物」のうち「われ」が前に出過ぎているため、感覚的に描写しやすい「半夏生(時候)」の句になってしまっていたようです。 以前の樸俳句会で、芭蕉の言葉についてテキストを用いて恩田が解説するシリーズがありました。 「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」 「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(いずれも「三冊子」) 初学者にとって、兼題に真正面から取り組むことが俳句の面白さを知る王道なのだと痛感した句会でした。筆者はずっとリモート投句が続いていますが、実際に句会に出られればさらに多くの薫陶と刺激を恩田と連衆から得られるのにと思う日々です。                 (島田 淳) 今回は、特選3句、入選4句、△7句、ゝ11句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   ============================  7月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。     ○入選  向日葵や強情は隔世遺伝               海野二美   【恩田侑布子評】 向日葵のように明るく美しく、すっくりとお日様に向かって立っている作者。でも強情っぱりなの。この一本気は大好きだったおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)譲りよ。へなへななんかしないわ。「隔世遺伝」という難しい四字熟語が盤石の安定感で結句に座っています。十七音詩があざやかな自画像になった勁さ。     【原】ドロシーの銀の靴音聞く夏野               山田とも恵 【恩田侑布子評】 「夏野」の兼題から「オズの魔法使い」を思った作者の想像力に感服します! 主人公の少女ドロシーは、カンザスから竜巻で愛犬のトトと飛ばされます。私も幼少時、大好きな童話でした。ブリキのきこりに藁の案山子、臆病なライオンとのちょっと知恵不足のあたたかい善意の支え合い。エメラルドの都へのあこがれと、故郷カンザスへの郷愁。それら一切合財を「銀の靴」に象徴させた作者の詩魂は非凡です。ただし、表現上は「靴音聞く」が惜しい。「靴音」といった時点で、俳句に音は聞こえています。 【改】ドロシーの銀の靴音大夏野 または 【改】ドロシーの銀の靴ゆく夏野かな など、「聞く」を消した案はいろいろと考えられましょう。       【原】いつからか夏野となりし田は静か               望月克郎   【恩田侑布子評】 地方都市の郊外のあちこちでみられる憂うべき光景です。無駄のない措辞に、本質だけを剔抉してくる素直な眼力が窺えます。それをいっそう際立たせるには、 【改】いつからか夏野となりし田しづか 字足らずが効果を上げることもあります。  

あらき歳時記 日雷

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2021年7月4日 樸句会特選句     言はざるの見ひらくまなこ日雷                         古田秀   見ざる聞かざる言わざるの一つです。日光東照宮が有名ですが、いたるところに石彫や木彫りがみられます。言猿の眼に、日雷を取合せた斬新さ。「見ひらくまなこ」で一句が大きなふくらみを持ちました。つまらないことは言わない。しかし、この猿はしかと見ています。認識はたしかです。そこに晴天に鳴る雷。さまざまなことを想像させます。国内ならコロナ禍に開催するオリンピック。海外なら香港の言論弾圧。パレスチナの幼子たちまで犠牲にする戦火…。リズム上も 「ザル」と「ヒガミナリ」の濁音が効果的な一種の迫力を生み、重量感をもたらします。「言え」「いいなさい」とはたた神がうながすかのようです。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 茅の輪

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2021年7月4日 樸句会特選句     一列に緋袴くぐる茅の輪かな                         島田 淳   巫女さんが一列に次々茅の輪をくぐってゆく。鮮烈な絵画美。無駄なことをいわない潔い句。調べもI音の頭韻が歯切れよく、しかも中七の「緋袴」のA音は岩菲が花ひらくかの印象。うら若い巫女さんたちの白と緋の装束からなる澄んだ衣擦れを感じさせます。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)